都市伝説と呼ばれて

松虫大

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第二章 巨星堕つ

38 ルオの受難

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 年が明けて王国歴三三四年。
 秋の終わりに急遽発注された品物の納品のため、ニオール商会のルオは疲れた表情を隠すことなくサトルトを訪れていた。
 あまりの忙しさにかまけて冬の間伸び放題になっていた無精髭だったが、流石に今日は剃り落とされ身綺麗になっている。だが血色の悪い青い顔で、落ち窪んだ目元に濃い隈を作り、濁った目で虚ろな表情をしていた。
 動けなくなる冬の間際でのトゥーレからの大量の発注に加え、春の市への手配も忙しい中であったが、納期に支障を来すことのないように相当無理をして納品へとこぎ着けたのだった。

「オリヴェル様、ピエタリ様、ご依頼の品とトゥーレ様より追加発注のありました品でございます。間違いがないか確認をお願いいたします」

 陸揚げされたばかりの木箱を背に、挨拶もそこそこにルオが手渡した目録を片手にオリヴェルたちが手分けして内容の確認をしていく。

「うむ、問題ない。流石ルオだ、よく揃えてくれた」

 確認を終えたオリヴェルから労いの言葉を掛けられたルオがホッと息を吐く。
 トゥーレから追加で発注された物以外は、納期がある程度確保されていたためそれほど苦労することはなかった。だが、追加された物を用意するために文字通り奔走したのだ。
 秋の終わり頃、冬の準備で慌ただしくしている中、ふらりとカレルの姿で店頭に現れた黒髪のトゥーレが、大量の生活用品を発注していったのだった。
 それはピエタリたち新規移住組の六十世帯分の生活用品だった。
 秋の半ば頃にようやく仮住まいから移った彼らだったが、必需品以外は殆ど揃えることなくサトルトの整備を優先していたピエタリたち移住組だったが、冬の厳しいカモフでそれは自殺行為だ。見かねたトゥーレが独断でニオール商会に発注したのである。
 予期していなかった六〇世帯分にも上る追加発注。
 しかも薪と食料については冬が来るまでにとのこと。ルオにとっては正に青天の霹靂せいてんのへきれきだった。結局、あちこち奔走したものの、どうしても薪と食料は注文分を用意することができなかった。そのため足りない分は領主邸の備蓄を切り崩してもらうことで何とか冬を越せるだけの量を確保したのだった。その汚点を拭うため、悲壮な覚悟で春のこの納品に臨んでいたのだ。
 生活小物が多いとはいえ、六〇世帯二〇〇名を越える人数だ。春や夏であれば季節を跨げば揃えることにそれほど苦労はしない。だが発注されたのは秋の終わりだ。一ヶ月もしないうちにカモフは寒風に晒され、出歩くことが困難になる。
 ルオは薪や食料を探して奔走する傍ら、各所に生活用品の発注を掛けた。だが、納期の確認をしている間に谷は風に閉ざされてしまい、悶々もんもんとしながら冬を過ごしていたのだ。
 風が弱まり春の足音が近付いてくると、続々と発注した品が届き始める。そうすると今度は、届いた品物の確認と不足分の追加発注などに忙殺されることになる。
 目の回るような忙しさの中、何とかこの日を迎えることができたのだった。

「正直助かりました。冬を無事に越せたのはルオ殿のお陰です。冬が厳しいと聞いておりましたが、まさかこれほどとは思いませんでした。正直カモフの冬を舐めておりました」

「私共も初めて冬を迎えた時に同じような経験をいたしました。噂に聞いていたとはいえ、多少は誇張されているものとばかり思っておりましたから」

 ピエタリは恐縮した様子でルオに感謝を伝え、ルオも初めて冬を越えた時の失敗談を笑顔で語った。

「ふぅ」

 無事に納品が終わり二人の前を辞したルオは、オレクと顔を合わせると大きく息を吐いた。

「流石ニオール商会だ。これでとどこおっていた作業を再開することができる。春になってルーベルトの矢のような催促に、鍛冶職人達も戦々恐々としていたようだからな。助かったよ」

 オレクは無事に納品された鍛冶道具や素材の数々に愁眉を開き、ルオの肩を叩きながら労いの言葉を掛けた。

「ちょっとトゥーレ様に言っておいてくれないか? 短納期で発注される身にもなってくれって」

「いいじゃないか。その分特急料金を上乗せしたんだろう?」

「それはそうなんだが、年が明けてからの忙しさも半端なかったが、冬の間のもどかしさったらなかったぞ!」

 大商いを終えた高揚感と昔なじみの気安さから、口調が崩れているのも気にせずにオレクに愚痴を吐き出すともう一度大きく息を吐いた。

「そうか。そんなに大変だったなら、今後の取引は辞めにするか?」

「っ!?」

 油断していた所に後ろ掛けられた聞き覚えのある声。
 ルオはビクリと身を震わせた後、油の切れた歯車の様なぎこちない動きで恐る恐る振り返った。そこにいたのは予想した通り今回の発注主の姿だった。

「ト、トゥーレ様! お許しくださいませ!」

 ルオは飛び上がった勢いのまま、地面にダイブをするように五体投地をおこなった。
 彼のあまりの怯え様にトゥーレはショックを受けた様子で、それにはオレクも苦笑いを浮かべるしかなかった。
 蛙のように五体を投げ出した兄の姿に、呆れた声を上げたのはルオの妹のコンチャだ。

「お兄様、あたしが嫁ぐ時に言ったじゃないですか。お兄様はひとりで仕事を抱え込む癖がありますよって。そんなことだから今回もひとりで大変な目にあっているんですよ」

「コ、コンチャ! 何故ここに!? まさかもう離縁され、痛っ!!」

 コンチャがいたことに驚きながらも失礼な事を口走る兄の頭を、彼女が書類を挟んでいた板で叩き、パコンと乾いた音を立てる。

「いくらお兄様でも失礼です! そんなことある訳ありません。・・・・ですよね、オレク様?」

 コンチャも口に出している内に不安になったのか、兄に怒りながらも最後は確認するようにオレクの顔色を窺った。妻の不安そうな視線を受けてオレクはやれやれと呆れた様に首を振る。

「ははは、そこでオレクを信じられないということは、何か自覚があるのではないのか?」

「い、いえ、そんなこと・・・・。オレク様、大丈夫ですよね?」

 トゥーレの言葉にますます不安を募らせたのか、最後は縋るような眼差しをオレクに向けていた。そんな妹の態度にルオも同じような眼差しをオレクに向ける。

「コンチャはともかくルオまでそんな目で見ないでくれ。コンチャ、その自覚があるのなら今後は控えなさい。それとトゥーレ様は私たちを別れさせたいのですか?」

 疲れた表情を浮かべオレクが溜息を吐く。

「すまんな、調子に乗りすぎたようだ。俺はリーディアに中々逢えないというのに、エステルを始め周りは色付いた者ばかりじゃないか。ちょっとくらい憂さを晴らしてもいいだろう?」

 冗談めかして自虐的にトゥーレが笑う。
 だが周りの者達はどう反応すればいいのか判断に迷い、曖昧な笑みを浮かべることしかできない。

「冗談はさておき、ルオ」

「は、はい」

 自ら微妙な空気を断ち切るように気を取り直し、トゥーレが真面目な表情でルオに問い掛けた。

「サザンの店舗に加え、サトルトの事業まで貴様ひとりで回しているというのは本当なのか?」

「はい、間違いございません。トゥーレ様との大商いになりますので、軌道に乗るまでは私が対応させていただきます」

 父であるオットマが体調を崩した後、ニオール商会は息子のルオに引き継いだ。その後、妹のコンチャが嫁ぐまでは商談をルオが担い、コンチャが発注や在庫管理の業務に当たっていた。
 サザンで最も勢いのある大店おおだなだ。有能な番頭も多く在席し、オレクの両親も自らの店のように力を貸してくれている。そのため店の業務はルオがあれこれ指示をしなくても回すことはできた。
 しかし新規となるサトルトの事業は、当初からルオとコンチャの兄妹二人で担当していたのだ。だが、昨夏にコンチャがオレクに嫁いでからは、ルオがほぼひとりで全ての業務をこなしていた。
 元々ニオール商会では新規の取引については、店主自ら対応することが慣習としてあり、この事業についてもその流れを踏襲したものだ。しかしそのやり方をするには余りにも荷が勝ちすぎていた。

「その気持ちは嬉しいが、それでは軌道に乗る前に其方が潰れてしまうのではないか?」

「いえ、決してそのような事は・・・・」

 ルオは否定しようと口を開くが『ありません』と断言することができなかった。
 今日の納期に間に合わせるためここ数日はほとんど寝ていない。食事も喉を通らない日が続き、身なりを除いて自分でも酷いと思うほど顔色が悪いことは自覚している。
 今日の納品で取引が終わった訳ではなく、まだまだ納品を控えている品が目白押しだ。指摘されずとも遅かれ早かれ体調を崩すのは目に見えていた。

「断言できないということは、自覚しているのだろう?」

「・・・・」

「やれやれだ。オレクから話を聞いた時はまさかと思ったが、今の其方は見てられん」

 トゥーレの言葉に『取引が終わるかも知れない』と力なく俯くルオ。
 だが、軽く溜息を吐いたトゥーレは、ルオに語りかける。

「ひとつ提案があるのだが聞く気はあるか?」

「提案・・・・ですか?」

 まさかの言葉に怪訝そうな顔を浮かべるルオ。このような無様を晒している自分に提案される謂われなどない。だがこの提案を呑まねば本当に取引が終わってしまうかも知れなかった。

「其方には暫くコンチャを派遣しよう。もちろんオレクとコンチャの二人には了承を得ている。というより其方を見ていられなくなったオレクからの提案だ。感謝するんだな」

「コンチャを!?」

 トゥーレの言葉にルオは目を見開いて、オレクとコンチャを交互に見る。
 彼が言ったことが本当ならば願ってもない話だった。
 商会の人間ならば一から業務の説明が必要になり、最終的な確認もしなければならないが、コンチャならそれは必要ない。彼女ならば今すぐにでも仕事に取り掛かることができるだろう。ルオは喜色を浮かべて頭を下げた。

「あ、ありがとう存じます」

 業務を分担することができれば、今のような激務からは解放されるだろう。ルオはトゥーレやオレクの気遣いに感謝し、ホッと息を吐いた。だがトゥーレの言葉はまだ終わりではなかった。

「ホッとしてるところ申し訳ないが、何か勘違いをしているようだ。コンチャを貸すのはこの秋までだ。其方は今までと同じように仕事をすることを考えているかも知れんが、何時までも嫁いだ妹に頼られては困る。コンチャにはこちらでもやって貰いたい仕事がある。この機会に其方には人を使うことを覚えて貰う!」

 ルオは仕事をする上で、自分でできることは人に任せずに一人でこなしてしまうところがあった。人を雇う余裕のない小さな店や旅商人ならそれでも良かったが、大勢の人が働いている大店の代表がそれでは仕事が回らなくなる。
 コンチャはその辺りの割り切りが見事で、兄と違って人を使うのが上手かった。二人で仕事をしていた時は、兄妹でうまくバランスがとれていたが、コンチャが懸念していた通り、彼女が嫁いだ途端にバランスが崩壊し、ひと冬越えただけで兄は見てられない程の姿となってしまった。

「承知いたしました」

 ルオは項垂れるしかなかった。このままのやり方では限界なのは自分でも分かっていた。
 折角掴んだ大商いを手放す訳にはいかない。ルオは商会の発展のためにも、覚悟を決めて取り組むしかないのだ。土気色をしていた顔に赤みが差し、濁った目に光が灯っていく。

「あ、それから其方は今から五日間、仕事をするのは禁止だ!」

「はい!?」

 何を告げられたのか理解できず、上擦った声で思わず聞き返してしまう。

「そんな酷い顔でここやサザンを彷徨さまよわれては迷惑だ! 貴様が仕事をするのは体調を整えてからだ」

 天邪鬼あまのじゃくの面目躍如といったところか。
 やる気に満ちたルオを体調不良の理由で強引に休ませたトゥーレは、がっくりと項垂うなだれるルオを残し意気揚々と彼の前を去って行くのだった。
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