堕ちる犬

四ノ瀬 了

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いつまでも人間のフリしてるのも疲れたろ。

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縄が解かれて、自由になったはずの身体に無数の腕が絡みついた。霧野は車のシートに指をかけ、抵抗したが、嵌められた首輪が食い込み、数人がかりで身体を抱きかかえられ、殴られ、罵声を浴びせかけられ、とうとう車と外に引き出された。その拍子に体内から異物が勢いよく零れ落ち、車内を転がった。そうして、地面の上に放り出され、複数の男達に囲まれた。

「う゛うっ……」
「まだこんな力が残ってたとは大したもんだな。」
「そうだ、コイツは大した男だよ。ご苦労だった、新座、お前もコイツの身体から異物を出したから、使いたければ使っていいぞ。お前はあの日出張でいなかったしな。」

川名が上で何か言っているのが霧野にはよく聞こえていなかった。地面から身を起こそうとするが、うまく起こせない。痛むのは耐えられる、単純に体力が乏しくて頭の奥がくらくらした。

手錠は前でかけられたまま。左脚は車からは外されたが、縄の端を誰かが持って引きずった。彼らは器用に縄を扱って、余っていた分の縄を使い、霧野の左脚だけ折曲げた状態で縛って固定した。タチが蝋としても、ミシミシと縄が軋んで、それを許さない。久瀬が霧野のすぐ側にかがみ、口から枷を外した。声をより先にダラダラと涎が零れ落ちた。かけられたリードが遥か上の方にのびていった。何か声を出すべきなのに咳き込むばかりで言葉が出てこない。

「……。」
日差しが強いことが余計に頭を沸かせる。手のひらの下の地面が暖かく、黒い大きな影が揺れていた。
「そうですよ、他の連中から聞いて歯がゆい気持ちでしたね。次の番が回ってくることがあるのかもわからない。な、そうだろ澤野、いや、霧野君。」
「……、」

声のする方に目を向けると、幹部の一人の新座がこちらを見降ろしていた。新座の大柄な身体の影が体の上に伸びてくる。

「なんて顔してやがる。……」
新座の視線が霧野の顔面から後ろの方に撫でるように伸びていった。
「なんて身体だ……」
それは心配すると言うよりも何か期待を含んだ声色をしていた。霧野は手を拘束され、脚を片方結われた安定しない姿勢で、地を這った。逃げる場所など無いというのに、身体はどこかへ這い移動しようとした。それを脚で止められ、転がされ、引っ張られて元の位置に戻される。まるで子どもが虫や小動物を囲んで遊ぶのと同じだった。

呼吸が定まらず、朦朧とする意識の中で霧野は新座を見上げながら、確かにまだ彼の物を口に突っ込まれていない気がする、と思って舌を出した。視線を周囲に向けてもじょじょに誰が誰なのかよくわからなくなってくる。また視界の隅で、リードの揺れるのが見え、その線を追っていくと川名がこちらを見ていた。彼は興味なさげに視線を新座の方に向けた。

「お前達の中で賭け事が流行っているらしいな。新座お前は一体何日に賭けてた、もしくは賭けてるんだ。」
「俺ですか、10日です。」
「へぇ、じゃあもう負けたわけね。おい、霧野。お前なんで10日で死んでやらないんだ。新座が可哀そうじゃないかよ。」

川名が半ば笑いながらそう言ってジャケットの中を探り始めた。中から、人差し指と中指でコンドームを摘まみだし新座の方に差し出した。

「ノアとした直後だからな、流石に汚くて嫌だろ。これを使うといい。」

霧野はようやく自分がまた犯されようとしていることに気が付いた。
再度周囲に目をやった。まごうことなき野外、周囲を組の人間が十数人囲んではいるが、その向こうに全くの部外者もちらほら見えた。会が終わったのか。

二条の姿がまだ見えない。もし今二条が来れば、勝手に車を荒らされたと言って何とかしてくれないだろうか、いや、奴に限って……。駄目だ、どうして昨夜のことがあってからというもの、ノアに犯されている時に続いて奴のことを考えてしまう。狂いそうだ。こんな調子でどうする。奴らに支配されるのか。

「顔色が最悪だぞ、今から温めてやるからな。」

新座が笑って近づいてくる。返す言葉が何も浮かんでこない。こんな場所でまた輪姦されるのかと思うと耐え切れなかった。川名が近づいて来たかと思うと、彼の靴先が腹部に思い切りめり込んだ。

「う゛ぉ……っ」
「おい、何してるんだ。新座に使ってもらうんだろ。そんな体制じゃ挿れづらいじゃないか。這え。最低限の自分の仕事位マトモにやれよ無能。」
「……、」

ぐるぐると揺れる視界の中で新座を探し、新座の方に下半身を向けて膝を立てた。左脚は地面への接着点が膝しかなくぐらぐらする。膝と肘が床ではなく土に擦れて汚れた。
「は、あははは……」
こんなに低い視線で、真昼間の野外に出たことがないため、本当に自分が動物になってしまったかのような錯覚を覚えた。はあはあと上がっていく息も人間のそれとは思えない。唯一ノアとだけ視座の高さが合い、彼が遠くから大人しくこちらを見ているのが視界に入った。背後でピリピリとコンドームの袋の破れる音がした。

「ああ……」

霧野の口から思いのほか絶望的な声が漏れ出た。周囲を湧かせた。嘗て自分が鳴らしたこともあったその音を聞くことで強烈な嫌悪感が再び霧野の中に舞い戻り、思わず腕を一歩前にだし、逃れようとするが、腰を抱きかかえられ一気に中に獣を、余韻の色濃く残る中に挿しこまれ、衝撃に大きく声をあげてしまう。

「ん、何だよ、今の声は、」

嘲笑されながら、突きがさらに乱暴な荒い調子に変わっていき、パンパンと肉が肉をうつ音と粘着質な音が続いた。視界が上下に揺れて、残像を伴った。体液がこぼれ落ち、周囲から揶揄するような声が響き渡っていた。

「コイツ……情けない格好で外でヤられているというのに、勃起してるじゃねぇか、こういうのが好きなのか?」
川名が「そうだよ……」と笑っていた。
「見ろ、この素晴らしい姿を。でもまだまだお前達の気は済まないだろう。お前らの欲望には際限が無いからな……」

姿勢を保つだけでいっぱいいっぱいになりながら、手に力をこめた。突きに合わせて地面が揺れ、地面にぽたぽたと雫が落ちていった。
声を漏らしながら、地面から軽く視線をあげると、リードがふらふらと突きにあわせて左右に揺れたわんでいた。リードを追っていくと川名がリードを持ったままポケットに左手を入れているのが見えた。川名が今どんな風に自分を見ているのか気になり、さらに頭を上にあげた。

彼は霧野の方など一切見ていなかった。それは少なからず霧野に大きなショックを与えたが、一体何がショックなのか、理解することができなかった。彼は、また、煙草をふかしながら携帯を見て何かしていた。霧野の首輪を嵌められた喉の奥と股間がきゅうと切なげに顫動し、背後で新座が声を上げた。

川名が左手をポケットから取り出し、リードを手首にかけたまま、煙草を摘まみ、ゆっくりと煙を吐き出した。その拍子に携帯の方を向いていた瞳だけが霧野の方を見降ろした。彼はしばらく黙って霧野を見下げていた。

「なんだよ、何見てる。余裕そうだな。もっと人を呼ぼうか?暇なヤツ全員呼び出したっていいんだよ。」

煙の向こう側で彼の瞳が全く揺れず冷徹に見降ろし続けていた。霧野の下半身が蕩け始め、新座と自分自身の身体の境い目がよくわからなくなり、熱く熱く滾った。ぐるぐると渦巻くような快楽が腰の中に重く溜まり、だらだらと勃起した肉棒から透明な汁が垂れ続けた。

またひと声あげ、霧野は再び頭を下げた。こんなところ、仮にも外、公共の場で輪姦に突入するなど、やはり死んでも嫌だった。新座一人で終われるならそれでいい、彼らを挑発している余裕はない。冷たいはずの地下室が恋しかった。またきゅるきゅると腹が鳴り、身体の中の異物などどうでもよく、とにかく、美里の出してきたゲロのようなご飯でさえ恋しくなった。霧野は揺れる視界の中で美里を探してから、自身の卑しさに気が付き、さらなる絶望感の中に落ちていった。

長い間があり、身体から異物が引き抜かれる感じがして、霧野は二度三度と大きく身体を震わせ、口を半ば開きながら、視線をあらぬ方向に向けた。体から力が抜けて、下半身がへたって、地面についてしまった。
「う゛…ぁ゛……っ」
臀部が気持ち悪く、体液が地面との境い目でぐちぐちと音を立てて身体を汚した。土に爪を起てたせいで、爪と指の間に土が入り込み痛み、視界の中で指先が真っ黒になっていく。
「う……、く…」

「宮下、」
霧野の喘ぎなど気にせぬように、川名が普段通りの声を出して宮下を呼んだ。

「お前はさっきのゲームの点数的には3位だがコイツから産ませたからな。どうする?今やるか?」
「私は……」
「特になければその辺に落ちてる木の棒か、尻尾でも生やかしておいてやれ。悦ぶからな。」

川名が足元にあるバッグを蹴って宮下の方に移動させた。宮下が中から何か取り出して霧野の方に近づいていく。川名も一緒に近づいてくる。

「いつまでも人間のフリしてるのも疲れたろ。最近外出もさせてなかったし、宮下に散歩でもさせてもらってこい。いつまでもへたってるんじゃない。」

肉を弾く音と共に鈍痛が全身に広がった。腰から臀にかけてをケインで強く撃ち抜かれ、そのまま体に異物が挿入される感覚が続いた。唸りながら体を伸ばすと続いて叱責が飛んだ。

「休めなんて言ってないだろ。どうして俺の命令外のことばかりするんだ?まだ大丈夫だろ?お前ならば。さっさと行ってこいよ。」

手錠が外された。手首が傷んだ。手が自由になったのに何も出来ないまま地に手をつけ続けた。痛みとショック、自己嫌悪に苛まれ、わけのわからぬまま、首輪をリードで引かれて散歩を開始した。まだ日が高く、何十人もの人間の視線を感じながら、地面の上を這って歩いた。どこまで行っても終わりなどなく、ゴールも無かった。

「はぁ……、はぁ……」

肉体と精神の極度の疲労と、歩く度に擦れる中の痛みと、やましい快の感覚に息を荒らげながら地を這っていると、本当に自分が人間でなくなったような気がしてくる。

しかし、本当に自分が獣だったなら、この粘つくような異常な視線は感じないなずなのだ。遠くから人の声がするが聞こえぬように目の前のことに集中し、自分の役をやれ、自分は犬だ犬だ、犬、と言い聞かせながら、引かれるまま、俯きがちに歩き続けた。自分が何なのか、彼らに対する復讐心や怒り、そう言った感情を持とうとすると耐え切れなかった、ここで宮下に反逆したとしよう、どうなる、今でさえ最悪なのがもっと最悪になる。

運動場ほどもある駐車場を往復して戻ると川名を囲んでいた人混みが割れた。割れた人混みの間を連れられて川名の足元に引き出された。リードが宮下の手から川名の手に渡されていった。霧野が顔を上げるより先に川名の革靴の底が霧野の頭を踏みつけ、地面に顔をつけさせる。川名の足の下で、唸るような呼吸が渦巻いていた。

「なんだ?たった5分でいいのか?大型犬の運動量はおそよ90分くらいだ、せめてあと15分くらいは行ってこい。」

川名は辺りを見渡した。組員の他に、関係者が数十名ほど外に出始めていた。

「さっきより人も増えてきたな。これだとお前が何処にいるのか見失ってしまうかもしれない。お前がどこにいても分かるよう、印をつけてやろう。腹を見せろ。」
脚がどいた。
「……、」
霧野の指先が反抗するように軽く地面を引っ掻いたが、体は大人しくいうことを聞いた。膝立ちか迷ったが、腹を見せろと言っている。地面に転がるようにして、背をつけて、体を開いてみせた。川名が同時に霧野の内ももの当たりを踏みつけてさらに股を開かせた。太陽のせいかギラギラとした病んだ輝きを持った瞳が霧野の身体を見下ろしていた。

「そこにつけてやれ。」
 
身体を複数の人間に触られ、押さえつけられたが、霧野の視線は川名の方だけを向いていた。ペニスの先端に付けられたリングに紐が通され、鈴が括り付けられた。それは、霧野の身体の動き、疼きにあわせて凛々と音を立てた。
「……、……」
霧野は悪趣味だと言おうとしたが上手く声が出せず代わりに鈴がコロコロと可愛らしい音を立てた。
「そんなに鳴らして、気に入ったか?良かったな。さ、もう一回りしてこいよ。」

首輪を強く上に引かれて霧野の身体が軽くのけぞる。頭がそり返るように天の方を向いたがその瞳は見下ろすように川名を見ていた。



間宮は余韻に浸りながら、身体を起こした。パーティ客の一人と思われる男が間宮の方を見ながら手を洗っていたが、目が合うと何も見なかったように鏡の方に視線をやった。

「おじさん、誰だか知らないけど、溜まってるなら一発抜いてやろうか。」

男は間宮を気味悪げに一瞥してトイレから出ていってしまった。期待してなかったが、まだムラムラしてとまらない。オナホ野郎が暇してるなら遊んでやったが、どうやら職務に勤しみ忙しいらしい。遠目から見ていたが敬礼さえしたくなるほどの勤労っぷり、しばかれっぷり、ご苦労様だった。

仕事は手を抜くに限るというのに、どうして一生懸命やるのだろう。さっさと手を抜いて、精神を手渡して、死ぬか、こちら側までくればいいのだ。

「はぁ、つまんな……」

衣服を整え、さっさと裏口の方へ向かった。このまま帰ってもいいのだが、美里を見て思い出したことがある。

金策だ。あの頭の悪いコネ男娼のせいでまた借金が増えたのが腹立たしいが、気持ちが良かったからまあ良しとしよう。思わぬ金策を発見したのは、ダーツゲームの後さらに金を出すという三島に請われて、澤野がやっていた経費精算、次月の経費調整、客層分析を手伝っていた時だった。上の人間にばれると面倒だが、三島がチクるような人間にも思えなかったし、仕事に興味があった。作業の中で、澤野の残していった書類が薄気味悪く趣味の悪い紫色した猫の形のクリップで止められているのを発見した。

「きっっしょ、なんだいこれは。大の男が。随分と悪趣味だよ。心底キモイね。」
三島が「ああ、俺があげた奴ですそれ」と苦笑した。
「へぇ、君も良い趣味してるな、女か?」
「いや、パチンコ系の仕事で不要な景品の一部をここに置いておいて、好きに持っていかせてたんですよ。それであの人が何か猫のキャラ物のお菓子を持っていくから。」
「ゴト(※パチンコやパチスロで不正な方法で出玉を獲得する行為)?俺も本当はそういう仕事したいし得意だと思うんだけど……。」
「俺から上に言っておきましょうか。」
「言ったところでねぇ……」

間宮は伸びをしながら、まぁ、無理だろうな~と思いつつ、キャラクターについてネットで調べた。なるほど、奴が集めていた気色の悪い猫のキャラクターの派生商品だ。意外と世の中では人気があるらしい。

間宮は調べているうちにたどり着いたネットオークションサイトでグッズを眺めている内に、マウスを触る手がじっとりと汗ばみ、それから、急速に喉が渇いていくのを感じていた。
「は……ははは……」
「どうしました。」
異変に気が付いた三島が間宮と一緒に画面を覗き込んだ。ボンテージを着た猫のマスコットに0が5桁ついて、先頭の数字は8である。
「わ~すごいっすね。可愛いけど、こんな金出しては買わないな~。」

気が遠くなって三島の声が聞こえなくなっていった。ホテルで首をへし折って捨てた美里によく似たクソ猫人形じゃないか。まだ、あそこに残っていることはないだろうか。転がって隙間にでも……。間宮はちら、と横目で三島を見た。三島が間宮の分析した客層傾向について「すごいすごい」と言って喜んでいるのを見ると、三島の前で女々しい泣きごとも言えず、データ分析も途中で投げ出したくなくなった。そこで、時間が空いた時にダメ元でホテルに行ってみようと決めたのだった。

間宮は無駄と思いつつも、トイレから出たその足でホテルに向かうことにした。ついでに嬢を呼んだって良いし、ちょっと準備して広いベッドで盛大にマニアックな自慰したっていい。休暇だ。



「さあ、知らないね。」
「まあまあ、そう言わずにさ。」

神崎はラブホテルのフロントに30分以上の居座り、中の中年女性に話しかけ続けた。いや、顔が見えないので声だけで中年女性だろうと判断して話しかけ続けていた。

「男二人客なんてこの辺じゃ珍しいだろ。男二人の場合は隣町の方が都合がいいホテルが多い。派手な身なりな客ならわかるはずだ。」

神崎は携帯の画面に霧野遥の写真と美里亮二の写真を交互に見せていた。写真の中の霧野は無愛想にカメラの方を眺めていた。何を考えているのか分からない不安になる表情だ。署の飲み会で複数人と写って撮られているのを切り取って持ってきたが、彼一人だけ笑っておらず冷めた目付きをして浮いていた。

美里亮二、彼の写真は公園で犬の散歩中のものを隠し撮りしたもので、こちらも酷く愛想が悪かった。電話に出ている時の表情などさらに最悪だ。別に、彼のことを調べてたどり着いた全く異なる表情で写った過去の写真がいくつかあった。

神崎は、あの後美里を言いくるめてホテルの中で撮影された写真を一枚だけ入手していた。彼の方から連絡をよこしてきたのは別れてすぐのことだった。彼は霧野の人となりを知りたがったのだ。逆に神崎は、美里が霧野とどのような関係性であるのかわからなくなり、興味を持って可能な範囲で彼を調べた。

単にあちらの職場での霧野の同僚ということで目星をつけた男だったが、単純な話でもなさそうだ。霧野が奴のような男を抱くのはまだギリギリ想像できたが、網膜に焼き付いて離れない彼の乱れる姿、それが繰り返し脳内で再生された。何故か頭の奥が変な感じがする。とはいえ、本当にアレが和姦であるかも大いに怪しい。

ピンク色に変化する室内灯、背後に写る絵画、ベッドの広さ、部屋の年期、それらから推測して、ホテルを近隣10件程度目星をつけて一軒一軒回っていた。そうしてたどり着いた郊外のうらびれた場所にあるラブホテル、ここにも適当な女を連れて入ったところ、写真に限りなく近い部屋雰囲気をした部屋が確認できた。女をほっぽりだして荷物を手にフロントに駆け込んで今に至る。

「ねぇ、秀ちゃん、もう戻ろうよ~、どうしたんよ」
女が後ろで神崎のシャツを引っ張った。適当に引っ掛けた女だったのに妙になついてしまった女だ。
「うるさい、お前は先に帰れ。俺は仕事を」
「仕事?そんなのどうだって」
「俺が愛しているのは仕事だけだ。そういうわけで、部下も妻も皆いなくなったんだ。お前も愛想をつかしてさっさとどこかへ消えろ。」
「も~なんでそんなこと」
「いいから帰らないか!俺の目の前から失せろ。はやく。」
神崎が車の鍵を投げつけると、女はぶつぶつ文句を言いながらホテルから出ていった。泣きもしない、神経の太い女だ。神経の太い女は悪くない。神崎は改めてポケットから警察手帳を取り出しラブホテルのフロントに刺し入れた。
「……」
それから神崎はさっきと打って変わった静かな声を出した。

「もしかしてコイツらが反社だからって黙ってるのか?お金、貰ってるのかな?こんな場所じゃ毎月アカだろ。ここの周囲にいつまでも張り付いてやったっていいんだ。そうしたら、ココは組で後ろ暗いことで使えなくなる、もしくはアンタらが奴らを警察に売ったと思われるかもな。俺は今暇だからな、いつまでも張り込んでやれるよ。それに、」

神崎は懐から封筒を出し、その中身をちらつかせた。

「脅しに賄賂。どっちが悪人なんだか。はぁ、そいつらなら確かに来たし、片方は顔もよく知ってるよ。」
「どっちのことを言ってる。」
フロント窓から指が出て、スマホの画面に映る美里を指さした。
「酷い雨だったね。もう一人を引きずって抱えるようにしてやってきて、しかもそこで吐かせやがったからね。勘弁してほしいよ。」
フロント窓から腕が出て、待合スペースを指さした。
「抱えるように?酔ってたってことか?」
何か言い淀むような雰囲気があり「そうだね」と声が返ってきた。
「何時から何時までいた。記録が残ってるだろう。見せてくれないか。」
神崎は封筒から万札を二枚ほど刺し入れた。
「……」
さらに二枚ほど刺し入れると、パソコンのキーを叩くような音が聞こえてきた。
「深夜3時に入って、そのまま24時間以上たった朝の9時過ぎに出てってるね。」
「丸1日以上?」
行為をするには長すぎるし、時間帯もおかしい。
「他に変わったことは。」
さらに1枚、2枚と刺し入れた。
「さあ、途中で、別の人間が来たことくらいかな。」
「別の人間?どういうことだ、同じ部屋に入ったのか?」
「次から次へとうるさいね。言えるのはここまでだな。アイツらは超過料金込みで30万も置いてったんだから。同額暗い貰わないと。」
「そこに監視カメラがあるだろ、それを」
「正式な令状も無いくせに。こっちだってボランティアやってるわけじゃないんだ。」

フロントの向こうから気配がなくなった。

「アンタ刑事さん?」

いつからいたのか、待合スペースの近くに荷物を持った業者らしき男が立っていた。
「いやぁ、大変ですねこんなところまで。何か事件でも?嬢が殺されたとか?最近多いでしょ。よく新聞で見る。」

男はふふふと笑って爽やかに微笑みかけてきた。しかし、その人を油断させるような笑顔は場や言っていることにそぐわず、気味の悪い奴だなと思った。

「誤魔化さなくたって、警察手帳出してるところから見てたんですよ。」
「……。」

神崎は直感的に目の前の男がカマをかけてるなと思った。本当はつい、今さっき来たばかりではないだろうか。それにしても、こんな狭く開ければ戸がきしむようなホテルなのに、何故気が付かなかったのだろう。あまりにこの男に存在感が無いからだ。気味が悪い。声を掛けられるまで全く気が付かないなどあり得ないことだった。

「なぁに、そんなやばい事件なの。大変だねぇ……」
男がこちらに近づいてくる。猛烈に嫌な感じがした。久しぶりの感覚だったが、この直感に間違いはない。携帯をしまった。
「人探しをしてるんだ。」
「人探し?」
神崎はポケットの中で操作した携帯を取り出して、今調べているのと全く無関係の人物を彼の前に映し出した。彼は携帯を見降ろしてうすら笑いを浮かべた。気味の悪い、笑顔なのに感情のない不思議な顔だった。
「へぇ……何したんですこの人」
「殺人」
携帯をしまい、「満足したか?」と言い捨てて、彼の横をすり抜けた。幸い男が追ってくる様子は無かった。呆然としながら車を走らせた。疲れていた。どこをどう運転してきたのかよく覚えていない。何日も前から、山崎に電話をかけているがつながらない。署にでも行って、久しぶりに直接会うのがいい。
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