堕ちる犬

四ノ瀬 了

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今朝もここ来る前にしゃぶってきたのか?ついでに俺らのもしてくれよ。

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「澤野さん、折檻中なんでしょ。隠さなくてもいいですよ。」
青木の目の中に好色な雰囲気が浮かんでいた。美里が地下から上がってきたところに待ち伏せのように佇んでいた。美里は青木を見下げながら軽く微笑んだ。
「じゃあもうその通りでいいよ、俺はお前と違って忙しいんだからつまらないことでいちいち話しかけるな。ああ、仕事が欲しいのか?たくさん分けてやるから喜べよ。」
青木が何か言い返す前に今週誰かに指示しようとしていた仕事をいくらか押し付けその場を後にした。

川名について別の組との会合に行くのである。兵頭組の組の規模は川名の組と比べると三倍以上と大きく歴史も古い。上部組織からは対等な存在として見られているが、兵頭組はそれを気に入らずともすれば、吸収合併させようともしてくる面倒な関係であった。美里からすれば、実力としてはウチの方が上という感覚があり、川名も口にはしないが同じことを思っているように思えた。

車を事務所の前に回すと同じくらいに川名が事務所から出てきた。
「おはようございます。」
「……」
彼は気だるげさを隠そうともせず美里を一瞥して車に乗り込んだ。午前中は特に気を使って運転をする必要があった。しばらく車を走らせてバックミラーを見る。窓の外を見て珍しく爪を噛むようない仕草をしていた。気分が悪そうだった。
「お前さぁ……」
と言って川名はバックミラー越に美里を見すえた。口の中で軽く舌打ちをしたのが見えた。
「はい。」
「お前、向こうついても車から降りなくていいよ。」
「……わかりました。」
理由がなんであろうと反論する気にならなかった。
「……」

それきり川名は黙ってまた窓の外を眺め始めた。何が面白のだろうか。変わらない景色。しかし、美里の頭の中から霧野とあの男のことはすっかり消え失せて、背中にじっとりと汗をかいてきていた。

兵頭組の事務所で川名を降ろし、駐車場の適当な場所に車を止めた。別の車で追走していた組員二人が彼に付き添って中に消えていく。少なくとも二時間は帰ってこないだろう。なんだか疲れた。座席を倒しながら、何か彼の機嫌がとれるような策はないだろうかと考えていた。

考えつつも眠りに落ちかけていた、今朝の運動に疲れていたのだ。コンコンと運転席の窓がノックされた。まずい、川名か、と飛び起きるが、川名ではなく兵頭会のガタイの良い黒服組員が二人、無表情に車内を覗き込むようして立っていた。無視するわけにも行かず、座席を起こして窓を開けた。
「……何でしょうか。」
美里は威圧的な強い口調で言って上目遣いで彼らをじっと見上げた。
「客人用の場所は向こうですが。」
黒服が別の駐車スペースを指さした。郷に入っては郷に従うのがルールである。些細で馬鹿らしく大変につまらないことでも従ってやる必要がある。「はーい、わかりましたー、」と美里が窓を閉めようとすると窓と窓枠の隙間に太い腕がつっこまれ手が止まる。

「……。何でしょう。場所を移動したいのですが。……ちっ、いちいち面倒事を起こさんでくれますか?俺にもアンタにもマイナスにしかならねぇだろうが。」
男は腕を抜かずふたりしてまた覗き込むようにして美里の方を見るのだった。にらみ合いが数秒続き一人が腕を抜きながら「ああ、すいませんでしたね。」と冷めた口調で言った。

「めんどくさ……なんなんだよ……」
聞こえるように言った。異常な気分の悪さを感じながら、再び窓を閉め、閉め切るかと言うところで「すいませんでしたね、」と言う言葉が滑り込んできて、窓がパシュっと間抜けな音を立ててしまった。閉まった窓の向こうで男達が美里に背を向けて去っていこうとする。美里は体感にして三秒ほど黙っていたが、再び窓を開けた。窓の開く音に、去りかけていた男達が振り返った。美里は窓から腕と顔を出し、男達の方を見ていた。心なしか少し微笑んで。

「ちょっとちょっと~、誰すかそれ。名前、間違ってますよ。随分と失礼じゃんかよ、初対面のくせによ。」
男はさっきまでの無表情に熱を持った目つきから一転して馬鹿にしたような表情になった。
「初対面じゃねぇんだよ、ガキ、ま、仕方ねぇかな。いちいち覚えてらんねぇよな。今じゃ専属でヤってんだもんな、お前んとこの。良かったぜお前のXXXX」
美里は頭の奥がぼんやりし、目の前の男が何を言っているのかよく聞き取れなくなってきていた。断片的な言葉が耳を突いて脳を犯し、脳が勝手に言葉を消した。美里が黙りこくって彼らをボーっと見たまま何も言わないのをいいことに男はさらに調子に乗るようにつづけた。
「お前の組織の長も色ボケしてタカが知れたもんだな、お前の様な淫売をわざわざ雇って街に立派な娼館でも開くつもりかよ?今朝もここ来る前にしゃぶってきたのか?ついでに俺らのもしてくれよ。なあ。」
「………。」
気が付くと靴はフッドレストの上ではなく、地面をしっかり踏みこんで、男の顔面を殴りつけていた。あまりに奇麗なストレート。いきなり殴られたことと想像以上の力に虚を突かれ、罵声を浴びせながらよろめく男の背後で、もう一人の男が美里に掴みかかろうとする。殴ったほうの男をもう一人に当てるように突き飛ばし、二人とも地面に転がった。勢いをつけた踵落としをくらわすとようやく怒声が呻き声に変わったのだった。
「いいよ、してやるよ。ほら。」
勢いをつけて思い切り男の胸部、腹部と陰部のすぐ下の地面を何度も踏みつけた。男の身体が恐怖からか軽く跳ね、美里の脚が上がった瞬間に後ずさろうとする。

「動くんじゃねぇよ!こういうのが好きな変態野郎もいるんだからな!してほしいんだろうが!望みをかなえてやってんだよ~。なんだ?その顔。もっと嬉しそうな顔をしねぇか!笑えよ!」
男が笑おうとしないので、美里は片方の男の陰部を思い切り踏みつけた。形容できない声があたりに響いた。
「わ、ら、え、よ。聞こえねぇのか~?」
もう一人の男が苦笑いした。美里が懐の中にナイフの存在を思い出したところで、騒ぎに人が集まり、気がつけば複数の男に囲まれていた。軽い殴打の後、羽交い絞めにされ男達から引き離された。徐々に冷静さを取り戻し「やってしまった」という後悔が頭を満たした。敵の敷地で敵に手を出すなど、下手をすれば戦争になるのに。

事務所から出てきた川名と兵頭組の若頭である羽賀の前に、煽ってきた男達と共に引き出され、庭の砂利の上に正座させられた。頭をあげられず砂利の上に自らの汗が流れ落ちるのを呆然と見ていた。周りを取り囲む男達の影が伸び、苛立ちより嫌な感じ、嫌悪感が身体を襲った。

「先に手を出したのはどっちだ。」
羽賀の冷めた低い声が聞こえた。美里は「私です。」と誰よりも早く答え猶更低く頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。」
川名が黙って見ている視線を感じた。羽賀が続けた。
「どうしてこんなことになった。正直に言ってみろ。コイツらのことは気にしなくていい。」
「侮辱されたと思い、頭に血が上りました。」
「どのような侮辱を?」
「……私と組長を侮辱するような、とても私の口からでは言えぬようなことを」
「誤魔化さずにハッキリと言わないか。」
美里は断片的に彼らの言葉を思い出しながら言った。
「私が組長の機嫌を取るために毎日アソコを舐めているだとか、俺の物も舐めろだとか、お前の組長は色情狂でヤクザなどではない、むしろ」
「もういい。わかった。顔を上げろ。」
呆れた様子の羽賀が近くの者に指示すると、美里に殴られて伸びていた男達は口々に何か美里を貶めるようなことを言ったが、叱責され、事務所の中にひきずられうようにして連れられていった。美里は恐る恐る羽賀から川名に視線を移した。腕を組んで何の感情の無い目で美里の方を見ていた。羽賀の視線が美里の顔の上に注がれていた。そこには微かにだが欲望と好色の眼差しが含まれていた。

「美里君、うちのものが悪かったな。」
美里がもう一度頭を下げようとするのを羽賀が制し川名の方を見た。川名が聞こえるか聞こえないかの声で「情けがない」と言った。川名は黙ったまま美里に目で車に戻るように指示し、羽賀と連れ立って事務所の中に戻った。

「ウチの者がすみませんでした。」
廊下を歩きながら川名が軽くいら立った表情で羽賀に言う。羽賀は笑いながら「こちらこそ、すみませんでした。」と対称的な調子で言った。それで終わりだった。下の者同士の仲は悪くとも、川名と羽賀の付き合いは悪い物ではなかった。
「それにしても、今日は休みかと。どうして車で待たせたんです。いつも一緒に来られるのに。」
川名が美里を連れてきてるのには学習や仕事としての意味も十分あったが、同時に羽賀が彼を気に入っているからであった。あからさまに口にしないが羽賀には大いに男色の気がある。美里に羽賀の下の世話をさせる気は毛頭ないが、ともすればさせてもいいぞという雰囲気を醸しておくことは取引の場で大事だ。

川名は軽く鼻で笑って「朝から女の濃い匂いをつけてきて、何食わぬ顔でそのまま客先に出向こうとしてたからですよ。信じられない。」と言った。羽賀は答えるように笑った。
「そうですか?とてもそんなの気にならなかった。別にいいじゃないですか、気にしなくとも。」
「……。近づいたらわかりますよ。本人の匂いも混ざってなおさら酷い。車内も酷い空気だ。肺が腐る。」

つまらない会合を終えた川名は再び、美里の元へ戻り車に乗り込んだ。換気をしたらしく多少はマシになった。
「お疲れさまでした。」
重い沈黙がしばらくの間車内を満たしていた。
「早く出せ。何をやってる。いつまでもここにいたいのか?」
車が事務所を出た。
「やるならもっとうまくやらないか。あんな雑魚共、お前があそこでわざわざ手を出さなくともどうにでもなるだろ。もっと頭を使えよ。」
「……すみませんでした。」
「もうじきアソコは三笠組と抗争になる予定なんだ。そこに紛れて事故死か五体不満足でもさせておけばいいんだよ。二人いっぺんだと不自然だから、楽しく順番にさっさと始末だな。嬲り殺してやるほどの愛着もないだろ。」
「はい。」
川名は美里の表情を見ていた。はいと言いながら嬉しそうでも悲しそうでもなく、人殺しを命令されたというのに、どちらかといえばわずかにほっとした顔を見せていた。お詫びに羽賀に一晩つきあってやれよと言われるとでも思っていたのだろうか。美里は川名には基本的には従順に言われたことを遂行する。最初に仕事を与えた時からそうだ。

「なるべく作り笑いをしなくていいなら、何でもいい。」

彼は怖いくらいの無表情で、その表情には全く似合わないバニーガールの服を脱ぎながら川名に言った。ウサギと言うより爬虫類を思わせるどこか空虚な瞳だった。ブーツを脱ぐために屈んだ時に、バニーのカチューシャが頭からずりおちて、床に転がった。川名はそれを手に取って掌の中でクルクルとまわした。
「何でもやれると思う、いや、思います。」
「そうか、じゃあまずはその覚悟を見せてくれ。」
川名は私服に着替えた美里を連れ、控室からステージのあるホールに連れて行った。極彩色のネオンが入り乱れ、男女が入り乱れて踊り、酒を飲み、まぐわっていた。川名は一人の男を指さし、最初の仕事の指示をした。

信号が赤に代わり止まったところで、美里の視界に一人の男が写った。家の近くにいた男だ。霧野から接触してほしい男の特徴を伝えられた時、すぐに今朝、家の近くにいた男だと思った。神崎という警察関係者らしい。美里は霧野に家の近くにその男が居たことを黙っていた。下手な希望を与えないほうがいいのだ。

美里はミラーで再び川名の方を見たが、彼は美里の方も神崎の方も見ておらず外を眺めていた。川名がいなければ、このまま接触することも不可能ではなかったが、今は無理だ。
「……。」
川名は神崎と行く先々で会う頻度が増えているのを感じていた。



年の離れた兄の莫大な借金は家族にまで被害を及ぼしそうであった。父は早々に兄を勘当し、戸籍から外していた。とはいえ、知らぬ間に連帯保証人とさせられていた借金は家庭を侵食し、貯金は殆ど食いつぶされたのだった。年の離れた弟に直接的な借金の魔の手が忍び寄ることはなかったが、代わりに進学費用や諸々、本来であったら弟のためであった資金はとうに底をついていた。進学こそあきらめざる得なかったが、弟の地頭は良く、生きるためになら何でもする器量もあった。

兄の姿を最後に見てからどのくらいたったか、彼の顔さえ忘れたころに、新聞記事か何かでまた彼の顔を見ることもあった。両親は心労からとっくに他界していた。晩年は弟が稼いだ金で平均以上の暮らしにまで持ち直していたように思う。そうしてまた彼のことなど忘れたころに、ことは起きた。

「兵頭組の者が来ていますが、アポなしで。」

怯えた表情の組員が言い終わると同時に川名の部屋に兵頭組の人間が上がりこんできたのだった。面倒なことになった。川名は立ち上がり「なんですか、急に。」とハッキリした口調で言った。「失礼じゃないですか?」
話を聞けば、縁を切ったはずの兄が兵頭組でも借金を踏み倒していた。額を見れば大層な額であるが、払ってやれないことは無く、面倒なのでその場で金を渡した。

「コレで終わり。金輪際、奴の話を俺の前でしないでもらいたい。これから先は、アンタ方と俺個人ではなく、アンタ方と組全体での話になる。言ってる意味がわかるな。」

兵頭組の連中を帰した後、兵頭組の人間が勝手に事務所に入ってくるのを止めようともせず、黙って見ていた組員を呼び出して制裁していたところに似鳥がやってきた。
「何でそんなことするんです。」
似鳥が血に濡れた床を靴でこすった。虫の居所がいつも以上に悪いからだった。痛ぶってはみたがすぐに怯えて全く面白くもない。似鳥はそれをわかっていて来たのだ。いいタイミングでいつも彼はやってくる。
「そんなものより面白いもの見れますよ。」

川名と似鳥はソファに腰掛け、マジックミラー越に男同士の交わりを見ていた。こちら側は薄暗く、呼べばすぐにホールのスタッフが何でも用意した。酒でも食べ物でも薬でも女でも男でも。向こうとこちら側を挟む透明なマジックミラーに川名自身の何の感情の無い目が写っているのがたまに、男達の交わりと重なった。

向こう側の中心にいる彼は全く兄とは似ても似つかない見た目をしていた。しかし、強い怠惰さの垣間見える目つきや、対して意志の強い眉、しなやかに見えてよく見ればこわばって筋肉質な素質を持つ手足など、掌や首筋に浮き出る太い血管など、兄を思い出さないでもなかった。戸籍を見れば、兄は結婚を機に女側の戸籍に入っており、女は数年前に鬼籍に入っていた。

愚かな兄よりも女の血を濃くひいて、ひりだされたのがアレだというわけだ。見栄えのいい彼が存在していたおかげで、兄の借金が分散されたようだ。兄にとって、子供がどういう存在だったかなど知りもしないが、似鳥によれば少なくとも向こう十年は借金の肩代わりとして、ここにいる必要があるという。もっと兄に似た顔立ちであれば臓器を抜かれて終わりだろう。どちらでもいいが、臓器を抜かれる前にこうして見れたのは良かった。

目の前で彼が苦しそうに果てたが、そのまま背後から覆いかぶさるように休みなく違う人間に後ろから突かれていた。本来なら気を失ってもおかしくない。しかし、作られたような完成された感じ入った顔、受け入れるような表情を苦悶の中にのぞかせて、慣れた様子で別の男の相手もし始めた。何か事前に強壮剤か薬物でもいれているのだろうか。どうだっていい。

あの男の暗い、人を嘲るような、怠惰な目つきが、とろんと惚けて媚びるような目つきになって、男の一物にせっせと奉仕を始めた。馬鹿らしい。ざまあみろだ。半分あの男の血というだけで、愉快だ。彼の開いた口から舌が出て一筋涎が垂れた、何か言葉を発しているようだが、こちらには何一つ聞こえてこない。スピーカーをつければ耳をつんざくような音や何やら聞こえるだろうが、気分では無かった。

「やりたいんだろ。」
川名がは前を向いたまま似鳥に言った。
「別に、俺に遠慮しなくても試してくればいいじゃないか。いつもみたく。甥とは思ってない。」
似鳥は上物や変わり種の人間を見つけると川名に一目見ますかと声を掛けることがあった。暇があり、気分が乗れば観に行くことにしていた。誰かをスカウト、他店から引っこ抜くにしても、金や権力が居る。これも一つの投資である。

似鳥は部屋から消え、スタッフも出ていかせ、部屋には川名一人になった。目の前で男が代わる代わる入っては出ていく、彼を除いては。彼は捕らえられたかのように床に張り付けられるように抑えられていた。最初に来た時より随分床も壁も汚れ、美しく飾られていた部屋も彼も穢れた。部屋の中に入れば異様な熱と雰囲気と臭気に圧倒されるだろう。ガラス越に見ている分には、できの悪いスプラッター映画でも見ている気分だ。サイレントにしているからまだ奇麗に見える。

煙草に火をつけ、目の前で終わりなく上映され続ける映画を見ながら兄を探し出して殺すべきか考えていたが、そこまでの執着もなく、いつの間にか溜まっている仕事のことを考えていた。組織は徐々に拡大しつつあるがまだ人手が足りない。別の組の人間が乗り込んで来ても案山子のように突っ立っている人間を金を出して雇っている意味はない。もっと良いのが欲しい。

しばらく意識を仕事の方に向け、そろそろ帰らなければと煙草を灰皿に押し付けた。また暇なときにでも様子を見にきて、壊れてく様子を見るのもいい。愚かな兄の唯一の置き土産だ、飽きたら何かリクエストをしてみてもいい。
その時、感じるはずのない鋭い視線を感じた。視線をゆっくり灰皿から正面に向けた。彼が見えていないはずのこちらをじっと見ていた。視線をこちらに向けながら挑戦的に男の上に跨って、すりきれんばかりに腰を落としていた。男と抱き合いになり、男の方が川名の方に背中を向け、抱かれた彼の頭が男の肩の上に乗り一定のリズムで上下に揺れていた。ゆさゆさと揺れるたび、時に薄い身体が跳ね、たまに痙攣しているような瞼の中で目線がそれるが、それでも、じっとこちらを睨むように見ていた。眉がしかめられ、口が堅く閉じられていた。修羅のようだった。

部屋の中の音をつけた。彼の口の動きに合わせて、「いい…もっと…」と明らかに演技で媚びた声が出ていた。声に震えがあり、感じてもいるが、それよりも怒気によるのだろうか。顔が見えているのが川名しかいないこと良いことに、さっきまでの媚びた様子と違い、わざとやっているのか徐々に憎しみのこもった人でも殺しそうな強く虚ろな視線になっていくのだ。鏡を見ているのかと思った。兄が全ての負債を押し付け逃げた後、川名が見た自身の顔に似ていたのであった。男が果、彼は今度は、ガラス側に両手を突き、部屋の方に尻を突きだす姿勢になり、後ろから次が来る。川名は立ち上がって彼を見降ろした。
ガラスについた手に力がはいりすぎ、真っ白になった指先がガラスの表面に張り付いてた。蒸気でガラスの表面に手形ができ、吐いた息が、ガラスを曇らせて、板を濡らした。鬼気迫った表情がまるで「俺を買え」とでも言っているかのようだった。最後に一度、拳でガラスが力強く叩かれた。鈍い音が聞こえた。それはスピーカー越しではない確かな音であった。

そこから体位が変わるまでの間、川名は吸い寄せられるように向こう側を見ていた。また男の下に敷かれ顔まで覆いかぶされ、よくわからなくなる。ソファに腰を落とし、音声を止めたところでちょうど似鳥が戻ってきた。

「いい具合だった、天才ですよ、痛がる素振りも見せない。」
似鳥が次の言葉をつづけるのを遮るように川名は似鳥の方をじっと見た。
「へぇ、そんなに。」
「こんなちんけなところじゃなく、買い取ってウチで働かせたいくらいです、環境だってまともにしてやれるしもっと稼がせてやれる、しかし奴の馬鹿みたいな額の借金を肩代わりは……」
「天才ならいいじゃないか。お前のところで引き取るんだな。こんなところでこんな扱いされていたら、もう二年もすれば使えなくなって元もとれない。そうじゃないか?」
「まあ、そりゃあそうですが、額が見合わない……それに、引き抜けるかも、絶対に渋られますよ」
「ああ、そう。わかった。」

川名は店丸ごと、それから借金満額を小切手で支払った。明細を見れば元の額の五分の一程度は返済済となっていた。身体で支払った金額と言うことだ。似鳥の言うようになかなか稼げるプレイヤーのようだ。これは投資である。
「会われないんです?」
車に乗り込もうとする川名に、追うように店から出てきた似鳥が言った。
「誰に。」
「誰って、」
「オーナーと話はついたし、後はお前がやれよ。次がつまってるんだから。」
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