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俺の唯一の愉しみを取り上げておいて、それをあっさりと捨てやがるんだから。
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「亡くなられた?それはお気の毒に。」
テーブルの上に置かれた電話の向こう側から「お前が!」と恫喝が飛び、背後が騒がしい。向こう側の喧騒に比べ、川名の部屋の中は水の様に冷めていた。
美里は会話を背中で聞きながら窓枠を拭いていた。事務所の掃除は基本的には業者に任されたが、機密も多い事務所である。特定の個所については特定の人物が交代で行う。淡々と掃除をした。何かに集中していたかった。
「私が?何か、証拠でもあるというのですか。それとも警察にでも訴えて出てみますか。」
濡れタオルを片手に彼の背後を通った。川名はソファに腰掛け、話半分、手元で落書きをしながら電話の向こう側と相手をしていた。彼の手の下に精巧な人体の一部の素描、背中の左上部と背後に回された腕が描かれていた。腕は自然に回されているのではなく縄で留められており、描きかけになっている縄の端が余白に消えていた。
美里は何か考えかけ、それを掻き消すように掃除に戻った。事務所に来てから常に影から誰かに見られている気がした。タオルを片付け、今度は窓際に置かれた花瓶を手に取った。重みのある花瓶を軽く振る。すっかり水が吸い尽くされているようでカラカラと音がする。川名が背後でため息をついていた。
「で?どうするつもりなんだよお前。」
手が何者かに弾かれたように震え、一瞬の間があって、物が壊れる音が鳴り響いた。手に持っていた花瓶を取り落としていた。床に破片と最盛期を過ぎ熟れた花が、剥がれた花弁が散らばった。
「すみません、」
川名は驚いたそぶりも見せず、目だけ動かして美里の方をちらと見て、何事も無かったかのように電話の相手との会話に戻っていった。まだ電話は続いていた。
散った花弁と砕けた破片を掃除した。別の花瓶に花を活け替えて部屋に戻る頃には、部屋は全く静寂に満たされて、窓の外を鳥がさえずり羽ばたく音が聞こえた。
通話は終わっていたが川名は、さっきと同じ姿勢で何か描いていた。美里が入ってくると手帳を閉じてしまい、美里の方を見上げた。
「血が出ている。」
言われてから指が痛み始めた。花瓶を元あった位置に置きなおしながら、人差し指の先を見ると、真っ赤に濡れて、花瓶に紅い指紋をつけた。破片を集める時に切ったようだ。先にハンカチで花瓶を拭った。血が手の平をつたい手首まで滴って、濃紺色のシャツの裾を濡らした。色の目立たない服でよかった。指と手を拭う。
川名の視線を感じて彼の方へ吸い寄せられるように向かっていた。
「すみません、花瓶を駄目にして、手が滑り」
川名の手が美里の手首を掴んで引き、切傷の辺りを眺め始めた。また一珠、血が浮いて滴った。
「具合が悪いか?今日はもう帰ったらどうだ。」
「そういうわけではありません。集中をかいてしまい、申し訳ありません、」
「座れ。」
川名の手がするりと美里の手首から離れ、向かいのソファを指さした。黙って彼の対面に腰掛けた。彼はしばらく黙って美里の方を絵か何かを見るように眺めていた。美里が沈黙に耐え切れず、何か話そうかと思ったところで、川名が口を開いた。
「何かあったのなら、何でも言えよ。」
彼は軽く微笑んで美里を見た。微笑みの奥で何を考えているのかちっともわからなかった。何もかも、全てわかってるのではないかという気さえする。笑っているのに、どこか悪意さえ感じる。
「別に、何も、」
「そんなに俺って信用ないかな?」
彼は口角を上げたまま、わざとらしく、くだけたように言った。
「まさか、そんなことありませんよ。」
彼の目を見ていたくなかったが、逸らすこともできない。
「じゃあ、何か俺に言いたいことは無いか?もっと金が欲しいとか、もっと違う仕事したいとか。何かあるだろ。望みでも。言うだけタダだ。言ってごらん。」
「……、とくに、今は」
「……。あ、そう。」
川名は急速に世界の全てのことに興味を失ったかのように美里から目を逸らして、立ち上がった。美里がこの部屋に存在することさえ忘れたかのように。
脚が熱をもって痛み始めていた。顎関節の鈍痛、舌裏の筋肉痛のような痛みが続いていた。痛みを感じる程腹が立ってくる。二条に続き、間宮などの物を、あり得なかった。思い出すと吐き気がする。二度と無いはずのことが、この短期間で二回も。
全て打ち明けて楽になってしまおうかと思った。
霧野のこと、神崎のこと、間宮、二条のこと……。霧野のせいで、ようやく安定したと思ったはずの人間関係がこじれ、重荷を感じる。頭がどうにかなりそうだった。精神を安定させなければいけない。
「あの男は……」
美里は縋るように川名を見上げた。何故、今、あの男のことが口をついてでたのかわからない。もっと他に言うべきことがあるはずなのに。
川名は、まだそこにいたのか、とでもいうように無関心な目を美里に向けた。知らぬ間にそこに、父の面影を必死に探し求めていた。わからない、思い出せない。男の顔は、いつの日からか消えはじめ、日に日によく思い出せなくなっていった。思い出すのに時間がかかり、男の顔が靄がかっていく。無理に思い出さなければいいのに、思い出そうとムキになる。夢の中では大きな影のようになって現われた。
「アイツの話を俺の前でするなと前に言わなかったか。もう死んだと同じだからな。」
川名が遮るように言った。怒ってもいない淡々とした、冷めた言い方だった。
今度は美里が火がついたようになって勢いよく立ち上がった。
「何でも言えと言ったのは、貴方じゃないですか。」
「俺もお前も不愉快になるだけだろ。ほら、また……」
「死んだと同じというなら殺してくれよ。殺して俺の目の前に持ってこい!それくらい簡単だろ!」
「また掘り返す。もう、そう簡単な話じゃなくなったんだよ。あんなのにかまっている場合じゃないよ。それに俺達が自ら何かせずともアイツは勝手に誰かに殺されて死ぬ。そういう運命だ。今この瞬間に野垂れ死んでいるのかもしれない。どうしてもというなら、今じゃない。」
「待ってろと言うのか。やっぱり何か、情があるんじゃないのか?そうでなければ、何故俺を!」
部屋のドアがノックされた。川名が「待て」というのも聞かず、美里はドアを開けて、そのまま訪問者を押しのけて外に出ていった。
「いいんですか?」
「いい、好きにさせておけ。たまの発作みたいなものだ。出かけよう。」
◆
事務所の地下室が空であるように、どこもかしこも空に感じられた。
行く当てがなかった。求めれば求めるほどに乾いた。何一つ確証がもてない、何一つ自分の手で掴んでいられない。一体何だ?車でどこかに行く気も失せていたし、昼間から開いている店も無い。美里はいつの間にか雑居ビルの中を彷徨って、一つの扉の前に辿り着いた。
「おやおや、どうした……」
扉の向こうから、巨体が現われた。似鳥はアポとらず仕事でもない美里を特に邪険にもせず中に招き入れた。彼の事務所の中で、裸の、まだ少年、少女と言える子どもが二人ソファの上で気持ちよさそうに寝入っていた。
美里は何も言わず、空いていた一人がけの血のような色をしたソファに腰掛けた。ソファとソファの間に大ぶりの観葉植物が置かれ、窓から吹き込む風で葉を揺らしていた。煙草と、蒸れた草、お香、微かなアルコールの混ざったような退廃的な香りがしていた。ソファに身を沈めていると自分も部屋の中の一部になったかのように思われた。
似鳥は美里を一瞥して部屋の奥に消え、誰かと喋っていた。日本語なのか何語かもわからない音が響いている。少しして、エプロンをした浅黒いハーフの女が奥からグラスを二つとウィスキーのボトルを持ってきて、テーブルの上に置いた。帰っていく女の背中を見れば、エプロンの他に何も身に着けていない。女が去ると、今度は子供の様に小さい、しかし顔は成熟した女が黒いものをひとつ運んできた。ガトーショコラだった。特に手を付けずにいると、似鳥が戻ってくる。
「なんだ?食えばいいのに。いらないか?おいしいぞ?お前好きだっただろ。」
機械的に手を動かしてケーキを刻んで飲み込んだ。何の味もしなかった。午前中には売り切れる名店のケーキだったが、昔から、面白いほど何の味もしないのだった。くちゃくちゃと舐めるようにして食べた。時に見ている人間を悦ばせた。そういう時は、味覚が狂えば狂う程、良かった。
味自体好きでもなんでもなく、喉を通る時の触り心地が良かった。ねっとりした感じが臓器にこびりついた全てを上書いて拭ってくれるような感じがした。はっきり言って同じ感触のものなら、泥だって大差ない。泥を出されても同じ顔をして食うだろう。
味覚など無くて良く、人には五感全てがなくなったって良いと思う時もある。自分を手放して一つの物質になることだ。そうして時間を過ごしていると、何か大事なものと引き換えにして時間がすぐに過ぎていくように思えた。大事なものが何だったのか、よくわからない。
「どうして、……、」
やはり、言葉が上手く出て行かなかった。中途半端な言葉が頭のなかでぐるぐる回って消えた。似鳥は特に急かすでもなく、グラスにウィスキーを注いで煙草をふかし始めた。黄金色の酒の表面が煌めいて揺れていた。
「わからない、あの人のことがわからない、」
美里はやっとのことで、酒の表面が揺れるのを見ながらつぶやいた。似鳥が身体を揺らして笑い、グラスを手に取った。
「ははー、また喧嘩でもしたのか?お前も懲りないねぇ。わからない?当たり前だろう、俺だってわかりゃしないよ。あの人の考えてることなんて。」
「家族と思えと言いながら、俺を、支配しようとする。それは家族と言えるんです?親愛、恩義は感じてます。大事にされているのもわかる。しかし……。」
しかし、何が言いたいのかやはりわからなくなってくる。
「親の役割というのは、本来そういうものだ。あの人なりの愛情表現だと思うと良いじゃねぇか。大体あの人に支配されていない人間がお前の周りに一人でもいるのかよ。いたらこっそり教えてほしいぜ。」
美里は似鳥のどこか吐き捨てるような言い方に何か引っかかるものを感じた。
「……似鳥さんには、川名さんが、俺を家族として愛してくれてるように見えますか?」
言ってから気恥しさを感じ、頭のなかが熱く、痒くなった。愛してくれる!くだらない、そんなものを自分が本当に求めているのか?
「……。さあ。それはどうかな?俺にゃあわかんないね。」
「ふふふ……正直に言ってくれるところが好きだ、……ねぇ、何故わかんないなんて言うの?、素直に『愛してると思う』と言えば、川名さんの顔もたつし、俺だって多少機嫌よく帰れたのに、何でです?」
似鳥は美里の方を見て、厭な笑い方をした。美里自身も今鏡を見れば厭な笑い方をしているだろうと思った。
「何故って、俺も普通の家族について詳しく知らないから推測でいうけどよ、まず、普通の家族というのはな、こんなところに家族の一員を一秒でも置いておこうと思わない。」
似鳥は周囲を見渡して、鼻で笑った。
「それは、川名さんが俺が使える人間か試すため、」
「だから、そこが終わってるんだよ、お前は」
美里がムキになって言い返すのを似鳥が遮るようにして言った。
「あの人がお前にどう言ったか知らないが、家族なら、使えようが使えまいが関係ないんじゃないか?普通。子どもが酷い目に遭い、苦しんでいたらなら、子供の代わりに自分の身を差し出す、代わりに自分を殺してくれたって良いとさえマトモな親共は言い出すものだぜ。奴らは奴らで相当に狂ってるからな。ははは……まあ、組織としての家族という意味なら、話はまた違うんだが。これはこれで結束がある。少なくともあの人は組織としての家族には愛情を向けていると思うぜ、さもなくばこうも短期間で勢力を伸ばせない。」
「でも、」
「それに、お前はここを上がってからも、いろいろと苦労したんだろ。」
「どうしてそれを、」
「お前をよく知っている人間なら、見てりゃあわかる。あの人だって知らないわけないんだ。それを止めもせんで、……お、しゃべりすぎたな。」
似鳥が酒を仰いだ。彼の体積が大きいせいでグラスが異様に小さく見えて奇妙だ。美里は、黙って立ち上がった。似鳥の粘ついた視線が付いてくる。そんなことは薄々わかっていた。わかっていたが第三者からはっきりと言われるとこたえることもある。堂々と言ったところで何だと言うのだ、ただ恥をかき失望されるだけだ。
「なんだよ、もう帰るのかい、もうちょっとゆっくりしていけよ。これから余興もある。夜までいたらどうだい。暇つぶしの相手も適当に用意してやるから。」
「いい、興味ねぇです……」
「興味ない?本当かよ?」
美里は立ったまま、グラスを鷲掴み、中身を流し込んだ。喉が焼けるよう。痛みは感じるが、やはり味がない。呼吸をしても何も感じない。ここで出される物にはすべて味がない。酔えない。
「ごちそうさまでした、」
雑居ビルを出た。帰り際に似鳥が睡眠薬を土産にくれようとしたが、断った。
◆
神崎は署内のデスクで溜まっていた仕事を処理し、霧野の調査に戻った。
署を出て、車で約束の場所へ向かう。自分でもどうしてこんなに躍起になり始めたのかよくわからない。霧野には悪いが、久々に清々しい気分だった。空っぽになった家の中で妻のことを思い出す瞬間が瞬間が少なくなっていった。妻はもう二度と自分の元に戻らないだろうが、彼はそうではない。
山崎は別の支部、部署に異動していた。左遷ではなく、出世、栄転と言える。時期が急すぎることを除けば、彼にとっては順当な出世であり、とびぬけて不自然な話でもなかった。山崎だけでなく彼の周辺の人員もあわせて配置替わりしており、神崎とコネのある人間は一人として例の部署からいなくなっていた。急な出世、その他の人事、配置転換、全てが怪しく感じられた。
もう少し証拠を集める必要はあるが、美里との接触で、嫌な予想があたっているだろうことがわかった。生死も、この目で見るまで本当のところはわからない。本来なら、すぐさま行動すべきだが、署内で騒ぎ立てるには危険すぎると直感した。第一、誰も騒いでいない。一捜査官の命が危険だと言うのに、当の部署が暢気に配置換えなどやっている。
潜入捜査が失敗したとなれば、”彼ら”のことだ。捜査官の命よりもまず先に、彼が何か秘密を漏らすこと、こちら側の不利になることが起きることの方に神経質になる者もいる。不祥事をもみ消すつもりか、まさか、最早死んだものとでもしているのか。トカゲのしっぽきりだ。
協力者を探すなら、相手を見極めなければならない。まだ生きているならば、霧野にも不利になる。しかし、悠長に見極めている時間も無いだろう。
喫茶店の奥のボックス席に彼はもう来ていた。冷めたらしい飲みかけのカフェオレが置かれている。
「お前から呼び出しておいて、遅刻か、相変わらずだな。」
山崎は、近くを通りかかったウェイトレスを呼びつけた。
神崎はウェイトレスの方は見もせず、足を投げ出すようにして座り「アメリカン、大きいサイズ、砂糖ミルク無し」ため息交じりに言った。それから、山崎の方を見下すように見るのだった。
「遅刻?30分もたっていない。」
「こっちだって忙しいのに、同期のよしみで来たんだぞ。」
「こっちだって忙しい。お前と違ってしょうもない雑務も多いからな。」
神崎が早速煙草を取り出そうとすると「馬鹿、禁煙席だぞ」と山崎が止め、神崎は呆然とした。
「前はこの席でも吸えたんだが。おや、お前は、やめたのか?」
「とっくにやめたよ。子どももいるしな。」
「あ、そう。劉輝君と凛ちゃんだったかな。」
煙草をしまいながら、山崎を見る。彼は一瞬気味の悪そうな顔をした。お前は俺の元妻の名前を憶えていないだろうな、と言おうとして止めた。
「順当な出世おめでとう。もう安泰だろ。奥さんも子供さんも。」
「嫌味か?そんなこと言いに来たわけじゃないんだろ、流石の俺でもわかる。」
「そいつは安心。」
なみなみとコーヒーの注がれたがマグカップが早々に運ばれてくる。はやい、でかい、うまい、それから煙草もすえたのがよかったが、残念だ。神崎は山崎から視線を一切外さないままカップに口をつけた。
山崎の様子に今のところ、不自然なところは無い。今日は非番なのだろう。日曜日のお父さんのようなポロシャツに白いパンツ姿だ。神崎を不審の目で見ている。傍から見たらどう見えるだろう。確かにこちらの方が余程怪しい。カップを降ろし、山崎の目をじっと見ていると、不審の目の中にわずかだが怯えのようなものが見えた。強く見すぎたらしい。
「お前のことは信じていいんだな。同期のよしみとかいう奴で。」
神崎が狩る愚痴を叩くと、山崎の表情から緊張が少し抜け、普段のように戻った。
「ここで話したことはオフレコ、全部無かったことにしてほしい。俺のためにもお前のためにもな。変な期待をされても困るから先に言っておくが、大した話は無いぞ。」
「大した話は無い、ね。じゃあ単刀直入に聴こう。お前、霧野をどうした。俺の代わりに面倒見てくれるんじゃなかったのか。まったく、酷い話じゃないかよ。」
「どうもこうもない。彼の情報は後任の人間に引き継いできた。そいつらとうまくやるだろう。」
嘘をついているようには見えなかった。神崎の知る限りは、彼はあからさまな嘘はつけないタイプの人間だった。嘘をつかざる得ない状況に置かれる前に的確に回避する。ある意味卑劣、ある意味誠実ともいえる。
「ほぉ~、随分と無責任じゃないかよ。俺の可愛がっていた部下と知ってたくせにな。後任の人間?誰だよそいつは。連絡先は?最後に霧野と直接会ったのはいつだ。最後の連絡は?」
「お前が何を勘ぐっているのか知らんが、連絡は定期的に続いている、文書も、電話も。何を心配している?確かに、直接会ったのは、一か月以上前のことになるが、向こうの都合を優先する関係上そう定期的には会えない。後任の情報か、悪いが、部外者のお前にほいほいと渡すことはできない。」
「ふーん、そうかい、……じゃあなるはやで直接会う場を設け、俺にもこっそり知らせてくれ。最低限奴の生死くらいこの目で確認したい。」
「生死?」
「そうだよ。この際お前には言ってもいいと思うからいうが、定期的に霧野と会っていたのさ。誰もアイツをケアしてやらなかっただろ。それが最近姿を見せない。おかしいんだ。」
「勝手なことをするなよ……。まあいい、俺にはもう関係がない話だ。どちらにせよ、俺はもう持ち場が違う、場を設けろと言われてもな。」
「後任の一回目なら何かしら引継ぎがあるだろう。お前も関与するはず。」
「それが、そうでもない。」
「何?」
「人事は急に決まったことで、引継ぎも通常ではあり得ない迅速さで行われた。この件に今後一切かかわる必要がないと直接お達しがあったくらいなんだ。正直俺でも臭いと思ったが、危険な仕事でもあったし、俺も早々に部署転したいのもあり、拒否する理由も無かった。無意味に拒否してお前のようになるのもな。」
神崎は思わず吹き出すようにして笑っていた。山崎が呆気にとられて見ている。あまりに大きな声で笑ったので、他の席の客が振り向くくらいであった。神崎はひとしきり笑った後、頭を掻きながら山崎をねめつけた。
「拒否する理由も無い?お前みたいな無責任なのが出世して、いよいよ駄目だなここは。前々から掃きだめだと思ってたが、限界だ。俺の唯一の愉しみを取り上げておいて、それをあっさりと捨てやがるんだから。話にならないな。」
「……お前、大丈夫か?ちょっとおかしいぞ。」
「……。」
「どうして霧野にこだわる。ことがことだ、部外者が首を突っ込むのは止めておけ。若手の育成がしたいなら、他にいくらでも、」
「ふふふ、まあ普通そう言うだろうな。お前が相変わらず普通の人間で安心したぞ。首を突っ込むなだ?もう遅いんだよ。」
「お前、何を、」
山崎が何か考えるそぶりを見せ、席を立とうとするのを神崎が腕を掴んで引き止めた。
「駄目だ、これ以上お前と話していたくない。俺を巻き込むな。」
「昔から、危険を察する能力だけは尊敬する。器用に回避してうまく成り上がっていったんだろう。力を持つものは、国家の抑止力というものは、本来なら、こういう危険にこそ突っ込んでいかなければならんのだ。座れ。」
「離せ。お前のイカレた哲学を聞いてる暇はない。」
神崎は、とある駅名を山崎に向かって呟き、微笑んだ。そこには、山崎の、妻ではない女が住んでいた。
「おまえっ、」
「そんな怖い顔せずに座れよ。別に、駅名だろ、ただの。何を動揺しているんだ?……お前に不利なことも無いし、危険な橋を渡らせることもない。寧ろ、お前があちら側の人間であったら、俺一人がひたすら危険になるだけだ。”同期のよしみ”で知ってることを少し教えて少しばかり協力してくれればいい。それから、俺のことは探ろうとするな。わかったな。」
山崎が居心地悪そうに座りなおす。可能な限り聞きたい情報を聞き、なんしてでも霧野達と直接会う日を設け、手を回すように伝えた。それから定期的に来ているという連絡の中身を抜いてくるようにも。伝えがしたが、信用も期待もしない。無理なら無理でいい。他人に期待しない。
特殊な配置換えがあったこと、どうやら霧野からの偽の連絡がこちらに届き続けていることがわかっただけでも収穫があった。手の内はまだあかせなかった。山崎とはいえ完全には信用できない。こちらの言うことを聞くふりをして探っているのかもしれなかった。
先に彼を帰させた。これから家族サービスがあるらしい。妻と、それからまだ子供もいなかった山崎と彼の妻とで出かけたこともあった。遠い昔のことに思えた。無性に口の中が寂しく、口の中で舌を動かしていた。
テーブルの上に角砂糖の詰まった瓶がある。一つ砂糖を取り出し口の中に含んだ。
妻は、神崎に劣らず気が強く、1人でも、いや若い男の一人や二人抱えて生きていけそうであった。彼女の寂しさのシグナルを無視し続けた。互いに自立した関係だと誇って誤魔化し、仕事ばかりしていた。仕事に精力も奪われていつからかまともに抱き合うこともなくなった。
霧野の気の強い感じ、口ぶり、仕草、吊り目がちで端正な横顔がどこか妻に似ていると思ったことは度々あったが、性的に見たことは無かった。見れるわけがなかった。しかし、また、神崎の脳裏に再びきらびやかな映像が繰り返し再生され始めた。気が付くと再生しているのだ。再生されるたびに、神崎の脳に刻まれるように克明になり、見えなかった部分を神崎の想像力が補填していく。頭を振って掻き消した。
同時に、美里の「ちょっとレイプして教育してやったくらいでなんだ」という言葉、声、悪気、反省というものが一切感じられない優越感に塗れた笑みが思いおこされる。悪人の顔は腐るほどみてきたが群を抜いて頭に残る。
口の中で角砂糖が音を立てて砕けた。耐えがたい。いや耐えがたいのは自分より霧野の方だろう。口の中が甘味に満たされていく。
いつからか、ポケットの中で携帯が震えていた。
「なんだ。」
『……、……。』
電話の向こう側で薄っすらした呼吸音が続いていた。何か迷っている。このまま切らせてはいけない。神崎は一つ息を吸ってから電話の向こうに呼び掛けた。
「この前は悪かったな。俺も熱くなってしまった。もうお前からかけてくることは無いと思っていたから嬉しいくらいだよ。傷の具合はどうだ。そんなに深くは無いと思うが、」
『呑気なこと言ってんじゃねぇよ、アンタ、ホテルで気味の悪い長身の男に会っただろう。』
淡々とした美里の声が電話の向こうから聞こえてきた。
「……。ああ、会ったよ。言ってなかったか?」
『ああ、じゃねぇんだよ馬鹿が。何故早く言わない。アレはウチの末端組員だ。奴はまだアンタのことを内部に漏らしていないが、俺とアンタが繋がっていることに勘付いて俺に脅しを掛けてきたのさ。いくらか金を握らせておいたから、奴は今でこそ黙っているが、俺の金が切れたら俺もアンタも終わりだよ。わかるか?死ぬんだよ。こちらの金が切れる前に、なるべく早く何か、奴の弱みを探ってくれ。ただ、慎重にな。』
「なるほど、仕掛けてくるようになったじゃないか。ふふふ、」
『何を笑ってる!遊びじゃねぇんだよっ!大体てめぇのせいでこうなったんだろ!死ねよっ!』
「わかった、わかった。待ってろ。ソイツについてお前が知っている情報を送ってこい、調べてみるから。その代わり次は俺の前から逃げるなよ。一蓮托生だ。」
『一蓮托生?なんでお前なんかと。お前独りだけ消してやったっていいんだぜ、神崎さん。』
電話は一方的に切られた。
◆
「あれ、美里君もう帰っちゃったの?」
着衣の乱れた若い男と女6人がぞろぞろと奥の部屋から出てくるのを似鳥は眺めながら「そうだ、残念だったな」と笑った。
壁にかけられた大画面の中で、かつての、全盛期とも言える美里が、透けるように薄い白いシャツを着たまま男の上に乗って乱れていた。
「やめなよ、こんなのつけて、もし戻ってきたら殺されるよ。」
女のひとりが言ったが、誰も消そうとはしない。
断続的な高い音色と肉が肉を打つ音とが、蒸れた部屋に響いていた。徐々に、蛇の皮がむけるように衣服がはがれ、落ちていき、見る者の方に白く陶器の様になめらかな背を向けた。背中がしなると薄い皮膚の下に背骨が一つ一つ浮き出てアーチを描き、繊細な骨格を強調させた。
画面の方を見ながら、男女は笑いあいながら、部屋の中を移動したり、思い思いの位置に座ったりした。
似鳥はソファに深く座ったまま彼の姿を眺めていた。やはり、天性の者だと思った。今でさえ、少し勘を取り戻させれば、現役でいくらでも客が付くだろう。多少、年は食っても彼の復帰を望む者は少なくない。彼にはできることも多かった。
彼の残していった映像の中に、女の登場する映像も無いわけではなかったが、今のような物の方がよく映えた。
川名と似鳥の元に来る以前に、あの劣悪な環境で何かあったか、施されたらしく、行為の上ではうまく生身の女の前で振舞うことができなかった。やれないことはないが、見ているこちらが物悲しくなるくらいだ。ただ、それを面白がる人間もいるのだから、使えないことも無い。おそらくそのための施しだったのだろう。逆に、生身で無ければ面白い程なんとでもなるようになっていた。マニア向けが過ぎ露悪的であったが、需要はあるのだ。本人の口から聞くのも酷であり、話す気もないだろう。
その反動とでもいおうか、女が抱けない分溜まった異様な負の熱量が男との間で発散されていた。
「辞めさせる?なぜ、今の様に経営に噛ませておくだけでいいじゃないですか、そうすれば追々、」
「決めたことだ。今月には出してもらおう。」
「今月っ、はぁ~……それで?どうするおつもりで?」
「別の仕事をさせることにする。今が一番いい時期なんだ。」
似鳥は、川名の言う一番いい時期の意味について揶揄しようと考え、止めた。
「相変わらず、酷い人ですな。」
「酷い?俺が?どうしてお前までそんなことを言う。」
隆々と勃起したペニスが画面端から現れて、別の男が加わった。既に何かの液にまみれて、ぬめぬめと艶めいていた彼の身体に、あらたに穢れた液体がかかった。そうして多くの粘液に濡れるほど、彼の身体は艶めいて、淫靡さを増した。前から後ろから抱かれ、抱き着いている。体に力が入るのが抑えきれず、男の皮膚に爪が立っていた。
彼だけが別の世界から来た生き物のように画面の中で浮いていた。ユニコーンの角が感度を増して大きくなっていった。
背面から秘所が大写しになった。白く若い果実が割れて、弾力のあり硬い果肉の裂け目から、桃色のやわらかい果肉が現われる。血管の浮いた蛇たちが我先にと裂け目の中に、吸われるように飲み込まれて瑞瑞しい音を立てていた。上で獣達が残酷に吠えたるのを、神々しい肉が罪を許すように全て受け止め穢れて、笑っていた。楽しいのか悲しいのか気持ちがいいのか狂っているのかどうとでもとれた。その全てなのかもしれない。
彼の視線は男の方を向いていたが、時折画面の方を睨むように見ていた。それは人を不快にさせる睨みではなく、感情と性の高まりに感極まって、目つきを鋭く、眉をひそめているように見る者にはとれ、自分もその場に加わっているような気持ちを抱かせた。
もっと見て欲しいと思う頃に、彼は視線はまた画面の向こうの世界の人物に戻った。作り物のような媚びた瞳をしたかと思うと、その顔、口の中に、さっきまで果実を貪っていた蛇が口づけを望むように近づいて、薄い濡れた隙間に音を立てながら入り込んでいった。
苦しそうな顔をしながら何処までも飲み込んでいき、喉の膨らみが、水を飲むように小さく音を立てながら異物を自分の身体に吸収するため蠢いていた。
部屋にいた誰ともなく、画面を見ながらまた、まぐわりはじめた。似鳥が男の一人と女の一人とを呼びつける。誰もが目の前の生の人物ではなく、画面の向こう側の者を見据えていた。
テーブルの上に置かれた電話の向こう側から「お前が!」と恫喝が飛び、背後が騒がしい。向こう側の喧騒に比べ、川名の部屋の中は水の様に冷めていた。
美里は会話を背中で聞きながら窓枠を拭いていた。事務所の掃除は基本的には業者に任されたが、機密も多い事務所である。特定の個所については特定の人物が交代で行う。淡々と掃除をした。何かに集中していたかった。
「私が?何か、証拠でもあるというのですか。それとも警察にでも訴えて出てみますか。」
濡れタオルを片手に彼の背後を通った。川名はソファに腰掛け、話半分、手元で落書きをしながら電話の向こう側と相手をしていた。彼の手の下に精巧な人体の一部の素描、背中の左上部と背後に回された腕が描かれていた。腕は自然に回されているのではなく縄で留められており、描きかけになっている縄の端が余白に消えていた。
美里は何か考えかけ、それを掻き消すように掃除に戻った。事務所に来てから常に影から誰かに見られている気がした。タオルを片付け、今度は窓際に置かれた花瓶を手に取った。重みのある花瓶を軽く振る。すっかり水が吸い尽くされているようでカラカラと音がする。川名が背後でため息をついていた。
「で?どうするつもりなんだよお前。」
手が何者かに弾かれたように震え、一瞬の間があって、物が壊れる音が鳴り響いた。手に持っていた花瓶を取り落としていた。床に破片と最盛期を過ぎ熟れた花が、剥がれた花弁が散らばった。
「すみません、」
川名は驚いたそぶりも見せず、目だけ動かして美里の方をちらと見て、何事も無かったかのように電話の相手との会話に戻っていった。まだ電話は続いていた。
散った花弁と砕けた破片を掃除した。別の花瓶に花を活け替えて部屋に戻る頃には、部屋は全く静寂に満たされて、窓の外を鳥がさえずり羽ばたく音が聞こえた。
通話は終わっていたが川名は、さっきと同じ姿勢で何か描いていた。美里が入ってくると手帳を閉じてしまい、美里の方を見上げた。
「血が出ている。」
言われてから指が痛み始めた。花瓶を元あった位置に置きなおしながら、人差し指の先を見ると、真っ赤に濡れて、花瓶に紅い指紋をつけた。破片を集める時に切ったようだ。先にハンカチで花瓶を拭った。血が手の平をつたい手首まで滴って、濃紺色のシャツの裾を濡らした。色の目立たない服でよかった。指と手を拭う。
川名の視線を感じて彼の方へ吸い寄せられるように向かっていた。
「すみません、花瓶を駄目にして、手が滑り」
川名の手が美里の手首を掴んで引き、切傷の辺りを眺め始めた。また一珠、血が浮いて滴った。
「具合が悪いか?今日はもう帰ったらどうだ。」
「そういうわけではありません。集中をかいてしまい、申し訳ありません、」
「座れ。」
川名の手がするりと美里の手首から離れ、向かいのソファを指さした。黙って彼の対面に腰掛けた。彼はしばらく黙って美里の方を絵か何かを見るように眺めていた。美里が沈黙に耐え切れず、何か話そうかと思ったところで、川名が口を開いた。
「何かあったのなら、何でも言えよ。」
彼は軽く微笑んで美里を見た。微笑みの奥で何を考えているのかちっともわからなかった。何もかも、全てわかってるのではないかという気さえする。笑っているのに、どこか悪意さえ感じる。
「別に、何も、」
「そんなに俺って信用ないかな?」
彼は口角を上げたまま、わざとらしく、くだけたように言った。
「まさか、そんなことありませんよ。」
彼の目を見ていたくなかったが、逸らすこともできない。
「じゃあ、何か俺に言いたいことは無いか?もっと金が欲しいとか、もっと違う仕事したいとか。何かあるだろ。望みでも。言うだけタダだ。言ってごらん。」
「……、とくに、今は」
「……。あ、そう。」
川名は急速に世界の全てのことに興味を失ったかのように美里から目を逸らして、立ち上がった。美里がこの部屋に存在することさえ忘れたかのように。
脚が熱をもって痛み始めていた。顎関節の鈍痛、舌裏の筋肉痛のような痛みが続いていた。痛みを感じる程腹が立ってくる。二条に続き、間宮などの物を、あり得なかった。思い出すと吐き気がする。二度と無いはずのことが、この短期間で二回も。
全て打ち明けて楽になってしまおうかと思った。
霧野のこと、神崎のこと、間宮、二条のこと……。霧野のせいで、ようやく安定したと思ったはずの人間関係がこじれ、重荷を感じる。頭がどうにかなりそうだった。精神を安定させなければいけない。
「あの男は……」
美里は縋るように川名を見上げた。何故、今、あの男のことが口をついてでたのかわからない。もっと他に言うべきことがあるはずなのに。
川名は、まだそこにいたのか、とでもいうように無関心な目を美里に向けた。知らぬ間にそこに、父の面影を必死に探し求めていた。わからない、思い出せない。男の顔は、いつの日からか消えはじめ、日に日によく思い出せなくなっていった。思い出すのに時間がかかり、男の顔が靄がかっていく。無理に思い出さなければいいのに、思い出そうとムキになる。夢の中では大きな影のようになって現われた。
「アイツの話を俺の前でするなと前に言わなかったか。もう死んだと同じだからな。」
川名が遮るように言った。怒ってもいない淡々とした、冷めた言い方だった。
今度は美里が火がついたようになって勢いよく立ち上がった。
「何でも言えと言ったのは、貴方じゃないですか。」
「俺もお前も不愉快になるだけだろ。ほら、また……」
「死んだと同じというなら殺してくれよ。殺して俺の目の前に持ってこい!それくらい簡単だろ!」
「また掘り返す。もう、そう簡単な話じゃなくなったんだよ。あんなのにかまっている場合じゃないよ。それに俺達が自ら何かせずともアイツは勝手に誰かに殺されて死ぬ。そういう運命だ。今この瞬間に野垂れ死んでいるのかもしれない。どうしてもというなら、今じゃない。」
「待ってろと言うのか。やっぱり何か、情があるんじゃないのか?そうでなければ、何故俺を!」
部屋のドアがノックされた。川名が「待て」というのも聞かず、美里はドアを開けて、そのまま訪問者を押しのけて外に出ていった。
「いいんですか?」
「いい、好きにさせておけ。たまの発作みたいなものだ。出かけよう。」
◆
事務所の地下室が空であるように、どこもかしこも空に感じられた。
行く当てがなかった。求めれば求めるほどに乾いた。何一つ確証がもてない、何一つ自分の手で掴んでいられない。一体何だ?車でどこかに行く気も失せていたし、昼間から開いている店も無い。美里はいつの間にか雑居ビルの中を彷徨って、一つの扉の前に辿り着いた。
「おやおや、どうした……」
扉の向こうから、巨体が現われた。似鳥はアポとらず仕事でもない美里を特に邪険にもせず中に招き入れた。彼の事務所の中で、裸の、まだ少年、少女と言える子どもが二人ソファの上で気持ちよさそうに寝入っていた。
美里は何も言わず、空いていた一人がけの血のような色をしたソファに腰掛けた。ソファとソファの間に大ぶりの観葉植物が置かれ、窓から吹き込む風で葉を揺らしていた。煙草と、蒸れた草、お香、微かなアルコールの混ざったような退廃的な香りがしていた。ソファに身を沈めていると自分も部屋の中の一部になったかのように思われた。
似鳥は美里を一瞥して部屋の奥に消え、誰かと喋っていた。日本語なのか何語かもわからない音が響いている。少しして、エプロンをした浅黒いハーフの女が奥からグラスを二つとウィスキーのボトルを持ってきて、テーブルの上に置いた。帰っていく女の背中を見れば、エプロンの他に何も身に着けていない。女が去ると、今度は子供の様に小さい、しかし顔は成熟した女が黒いものをひとつ運んできた。ガトーショコラだった。特に手を付けずにいると、似鳥が戻ってくる。
「なんだ?食えばいいのに。いらないか?おいしいぞ?お前好きだっただろ。」
機械的に手を動かしてケーキを刻んで飲み込んだ。何の味もしなかった。午前中には売り切れる名店のケーキだったが、昔から、面白いほど何の味もしないのだった。くちゃくちゃと舐めるようにして食べた。時に見ている人間を悦ばせた。そういう時は、味覚が狂えば狂う程、良かった。
味自体好きでもなんでもなく、喉を通る時の触り心地が良かった。ねっとりした感じが臓器にこびりついた全てを上書いて拭ってくれるような感じがした。はっきり言って同じ感触のものなら、泥だって大差ない。泥を出されても同じ顔をして食うだろう。
味覚など無くて良く、人には五感全てがなくなったって良いと思う時もある。自分を手放して一つの物質になることだ。そうして時間を過ごしていると、何か大事なものと引き換えにして時間がすぐに過ぎていくように思えた。大事なものが何だったのか、よくわからない。
「どうして、……、」
やはり、言葉が上手く出て行かなかった。中途半端な言葉が頭のなかでぐるぐる回って消えた。似鳥は特に急かすでもなく、グラスにウィスキーを注いで煙草をふかし始めた。黄金色の酒の表面が煌めいて揺れていた。
「わからない、あの人のことがわからない、」
美里はやっとのことで、酒の表面が揺れるのを見ながらつぶやいた。似鳥が身体を揺らして笑い、グラスを手に取った。
「ははー、また喧嘩でもしたのか?お前も懲りないねぇ。わからない?当たり前だろう、俺だってわかりゃしないよ。あの人の考えてることなんて。」
「家族と思えと言いながら、俺を、支配しようとする。それは家族と言えるんです?親愛、恩義は感じてます。大事にされているのもわかる。しかし……。」
しかし、何が言いたいのかやはりわからなくなってくる。
「親の役割というのは、本来そういうものだ。あの人なりの愛情表現だと思うと良いじゃねぇか。大体あの人に支配されていない人間がお前の周りに一人でもいるのかよ。いたらこっそり教えてほしいぜ。」
美里は似鳥のどこか吐き捨てるような言い方に何か引っかかるものを感じた。
「……似鳥さんには、川名さんが、俺を家族として愛してくれてるように見えますか?」
言ってから気恥しさを感じ、頭のなかが熱く、痒くなった。愛してくれる!くだらない、そんなものを自分が本当に求めているのか?
「……。さあ。それはどうかな?俺にゃあわかんないね。」
「ふふふ……正直に言ってくれるところが好きだ、……ねぇ、何故わかんないなんて言うの?、素直に『愛してると思う』と言えば、川名さんの顔もたつし、俺だって多少機嫌よく帰れたのに、何でです?」
似鳥は美里の方を見て、厭な笑い方をした。美里自身も今鏡を見れば厭な笑い方をしているだろうと思った。
「何故って、俺も普通の家族について詳しく知らないから推測でいうけどよ、まず、普通の家族というのはな、こんなところに家族の一員を一秒でも置いておこうと思わない。」
似鳥は周囲を見渡して、鼻で笑った。
「それは、川名さんが俺が使える人間か試すため、」
「だから、そこが終わってるんだよ、お前は」
美里がムキになって言い返すのを似鳥が遮るようにして言った。
「あの人がお前にどう言ったか知らないが、家族なら、使えようが使えまいが関係ないんじゃないか?普通。子どもが酷い目に遭い、苦しんでいたらなら、子供の代わりに自分の身を差し出す、代わりに自分を殺してくれたって良いとさえマトモな親共は言い出すものだぜ。奴らは奴らで相当に狂ってるからな。ははは……まあ、組織としての家族という意味なら、話はまた違うんだが。これはこれで結束がある。少なくともあの人は組織としての家族には愛情を向けていると思うぜ、さもなくばこうも短期間で勢力を伸ばせない。」
「でも、」
「それに、お前はここを上がってからも、いろいろと苦労したんだろ。」
「どうしてそれを、」
「お前をよく知っている人間なら、見てりゃあわかる。あの人だって知らないわけないんだ。それを止めもせんで、……お、しゃべりすぎたな。」
似鳥が酒を仰いだ。彼の体積が大きいせいでグラスが異様に小さく見えて奇妙だ。美里は、黙って立ち上がった。似鳥の粘ついた視線が付いてくる。そんなことは薄々わかっていた。わかっていたが第三者からはっきりと言われるとこたえることもある。堂々と言ったところで何だと言うのだ、ただ恥をかき失望されるだけだ。
「なんだよ、もう帰るのかい、もうちょっとゆっくりしていけよ。これから余興もある。夜までいたらどうだい。暇つぶしの相手も適当に用意してやるから。」
「いい、興味ねぇです……」
「興味ない?本当かよ?」
美里は立ったまま、グラスを鷲掴み、中身を流し込んだ。喉が焼けるよう。痛みは感じるが、やはり味がない。呼吸をしても何も感じない。ここで出される物にはすべて味がない。酔えない。
「ごちそうさまでした、」
雑居ビルを出た。帰り際に似鳥が睡眠薬を土産にくれようとしたが、断った。
◆
神崎は署内のデスクで溜まっていた仕事を処理し、霧野の調査に戻った。
署を出て、車で約束の場所へ向かう。自分でもどうしてこんなに躍起になり始めたのかよくわからない。霧野には悪いが、久々に清々しい気分だった。空っぽになった家の中で妻のことを思い出す瞬間が瞬間が少なくなっていった。妻はもう二度と自分の元に戻らないだろうが、彼はそうではない。
山崎は別の支部、部署に異動していた。左遷ではなく、出世、栄転と言える。時期が急すぎることを除けば、彼にとっては順当な出世であり、とびぬけて不自然な話でもなかった。山崎だけでなく彼の周辺の人員もあわせて配置替わりしており、神崎とコネのある人間は一人として例の部署からいなくなっていた。急な出世、その他の人事、配置転換、全てが怪しく感じられた。
もう少し証拠を集める必要はあるが、美里との接触で、嫌な予想があたっているだろうことがわかった。生死も、この目で見るまで本当のところはわからない。本来なら、すぐさま行動すべきだが、署内で騒ぎ立てるには危険すぎると直感した。第一、誰も騒いでいない。一捜査官の命が危険だと言うのに、当の部署が暢気に配置換えなどやっている。
潜入捜査が失敗したとなれば、”彼ら”のことだ。捜査官の命よりもまず先に、彼が何か秘密を漏らすこと、こちら側の不利になることが起きることの方に神経質になる者もいる。不祥事をもみ消すつもりか、まさか、最早死んだものとでもしているのか。トカゲのしっぽきりだ。
協力者を探すなら、相手を見極めなければならない。まだ生きているならば、霧野にも不利になる。しかし、悠長に見極めている時間も無いだろう。
喫茶店の奥のボックス席に彼はもう来ていた。冷めたらしい飲みかけのカフェオレが置かれている。
「お前から呼び出しておいて、遅刻か、相変わらずだな。」
山崎は、近くを通りかかったウェイトレスを呼びつけた。
神崎はウェイトレスの方は見もせず、足を投げ出すようにして座り「アメリカン、大きいサイズ、砂糖ミルク無し」ため息交じりに言った。それから、山崎の方を見下すように見るのだった。
「遅刻?30分もたっていない。」
「こっちだって忙しいのに、同期のよしみで来たんだぞ。」
「こっちだって忙しい。お前と違ってしょうもない雑務も多いからな。」
神崎が早速煙草を取り出そうとすると「馬鹿、禁煙席だぞ」と山崎が止め、神崎は呆然とした。
「前はこの席でも吸えたんだが。おや、お前は、やめたのか?」
「とっくにやめたよ。子どももいるしな。」
「あ、そう。劉輝君と凛ちゃんだったかな。」
煙草をしまいながら、山崎を見る。彼は一瞬気味の悪そうな顔をした。お前は俺の元妻の名前を憶えていないだろうな、と言おうとして止めた。
「順当な出世おめでとう。もう安泰だろ。奥さんも子供さんも。」
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「生死?」
「そうだよ。この際お前には言ってもいいと思うからいうが、定期的に霧野と会っていたのさ。誰もアイツをケアしてやらなかっただろ。それが最近姿を見せない。おかしいんだ。」
「勝手なことをするなよ……。まあいい、俺にはもう関係がない話だ。どちらにせよ、俺はもう持ち場が違う、場を設けろと言われてもな。」
「後任の一回目なら何かしら引継ぎがあるだろう。お前も関与するはず。」
「それが、そうでもない。」
「何?」
「人事は急に決まったことで、引継ぎも通常ではあり得ない迅速さで行われた。この件に今後一切かかわる必要がないと直接お達しがあったくらいなんだ。正直俺でも臭いと思ったが、危険な仕事でもあったし、俺も早々に部署転したいのもあり、拒否する理由も無かった。無意味に拒否してお前のようになるのもな。」
神崎は思わず吹き出すようにして笑っていた。山崎が呆気にとられて見ている。あまりに大きな声で笑ったので、他の席の客が振り向くくらいであった。神崎はひとしきり笑った後、頭を掻きながら山崎をねめつけた。
「拒否する理由も無い?お前みたいな無責任なのが出世して、いよいよ駄目だなここは。前々から掃きだめだと思ってたが、限界だ。俺の唯一の愉しみを取り上げておいて、それをあっさりと捨てやがるんだから。話にならないな。」
「……お前、大丈夫か?ちょっとおかしいぞ。」
「……。」
「どうして霧野にこだわる。ことがことだ、部外者が首を突っ込むのは止めておけ。若手の育成がしたいなら、他にいくらでも、」
「ふふふ、まあ普通そう言うだろうな。お前が相変わらず普通の人間で安心したぞ。首を突っ込むなだ?もう遅いんだよ。」
「お前、何を、」
山崎が何か考えるそぶりを見せ、席を立とうとするのを神崎が腕を掴んで引き止めた。
「駄目だ、これ以上お前と話していたくない。俺を巻き込むな。」
「昔から、危険を察する能力だけは尊敬する。器用に回避してうまく成り上がっていったんだろう。力を持つものは、国家の抑止力というものは、本来なら、こういう危険にこそ突っ込んでいかなければならんのだ。座れ。」
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テーブルの上に角砂糖の詰まった瓶がある。一つ砂糖を取り出し口の中に含んだ。
妻は、神崎に劣らず気が強く、1人でも、いや若い男の一人や二人抱えて生きていけそうであった。彼女の寂しさのシグナルを無視し続けた。互いに自立した関係だと誇って誤魔化し、仕事ばかりしていた。仕事に精力も奪われていつからかまともに抱き合うこともなくなった。
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同時に、美里の「ちょっとレイプして教育してやったくらいでなんだ」という言葉、声、悪気、反省というものが一切感じられない優越感に塗れた笑みが思いおこされる。悪人の顔は腐るほどみてきたが群を抜いて頭に残る。
口の中で角砂糖が音を立てて砕けた。耐えがたい。いや耐えがたいのは自分より霧野の方だろう。口の中が甘味に満たされていく。
いつからか、ポケットの中で携帯が震えていた。
「なんだ。」
『……、……。』
電話の向こう側で薄っすらした呼吸音が続いていた。何か迷っている。このまま切らせてはいけない。神崎は一つ息を吸ってから電話の向こうに呼び掛けた。
「この前は悪かったな。俺も熱くなってしまった。もうお前からかけてくることは無いと思っていたから嬉しいくらいだよ。傷の具合はどうだ。そんなに深くは無いと思うが、」
『呑気なこと言ってんじゃねぇよ、アンタ、ホテルで気味の悪い長身の男に会っただろう。』
淡々とした美里の声が電話の向こうから聞こえてきた。
「……。ああ、会ったよ。言ってなかったか?」
『ああ、じゃねぇんだよ馬鹿が。何故早く言わない。アレはウチの末端組員だ。奴はまだアンタのことを内部に漏らしていないが、俺とアンタが繋がっていることに勘付いて俺に脅しを掛けてきたのさ。いくらか金を握らせておいたから、奴は今でこそ黙っているが、俺の金が切れたら俺もアンタも終わりだよ。わかるか?死ぬんだよ。こちらの金が切れる前に、なるべく早く何か、奴の弱みを探ってくれ。ただ、慎重にな。』
「なるほど、仕掛けてくるようになったじゃないか。ふふふ、」
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『一蓮托生?なんでお前なんかと。お前独りだけ消してやったっていいんだぜ、神崎さん。』
電話は一方的に切られた。
◆
「あれ、美里君もう帰っちゃったの?」
着衣の乱れた若い男と女6人がぞろぞろと奥の部屋から出てくるのを似鳥は眺めながら「そうだ、残念だったな」と笑った。
壁にかけられた大画面の中で、かつての、全盛期とも言える美里が、透けるように薄い白いシャツを着たまま男の上に乗って乱れていた。
「やめなよ、こんなのつけて、もし戻ってきたら殺されるよ。」
女のひとりが言ったが、誰も消そうとはしない。
断続的な高い音色と肉が肉を打つ音とが、蒸れた部屋に響いていた。徐々に、蛇の皮がむけるように衣服がはがれ、落ちていき、見る者の方に白く陶器の様になめらかな背を向けた。背中がしなると薄い皮膚の下に背骨が一つ一つ浮き出てアーチを描き、繊細な骨格を強調させた。
画面の方を見ながら、男女は笑いあいながら、部屋の中を移動したり、思い思いの位置に座ったりした。
似鳥はソファに深く座ったまま彼の姿を眺めていた。やはり、天性の者だと思った。今でさえ、少し勘を取り戻させれば、現役でいくらでも客が付くだろう。多少、年は食っても彼の復帰を望む者は少なくない。彼にはできることも多かった。
彼の残していった映像の中に、女の登場する映像も無いわけではなかったが、今のような物の方がよく映えた。
川名と似鳥の元に来る以前に、あの劣悪な環境で何かあったか、施されたらしく、行為の上ではうまく生身の女の前で振舞うことができなかった。やれないことはないが、見ているこちらが物悲しくなるくらいだ。ただ、それを面白がる人間もいるのだから、使えないことも無い。おそらくそのための施しだったのだろう。逆に、生身で無ければ面白い程なんとでもなるようになっていた。マニア向けが過ぎ露悪的であったが、需要はあるのだ。本人の口から聞くのも酷であり、話す気もないだろう。
その反動とでもいおうか、女が抱けない分溜まった異様な負の熱量が男との間で発散されていた。
「辞めさせる?なぜ、今の様に経営に噛ませておくだけでいいじゃないですか、そうすれば追々、」
「決めたことだ。今月には出してもらおう。」
「今月っ、はぁ~……それで?どうするおつもりで?」
「別の仕事をさせることにする。今が一番いい時期なんだ。」
似鳥は、川名の言う一番いい時期の意味について揶揄しようと考え、止めた。
「相変わらず、酷い人ですな。」
「酷い?俺が?どうしてお前までそんなことを言う。」
隆々と勃起したペニスが画面端から現れて、別の男が加わった。既に何かの液にまみれて、ぬめぬめと艶めいていた彼の身体に、あらたに穢れた液体がかかった。そうして多くの粘液に濡れるほど、彼の身体は艶めいて、淫靡さを増した。前から後ろから抱かれ、抱き着いている。体に力が入るのが抑えきれず、男の皮膚に爪が立っていた。
彼だけが別の世界から来た生き物のように画面の中で浮いていた。ユニコーンの角が感度を増して大きくなっていった。
背面から秘所が大写しになった。白く若い果実が割れて、弾力のあり硬い果肉の裂け目から、桃色のやわらかい果肉が現われる。血管の浮いた蛇たちが我先にと裂け目の中に、吸われるように飲み込まれて瑞瑞しい音を立てていた。上で獣達が残酷に吠えたるのを、神々しい肉が罪を許すように全て受け止め穢れて、笑っていた。楽しいのか悲しいのか気持ちがいいのか狂っているのかどうとでもとれた。その全てなのかもしれない。
彼の視線は男の方を向いていたが、時折画面の方を睨むように見ていた。それは人を不快にさせる睨みではなく、感情と性の高まりに感極まって、目つきを鋭く、眉をひそめているように見る者にはとれ、自分もその場に加わっているような気持ちを抱かせた。
もっと見て欲しいと思う頃に、彼は視線はまた画面の向こうの世界の人物に戻った。作り物のような媚びた瞳をしたかと思うと、その顔、口の中に、さっきまで果実を貪っていた蛇が口づけを望むように近づいて、薄い濡れた隙間に音を立てながら入り込んでいった。
苦しそうな顔をしながら何処までも飲み込んでいき、喉の膨らみが、水を飲むように小さく音を立てながら異物を自分の身体に吸収するため蠢いていた。
部屋にいた誰ともなく、画面を見ながらまた、まぐわりはじめた。似鳥が男の一人と女の一人とを呼びつける。誰もが目の前の生の人物ではなく、画面の向こう側の者を見据えていた。
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