〜Marigold〜 恋人ごっこはキスを禁じて

嘉多山瑞菜

文字の大きさ
44 / 95
第八章 ―もっと…楽で楽しい恋愛がしたかった…—

しおりを挟む
 桂はおどおどと目の前にそびえるビルを見上げた。

 紅葉坂を登りきった所に急に表われたモダンなオフィスビル。いかにも切れ者…イヤ桂が勝手にそう思っているだけなのだが…といった人達が忙しく出入りする、そのビルの入り口を桂は見つめる。

 どう考えても自分がそこへ入って行くのは場違いな気がして躊躇われていた。でも…約束の時間まで後5分しかない。

「イヤ…似合う似合わないは別にして…約束だし…。遅刻すると…怒られる…」

 桂は言い訳をあれこれ自分の中で列挙すると、意を決してビルの中へ入って行った。
 
—俺の知り合いに日本語教えてくれよ—
 
 事の起こりは亮のこの一言だった。風邪が治って、すっかり俺様モードに戻った亮は、風邪を引いて以来、当然のように桂のマンションに入り浸るようになっていた。

 それでも桂は必至で抵抗してなるべく部屋に来させないように努力していたのだが…。

 もちろん、デートもするし亮の部屋で食事もするし映画も見るし夜も過ごす。亮の部屋の方が快適だからだ。

 ただ…桂が今日は遣り残した仕事があるから逢えないとか…今日は家に帰るとか言うと、亮は決まって「じゃ…俺が桂の部屋に行く。仕事の邪魔しないから…。」と言っては桂の部屋に入り込む。

 追い返せよ…と一応桂も自分に突っ込んで見るのだが、部屋に来たら、約束通り妙にちんまりと大人しくしている亮に何も言えず…しかも寂しがりやだから…傷つけたくない…甘やかしたい…と言うのが桂の心情だったりして…桂的にも、やっぱり亮と一緒に少しでも長く居たくて…。

 お陰で桂が黙々と授業の準備をしている側で、亮は桂の本を読み漁っているか、桂の仕事を眺めているのが、お約束のようになっていた。

 その日も桂は授業で「~ている。」と「~てある。」どう違う?と質問されて、色々例文を並べて説明したのだが、今までの教え方ではいまいち学習者の完璧な理解に遠かった為、もう一度資料を調べて効果的な指導の仕方をあれこれと考えていたのだ。

 亮は、その日も桂の部屋に押しかけては、桂があぁでもない、こうでもないとやっているのを飽きもせず眺めていたのだが、ふと思いついたようにその一言を口にした。

「え…?山本の知り合いに…?」

 意外な言葉に桂が手を止めてクッションを抱えて、寝っ転がっている亮を見つめた。あぁ…そう。亮が当然と言わんばかりに答える。

「でも…俺…日本人には教えないけど…」

 桂の答えを聞いて亮が眉根を寄せる。

「あのなぁ…桂。俺だって桂の仕事が外国人をターゲットにしているって事は理解しているつもりだけど」

 不機嫌そうに言う亮に、桂は慌ててゴメン…。と謝った。何しろ亮を怒らせると…後が怖い…。

「俺の会社で雑貨デザインを担当しているイタリア人なんだ」

 取り敢えず機嫌をなおして亮が続ける。

 へェ…それで?イタリア人と聞いて俄然興味が沸いた桂が話の続きを促した。

「来週から1年の予定で来日する。本人が少し日本を拠点にしてデザイン活動をしたいとお望みでね。どうも自分のデザインに和のテイストを取り入れたいらしくて…」

「へぇ…スゴイな。その面倒を山本が見るのか?」

 もともと亮は会社の経営に携わっている。煩雑な会社経営の業務以外にも、自身がプロデュースしたイタリア雑貨のショップの経営やPR活動なども幅広く手がけている。

 もちろん商品の選定や輸入、通関手続きまで自分ですると言っていた。ただでさえ多忙なのに、所属デザイナーの来日の面倒までみるのかと思うと、桂は改めて亮は仕事が本当に出来るのだと…驚嘆の念で亮を見つめた。

 桂の反応に気を良くした亮がニッコリ微笑みながら続ける。

「あぁ。まぁ長い付き合いなんでね。本人は日常会話は困らない程度に話せるんだけど…。本人が、なんだっけ?日本語なんとかテストを受けたいって言っているんだ。それで日本語学校に通わせろってご要望でね」

 日本語なんとかを思い出せないらしく、考え込むように亮は言った。その表情が可笑しくて桂は笑いながら亮の言葉を補ってやった。 

「日本語能力試験だ…。多分」

 亮が、そう…それだ。とパッと表情を明るくして同意する。

「なんか…1級を受けるって張り切ってたぜ。プライベートでも桂は教えるのか?」

 桂は自分を優しく見つめる亮を見返しながら答える。自分の一番誇れる仕事を期待されるのが、とても嬉しくて…少し照れくさかった…。

「うん。プライベートでも教える。ぜひやりたい…。やらせてくれよ」

 亮の役に少しでも立ちたくて…亮に少しでも関わっていたくて…。

 そして、もちろん新しい外国人学習者と出会いたくて…桂は嬉しそうに笑うと、そう答えていた。

 亮は、その桂の笑顔を面映そうに見つめると、耳朶まで赤くして「ん…サンキュ。」と一言呟いた。
 
 それが、今、桂がこのビルに来た理由だったりする。
 
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

【完結】抱っこからはじまる恋

  *  ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。 ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら! 完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

氷の支配者と偽りのベータ。過労で倒れたら冷徹上司(銀狼)に拾われ、極上の溺愛生活が始まりました。

水凪しおん
BL
オメガであることを隠し、メガバンクで身を粉にして働く、水瀬湊。 ※この作品には、性的描写の表現が含まれています。18歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。 過労と理不尽な扱いで、心身ともに限界を迎えた夜、彼を救ったのは、冷徹で知られる超エリートα、橘蓮だった。 「君はもう、頑張らなくていい」 ――それは、運命の番との出会い。 圧倒的な庇護と、独占欲に戸惑いながらも、湊の凍てついた心は、次第に溶かされていく。 理不尽な会社への華麗なる逆転劇と、極上に甘いオメガバース・オフィスラブ!

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

学校一のイケメンとひとつ屋根の下

おもちDX
BL
高校二年生の瑞は、母親の再婚で連れ子の同級生と家族になるらしい。顔合わせの時、そこにいたのはボソボソと喋る陰気な男の子。しかしよくよく名前を聞いてみれば、学校一のイケメンと名高い逢坂だった! 学校との激しいギャップに驚きつつも距離を縮めようとする瑞だが、逢坂からの印象は最悪なようで……? キラキライケメンなのに家ではジメジメ!?なギャップ男子 × 地味グループ所属の能天気な男の子 立場の全く違う二人が家族となり、やがて特別な感情が芽生えるラブストーリー。 全年齢

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...