龍神は月を乞う

なつあきみか

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第二幕〈再会〉

春の嵐 9

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 何かを言いあぐねるようなトロワのようすは実際レスタの癇に障った。
 相手の情緒や心情を二の次にするわけではないが、こういうときのレスタは往々にして短気だ。そんなことはかれを直接知る近しい人物であれば大抵は承知している。
 それはすなわち、こういうレスタをトロワは知らない、ということでもある。
「おためごかしの自覚はあるよな? 勝手な理想をもっともらしく並べて俺を巻き込んでんじゃねーよ。だいたいテメェにとって俺がどんな位置づけだろうがそんなもんは俺には関係ない」
 レスタはあずまやを出て歩きだした。
 そのあとをトロワが慌てて追いかけてきて、レスタの行く手を遮るように前方へと回り込んだ。
「分かった、…すまなかった…、だから待ってくれ。…そんなつもりじゃなかったんだ」
「へぇ。じゃあどんなつもりだ?」
「………、」
 そうしてまた言いよどむ。
 トロワは困惑の表情で唇を引き結び、レスタは大きくあからさまな溜息をついた。
「いちいち俺を引っ張り出してまで自分の勝ち負けにこだわりたいか? 仮に負けたとき相手が俺なら悔いはないとか自分に言い訳するためか? 違うだろうが。だいたい俺は玉座にも王位にも興味ねえよ。理由はどうあれ本気でそれを欲しがってんのはユアルだ。競う相手を間違えてんじゃねえ」
 待つ気のないレスタはトロワを躱して歩きだした。
 トロワも今度はすぐに動かず、こぼれた溜息とともに足許の芝生へ視線を落とした。
「………」
 話がしたいと言ったのはトロワだ。それも明らかに自分だけの都合で。さっきもレスタに指摘された、自分のための都合でだ。
 トロワは立ち止まらない背中をふり返って、今度は静かにレスタを呼んだ。
「レスタ、悪かったよ」
 ここまで一方的な都合を押しつけておいて、それでも心の底の本音をきちんと言葉にしなければ、レスタの静養を邪魔してまではるばる訪ねてきた意味がない。
「レスタ。確かに俺はレスタになら負けても悔いはないよ。そういう気持ちが片隅にあるのは認める。…けど、だからって負けてもいいなんて意味じゃない。ユアルを見下してるわけでもない。ただ、」
 背に掛かる声に、けれどレスタは立ち止まらない。
「ただもしも、レスタが最初から第一位の継承権を放棄しなかったとしたら、俺はいまどうしてただろうって、そもそもレスタと立太子を競うようなことになってたのかって。だってきみは、その、…ほんとは俺とユアルが対立することなんて望んでないよね…?」
 必死さの窺える早口の声に、レスタは回廊へと続く扉の手前でふりむいた。
 同意も否定も返さず、ただ軽く肩をすくめたレスタは冷たい眼差しでトロワを見やった。
「…で?」
「で、って…」
「もういっぺん訊く。おまえの本題はなんだ」
 まっすぐな視線にトロワは少し身構えた。まるで何もかもを見透かすような眸。陽の光の下で、その輝きは惹き込まれるような深い緑だ。
 もしかしたら、今日の会話は最初からすべてレスタの手の内だったのかも知れない。ふいに脈絡もなくそんなことをトロワは思った。
「…本題なんて。俺はただレスタと本音でいろんな話をしてみたかっただけだよ。…よけいな雑音のない場所で、ふたりだけで」
「いまの俺に言わせりゃテメェが雑音なんだが」
「…いや、……えっと、…そう言われると……」
 事実そのとおりすぎて、いっそぐうの音も出ない。
 自覚もあるが、正面切ってこうまできっぱり言われてしまうと。
「……………」
「途方に暮れたような顔すんな。老け顔だと可愛くも何ともない」
「……、もともとだし……」
「………」
 そのとき何処からか、誰かの笑ったらしい声が聞こえた気がした。
 ぱっと背後を見やったレスタは、等間隔で並ぶ回廊の窓へと視線を向けて、細く開かれたひとつに気づくなり隙間に向かって声を飛ばした。
「人払いの意味ねえだろうが! 出歯亀やってねーで暇ならどっか出掛けてろ!!」
 言葉は龍国のものだった。
 そこから先は耳慣れない異国語での早口の応酬が始まって、さすがにそのやりとりまでは正確に聞き取れなかったトロワは、半ば唖然としながら小型犬のようにぎゃんぎゃん吠えているレスタを眺めた。
「………」
 黙っていれば誰もが讃辞を贈りたくなるほど煌らかなレスタだが、かれの内面はもっと多彩で、何よりも鮮烈だ。
 年齢に見合わない分析力を持ち、多方面の知識や事情に通じ、物事を偏りなく論理的に思考する緻密さの一方で、その気性は破天荒な磊落さまで持ちあわせて、ここぞと言うときは大胆不敵にふるまう。
 そしてこんなふうに元気に吠える。
 尊大な支配者の威風とはまたべつの、こういう一面もあったのかとトロワはふいに笑いがもれた。
「………」
 知れば知るほどこの異端の王子を好ましく思えてくる。かれをもっと知りたいと思う。
 皮肉な現実だが、それでこそだとも思う。
 レスタは窓を閉ざすことで客人との言い合いを終え、肩をすくめてトロワに向き直った。
 それから、
「えーと何の話してたっけ?」
 呑気に首を傾げてみせた。

 もうトロワは声をあげて笑った。腹を抱えて思いっきり笑った。
 笑いすぎてうっかり咽せそうになるまで笑って、ようやく人心地つくことができた。

「…は――…腹痛い…」
「鍛え方が足りねえよ」
「どう鍛えるんだよ…」
 燻っていたもやもやを振り払ったトロワは、程よく毒気を抜かれたところで無用の意地もついでに捨てた。
「…そういえばひとつ頼みがあるんだった」
「ふーん」
 その薄い反応も含め、結局は大抵のことを見透かされていたのかもしれないなと、トロワはレスタに白旗をあげた。



「で? 用件は何だ」
 さっさと言え、という急かす態度を隠そうともせず、あずまやに取って返したレスタは再び問うた。
 トロワの今回の行動に明確な理由(あるいは唯一の理由)がないことはとうに承知の上だ。
 だから話の本題ではなく、用件とレスタは言い換えた。それを促したのは、この会談をさっさと切りあげたいという気持ちも半分ぐらいは占めている。
「…何でそんなに急いてるんだ?」
「あっちのあれが暇もてあましてて鬱陶しいんだよ。だらだら話してたらそのうちここまで顔出すぞ。聞かれてもいいんなら俺はべつにいいけどな」
 レスタは早口にまくし立てながら席に戻り、座れ、話せ、という指さし命令でトロワを急かした。どうやら先の言い合いで彼らはそんな話をしていたらしい。
「…ほんとに仲がいいんだね。カムリ辺境伯爵とは幼馴染み?」
 気分的にすっかり寛いでしまったらしいトロワに、レスタは冷ややかな一瞥をくれた。
「要するにあんた俺と仲良しになりたいだけだろ」
「…え、」
「とか言われたくなかったらさっさと用件を言え。何ならここにキアム・レグゼンも呼ぶか?」
「…、そりゃ、レスタとは確かにもっと親しくなりたいと思ってるけど…」
「奴とシャンテ伯爵令嬢との関係はこっちでも把握済みだ。あんたが今回の遠出をお忍び扱いにして身辺を穏健派の子飼いでがっちり固めてんのも確認した。その中でキアム・レグゼンだけが異色だってのもな」
 噛み合わないやりとりはすぱっと切り落としてレスタは続けた。
「…お見通しな上に仕事が速いね。…ていうか思いっきり受け流したよね、いま」
「けどレグゼンが穏健派に宗旨替えしたって話は聞いてない。年頃の伯爵令嬢に次の縁談が舞い込んだって話もな」
「………」
「ということは少なくとも、シャンテ側はレグゼンが動くとは思ってないんだよな」
「……それもあると思うけど、令嬢の縁談については基本的に水面下の話なんだと思うよ。不確定な噂が先行してもよくないだろうし」
 折れたのはトロワだった。
「つまり、」
「うん、縁談自体は次の話が進んでると思っていいね。もともとマリア嬢は離宮当時のきみの密かな花嫁候補のひとりだったそうだけど、きみが王室に復帰したことで内裏府側も辺境伯未満の家格は花嫁候補から除外したらしいし…、王族への玉の輿が夢と潰えたところで、切り替えて他の良縁を探すつもりなんじゃないかな。旧家にとって縁談はことさら重要だろうし」
「良縁ねえ…。それこそ折り目正しい家柄と将来性のある、間違っても窓際の王弟派で冷や飯食いの側近やってる伯爵家の跡継ぎなんかはお呼びじゃない、てことか。それに較べりゃ毛色は違っても正統な第一王子の嫁のがなんぼかマシだったわけだ」
「…そうなるね」
 トロワは嘆息まじりに頷いた。窓際の王弟というのはいうまでもなく彼のことだ。文字どおり毛色の違う正統な第一王子は呑気に笑っている。
「窓際も何も、あんた俺よかよっぽど箱入りだってのにな」
「……そう、…かな、もしかして」
「自分から箱に入ってる徹底ぶりだろ。周りの目だの外聞だのは単なる無責任のお仕着せだ。それをどのくらい取り入れるかで環境ってのは変わってくる。その取捨選択もあんたの自由だ。…だからこそ相応の責任をともなうわけだが」
「…何となく耳が痛いな…」
「で? テメェの臣下の色恋沙汰に責任でも感じたか」
「…そりゃあ…」
 何しろトロワにしてみれば、今回の話はよりにもよって自分の臣下だからという理由だけで、本来なら家柄も身分も問題のないキアムが恋人との結婚を許されない、という結論になる。
 なのにマリアの最初の縁談相手はトロワと同じ王族だった。それもいわくつきの異端の王子。
 派閥やそれぞれの立場を思えば複雑な気分にもなろうというものだ。きっと当人たちも深刻な現実を突きつけられたに違いない。
「…まぁ、遠からずだね」
「ふん」
「そういえば、いつだったか茶会の席で、だって僕ら親戚ですよ、ってユアルに言われたことがあった。それでふたりでホルスト公爵のテーブルに着いたんだけど…、あれにはハッとさせられたよ」
 トロワは溜息まじりに呟いた。微かな苦笑いを含みながら。
「キアムの話だと、マリア嬢は親の勧める縁談なんか全部断って、行かず後家になる覚悟なんだそうだ」
「ふーん」
「何度か宮廷で見掛けたことがあるけど、芯の強そうな綺麗な姫君だった」
「けっこうなことで」
「……レスタ」
「なんでしょう」
「頼んでるんだよ」
「どこがだよ。つか俺からの決定的な発言を期待してんじゃねーよ。そういうことはテメェで言え」
 言質を取らせない周到さは当然のことだ。レスタはあくまでも聞き役で、相手の願いがどんなに見え透いていようが、それをこちらから先に言葉にしてやる義理はない。
 トロワにしてみれば、じゃあこんな手はどうだ、というような提案を会話の中から引き出すことで、レスタとのさりげない協力関係へと持ち込みたいところだったが。
「…抜け目のない王子さまだねまったく…」
 どうやらトロワに他の道はないらしい。つまりはお願いだ。
 レスタはようやく辿りついた話の終着にふんと鼻を鳴らして、そのわりにはどこか楽しげに言った。
「安心しろよ、土下座しろとまでは言わねえから」
「…しないよそんなの。だけど頼む。…彼らの結婚の承認を引き受けてやってくれ」
「承知した」

 神妙に告げたトロワの生真面目さとは対照的に、ふたつ返事で答えたレスタはさらに爆弾を投下した。
「ちょうどマリアもこっちに呼んでるしな」
「…は? って、なん…え? 呼んでる…?」
「もうとっくに呼んどいた」
「………」
「何ならここで式ぐらい挙げるか?」
 元寺院だし、祭壇も残ってるし、やってやれないことはない。
 当然トロワは唖然として、これまたあっさり続けたレスタにとどめを刺されて頽れた。
 滑らかな大理石の椅子に力なくへたり込んだまま、トロワはもはや二度目の白旗を掲げるしかなかった。
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