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第三章

事案・蛸蜘蛛桜屋敷 #09 夢に潜る

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    布施巫女であった曾祖母のチヨは『心に潜る時は、自分は相手の心の異物であってはならん。相手から排除されるからの。お前の心の外側だけでも相手に同化するんじゃ。』と言っていたが、ヒアは同化作業が余り得意ではなかった。

   チヨは"外側だけでも"と言ったが、、実際に潜ってみると、"だけ"では済まなかったからだ。

     ………………………………………………………………

 ヒアはウルトラ○ンの格好をして夜の都会の路地裏を走っていた。
 マスクの裏側にある覗き孔から見える視野は狭いし、空気抜き程度のスリットしかない口元ではとても息がしにくい。
 ヒアは、なぜ自分が走っているのかも、なぜウルトラ○ンの姿なのかも判らなかった。
    第一、現状に至るヒアの記憶が自体があやふやなのだ。

 ・・走るって、何かを追いかけてる?
 いや胸苦しいようなこの感じは、、反対、、そう追いかけられているんだ。それにさっきから誰かに見られているような気がする。
 路地は直ぐに途切れて、ビル街の表通りに出てしまう。街灯が明るい、それにどの建物にも照明が入っている。
 だのに人がいない。

    ヒアはその様子を見て、子供のころ知った「セントエルモの火」だとか、街ごと人々が蒸発した話を急に思い出して怖くなった。
 何もかも嘘で塗り固められている癖に、奇妙な現実感に溢れている世界。走り詰めていた事も手伝って気分が悪くなった。
 嘔吐しそうになったがヒアは我慢した。
 ヒアは顔にピッタリ張り付いたウルトラ○ンのマスクを被っているから、そんな事になったら自分のゲロで窒息してしまうからだ。

    ・・・えっ、そうなんだ!!

 馬鹿らしい事に、ヒアはこのスーツ自体を脱げばいいんだという事に、今更ながらに気付いた。
 どうしてこんな簡単な事に気付かなかったんだろうと思うと、今度はそれがおかしくてヒアは笑い出しそうになった。
 しかし心の何処かでは今ヒステリックに笑い出すと、それが止められなくなる自分が判っていたから、ヒアはそれも我慢した。

 我慢して良かったと思う。
 なぜかと云うと、ヒアが着てるウルトラ○ンスーツには、チャックが何処にもないことをゴムのキュニュキュニュガボガボという音を散々聞いた挙げ句に発見したからだ。

    不安に絶望が付け加えられた。
 脱げない。・・絶対、脱げない。
   どこにも逃げ場のない汗がスーツの中にびっしょり。
    ヒアに張り付いたゴムの肌と格闘し続ける内にそれは確信になった。
    不安と焦りがせり上がって来て、それが意味のない笑いになりそうだった。
 
 もし笑いながら、この事実を発見したなら、ヒアは間違いなく狂い出していただろう。
 それに恥ずかしいけれど、ヒアは自分の身体を覆っているスーツを弄っている内に快感を感じ始めていたのだ。
 どうやらヒアは丸裸でこのスーツを着ているらしい。

 それにこのスーツは着ぐるみとして少し寸が足りないらしく、背伸びをしたり屈んだりすると股のゴムが直接あそこに食い込んでくる、、。
 それに乳首だってゴム地に擦れると、、。

 「でもなんでウルトラ○ンなんだろう。」
 今度はそう思った。
  そう言えばヒアは自分の全身を鏡で見たわけではない。
   自分の手とか腕とか脚とかの銀色のゴムを見てそう思っているだけの話だ。

 幸い近くには、自分の全身が映るようなショッピングウィンドウが山ほどあった。
 ヒアはその一つに近づいて行った。

「そっちに行っちゃ、駄目だよ。」
   ふいにヒアの背後から声がかかった。振り返ると、そこにデザイナーズジーンズを上手くはきこなした女の子が、ジャンパーのポケットに両手を突っ込んで立っていた。
    刈り上げの癖に前髪が長くてそれが妙に似合っている顔の小さな子だった。

「あんた、誰?」
 我ながら不機嫌な声が出るとヒアは思った。

「あたしは、あんただよ。つまりウルトラ○ンの中身。」
「あんた、僕をからかってるの?」
    "僕"は普段使わない呼称だった。
    …千代さんはアタシ的な言葉のやり取りを使いたがる。

 同性だったから良かったんだ。
 ヒアに声をかけてきたのが男性だったら、ヒアはこんな格好を見られて恥ずかしくて死にそうになっていただろう。
 少女に対する不機嫌さはその感情の反映だと思えた。

「からかってなんかいないよ。あたしはあんただから、、。判る?それにもう、こうやって中身が判っているんだから、鏡なんかで確かめる必要ないんだよ。見栄えなんか関係ない。そんな弱気だと又、あいつが追いかけてくるよ。」
「馬鹿、言ってんじゃねーよ!!」
 ヒアは少女を無視して目星をつけておいたショーウィンドに向かってダッシュした。
    少女に言われれば言われる程、自分の姿を確かめたくなっていた。


 ・・・・見なけりゃよかった、、、こんなウルトラ○ンなんて約束違反だよ。
 昔、男の子達が、変な節をつけて「ウルトラ○ンの子どもはウルトラ○ンコ」って低能な歌を歌ってたけど、まるでその世界だった。 

 ヒアはウルトラ○ンコになっていたのだ。
 そう気付くとヒアの身体の全身からは、ゴムと栗の花の匂いが入り交じったような体臭が常に立ち昇っているのが判った。
    ウルトラ○ンコの身体に白い体液をかけられている。

 そして便所の落書きみたいなヒアの姿が映ったガラス窓に、もう一つの大きな影法師がさっと横切るのが見えた。
 ヒアが振り向いた時に、三階建てぐらいの背の高さのある影法師が、ビルの曲がり角に飛び込んでいく姿を一瞬だけ見る事が出来た。

 薄明かりの中だったので、その大男がどんな服装をしていたのかは、はっきりと読みとれなかった。
 素肌に渦巻き模様のタイツを着ていたように見えたが、それも定かではない。
 でも肉体的な特徴ははっきりと覚えている。
 奇妙にひょろ長いその男の頭は尖っていて、そのてっぺんは肉の棒みたいにブランブランと揺れていた。

 おまけに男の爪先は、それが靴なのか、それとも本来の肉体なのかは判らないが、尖ってゼンマイのように丸まっていた。
 その影法師がゆらりと、それでいて瞬くような早さでヒアを振り向いたのだ。
 影法師の顔の外に、こぼれ落ちた大きな一つの眼球がグルリと揺れた。
 ヒアはその醜い顔を見たショックよりも、何か思い出してはいけないものが自分の中でせり上がって来るのを感じて気絶してしまった。 
    なんだコレは、潜水先の世界なのか?それとも"僕"の世界なのか?

 目が覚めた。
   ヒアはさっきヒアと名乗った少女に介抱されていた。
 道路と歩道を隔てる白いパイプのフェンスにもたれるようにして、少女は脚を投げ出し座っている。
    ヒアはその少女のお腹の上に頭を預けていた。
 それだけの姿がさっきヒアが覗き込んだウィンドウに映し出されている。
 まだ夜のままだ。
    だとするとヒアが気絶していたのは、ほんの短い時間だったのだろう。

 少女はヒアの頭のてっぺんに鶏冠みたいに生えている肉のビラビラを避けながら、ゴムのツルツルの額を撫でてくれている。
 少女の優しさが胸に染みてヒアは泣き出してしまった。

「なんなのヒアって、、。」
「だから言ったろう、ヒアがあんたなんだって、ホラごらん。」
 少女はヒアの目の前にしなやかな彼女の手をかざした。

「これがあんたの本当の手だよ。」
 ヒアはヒアのゴムで包まれた手で少女の手を包み、口元に引っ張っていった。
 ヒアは無性にその手が舐めたくなったのだ。
 少女はヒアのその欲望を感知したのか一瞬だけ抵抗をしめした。

 ・・・ほらご覧、、自分で自分のやる事を嫌がるなんて、やっぱりアンタはヒアじゃないんだ・・・
 そんな気持ちが生まれかけたけど、すぐにそれは消えた。

 ・・・誰でもこんなゴムの手でいきなり触られたら吃驚するよ、ヒアだってきっと吃驚する・・・
 ヒアは、ヒアのマスクだか本当の顔だか判らないダッチワイフみたいな唇に、少女の手を当てた。

 やっぱりマスクはマスクで少女の手の感触は伝わってはこない。
 又、涙が出た。
 ヒアはヒアにやさしくしてくれる人の手にキスさえ出来ないんだ。

「そんなに泣いてばかりいると、ヒアは消えちゃうよ。ヒアが泣き虫が嫌いだって事、忘れたの?」
 そういえばヒアには小さい頃、弱虫の同級生をいつも虐めていた記憶があるような気がした。
 えーっとあの子の名前は、、、城太郎?

 記憶をまさぐっている内に、少女が消えていた。
 結局、ヒアは一人きり、、、誰かの悪戯で膨らませたままゴミ捨て場に捨てられたダッチワイフみたいな格好で、両足をだらしなく投げ出して道にへたり込んでいた。

 ビュー、ボタリと何かが夜空から落ちてきた。
 それはヒアの頭の天辺に落ちて首を伝い胸の膨らみに流れ出し始めた。重い粘ついた液体みたいなもの。
 手ですくい上げて、白く濁ったそれを見る。
 思い出した、これはあいつの体液だ。

「弱気になるとアイツが追いかけてくる。」消えた少女が残した言葉を思い出す。
 これ以上、くわえさせられたり、突っ込まれるのは御免だった。
 ヒアは直ぐに立ち上がって走り出した。
「なんで、どうして、、、ウルトラ○ンなんだよ、、、。」


 僕はウルトラ○ンの格好をして夜の路地裏を走っていた。
 ウルトラ○ンのマスクの裏側は、口紅やファンデーションの匂いで充満していた。
 僕の前は、女性がこれを被っていたのだろうか、、判らない事だらけだ。

 なぜ走っているのか、なぜウルトラ○ンなのか、、。第一、記憶自体があやふやなんだ。
 走るって、僕は誰かを追いかけてるのか?
 いやこの胸苦しいような感じは、、追いかけられているんだ。
 
 そう言えば、さっきから誰かに見つめられているような気がする。
 路地は直ぐに途切れて表通りに出てしまった。街灯が明るい、それにどの建物にも照明が入っている。

 だのに人がいない。僕はその様子を見て「セントエルモの火」だとか街ごと人々が蒸発した話を思い出して怖くなった。
 何もかも嘘で固められている癖に、奇妙に現実感に溢れている世界。・・気分が悪くなった、あげそうになったけど我慢した。

 僕は顔にピッタリ張り付いたウルトラ○ンのマスクを被っているから、自分のゲロで窒息してしまう。
 そんな思いに捕らわれながら、僕はふとスーツを脱げば済む事なんだと今更ながらに気付いた。
 どうしてこんな簡単な事に気付かなかったんだろうと思うと、それがおかしくて笑い出しそうになった。

 でも心の何処かでは、今笑い出すとそれを止められなくなる事が目に見えていたので我慢した。

 我慢して良かったと思う。僕が来てるウルトラ○ンスーツにはチャックが、何処にもないことを、散々、ゴムのゴボゴボという音を聞いた挙げ句に、発見したからだ。
 もし笑いながら、この事実を発見したら僕は間違いなくどうにかなっていただろう。

 それに恥ずかしいが僕のペニスは勃起し始めていたのだ。どうやら僕は丸裸でこのスーツを着ているらしい。
 それにこのスーツは着ぐるみとして少し寸が足りないらしく、背伸びをしたり屈んだりすると股のゴムが直接、睾丸の付け根や尻の穴のまわりに食い込んでくる、、。


「なんでウルトラ○ンなんだろう。」
 ふと、僕は思った。そう言えば僕は自分の全身を鏡で見た訳じゃない。
 自分の手とか腕とか脚とかの銀色のゴムを見てそう思っているだけだった。
 近くには全身が映るようなショッピングウィンドウが山ほどあった。
 僕はその一つに近づいて行った。 

「行っちゃ、駄目だよ。」
 ふいに僕の背後から声がかかった。振り返るとそこにデザイナーズジーンズを上手くはきこなした女の子が、ジャンパーのポケットに両手を突っ込んで立っていた。
 刈り上げの癖に前髪が長くてそれが妙に似合っている顔の小さな子だった。

「あんた、誰よ。」
「ヒアはあんただよ。つまりウルトラ○ンの中身。」
「えっ、、だって僕は男だぜ。」
「アンタ、本当に自分の事、そう思ってるの?」

 僕は、なんだか急に不安になって来た。
 今のこの場面、何処かで体験した事がある。
 繰り返し同じ事をしてる、、デジャブなんかじゃなくてもっと強烈な感じ、同じ失敗を必ず繰り返すという焦りにも似た感情。
 僕は股間に手を当てて、勃起している筈のペニスの感触を確かめようとした。

 そこには何もなかった。
 そんな僕の仕草を見て少女は哀しそうに笑っていた。
『あんたは過去の性的虐待から逃げようとしてるだけだよ…。ウルトラ○ンは強さへの憧れ、渇望…』
 僕は又、走らなければならない。
 夜の街を、ウルトラ○ンとして。

 

    …虎劔 此有、しっかりしろ!相手に呑み込まれるな。
    所長が言ってただろう。
『相手は、マンドラゴラを食い過ぎておかしくなったような野郎なんだ。いよいよいざとなったら奴を燃やしちまえ。後の始末は俺がする。』って。

    僕は仕事で潜ってるんだ。
    僕の幼少・幼児期の体験に、そんなものは1ミリもない。
    僕は追われたりするような存在ではない。
    僕は幼い頃から、"燃やす者"なのだ。




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