おれはお前なんかになりたくなかった

倉入ミキサ

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パラレル特別編 その2

わたしのママは風太くん!? 第一話

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 「風太フウタくん、いくよー? それーっ!」
 「ナイスパス、雪乃ユキノ。前より上手くなったな」
 「えへへっ」
 
 雪乃の足を離れたサッカーボールは、まっすぐにコロコロと転がり、風太の足元で止まった。そして風太がサッカーボールを軽く蹴り返すと、ボールはまたコロコロと転がり、今度は雪乃の足元で止まった。
 
 のどかで平和な休日。子どもたちの何気なにげない日常風景。
 風太と雪乃。それぞれの自宅が並ぶ通り道で、二人は今日ものんびりと遊んでいた。河川敷かせんじきのサッカーグラウンドや月野内小学校などに遊び場を変えることもあるが、それは他の友達が遊びに来て人数が増えた時の話で、二人きりで遊ぶ時は、いつも自宅の前の道路だった。7年前からずっとこの場所にある、晴れた日の休日の光景。

 「……」

 そんな二人の光景を、リビングの窓辺で見守る女性がいた。
 彼女の名前は、春日井かすがい露子つゆこ春日井かすがい雪乃ユキノの母親だ。雪乃のショートヘアをセミロングにして30代ぐらいまで成長させたような風貌ふうぼうで、性格は本来は優しいのだが、娘に対しては少し厳しい。というのも、最愛の夫の死後、女手一つで娘を立派な人間に育てなければならないという、責任感からの厳しさである。

 (あの人がくなってから、もう7年。あれから雪乃は、心も体もこんなに大きく成長してくれた。つまづくこともたくさんあったけど、とっても明るくて前向きな良い子に育ってくれた。それを支えてくれたのは、きっとあの風太くんで……。私も雪乃と同じくらい、あの子には感謝してる。もちろん、守利マモリちゃんにも……)

 「守利ちゃん」とは、風太の母親のことだ。露子は、風太の家族に世話になった事を思い浮かべながら、窓の外にいる娘と遊ぶ男の子をじっと見つめていた。

 (でも、守利ちゃんには悪いけど、私はあの子を……)

 * * 

 そして、その日の午後。
 遊びに疲れ、風太と雪乃はいつのまにか春日井家の一室で眠っていた。その部屋は、いつもは雪乃のおじいちゃんとおばあちゃんが寝室として使っている和室だが、老夫婦は現在旅行に出かけており、しばらくは帰ってこないらしい。

 「ん……」

 先に目を覚ました風太は、雪乃を起こしてしまわないように静かに部屋を出ると、寝床ねどこを用意して布団まで掛けてくれた雪乃のお母さんにお礼を言うために、春日井家のリビングへと向かった。

 「あら、風太くん。おはよう」
 「おはようございます。すみません、勝手に寝ちゃって」
 「いいのよ。こちらこそごめんなさいね。雪乃がずいぶん、あなたを振り回しちゃったみたいで。疲れたでしょう?」
 「い、いえっ! 雪乃と一緒に遊ぶのは、おれも楽しいのでっ! 全然、疲れてなんかっ……!」
 「ふふっ、ありがとう。ところで、ちょっと大事なお話があるんだけど……」
 「えっ? おれに、大事な話?」
 「ええ。とりあえず、そこに座ってくれる?」
 「……?」
 
 雪乃のお母さんこと露子にうながされ、風太はソファに腰を降ろした。
 風太の前にあるテーブルには、ガラスのコップに注がれた麦茶と、白い皿に載った数枚のビスケットが置いてある。

 「なんですか? 大事な話って」
 「これのことなんだけど……」

 そう言うと、露子は風太に黒いボディバッグを手渡した。このバッグは、風太がいつも出掛ける時に肩にかけて持ち歩いているものだ。もちろんその中には、風太の大事なカードゲームのデッキや財布などが入っているはずだが……。

 「おれの荷物……?」
 「そのバッグの中の物を、ここに出してみて」
 「変な物は入ってないと思うけど……」

 風太はバッグの口を開け、ごそごそと中の物を取り出した。

 「えっ……!?」
 「風太くん、これは……?」
 「なぁっ!!? なんだよこれっ!!?」

 いちごがらの、ジュニアショーツとジュニアブラジャー。そこにあってはならない女児用の下着一式が、風太の右手には握られていた。

 「雪乃の下着……みたいね」
 「ゆ、雪乃のっ!!? な、なな、なんでこんな物が、お、おれの荷物の中にっ!!!?」
 「風太くん……? これはどういうこと?」
 「ち、違うっ!!! 違うんですっ!!! おれ、こんなの知らないっ!!! 勝手に入ってたんだっ!!!」
 「……」

 風太が否定するのも当然だった。
 なぜならそれは、露子がさっき仕込んだものだからだ。露子の罠にハメられているということにも気付かず、風太は焦りに焦って、どんどん立場を悪くしていった。

 「とにかく、おれは何もやってない!! ずっと寝てて、さっき起きたばかりなんだっ!! 他の誰かがやったんですっ!!」
 「他の誰か……? つまり、雪乃が自分でこれを仕込しこんだと言うの?」
 「い、いや、それは……。雪乃は下品なことが大嫌いだし、こんなイタズラは絶対にしないと思うけど……」
 「そうよね。雪乃のことは疑いたくないわよね」
 「でも、だったら、なんでこれがこんなところに? お、おれは、こんなの知らないのにっ……! くそっ、なんでだよ……!」
 「あらあら、落ち着いて」

 露子は風太の隣に腰を降ろし、彼の膝の上にそっと右手を乗せた。うつむいて顔を上げないさとすための、あたたかくて優しい手のひらを。

 「ねぇ、風太くん。“が差す”って言葉を知ってる?」
 「魔が差す……?」
 「ええ。魔が差すと、自分のことを忘れて、無意識にとんでもなく悪いことをしちゃうのよ。そんなことしちゃダメだって、頭では分かっていてもね」
 「まさか、おれが無意識のうちに……」
 「風太くんはとっても良い子だけど、良い子であるほど、おさえつけられた気持ちが爆発して魔が差した時に、すごく悪いことをしちゃうの」
 「で、でも……そんな……。おれが……?」
 「そしてさらに言うと、風太くんは思春期の男の子じゃない? 思春期の男の子が女の子に興味を持つのは、当たり前のことよ。例えば……そうね、雪乃と一緒に遊んでいて、変な気持ちになったことはない? もっと体をよく見てみたいな、とか」
 「……!」
  
 風太はうつむいたまま、しばらく黙り込んだ。黙り込んで、必死に頭の中で考え、自分の中の雪乃への気持ちを整理した。必死に、必死に、一生懸命……。
 そして、隣で露子が見守るなか、風太はとても小さくコクンとうなずいた。

 「あなたにはあるのね? そういう気持ち」
 「うん……」
 「でも、それは絶対にダメだと分かっていた。自分にウソをついて、抑えつけて、我慢して、説得し続けて……。その気持ちが溢れ出てしまったから、あなたは無意識に、下着泥棒をしてしまったのよ」
 「ぐぅっ……、お、おれはっ、おれは……最低だ……! はぁ、はぁ……最悪な……男だ……。くそっ、くそぉっ……! 雪乃、ごめんっ……。本当に……ごめん……!! うぅぁああ……!!」
 「ふふっ、やっと素直になれたわね」

 露子は風太の肩を抱き寄せ、その手で頭を優しく撫でた。風太は露子に抱き寄せられながら、愚かで下劣でみっともない自分を、心の底から恥じた。奥歯がくだけそうになるくらい噛み締め、ズボンがぐしゃぐしゃになるくらい膝の上で強くこぶしを握った。

 「ぐぅっ……!! 自分が、許せないっ……!!!」
 「でも、起きてしまったことは仕方がないわ。……風太くん、よく聞いて? まずはこれからの話をしましょう」
 「こ、これからの……話……?」
 「ええ。あなたがやったことは、下着泥棒『未遂みすい』よ。この事実は、まず雪乃本人には伝えなくちゃいけない。あの子、ショックを受けるだろうけど」
 「……」
 「そして……さすがに警察までいったりはしないけど、今回の件は、あなたのお母さんや学校の先生にも伝えなくちゃいけないわね」
 「母さんや先生にも……? そ、それはっ……」
 「ごめんなさいね」
 「うっ……」
 
 顔面蒼白がんめんそうはく。後悔の次は、深い絶望が風太を襲った。
 ズキズキとする心臓の痛みに耐えながら、声も出さずにうなだれている。そんな風太を見つめ、露子はペロリと舌なめずりをして怪しい笑みを浮かべた。

 「でも、あなたが反省をして、ちゃんと【つぐない】をすると言うのなら……そうね、話は大きく変わってくるわ」
 「【つぐない】……?」
 「反省を目に見える形、つまり身をささげて働くの。もちろん、誰かに頼ったりせず、あなた一人でね」
 「おれ……一人で……?」
 「ええ。あなたが一人で【つぐない】をやり抜くと言うなら、私も今回の件は誰にも言わない。そして、しっかりと【つぐない】が終わったら、今回の件はなかったことにしてあげる」
 「ど、どうすれば、その【つぐない】ができるんですか……?」
 「簡単よ。私の言うことに素直に従うだけ。やり方は、全部私が教えてあげる」
 「それだけ……? それだけで、全部……?」
 「そうよ。ウソはつかないわ。さて、風太くんはどうする?」
 「……」
 「罪を認めて反省をするという気持ちが本当にあるのなら、どうすればいいか分かるわよね?」
 「……!」

 露子の言葉に翻弄ほんろうされ、風太の頭には、もう【つぐない】をするという考えしかなくなっていた。
 そして、露子は家の二階にある自分の寝室へと風太を招き入れ、これから起こることを絶対に娘に見られないように、静かにカギを閉めた。

 * * *

 「ふぁ~あ。おはよ~」

 あくびをしながら、雪乃がリビングへとやってきた。あれから約3時間も眠っていたので、時刻はもうすっかり夕方になっている。

 「ごめんね風太くん。わたし、ぐっすり寝ちゃってたよ。ママ、お布団かけてくれてありがと~」
 
 リビングのソファには、露子と風太の二人が、仲良く並んで座っていた。
 二人で何をするわけでもなく、ただ正面にあるテレビの画面をじっと見ている。一つ気になることと言えば、『娘の友達』『友達のお母さん』という関係にしては、やけに二人の距離が近いことぐらい。

 「いい? 全て教えた通りにするのよ。分かってる?」
 「は、はい……!」

 二人は、何やらヒソヒソとしゃべっている。しかしそれは、雪乃の耳にまで届いていなかった。
 そして、並んだ二人のうち、まずは『風太』の方が立ち上がり、未だ眠そうな目をしている雪乃へと近づいた。

 「おはよう、雪乃。よく眠れた?」
 「バッチリだよ、風太くんっ! 昼にこんなに寝ちゃったら、今度は夜に眠れなくなっちゃうかもってぐらい」
 「ふふっ。あまり夜ふかしをしてはダメだよ。今夜は、しっかり寝かしつけてもらいなさい」
 「はーい。って、なんでわたし、風太くんに注意されてるんだろう。というか、寝かしつけてもらうって、誰に?」
 「それは……ねぇ。おそらく、雪乃のママじゃないかな?」
 「なにそれ。風太くん、わたしのことバカにしてない? わたし、いつも自分の部屋のベッドで、一人で寝てるもんっ!」
 「あら? こないだの夜、『心霊のテレビ見ちゃったよー! ママ、今日は一緒に寝ていい?』って言ってたのは、誰だったかしら?」
 「なぁっ!? ちょ、ちょっとそれ、なんで風太くんが知ってるの!?」
 「雪乃のママから聞いたよ。おれ『二瀬ふたせ風太フウタ』と、雪乃のママ『春日井かすがい露子ツユコ』は、そういうことが話せるくらい、仲良しになったんだ」
 「えーっ!? ママ、それ本当なのっ!? ヒミツにしといてって言ったのにーっ!」

 雪乃は、ソファに座る『ママ』の元へと、ドタドタ駆け寄った。
 確かにその女性は、どこからどう見ても疑いようがなく、『雪乃のママ』だが……。

 「はぁっ……はぁっ……」
 「あれっ? ママ、どうしたの?」
 「ゆ、雪乃っ!? あの、えーっと……!」
 
 様子がおかしい。
 
 「ママ? どうかしたの?」
 「そのっ、わ、私はっ!! ゆ、雪乃の、ママよっ!!」
 「う、うん。分かってるけど……」

 明らかに様子がおかしい。
 全く落ち着きがなく、なんだか緊張しているようだ。呼吸は荒く、顔を真っ赤にしながら、だらだらと汗をかいている。まゆはハの字になり、瞳はさっきからずっと一点にさだまっていない。

 「ほ、本物の、ゆ、雪乃のママだからっ! おれっ、わ、私っ!」
 「そう言われても、別に疑ってないけど。んー?」
 「ひぃっ……!? そ、そんなに、こっちを見つめて、どうかしたっ!?」
 「えっとね、ママの服がさっきとは違うなーって思ったの。どうして着替えたの?」
 「そ、それはさっき、つ、露子さんとっ」
 「えっ? 何? どういうこと?」
 「いっ、いや、べつにそのっ、な、何でもない……のっ!」
 
 雪乃の指摘してきどおり、『雪乃のママ』は先程とは服装が変わっていた。
 子育てを経験した豊かな胸を強調する縦縞たてじまの青いセーター。安産型の大きなお尻が窮屈きゅうくつそうなデニムのミニスカート。その歳の女性らしいむっちりとした太ももを包む黒いストッキングという服装に、桃色のエプロンをつけている。

 「変なママ。何か隠してるみたーい」
 「あ、あの、ゆ、雪乃っ? そそ、それで、お、お願いがあるんだけどっ! ゆ、雪乃のママからの、お、お願いっ!」
 「わたしにお願い? なぁに?」
 「きょ、今日の夜は、おれ、私と、一緒に、ね、寝てほしいのっ!! お、同じ布団で、な、仲良くくっついてっ!!」 
 「え~~っ!? ママが、わたしと一緒に寝てほしいのっ!?」

 思わぬ発言に、驚く雪乃。
 息を切らして必死に懇願こんがんする、『雪乃のママ』。
 そんな二人を、ニヤニヤと笑いながら見つめる、『風太』。
 
 「ゆ、雪乃、お願いっ!! 私と一緒に寝てっ!!」
 「でも、急にそんなこと言われても……。うーん、風太くんが見てる前だし……」
 「やめてっ!! 断らないでっ!! ちゃんと【つぐない】ができなくなったら、わ、私、困るのっ……!! はぁっ、はぁっ……!」
 「わっ、わかった! 今日は一緒に寝るよっ、ママっ!」
 「はぁ……、はぁ……。あ、ありがとう……」
 
 雪乃から了承りょうしょうを得た『ママ』は、疲れ切った様子でフラリと立ち上がり、水を飲みにキッチンへと向かった。
 『ママ』の変貌ぶりに動揺を隠しきれない雪乃だったが、それをそばで見ていた『風太』は冷や汗一つかかず、やけに落ち着いた様子で雪乃に近寄った。
 
 「良かったね、雪乃。今夜もママと一緒に寝られてさ」
 「ねぇ、風太くん? さっきのママ、やっぱり変じゃなかった?」
 「さぁ? ちょっと疲れてるだけじゃない? 子どもを育てる母になるのは、大変なことだし」
 「そうかなぁ。わたしが寝てる間に、ママと何かあった?」
 「ん? ……いや、何もないよ。多分ね」

 * * *
 
 日が沈み、まもなく夜になる。
 そろそろ子どもはお家に帰る時間だ。小学6年生の『風太』も、自分の家である二瀬家に帰らなければならない。

 「ばいばい、風太くんっ!」
 
 春日井家の玄関口。
 雪乃は『風太』と別れのあいさつをすませ、自分の部屋へと戻っていった。しかし、『風太』はまだ『雪乃のママ』とのあいさつを済ませていないので、彼女が来るのを靴を履いて待っていた。

 「ふ、風太くん……?」
 「待ってたよ。雪乃のお母さん」

 二人は対面し、それぞれの立場で相手を呼んだ。しかし、『雪乃のママ』にはもう、その芝居しばいを続けるのは限界だった。

 「こ、これが、おれの【つぐない】ですか……?」
 「そうよ。……どうかしら? 小学生の男の子から、30代のおばさんになった気分は」
 
 露子は急に自分のことを「おれ」と呼び、風太は女性のような言葉遣いでしゃべりだした。
 二人の言葉の通り。現在、風太は雪乃のママ『露子』の姿に。露子は娘の同級生の男子『風太』の姿に。体が入れ替わっている。

 「本当におれが、ゆ、雪乃のお母さんとして、生活を……?」
 「ええ。雪乃のこと、しっかり見てあげてね。それがあなたの【つぐない】よ。これから何をすべきかは、さっき全部伝えたはずでしょう?」
 「はい、一応覚えてますけど……」
 「ふふっ、じゃあ大丈夫ね。そろそろ帰るわ、私」
 「か、帰るんですか? おれの家に? おれが【つぐない】をしている間、雪乃のお母さんは、おれとして生活するってことですか……?」
 「私の方は心配しないで。あなたは、自分がちゃんと【つぐない】ができるかどうかの心配をしていなさい。……さっきだって、あやうい場面が何度かあったわ。恥ずかしいかもしれないけど、母親らしい言葉で話さなきゃダメ」
 「分かりました……」
 「あと、それともう一つ」
 「は、はいっ。なんですか……?」
 「二人きりの時、『雪乃のお母さん』はダメって言ったでしょう? 私たち、もうそういう関係じゃないんだから。名前で……『露子さん』って、呼んでほしいわ」
 「こ、これから気をつけますっ……!」
 「うふふ。それじゃあ、後は任せたわよ」
 
 『風太』は息子として二瀬家へ。『露子』は母親として春日井家へ。
 身体と共に住む家も変わり、それぞれの帰るべき家へと戻っていった。
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