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最低な屑野郎だなてめぇは。男の風上にも置けねぇ。
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血の臭い。呼吸する度鼻腔の粘膜から喉をつたって身体の中に絡みつくように取り込まれていく血の臭い、自分ではない他人の血の臭い。杯の血が目の前に浮かび、縁に口をつけたいと思う。
薫は一度は収まったやましい興奮が再び体内に燻り始めるのを身体の内に感じて顔を覆った。覆った指の隙間からまだ血の臭いがする。
「そこに」
くぐもった声と共に、目の前に腕がするりと伸び、本棚の下段の方を指した。
「そこに、救急箱があるから……、とってくれないか。」
薫はようやく声の主の方を見やった。壮一も顔を抑えていたが、薫とは違って血液のこぼれ出るのを手で受け止めている。左手で顔半分と鼻の辺りを抑えている。その間にも指の間から血が噴きこぼれて腕をに赤い筋がつたっていた。壮一の口調や息遣いは行為の時からは完全に覚めていた。普段話すのと変わらず、片方の瞳は薫よりもはるかに冷静に薫を見ていた。薫は急ぎ壮一に指示された場所から救急箱を探り出した。本棚には、海外文学から国文学までの本がみっしりとつまって幾らかは埃をかぶっていた。救急箱に埃はなく、何度も使用された形跡がある。
救急箱を手に振り返って、また心臓がまた奇妙な揺れ方をした。手を外した顔半分、血塗れて左目の腫れあがって殆ど開いていない壮一が、薫を見上げて、求めるように手を伸ばしていたからだった。薫でなく救急箱を求めているとわかっていても、薫は自分の拳がまたそこを打ちたいと思うのを止め、握りしめすぎて震える手で彼の前に救急箱を置いた。
彼はテーブルの上に置き鏡を開いた。まるでこれから化粧でもするような優雅な仕草だった。まず目の上の腫れあがった部分に小さな剃刀を当て血を抜いた。鬱血して閉じていた瞳が開き始める。充血した瞳が開かれ、睫毛に血をのせながら、血が零れでるのを面倒くさそうにガーゼで留めている。それから上を向いて脱脂綿で鼻を抑え血を止めようとするが、脱脂綿はすぐに真っ赤に染まる。
「切れやすいんだ、俺。」
薫は、壮一が何を言っているのか理解するのに時間を要した。ようやく、”鼻の中が切れやすい”という意味だとわかった。簡単なことなのに、部屋に充満する壮一の生々しい芳香、精と濃い血の臭いに、頭が回らない。くらくらする。薫は自分の呼吸がまた上がってくるのを感じた。血を見ていたくないのに、床に捨て置かれた血まみれの脱脂綿から目が離せないまま、喉の奥で喘いだ。
壮一は鼻を抑えながら、痛むのかまだ軽く肩で息をしているが、冷静な紅い瞳で薫を見て、心配そうな顔をする。逆のはずだと薫は思う。しかし今壮一に触れたら……。
「少し、外に出て風にでもあたってきたらいい。今日は気持ちがいい日和だ。それに、こんなの慣れたものだよ、試合の後はこうなることもよくある。だから救急箱を常備してあるんだ。部屋も換気しておくよ。」
壮一の言葉は薫にとって殆ど命令に近かった。そして、救いでもあった。
学生寮の廊下はひんやりとして誰もいない。部屋の中が熱気に満ちすぎていたのだ。隣の部屋のドアがゆっくりと気味の悪い音を立てながら開いた。顔より先に肩より長い黒髪がドアから現れ、女?と思うと、続いて男が顔をのぞかせた。煙草の甘い煙がふんわりと流れ出て来た。彼の手から煙が立ち上っている。初めて見る顔ではない。大きくはない一学生寮の中の壮一の部屋を訪れる際に数度見たことがある顔だった。
「さっき、なんだか凄い音がしたけど。」
男の声は、妙に耳に甘ったるかった。彼は廊下に立ちすくんだままの薫を見て、ドアから全身を出し、後ろ手にドアを閉めた。ぎぃとまた気味の悪い軋んだ音がした。壮一の部屋のドアはそんな音を立てない。
男は細身で飯を食っていないのか不眠なのか誰が見ても不健康な悪く言えば薬物中毒者のような顔つきをしていた。しかし、男にしては長い、肩につくほどの髪が水を浴びた黒烏のようにつやつやとしており全体的にどこか人工的に作られた人形のような印象だ。年は、顔の不健康さもあるのか、薫や壮一より幾らか上に見えた。院生かもしれない。男は今しがた閉めたドアにもたれかかり、薫の全身を舐めるように眺め、小さく鼻を鳴らし、目を細めた。
「……。血の臭いがするね。」
男は不味そうな顔して手に持っていた煙草を強く一吸いすると、足元に落として踏み消した。学生寮はそもそも禁煙であり、廊下に吸い殻を捨てるなど、もってのほかである。薫はつぶれた吸い殻から、再び男に目をやった。
「ここ禁煙じゃないですか。」
男は意外そうな表情をしてから微笑んで「はぁ……まじめだねぇ……君ぃ……」と感嘆として、自分の右袖の辺りをさするような仕草を何度も繰り返した。最初意味が分からなかったが、薫は、ふと自分の腕を見て、急いで腕を隠すようにしてこすった。微かだが、壮一の血が腕に飛び散って、斑点になって紅くこびりついていたのだ。薫は自分の全身を細かく確認したが、血がついていたのはそこだけだった。
「どうやら、君の怪我ではなさそうだ。」
男はまた、粘ついたような甘い声を出した。
「ってことは……、まあ野暮なことは聞かないでおこうかな。別に殺したってわけじゃないんだろ。殺したんならこんなところでぼーっとつっ立って俺とこんな風に冷静に会話する余裕も無いだろうからさ。……君が、相当のサイコパスか何かじゃなきゃあね。ああ、一回でもいいから早く本当のサイコパスって奴と話をしてみたいもんだな。それから……、いや、その話は良い。まあ、だから、もし君がそうだったらば、と思うと、少し胸が高鳴るよ、でも現実はそうではないんだろう。なんともつまらないね。」
「……、……。」
「しかし、彼、間宮君は、相当変わってるだろ。」
この数分接しただけでも、貴方だって相当に変ですよ、と薫は言いたかったが、「そうですかね。」と曖昧な返答をした。こうして関係の無い他人と話している内に自分の中で昂っていたうねる様な波が少しずつ引いていくのを感じられた。男は苦い物でも食べたような顔をした。
「こんなところでプロレスなんて野蛮をやってる奴が変わってないわけが無いだろう。」
「……」
「ああ、もしかして君も新入りだったりしたかな。俺はもっと、ずぅっと別のことを想像していたけどね……」
随分回りくどい言い方だった。返す言葉もなく黙っていた。男は退屈したのか、興味を失った目をして、欠伸をして再びドアに手をかけた。部屋に戻りかけ、彼はもう一度薫を振り返って片方の唇の端を上げた。
「はしゃぐのもいいけど、ほどほどにしてくれよな。明日からの医科の実習の準備で立て込んでるんだよ。……。ただ、実を言えばね、彼の部屋の隣になって一番長く続いてるのは、俺なんだよ。彼は過去に大学の管理や他の寮生から一度ここから追い出されかけていたくらいの問題児だからな。そうして一番隅の日当たりも良くない部屋に追いやられて。で、隣に誰も入りたがらない所に俺が居れてもらったわけさ。」
扉は今度は音もなく閉まった。奇妙な男だ。
廊下は、死んだように、しんとしていた。
大学の構内をあてなく彷徨っていると直ぐに時間が立った。一時間後に戻ると部屋は爽やかな空気に満ちて、先ほどまでの惨劇の痕跡はすっかりなくなっていた。大きく開かれた窓から爽やかな風が吹き込んで緑色のカーテンを揺らしていた。彼の顔の傷跡、まだ薄っすらと残る縄痕も、ただ自然にそこにあるだけで、薫を刺激しないのが不思議だ。彼は一人用のソファに腰掛け本を読んでいた。彼は薫が入ってきてもしばらくそのままでいて、幾ページか捲ってから本を傍らに置いて、薫を振り返る。
「ごめんごめん、ちょうどいいところだったからさ。集中すると直ぐこうなんだ。駄目だね俺。」
「何を読んでたんだ?」
壮一は文庫本を手に取って表紙の方を見せた。紅い表紙に金文字が踊り『痴人の愛』とあった。
「谷崎だよ。いいよな。」
「谷崎?」
「……呆れた。谷崎潤一郎も知らないで文系なの?」
「名前だけなら。」
壮一は文庫本を放りなげ、ため息をつきながら立ち上がった。それから本棚の前を行ったり来たりしたかと思えば薄い文庫本一冊投げてよこした。同じく谷崎の本らしかった。本好きの癖に本の扱い方が雑なのはいかがなものかと薫は思った。
「それ、持って帰れよ。別に帰してくれなくても良い。読みたくなったら買うから。ま、暇つぶしくらいにはなる。ところで薫、プロレス研に興味は出てきたか?」
大学構内を歩き回っている間、丁度そのことを考えていたのだった。
「どうだ、俺と、リングの上でもヤッてみたくなったか?衆人環視の中でさ……」
壮一の瞳に、真面目と妖艶な部分が同居して輝いていた。
翌日、壮一は薫を伴ってプロレス研の練習場に来ていた。薫は初日に見せた生意気な態度はまるで見せない。体育会系のしきたりに沿って頭を下げ、彼らに加わる。
浅葱は壮一の顔に昨日まで無かった傷の痕を見た。絶対に練習中についたものではない。この目で見ている。昨日出ていった時は奇麗な顔をしていたのを見たのは浅葱一人ではないはずだ。顔が切れている。誰もが傷について触れることをはばかり、壮一に聞くことができないでいたが、その中で浅葱は、やったのは薫だろうとほぼ確信していた。
薫は気味の悪い程礼儀正しい振舞をして、浅葱にも頭を下げたが、その仕草一つ一つが浅葱の気に障った。浅葱だけでなく、他の幾らかの部員も同じ考えを持ち、薫に反感を覚えたが、壮一が初めて直接連れてきた人間を追い出すことはできない。
反対に、薫の経歴、身体能力や華のある姿に薫を歓迎する面々も多かったのも事実である。
レスリングの初心者とは思えないほどに、柔道経験者の薫の飲み込みは早く、壮一の顔の傷が治る頃には、前座、中座くらいであれば楽々と舞台に立って勤められる程度の技量を身に着けていった。
壮一は、薫が真摯に自分や皆と取り組み、自分の指導を懇切丁寧に受ける中で、時々彼の瞳の中に抑え込まれている獣性を垣間見たのだった。壮一のその熱っぽい異様な視線を、昼間の薫は意識の上に感じていなかった。只管、強く、目の前のことを必死に覚えようとしていた。それから、プロレスがあくまで、物語に沿って行われる戯曲に近いものであることが、薫に上手くブレーキを効かせるのが良かったのだ。
薫よりも、第三者である浅葱の方が、壮一の異常な精神状態にいち早く気が付いていた。壮一が身体を休めている時の、薫を見る瞳は明らかに常軌を逸していた。
浅葱は壮一のことが一後輩として心配だった。しかし彼の異様に熱っぽい気迫に声をかけるのは憚られ、結局、薫と取り組む際にその憂さを晴らしてやろうとするのだが、薫の技量は浅葱の数か月の努力など一瞬で飛び越えて打ちのめし、最後の最後に小さく、間近で対峙した者にしかわからない程度に笑うのだ。それから真面目腐った顔に戻り「ありがとうございました。」と言う。浅葱は一層のこと、もうここに来ない方が良いのかもしれないと思った。しかし、急にそんなことをすれば壮一は「なぜ?」「どうして?」と徹底して浅葱のことを深く探ろうとするだろう。それで二条薫の件で辞めるということが彼にバレてしまうのが一番厭だった。
薫、薫……。薫の姿を見ていると、壮一の肉体は、前以上に伸び伸びと機敏に流れるように自由に動き、宙を舞い見ている者達を唸らせた。練習場は、一部のドアを常に開け放っており、部員以外にも暇つぶしに物見見物をしに来る学生が時折いた。部としても許していた。意外にも女学生の立ち見が多いのは、壮一のことがあったが、前以上に物見見物、入部希望者が増えていた。
壮一は壁にもたれながら闘っている薫を見ていた。嗚呼、気持ちがいいよ。お前がそうして、懇切丁寧に、「偽りの姿」で俺や俺達と戯れている間に、お前の獣性は欲望の底の、血に飢えた泥沼からすくすくと育っていくんだ。お前も感じているだろう、意識の上では感じていなくても、肉体は感じているはずだ。お前の自由を求める心臓の跳ねる躍る音が今にもこの耳に聞こえてきそうだ。でも、前のように畏れることは無いんだ。なにしろ、俺が常にお前の側に居るのだからね。夜を迎えれば、全てを解放できるのだから。そうだろう、薫。
壮一の思う通り、昼の真摯な態度の薫と夜も遅まった刻の薫は違った。まるで鎖を解き放たれた獣だった。
ベッドの上や時に床で伸びている壮一の背中に時々、流れてくるものがあった。
プロレスの習熟と同時に、薫は縄の技量も上げていった。”安全な暴力”は薫を魅了した。壮一と2人で連れ立って繁華街のうらびれたビルに居を構えるSMバー『溺涙』で定期的に開催される縄の講習会に通っていた。縄の世界にも武闘と似て流派がある。『溺涙』の壮年のマスターはSMバーの経営者でありながら、業界ではよく名の知れた縄師「花房双月」の名で活躍し、花房流緊縛を謳っていた。時に海外で"JAPANESE KINBAKU"文化を披露する程の優れた腕の持ち主であった。
花房流緊縛には免許皆伝制が用いられる。段位には一段から五段までが設けられた。四段までいけば、縄の講師として、技術を乞うものに指導をすることも許可される。練習のために縛る相手に困らず、時間もあり、一度始めたことは最後までやり遂げる精神の強い薫は、四段まで駆け上がり、双月から「プロになったらどう?」と初めは冗談半分、追々本気で薫に声をかけられるようにまでなった。しかし、薫にとっては縛る相手は、ただ一人でよく、縄も自分とただ一人の為に使われるもので良かったのだった。
ある夜、バーでの縛りの練習を終え、縄を片付けている薫に、カウンターの中から双月が声をかけた。
「兼業でやってる奴も多いんだから考えておけよ。趣味で稼げるんだからいいもんだ。お前を海外のイベントに助手として連れて行ったっていい。それに、他人に教えるのも技量の上達に繋がるぞ。」
薫は、曖昧な返事をして答えを濁したが、答えはNO一択だった。大学に入学した当初の予定通り、国家官僚になる気でいる意志を変えてはいなかったからだ。特に法務省を狙って早くも対策を立て、時間の隙間を縫うように勉強も始めていた。そして、公務員に副業は許されない。その上、緊縛師などもっての他だった。一方、壮一の部屋の勉強机からは、少しずつ勉学に関するものが消えていっていることに、薫は気が付かないふりをしていた。
その夜は週末ということもあってか、店は繁盛しており、カウンターもソファ席も殆ど人で埋まっていた。緊縛を受け終えた壮一は、薫から離れ、縛りを受け火照った身体を、バーカウンターの一番奥から二番目の席に腰掛けて冷ましていた。冷房がよく当たって気持ちがいい席だった。目を閉じればまだ余韻が残り、昂る。一週間これで捨て置かれても記憶だけで、イク、良い気持ちになる。そんなことはさせないが。
カウンターの一番奥の席には、誰かが来るのを待ち受けているように黒いシルクのハンカチが丁寧に畳んでおかれていた。だから壮一は自然とそこに座るのは避けたのだった。微かに開かれた窓から月光が差し込んで、黒いシルク地を妖し気に照らしていた。
片づけを終えた薫が壮一の側に戻ろうとカウンターの方へ向かうと、壮一の左隣の一番奥の席に男が座っていた。パナマ帽を斜めに被って身ぎれいなスーツを着こなした男が、紫煙を漂わせながら双月と親し気に話をしていた。
こうして背後から見ても男は、全体的に洒落ており、月光に充てられてさりげなく輝くような高価な仕立てのスーツを着こなして、薫でも判断できるようなブランド物の時計をし、靴は汚れの一つもなく、スツールの下でさえ不思議と輝いて見えるのだった。薫と壮一は二人とも体育会系の大学生らしい服装、壮一はタンクトップにハーフパンツ、薫はTシャツに黒地のジャージを身に着けているだけだった。縛りを習うのに余計な装飾は邪魔なのだ。
一目見て上流社会の人間とわかるような人間が、このような爛れたバーにやってくること自体意外で、薫の眼にその男は何故かひと際目立ってみえた。と、同時にこのバーの趣旨を思い起こす。このバーは普通のバーとは意匠が異なる。SMを愛好する者や密やかな欲望をこっそりと曝け出したい人間が客として訪れるのだ。服装、雰囲気を背後から見ただけでどちらかと言えば彼がサディズムの気があってここに居るはずだと薫には直観的に感じられた。薫は男の反対側に壮一を挟むような形で、どすんと跨るように座った。壮一のだぶついたタンクトップの隙間から蒸れた脇と、すっかり膨れた乳首が見えていた。
「ああ、彼がそうですよ。」
双月が軽快な口調で壮一を挟んで薫のことを男に紹介した。
男は壮一越しに屈むようにして、薫の方を見た。男の目元は帽子で影になってよく見えない。闇の向こうから薫の方に目を向けていた。それだけで一方的に見られているような不愉快な、嫌な感じがするのだが、目を離すことができない。彼は、数秒の間をおいて、というか、薫が目を離さないのを確認してから、ゆっくりと帽子をとって弄ぶようにしてカウンターの上に置いた。服装から想像していたよりもいささか若いくっきりした顔が現われ、彼は軽く伸びをして、緩やかにうねった髪を後ろになでつけて、彼は手をシルクのハンカチで丁寧に拭った。爪が丁寧に手入れされてピカピカと光っていた。彼は再び薫に向き直ったかと思うと、作ったような奇麗な笑みを、月明かりの中、薫ただ一人に向けて浮かべた。
微笑みの奥底には、何もなかった。何もない微笑み。動物のそれに似ている。
薫はそれをどこかで見たことがある。鼓動が上昇し始め、さりげなくこめかみのあたりを抑えた。
どこで見たか、鼓動が速くなる。苦しい。それはやましいことをした後偶然目にした、鏡の中の自分の瞳だった。
男は吸いさしになっていた灰皿の上の煙草を手に取って吸い、息を吐いた。
「へぇー……」
壮一の周囲に、ネオンに照らされて青くなった男の吐いた紫煙がまとわりつくように舞った。壮一はそこに存在していないように、物か何かのように、何も気にしてない様子で紅潮した顔のまま、酒の入ったグラスをぼーっと見ているのだった。男は双月を横目で見て、もう一度薫を見ながら言った。
「じゃあ、もう事後ってわけか。ああ、おしいことしたなぁ。仕事が思ったより押したんだよ。残念だよ。」
薫は男の耳の奥を揺らされるような低い声、それからやはりその作り笑みに、著しく不愉快な感じを覚えた。不愉快、と、表面的に思うことにしたが、心の奥に動物本能にもとづいた畏れのような黒い何かが、薫の中に生まれて初めて沸き燻って、震えていた。
畏れていると思いたくなかった。どのような種類の人間であれ、今まで、初見の相手にこのような恐れを覚えたことは無かった。身体的特徴を見ても年齢を見ても肉体的に圧倒的に有利と思える。しかし武道は体格によるものではない、細身でこそ極められる武道というものもある。しかし、彼がそのような種類の人間とも思えない。
薫が目を合わせ続けるのが辛いと思った時、心を読んだように男は視線を双月の方へふいと向けたのだった。
「彼にも同じのをやってよ。」
男がグラスを揺らすと氷が音を立て、その時ようやく、薫の中の張り詰めていた神経の線が緩んだ。
黄金色の酒、アルコールが渦巻いている。
目の前に用意されたグラスに触れるが、口に持っていく気が全く起きない。
彼と同じものを口に含んではいけない気がした。
横で壮一は、まだ余韻に浸っているのか、縛れらた後の酒が効いたのか、緊迫した薫をよそにのんびりとした調子で、横の異様な妖しい男の方に警戒もせず、目もくれず、カウンターにもたれかかり、薫の方を潤んだ上目遣いで眺めていた。薫は「この馬鹿が」と罵りたい気持ちを抑えて、睨み下げたが、壮一の瞳には、この後もゆっくり楽しもうよ、という、いつもの視線しか漂っておらず警戒心の欠片も感じられない。
壮一の周りをまたあの男の紫煙が渦巻いて侵食し始め、薫は直観的に壮一と席を変わったほうがいい、と席を立ちかけたが、双月が口を開いたので、その気を逸してしまった。
「実は彼はこの店の共同出資者でな。共同っていっても、9割方初期投資分をだしてくれたようなものなんだ。本当なら彼が経営者の名を刻むべきなんだが……それで返さなくていいっていうんだから。」
「こっちに仕事が無ければわざわざ来ないからな。俺は貴方の美しい技量を買ってるんだからいいんだよ。金なんか好きなものに、本当に欲しい物を得る時に使えれば、すっかり無くなったっていいのさ。それに俺の名前で登録するといろいろと問題があるだろ、ふふふ……」
その後、男は薫の方に目をやることもなくしばらく双月と会話を楽しんでいた。薫は薫の気など知らない壮一が、健気に話しかけてくるのに上の空、生返事で答えながら、男のあの病んだ目つきを忘れられなかった。グラスの中の酒は一滴も減らないままだった。
「そろそろ。この後も実は仕事があるんだ。最近は面倒なことが多い。」
男は帽子をかぶりなおして立ちあがり、双月が頭を下げた。壮一の背後、そして薫の背後を通り抜けた。
「また会えると良いね、二条薫君。」
芯からぞっとして、背後を見やったが彼の姿はもう無かった。双月にさっきの男に、どこまで自分たちのことを彼に喋ったのかと普段礼儀正しい薫が、”まるでヤクザさながらに”、額に青筋を立て、食ってかかかるように言ったので、周囲の客が何事かと顔を上げたが、壮一は眠そうな目をしたまま「なんだ?」と不審げにしかし若干頬を紅く染めて薫を見やり、双月は双月でまた不審げな顔をして、最近良い弟子が入って男同士でやっていることしか話していない、というのだった。
薫はここで緊縛を習うのをよそうかと思ったが双月によれば男が訪れるのは珍しいことであり、どうしても気になるというのなら、彼が来る日を事前に伝えるというので、そのまま店に通うことを承諾した。それでしばらくの間は例の男に会わなくて済んだのである。
季節は秋に移り変わっていった。11月の頭には大学祭、駒出祭を控えて、プロレス研でもタイトルマッチが組まれる。プロレス研一番の見せ場のイベントである。壮一が考えたプログラムでは、二戦あるタイトルマッチの内一つが、壮一と薫で組まれていた。通例では引退を控えた3年同士かよくて2年とやるものだが、誰も思うことは在れ、この試合について文句を言うものは皆無だった。薫の実力は既に壮一に追いつきつつあり、彼の戦闘スタイルは誰とやっても映えたが、やはり壮一と組むのが一番良かった。2対2でペアとして組んでも、1対1で戦っても映えた。
大学祭に向け、練習は続いていた。
「まだだ、まだ動くなよ……っ、ここが見せ場になるんだから。そうだなァ、あと30秒くらいは。」
薫の身体の上に背後から壮一が覆いかぶさり締め付けていた。
「……」
薫は覆いかぶさられながら、太ももの側面に壮一の雄、欲望をもった肉の塊が熱く脈打って押し当てられているのを感じていた。薄いスパッツ越しに明らかに勃起しているのを、他の誰にも気が付かせないように押し当て隠している。壮一は、そんなことを一切気が付かれないような爽やかな大きな声を辺りに響かせていた。壮一の言った通り彼の手は30秒で離れて、さっきまでの予兆はすっかり消え失せていた。
リングを降り、ロッカールームに引っ込むと案の定後ろから壮一がついてきている気配があった。自分のロッカーの前まで行ってから勢い彼を振り向いた。険しい顔の薫と対称的にひょうひょうとした顔をしている壮一。
「さっきのは一体何のつもりだ。」と壮一に詰め寄るが「何の事?」と彼はそ知らぬふりをした。
薫の腕が、無意識に後ろに引き下げられ、拳が壮一の腹部にめり込むまでに時間はかからなかった。ロッカーに背を叩きつけられ、壮一は腹部を抑えながら俯いて、よろめきながら立て直し、それから薫を煽情的に上目づかって紅い唇を淫靡に歪ませた。薫は乗らない。
「気に喰わねぇ……少しくらいわきまえろよ、ここがどこかわかってんのか。」
薫がのってこないのがわかると、壮一は、す、と背筋をいつものように伸ばし後輩に命令する時のような冷めた目をして、薫を真正面から見た。というより、まるで見下すような目をした。
「わきまえる?わきまえてるさ。俺だって空気を読んだんだよ、だから本来20秒のところを30秒にして、抑えたんじゃないか……はは、そんなこともわからないで……、君って実は、相当な馬鹿なんじゃないのかァ……?」
「なに?お前今何て言った。」
「馬鹿だって言ったんだよ、馬、鹿。聞、こ、え、た、か~?頭だけじゃなくて耳まで悪いとはね!驚きだ。大体あんなこと!お前に対してだけでなく、よくあることなのさ。大げさなんだよ……っ、いちいち。」
「へぇ、そいつは知らなかった、いつ、だれに対して?」
「覚えてる訳ないね。興奮するとそうなんだ、お前だってそうのくせして。」
痴話喧嘩は延々と続いた。浅葱は自分のロッカーに向かう脚を止め、引き返した。ロッカールームでの2人の痴話喧嘩は少なくとも週に一度は起こることであり、皆が慣れ始めていた。
試合まで一か月、薫は壮一に本試合まで夜のプレイを控えることを宣言した。
その方が練習にも試合自体に集中ができ、身が入り、良い試合になるというのだ。壮一は薫の言うことに一理あると思ってしばらく黙っていたが、自分が我慢できるか不安だった。
「オナ禁みたいなもんだ。解禁日は相当気持ちがいいはずだぜ。互いにな。」
薫は壮一の縛られしなやかな汗浮いた身体を見ていた。
「できるよな?我慢。俺の言いつけなんだから。それとも……無理かな?お前には。」
「……できる、ッ、できるとも。」
壮一はベッドに頭をこすりつけ、左の足の指をばらばらと動かしながら、喘ぐように言った。涎でびしょびしょになった場所に、また涎が垂れていった。薫の低い声が遥上から降ってきて、尻をぴしりと叩いた。
「ぐ……ぅ……っ」
収まりかけていた壮一の雄が、ビクンと跳ねた。
「本当かなぁ~?」
もう一度、二度と尻を叩かれ続けている内、壮一の頭の中の理性がまた、溶けていく。
「あ゛っ……ぁあ…っ、ほんとだ、っ、ほんとのことだ…‥」
しかし、壮一には、ここ数年の間、一か月間、誰とも寝なかったという月は存在しなかった。長く空いたとしても3日だった。彼がかつて寮を追い出されかけたのにも、ここに原因がある。
壮一の身体は横向きに、半分宙に浮きあがっていた。右足を折られた形で縄で縛られ、右足から伸びた縄がホテルの天井に設置された横張に伸び吊られているのだ。壮一の身体は横を向いたまま、上半身はベッドの上に寝ているが、下半身を宙に浮かせ、藻掻いて這って移動できるのはせいぜい10センチかそこらで、力を抜けばずるずると、直ぐに元の位置にもどされてしまう。
折りたたまれた片脚が吊られている構造上、脚が開かされて秘所は丸見えで、薫が壮一の足元に膝をつけば、ちょうどいい位置に、壮一の秘所は調整された高さにされていた。しかし今、というより初めからそこには薫の一物ではなく、細身のバイブが突き刺さり、めりこんだまま緩い振動が、長い間ゆるゆると与えられ続けていた。くすぐったいような刺激に見悶えると縄が軋み肉が引きつって、そして薫に縛られ一部始終見られているという状況に、壮一は雑魚バイブと思った細い棒にさえ感じてしまうのだった。
薫がさっき叩いたので手形になった尻肉の間で、蜜壺が引き締まり、ぐぅぅとバイブを咥え込んで、壮一一人が勝手に喘いでいた。薫はその横に座ると、片手で本を開きながらバイブを前後運動させ始めた。
「あ゛あ゛…ん…っっ、うっ……うう゛ぅ……」
「こんな極細じゃ感じるわけないって言ってなかったか?」
薫は前後運動を止め、指一本でバイブを壮一の腹側一点に向かって傾け押し当てた。縄が大きく軋む音を立て言葉にならない官能の啼き声と吐息が壮一の口から流れ出ていった。身体が跳ねようが、射精しようが、薫は同じ姿勢でバイブを角度のまま保ち続けた。下肢を上に上げられた姿勢で、壮一の頭に血が上り続け、余計に沸騰させ、全身がぶるぶるとバイブ以上に震えて、ヒトというより、意志の無い一つの肉の塊になっていった。
「……ぃっ……い゛っ……ぅぅ……」
「……」
薫は文庫本の文字を目で追いながら、食いしばられた壮一の歯の間からダラダラと涎がでているだろうと思った。
「し、ぃ……っ、ほ、しい……」
「……」
文庫本のページをめくると、不埒な女によって男が平手されている良い場面だった。あと数ページもすればもっと良い場面が来るに違いない。
「かお…゛…っ、」
本の中では、男は怒ることもせず、去っていく女の後ろ姿を縋るように眺めて何も言えずにいる。
「る゛…‥っ、……ああ、!!、」
薫は本を見下ろしたまま、片手で器用にバイブの振動を変えた。大きな悲鳴が上がって縄が軋み、殆ど動く余裕がないはずのベッドさえゆれた。それほど悶えているのだ。
「ちっ、うるせぇなぁ……いいところだったのに……」
薫は腕を思い切り振りかぶって文庫本を壁に打ち付けるようにして放り投げ、ばさりと開いたまま本が床に落ちた。それは壮一の部屋から拝借した文庫本だった。悲鳴が小さなものになり、代わりに身体が声を堪えた分激しく悶え震え、ただならぬ汁を流し始め、飛沫が薫の頬にとんだ。
「様……っ、薫様のが……ほし……ぃです……ぅ……」
ようやく薫が壮一の方に目をやると、ベッドに真っ赤になった頬を猫のようにこすりつけながら、とろんとした目が薫を見ていた。
「……、……。」
バイブを抑えていた指を離すと、汚い音と飛沫を出しながら壮一の身体から飛び出、ベッドの上を跳ねた。薫は五月蠅い淫具のスイッチを静かに止め。壮一の期待するような吐息を聞いてしばらく目を伏せ黙っていた。
薫は再び壮一の方に目をやった。縋りつくような眼。コロシテヤリタクナル。
「……何言ってんだ?てめぇ、ついさっき、もう向こう一か月はヤらねぇ、と俺が言い、お前は承諾したばかりだろ。男同士の約束を、まさかこんな秒速で破るとは思いもしなかったぜ。前から思っていたがやはり最低な屑野郎だなてめぇは。男の風上にも置けねぇ。」
「そんなっ、こんなちゅうとはんぱ、きょうくらいっ、」
壮一が芯から絶望の表情を浮かべているのを見下ろしていた。それでも壮一の雄はますます膨らむばかりだ。
「しかも、お前はこいつを」
薫は穢い物でも持つようにバイブを手にして壮一の口元に持っていった。
「どうして勝手に出したんだ?ガバマンからきたねぇ音出して、飛沫が俺にまで飛んできたぞ。おい。」
「か、っ、薫のが……はやく、薫様のを……」
はぁぁ……と息ついて壮一は黙って目を逸らした。
「……。俺のが……なんだ?続きを言ってみろ。」
壮一はベッドに顔を埋めながら言った。
「気持ちよく、させて、さしあげようと……っ」
「俺がいつそんなことお前に頼んだ?俺の為?はぁ~?いつだって、いつもいつもっ、全部てめぇの都合だろ。いい加減なこと抜かすなよ屑!」
薫は今日ホテルに来てから着衣のままで、1人裸にさせた壮一に、自分の肉棒はおろか皮膚にさえ触れさせていなかった。薫はボストンバックの中から麻縄の束を取り出し、壮一の上半身も縛り始めた。壮一の皮膚は、指が皮膚を貫通して中に蕩けて入るのではないかというほどに蒸れ熱せられてホットチョコレートのようだった。くちくちと、開いたり閉じたり、壮一の口の代わりに肉壺が震えて物欲しそうな音を立て続けていた。
「うるせぇマンコだな。ちっとは静かにできねぇか。」
「う゛……ごめん……ぁ゛!!」
乳首を縄と縄で挟みんで縛り、縄の隙間からピンクの突起が飛び出た。常に乳首をつねられ散るような感覚に、壮一は食いしばった歯の奥、喉奥からうなり声を上げ、空っぽにされた穴が激しく収縮し音を立て求めた。
「そんなに欲しいのか?」
上半身の緊縛も終え、吊り上げた。薫は壮一の全身を目に納めるためにベッドから降りて、後ろに下がった。上半身を後ろ手に回され後ろ手で縛られ下半身と同じように吊られ、ただ右脚一本がの指先がベッドを擦り、横向きの姿で吊られていた。長い間、吊り上げられ上げっぱなしの左脚は上半身に比べると、縄目のせいで真っ赤になり、指の先端は白くなり始めていた。そろそろ降ろしてやらないと、血流に悪い。薫の頭の半分は冷静に状況を確認していた。緊縛はゆっくり状況が見れるから良いのだ。
薫が考えている間に、壮一が啼き始め、思考が乱される。
「なんだ。言いたいことがあるなら、はっきり言え。」
「い…‥欲しいんだよォッ゛、!!、薫ッ……薫様、欲しいです……おねがい……っ、おねがいだから……っ、今日で、きょうから、ぜんぶっ、なにもかも、オナニーだって、がまんするから、っ、だからァ……っ!」
縄が軋む。薫は用意していたものをボストンバックから取り出した。今まで縄も何もかもプレイの道具は、壮一が購入して薫に与えていたが、それだけは違った。
「そんなに欲しいか。じゃあ、やるよ、ほら。」
壮一は霞む視界の中で、それが何か最初まったく理解できなかった。薫の大きな手の中に心臓程のサイズの黒い塊が鎮座していた。薫はそれをもって近づいてきて、ベッドに腰掛けた。薫の丁度手の届く位置に壮一の熟れた雄が捥がれるのを待つ果実のようにぶらさがって、薫の方を向いていた。薫は壮一の雄を睾丸と一緒に掴み上げ、引き捥ぎ去勢でもするような強さでぎりぎり握り、あまりのことに絶叫、パンパンに腫れあがっていた雄も流石の強烈な握力にしぼみ、その瞬間を狙ったように、薫の手の中にあった真っ黒な檻が、壮一の股間を覆って金属質な無機質な絶望の音を立てたのだった。
カーボン製の真っ黒な貞操帯が壮一の股間を覆って金色の錠前が光っていた。薫は鍵をポケットにしまい、陶然と茫然、絶望と疲労の縁に、まるで死体のようになった柔らかな壮一の身体からするすると縄目を解いていった。壮一の身体からはすっかり力が抜けていたのと同時に強烈な下半身の痛みと共に意識が遠のいていくのを感じた。最後に彼の名前を呼べたかどうかさえ、わからない。
シャワーの音がする。壮一はもうベッドにそのまま吸い込まれてしまいそうなほどにぐったりとして死んでいた身体をようやく軽く動かせるようになったのだった。それから、夢じゃなく、下半身にある種の拘束具、漆黒の貞操帯がとりつけられたままになっている現実を目にした。身を軽くくゆらしたくらいでは外れない。指で爪でこじ開けようとしてもびくともしない。熱かった身体がどんどん冷えて背筋からぞっとしてくるのがわかる。身を起こして自分の身体に起こったことを改めて確認し、薫の姿を探した。
彼は一人で勝手にシャワーを浴びにいったようだった。今日、一度も壮一の前に裸を晒していないというのに。
「……」
今、薫の鞄と服とは無防備に床の上に散らかっていた。壮一はベッドの上からじっとそれを見ていた。彼のポケットの中に小さな鍵が消えていくのを最後の視界の中で、見たのだった。壮一はベッドの上から降りよう降りまいか煩悶した。しかし結局、壮一の身体はもう、薫の私物に勝手に触れることはできなくなっていた。ベッドの上に正座して待つとようやく彼が一糸まとわぬ姿で戻ってきた。身体から蒸気がたっている。思わずひれ伏したくもなる、水の滴った美しい獣の身体だ。
壮一は溢れ出る唾を飲み込むと同時に股間に今まで感じたことの無い激痛が走るのを感じて、身体を前かがみにおった。正座していたせいでまるで何もしていないのに彼にひれ伏しているようだ。こんなのおかしい謝罪するのはむこうじゃねぇかっ勝手にプレイに俺が知らぬうちに妙な物持ち込みやがってクソッ、クソッ
「結構な姿勢だな、壮一。しばらくそうしてろ。」
「……」
プシュ!缶ビールの空く音。ごくごくと彼が喉を気持ちよさげに鳴らす音を壮一は暗闇の中で聴いていた。
「これで嫌でもお前は俺との約束を守らざる得ない。まあどうしてもっていうならケツ穴の方は空いてんだからそこで適度に遊んでな、変態さん。ケツ穴塞ぐタイプの奴やったって良かったんだから、俺って甘いよなお前に。」
痛みが激痛から鈍痛に代わり、壮一が頭をあげかけると、すぐ目の前に薫の素晴らしいペニスそれから巨体があり、壮一の上にドスンと座ってテレビをつけたのだった。野球中継の音が響く。カーン!と良い音と実況中継の声。
『打ったー!!森本!!これは打ちました!ホームランです……っ!!』
姿勢が居心地悪い、骨が軋む。まだ火照る皮膚の上、縄目を薫の湿った尻が擦ると、たまらない。鈍痛が大きくなって、壮一は言葉を発せられなくなり、獣のような低い声で呻いた。
上でまた、ごくごくと上手そうに喉を鳴らす音が聞えた。
薫は一度は収まったやましい興奮が再び体内に燻り始めるのを身体の内に感じて顔を覆った。覆った指の隙間からまだ血の臭いがする。
「そこに」
くぐもった声と共に、目の前に腕がするりと伸び、本棚の下段の方を指した。
「そこに、救急箱があるから……、とってくれないか。」
薫はようやく声の主の方を見やった。壮一も顔を抑えていたが、薫とは違って血液のこぼれ出るのを手で受け止めている。左手で顔半分と鼻の辺りを抑えている。その間にも指の間から血が噴きこぼれて腕をに赤い筋がつたっていた。壮一の口調や息遣いは行為の時からは完全に覚めていた。普段話すのと変わらず、片方の瞳は薫よりもはるかに冷静に薫を見ていた。薫は急ぎ壮一に指示された場所から救急箱を探り出した。本棚には、海外文学から国文学までの本がみっしりとつまって幾らかは埃をかぶっていた。救急箱に埃はなく、何度も使用された形跡がある。
救急箱を手に振り返って、また心臓がまた奇妙な揺れ方をした。手を外した顔半分、血塗れて左目の腫れあがって殆ど開いていない壮一が、薫を見上げて、求めるように手を伸ばしていたからだった。薫でなく救急箱を求めているとわかっていても、薫は自分の拳がまたそこを打ちたいと思うのを止め、握りしめすぎて震える手で彼の前に救急箱を置いた。
彼はテーブルの上に置き鏡を開いた。まるでこれから化粧でもするような優雅な仕草だった。まず目の上の腫れあがった部分に小さな剃刀を当て血を抜いた。鬱血して閉じていた瞳が開き始める。充血した瞳が開かれ、睫毛に血をのせながら、血が零れでるのを面倒くさそうにガーゼで留めている。それから上を向いて脱脂綿で鼻を抑え血を止めようとするが、脱脂綿はすぐに真っ赤に染まる。
「切れやすいんだ、俺。」
薫は、壮一が何を言っているのか理解するのに時間を要した。ようやく、”鼻の中が切れやすい”という意味だとわかった。簡単なことなのに、部屋に充満する壮一の生々しい芳香、精と濃い血の臭いに、頭が回らない。くらくらする。薫は自分の呼吸がまた上がってくるのを感じた。血を見ていたくないのに、床に捨て置かれた血まみれの脱脂綿から目が離せないまま、喉の奥で喘いだ。
壮一は鼻を抑えながら、痛むのかまだ軽く肩で息をしているが、冷静な紅い瞳で薫を見て、心配そうな顔をする。逆のはずだと薫は思う。しかし今壮一に触れたら……。
「少し、外に出て風にでもあたってきたらいい。今日は気持ちがいい日和だ。それに、こんなの慣れたものだよ、試合の後はこうなることもよくある。だから救急箱を常備してあるんだ。部屋も換気しておくよ。」
壮一の言葉は薫にとって殆ど命令に近かった。そして、救いでもあった。
学生寮の廊下はひんやりとして誰もいない。部屋の中が熱気に満ちすぎていたのだ。隣の部屋のドアがゆっくりと気味の悪い音を立てながら開いた。顔より先に肩より長い黒髪がドアから現れ、女?と思うと、続いて男が顔をのぞかせた。煙草の甘い煙がふんわりと流れ出て来た。彼の手から煙が立ち上っている。初めて見る顔ではない。大きくはない一学生寮の中の壮一の部屋を訪れる際に数度見たことがある顔だった。
「さっき、なんだか凄い音がしたけど。」
男の声は、妙に耳に甘ったるかった。彼は廊下に立ちすくんだままの薫を見て、ドアから全身を出し、後ろ手にドアを閉めた。ぎぃとまた気味の悪い軋んだ音がした。壮一の部屋のドアはそんな音を立てない。
男は細身で飯を食っていないのか不眠なのか誰が見ても不健康な悪く言えば薬物中毒者のような顔つきをしていた。しかし、男にしては長い、肩につくほどの髪が水を浴びた黒烏のようにつやつやとしており全体的にどこか人工的に作られた人形のような印象だ。年は、顔の不健康さもあるのか、薫や壮一より幾らか上に見えた。院生かもしれない。男は今しがた閉めたドアにもたれかかり、薫の全身を舐めるように眺め、小さく鼻を鳴らし、目を細めた。
「……。血の臭いがするね。」
男は不味そうな顔して手に持っていた煙草を強く一吸いすると、足元に落として踏み消した。学生寮はそもそも禁煙であり、廊下に吸い殻を捨てるなど、もってのほかである。薫はつぶれた吸い殻から、再び男に目をやった。
「ここ禁煙じゃないですか。」
男は意外そうな表情をしてから微笑んで「はぁ……まじめだねぇ……君ぃ……」と感嘆として、自分の右袖の辺りをさするような仕草を何度も繰り返した。最初意味が分からなかったが、薫は、ふと自分の腕を見て、急いで腕を隠すようにしてこすった。微かだが、壮一の血が腕に飛び散って、斑点になって紅くこびりついていたのだ。薫は自分の全身を細かく確認したが、血がついていたのはそこだけだった。
「どうやら、君の怪我ではなさそうだ。」
男はまた、粘ついたような甘い声を出した。
「ってことは……、まあ野暮なことは聞かないでおこうかな。別に殺したってわけじゃないんだろ。殺したんならこんなところでぼーっとつっ立って俺とこんな風に冷静に会話する余裕も無いだろうからさ。……君が、相当のサイコパスか何かじゃなきゃあね。ああ、一回でもいいから早く本当のサイコパスって奴と話をしてみたいもんだな。それから……、いや、その話は良い。まあ、だから、もし君がそうだったらば、と思うと、少し胸が高鳴るよ、でも現実はそうではないんだろう。なんともつまらないね。」
「……、……。」
「しかし、彼、間宮君は、相当変わってるだろ。」
この数分接しただけでも、貴方だって相当に変ですよ、と薫は言いたかったが、「そうですかね。」と曖昧な返答をした。こうして関係の無い他人と話している内に自分の中で昂っていたうねる様な波が少しずつ引いていくのを感じられた。男は苦い物でも食べたような顔をした。
「こんなところでプロレスなんて野蛮をやってる奴が変わってないわけが無いだろう。」
「……」
「ああ、もしかして君も新入りだったりしたかな。俺はもっと、ずぅっと別のことを想像していたけどね……」
随分回りくどい言い方だった。返す言葉もなく黙っていた。男は退屈したのか、興味を失った目をして、欠伸をして再びドアに手をかけた。部屋に戻りかけ、彼はもう一度薫を振り返って片方の唇の端を上げた。
「はしゃぐのもいいけど、ほどほどにしてくれよな。明日からの医科の実習の準備で立て込んでるんだよ。……。ただ、実を言えばね、彼の部屋の隣になって一番長く続いてるのは、俺なんだよ。彼は過去に大学の管理や他の寮生から一度ここから追い出されかけていたくらいの問題児だからな。そうして一番隅の日当たりも良くない部屋に追いやられて。で、隣に誰も入りたがらない所に俺が居れてもらったわけさ。」
扉は今度は音もなく閉まった。奇妙な男だ。
廊下は、死んだように、しんとしていた。
大学の構内をあてなく彷徨っていると直ぐに時間が立った。一時間後に戻ると部屋は爽やかな空気に満ちて、先ほどまでの惨劇の痕跡はすっかりなくなっていた。大きく開かれた窓から爽やかな風が吹き込んで緑色のカーテンを揺らしていた。彼の顔の傷跡、まだ薄っすらと残る縄痕も、ただ自然にそこにあるだけで、薫を刺激しないのが不思議だ。彼は一人用のソファに腰掛け本を読んでいた。彼は薫が入ってきてもしばらくそのままでいて、幾ページか捲ってから本を傍らに置いて、薫を振り返る。
「ごめんごめん、ちょうどいいところだったからさ。集中すると直ぐこうなんだ。駄目だね俺。」
「何を読んでたんだ?」
壮一は文庫本を手に取って表紙の方を見せた。紅い表紙に金文字が踊り『痴人の愛』とあった。
「谷崎だよ。いいよな。」
「谷崎?」
「……呆れた。谷崎潤一郎も知らないで文系なの?」
「名前だけなら。」
壮一は文庫本を放りなげ、ため息をつきながら立ち上がった。それから本棚の前を行ったり来たりしたかと思えば薄い文庫本一冊投げてよこした。同じく谷崎の本らしかった。本好きの癖に本の扱い方が雑なのはいかがなものかと薫は思った。
「それ、持って帰れよ。別に帰してくれなくても良い。読みたくなったら買うから。ま、暇つぶしくらいにはなる。ところで薫、プロレス研に興味は出てきたか?」
大学構内を歩き回っている間、丁度そのことを考えていたのだった。
「どうだ、俺と、リングの上でもヤッてみたくなったか?衆人環視の中でさ……」
壮一の瞳に、真面目と妖艶な部分が同居して輝いていた。
翌日、壮一は薫を伴ってプロレス研の練習場に来ていた。薫は初日に見せた生意気な態度はまるで見せない。体育会系のしきたりに沿って頭を下げ、彼らに加わる。
浅葱は壮一の顔に昨日まで無かった傷の痕を見た。絶対に練習中についたものではない。この目で見ている。昨日出ていった時は奇麗な顔をしていたのを見たのは浅葱一人ではないはずだ。顔が切れている。誰もが傷について触れることをはばかり、壮一に聞くことができないでいたが、その中で浅葱は、やったのは薫だろうとほぼ確信していた。
薫は気味の悪い程礼儀正しい振舞をして、浅葱にも頭を下げたが、その仕草一つ一つが浅葱の気に障った。浅葱だけでなく、他の幾らかの部員も同じ考えを持ち、薫に反感を覚えたが、壮一が初めて直接連れてきた人間を追い出すことはできない。
反対に、薫の経歴、身体能力や華のある姿に薫を歓迎する面々も多かったのも事実である。
レスリングの初心者とは思えないほどに、柔道経験者の薫の飲み込みは早く、壮一の顔の傷が治る頃には、前座、中座くらいであれば楽々と舞台に立って勤められる程度の技量を身に着けていった。
壮一は、薫が真摯に自分や皆と取り組み、自分の指導を懇切丁寧に受ける中で、時々彼の瞳の中に抑え込まれている獣性を垣間見たのだった。壮一のその熱っぽい異様な視線を、昼間の薫は意識の上に感じていなかった。只管、強く、目の前のことを必死に覚えようとしていた。それから、プロレスがあくまで、物語に沿って行われる戯曲に近いものであることが、薫に上手くブレーキを効かせるのが良かったのだ。
薫よりも、第三者である浅葱の方が、壮一の異常な精神状態にいち早く気が付いていた。壮一が身体を休めている時の、薫を見る瞳は明らかに常軌を逸していた。
浅葱は壮一のことが一後輩として心配だった。しかし彼の異様に熱っぽい気迫に声をかけるのは憚られ、結局、薫と取り組む際にその憂さを晴らしてやろうとするのだが、薫の技量は浅葱の数か月の努力など一瞬で飛び越えて打ちのめし、最後の最後に小さく、間近で対峙した者にしかわからない程度に笑うのだ。それから真面目腐った顔に戻り「ありがとうございました。」と言う。浅葱は一層のこと、もうここに来ない方が良いのかもしれないと思った。しかし、急にそんなことをすれば壮一は「なぜ?」「どうして?」と徹底して浅葱のことを深く探ろうとするだろう。それで二条薫の件で辞めるということが彼にバレてしまうのが一番厭だった。
薫、薫……。薫の姿を見ていると、壮一の肉体は、前以上に伸び伸びと機敏に流れるように自由に動き、宙を舞い見ている者達を唸らせた。練習場は、一部のドアを常に開け放っており、部員以外にも暇つぶしに物見見物をしに来る学生が時折いた。部としても許していた。意外にも女学生の立ち見が多いのは、壮一のことがあったが、前以上に物見見物、入部希望者が増えていた。
壮一は壁にもたれながら闘っている薫を見ていた。嗚呼、気持ちがいいよ。お前がそうして、懇切丁寧に、「偽りの姿」で俺や俺達と戯れている間に、お前の獣性は欲望の底の、血に飢えた泥沼からすくすくと育っていくんだ。お前も感じているだろう、意識の上では感じていなくても、肉体は感じているはずだ。お前の自由を求める心臓の跳ねる躍る音が今にもこの耳に聞こえてきそうだ。でも、前のように畏れることは無いんだ。なにしろ、俺が常にお前の側に居るのだからね。夜を迎えれば、全てを解放できるのだから。そうだろう、薫。
壮一の思う通り、昼の真摯な態度の薫と夜も遅まった刻の薫は違った。まるで鎖を解き放たれた獣だった。
ベッドの上や時に床で伸びている壮一の背中に時々、流れてくるものがあった。
プロレスの習熟と同時に、薫は縄の技量も上げていった。”安全な暴力”は薫を魅了した。壮一と2人で連れ立って繁華街のうらびれたビルに居を構えるSMバー『溺涙』で定期的に開催される縄の講習会に通っていた。縄の世界にも武闘と似て流派がある。『溺涙』の壮年のマスターはSMバーの経営者でありながら、業界ではよく名の知れた縄師「花房双月」の名で活躍し、花房流緊縛を謳っていた。時に海外で"JAPANESE KINBAKU"文化を披露する程の優れた腕の持ち主であった。
花房流緊縛には免許皆伝制が用いられる。段位には一段から五段までが設けられた。四段までいけば、縄の講師として、技術を乞うものに指導をすることも許可される。練習のために縛る相手に困らず、時間もあり、一度始めたことは最後までやり遂げる精神の強い薫は、四段まで駆け上がり、双月から「プロになったらどう?」と初めは冗談半分、追々本気で薫に声をかけられるようにまでなった。しかし、薫にとっては縛る相手は、ただ一人でよく、縄も自分とただ一人の為に使われるもので良かったのだった。
ある夜、バーでの縛りの練習を終え、縄を片付けている薫に、カウンターの中から双月が声をかけた。
「兼業でやってる奴も多いんだから考えておけよ。趣味で稼げるんだからいいもんだ。お前を海外のイベントに助手として連れて行ったっていい。それに、他人に教えるのも技量の上達に繋がるぞ。」
薫は、曖昧な返事をして答えを濁したが、答えはNO一択だった。大学に入学した当初の予定通り、国家官僚になる気でいる意志を変えてはいなかったからだ。特に法務省を狙って早くも対策を立て、時間の隙間を縫うように勉強も始めていた。そして、公務員に副業は許されない。その上、緊縛師などもっての他だった。一方、壮一の部屋の勉強机からは、少しずつ勉学に関するものが消えていっていることに、薫は気が付かないふりをしていた。
その夜は週末ということもあってか、店は繁盛しており、カウンターもソファ席も殆ど人で埋まっていた。緊縛を受け終えた壮一は、薫から離れ、縛りを受け火照った身体を、バーカウンターの一番奥から二番目の席に腰掛けて冷ましていた。冷房がよく当たって気持ちがいい席だった。目を閉じればまだ余韻が残り、昂る。一週間これで捨て置かれても記憶だけで、イク、良い気持ちになる。そんなことはさせないが。
カウンターの一番奥の席には、誰かが来るのを待ち受けているように黒いシルクのハンカチが丁寧に畳んでおかれていた。だから壮一は自然とそこに座るのは避けたのだった。微かに開かれた窓から月光が差し込んで、黒いシルク地を妖し気に照らしていた。
片づけを終えた薫が壮一の側に戻ろうとカウンターの方へ向かうと、壮一の左隣の一番奥の席に男が座っていた。パナマ帽を斜めに被って身ぎれいなスーツを着こなした男が、紫煙を漂わせながら双月と親し気に話をしていた。
こうして背後から見ても男は、全体的に洒落ており、月光に充てられてさりげなく輝くような高価な仕立てのスーツを着こなして、薫でも判断できるようなブランド物の時計をし、靴は汚れの一つもなく、スツールの下でさえ不思議と輝いて見えるのだった。薫と壮一は二人とも体育会系の大学生らしい服装、壮一はタンクトップにハーフパンツ、薫はTシャツに黒地のジャージを身に着けているだけだった。縛りを習うのに余計な装飾は邪魔なのだ。
一目見て上流社会の人間とわかるような人間が、このような爛れたバーにやってくること自体意外で、薫の眼にその男は何故かひと際目立ってみえた。と、同時にこのバーの趣旨を思い起こす。このバーは普通のバーとは意匠が異なる。SMを愛好する者や密やかな欲望をこっそりと曝け出したい人間が客として訪れるのだ。服装、雰囲気を背後から見ただけでどちらかと言えば彼がサディズムの気があってここに居るはずだと薫には直観的に感じられた。薫は男の反対側に壮一を挟むような形で、どすんと跨るように座った。壮一のだぶついたタンクトップの隙間から蒸れた脇と、すっかり膨れた乳首が見えていた。
「ああ、彼がそうですよ。」
双月が軽快な口調で壮一を挟んで薫のことを男に紹介した。
男は壮一越しに屈むようにして、薫の方を見た。男の目元は帽子で影になってよく見えない。闇の向こうから薫の方に目を向けていた。それだけで一方的に見られているような不愉快な、嫌な感じがするのだが、目を離すことができない。彼は、数秒の間をおいて、というか、薫が目を離さないのを確認してから、ゆっくりと帽子をとって弄ぶようにしてカウンターの上に置いた。服装から想像していたよりもいささか若いくっきりした顔が現われ、彼は軽く伸びをして、緩やかにうねった髪を後ろになでつけて、彼は手をシルクのハンカチで丁寧に拭った。爪が丁寧に手入れされてピカピカと光っていた。彼は再び薫に向き直ったかと思うと、作ったような奇麗な笑みを、月明かりの中、薫ただ一人に向けて浮かべた。
微笑みの奥底には、何もなかった。何もない微笑み。動物のそれに似ている。
薫はそれをどこかで見たことがある。鼓動が上昇し始め、さりげなくこめかみのあたりを抑えた。
どこで見たか、鼓動が速くなる。苦しい。それはやましいことをした後偶然目にした、鏡の中の自分の瞳だった。
男は吸いさしになっていた灰皿の上の煙草を手に取って吸い、息を吐いた。
「へぇー……」
壮一の周囲に、ネオンに照らされて青くなった男の吐いた紫煙がまとわりつくように舞った。壮一はそこに存在していないように、物か何かのように、何も気にしてない様子で紅潮した顔のまま、酒の入ったグラスをぼーっと見ているのだった。男は双月を横目で見て、もう一度薫を見ながら言った。
「じゃあ、もう事後ってわけか。ああ、おしいことしたなぁ。仕事が思ったより押したんだよ。残念だよ。」
薫は男の耳の奥を揺らされるような低い声、それからやはりその作り笑みに、著しく不愉快な感じを覚えた。不愉快、と、表面的に思うことにしたが、心の奥に動物本能にもとづいた畏れのような黒い何かが、薫の中に生まれて初めて沸き燻って、震えていた。
畏れていると思いたくなかった。どのような種類の人間であれ、今まで、初見の相手にこのような恐れを覚えたことは無かった。身体的特徴を見ても年齢を見ても肉体的に圧倒的に有利と思える。しかし武道は体格によるものではない、細身でこそ極められる武道というものもある。しかし、彼がそのような種類の人間とも思えない。
薫が目を合わせ続けるのが辛いと思った時、心を読んだように男は視線を双月の方へふいと向けたのだった。
「彼にも同じのをやってよ。」
男がグラスを揺らすと氷が音を立て、その時ようやく、薫の中の張り詰めていた神経の線が緩んだ。
黄金色の酒、アルコールが渦巻いている。
目の前に用意されたグラスに触れるが、口に持っていく気が全く起きない。
彼と同じものを口に含んではいけない気がした。
横で壮一は、まだ余韻に浸っているのか、縛れらた後の酒が効いたのか、緊迫した薫をよそにのんびりとした調子で、横の異様な妖しい男の方に警戒もせず、目もくれず、カウンターにもたれかかり、薫の方を潤んだ上目遣いで眺めていた。薫は「この馬鹿が」と罵りたい気持ちを抑えて、睨み下げたが、壮一の瞳には、この後もゆっくり楽しもうよ、という、いつもの視線しか漂っておらず警戒心の欠片も感じられない。
壮一の周りをまたあの男の紫煙が渦巻いて侵食し始め、薫は直観的に壮一と席を変わったほうがいい、と席を立ちかけたが、双月が口を開いたので、その気を逸してしまった。
「実は彼はこの店の共同出資者でな。共同っていっても、9割方初期投資分をだしてくれたようなものなんだ。本当なら彼が経営者の名を刻むべきなんだが……それで返さなくていいっていうんだから。」
「こっちに仕事が無ければわざわざ来ないからな。俺は貴方の美しい技量を買ってるんだからいいんだよ。金なんか好きなものに、本当に欲しい物を得る時に使えれば、すっかり無くなったっていいのさ。それに俺の名前で登録するといろいろと問題があるだろ、ふふふ……」
その後、男は薫の方に目をやることもなくしばらく双月と会話を楽しんでいた。薫は薫の気など知らない壮一が、健気に話しかけてくるのに上の空、生返事で答えながら、男のあの病んだ目つきを忘れられなかった。グラスの中の酒は一滴も減らないままだった。
「そろそろ。この後も実は仕事があるんだ。最近は面倒なことが多い。」
男は帽子をかぶりなおして立ちあがり、双月が頭を下げた。壮一の背後、そして薫の背後を通り抜けた。
「また会えると良いね、二条薫君。」
芯からぞっとして、背後を見やったが彼の姿はもう無かった。双月にさっきの男に、どこまで自分たちのことを彼に喋ったのかと普段礼儀正しい薫が、”まるでヤクザさながらに”、額に青筋を立て、食ってかかかるように言ったので、周囲の客が何事かと顔を上げたが、壮一は眠そうな目をしたまま「なんだ?」と不審げにしかし若干頬を紅く染めて薫を見やり、双月は双月でまた不審げな顔をして、最近良い弟子が入って男同士でやっていることしか話していない、というのだった。
薫はここで緊縛を習うのをよそうかと思ったが双月によれば男が訪れるのは珍しいことであり、どうしても気になるというのなら、彼が来る日を事前に伝えるというので、そのまま店に通うことを承諾した。それでしばらくの間は例の男に会わなくて済んだのである。
季節は秋に移り変わっていった。11月の頭には大学祭、駒出祭を控えて、プロレス研でもタイトルマッチが組まれる。プロレス研一番の見せ場のイベントである。壮一が考えたプログラムでは、二戦あるタイトルマッチの内一つが、壮一と薫で組まれていた。通例では引退を控えた3年同士かよくて2年とやるものだが、誰も思うことは在れ、この試合について文句を言うものは皆無だった。薫の実力は既に壮一に追いつきつつあり、彼の戦闘スタイルは誰とやっても映えたが、やはり壮一と組むのが一番良かった。2対2でペアとして組んでも、1対1で戦っても映えた。
大学祭に向け、練習は続いていた。
「まだだ、まだ動くなよ……っ、ここが見せ場になるんだから。そうだなァ、あと30秒くらいは。」
薫の身体の上に背後から壮一が覆いかぶさり締め付けていた。
「……」
薫は覆いかぶさられながら、太ももの側面に壮一の雄、欲望をもった肉の塊が熱く脈打って押し当てられているのを感じていた。薄いスパッツ越しに明らかに勃起しているのを、他の誰にも気が付かせないように押し当て隠している。壮一は、そんなことを一切気が付かれないような爽やかな大きな声を辺りに響かせていた。壮一の言った通り彼の手は30秒で離れて、さっきまでの予兆はすっかり消え失せていた。
リングを降り、ロッカールームに引っ込むと案の定後ろから壮一がついてきている気配があった。自分のロッカーの前まで行ってから勢い彼を振り向いた。険しい顔の薫と対称的にひょうひょうとした顔をしている壮一。
「さっきのは一体何のつもりだ。」と壮一に詰め寄るが「何の事?」と彼はそ知らぬふりをした。
薫の腕が、無意識に後ろに引き下げられ、拳が壮一の腹部にめり込むまでに時間はかからなかった。ロッカーに背を叩きつけられ、壮一は腹部を抑えながら俯いて、よろめきながら立て直し、それから薫を煽情的に上目づかって紅い唇を淫靡に歪ませた。薫は乗らない。
「気に喰わねぇ……少しくらいわきまえろよ、ここがどこかわかってんのか。」
薫がのってこないのがわかると、壮一は、す、と背筋をいつものように伸ばし後輩に命令する時のような冷めた目をして、薫を真正面から見た。というより、まるで見下すような目をした。
「わきまえる?わきまえてるさ。俺だって空気を読んだんだよ、だから本来20秒のところを30秒にして、抑えたんじゃないか……はは、そんなこともわからないで……、君って実は、相当な馬鹿なんじゃないのかァ……?」
「なに?お前今何て言った。」
「馬鹿だって言ったんだよ、馬、鹿。聞、こ、え、た、か~?頭だけじゃなくて耳まで悪いとはね!驚きだ。大体あんなこと!お前に対してだけでなく、よくあることなのさ。大げさなんだよ……っ、いちいち。」
「へぇ、そいつは知らなかった、いつ、だれに対して?」
「覚えてる訳ないね。興奮するとそうなんだ、お前だってそうのくせして。」
痴話喧嘩は延々と続いた。浅葱は自分のロッカーに向かう脚を止め、引き返した。ロッカールームでの2人の痴話喧嘩は少なくとも週に一度は起こることであり、皆が慣れ始めていた。
試合まで一か月、薫は壮一に本試合まで夜のプレイを控えることを宣言した。
その方が練習にも試合自体に集中ができ、身が入り、良い試合になるというのだ。壮一は薫の言うことに一理あると思ってしばらく黙っていたが、自分が我慢できるか不安だった。
「オナ禁みたいなもんだ。解禁日は相当気持ちがいいはずだぜ。互いにな。」
薫は壮一の縛られしなやかな汗浮いた身体を見ていた。
「できるよな?我慢。俺の言いつけなんだから。それとも……無理かな?お前には。」
「……できる、ッ、できるとも。」
壮一はベッドに頭をこすりつけ、左の足の指をばらばらと動かしながら、喘ぐように言った。涎でびしょびしょになった場所に、また涎が垂れていった。薫の低い声が遥上から降ってきて、尻をぴしりと叩いた。
「ぐ……ぅ……っ」
収まりかけていた壮一の雄が、ビクンと跳ねた。
「本当かなぁ~?」
もう一度、二度と尻を叩かれ続けている内、壮一の頭の中の理性がまた、溶けていく。
「あ゛っ……ぁあ…っ、ほんとだ、っ、ほんとのことだ…‥」
しかし、壮一には、ここ数年の間、一か月間、誰とも寝なかったという月は存在しなかった。長く空いたとしても3日だった。彼がかつて寮を追い出されかけたのにも、ここに原因がある。
壮一の身体は横向きに、半分宙に浮きあがっていた。右足を折られた形で縄で縛られ、右足から伸びた縄がホテルの天井に設置された横張に伸び吊られているのだ。壮一の身体は横を向いたまま、上半身はベッドの上に寝ているが、下半身を宙に浮かせ、藻掻いて這って移動できるのはせいぜい10センチかそこらで、力を抜けばずるずると、直ぐに元の位置にもどされてしまう。
折りたたまれた片脚が吊られている構造上、脚が開かされて秘所は丸見えで、薫が壮一の足元に膝をつけば、ちょうどいい位置に、壮一の秘所は調整された高さにされていた。しかし今、というより初めからそこには薫の一物ではなく、細身のバイブが突き刺さり、めりこんだまま緩い振動が、長い間ゆるゆると与えられ続けていた。くすぐったいような刺激に見悶えると縄が軋み肉が引きつって、そして薫に縛られ一部始終見られているという状況に、壮一は雑魚バイブと思った細い棒にさえ感じてしまうのだった。
薫がさっき叩いたので手形になった尻肉の間で、蜜壺が引き締まり、ぐぅぅとバイブを咥え込んで、壮一一人が勝手に喘いでいた。薫はその横に座ると、片手で本を開きながらバイブを前後運動させ始めた。
「あ゛あ゛…ん…っっ、うっ……うう゛ぅ……」
「こんな極細じゃ感じるわけないって言ってなかったか?」
薫は前後運動を止め、指一本でバイブを壮一の腹側一点に向かって傾け押し当てた。縄が大きく軋む音を立て言葉にならない官能の啼き声と吐息が壮一の口から流れ出ていった。身体が跳ねようが、射精しようが、薫は同じ姿勢でバイブを角度のまま保ち続けた。下肢を上に上げられた姿勢で、壮一の頭に血が上り続け、余計に沸騰させ、全身がぶるぶるとバイブ以上に震えて、ヒトというより、意志の無い一つの肉の塊になっていった。
「……ぃっ……い゛っ……ぅぅ……」
「……」
薫は文庫本の文字を目で追いながら、食いしばられた壮一の歯の間からダラダラと涎がでているだろうと思った。
「し、ぃ……っ、ほ、しい……」
「……」
文庫本のページをめくると、不埒な女によって男が平手されている良い場面だった。あと数ページもすればもっと良い場面が来るに違いない。
「かお…゛…っ、」
本の中では、男は怒ることもせず、去っていく女の後ろ姿を縋るように眺めて何も言えずにいる。
「る゛…‥っ、……ああ、!!、」
薫は本を見下ろしたまま、片手で器用にバイブの振動を変えた。大きな悲鳴が上がって縄が軋み、殆ど動く余裕がないはずのベッドさえゆれた。それほど悶えているのだ。
「ちっ、うるせぇなぁ……いいところだったのに……」
薫は腕を思い切り振りかぶって文庫本を壁に打ち付けるようにして放り投げ、ばさりと開いたまま本が床に落ちた。それは壮一の部屋から拝借した文庫本だった。悲鳴が小さなものになり、代わりに身体が声を堪えた分激しく悶え震え、ただならぬ汁を流し始め、飛沫が薫の頬にとんだ。
「様……っ、薫様のが……ほし……ぃです……ぅ……」
ようやく薫が壮一の方に目をやると、ベッドに真っ赤になった頬を猫のようにこすりつけながら、とろんとした目が薫を見ていた。
「……、……。」
バイブを抑えていた指を離すと、汚い音と飛沫を出しながら壮一の身体から飛び出、ベッドの上を跳ねた。薫は五月蠅い淫具のスイッチを静かに止め。壮一の期待するような吐息を聞いてしばらく目を伏せ黙っていた。
薫は再び壮一の方に目をやった。縋りつくような眼。コロシテヤリタクナル。
「……何言ってんだ?てめぇ、ついさっき、もう向こう一か月はヤらねぇ、と俺が言い、お前は承諾したばかりだろ。男同士の約束を、まさかこんな秒速で破るとは思いもしなかったぜ。前から思っていたがやはり最低な屑野郎だなてめぇは。男の風上にも置けねぇ。」
「そんなっ、こんなちゅうとはんぱ、きょうくらいっ、」
壮一が芯から絶望の表情を浮かべているのを見下ろしていた。それでも壮一の雄はますます膨らむばかりだ。
「しかも、お前はこいつを」
薫は穢い物でも持つようにバイブを手にして壮一の口元に持っていった。
「どうして勝手に出したんだ?ガバマンからきたねぇ音出して、飛沫が俺にまで飛んできたぞ。おい。」
「か、っ、薫のが……はやく、薫様のを……」
はぁぁ……と息ついて壮一は黙って目を逸らした。
「……。俺のが……なんだ?続きを言ってみろ。」
壮一はベッドに顔を埋めながら言った。
「気持ちよく、させて、さしあげようと……っ」
「俺がいつそんなことお前に頼んだ?俺の為?はぁ~?いつだって、いつもいつもっ、全部てめぇの都合だろ。いい加減なこと抜かすなよ屑!」
薫は今日ホテルに来てから着衣のままで、1人裸にさせた壮一に、自分の肉棒はおろか皮膚にさえ触れさせていなかった。薫はボストンバックの中から麻縄の束を取り出し、壮一の上半身も縛り始めた。壮一の皮膚は、指が皮膚を貫通して中に蕩けて入るのではないかというほどに蒸れ熱せられてホットチョコレートのようだった。くちくちと、開いたり閉じたり、壮一の口の代わりに肉壺が震えて物欲しそうな音を立て続けていた。
「うるせぇマンコだな。ちっとは静かにできねぇか。」
「う゛……ごめん……ぁ゛!!」
乳首を縄と縄で挟みんで縛り、縄の隙間からピンクの突起が飛び出た。常に乳首をつねられ散るような感覚に、壮一は食いしばった歯の奥、喉奥からうなり声を上げ、空っぽにされた穴が激しく収縮し音を立て求めた。
「そんなに欲しいのか?」
上半身の緊縛も終え、吊り上げた。薫は壮一の全身を目に納めるためにベッドから降りて、後ろに下がった。上半身を後ろ手に回され後ろ手で縛られ下半身と同じように吊られ、ただ右脚一本がの指先がベッドを擦り、横向きの姿で吊られていた。長い間、吊り上げられ上げっぱなしの左脚は上半身に比べると、縄目のせいで真っ赤になり、指の先端は白くなり始めていた。そろそろ降ろしてやらないと、血流に悪い。薫の頭の半分は冷静に状況を確認していた。緊縛はゆっくり状況が見れるから良いのだ。
薫が考えている間に、壮一が啼き始め、思考が乱される。
「なんだ。言いたいことがあるなら、はっきり言え。」
「い…‥欲しいんだよォッ゛、!!、薫ッ……薫様、欲しいです……おねがい……っ、おねがいだから……っ、今日で、きょうから、ぜんぶっ、なにもかも、オナニーだって、がまんするから、っ、だからァ……っ!」
縄が軋む。薫は用意していたものをボストンバックから取り出した。今まで縄も何もかもプレイの道具は、壮一が購入して薫に与えていたが、それだけは違った。
「そんなに欲しいか。じゃあ、やるよ、ほら。」
壮一は霞む視界の中で、それが何か最初まったく理解できなかった。薫の大きな手の中に心臓程のサイズの黒い塊が鎮座していた。薫はそれをもって近づいてきて、ベッドに腰掛けた。薫の丁度手の届く位置に壮一の熟れた雄が捥がれるのを待つ果実のようにぶらさがって、薫の方を向いていた。薫は壮一の雄を睾丸と一緒に掴み上げ、引き捥ぎ去勢でもするような強さでぎりぎり握り、あまりのことに絶叫、パンパンに腫れあがっていた雄も流石の強烈な握力にしぼみ、その瞬間を狙ったように、薫の手の中にあった真っ黒な檻が、壮一の股間を覆って金属質な無機質な絶望の音を立てたのだった。
カーボン製の真っ黒な貞操帯が壮一の股間を覆って金色の錠前が光っていた。薫は鍵をポケットにしまい、陶然と茫然、絶望と疲労の縁に、まるで死体のようになった柔らかな壮一の身体からするすると縄目を解いていった。壮一の身体からはすっかり力が抜けていたのと同時に強烈な下半身の痛みと共に意識が遠のいていくのを感じた。最後に彼の名前を呼べたかどうかさえ、わからない。
シャワーの音がする。壮一はもうベッドにそのまま吸い込まれてしまいそうなほどにぐったりとして死んでいた身体をようやく軽く動かせるようになったのだった。それから、夢じゃなく、下半身にある種の拘束具、漆黒の貞操帯がとりつけられたままになっている現実を目にした。身を軽くくゆらしたくらいでは外れない。指で爪でこじ開けようとしてもびくともしない。熱かった身体がどんどん冷えて背筋からぞっとしてくるのがわかる。身を起こして自分の身体に起こったことを改めて確認し、薫の姿を探した。
彼は一人で勝手にシャワーを浴びにいったようだった。今日、一度も壮一の前に裸を晒していないというのに。
「……」
今、薫の鞄と服とは無防備に床の上に散らかっていた。壮一はベッドの上からじっとそれを見ていた。彼のポケットの中に小さな鍵が消えていくのを最後の視界の中で、見たのだった。壮一はベッドの上から降りよう降りまいか煩悶した。しかし結局、壮一の身体はもう、薫の私物に勝手に触れることはできなくなっていた。ベッドの上に正座して待つとようやく彼が一糸まとわぬ姿で戻ってきた。身体から蒸気がたっている。思わずひれ伏したくもなる、水の滴った美しい獣の身体だ。
壮一は溢れ出る唾を飲み込むと同時に股間に今まで感じたことの無い激痛が走るのを感じて、身体を前かがみにおった。正座していたせいでまるで何もしていないのに彼にひれ伏しているようだ。こんなのおかしい謝罪するのはむこうじゃねぇかっ勝手にプレイに俺が知らぬうちに妙な物持ち込みやがってクソッ、クソッ
「結構な姿勢だな、壮一。しばらくそうしてろ。」
「……」
プシュ!缶ビールの空く音。ごくごくと彼が喉を気持ちよさげに鳴らす音を壮一は暗闇の中で聴いていた。
「これで嫌でもお前は俺との約束を守らざる得ない。まあどうしてもっていうならケツ穴の方は空いてんだからそこで適度に遊んでな、変態さん。ケツ穴塞ぐタイプの奴やったって良かったんだから、俺って甘いよなお前に。」
痛みが激痛から鈍痛に代わり、壮一が頭をあげかけると、すぐ目の前に薫の素晴らしいペニスそれから巨体があり、壮一の上にドスンと座ってテレビをつけたのだった。野球中継の音が響く。カーン!と良い音と実況中継の声。
『打ったー!!森本!!これは打ちました!ホームランです……っ!!』
姿勢が居心地悪い、骨が軋む。まだ火照る皮膚の上、縄目を薫の湿った尻が擦ると、たまらない。鈍痛が大きくなって、壮一は言葉を発せられなくなり、獣のような低い声で呻いた。
上でまた、ごくごくと上手そうに喉を鳴らす音が聞えた。
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