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お前が、俺に、命令していい立場か?
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目には見えない、重たい銀輪を連ねたような鎖に首輪を引かれるようにして、霧野の汗と血で濡れた肉體が上へ上へと引き上げられていく。霧野は今身に一つ首輪を着けられたまま、鎖の軋む幻聴を聞いていた。階段を上へと進みあがる川名は、ふと、手を後ろに回して、手桶を持った左手首を右手で掴んだ。その時、金属のこすれ合う幻聴が、霧野の中で己が鎖に導かれていく想像と反対に、川名の手首に錠が架けられ、戒められる想像と一瞬重なり合って、微かな疼きと印象とを霧野に与えた。
霧野は、自身が一警官として、配給される特権的な道具の手入れを、一度として怠ったことは無かった。己の腰元の革ケースの中に仕舞われる黒く光沢のある手錠は常に磨かれぬかれていたが、同期の者と比べても、黒の塗装がところどころ剥げ細かい傷に覆われていた。その錠の傷みは、誇りであり、使い込まれた証であった。抵抗できぬよう絡めとった肉体を、膝の下に組み敷いて、霧野はよく、陶然とした。獲物を追うことで、頭の中の獣暴れるような炎が、鎮火されていくのと反対に、今度は自分の下に組み敷いた體を、感じ始める。舌をじりじりと噛み、冷静さを取り戻し、それから、霧野は獲物の上で方で呼吸しながら天を仰いで、太陽に向かって半ば口を開けた。
神崎にゲイのサディストと冗談交じりの揶揄を受けた時、反射的に強く否定したが、時折、このまま背面から、その犯罪者の心臓の止まるまで、膝で強く押さえつけて、圧死、踏み殺してやろうと無邪気な衝動に駆られることが、まま、ある。しかし、実行には至らない。理性が強く働き、すぐ、諦念が訪れる。こんな興味もない相手に一度限りの行使をしたらもったいないと理性が働く。同時に、己のことをどうかしている、と、冷静に思って、その哀れな犠牲者の腕をとって、立ちあがるのだった。その頃には殆ど素面になって、事務的な口調を取り戻す。
地下から這い上がりながら、霧野の頭の中は、未だ陶然としていた。口内に残る彼の革靴の舌触りと香りの残滓を確かめるように、濡れた口蓋の奥の方で舌が器用に蠢いて音を立てた。味わうように、舌先を噛み、彼の向こう側の。階段の向こう側の太陽の眩しさに目を細め、息をついた。心地よく重くなった頭には、二度寝を許された時の微睡に近いような甘い倦怠感が続く。
現れた光の中、全身を黒く煌びやかに統一された男のシルエットが伸びて、光の中で、さっきまで闇に浸されていた霧野の脳の神経はさらにじりじりと灼かれていった。一息ごと、獣のごとく這って川名の後を追う、一足一足の度、股座に大きな波が訪れ、鐘を鳴らした後のように震えるのが不思議であった。川名は霧野を獣にしたし、獣にすることを肯定した。
川名が先を行く。疲労した身体は思うように動かず、霧野の喉の奥から濡れた息と共に、マッテ、という言葉を作ろうとするのだが、代わりにざらついた呼吸が漏れるだけで、全身に鳥肌立った。それから、背中がしなりがくがくとし、腰が抜けそうになる。霧野は自分の身体の状態が(真実は、頭の状態が)おかしいとどこかでわかりながらも、今すべきことに、全神経を注ごうと思うのだった。それは、彼の後を「等」の感覚で追うことだった。一番彼が気に入るであろう、遠からず近からずの位置を把握して、満足させること。これが今の集中の全てだった。それが心地よかった。快であった。
霧野は思った。真の獣であれば、目の前の儚い人間を襲って、殺すべきではなかろうか。しかし、霧野の中の獣は今はその時期ではないと語り、求められる限りの、快を求めた。
どうすれば、彼を一番満足させることができて、どうすれば、彼が一番気持ちよくて、どうすれば、彼が一番自分を叱ってくれるのか、これらのこと全てが、霧野が澤野として川名に仕えていた時と同じことだった。自分が他の全てを出し抜き、彼に寵愛を受けること、それこそは、川名を出し抜いて頂点に立つのと同じ。つまり、澤野ではなく霧野として、組織を掌握したのと同じことになるはずだった。
這い出た先の畜舎は、地下に増して獣臭さが鼻についた。光の中で、夜に訪れた時の怪しげな雰囲気は抹消されて、単に動物の管理される為の囲い、土と糞便と餌とが、家畜小屋としての、現実味を帯びて、霧野の目の前に現れてた。川名ただ一人だけが、そこでは人間だった。
川名の靴が、土と囲いから零れ出た藁とを音を立てて踏みしだく度、彼をこのような場所に居させるべきでないはずだ、と霧野は思った。川名は自分の歩く速度を一定に保ちながら歩いていた。それは彼の癖の一つでもある。稀に著しい興奮を覚えた時を別として、彼は常に一定の動作を一定のテンポを保ちながら物事を進めた。
川名の足が止まりそうな形をしたのを察し、霧野は歩を緩めて川名を見上げていた。彼は霧野の方は一瞥もせずに、獣畜のいない空いた柵の中に入っていってた。両サイドには乗馬用の馬が収まっており、向かい側には、豚のひしめくように収められていた。囲いの中に、獣畜の糞便を流し溜めるための、溝がある。川名は手桶を傾け、霧野の糞便を溝に流し入、手桶をその場に置いた。臭気が漂うがすぐに獣の臭いに掻き消され、わからなくなる。
彼は柵から出て、嵌めていた革手袋を脱いだ。青白く滑らかな皮膚が露出した。彼は惜しみなくその革手袋を糞便を捨てた畜舎の隅に盛られた藁束の上に放り捨てた。まだ生暖かいであろう手袋は彼の身体の一部が、まるで射精のように、そこに放出されたかのようで、畜舎の中で異常に生々しく、黒百合でも咲いているようであり、霧野はその花に駆け寄り、咥え、彼の足元に持っていきたい衝動にどうしてか、駆られ、身体を動かしかけ、止めた。考える程頭の中が熱くなり、おかしいとわかりながら、おかしくなった。
そして、川名に視線を戻した。黒革の剥がれた彼の生白い手が、光の中で妙に艶めかしいのだった。
霧野の唇が、微かに開いて、舌先が下唇を舐めていた。ようやく露出した裸の指を、乳を吸うように優しく吸い上げたいと舌先が、欲していた。霧野の身体は、いつも、何かを常に欲して焦っていた。霧野の理性の頭は、常に欲することを拒んだ。矛盾が、欲望を炙るように嬲る。
川名はようやく霧野の視線に気が付いたかのように、緩慢に霧野の方を見下して、何か期待した濡れた目つきの霧野をはっきりと認めてから、霧野に冷たく言い放った。
「そこはな、お前のために、ひとつ空けてもらった場所だ。しばらくそこにいるといい。お前は動物だから、ずっと地下室にいるより、たまには、こんな場所の方がすごしやすいに違いない。」
霧野は、言葉で、『今すぐにでもリードをつけられ引っ張られ、下半身に抱擁、頼まれなくても、今なら、帰るために、奉仕したっていい』と言ってしまえば、楽なのに、それが言えない。言ってはいけないのか、言えないのか、言いたくないのか、全てなのか、境い目は曖昧になって、霧野の口の中を余計にもつれさせて、代わりに獣の唸り声を上げさせた。
『どうして?何か悪いことをしましたか?』と仔犬のような調子と自分も現れたが、言えない。霧野を見下げている川名の瞳の奥に愉し気な雰囲気が一瞬踊ったのを見て、霧野は、この人は今、俺の頭の中の、何もかも分かった上で、そのような非道を言うのだと、察すると共に、自分の思考に絶望を覚え、頭を冷やすためにも、彼に潔く従うのが良いと決めた。それから、霧野は、つまり、ここに居る間に起こるだろうことをいやに事務的に想像した。
(この場所を一つ分借りるってこと、生かされ、飼育されるってことは、その分の賃料が発生するということで、それは俺がこの身で支払うのだ。そういうことだろう、主。)
霧野は、軽く理性を取り戻した瞳で川名を眺めた。彼は、「きっと、お前が今考えていることは、大体その通りだ。」と言って軽く微笑むのだった。何が起こるのかは、敢えて言わない。
「もちろんお前は、俺の期待に応えるような働きをするに違いない。それが以前と変わらぬ、俺がお前に与える、お前の仕事だから。」
彼は、それきり霧野の方を振り返りもせずにさっさと、畜舎から姿を消し、代わりに別の、もしかすると昨日と同じ人間達が現われて、川名から授けられた首輪に無遠慮に触り、あれだけ川名に繋がれることを焦がれたリングに、赤の他人が、簡単に鎖を通すのだった。異常な不快に、暴れ出しそうになるのを耐えた。
その異常な不快が、霧野の内面を益々、不快にさせ、冷静にした。川名にされていることと、そう思えば、気がまぎれることも、ますます、理性をばらばらと、搔き乱して、不快にさせるのに、川名のことを必死に考えていないと、頭がおかしくなりそうだった。死にたい。しかし、死ねない。借りの住処に、粗雑に家畜のように繋がれて、人間達が去ると同時に、身体から緊張が、みるみる力が、抜けていく。我慢していたものが、溢れ、出ていったた。そして、また、凄まじい眠気。足音が近づいて来るのにも、気が付かない程の、倦怠。
霧野の繋がれた姿を川名が、帰り際に見に戻った。
「見るにも耐えられない薄汚い姿だな。後で誰かに洗ってもらえ、獣よ。」
霧野は夢半ばに薄眼を開いて、ぼんやりと光の中のおぼろげな影を見ていた。
また、意識は溶けていく。
そこでの大体の日課は同じであった。繰り返される。規則正しいから、時計が無くても、なんとなくひとつひとつの行為の行われるタイミングと太陽の位置で、時間間隔がつかめて、確かに地下での監禁よりもずっと健康的であった。行事は給餌であったり、清掃であったり、洗浄であったり、移動であったり、奉仕活動であったり、搾乳(搾精)であったり、睡眠であったり、これが規則正しく続く。
もし、刑務所に入れば、同じように時間感覚を身に着けるのかもしれなかった。最初こそ戸惑い、家畜同然の扱いや、事務的に、全くの無意味、余興に搾乳機で機械で搾精されるなど、初めてのことに苛立ち、恐怖、反抗もあったが、結局のところ大体は、同じことの繰り返し、慣れるに従い、なるべく反抗をすることを止めていた。ここで起きるすべてのことが、去っていった彼の元に情報として行くことは確かであったからだ。もし、彼の気をそぎ、それで一生ここに置き留められたとして、誰が気が付くだろう。誰が解放するだろう。終わりは見えている。しかし、罪、罪への禊、そこに終わりはあるのだろうか。
身を任せることで。全てのことが直ぐに済んだし、自分を動物と思いこむことが、知らない人間達の前で獣性を解放させることが、環境のせいで、やりやすいのだった。最初こそ、揶揄多少の言葉責めこそあれど、普段されることに比べれば、気持ちのいいくらいであった。時折、罪を考える。
彼らが、今のように人間を家畜のように預かり時に売り飛ばすことは、今に始まったことではないだろう。そういう仕事がこの世にはあることを、今の霧野はすぐに受け入れることができた。戻れた暁には、ここも明るみにしてやれば、いいのだ。
「戻る」とは、一体どこの何を指し示すのか。霧野の頭の中は、混線していた。川名の元へ戻りたい自分、澤野に戻りたい自分、木崎や神崎の元に顔を見せたい自分、霧野に戻りたい自分、警察に戻りたい自分、消したい自分、健常で健全な女に欲情する肉体を持った自分、分裂した事故が次々に現れて入れ替わる。その煩雑さを。獣性が、乱暴な雄の性交が掻き消してくれることもあった。そう。仕事、仕事、これも仕事。今のうちに澱をたっぷりと、貯めておけ!いつか殺すから!殺す、一体誰を殺すというのか、最早それは一人に限られない、霧野の中には複数の像が浮かんでは消えていく。
ここでのことは、こちらの顔や事情をよく知っていて、いつも好きなタイミングで急に現れる、同じ組のひねくれた連中の相手をしているよりも、時間も配分も決まっている分随分シンプルで、気が楽だった。もし万が一ここの連中が、この肉體を気に入って、組の元に返さぬ為に、嘘の報告を彼の元にしたとしても、きっと彼ならすぐに見抜くだろうし、ここの連中も彼との契約が大事なものとわかっている。そこまでの馬鹿でもないだろう。規則正しい暮らしは、霧野の基礎体力は回復させながら、頭の中の非人間的な精神と性感を熟成させていった。
日に日に、川名の置いていった、ピカピカで良い香りのした革手袋が薄汚れていった。川名は何も言わず手袋をゴミのごとく、ここに捨てていったが、ここに捨てる必然性は全くなかった。改めて別の場所に捨てても良かったのだ。それを敢えてここに置いていった。
霧野はそれを、畜舎の隅の、藁の奥に隠して、決して他の人間にバレないようにしていた。そして、誰も来ない深い夜の時間や朝早くにだけ、自分でそれに触れることを許していた。
……。
幾周目か、規則的に進む日々の中で、今まで無かった事が起きて飛び起きた。洗浄の時間ではないのに、寝ている身体に上から水を乱暴に被せられたのだ。霧野は夢の中で溺れかけ、咳き込み目を覚まし、顔を拭いながら、水の出所を睨み上げた。最近、当たり前になり、聞こえなくなっていた、全身から、革や鎖の軋み鳴る音がはっきり聞こえた。霧野の首には首輪、手首足首に革枷と共に鎖が伸びてそれぞれ柵に繋ぎ留められていた。行為やそのた行事や罰の時は別として、それは普段は緩められて、柵から出れはしないが、柵の中で楽な姿勢をとったり、適度に動き回れる程の余裕はあった。イレギュラーな出来事に寝起きで突如として、ビンタされたように、理性が思いのほかはっきりと霧野の元に戻ってきたのだった。視線が水の出所に到着する前に、先に、匂いで、そこに立って居るのが誰なのかわかった。霧野は咄嗟に顔を伏せ、隠れられるところがあるならば、隠れたいと身を震わせた。
「思いのほか元気そうで残念だぜ。」
聞き知った調子で、声をかけられ、消失しかけていた急な恥ずかしさが霧野の全身を駆け巡っていくのだった。久しく人語を話していなかったこともあり、咄嗟に声が出ない。再び勢いよく水が、伏せられた霧野の頭、項を濡らした。聞きなれた美里のささやかな笑い声が、身体を擽ぐるのだった。顔を見たいが、見れない。
惨めな姿など散々見られてきたというのに、まだ、彼の前で、以前のような羞恥が湧きたってたまらないのだ。夢ではなく、ひとつの現実が迫ってくる感じがする。それは本来、良いことのはずだった。美里は水の出続けるホースを下に向け、蛇口を締め、戻ってきた。彼のジャワ更紗のシャツの袖口はめくりあげられて、生腕が瑞瑞しく濡れていた。
「さっきまで、気っ持ちよさそうにいびきかいて、すやすや寝てたくせに。今更恥ずかしいのかよ、霧野。こっちは不眠、お前のせいのクソ激務、眠い中、車ぶっ飛ばしてこんな辺鄙なとこにある糞汚ぇ山小屋までわざわざ来てやったのに、すやすやな気持ちよさそうなお前を見て拍子抜け、もう、即、帰ってやろうかと思ったくらいさ。俺はさっきからここに立って、お前が自ら俺の気配を感じ、起きてくるんじゃないかってちょっと期待してしばらく待ってたのに、まったく。」
彼の足元には、煙草の吸殻が4つ落ちており、見事に全てぺしゃんこに踏みつぶされていた。
「その間暇だからな、お前の身体は見たよ。よくよくな。新しい傷ができたところも、治りかけているところも、また、その万年お飾りチンポにお仕置きピアスを増やされてることも、全部。俺の付けてやったのは安定してお前を痛めつけ続けているか?口マンコの中を見せてみろ。」
彼が勢いよくしゃがみ込んだ拍子に、甘く、匂った。霧野は身体を起こしはしたものの、その場に座ったまま自分の髪や顔から滴る雫を眺め、その向こう側にいる人物の腰から下の辺りを眺め続けていた。
「おい、聞こえてんのか?鼓膜は無事か?耳を潰したなんて聞いてねぇけどな。」
胸倉を掴み上げるような乱暴な調子で手が伸びてきて、美里は霧野の首輪と首の間に指を三本引っ掻け、顔をあげさせるのだった。今度はしっかりと目が合った。その瞬間、霧野はこの世から消えたいと同時に、安心感と、羞恥と、言葉にならない感情で目の奥を濡らしかけた。黒目が、居心地悪そうに、美里の目線からはずれていこうとする。すると指が無理やり、四本に増やされ引っ張りあげられ、首と首輪の隙間がもうほとんど無くなり、霧野は再び無理やりに、目を合わせた。苦しさも相まってどうしても睨み上げるような形になってしまう。
美里の猫目の下には薄っすらとクマがあるが、それが赤みと混ざり合い、少しやつれた顔が、余計に彼の顔に退廃的な美しさを足して、小さな唇が苛々とした調子で引き締まったと思うと、傷のひきつるようにして開いた。左側の口角が不自然にあがって、顔を歪めるのだが、その非対称性は彼の美しさを少しも損なわないばかりか、霧野の乱れた心を何故か少しだけ安定させる効果を持っていた。それにより、霧野は顔に、見ようによっては人を馬鹿にするような微笑を讃えていた。それが美里を更にイラつかせ、彼は目を見開いた。虹彩が緑色に輝いて美しいなと思う余裕が、唖のようになった霧野の中にはあった。
「おい、てめぇ!まだ寝惚けてんのか?!俺が!お前に!口の中はどうなってるのかと聞いてるだろ!」
霧野の唇は震えながら、薄っすらと開いたが、まだどうしてか、素直に、舌がうまく出て行かないのだ。「はぁ~あ」と美里の喉の奥からわざとらしいだみ声、呆れたようにため息が溢れ出ていった。煙草と香の香りが、甘く鼻先で匂った。それが、霧野の鼻腔の奥を擽り、もどかしい少し愉快な気分にさせる。
(こいつは、忙しい中わざわざ来てやったといいながら、すっかりめかしこんで来て。こんな場所に。馬鹿じゃねぇのか。)
霧野の内面の笑と反対に、美里の目の奥にゆっくりと倦怠が混じり現われた。美里の指はゆっくりと霧野の首から離れていったが、その部分はいつまでも熱を持って、霧野はまだ首を絞められているような気分でいた。
美里は緩慢に立ち上がった。おかげで霧野は彼の顔は見なくて済むようになったが、突如、目の前に徐に見慣れた桃色の性器が露出し、今までの甘い香りとは違う、雄の濃厚の臭いが漂って、霧野の脳を犯した。頑なに、舌を出さず、薄っすらとだけ開いてたはずの唇が、無意識の内に、はぁはぁと息を荒げながら、勝手に広がり濡れ始めていた。美里がそれを見ているのを、感じた。そうすると、彼の香りが、身体の中で芳醇となり、増し、いつか彼に身体の中に埋め込まれた何かの種子がまたむくむくと思い出したように芽吹きだす。
美里の手が霧野の頭を乱暴に掴み上げ、股間に押し当てた。
「こうしなきゃ目が覚めないように教えたのは、俺だったな。」
彼は、自らの性器を霧野の顔面にこすり付け、先端の部分をくちくちと霧野の開き、濡れた唇のあたりにリップクリームでも塗るような仕草で押し付け、先端を軽く、咥えさせるのだった。後頭部に手が回るが、掴み上げた時とは反対に、美里の手は撫でるような優しい仕草で霧野の頭に添えられ霧野が自らの意思で頭を動かし咥えこもうとしなければ、美里の甘い雄は霧野の口の中の点検をすることができないようになっていた。
「ほら、お前の具合を教えてくれよ。ああ……凄い熱いよ。」
美里は、さっきまでのヤクザまがいの調子から打って変わって、己の興奮を隠しきれないような濡れた声色を出すのだった。それが霧野の頭の中の雄の部分を不自然に刺激し、ちゅうと唇が美里の雄に吸い付くのだった。
「……、……んん」
美里の芳醇な香りと反対に、霧野の獣臭い息が、口から鼻から漏れ出て、美里の薄っすらとした陰毛を擽った。頭は少しずつ前進して股座に、その内、美里の雄も呼応するように紅く膨れて、霧野の口内を硬い肉が音を手て手、擦り始めるのだった。コリコリとピアスの当たる感触が、美里の雄の窪みや、霧野の舌を通じて、入りまじり、舌を通じてすぐ近くの器官である、脳、頭の奥によく刺激された。霧野の身体が時折艶めかしく揺れたが、それはここの男達と情交するのと違い、官能的な揺れで会った。あてつけるように、美里の男根が、霧野のピアスを弄った。
「お前のここのクリトリスの調子も朝から元気なようで安心した。」
彼はそう言って、熱っぽい声を隠しもせずに出した。美里に施されたピアスをクリトリス呼びされたことが、霧野の本当の、下半身の雄の飾りクリトリスのほうも被虐的に刺激して、勃起させた。舌の上でコリコリと転がされる度に痛みが快楽とまじりあって、ここがどこなのかさえ、忘れさせるようだった。霧野は身体の中にもっと美里の匂いが欲しいと感じていることに気が付いた。足りないとさえ思った。霧野が自分が、飲尿を望んでいるのではないかという結論に達する直前、美里の霧野を撫でていた手が止まり、口の中での動きがとまり、体臭が明らかに代わって、霧野はこの時になってようやく、美里を見上げた。見なくても、さっきまで霧野ただ一人にだけ注がれていたであろう視線が、畜舎の外の方を向いており、霧野も美里の視線の先を見ようとしたが、代わりに頭を思い切り最初のように雑に掴まれ、奥を突き上げられ、うめき声をあげた。自動的に喉が左右に開閉し、絡めとるようにひきつって、美里の真っ赤な雄の先を締め上げようとうする。美里は「う゛!!!」と雄臭い低い声を出し、手を緩め、霧野にだけ聞こえる程度に軽い深呼吸をして、誰かに向かって、口を開いた。
「ああ、すみません、私が先ほど連絡した代理の者です。」
美里は冷淡な様子で、畜舎の向こう側に声をかけ、さらにぐいぐいと霧野の頭を物のように乱暴に扱い、そのまま器用な調子で片手でポケットから煙草を取り出し、もくもくと、ふかし始めた。向こう側から、いつもの男達の声が聞こえてきたが、どうやら美里とも顔見知りのようで、霧野を抜きにして、淡々と会話が進んでいく。
「どう考えても、先に挨拶すべきでしたね。申し訳ない。」
「いえ、お気になさらず。こちらこそ気を使えず。鍵束はその奥の10番のところです。」
「ありがとう。帰る時には、オーナーに挨拶して帰らせてもらいますから。」
男達の気配が無くなっても、美里は煙草をふかしながら、強く強く霧野の頭を自分の股座に押し付け続け、その間たまに小さく低くうめき声を上げ、三分の二程吸い終えた煙草を霧野の鎖骨の辺りの、歯型の痕の上に執拗なほどに押し付けて、消した。家畜の霧野の皮膚を口に含むような生物は、1人くらいしか、美里には思いつかなかった。霧野の痛みにこらえる小さな太い呻き声が、美里の雄を心地よく刺激して、高まりが、緩やかな射精に導いた。
美里は一物を霧野から引き抜き、しまいながら、ことを終えて伏し目がちにしている霧野を見下ろし、まだ阿保のように軽く開いたままになって白く濡らした口の中に、手に持っていたゴミ、吸い殻をさしいれ、上から手で口と鼻を塞いだ。視線が勢いよく挑戦的に上がってきて、喉が動くのを見た。そのまま、しばらく呼吸器官を押さえつけていると、赤かった顔がさらに苦し気に赤くなり、掌の下で彼の口が、ぬらぬらと美里の掌の中で蠢いて尖った舌の先端が、必死に唇の隙間から現れ、小鳥のついばむような調子で、美里の掌を媚びるように舐めるのだった。
「……、……、」
美里は、手を離した。霧野は軽くせき込みながら、呼吸の調子を整えて、煙草の押し付けられた位置に触れ、確認していた。美里は、また自分の中に止まらない欲情が沸き上がりかけたのを認めた。そして、まだ締めていなかった細身のベルトを腰から勢いよく引き抜いた。
「叩いてやろうか?」
霧野の視線が再び、美里の穂に戻ってきた。美里は、霧野を挑戦的な口調で口説き、ベルトを両手で引き延ばすようにして、撫でてみせた。程よく使い込まれた牛革の黒いベルトだった。
「なに……、」
霧野は目の下を赤くして細めた。口元はさっきと打って変わりしっかり引き締まって、怒っているのか喜んでいるのか一目では、わからない。
「ようやく言語での意思の疎通がとれたな、霧野。舌の加工もされちまったんじゃないかと思って少し焦ってたところだぜ。まだ大丈夫みたいだな。どっちにせよ、こんなとこにいれられてたなら、どうせ久々に発話したに違いねぇだろう。まあ、多少の舌のもつれは許してやるよ。さ、どうする。」
霧野はバツの悪そうな顔をして、美里を見上げていた。美里はゆっくりはっきりした口調でもう一度「叩いてやろうか?」と霧野を見下ろしながら言った。そして、「必要ない?」と軽く首をかしげて意地の悪い笑みを浮かべ、光沢のあるベルトを手元で弄んでみせた。
霧野は、自分がどうしてか、即座にはっきりと拒絶しないことに戸惑いつつも、もちろん、はい、とも言いたくなく、霧野自身が一番嫌いな、「はっきりしない態度」を彼の前でとってしまうことに、苛立ち、「いい」と聞こえるか聞こえないか位の小さな声で言った。また美里というよりも自分に腹が立つ。罪。
美里は「は?なに?」と頭を霧野の方に傾けた。首をかしいだ拍子にふわり、と、髪から柑橘の香りが漂ったのが、霧野の判断をまた鈍らせるのだ。
「いいって……」
霧野は、どうにかなりそうなところを、必死にそう言いつくろって、美里から逃げるように目を逸らした。美里はしばらく黙っていたが、代わりに、霧野のすぐ近くで、革ベルトのみしみしいう音が聞え始めた。霧野は自分の身体の表面が鳥肌立ち始め、下半身の奥の方が、みしみし、ベルトの立てる音と同じように、ぎりぎりと、音を立てているような感覚を覚え、全身の筋肉の緊張を感じた。
霧野は、また、ふらついていた視線を、探るように、美里の華奢な身体、そしてこちらを屈みこんで見ているらしい、顔の方に向けた。彼はベルトを握る手に、ぎりぎりと力を込めて、引き延ばしていたが、顔は普段の無表情そのものだった。霧野を見下ろし、部屋の中に害虫でも発見したかのような様子で、軽く眉をひそめていた。
さっきの生き生きとした表情に増して、美しかった。どこか、「彼」にも似ていた。
「う……」
見なければよかったと思った。霧野は、自分が一体何を言おうとしているのか、よくわからなかった。美里の目の中に一体自分がどう映っているか、考えたくなかった。
「打って……いい……」
声が震えていたし、身体も震えていた。確かに霧野は自分の口からその声が出て言っていることを自覚したが、頭の中が真っ白になっていた。一体何を言ってるんだろう、と俯瞰する自分が居た。
美里は屈んでいた身体を、猫の伸びを出もするように、起こしながら、両手で引っ張っていた革ベルトを右手に丸めて持ち、その腕を何度か降るようにして、黙ったまま、霧野の背後を乱暴に指ししめした。
打つから背を向けろという意味と理解した。その通りに彼に背を向け四つん這いになると、何の掛け声も、何の準備、合図もなく、勢い背中の辺りに鋭い痛み、音が弾けた。川名が特注するような本格的な鞭に比べて純粋な物理的な痛みは弱いはずなのにそれはよく効いた。彼の身に通されていたものが、懲罰具となって、身体を苛む。
「ぐ…!!」
続けて、何か言う間もなく、今度は尻を下から突き上げるように二度三度と弾かれ、何か背後で振りかぶる様な音がしたかと思うと、股間に、革靴の表面を思い切りぶつけられ、悲鳴を上げた。蹴り上げられたまでとはいかないが、言葉にならない叫びをあげ、霧野は四つん這いの姿勢を保てず、その場に崩れるようにして蹲った。
霧野の蹲った身体の上に、最初の一発目のベルトを当てた位置にの上に、美里は小さな尻を乗せ、馬にでも跨るようにして座り込み、霧野の頭を掴んで自分の方に向かせ、顔を近づけるのだった。無表情であることに変わりないが、嗜虐の悦が彼の暗い目の奥に踊っているように、霧野には思えてならないのだった。妄想なのかもしれない。
それから、霧野自身、自分が今どのような表情で彼を眺めているのか、彼の目に映るのを見てしまうのが厭で、視線を彼の背後の辺りに漂わせ、息をついた。霧野の口内からは美里の放った精臭が零れ、「くさいなぁ…‥」と美里は独り言のように小さくぼやいてから、続けた。
「お前さっき、なんて言った?」
「ぁ…?」
頭が、がくんと揺れた。次の瞬間には霧野の頭は美里の手によって、地面にぐりぐりと押し付けられた。視線の先、すぐ近くの土の上に霧野の尿をした痕跡が残っているのが見えた。余裕のない霧野はつい、息をのんでしまった。美里も霧野の様子から染みのことに気が付いたらしく、一度霧野の上から軽く腰を上げると、霧野の首根をつかみ、頭を霧野の排せつ物で穢れた土に押し付けるようにして、再び、霧野の肉体の上に、さっきおり勢いよく、飛び込むようにして座ったのだった。汚らしい声が出た。
「くさいだけじゃなくて、大層気味の悪い、醜い声で啼くんだな。気持ち悪い。その啼くのを止めろよ。」
彼に、何度か上で繰り返し跳ねるようにして、座りなおされ、内臓がねじれ、しかし、声を出すと終わらないので、いちいち呼吸ができなくなる。頭が回らなくなってくる。美里はようやくいい位置をみつけたというように、
「口を開けろ。」
言われなくても既に軽く開いていた霧野の口の中に、徐に穢れた土が押し込まれ、食わされた。むせかえりそうになると口を上から押さえつけられ、美里の白い手が次々浮上の土をすくい、口に詰めてくる。窒息しかけ、霧野の視線は苦し気に、せわしなく動きまわって、苦しさに涙を流した。美里は尻の下で霧野の肉体の大きな筋のうねり、対してか弱い内臓のうねりを感じながら、しばらくして、土を入れる手を止めた。
げぇげぇと吐き出せされる、尿を含んだ土は、体液と混じり泥となり、さっき美里の食べさせた吸い殻が逆流して泥に混じって吐き出されていた。
「おい、何出してんだよぉ。せっかく俺がやった餌を出すな。まさか俺の唾液が汚いとでもいいてぇのか?あ?」
美里はそれを摘まみ上げ、咳き込んだ隙に、霧野の喉の奥に押し込んで再び飲み込ませ、顔を覗き込んだ。ただでさえ家畜小屋で飼われていたせいで薄汚く穢れていた、霧野の、本来家畜小屋などに一切似合わない支配者然とした端正な顔が、体液と泥まみれになって更に無様に汚らしくなったのを見て、美里は小さく笑い声をあげかけた。またゆっくりと表情を元に戻したが、あまりの愉快に、声の中に笑いが混ざってしまうのだった。
「本当にどうしようもないなお前は。」
返事の代わりに嘔吐の声が返ってきて、美里の尻の下で、無様な肉椅子が身体を曲げ、苦し気に痙攣していた。美里は霧野の顔を覗き込んでいた頭を上げ、横目で苦し気な霧野の下半身をちらとみて、もう一度笑いかけた。
そして、「なんでこうなったかわかるか?」と聞いた。肉椅子が呻きながら、「、る……」と言ってまた泥を吐いていた。美里は手を振り上げて思い切り肉椅子の尻を叩いた。家畜小屋の中に、高い声がいななき、上がった。
「あ゛…はぁ…っ、わかる……っ、わかる、わかった、!!ぁ、」
美里がさらに尻に数発平手を与えると、霧野は高い声でまた啼き、二度三度するうちに、それはまた堪え声に代わり、大人しくなった。それで小さい声で、わかったわかった、と繰り返す。
「何?一体何が分かったんだよ?相対性理論か?ヘウレーカ!ってか?アルキメデスの物まねかな。ははは、相変わらず、びっっっ……くり、するほどつまんねぇなお前の冗談、道化はよ!そこだけは変わんねぇんだから一周まわって、お笑い種だぜ!お前なら相対性理論の一つや二つ知ってるかもしれないが、そんな話はしてないし、興味ねぇんだよ。」
美里はおもむろに霧野の尻の打った場所を鷲掴み、親指を霧野の淫孔の中に突っ込んで折り曲げた。「ぉっ……」と小さな歓喜の喘ぎが、泥の向こう側から、臭い匂いと共に上がったのと、それから、指が、まるで遊びつくされてどろどろになったスライムに指を突っ込んだ時のように、簡単に入る。程ゆるく溶けて、熱くなっているのに美里は苦笑した。そのまま指をぐりぐりとかきまわしていると、さっきから、一切萎える様子を見せない霧野の、銀飾りで飾りたてられたクリトリスが、親指の、ぐりぐりにあわせて、びくびくと生きの良い、鰻のように蠢くのだった。ん゛ふぅ‥……う゛ぅぅ‥……と食いしばっているらしい霧野の歯の隙間から、声が漏れ出ていた。
「別に今、相対性理論について俺に語り、わかるまでじっくり、教えてくれてもいいけど、それってどのくらい時間がかかるんだ?俺の理解力がお前に劣るのはお前も知っているよな?そうだな、お前が教えてくれている間、ずっとこうしていよっか?それがいいか?」
美里の下で霧野が必死に汚れた頭を左右に振って、その度にまた顔が汚れる。美里が手を止めると霧野はぐったりとして、喘ぐように呼吸し、思い出し噛みしめるように「打っていい…と言った…いい、ました」と苦し気に言い、身体から力を抜き、探るように美里を見上げ、悔しげな顔をして見上げたていた。
それから、美里は何故か、霧野の唇のあたりから目を離せなくなった。
「そうだな。それについて、お前はどう思う?」
「……、……」
霧野は二度三度とゆっくりまばたきをしたまま、何も言わず、黙ってしまう。
「何故俺がお前のその口に土を詰めたかわかるか?あまりにもどうしようもなさすぎて、驚きのあまり、頭の悪い俺には、もうそれ以外、まったくそこの使用用途が思いつかなくなったからだよ……。お前の汚らしい器官を、その通り、汚らしくしてやるべきだろうと思ったのさ。……『打っていい?』だって?お前が、俺に、命令していい立場か?あ?お前は一体俺を何だと思ってんだ?」
美里は霧野の頬を軽くつねるようにして、自分の方に向けさせた。霧野は、何も言わないまま小さく頭を左右に振った。
「察してると思うが、俺は川名さんの代わりにお前を迎えに来てやったんだぜ。でも別に置いてったって一向に構わないんだ。あと一、二年くらいここで暮らすことにするか?俺がそう頼み込んでやろうか。金を払ってやったっていい。その位の端金はある。俺が頼み込めば、たぶんその通りになるだろう。皆、お前のことなんか忘れるぞ。ようやく死んでくれたと思うだろうな。」
「……悪かっ、た、そんなつもりじゃ、」
「まあ、そうだろ。お前の俺に対する生意気は今に始まった話でもないからな。」
「……。」
美里は霧野の上から立ち上がり、鍵束をもって戻ってくることにした。久々に何かに心が満たされた気になって、手を緩めてしまうのは、川名や二条に言わせれば甘いだろうか。しかし、川名や二条のやりかたを物差しにして、世の中の物事を測り続けていては、自分はさらに浮世離れしていくに違いない。美里の無意識の内に、彼らの他に実父のことがあったが、意識の上には昇ってこなかった。
それから、霧野の身体について、川名に一言二言、言いたいことがあった。折檻痕が増えるのは仕方がない、霧野が悪い。それから新たな従属の証、愉しみのための飾りとして、ピアスや墨の一つや二つくらいと思っていたが、問題は焼印の痕だった。焼印を見た時、流石にやりすぎかと思えたが、しかし、家畜として、何か識別子を焼印されることくらい仕方ない、と、目をつむれるが、一番の問題はその形状にあった。
己の飾紋、印章を彼に焼きつけるとは、どういうことなのかと。組の印章と川名個人の印章は似ているがよく見れば、細部が異なり、飾り文字も入っている。わざわざ霧野の肉体に己の個人の痕をつけるためだけに、焼印を作成、肉に捺し、焼き刻んだのだ、あの男は。
緩く見れば、あの刻印は、組の紋と同じと考えればいい。つまりあの身体は、魂は、我々の、組織の畜、所有物ということ、その証だ。二条やその他大勢なんかはそう解釈し、悦ぶに違いない。特に二条は別の場所をもっと焼淫紋で飾ろうと、言い出すかもしれないし、新たな折檻法として流行るかもしれない。しかし、どうもあの印には、組の紋であると同時に川名個人の所有の物という特別な意味が込められている。美里にはそう思えた。
……ああ、しかし、きっと良い声で、啼いたことだろうなぁ。さぞ熱かっただろう。悶えたろう。股間に再び疼気持ち上がるものがある。何故その場におれなかったか、そう、そこにも川名が個人的に彼を従属させたいという意思があったに違いない。美里は無意識に歯を食いしばって口の奥で、ゴリゴリと音を立てていた。川名に対して、無自覚的に、以前に増して、甘えを越えた、反発的な気持ちを持ち始めているのだった。
美里は今いる世界により馴染みたいか、もし逃げ出す場所があるのならば逃げ出したいのか、測りかねていた。学もなく経験もなく、他に生きていく場所、手段など無いに等しいのだから、それが愉しい、もっとも適切な生き方。そしてその素養が、自分には十分にあることも自覚する。普通にしていて、人を傷つけなかったことが、傷つけられなかったことが、あるか。他の連中と比べて、カタギと上手くやれるのも、自分がある程度の底を見てきたから、優しく、理解してやれるだけで、表面上のことだけだ。本当の交友を求めてうまく行ったことが、ただの一度でもあったか。満たされてきていた気持ちが潮の引くように萎えていくのを感じた。そもそも、そんなものあるのだろうか。
霧野の首、双方の足首から伸びたチェーンが柵に繋ぎとられているのを一つずつ解錠し、柵から解放していく。開放するたび、彼の汗ばんだ身体から、緊張が解けていくのが分かった。
(お前はどう思う?)
美里は今になって、霧野、澤野にそう聞きたかった。彼らが「足を洗うべき」と言うだろうと予想するのは容易だったし、こうなった霧野から、彼と神崎の企み、謀半分に、諭されたのも最近のことだ。しかし、聞きたいのは、現実問題その可能不可能性、可能としてその先のことや、もっと深い、精神のこと、それから、霧野自身のことについてだった。
「立てるか?二足でじゃないぞ、四足でだ。」
霧野は土にまみれた身を起こした。霧野の身に着けている物と言えば、首輪、手首足首それぞれに革の錠が嵌められていたので、美里はポケットにいれて持ってきていた革リードを出して、首輪の辺りを探った。すっかり汚れて、元々の施されていた首輪に施されていた革細工も彫金も穢れて台無しだった。
美里にリードをし直されている間、霧野の視線が一瞬不自然な方向、藁束の方に向いて、誤魔化すように土の上に戻ってくるのを、美里は見逃さなかった。美里は。霧野の屈服の様子、その惨めさ、今の汚らしい獣じみた様子を見ている内、さっきまでの杞憂から、再び元気を取り戻した。
神崎と霧野を重ね合わせると、自分だけが知らない、警察官としての霧野が想像の中に浮かぶ。神崎の話を聞けば、その素養は澤野と大きく変わらない、一人前面した警官の、ヤクザ物とは違う意味で、あの極度に権力的で威圧的な制服は彼の若さ、精悍さ、身丈に、それはよく似あったことだろう。その姿で、尊大な彼のことだ、警棒やら手錠やら拳銃やらをおそらく喜んで腰元にぶら下げ特権的な気分で街を闊歩していたに違いない。そんな霧野の姿を頭の内に描いてから、それが今や、我々への、捕まえるべきはず対象への屈従を示すため輪や飾りを身に着けることしか許されない、寧ろ裸よりもっと惨めで悲壮でいて、しかも、男に性的に尽せるよう開発され、以前に増し淫靡でさえある霧野の姿を見てみれば、それもまた、一興であった。美里はにやにやと笑いながら、藁束の方を指さした。
「なんだ。あそこに何かあるのか?何を隠してるんだ。」
「……」
霧野は何も言わなかったが、目で、そうです、と語っていた。
「あるんだな。持ってこいよ。」
美里は屈みこんだまま、霧野の四つん這いの尻の辺りを膝で軽くこずいた。霧野は、最初こそ躊躇うような動作を見せたが、素直に藁束の方へ這い進んで、中に手を突っ込んで探り、そこから何か酷く汚れた黒い塊を引っ掻きだした。そしてそれを、手に掴むでなく、頭を下げて口に咥えたのだった。美里は彼のその仕草に、一瞬ぎょっとしたというか、動揺しかけ思わず顔を覆ったが、自分が、彼を躾する際にもよく物を咥えさせ、覚えさせてきたことを思い出し、霧野がこちらを振り向く前に、顔を拭って可能な限り、動揺を掻き消した。
霧野が咥え持ってきた異物を、美里はとても触る気にはなれなかった。屈みこみ、よくみればそれは何かの脂ぎったすり切れた黒い革であり、酷い異臭、それも腐った精液のようなただならない不潔の臭いがし、とても、少なくとも人間が、口に含んで良い物体と思えなかった。土と比較しても余程最悪だった。美里が目の前に見ていて匂うのだから、呼吸するたび霧野こそ、それはそれは脳の奥の痺れるほど匂うだろう。あり得ない。
既視感がある。美里は霧野がいつか二条の下着をふくまさせられて口を閉ざされ、放置させられて嘔吐づいていたことを思いだす。しかし、それとは、別の既視感だ。美里はそれを凝視し眉を顰め、何度かまばたきする中で、瞼の裏に、川名の姿が浮かび上がってくる感じを覚えた。
こんな不浄な穢れた塊と川名を交互に思い浮かべること自体失礼、あり得ないことのはずなのだ。美里が距離を保ったまま凝視していると、霧野は全く悪意などない様子で、その臭いゴミを、とろんとした瞳で、美里に渡すような仕草をみせた。美里はとっさに立ち上がり、「寄るんじゃねぇ!そのままにしてろ!馬鹿!」と叫んだのだった。
霧野の目つきに正気が戻るが、結局それを口から自ら離す様子もない。土を口の中に入れた時、余程強く拒絶したというのに、一体どういうことだろうか。奇麗好きの霧野にだからこそ効果のある罰だったはずなのに。矛盾する。
自分が命じた上で犬が咥えて持ってきた物を、捨てろ、と命ずることも今の美里にはしがたく、美里は腑に落ちないモノを感じながら、リードを引いて霧野を、彼の場所から出してやった。リードを手に、歩を進めた。以前教えた時のようにつかずはなれずの位置を、彼がリードをたわませながら後をついてくる気配を、背後に感じながら。
霧野は、自身が一警官として、配給される特権的な道具の手入れを、一度として怠ったことは無かった。己の腰元の革ケースの中に仕舞われる黒く光沢のある手錠は常に磨かれぬかれていたが、同期の者と比べても、黒の塗装がところどころ剥げ細かい傷に覆われていた。その錠の傷みは、誇りであり、使い込まれた証であった。抵抗できぬよう絡めとった肉体を、膝の下に組み敷いて、霧野はよく、陶然とした。獲物を追うことで、頭の中の獣暴れるような炎が、鎮火されていくのと反対に、今度は自分の下に組み敷いた體を、感じ始める。舌をじりじりと噛み、冷静さを取り戻し、それから、霧野は獲物の上で方で呼吸しながら天を仰いで、太陽に向かって半ば口を開けた。
神崎にゲイのサディストと冗談交じりの揶揄を受けた時、反射的に強く否定したが、時折、このまま背面から、その犯罪者の心臓の止まるまで、膝で強く押さえつけて、圧死、踏み殺してやろうと無邪気な衝動に駆られることが、まま、ある。しかし、実行には至らない。理性が強く働き、すぐ、諦念が訪れる。こんな興味もない相手に一度限りの行使をしたらもったいないと理性が働く。同時に、己のことをどうかしている、と、冷静に思って、その哀れな犠牲者の腕をとって、立ちあがるのだった。その頃には殆ど素面になって、事務的な口調を取り戻す。
地下から這い上がりながら、霧野の頭の中は、未だ陶然としていた。口内に残る彼の革靴の舌触りと香りの残滓を確かめるように、濡れた口蓋の奥の方で舌が器用に蠢いて音を立てた。味わうように、舌先を噛み、彼の向こう側の。階段の向こう側の太陽の眩しさに目を細め、息をついた。心地よく重くなった頭には、二度寝を許された時の微睡に近いような甘い倦怠感が続く。
現れた光の中、全身を黒く煌びやかに統一された男のシルエットが伸びて、光の中で、さっきまで闇に浸されていた霧野の脳の神経はさらにじりじりと灼かれていった。一息ごと、獣のごとく這って川名の後を追う、一足一足の度、股座に大きな波が訪れ、鐘を鳴らした後のように震えるのが不思議であった。川名は霧野を獣にしたし、獣にすることを肯定した。
川名が先を行く。疲労した身体は思うように動かず、霧野の喉の奥から濡れた息と共に、マッテ、という言葉を作ろうとするのだが、代わりにざらついた呼吸が漏れるだけで、全身に鳥肌立った。それから、背中がしなりがくがくとし、腰が抜けそうになる。霧野は自分の身体の状態が(真実は、頭の状態が)おかしいとどこかでわかりながらも、今すべきことに、全神経を注ごうと思うのだった。それは、彼の後を「等」の感覚で追うことだった。一番彼が気に入るであろう、遠からず近からずの位置を把握して、満足させること。これが今の集中の全てだった。それが心地よかった。快であった。
霧野は思った。真の獣であれば、目の前の儚い人間を襲って、殺すべきではなかろうか。しかし、霧野の中の獣は今はその時期ではないと語り、求められる限りの、快を求めた。
どうすれば、彼を一番満足させることができて、どうすれば、彼が一番気持ちよくて、どうすれば、彼が一番自分を叱ってくれるのか、これらのこと全てが、霧野が澤野として川名に仕えていた時と同じことだった。自分が他の全てを出し抜き、彼に寵愛を受けること、それこそは、川名を出し抜いて頂点に立つのと同じ。つまり、澤野ではなく霧野として、組織を掌握したのと同じことになるはずだった。
這い出た先の畜舎は、地下に増して獣臭さが鼻についた。光の中で、夜に訪れた時の怪しげな雰囲気は抹消されて、単に動物の管理される為の囲い、土と糞便と餌とが、家畜小屋としての、現実味を帯びて、霧野の目の前に現れてた。川名ただ一人だけが、そこでは人間だった。
川名の靴が、土と囲いから零れ出た藁とを音を立てて踏みしだく度、彼をこのような場所に居させるべきでないはずだ、と霧野は思った。川名は自分の歩く速度を一定に保ちながら歩いていた。それは彼の癖の一つでもある。稀に著しい興奮を覚えた時を別として、彼は常に一定の動作を一定のテンポを保ちながら物事を進めた。
川名の足が止まりそうな形をしたのを察し、霧野は歩を緩めて川名を見上げていた。彼は霧野の方は一瞥もせずに、獣畜のいない空いた柵の中に入っていってた。両サイドには乗馬用の馬が収まっており、向かい側には、豚のひしめくように収められていた。囲いの中に、獣畜の糞便を流し溜めるための、溝がある。川名は手桶を傾け、霧野の糞便を溝に流し入、手桶をその場に置いた。臭気が漂うがすぐに獣の臭いに掻き消され、わからなくなる。
彼は柵から出て、嵌めていた革手袋を脱いだ。青白く滑らかな皮膚が露出した。彼は惜しみなくその革手袋を糞便を捨てた畜舎の隅に盛られた藁束の上に放り捨てた。まだ生暖かいであろう手袋は彼の身体の一部が、まるで射精のように、そこに放出されたかのようで、畜舎の中で異常に生々しく、黒百合でも咲いているようであり、霧野はその花に駆け寄り、咥え、彼の足元に持っていきたい衝動にどうしてか、駆られ、身体を動かしかけ、止めた。考える程頭の中が熱くなり、おかしいとわかりながら、おかしくなった。
そして、川名に視線を戻した。黒革の剥がれた彼の生白い手が、光の中で妙に艶めかしいのだった。
霧野の唇が、微かに開いて、舌先が下唇を舐めていた。ようやく露出した裸の指を、乳を吸うように優しく吸い上げたいと舌先が、欲していた。霧野の身体は、いつも、何かを常に欲して焦っていた。霧野の理性の頭は、常に欲することを拒んだ。矛盾が、欲望を炙るように嬲る。
川名はようやく霧野の視線に気が付いたかのように、緩慢に霧野の方を見下して、何か期待した濡れた目つきの霧野をはっきりと認めてから、霧野に冷たく言い放った。
「そこはな、お前のために、ひとつ空けてもらった場所だ。しばらくそこにいるといい。お前は動物だから、ずっと地下室にいるより、たまには、こんな場所の方がすごしやすいに違いない。」
霧野は、言葉で、『今すぐにでもリードをつけられ引っ張られ、下半身に抱擁、頼まれなくても、今なら、帰るために、奉仕したっていい』と言ってしまえば、楽なのに、それが言えない。言ってはいけないのか、言えないのか、言いたくないのか、全てなのか、境い目は曖昧になって、霧野の口の中を余計にもつれさせて、代わりに獣の唸り声を上げさせた。
『どうして?何か悪いことをしましたか?』と仔犬のような調子と自分も現れたが、言えない。霧野を見下げている川名の瞳の奥に愉し気な雰囲気が一瞬踊ったのを見て、霧野は、この人は今、俺の頭の中の、何もかも分かった上で、そのような非道を言うのだと、察すると共に、自分の思考に絶望を覚え、頭を冷やすためにも、彼に潔く従うのが良いと決めた。それから、霧野は、つまり、ここに居る間に起こるだろうことをいやに事務的に想像した。
(この場所を一つ分借りるってこと、生かされ、飼育されるってことは、その分の賃料が発生するということで、それは俺がこの身で支払うのだ。そういうことだろう、主。)
霧野は、軽く理性を取り戻した瞳で川名を眺めた。彼は、「きっと、お前が今考えていることは、大体その通りだ。」と言って軽く微笑むのだった。何が起こるのかは、敢えて言わない。
「もちろんお前は、俺の期待に応えるような働きをするに違いない。それが以前と変わらぬ、俺がお前に与える、お前の仕事だから。」
彼は、それきり霧野の方を振り返りもせずにさっさと、畜舎から姿を消し、代わりに別の、もしかすると昨日と同じ人間達が現われて、川名から授けられた首輪に無遠慮に触り、あれだけ川名に繋がれることを焦がれたリングに、赤の他人が、簡単に鎖を通すのだった。異常な不快に、暴れ出しそうになるのを耐えた。
その異常な不快が、霧野の内面を益々、不快にさせ、冷静にした。川名にされていることと、そう思えば、気がまぎれることも、ますます、理性をばらばらと、搔き乱して、不快にさせるのに、川名のことを必死に考えていないと、頭がおかしくなりそうだった。死にたい。しかし、死ねない。借りの住処に、粗雑に家畜のように繋がれて、人間達が去ると同時に、身体から緊張が、みるみる力が、抜けていく。我慢していたものが、溢れ、出ていったた。そして、また、凄まじい眠気。足音が近づいて来るのにも、気が付かない程の、倦怠。
霧野の繋がれた姿を川名が、帰り際に見に戻った。
「見るにも耐えられない薄汚い姿だな。後で誰かに洗ってもらえ、獣よ。」
霧野は夢半ばに薄眼を開いて、ぼんやりと光の中のおぼろげな影を見ていた。
また、意識は溶けていく。
そこでの大体の日課は同じであった。繰り返される。規則正しいから、時計が無くても、なんとなくひとつひとつの行為の行われるタイミングと太陽の位置で、時間間隔がつかめて、確かに地下での監禁よりもずっと健康的であった。行事は給餌であったり、清掃であったり、洗浄であったり、移動であったり、奉仕活動であったり、搾乳(搾精)であったり、睡眠であったり、これが規則正しく続く。
もし、刑務所に入れば、同じように時間感覚を身に着けるのかもしれなかった。最初こそ戸惑い、家畜同然の扱いや、事務的に、全くの無意味、余興に搾乳機で機械で搾精されるなど、初めてのことに苛立ち、恐怖、反抗もあったが、結局のところ大体は、同じことの繰り返し、慣れるに従い、なるべく反抗をすることを止めていた。ここで起きるすべてのことが、去っていった彼の元に情報として行くことは確かであったからだ。もし、彼の気をそぎ、それで一生ここに置き留められたとして、誰が気が付くだろう。誰が解放するだろう。終わりは見えている。しかし、罪、罪への禊、そこに終わりはあるのだろうか。
身を任せることで。全てのことが直ぐに済んだし、自分を動物と思いこむことが、知らない人間達の前で獣性を解放させることが、環境のせいで、やりやすいのだった。最初こそ、揶揄多少の言葉責めこそあれど、普段されることに比べれば、気持ちのいいくらいであった。時折、罪を考える。
彼らが、今のように人間を家畜のように預かり時に売り飛ばすことは、今に始まったことではないだろう。そういう仕事がこの世にはあることを、今の霧野はすぐに受け入れることができた。戻れた暁には、ここも明るみにしてやれば、いいのだ。
「戻る」とは、一体どこの何を指し示すのか。霧野の頭の中は、混線していた。川名の元へ戻りたい自分、澤野に戻りたい自分、木崎や神崎の元に顔を見せたい自分、霧野に戻りたい自分、警察に戻りたい自分、消したい自分、健常で健全な女に欲情する肉体を持った自分、分裂した事故が次々に現れて入れ替わる。その煩雑さを。獣性が、乱暴な雄の性交が掻き消してくれることもあった。そう。仕事、仕事、これも仕事。今のうちに澱をたっぷりと、貯めておけ!いつか殺すから!殺す、一体誰を殺すというのか、最早それは一人に限られない、霧野の中には複数の像が浮かんでは消えていく。
ここでのことは、こちらの顔や事情をよく知っていて、いつも好きなタイミングで急に現れる、同じ組のひねくれた連中の相手をしているよりも、時間も配分も決まっている分随分シンプルで、気が楽だった。もし万が一ここの連中が、この肉體を気に入って、組の元に返さぬ為に、嘘の報告を彼の元にしたとしても、きっと彼ならすぐに見抜くだろうし、ここの連中も彼との契約が大事なものとわかっている。そこまでの馬鹿でもないだろう。規則正しい暮らしは、霧野の基礎体力は回復させながら、頭の中の非人間的な精神と性感を熟成させていった。
日に日に、川名の置いていった、ピカピカで良い香りのした革手袋が薄汚れていった。川名は何も言わず手袋をゴミのごとく、ここに捨てていったが、ここに捨てる必然性は全くなかった。改めて別の場所に捨てても良かったのだ。それを敢えてここに置いていった。
霧野はそれを、畜舎の隅の、藁の奥に隠して、決して他の人間にバレないようにしていた。そして、誰も来ない深い夜の時間や朝早くにだけ、自分でそれに触れることを許していた。
……。
幾周目か、規則的に進む日々の中で、今まで無かった事が起きて飛び起きた。洗浄の時間ではないのに、寝ている身体に上から水を乱暴に被せられたのだ。霧野は夢の中で溺れかけ、咳き込み目を覚まし、顔を拭いながら、水の出所を睨み上げた。最近、当たり前になり、聞こえなくなっていた、全身から、革や鎖の軋み鳴る音がはっきり聞こえた。霧野の首には首輪、手首足首に革枷と共に鎖が伸びてそれぞれ柵に繋ぎ留められていた。行為やそのた行事や罰の時は別として、それは普段は緩められて、柵から出れはしないが、柵の中で楽な姿勢をとったり、適度に動き回れる程の余裕はあった。イレギュラーな出来事に寝起きで突如として、ビンタされたように、理性が思いのほかはっきりと霧野の元に戻ってきたのだった。視線が水の出所に到着する前に、先に、匂いで、そこに立って居るのが誰なのかわかった。霧野は咄嗟に顔を伏せ、隠れられるところがあるならば、隠れたいと身を震わせた。
「思いのほか元気そうで残念だぜ。」
聞き知った調子で、声をかけられ、消失しかけていた急な恥ずかしさが霧野の全身を駆け巡っていくのだった。久しく人語を話していなかったこともあり、咄嗟に声が出ない。再び勢いよく水が、伏せられた霧野の頭、項を濡らした。聞きなれた美里のささやかな笑い声が、身体を擽ぐるのだった。顔を見たいが、見れない。
惨めな姿など散々見られてきたというのに、まだ、彼の前で、以前のような羞恥が湧きたってたまらないのだ。夢ではなく、ひとつの現実が迫ってくる感じがする。それは本来、良いことのはずだった。美里は水の出続けるホースを下に向け、蛇口を締め、戻ってきた。彼のジャワ更紗のシャツの袖口はめくりあげられて、生腕が瑞瑞しく濡れていた。
「さっきまで、気っ持ちよさそうにいびきかいて、すやすや寝てたくせに。今更恥ずかしいのかよ、霧野。こっちは不眠、お前のせいのクソ激務、眠い中、車ぶっ飛ばしてこんな辺鄙なとこにある糞汚ぇ山小屋までわざわざ来てやったのに、すやすやな気持ちよさそうなお前を見て拍子抜け、もう、即、帰ってやろうかと思ったくらいさ。俺はさっきからここに立って、お前が自ら俺の気配を感じ、起きてくるんじゃないかってちょっと期待してしばらく待ってたのに、まったく。」
彼の足元には、煙草の吸殻が4つ落ちており、見事に全てぺしゃんこに踏みつぶされていた。
「その間暇だからな、お前の身体は見たよ。よくよくな。新しい傷ができたところも、治りかけているところも、また、その万年お飾りチンポにお仕置きピアスを増やされてることも、全部。俺の付けてやったのは安定してお前を痛めつけ続けているか?口マンコの中を見せてみろ。」
彼が勢いよくしゃがみ込んだ拍子に、甘く、匂った。霧野は身体を起こしはしたものの、その場に座ったまま自分の髪や顔から滴る雫を眺め、その向こう側にいる人物の腰から下の辺りを眺め続けていた。
「おい、聞こえてんのか?鼓膜は無事か?耳を潰したなんて聞いてねぇけどな。」
胸倉を掴み上げるような乱暴な調子で手が伸びてきて、美里は霧野の首輪と首の間に指を三本引っ掻け、顔をあげさせるのだった。今度はしっかりと目が合った。その瞬間、霧野はこの世から消えたいと同時に、安心感と、羞恥と、言葉にならない感情で目の奥を濡らしかけた。黒目が、居心地悪そうに、美里の目線からはずれていこうとする。すると指が無理やり、四本に増やされ引っ張りあげられ、首と首輪の隙間がもうほとんど無くなり、霧野は再び無理やりに、目を合わせた。苦しさも相まってどうしても睨み上げるような形になってしまう。
美里の猫目の下には薄っすらとクマがあるが、それが赤みと混ざり合い、少しやつれた顔が、余計に彼の顔に退廃的な美しさを足して、小さな唇が苛々とした調子で引き締まったと思うと、傷のひきつるようにして開いた。左側の口角が不自然にあがって、顔を歪めるのだが、その非対称性は彼の美しさを少しも損なわないばかりか、霧野の乱れた心を何故か少しだけ安定させる効果を持っていた。それにより、霧野は顔に、見ようによっては人を馬鹿にするような微笑を讃えていた。それが美里を更にイラつかせ、彼は目を見開いた。虹彩が緑色に輝いて美しいなと思う余裕が、唖のようになった霧野の中にはあった。
「おい、てめぇ!まだ寝惚けてんのか?!俺が!お前に!口の中はどうなってるのかと聞いてるだろ!」
霧野の唇は震えながら、薄っすらと開いたが、まだどうしてか、素直に、舌がうまく出て行かないのだ。「はぁ~あ」と美里の喉の奥からわざとらしいだみ声、呆れたようにため息が溢れ出ていった。煙草と香の香りが、甘く鼻先で匂った。それが、霧野の鼻腔の奥を擽り、もどかしい少し愉快な気分にさせる。
(こいつは、忙しい中わざわざ来てやったといいながら、すっかりめかしこんで来て。こんな場所に。馬鹿じゃねぇのか。)
霧野の内面の笑と反対に、美里の目の奥にゆっくりと倦怠が混じり現われた。美里の指はゆっくりと霧野の首から離れていったが、その部分はいつまでも熱を持って、霧野はまだ首を絞められているような気分でいた。
美里は緩慢に立ち上がった。おかげで霧野は彼の顔は見なくて済むようになったが、突如、目の前に徐に見慣れた桃色の性器が露出し、今までの甘い香りとは違う、雄の濃厚の臭いが漂って、霧野の脳を犯した。頑なに、舌を出さず、薄っすらとだけ開いてたはずの唇が、無意識の内に、はぁはぁと息を荒げながら、勝手に広がり濡れ始めていた。美里がそれを見ているのを、感じた。そうすると、彼の香りが、身体の中で芳醇となり、増し、いつか彼に身体の中に埋め込まれた何かの種子がまたむくむくと思い出したように芽吹きだす。
美里の手が霧野の頭を乱暴に掴み上げ、股間に押し当てた。
「こうしなきゃ目が覚めないように教えたのは、俺だったな。」
彼は、自らの性器を霧野の顔面にこすり付け、先端の部分をくちくちと霧野の開き、濡れた唇のあたりにリップクリームでも塗るような仕草で押し付け、先端を軽く、咥えさせるのだった。後頭部に手が回るが、掴み上げた時とは反対に、美里の手は撫でるような優しい仕草で霧野の頭に添えられ霧野が自らの意思で頭を動かし咥えこもうとしなければ、美里の甘い雄は霧野の口の中の点検をすることができないようになっていた。
「ほら、お前の具合を教えてくれよ。ああ……凄い熱いよ。」
美里は、さっきまでのヤクザまがいの調子から打って変わって、己の興奮を隠しきれないような濡れた声色を出すのだった。それが霧野の頭の中の雄の部分を不自然に刺激し、ちゅうと唇が美里の雄に吸い付くのだった。
「……、……んん」
美里の芳醇な香りと反対に、霧野の獣臭い息が、口から鼻から漏れ出て、美里の薄っすらとした陰毛を擽った。頭は少しずつ前進して股座に、その内、美里の雄も呼応するように紅く膨れて、霧野の口内を硬い肉が音を手て手、擦り始めるのだった。コリコリとピアスの当たる感触が、美里の雄の窪みや、霧野の舌を通じて、入りまじり、舌を通じてすぐ近くの器官である、脳、頭の奥によく刺激された。霧野の身体が時折艶めかしく揺れたが、それはここの男達と情交するのと違い、官能的な揺れで会った。あてつけるように、美里の男根が、霧野のピアスを弄った。
「お前のここのクリトリスの調子も朝から元気なようで安心した。」
彼はそう言って、熱っぽい声を隠しもせずに出した。美里に施されたピアスをクリトリス呼びされたことが、霧野の本当の、下半身の雄の飾りクリトリスのほうも被虐的に刺激して、勃起させた。舌の上でコリコリと転がされる度に痛みが快楽とまじりあって、ここがどこなのかさえ、忘れさせるようだった。霧野は身体の中にもっと美里の匂いが欲しいと感じていることに気が付いた。足りないとさえ思った。霧野が自分が、飲尿を望んでいるのではないかという結論に達する直前、美里の霧野を撫でていた手が止まり、口の中での動きがとまり、体臭が明らかに代わって、霧野はこの時になってようやく、美里を見上げた。見なくても、さっきまで霧野ただ一人にだけ注がれていたであろう視線が、畜舎の外の方を向いており、霧野も美里の視線の先を見ようとしたが、代わりに頭を思い切り最初のように雑に掴まれ、奥を突き上げられ、うめき声をあげた。自動的に喉が左右に開閉し、絡めとるようにひきつって、美里の真っ赤な雄の先を締め上げようとうする。美里は「う゛!!!」と雄臭い低い声を出し、手を緩め、霧野にだけ聞こえる程度に軽い深呼吸をして、誰かに向かって、口を開いた。
「ああ、すみません、私が先ほど連絡した代理の者です。」
美里は冷淡な様子で、畜舎の向こう側に声をかけ、さらにぐいぐいと霧野の頭を物のように乱暴に扱い、そのまま器用な調子で片手でポケットから煙草を取り出し、もくもくと、ふかし始めた。向こう側から、いつもの男達の声が聞こえてきたが、どうやら美里とも顔見知りのようで、霧野を抜きにして、淡々と会話が進んでいく。
「どう考えても、先に挨拶すべきでしたね。申し訳ない。」
「いえ、お気になさらず。こちらこそ気を使えず。鍵束はその奥の10番のところです。」
「ありがとう。帰る時には、オーナーに挨拶して帰らせてもらいますから。」
男達の気配が無くなっても、美里は煙草をふかしながら、強く強く霧野の頭を自分の股座に押し付け続け、その間たまに小さく低くうめき声を上げ、三分の二程吸い終えた煙草を霧野の鎖骨の辺りの、歯型の痕の上に執拗なほどに押し付けて、消した。家畜の霧野の皮膚を口に含むような生物は、1人くらいしか、美里には思いつかなかった。霧野の痛みにこらえる小さな太い呻き声が、美里の雄を心地よく刺激して、高まりが、緩やかな射精に導いた。
美里は一物を霧野から引き抜き、しまいながら、ことを終えて伏し目がちにしている霧野を見下ろし、まだ阿保のように軽く開いたままになって白く濡らした口の中に、手に持っていたゴミ、吸い殻をさしいれ、上から手で口と鼻を塞いだ。視線が勢いよく挑戦的に上がってきて、喉が動くのを見た。そのまま、しばらく呼吸器官を押さえつけていると、赤かった顔がさらに苦し気に赤くなり、掌の下で彼の口が、ぬらぬらと美里の掌の中で蠢いて尖った舌の先端が、必死に唇の隙間から現れ、小鳥のついばむような調子で、美里の掌を媚びるように舐めるのだった。
「……、……、」
美里は、手を離した。霧野は軽くせき込みながら、呼吸の調子を整えて、煙草の押し付けられた位置に触れ、確認していた。美里は、また自分の中に止まらない欲情が沸き上がりかけたのを認めた。そして、まだ締めていなかった細身のベルトを腰から勢いよく引き抜いた。
「叩いてやろうか?」
霧野の視線が再び、美里の穂に戻ってきた。美里は、霧野を挑戦的な口調で口説き、ベルトを両手で引き延ばすようにして、撫でてみせた。程よく使い込まれた牛革の黒いベルトだった。
「なに……、」
霧野は目の下を赤くして細めた。口元はさっきと打って変わりしっかり引き締まって、怒っているのか喜んでいるのか一目では、わからない。
「ようやく言語での意思の疎通がとれたな、霧野。舌の加工もされちまったんじゃないかと思って少し焦ってたところだぜ。まだ大丈夫みたいだな。どっちにせよ、こんなとこにいれられてたなら、どうせ久々に発話したに違いねぇだろう。まあ、多少の舌のもつれは許してやるよ。さ、どうする。」
霧野はバツの悪そうな顔をして、美里を見上げていた。美里はゆっくりはっきりした口調でもう一度「叩いてやろうか?」と霧野を見下ろしながら言った。そして、「必要ない?」と軽く首をかしげて意地の悪い笑みを浮かべ、光沢のあるベルトを手元で弄んでみせた。
霧野は、自分がどうしてか、即座にはっきりと拒絶しないことに戸惑いつつも、もちろん、はい、とも言いたくなく、霧野自身が一番嫌いな、「はっきりしない態度」を彼の前でとってしまうことに、苛立ち、「いい」と聞こえるか聞こえないか位の小さな声で言った。また美里というよりも自分に腹が立つ。罪。
美里は「は?なに?」と頭を霧野の方に傾けた。首をかしいだ拍子にふわり、と、髪から柑橘の香りが漂ったのが、霧野の判断をまた鈍らせるのだ。
「いいって……」
霧野は、どうにかなりそうなところを、必死にそう言いつくろって、美里から逃げるように目を逸らした。美里はしばらく黙っていたが、代わりに、霧野のすぐ近くで、革ベルトのみしみしいう音が聞え始めた。霧野は自分の身体の表面が鳥肌立ち始め、下半身の奥の方が、みしみし、ベルトの立てる音と同じように、ぎりぎりと、音を立てているような感覚を覚え、全身の筋肉の緊張を感じた。
霧野は、また、ふらついていた視線を、探るように、美里の華奢な身体、そしてこちらを屈みこんで見ているらしい、顔の方に向けた。彼はベルトを握る手に、ぎりぎりと力を込めて、引き延ばしていたが、顔は普段の無表情そのものだった。霧野を見下ろし、部屋の中に害虫でも発見したかのような様子で、軽く眉をひそめていた。
さっきの生き生きとした表情に増して、美しかった。どこか、「彼」にも似ていた。
「う……」
見なければよかったと思った。霧野は、自分が一体何を言おうとしているのか、よくわからなかった。美里の目の中に一体自分がどう映っているか、考えたくなかった。
「打って……いい……」
声が震えていたし、身体も震えていた。確かに霧野は自分の口からその声が出て言っていることを自覚したが、頭の中が真っ白になっていた。一体何を言ってるんだろう、と俯瞰する自分が居た。
美里は屈んでいた身体を、猫の伸びを出もするように、起こしながら、両手で引っ張っていた革ベルトを右手に丸めて持ち、その腕を何度か降るようにして、黙ったまま、霧野の背後を乱暴に指ししめした。
打つから背を向けろという意味と理解した。その通りに彼に背を向け四つん這いになると、何の掛け声も、何の準備、合図もなく、勢い背中の辺りに鋭い痛み、音が弾けた。川名が特注するような本格的な鞭に比べて純粋な物理的な痛みは弱いはずなのにそれはよく効いた。彼の身に通されていたものが、懲罰具となって、身体を苛む。
「ぐ…!!」
続けて、何か言う間もなく、今度は尻を下から突き上げるように二度三度と弾かれ、何か背後で振りかぶる様な音がしたかと思うと、股間に、革靴の表面を思い切りぶつけられ、悲鳴を上げた。蹴り上げられたまでとはいかないが、言葉にならない叫びをあげ、霧野は四つん這いの姿勢を保てず、その場に崩れるようにして蹲った。
霧野の蹲った身体の上に、最初の一発目のベルトを当てた位置にの上に、美里は小さな尻を乗せ、馬にでも跨るようにして座り込み、霧野の頭を掴んで自分の方に向かせ、顔を近づけるのだった。無表情であることに変わりないが、嗜虐の悦が彼の暗い目の奥に踊っているように、霧野には思えてならないのだった。妄想なのかもしれない。
それから、霧野自身、自分が今どのような表情で彼を眺めているのか、彼の目に映るのを見てしまうのが厭で、視線を彼の背後の辺りに漂わせ、息をついた。霧野の口内からは美里の放った精臭が零れ、「くさいなぁ…‥」と美里は独り言のように小さくぼやいてから、続けた。
「お前さっき、なんて言った?」
「ぁ…?」
頭が、がくんと揺れた。次の瞬間には霧野の頭は美里の手によって、地面にぐりぐりと押し付けられた。視線の先、すぐ近くの土の上に霧野の尿をした痕跡が残っているのが見えた。余裕のない霧野はつい、息をのんでしまった。美里も霧野の様子から染みのことに気が付いたらしく、一度霧野の上から軽く腰を上げると、霧野の首根をつかみ、頭を霧野の排せつ物で穢れた土に押し付けるようにして、再び、霧野の肉体の上に、さっきおり勢いよく、飛び込むようにして座ったのだった。汚らしい声が出た。
「くさいだけじゃなくて、大層気味の悪い、醜い声で啼くんだな。気持ち悪い。その啼くのを止めろよ。」
彼に、何度か上で繰り返し跳ねるようにして、座りなおされ、内臓がねじれ、しかし、声を出すと終わらないので、いちいち呼吸ができなくなる。頭が回らなくなってくる。美里はようやくいい位置をみつけたというように、
「口を開けろ。」
言われなくても既に軽く開いていた霧野の口の中に、徐に穢れた土が押し込まれ、食わされた。むせかえりそうになると口を上から押さえつけられ、美里の白い手が次々浮上の土をすくい、口に詰めてくる。窒息しかけ、霧野の視線は苦し気に、せわしなく動きまわって、苦しさに涙を流した。美里は尻の下で霧野の肉体の大きな筋のうねり、対してか弱い内臓のうねりを感じながら、しばらくして、土を入れる手を止めた。
げぇげぇと吐き出せされる、尿を含んだ土は、体液と混じり泥となり、さっき美里の食べさせた吸い殻が逆流して泥に混じって吐き出されていた。
「おい、何出してんだよぉ。せっかく俺がやった餌を出すな。まさか俺の唾液が汚いとでもいいてぇのか?あ?」
美里はそれを摘まみ上げ、咳き込んだ隙に、霧野の喉の奥に押し込んで再び飲み込ませ、顔を覗き込んだ。ただでさえ家畜小屋で飼われていたせいで薄汚く穢れていた、霧野の、本来家畜小屋などに一切似合わない支配者然とした端正な顔が、体液と泥まみれになって更に無様に汚らしくなったのを見て、美里は小さく笑い声をあげかけた。またゆっくりと表情を元に戻したが、あまりの愉快に、声の中に笑いが混ざってしまうのだった。
「本当にどうしようもないなお前は。」
返事の代わりに嘔吐の声が返ってきて、美里の尻の下で、無様な肉椅子が身体を曲げ、苦し気に痙攣していた。美里は霧野の顔を覗き込んでいた頭を上げ、横目で苦し気な霧野の下半身をちらとみて、もう一度笑いかけた。
そして、「なんでこうなったかわかるか?」と聞いた。肉椅子が呻きながら、「、る……」と言ってまた泥を吐いていた。美里は手を振り上げて思い切り肉椅子の尻を叩いた。家畜小屋の中に、高い声がいななき、上がった。
「あ゛…はぁ…っ、わかる……っ、わかる、わかった、!!ぁ、」
美里がさらに尻に数発平手を与えると、霧野は高い声でまた啼き、二度三度するうちに、それはまた堪え声に代わり、大人しくなった。それで小さい声で、わかったわかった、と繰り返す。
「何?一体何が分かったんだよ?相対性理論か?ヘウレーカ!ってか?アルキメデスの物まねかな。ははは、相変わらず、びっっっ……くり、するほどつまんねぇなお前の冗談、道化はよ!そこだけは変わんねぇんだから一周まわって、お笑い種だぜ!お前なら相対性理論の一つや二つ知ってるかもしれないが、そんな話はしてないし、興味ねぇんだよ。」
美里はおもむろに霧野の尻の打った場所を鷲掴み、親指を霧野の淫孔の中に突っ込んで折り曲げた。「ぉっ……」と小さな歓喜の喘ぎが、泥の向こう側から、臭い匂いと共に上がったのと、それから、指が、まるで遊びつくされてどろどろになったスライムに指を突っ込んだ時のように、簡単に入る。程ゆるく溶けて、熱くなっているのに美里は苦笑した。そのまま指をぐりぐりとかきまわしていると、さっきから、一切萎える様子を見せない霧野の、銀飾りで飾りたてられたクリトリスが、親指の、ぐりぐりにあわせて、びくびくと生きの良い、鰻のように蠢くのだった。ん゛ふぅ‥……う゛ぅぅ‥……と食いしばっているらしい霧野の歯の隙間から、声が漏れ出ていた。
「別に今、相対性理論について俺に語り、わかるまでじっくり、教えてくれてもいいけど、それってどのくらい時間がかかるんだ?俺の理解力がお前に劣るのはお前も知っているよな?そうだな、お前が教えてくれている間、ずっとこうしていよっか?それがいいか?」
美里の下で霧野が必死に汚れた頭を左右に振って、その度にまた顔が汚れる。美里が手を止めると霧野はぐったりとして、喘ぐように呼吸し、思い出し噛みしめるように「打っていい…と言った…いい、ました」と苦し気に言い、身体から力を抜き、探るように美里を見上げ、悔しげな顔をして見上げたていた。
それから、美里は何故か、霧野の唇のあたりから目を離せなくなった。
「そうだな。それについて、お前はどう思う?」
「……、……」
霧野は二度三度とゆっくりまばたきをしたまま、何も言わず、黙ってしまう。
「何故俺がお前のその口に土を詰めたかわかるか?あまりにもどうしようもなさすぎて、驚きのあまり、頭の悪い俺には、もうそれ以外、まったくそこの使用用途が思いつかなくなったからだよ……。お前の汚らしい器官を、その通り、汚らしくしてやるべきだろうと思ったのさ。……『打っていい?』だって?お前が、俺に、命令していい立場か?あ?お前は一体俺を何だと思ってんだ?」
美里は霧野の頬を軽くつねるようにして、自分の方に向けさせた。霧野は、何も言わないまま小さく頭を左右に振った。
「察してると思うが、俺は川名さんの代わりにお前を迎えに来てやったんだぜ。でも別に置いてったって一向に構わないんだ。あと一、二年くらいここで暮らすことにするか?俺がそう頼み込んでやろうか。金を払ってやったっていい。その位の端金はある。俺が頼み込めば、たぶんその通りになるだろう。皆、お前のことなんか忘れるぞ。ようやく死んでくれたと思うだろうな。」
「……悪かっ、た、そんなつもりじゃ、」
「まあ、そうだろ。お前の俺に対する生意気は今に始まった話でもないからな。」
「……。」
美里は霧野の上から立ち上がり、鍵束をもって戻ってくることにした。久々に何かに心が満たされた気になって、手を緩めてしまうのは、川名や二条に言わせれば甘いだろうか。しかし、川名や二条のやりかたを物差しにして、世の中の物事を測り続けていては、自分はさらに浮世離れしていくに違いない。美里の無意識の内に、彼らの他に実父のことがあったが、意識の上には昇ってこなかった。
それから、霧野の身体について、川名に一言二言、言いたいことがあった。折檻痕が増えるのは仕方がない、霧野が悪い。それから新たな従属の証、愉しみのための飾りとして、ピアスや墨の一つや二つくらいと思っていたが、問題は焼印の痕だった。焼印を見た時、流石にやりすぎかと思えたが、しかし、家畜として、何か識別子を焼印されることくらい仕方ない、と、目をつむれるが、一番の問題はその形状にあった。
己の飾紋、印章を彼に焼きつけるとは、どういうことなのかと。組の印章と川名個人の印章は似ているがよく見れば、細部が異なり、飾り文字も入っている。わざわざ霧野の肉体に己の個人の痕をつけるためだけに、焼印を作成、肉に捺し、焼き刻んだのだ、あの男は。
緩く見れば、あの刻印は、組の紋と同じと考えればいい。つまりあの身体は、魂は、我々の、組織の畜、所有物ということ、その証だ。二条やその他大勢なんかはそう解釈し、悦ぶに違いない。特に二条は別の場所をもっと焼淫紋で飾ろうと、言い出すかもしれないし、新たな折檻法として流行るかもしれない。しかし、どうもあの印には、組の紋であると同時に川名個人の所有の物という特別な意味が込められている。美里にはそう思えた。
……ああ、しかし、きっと良い声で、啼いたことだろうなぁ。さぞ熱かっただろう。悶えたろう。股間に再び疼気持ち上がるものがある。何故その場におれなかったか、そう、そこにも川名が個人的に彼を従属させたいという意思があったに違いない。美里は無意識に歯を食いしばって口の奥で、ゴリゴリと音を立てていた。川名に対して、無自覚的に、以前に増して、甘えを越えた、反発的な気持ちを持ち始めているのだった。
美里は今いる世界により馴染みたいか、もし逃げ出す場所があるのならば逃げ出したいのか、測りかねていた。学もなく経験もなく、他に生きていく場所、手段など無いに等しいのだから、それが愉しい、もっとも適切な生き方。そしてその素養が、自分には十分にあることも自覚する。普通にしていて、人を傷つけなかったことが、傷つけられなかったことが、あるか。他の連中と比べて、カタギと上手くやれるのも、自分がある程度の底を見てきたから、優しく、理解してやれるだけで、表面上のことだけだ。本当の交友を求めてうまく行ったことが、ただの一度でもあったか。満たされてきていた気持ちが潮の引くように萎えていくのを感じた。そもそも、そんなものあるのだろうか。
霧野の首、双方の足首から伸びたチェーンが柵に繋ぎとられているのを一つずつ解錠し、柵から解放していく。開放するたび、彼の汗ばんだ身体から、緊張が解けていくのが分かった。
(お前はどう思う?)
美里は今になって、霧野、澤野にそう聞きたかった。彼らが「足を洗うべき」と言うだろうと予想するのは容易だったし、こうなった霧野から、彼と神崎の企み、謀半分に、諭されたのも最近のことだ。しかし、聞きたいのは、現実問題その可能不可能性、可能としてその先のことや、もっと深い、精神のこと、それから、霧野自身のことについてだった。
「立てるか?二足でじゃないぞ、四足でだ。」
霧野は土にまみれた身を起こした。霧野の身に着けている物と言えば、首輪、手首足首それぞれに革の錠が嵌められていたので、美里はポケットにいれて持ってきていた革リードを出して、首輪の辺りを探った。すっかり汚れて、元々の施されていた首輪に施されていた革細工も彫金も穢れて台無しだった。
美里にリードをし直されている間、霧野の視線が一瞬不自然な方向、藁束の方に向いて、誤魔化すように土の上に戻ってくるのを、美里は見逃さなかった。美里は。霧野の屈服の様子、その惨めさ、今の汚らしい獣じみた様子を見ている内、さっきまでの杞憂から、再び元気を取り戻した。
神崎と霧野を重ね合わせると、自分だけが知らない、警察官としての霧野が想像の中に浮かぶ。神崎の話を聞けば、その素養は澤野と大きく変わらない、一人前面した警官の、ヤクザ物とは違う意味で、あの極度に権力的で威圧的な制服は彼の若さ、精悍さ、身丈に、それはよく似あったことだろう。その姿で、尊大な彼のことだ、警棒やら手錠やら拳銃やらをおそらく喜んで腰元にぶら下げ特権的な気分で街を闊歩していたに違いない。そんな霧野の姿を頭の内に描いてから、それが今や、我々への、捕まえるべきはず対象への屈従を示すため輪や飾りを身に着けることしか許されない、寧ろ裸よりもっと惨めで悲壮でいて、しかも、男に性的に尽せるよう開発され、以前に増し淫靡でさえある霧野の姿を見てみれば、それもまた、一興であった。美里はにやにやと笑いながら、藁束の方を指さした。
「なんだ。あそこに何かあるのか?何を隠してるんだ。」
「……」
霧野は何も言わなかったが、目で、そうです、と語っていた。
「あるんだな。持ってこいよ。」
美里は屈みこんだまま、霧野の四つん這いの尻の辺りを膝で軽くこずいた。霧野は、最初こそ躊躇うような動作を見せたが、素直に藁束の方へ這い進んで、中に手を突っ込んで探り、そこから何か酷く汚れた黒い塊を引っ掻きだした。そしてそれを、手に掴むでなく、頭を下げて口に咥えたのだった。美里は彼のその仕草に、一瞬ぎょっとしたというか、動揺しかけ思わず顔を覆ったが、自分が、彼を躾する際にもよく物を咥えさせ、覚えさせてきたことを思い出し、霧野がこちらを振り向く前に、顔を拭って可能な限り、動揺を掻き消した。
霧野が咥え持ってきた異物を、美里はとても触る気にはなれなかった。屈みこみ、よくみればそれは何かの脂ぎったすり切れた黒い革であり、酷い異臭、それも腐った精液のようなただならない不潔の臭いがし、とても、少なくとも人間が、口に含んで良い物体と思えなかった。土と比較しても余程最悪だった。美里が目の前に見ていて匂うのだから、呼吸するたび霧野こそ、それはそれは脳の奥の痺れるほど匂うだろう。あり得ない。
既視感がある。美里は霧野がいつか二条の下着をふくまさせられて口を閉ざされ、放置させられて嘔吐づいていたことを思いだす。しかし、それとは、別の既視感だ。美里はそれを凝視し眉を顰め、何度かまばたきする中で、瞼の裏に、川名の姿が浮かび上がってくる感じを覚えた。
こんな不浄な穢れた塊と川名を交互に思い浮かべること自体失礼、あり得ないことのはずなのだ。美里が距離を保ったまま凝視していると、霧野は全く悪意などない様子で、その臭いゴミを、とろんとした瞳で、美里に渡すような仕草をみせた。美里はとっさに立ち上がり、「寄るんじゃねぇ!そのままにしてろ!馬鹿!」と叫んだのだった。
霧野の目つきに正気が戻るが、結局それを口から自ら離す様子もない。土を口の中に入れた時、余程強く拒絶したというのに、一体どういうことだろうか。奇麗好きの霧野にだからこそ効果のある罰だったはずなのに。矛盾する。
自分が命じた上で犬が咥えて持ってきた物を、捨てろ、と命ずることも今の美里にはしがたく、美里は腑に落ちないモノを感じながら、リードを引いて霧野を、彼の場所から出してやった。リードを手に、歩を進めた。以前教えた時のようにつかずはなれずの位置を、彼がリードをたわませながら後をついてくる気配を、背後に感じながら。
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