龍神は月を乞う

なつあきみか

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第二幕〈再会〉

春の嵐 8

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 その日、トロワの会談の申し出はすんなりと受け入れられた。
 出迎えた城代はトロワを回廊へと促しながら言った。
「レスタ様は外苑のあずまやでお待ちでございます。ご案内いたしますのでこちらへ」
 外苑と聞いて、トロワは一瞬目をまるくした。
「確かに天気はいいけど、まさか庭に連れ出されるとは思わなかったな」
「実は先日からおみ足の添え木をはずされて湿布薬だけの処置になりまして」
「あぁ、それで今日は庭に出ようと思ったのか。もう歩ける?」
「…まぁ、歩かれる分には問題もなく。…とはいえ昨日もさっそく遠乗りにお出になりたいと無茶な我儘をおおせられたので、さすがに反対申しあげまして…、せめて敷地内の散策程度にとどめてくださいますようにお願いしたところでした」
「…なるほど」
 僅かに溜息のまじる城代の話しぶりでは、昨日のレスタは少々不機嫌だったのかもしれない。せっかく少し自由を取り戻して遠出を所望したのに、反対されてへそを曲げたという印象だ。
 もっとも利き腕がまだ三角巾に吊されているのには変わりなく、そんな中途半端な経過では乗馬を止められるのも当然といえば当然だろうが。

 トロワは中庭を取り囲む回廊から外苑に抜ける扉をくぐり、レスタの待つ円天井のあずまやへと近づいた。
 屋根の下には身覚えのある人影がもうひとつ。長い黒髪がレスタの金髪より先に目について、トロワはふと眉をひそめた。
 敷石の段差の手前で城代が一礼をして、彼らにトロワの到着を告げる。
 蔦を絡ませた屋根の下ではレスタが軽く腰をあげ、どうぞ、と促す仕種で日陰の中へとトロワを招いた。
 
 石造りの小さな円卓に向かい合ってみると、たとえそれがあずまやの下でも妙に密談めいて感じられるから不思議だ。
 満足な仕切りひとつないのに、屋根があるだけで印象も変わる。
 少なくとも青空の下の爽やかな懇談、といった白々しい雰囲気には変換しないらしいとトロワは納得した。レスタが何を思ってこの場を選んだのかは分からなかったが。
 レスタに同行していた異国の貴族は、先ほどトロワと入れ替わるように席を立った。
 やはりトロワに対して会釈のひとつも寄越さず、ただ去り際にレスタへ向けて何かを囁いた男は、あっさりとあずまやの屋根の下から出ていった。
 トロワは束の間その背中を見送った。彼が案内されたのと同じ扉に遮られて見えなくなるまで。
 先日の盛装と違って今日は普段着らしい龍国の衣装だったが、それにしてもあの男の尊大さは装いや状況に関係なく常に全身から漂ってくるようだ。
 こういう感覚には覚えがある。というより、あの男とレスタはよく似ている。
(…ということは支配者の器か)

 トロワが最初にレスタを見掛けたのは、かれが初めて王宮を訪れた王への見舞いのときだ。
 その場に立ち会い、かれを出迎えることを許された高位の宮廷貴族の誰もが、その後の数日に渡って自国の王子の話題で持ちきりになった。
 何しろ前代未聞と言っていい。初顔合わせとなる父王への見舞いの席にも係わらず、王子が貴婦人の装いで現れたのだから。それも異国の。
 互いに微妙な立場上、トロワは遠目から眺めただけだったが、それでも充分すぎるほどに驚いたことを覚えている。そのときの装いもさることながら、こちらの度肝を抜いてくる破天荒な発想と、嫌味なほどの行動力に。
 あれほどはっきり真っ正面から意趣返しをやってのけたレスタという人物に、トロワはその瞬間から興味が湧いた。
 不遜で大胆で居丈高で、自信家というか自信満々に周囲を見下す振る舞いといい、それらに似合いの華やかな容姿といい。神秘的な金緑石の眸も、亜麻色より煌らかな金の髪も何もかも。
 良くも悪くも無視出来ない、なんて圧倒的な存在感だろうと思った。
 そういうところが、さっきの男とレスタはよく似ていた。
 そして彼らはどちらもそうした振る舞いを許された、特別な人間でもあった。
 レスタと競うことを心の奥で望みながら、その一方でトロワはかれに憧れてやまない。その鮮やかなまでの強さと眩さに。
 この王子の本質をひと目で見抜けない宮廷の連中など、もっともらしく何を言ったところでただの愚か者だ。


「キアム・レグゼンはここまで随伴してこなかったんだな」
 何も切り出さず黙り込んでしまったトロワに、ふいにレスタが声をかけた。
 意識を引き戻されるようにぱっとふり返ったトロワは、ああ、と頷いてからあらためてレスタに向かいあった。
「一緒に来てはいるけどね。…控室で待ってると思うよ」
「よくあの男がおとなしく俺の見舞いに随行したもんだ」
 レスタは冷めた心得顔でふんと鼻を鳴らした。
「ま、それも時と場合によるか」
「というか…。私の配下につく者として、キアムのきみに対する評価は至極真っ当だからね。侮ることもなければ異国の外見がどうだとか、ましてやきみの容姿に妄りな想像を働かせることもない」
「……妄りな想像ときたか」
 左手で円卓に頬杖をついたレスタは、あきれた口調もそのままに軽く笑った。それを見て、トロワはふと疑問を浮かべた。
「…ひょっとして、一部宮廷内でのきみの噂を知らない?」
「うわさ?」
 僅かに首を傾げ、頬杖の手を降ろしたレスタは指先でこつんと円卓の上面を小突いた。
「ああ、あの脳みそ軽い貴族連中が着せ替え人形よろしく王子サマの首から下を好き勝手すげ替えて妄想してるあれな。不遇の姫君ネタをどんだけ引っぱるんだっつーか、たかが女装が語り種になってるあたりほんと暇っつーか。そういや俺が怪我したときも近くに居合わせた何人かが姫! つって俺に駆け寄ろうとしてバルトと近衛にぶっ飛ばされたらしいが」
「…ひ、姫……?」
「そのあとも見舞いやら何やらうるさいのなんの。果ては私有の屋敷に怪しげな静養を誘ってきた馬鹿もいた。…おかげでうっかり憂国の心持ちを味わっちまった」
 レスタはそれはそれは滔々と、自国の宮廷貴族(一部)の愚行を述懐してその行く末をはかなんだ。
 トロワも同じ王族という立場上、聞いているだけで恥ずかしくなってくる愚行の数々にこめかみを押さえ、そうだなとしみじみ同意した。
「…でも、そこまで承知で放っておくのはどうして? 姫なんてふつうに考えたら不敬罪で処罰ものだろう」
 何しろただ単に言い間違えたという問題ではない。根底には王室への崇敬とはほど遠い妄りな想像の経過があるのだ。
 それなのに、レスタの答えは素っ気ないものだった。
「べつに、はっきり言ってどうでもいいな」
「…どうでもって」
「要は誰を使って遊んでたかだろ。知りたがるようならそのうち教えてやるさ」
「………」
 もとより毛色の違う、辺境の離宮で内々に育てられた不遇の姫君、という虚偽の生い立ちに塗り固められていたレスタは、宮廷貴族にとっては実際に秘密の多い美貌の王子だ。彼らの一部でそんな偽りの部分が誇張されたのも、実際のレスタの容貌が美しく際立っていたからだとも言える。
 つまるところ、多くの宮廷貴族がレスタのことをいまだによく知らないのだ。
 その姿にばかり意識を攫われてしまって、かれの本質にまで辿りつかない。
 トロワにはそれが不思議でならなかった。
「…きみのそういうところが分からないなんて、つくづく宮廷の連中は愚かだと思うよ。揃いもそろってふし穴だ」
 皮肉と感嘆の入り交じった呟きでトロワは軽く肩をすくめた。レスタはゆるりと笑ってみせた。
「そうでもないさ。たいがいの人間は自分の見たいようにものを見るだろ。ほかにもこれまでの経験値に照らし合わせて似たような事象をあてはめたりする。そうやって積み重なった先入観に目隠しされた状態のまんま、物事を振り分けて判断した気になったりもする。宮廷の暇な連中も俺の生い立ちぐらいはひととおり知ってるみたいだし、姫君云々の裏話も織り交ぜてキレイでめずらしい王子サマ、てのを自分に都合よく見たいように見てるってだけだ」
 たとえるなら、華やかな宮廷を舞台にした架空の登場人物をこしらえるように。
 ただしその程度如何によっては不敬罪にも相当するわけだが。
「…なら私もそうかな。それこそ噂は良いものもそうでないものもよく聞くけど、実際のレスタのことはほとんど知らない。かといって宮廷の暇な貴族あたりが夢想だか妄想だかしてるような、そんなあさましい対象には見てもいないし…、――むしろ私はきみの容姿にはあまりいい印象を持っていないんだけど…」
 あさましい対象、のくだりでレスタは声をあげて派手に笑い飛ばした。おかげで途中、トロワの言葉を少しだけ中断させた。
 一方のトロワは円卓の下で居心地悪く脚を組み替えながら、自身の噂をこんなふうに笑い飛ばすレスタの気性をふいに妬ましく、また好ましく感じて少し困った。
「…笑いごとなのか」
「ていうか、そっちの噂に関しちゃ俺よりあんたのほうがよっぽど不愉快だろ」
「…確かに不愉快だな。そうやって野放しなのも気に入らないし、…べつに、ことさら潔癖を気取るつもりはないんだけど…」
「まぁ潔癖云々はともかくだ」
 レスタは軽くあしらうようにトロワの言葉を遮って、ふたたび石の円卓をその指先でこつんと鳴らした。
「つまりな、それがあんたの都合ってことだ。いつか目のまえに立ち塞がるかもしれない、もしくはもうとっくに立ち塞がってる、自分にとってそういう位置づけの人間が周囲に下衆な見られ方をされたんじゃ、そんな相手に二の足踏まされてるてめぇの自尊心に言い訳が立たない、てな」
「……」
「…違うか?」
「………」
 沈黙したトロワに構わずレスタは先を続けた。
「たとえばさっきここにいた男、カムリ・クラウドは生まれながらの強者だ。ノエルの倅ほど飛び抜けた体格はなくても、それ以上の遙かに恵まれた能力と才覚を全身に備えてる。纏う空気にしろ外見にしろ、誰の目にもそうと分かる風格だとも言える。…そういうのを見て、周囲に認められて競い合うならああいう相手がいい、なんて考えるのは向上心にしたってけっこうな少数派の意見だと俺は思うが、少なくともあんたはそれに近い、ある種の理想を持ってるだろう。…貴族どもの妄想とは真逆の、そのくせ手前勝手な理想という一点においては他の連中と大差ない、――要するにあんたがこうあるべきだと勝手に思い描いてる、俺に対する周りの評価だ」
「………」
 そこでもう一度、レスタは一拍を置いて、どうだ? と視線で問いかけた。
 トロワはやはり黙ったまま、すぐには何も答えられなかった。
 
 その後の沈黙は数秒ほども続いた。
 トロワは無意識に詰めていた息を深くゆっくり吐きだして、何かを納得するように小さく何度も頷いた。
「…確かにそうだ。周囲のきみへの評価や批判が、その容姿や外見にばかり偏るのが俺は気に入らない。気づかない連中の愚かさはもちろん、それを鼻で笑って相手にしないきみの不敵さすら腹が立つ。…俺の理想は実際きみだよ。――ここにいる、現実の。俺はこういうレスタに競り勝ちたいんだ」
「ユアルを素通りすんな」
「彼には勝とうと思えば勝てる自信がある」
「俺もユアルを勝たせる自信があるけど?」
「…、そういうことじゃなくて…」
 まるきり柳に風だ。レスタはあくまでもユアルを教育するという立場でしかトロワと対峙する姿勢をみせない。そこから容易に動いてくれない。これだけの才覚に恵まれながら。
 トロワは姿勢を正して、もう一度大きく息を吐きだした。まっすぐにレスタを見据えた。
「じゃあ言い方を変えよう。レスタはどうして自ら王位に就こうとしないんだ? ユアルがどうこうじゃない。レスタが、だ。きみがその気になれば周囲だって黙るだろうに」
 率直な言葉にレスタはほんの少し暗緑の眸をまるく瞠った。それから訝るように目を眇めて、窺う視線をトロワに返した。
 いまのは、解釈次第ではレスタを王位継承の表舞台に立たせようとしているように聞こえなくもない。
「…ここまでの暇人どもの与太話はおいといて。まさかあんたがもともと俺と話したがってた本題ってのはそれか?」
「……、…そうだ」
「…へぇ」
 その返答からさほど間を置かず、レスタはすっと席を立った。
「それはまた遠路はるばるご苦労さまだな。理由は単にその必要がないってだけだ。それ以上でも以下でもない。本題がそれなら話は終わりだ」
 唐突な幕切れの宣言にトロワも慌てて腰をあげた。
「…ちょっ…、待て、まだ…」
 レスタはそれを払うように遮ると、ゆっくり円卓を離れながら焦るトロワを横目に見やった。
「まだ? いまのがあんたの本題で、俺はそれに答えたよな。それともほかに話したいことがあるか?」
 冷たい口調でレスタは続けた。
「おためごかしに付きあう気はねえよ。勝てる自信があるんならまずは正面切ってユアルに競り勝ってみせろ」
「………」
 直接言葉を交わしてみて分かった。
 腹立たしいほどに憧れるトロワの理想がそこにいた。
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