堕ちる犬

四ノ瀬 了

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なんだお前泣いてんのか?しょうもねぇ。てめぇが自分で言いだした癖に一体なんなんだ?

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 二条からの電話を故意に無視すること5回目で黒木は、スマホの液晶画面に映し出された通話マークの方へと親指をスライドさせ席を立った。テーブルを挟んだ向かい側に座る白井の視線を受けながら、休憩スペースとして自販機の前に高いテーブルの二つ据えられた場所へ足を向けた。

 電話の向こう側は、あまりにも静かだった。山にでもいるのだろうか。二条は時折、そう言う場所に居ることもある。黒木がスマホを耳にあてながら、休憩スペースの方へずんずん進むと、スペースを陣取っていた若者グループが互いに目配せして左右に捌けて散った。誰もいなくなったテーブルの上に、黒木は、肘をどん、と勢いよくのせてもたれかかり、一呼吸おいた。

「私が次月の贄をやりますから。」

 返答無し。虚空に向かって話している感じだ。
 黒木は、恐怖より癒しを感じている自分を、感じた。
 大きな闇に包まれていると、安心する。人は通常闇を畏れるというのに。
 死。
 虚空には死の感覚が揺蕩っている。
 
 向こう側では未だ沈黙。黒木は、電話を握る自身の手の中が、だんだん汗でぬるぬるとしてくるのに気が付かないではいられなかった。発言を少しだけ後悔したが、撤回することはできない。白井がしばらくこちらの様子をうかがっている様子があった。「こっちを見るな」とジェスチャーすると、白井は立ち上がり、ボーリング玉を弄び始めた。黒木は電話に集中する。

 次月の贄とは、饗宴の犠牲になることだ。もっと俗な言い方をすれば、饗宴とは定期的に開催される会員制乱交パーティーであり、変態の社交場のことなのだ。主催の様々な趣向と残酷が兼ね備えたパーティーだった。月一度、主催者を交代しながら開催されるその場に、二条と間宮は何度か訪れたことがあった。二条が主催をしたことも数度あった。来月は少し暇があるから、二条と会へと連れ立たされる可能性が高かった。霧野のことがあるとしてもだ。

 二条が、霧野への責めに夢中だとしても、霧野は二条の物では無い。満たされなかった欲望が、彼を饗宴へ導くはずだ。黒木は、二条の責め、霧野の責め苦を受ける様子を脳裏に描いた。間宮の時のように激しい嫉妬に駆られることはない。寧ろ、珍しいことに今すぐに会いたいのは二条ではなく霧野の方であって、霧野にもう一度でも会って、確認したいと思うのだった。彼は彼のままで、待ってくれているかどうかってことを。俺は、駄目だったから。

 ところで、饗宴の贄の役は、一人の時も数名の時もある。役割は簡単だ。自分以外のあらゆる他者のどのような命令にも絶対に逆らえない。それだけだ。あらゆること全て、悦んで享受することを求められた。死ねと言われ、状況が許せば、死ぬこともあり得た。死は、丁寧に処理され世間に漏れることもない。二条を含め、闇の仕事のプロや権力者が本気を出せば、人一人消すくらい簡単なことだ。

 黒木は間宮となってから、過去に二度ほどこの役目を経験した。三日ほど歩くことさえできなかった。そして自身が贄ではない時に一度だけ、死人が出たのを見た。それは美しい情景として間宮には記憶されていた。

『それで許してもらおうってか?』
二条の笑いを含んだ声がようやく返ってきた。機嫌が良いらしい。しかしやはり静かだ。
「はい。その通りです。電話に出れず、申し訳ありませんでした。」
『ふーん……いいよ、久しぶりだな。来月のリストにお前が載るように推薦しておこう。』
「ありがとうございます。」
二条はまたしばらく沈黙した。
『お友達は』
遠くで、ボーリングのピンが爽快に倒れる音がした。いやに優しい二条の声が続いた。
『よく選んだ方が良いと思うぞ。俺が言うのもどうかと思うけどな。』

 黒木は電話を握ったまま立ち尽くしていた。今度はこちらが黙らざるをえない。頭の中にボーリングのピンの倒れる音の反響が続く。黒木は首のあたりを軽くひっかいて、自分が一体今どういう顔をしているのだろうと思った。二条が先に、口を開いた。

『今週土曜までに、31番と25番の仕事を終わらせておくことになっているが、調子はどうかな。』

こちらが電話の本題のようだ。二条は普段の調子で、先ほどの意味深な、お友達についての助言については特に説明もせず、仕事の話をし始めた。それは、殺しの仕事だ。計画通りに進めば、たとえ精神が黒木であっても、間宮より多少手間は取るにしても、ひとりで金曜までに終われる仕事だった。

「問題なく進んでいます。終わり次第報告します。」
『それならいい。また事務所に顔を出せよ。』
「はい。」

 電話が切れ、会話は終わったが、間宮はしばらく電話を続けているふりをした。白井の元に戻る前に気持ちを少し整理しておきたかったからだ。

 5回も電話を無視したこと。最初の1回は、精神が戻ってきたばかりの動揺で息がつまって間宮を装う自信がなく、出られなかった。2回目以降は敢えて出るのをやめていた。それは、二条への反抗ではなく、自ら、ひとつの大事な期限を設けるために必要な儀式だった。

 黒木は自分の頭が、冷めていくのを感じていた。
 真っ赤に流れ続けていた溶岩が黒く固まって、地に奇妙な山を作りながら固まっていく。
 間宮の時は常に溶岩が血のように流れ続けて止まらず、噴火を続け、とどまることを知らない。
 思考が安定しないということは、考えなくていいということだった。考えず欲に従って生きていけばいい。

 そう、これで、何事も無ければ来月の饗宴までは、間宮ではなく黒木として、正気の自分で居られる確率が高くなった。贄になっていたぶられれば、脆い黒木の精神はもたず、難なく再び間宮に受け渡されるに違いなかった。しかし、これで自ら、この世界に己が存在できる執行猶予期間を設けることができたのだ。

 死刑の執行日が決まっていないより、明確に決まっている方が、有意義に時間を利用できる。

 饗宴までの猶予期間に、二条が死に至りかねるような過度に異常な要求をしてくるとも思えない。二条はなるべく奇麗な状態の間宮を連れて行きたがったから。贄になること、これは来月まで二条への抑止力にもなる交渉なのだ。せっかく戻ってきたのに、霧野への欲望の代替として即ぶっ壊されてはあんまりだ。

 とはいえ、これも確実な期限ではない。いつ何がきっかけでまた自分が消えるかはわからない。

 白井を連れて街に戻る間に、たわいもない会話を楽しんだ。たまに、笑えた。スタート地点のコンビニにおろしてくれれば良いという。黒木は白井に別れを告げ、帰るふりをしてバイクを近場に停め、白井の追跡を始めた。

 友達は選んだ方が良い。

 黒木は白井の自宅をつきとめ、31番と25番の仕事の合間で、白井の素性の洗い出しを始めた。白井には二つの家があることが分かった。簡素な独身者向けのアパート、そして、コンビニ店員には見合わないマンション。時々、白井の目の前にカタギとは言い難い男達が現われる。白井の好みの悪男達だとしても、数が多すぎる。
 そして、白井は黒木には見せたことのない険しい表情をした。それは怯えではない、どちらかと言えば強い嫌悪や憎悪の表情で、獣が噛みつくような様子に、逆に男達が尻尾を撒くようにすごすごとした調子になるのだ。友達は選んだ方が良い。二条の信頼できる言葉が黒木の中でリフレインする。

 金曜日。報告。電話で報告を済ましても良かったが、事務所に顔を出せよとの声をかけられたのもあり、黒木は未だ借りたままの海堂のバイクを飛ばして事務所への坂道を上っていった。海堂も何も言ってはこない。彼も忙しいのだろう。黒木は海堂が間宮に複雑の愛情をもって接しているのを知っていたし、間宮がそれを知った上で寝ているのも知っていたし、海堂が以前の間宮、つまり黒木だった頃から愛情を示しているのを知っていた。

 黒木にしても、海堂への愛の関心は何一つなかった。愚かで弱い生物だと思った。本当に間宮を手に入れたいのなら、二条と戦う他ないのに、そのための行動一つ起こそうとしないのだから。寧ろ指示されれば二条に加担する。それも悦んで加担するのではなく、仕方なくといった同情する体でだ。それがまた腹が立つ。

 黒木は海堂のバイクにまたがりながら、「お前は口ばかりの屑だな」と罵り海堂に跨る想像をした。
 それでも海堂は殴ってこないだろう。腹パンの一つくらいされても耐えられる、そのための肉体なのに。

 それでもセックスだけはしたい、形も硬さも持久力も悪くない、と坂を上りながら下半身に充血を覚えた。横着をしてクロスバイクではなく借り物のバイクなんか使うからよくないんだな。事務所に到着した。

 相変わらず、事務所には様々な人間がおり情報過多で、何もかも煩雑だ。黒木を無視する目がほとんどだが、中に軽く目礼する者が何人かいる。黒木は彼らにこたえることもなく、薄暗い事務所の中を軽装でポケットに手を突っ込んで、ずんずんと、歩いていった。

 こんなところで油売ってないで、さっさと仕事に行けよ害虫共が!と黒木は思った。
 人に寄生する弱い人間は目障りだ。まるで自分を見ているようで苛々するんだ。
 
 間宮の仕事は、単独行動が主である。誰かに指示することもなく、指揮をとることもなく、協力や共謀することもなく、唯一ノアとは同僚として一緒に仕事をこなすことを許されているが、ただ二条、時々直接川名から課される任務を単独遂行するだけの存在である。

 間宮が二条に性的に屈せられているのも組のほぼ全員の周知のことであるが、二条の配下では最も二条に近い側近とも言え、彼を理解し、難度の高い任務を遂行でき生還できていることも事実だった。二条の配下は、二条の人間性や仕事の難しさ、厳しさに、脱落者や脱走者が多いのも確かだった。それゆえ激選された人間しか残らない。

 間宮は、二条の配下で、時たま、肉の関係であることを盾に、二条に遠慮のない言動をとることもできるで、彼の元では唯一無二の№2と言えるのだ。だから、中には間宮にある種の畏敬を抱くものがいないでもなかったが、会話する機会もなく、立場上畏敬をおおっぴらにできないので小さな目礼でコミュニケーションをとろうとする。と、黒木は理解しているが、間宮の世界の中ではそれらの視線全てが己への嘲笑の眼差しでしかなく、主に苛立ちと性欲を高めるものである。

 その中に三島がいるのを見つけ、黒木は歩みを緩めた。唯一間宮の時にまともにコミュニケーションを進めた人間だ。これも霧野のおかげと言えるだろうか。
「ダーツマシンの調子は?」
 三島は最初真面目な顔をしていたが、すぐに人懐こい表情を浮かべ「上々です」と意気揚々と答えた。
「良かった。これで、澤野さんが居なくても大丈夫だな。」
 三島は間宮の佇まいに形容し難い妙な違和感を覚えたが、それが何故なのかわからなかった。
 濃い、血の臭いが三島の鼻をかすめた。
「臭うか?」

 三島の前に薄ら笑いの殺人者が立っており、そのことが、三島に彼をがいつも通りの間宮だと思わせるのに役立った。三島はまだ自らの手で人を殺めたことはなかった。時々彼らのような人種に、人間の革を被った何かが目の前に立っているような恐怖を感じる。三島は普段間宮が人から見下されていることを今この瞬間信じられない。間宮はポケットに片手を突っ込んでその中で手を何かもぞもぞと動かして、取り出そうとしていた。三島はそこに人体の一部か何かがあると直感した。

「出さないでください。それ。見たくない。」

 もぞもぞと動いていた手が止まり「勘が良いなぁ」と彼は涼しげな眼をして三島に言って微笑みかけた。何を考えているかわからない獣の目をし三島を見下ろしていた。顔にまで伸びようかという程の首筋の紋様が余計に彼を非人間的に魅せた。

 三島は神様のことを考えた。ギャンブルをしていると時々、馬鹿ヅキすることがある。そういう時、神様のことを考えてしまう。神様、それは下半身に血を集める。その感じが今、三島の下半身に少しだけ渦巻いていた。目の前で薄い唇が開いた。彼はいつもより淡々と話す。

「組長が目をつけ拾ってこられる人間には、当たりが多いと聞くけど、三島君といい、あの澤野さんといい、その通りだ。あの人はまた、まだ、地下で折檻中なのか?いい加減、他の組員に怪しまれそうなものだが。どうするのだろう。」
「いや、それが……」

 三島は、霧野が事務所ではなく山に預けられていることを伝えた。三島は何か隠しながら話しているようだったが、黒木には大体の見当がついた。三島より遥かにあの場所については知見があるのだが、わざわざ彼に言い聞かせてやる必要もない話だ。

 何度か働いたこともあるし、幾年前かに、自分自身もあの場所でしばらく、一か月程度、二条と引き離されて、調教を受けたことがある。あそこは、人間性の剥奪にはちょうどいい場所。三日も居れば、自分と獣との境目が曖昧になってくるものなのだ。

「そうか、もう、あそこに行ったか……。」

 黒木の頭の中に久しぶりに不安のような物が現われた。

 三島と別れ、二条のいる部屋へ向かった。部屋には二条が、何か書き物をしており、他に二条の配下の者が4人ほどいたが、間宮の姿を認めると、その4人は席を外すように立ち上がりかけた。

「出て行かなくていい。」

 二条はそう言って手を止め、黒木の方を見た。その瞳は、黒木の表面だけでなく、内面まで見通しているような漆黒である。黒木は、恐怖と興奮に、目をそらさないよう努力し、緊張が這い登ってゲロを吐きそうになってくるのを感じ、2度ほど強く呼吸して、二条をじっと艶めかしく見た。俺は今から、間宮をやるぞ。他の4人は座りなおした。黒木の目を通して久しぶりに見る彼は、黒木の心の奥をすぐに掴み上げて、放さない。

 黒木は仕事の終わった証拠の品を二条の机の上に、ぽん、と置いて、件の仕事について問題なく終わったことを淡々と報告をした。話の聞こえている4人の内2人は、報告内容のあまりのグロ、異常、不快にそれを顔に出さないように厳しい顔を作って前を見ていた。話している内に、最初の緊張が良い具合に薄れ始め、黒木を心地よい気持ちにさせ始めた。

 黒木に戻っているというのに、二条を見下げながら「愛しています……」という心の叫びが黒木の中に木霊して、震え、真っ赤な溶岩が溢れていた。黒木に戻って、初めて見る生の二条を前に我をつい、忘れそうになる。二条に俺だよ、と、ばらしてしまいたい気持ちにもなる。そして僅かなスパイスとしての、明確な、殺意。

 黒木は二条に対する抑えきれぬ情欲を、自分自身で、憎んでいるのだが、いつも濁流に流されるように翻弄されてしまうのだった。黒木は、事務所に来るのを止めるべきだったと思いつつ、もう止められなかった。また、同じことを繰り返すのか!黒木の理性が叫び声をあげたが、止めることができない。黒木は必死に判田のことまで無理に思い出そうとするのだが、目の前の存在の大きさに心を掴まれ、どうにもならない。目元が軽く痙攣し眩暈してくる。

 黒木は、自分に言い訳を始めた。「そう、今は間宮なのだから、いいじゃないか。」と。
 そうでないことが、バレたら、困るじゃないか。なぁ。

 報告が終わっても去らずに、ただ木偶のように突っ立ている黒木に対して、二条が声をかけた。

「なんだ?まだ何かあるのか。」

 二条はわざとらしくそう言って、先を促すように、微笑んだ。黒木は、他の4人に背を向けたまま、二条の方に軽く身体を屈め、他の4人には聞こえないように「今夜、お家に、行って、良い、ですかぁ?」と笑顔で口を動かし、そして次にはっきりと「報酬が欲しいのです。」と声に出す。間宮は、散々抱かれたのに、俺は。

「報酬?来月分の給料にいれておくつもりだが、前借りしたいってことか?」
 
 黒木は目の前の男のテーブルの上に置かれた大きな厚い手を握りしめたい衝動にかられながら「そんなところだよ……」とぶっきらぼうに答え、二条の瞳から目を逸らして、それから、テーブルの中心の何もない一点、そこを穴が開くほどにじっと、見つめはじめた。向こう側、テーブルの下にある二条の一物を、まるで透視でもするかのように見つめたのだった。黒木は聞こえるか聞こえないかの声で間宮の真似をして、独り言つ。

「お金じゃなくて、いいからさ……ぁ~……」

 二条は、ああ……とため息づきながらゆっくりと立ち上がった。黒木より、さらに大きな肉体が目の前を圧迫するように立ち上がった。

「なるほど。いますぐチンポが欲しいってことか。本当にお前ってやつは最悪だ。」

 部屋全体に、いや、廊下にまで聞こえるような調子で言ったかと思うと、二条は机の向こう側から黒木のすぐ目の前までやってきた。部屋の空気は最悪なものになった。二条は黒木に顔を寄せるようにして屈んだ。黒木は、ああ、ばれる、ばれてしまうかもしれない、とドキドキしつつ、自分のことがどんどん厭になった。

「そういうことであってるかな?」

 二条は子どもに言い聞かせるような調子で言い、黒木は視線を二条の下半身に落としかけ、特に勃起していないことを確認した瞬間に、顔を掴まれて上に向かされた。黒木は自分の頭の奥の方から何か「淫汁」のような物がじっとり漏れてくるのを感じていた。頭の中が、意志と関係なく、濡れ始めた。

 まだ何をされたわけでもないのに、はぁはぁと息が、漏れて「臭ぇ息を俺にかけるんじゃねぇ!」とビンタ。
 
 顔を抑え、また向き直り、見上げた。勃起していた。黒木は神様のことを考えた。神様はどうして、俺をこんなイカれた状況に置くんだろう。息を止めろと言われて、余計に喘ぐように息をしてしまい二度三度と叩かれ、完全に勃起した。
 
「金なんかいらねぇから、代わりに俺のチンポを寄こせと、そういうわけか?」
「……」

 黒木は答える代わりに二条を見上げた、痴呆のように、口を開けて、微笑み、まさに、間宮のするのに近く、にたぁにたぁ……と笑ってみせた。黒木の歯は二条やその他に折られて義歯になった箇所を含めて、おそろしく美しく整っている。この殴られた後のにたにた笑い、その顔が彼を怒らせ、同時に、そそらせることもわかっていて、案の定顔面に唾を吐き掛けられ、突き飛ばされ、吹き飛ばされた黒木の厚い背中は壁に当たって、どん、と、鈍い音を立てた。「じゃあ、最初から素直にそう言わねぇか?あ?」と彼に言いせしめ、黒木は恐怖と共に歓喜し震えがとまらなくなった。

(た、たまらん……っ!)

 黒木は口元の綻びを抑えきれぬまま、「はい、薫様の物が、欲しくて堪りません。」と言った。言いながら、冷静な部分の黒木が「馬鹿!」と自分を叱咤したが欲望が先走ってもう止まらないのだった。この気質が、間宮という人格を生む土壌となったのだ。

 またビンタが飛んで「金は?」

「はい、もちろん、お金なんかもう一切いらないです、その代わりに薫様が欲しいです。」
「何を勘違いしてんだァ?お前が!俺に払う金のことを言ってんだよ。恵んで欲しいんだろ?!」
「ああ。給料から差し上げますから、それはもう!好きなだけ、お引きになって!」

(どうせ、来月には俺は俺じゃないんだから。あはは。)

 部屋の空気がますます最悪に、熟れたものになっていくが、二条が出ていくなと言った手前、誰一人として、この地獄部屋を出ていくことができない。残っている4人の内3人は二条の配下に長く(はじまったな……)と様子を見守っていたが、1人はまだ慣れておらず、ますます顔を険しく先輩方の出方を伺っていた。

「そんなねだり方で良いと思ってるのか?」

 黒木は事務所の一室であるにもかかわらず、衣服を脱ぎ捨て、二条の足元に縋るようにした。

(最高に間宮を演じている気がする上に、気持ちがいい。これで見破られるわけがないのだ。そう、これは黒木じゃないのだ。)
 黒木がそう思う程オーバーに身体が動いた。
(大体間宮ばっかり抱かれてずるいじゃないかよ。)

「どうか、薫様のものを私に下さい。」
「……。」
「どうか……。」
 二条は足元に蹲る生物をしばらく見ていたが、「おい」と部屋に居る面子に声をかけた。

「そういうことだから、皆、順番にこいつにぶち込んでやると良い。こいつのポケットから、ボーナスもくれるそうだぞ。やったな!」
「えっ」

 二条は自分の椅子を机の向こう側から持ってくると、頭を下げる黒木の前に置き、足を延ばして黒木の頭と肩から背中にかけてに伸ばすようにして乗せた。二条の下で黒木は震えていた。そうすると、頭をがんと革靴の硬い踵でやられた。

「あ゛ぁ……!」
 
 脳漿が、ぐあんぐあんと揺れ始めた。脳が解ける、最高に勃起した。

(や、やばい……)
(こんなことで間宮に戻ってしまっては、元も子もない。はやく、はやく、帰らないと、いけないのに)

「ほら、皆がやりやすいように、もっと腰を上げてやらないか。」
「は……」

 黒木は腰をつき上げなら(一体何をやってんだ俺は!)と自ら𠮟咤し、恥じたがもう遅かった。四人が渋々と言った感じで席を立つ音が聞こえた。椅子に座った二条を中心に四人の構成員が立っていた。

「皆がお前のために、わざわざ仕事の手を止めてまで来てくれたぞ。何か言うことがあるんじゃないのか~?」
「……ありがとうございます、」

 また頭と背中に重いのが降り突き下ろされ、呻いた。背中にもろにはいったせいで呼吸が乱れる。

「お前ら、聞こえたか?」
「……。いえ、まったく。」

 四人ともはっきりと聞こえていたが、全員空気を読むことに長けていた。

「だそうだ。しっかりお前の願いを言うまで、このままだ。ああ勿論この間にも時給は発生するから、その分のこいつらの給料はお前の給料から引くからな。お前のために、皆の仕事の手をわざわざ止めているんだぜ。……。おい、聞いてんのか?この屑!!!」

 また厚い踵で打たれ、黒木は伏せた顔を真っ赤にしながら、自分を間宮と言い聞かせながら、自身の下半身を手で、押し広げるようにして「お願いします!ち……ちんぽを!恵んでください!突いて!!」と半ば半狂乱の体で、部屋の外にまで聞こえるのではないかという声で叫び、その叫び声のせいで、幾らかの見物人の構成員が部屋になだれ込んできた。

 黒木の目から大粒の涙が溢れ出始めた。あうー……うぁー……と嗚咽が零れる。
 涙と一緒に、何か意志のようなものが、こぼれ出ていってしまう。

「なんだお前泣いてんのか?は!しょうもねぇ~……。てめぇが自分で言いだした癖に一体なんなんだ?」
「……ぁっ、あーー…………」

 二条の黒木の背に乗せられていた脚が高く上がり、思い切り背中を殴打した。鈍い肉の打つ音と、おぇ゛ぇという醜い声が出る。それが、三往復ほど続き、脚はゆっくりおろされ皮膚の上の紅くなった箇所を擦った。

「何だと俺が聞いているんだが。」
「ごっ、ごめんなさいっ、‥‥…ごめんなさい……」
「……。ちっ、柊、お前からヤッてやれ」
「はい。」
「おい、ゴミ!何か柊に言うことがあるよな。」
「ありがとうございます……よろしくお願いいたします……柊様」

 全く知らない年下男の男根が、めりめりと中に入ってきて、気分が悪いが、その分踏みつけられていてる箇所が強く強く脈打って、その見知らぬ男根が二条の物だと想像しやすくなる。踏みしだかれる程に。それから、彼らは、二条の命令でやらされているのだ。二条は、俺がもっと二条の物が欲しくなるように、今のような仕打ちをするのだ。愛しているのだ、俺を。

「んお゛‥‥っ」

 見知らぬ太い男根の先端が、黒木の深く広い箇所、そのほぼすべてが性感帯として開発された、割れたザクロの中のような肉の奥を、抉りまわす。

「んふ………」

 ドロドロに濡れた肉同士のこすれあう。粘着質な音を立て、ぐにゅうびちゅう…っ…!と黒木の熟練の男を垂らしこんできた中年、熟女のごとく裂け捲れ膨れた肛穴の縁から、薄ピンク色と白の混ざり合った薄い粘液があたりに飛び、ある者の革靴を濡らし、その持ち主は舌打ちを立てたが、二条が目ざとく「後から、舐めさせてやると良い」と微笑みかけたことで、留飲を下げた。

 柊は初め、あまりの肛門からかけ離れた間宮の、縦に裂けて肉が内側から小陰唇のようにめくれ上がり男根を誘うように開閉する濡れそぼった菊門に、好奇心とかなり嫌悪感を抱いていたが、挿しこみ、つっかえるものもなく、奥にすっぽりとすぐさま到達してしまう。それはまるで柊のために用意されたかのようにぴったりと嵌る。
 
 意志を持ったイソギンチャクのざらざらとした表面が肉棒の表面を吸い付く覆うように動き出し、柊が自ら必死に腰を動かさずとも、母のように、海のように、肉棒を大きな肉塊が優しく、時に厳しくその敏感な性感皮膚表面を、まるで処女のキスするように軽く優しく吸い付いて見せたかと思うと、今度は獣の貪るが如く強く扱き立てるようにうねうねと動き、始めは乗り気でなかった性欲が高められたばかりか、まるで柊自身がそのまま、魂まで、異常の性悪の巣窟に吸い取られていくような感覚を覚えた。全身発汗し、周囲に人が居るのも次第に全く気にならず、この肉機械と永遠にずこずこと、戯れていたいとまで思うのだった。

 今のように、間宮が二条の手で弄ばれたり、二条の戯れでたまたま居合わせた他の組員が間宮を扱うのを見る機会はあったが、交わりたいと思ったことは無かった。しかし、なんてことだ。実際に使用すればその気持ちは、少なくとも今この瞬間は一切消え失せる。誰も間宮の身体は良いとは言わない。言えるわけがなかった。

 柊はがくがくと放出しながら改めて間宮の下半身を見やったが、むき身のその身体は男の物でありながら、男の物でない。あまりに腰や腿に筋肉と共に豊かな脂肪がこってりとまるで雌豚のようにのりすぎている。普段彼ひとり、他の者がヤクザらしいそれなりの装いをしているのに対し、動きやすい服装、例えば、たっぷりしたカーゴパンツにブーツなど履いて、タンクトップ等着ていると上半身の発達した筋肉がよく見えるが、下半身はいつもだぶついた服の中に隠されていて、見えないのだ。

 柊は、ゆっくりと腰を引きながら、間宮の尻に手を幾らか埋めてから、立ち上がった。ぶびゅぅ……っと下品な音を立てて、グロテスクな女陰としか見えない深い赤い肉の底から精液と腸液とがまじりあった液体が零れ出ていった。汁が床一面をよごし、臭った。肉塊からも、雄の強い淫臭が湯気のように立ち始めており、二条の革靴の下の白黒の巨肉は蒸されてできあがったばかりのハムのようにびしょびしょになっていた。

「次。」

 間宮の向こう側で二条が、間宮を足の下に置きながら言った。間宮が「ありがとうございました‥‥ぁ…」と小さい声で啼いているのを柊は聞いて、それから「柊様」と鳴くのを聞き、また下半身が、ぐんっ、と、充血するのを感じながら、後ろ歩きで彼らから距離をとり壁に背をつけて、もたれかかった。
 
 煙草に火をつけ、しばらくの間放心して、ことが続くのを見ていた。虚脱していたため、横から誰かに話しかけられているのに、しばらく気が付かなかった。

「……たのか?」
 柊はようやく声に気が付いて、素早く背を壁から浮かせて煙草をケースの中にもみ消した。
「は、はい。」
 おそらく「よかったのか。」と聞いていたのだろう。
 川名が、すぐそばに、立っていたのだった。どうして彼がこんな不浄なところにいるのだろう。酷い空気だ。思わず、はい、と答えてしまったが、正しかったのだろうか。
「へぇ。そう。」
 川名は特に興味も無いというように、柊から目を逸らし、二条の方をまっすぐに見た。二条は川名が入ってきたことに最初から気が付いていたようで、豚の方ではなく、最初から川名の方を見て微笑んでいた。

「それ、終わったら、俺の部屋によこしてくれないか。」

 二条の表情が若干強張ったのが、その部屋に居る人物の中で唯一、川名にだけはわかった。
 そのことは、川名の顔の上にも、若干の微笑を浮かばせた。
 川名は数秒の間二条の表情を味わうように観察してから、続けた。

「ああ、別に仕事を頼みたいだけだよ。大したことじゃない。」
「わかりました。」
 二条は気持ちを抑えた声で答えた。川名ただひとり、二条を見て愉しんでいる。間宮とは逆の方法で。
「まだしばらく上に居るから。時間は気にしなくていいから。」

 川名は手をひらひらと振って二条に背を向けて出ていった。二条は視線を下げ、可愛がるようにして間宮を踏みながら川名のことを考えた。川名は二条を理解するが、理解するがゆえに、揶揄ってくるのだ。殆ど黒く染め上げるように彫らせた間宮の大きな背中の黒い部分だけを見ると、細い身体が浮かび上がる。

 川名は凌辱の間と化した二条の部屋を後にして廊下に出た。道いく度に皆が頭を下げる。それにしても酷い臭気だった。あんな部屋には本当は、2秒もとどまっていたくはなかった。二条の表情の微かにでも崩れるところを見れるので無ければ、あんな場所にいる意味は無い。
 
 部屋には、15人ほど組員が溜まっていて全員顔も覚えたが、あれを、全員で姦す気なのだろうか。それで仕事がおろそかになるようなら懲戒ものだが、二条に限っては、アレで仕事効率が抜群に上がるのだから別にいい。他の者については様子を見ておかなければいけない。川名は歩きながら手帳にメモを続けていた。特に柊のあの放心の仕方は一体何だ。あれで、あの後仕事に戻れるのだろうか。アレが、例えば霧野に対する凌辱のように、誰かに対する折檻、懲罰なら仕事と分類もできるが、あれはただの質の悪いエンタメで、仕事ではない。

 両側に人が捌け、頭を下げる間を、階段を上っていく。
 陽が、眩しい。川名は目を細め、視線を窓から逸らす。

 もし霧野を、二条の第二の希望、つまり、殺さない代わりに、彼の配下の底辺、末席に置くことを叶えてやったらどうなるだろう。二条の元に配置しなおしたとしたら、日々今のような事態になることも考えられる。というか、二条自身そのようなことを、川名に語った。PC画面上に円グラフを映し出し、おおざっぱに霧野の一日のスケジュールをたてたものを見せられたが、本人が見たら、怒る、絶望するに違いない内容で、なかなか、嗤えたのだった。

 実際霧野を今のように、贄にしてからというもの、皆の志気も嗜虐性も寧ろ上がっていると言える。
 階段を上がったところで、影の奥の方から視線を感じた。川名の部屋の前の暗がりに美里がひとり立っていた。
 他には誰もいなかった。

「お部屋にいらっしゃらなかったので、勝手に入るのもと思い、待っておりました。」

 美里はそう言って丁寧な仕草で、部屋のドアを開けた。彼と共に部屋に入った。志気、美里の志気や嗜虐性が霧野によって満たされているかと言えば、ある面ではそうだろう。しかし別の面では違う。

 川名は椅子に座りながら、美里を流し見た。美里は顔に消えかけの傷をつけていた。川名の中に意識にも浮かばない程の小さな苛立ちが一瞬浮かんで、消えた。それから、美里の内面にパックリ開いた傷口の様子を見て、その中に指を挿し入れて気持ちよく動かしてやろうと思った。

「霧野を見舞ったようだな。今は別の場所に移しているが、お前、迎えに行ってやるか?」

 美里の表情が一瞬だけ明るくなり、また精巧な石膏人形のような無表情の中に消えていった。その中で目だけが、彼を生物たらしめるように、じっとりと川名を見ていた。何か大輪の花を覗き込むのに似ていた。

 川名は時折美里の中に兄を見る。兄とは似ても似つかない顔立ちというのに。そして自分自身をも見る。

「是非、その役目を俺に。しかし、その後は。」
「後?」
「一体いつまでこんなことを続けるのかってことです。」

 川名は、ああ、と嬉しくため息ついた。”こんなこと”と評するのかお前は。

「どうすべきだと思う?」
「俺の意見は、いいんです、」
「何故そんなことを言うんだ。お前はいつも俺に意見してくれるじゃないか。」
「ふん……どうせ、川名さんは俺の望むことと反対のことをしたくて仕方なくなるのでしょう。」

 美里の言葉の節々に、若干の興奮、怒気が含まれ、口の端を軽く上げて反抗的な表情を見せた。彼は時々その顔を見せる。血族の話が出た時が最も顕著だった。それを、特に叱ろうとも思わなかった。白々しく反抗的な顔を見せる美里が、美しいからだった。本当は底知れぬ、言葉など越えた憤怒を抱えながら、それをうまく表現する機会を取り上げられ、学びもろくに受けさせられず、ゆえに表現する方法を知らない。内側から出た熱が彼の顔をさらに生き生きとさせるが、それでも、普通の人間の表情に及ばない。未だ人間になれぬ一頭の獣だ。

「そうかもしれないな。」

 川名は、はぐらかすように言って聞かせた。美里が拳を強く握って、青い血管の浮いているのが見えた。霧野を嗜虐することで、美里は以前より余計に霧野に愛着を持ったようだった。元々、人を嗜虐して悦ぶ種類の人間が、対象物に愛着を持つのは珍しいことでもない。それも、もともと愛着があったものなら、そうなっても仕方がない。

「怒ってるのか?」
「いえ……何を怒ることがありますか。」

 美里は自分に言い聞かせるように、強がりを見せた。そのあまりの未成熟さ、壊したくなる。
 両の手の中に納めたひな鳥を、ゆっくりと左右から、握りしめるように。
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