龍神は月を乞う

なつあきみか

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第一幕〈馴れ初め〉

その眸に映るもの 17

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 この日、シドは初めてカムリ辺境伯爵邸の正面に構える大門を訪ねた。
 正式な身分と肩書き、急使の旨を衛士に伝え、通された正面玄関横の控えにて、先夜のぬかるみに汚れた白装束の不作法を丁寧に詫びた。
「東のヴァンレイク、ノエル辺境領より直々の御使者、との仰せだが」
「…は。此度は先触れにて参上いたしました、バルトのシド・グレアと申します。畏れながらカムリ家当代総領クラウド閣下へのお目通りを願い、まかり越しましてございます」
 その場の家臣らはみな、予期せぬ事態に静かな動揺を垣間見せた。
「…暫し待たれよ。もう間もなく当家のあるじがこちらに…」
 最前の家臣が言い終えるよりも先に、彼らの背後の折り戸を隔てた廊下から、その接近を誇示するような高圧な足音が聞こえてくる。――だけでなく、それとほとんど重なるような、玄関先の外おもてからはこちらへと近づく蹄の音も。
「……、」
 馬蹄に釣られて後ろをふりかえりそうになったシドは、しかしその寸前、喧しく開いた折り戸の音にそちらへ注意を呼び戻された。まるで威嚇する勢いで叩き開けられた戸口の先へ、思わず鋭い視線を差し向けた。
 そこに立つのは言うまでもない。漆黒の細かいドレッドロックスをざらりと揺らし、現れたクラウドが彼らより一段高い場所からシドを見降ろしていた。
 対面は二度目、今度はどちらも正面から目が合った。
 そしてまた、おもてからはより近い距離で今度は馬の嘶きが聞こえた。その意味をいち早く察したのは、先刻まで厩舎にいたクラウドだった。
「…、あの馬鹿が」
 苛立ちのまま低く吐き捨て、段差を降りたクラウドは正面玄関に抜ける戸口へと踏み出した。白装束を押し退けるようにその眼前を横切って、戸口の先へと腕を伸ばした。
「…先に行けっつったよな」
「おまえが普段からそういうこと言うタマならな」
 あっさりとクラウドの腕に捕まったレスタは悪びれることなく応えた。蹄の音でクラウドが自分に気づくのは当然だったし、それを承知で場合によっては介入するつもりだったからだ。
「…レスタか?」
 聞き慣れた声に名を呼ばれて、咄嗟に瞬いた。思わずクラウドを仰ぎみて、それからその肩越しに見える戸口の隙間へと視線を移した。
「…シド」
 なんで、と続けるまでに、レスタらしくない一瞬の空白があった。
 クラウドはその反応の不明瞭さに顔を顰め、レスタですら把握していなかったと思われるこの状況に舌打ちを鳴らした。そんな苛立ちにレスタが僅かに身動いだ。
「クラウド、こいつの身許は俺が保証する。悪いがどこか話の出来る…――って、おわ!」
 言葉はふいに跳ねて途切れた。レスタの胴まわりを軽くひと抱えにしたクラウドが、大きな麻袋でも運ぶような格好で左の肩にレスタを担ぎ、ふたたびシドの目のまえを横切っていく。
「レスタ…!」
 突然のことに途惑うシドの声と、その場の家臣らのざわめきが重なった。
「おい! いきなり何なんだよ! 降ろせ!」
「うるせぇ黙ってろ。おまえの保証なんざこいつは必要ねえってよ。こいつがここに来たのは正式な先触れの遣いとしてだ。てことは、こいつが話を通す相手はおまえじゃない、この俺だ」
 レスタを担いだまま家臣らの立ち尽くす一段上の高みまで戻ったクラウドは、床に降ろしたレスタを今度は懐に留め置いたまま、手振りひとつでその場から全ての家臣を立ち退かせた。場所を変えるとは言わなかった。
 その後、家臣等と入れ替わるように駆けつけたリヒトだけは同席を許し、ざわめきの去った控えの間でクラウドはシドを見やって言った。
「話せ。聞いてやる」
 
 尊大な威圧感に膚の表面がちりちりと痛むような、そんな緊張感だとシドは思った。
 目のまえに立つ男は確かに顕示的だ、何もかもが。見合わない者がやれば鼻につくどころか滑稽な振る舞いだというのに、シドの目にカムリ・クラウドはそうは映らない。
 辺境で間接的に見聞きしていた印象ともいまは異なり、見下すというより低く剣呑なその命令口調に、シドは言いようのない圧を感じて息を呑んだ。
 しかし沈黙は一瞬で、シドの意識と視線はすぐにレスタへと向いた。
「シド。これは親父と関わりのあることか?」
 目が合うなり、告げようとしたシドの機先を制するように、レスタは自国の言葉で問うてきた。返答に躊躇っている場合ではなく、そうだ、とシドは神妙に頷いた。
「もうすぐ、ハルクがここに来る。…お、……ユアル、も」
「…、…それで?」
「……それで…。その、親父さん、が、おまえに会いたいって言いだしたらしくて…」
「なんだそりゃ。いまわのきわの世迷い言かよ」
 レスタは大して驚かなかった。少なくとも表面的には軽く眉を顰めた程度だ。
 あるいは一を聞いて十を知る察しの良さで、もうほとんどの事態を想定し、冷静に受け止めているのかも知れない。そもそもシドは正式な使者としてこの官邸の大門をくぐり、こうしてこの場に立っている。
 シドはあらためてそれを意識した。意識して、失敗した、と思った。
「いや…、容態は…、峠は越えたって…」
「あぁ、まぁ…、どっちにしろそのひと声で迎えを差し向けたってことだな。…それも、よりにもよってユアルを」
 段差に腰を降ろして、レスタは立てた膝に頬杖をついた。傍らに立つクラウドの足許を見つめ、少し考えるように黙ってから、ふたたびシドへと視線を戻した。
 失敗した、という顔をしたシドの心情を、レスタはいちいち構わなかった。
 時間もない、天気もずっと悪かった。それに加えてレスタには先から帰る意思があったのだから、このときばかりはシドがレスタへの報告よりカムリへの先触れを優先したとしても無理はない。なにしろ迎えの中にユアルが居たとなれば、その驚きはひとしおだったろう。焦っていたことも容易に察しのつく事態だった。
 ただ問題は、その事態をすんなり受け入れる気になるかどうか、ということだ。
「……それは、…」
「俺が難色示すと思ったんだろ。…ていうか、そう読むのは分かるけどな。ハルクひとりでも充分効果がありそうなもんをわざわざユアルまで迎えに寄越して、連中は俺に何を納得させようってんだ?」
 決別にしろ和解にしろ、レスタは最初からそんなものには興味がない。ただユアルのことだけがずっと気懸かりだっただけだ。誰の話を聞いてもいつも頼りなく、気弱だった弟のユアル。そのユアルが、宮殿を離れてこんな異国の地まで訪れているという。
 思えば兄弟だということは教えていなかった。公爵家のエレナにも。
 父王が何を思ってレスタの名をくちにしたにしろ、ユアルももう知ったはずだ。
 会いたいと素直に思った。それは確かだ。ユアルも同じ気持ちだったからこそ、こんな遠路をはるばるやって来たのだろうし。
「…おい」
 それまで彼らのやりとりを黙って許していたクラウドが、不意にまたレスタの腕を掴まえて、その場から強引に立ち上がらせた。
「ちょっ…、なんだ…」
 手荒な扱いに蹈鞴を踏むレスタをよそに、後ろに立っていたリヒトへとその身体を押しやると、クラウドは眼下の男に向けて要件だけを手短に問うた。
「こっちが先だ。誰がこいつを迎えにくる? ユアルってのは何者だ」
 シドはレスタへと視線を向けた。かれが望まなければ、誰もレスタを王子とは呼ばない。シドもずっとそう思ってきた。同様にかれが許さない限り、ユアルの正体を明かす資格もシドにはない。
 レスタは、諦観とも違う冷静な溜息でそれを呑み込み、言い淀むシドの回答を引き受けた。
「ユアルのことは本人に訊けよ。判断はユアルに任せる」
「あぁ? ならおまえのことは?」
「必要ないんだろ。……正直俺も同感だ」
 その答えに、クラウドは身体ごと背後をふりむいてレスタを見つめた。金の双眸が僅かに瞠られたのは、レスタの往生際の悪さを何故か小気味いいと思ったからだ。
 こんな状況になってさえ己の素性を明かさない。あきれるほどに往生際が悪い。はずなのに。
 先日クラウドが不要だと断じたことに対して、同感だと、レスタは言うのだ。
「…まぁ、確かにな。事実なら否定はしねぇし、それが必要かどうかもこっちで決めりゃいいだけだ」
 だから否定しない。だから必要ない。
 絶対的な自信を誇るクラウドの言いようが、まるでレスタの望みを指しているようだった。


 その後、間もなく到着する異国からの一行を迎え入れるため、リヒトは敷地内の別館の支度に取り掛かることにした。
 ある程度の人数が見込まれるからというのは建て前で、主屋棟に招き入れることを何より総領が認めなかったからだ。
 レスタがヴァンレイクのノエル辺境伯爵家と繋がりが深いということは、もはや明確に分かった。それ自体はさして驚くことでもなかった。何しろレスタのあの風格だ。
 ただ、どう繋がっているのかはやはり不明のままだったが、リヒトの疑問をよそにクラウドはそれすら問わなかった。
 今ごろレスタはくだんの使者と彼らだけの話をしている。
 クラウドはあたりまえにそれを許して、それからひとりで自室へと戻っていった。
 リヒトはこれまでとは意味合いの異なる深い溜息をついて、支度を終えた別館をあとにした。
 主屋に戻ったところで、甲高い馬の嘶きを東門の方角から聞いた気がした。
 異国からの長旅の一行がカムリ邸に到着したのは、陽射しが僅かに傾きはじめた昼下がりのことだった。


 街道すじからカムリ邸へと続く郊外の一本道に、はるばる異国から訪れた客人らの騎馬隊と馬車がみえた。
 大きく開かれた正門を通り、幼さを多く残す小柄な少年と、まるまる肥えた大柄な少年とが護衛を従えて直線の石畳を進んでくる。
 しかしそこにもうひとつ、先頭の少年ふたりと併行する馬上のクラウドを認めるなり、出迎えに立っていた家臣らはみな驚きの目を向けることになった。
 何か言葉を交わしながら、クラウドは彼らを先導するように連れ立ってこちらへ近づいてくる。
「…勝手ばかりだな…、まったく」
 正面玄関に立つリヒトは溜息と同時につぶやいた。
 先刻聞こえた馬の嘶きはそういうことだったのかと、不本意ながらも納得する。レスタへ窺うような視線を向けたものの、その横顔をみただけで声をかけるのはやめておいた。
 昨日までの雨天を忘れさせる陽射しも、いまは少し傾いて眩しいといえば確かに眩しい。
 そのせいかクラウドはいつかのサングラスで目許を覆っていた。彼らとともに広い玄関先で馬を降り、逸るように踏み出した少年をレスタの傍までうながすと、クラウドは静かにひそめた声で言った。
「はるばるのご対面だ。…どうぞ、王子さま」
 
 どちらに先に反応するべきか、レスタは咄嗟にその場から動けなかった。
 目のまえに立った小さな少年は、緊張しきった顔でまっすぐにレスタを見上げている。
「……ほんものの、レスタさんだ…」
「ユアル…」
「はい。…会いたくて、わがまま言っちゃいました…。でもずっと、本当にずっと会いたかったんです。手紙の文字なんかじゃなくて、貴方の姿をみて、声を聞きたいと思ってた」
 恐るおそるに伸ばされた手が、レスタの細い指先に触れる。それを反射的に握り返して、レスタは無意識に詰めていた息を吐いた。
「その、勝手なのは分かってたんですけど…、でもとても待てそうになくて、…だって、レスタさんが……あ、あにうえだって…、僕の…」
 次第に弱くなる声が涙まじりで必死に訴えてくる。レスタは何度も頷いた。
「ああ、……よくこんな遠くまで来たな…」
「はいっ…!」
 ぱっと飛びつくようにして全身で兄を抱きしめた弟は、嗚咽を堪えながらレスタの名前をくり返し呼んだ。
 両手をゆるくまわし、小さな背中を叩いてやりながら、レスタも応えるようにユアルを抱きしめ返した。どちらにとっても生まれて初めて知る、大切な兄弟の温かさだった。
 それなのに、レスタの胸の裡はひどく波立ったままだ。
 先刻、確かにクラウドは王子と呼んだ。その声の響きはごくさりげなく、けれど龍の眼は不透明な硝子の奧に隠されたまま、そのときの表情をレスタにすら明かしてくれなかった。
 あれがユアルを指したものだとしても、もっとべつの意図だとしても、そんなものはどのみち早々にクラウドの知るところだったはずだ。
 ユアルが名乗るならそれはユアル自身の意思だし、だからそのときはクラウドにもユアルにも、最後は自分の言葉で話してやろうと思っていた。その覚悟もしていたはずだった。
 告げるより先に、自分のいないところで、クラウドがそれを知ろうとするとは思ってもみなかった。
 懐にユアルを抱き止めたまま、レスタは躊躇いがちにクラウドを見た。
 同時に大きな人影がこちらへ勢いよく近づいてくるのに気がついて、その大きさにレスタの注意がそちらへ逸れた。
「っ、え…、おい、まっ…」
「レスタ! ぼくもぼくも! 会いたかったよー!」
 華奢な身体つきの兄弟に向かって、大きく広げられた丸太の腕が伸びてくる。押しつぶされるような圧迫感は昔から馴染みがあるような、もうそろそろ勘弁してほしいような、ユアルごとまとめてハルクに懐かれたレスタは、思わず必死の大声をあげた。
「馬鹿やめろ…! 窒息すっ、ちょっ、…――クラウド!!」
 後方に控えていたシドが救助の一歩を踏み出しかけて、咄嗟に止まった。
「ひどいよレスタ急に居なくなるんだもん!」
 半泣きで訴える幼馴染みの巨体はびくともしない。胸もとからはハルクの腹に押しつぶされたユアルの呻き声が聞こえている。
「わかっ…、分かったから…っ、…クラウド助けろ! クラウド!」
 躊躇したシドを後目に、傍らに立っていたクラウドは黙って彼らに手を伸ばした。大きな丸太の腕を軽々と逆側へ捻りあげてやると、今度はハルクがなさけない悲鳴をあげてレスタとユアルを解放した。
 
 
 予期せぬ方向で騒がしくなってしまった一幕は、結果的によけいな緊張を消してくれたといえば、そう言えなくもない。
 ただしあくまでも、それはユアルに対してだけだ。
 場を取りなすようにリヒトがみなに声をかけているのを聞きながら、レスタは傍らのユアルから先を歩くクラウドの背中へと視線を移した。
(…なんか、…気ぃ逸れた…)
 声にならない呟きはレスタの溜息に混じって消えた。
 クラウドに何かを言いたかったはずだが、硝子に遮られた金色の眸を確かめるのが億劫で、いまは止めておくことにした。
 どちらにせよあれはかなり怒っている。それぐらいは仕方がないようにも思えた。
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