おれはお前なんかになりたくなかった

倉入ミキサ

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第六章:図書館で過ごす長い一日

まるといっしょに

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 「どき、どき、どきって、おとがなってるね」
 
 柔らかい膨らみがある『美晴』の胸に、小さな藤丸が耳をつけて心臓の音を聞いている。
 
 「これって、しんぞうですよね? みはるねえさんっ」
 「や、や、やめて……くれっ……! 藤丸……ちゃん……!」
 
 美晴のお気に入りブラウスをこすらせながら、腕の中の藤丸はモゾモゾと動いた。彼女が動けば動くほど、『美晴』の心臓の音は大きく速くなっていく。
 
 「わぁっ、よくきこえますっ! すごいですっ!」
 「だ……ダメだっ……!」

 『美晴』は「サムライわんことハチミツおばけ」の本を、自分が座っている場所のとなりに置き、いた手で藤丸を抱きかかえた。そして、足元のプレイマットが敷いてある床に、彼女をゆっくりと着地させた。
 
 「ご……、ごめんっ……! ちょっと……休憩きゅうけい……させてっ……」
 「みはるねえさん?」
 「なっ……なに……?」
 「もしかして、からだ、どこかわるい?」
 「えっ……!?」
 「びょうき? どこかいたいの?」
 「……!」
 
 藤丸の今の一言が、『美晴』の頭の中にちょうどいい感じのウソをひらめかせた。

 「うっ、いたたた……!」
 「みはるねえさんっ!? だいじょうぶっ!?」
 「いや……足首を……ちょっと……痛めていて……」
 「えっ、どこ……?」
 「ほら……見て……」
 
 『美晴』は右足の靴下くつしたを脱いで、昨日テーピングをしてもらった箇所かしょを藤丸に見せた。実際はもうほとんど痛みは消え去っていたが、『美晴』は顔をゆがませてじつにそれっぽい演技をした。
 
 「わあぁ、いたそうっ!」
 「だからね……、おひざの上で……絵本を読むのは……今日は……ちょっと……無理……なんだ……」
 「ご、ごめんなさいっ! まる、しらなかったんですっ!」
 「いいよ……! 気にしないで……! おれ……じゃなくて、わたしの方こそ……乗せてあげられなくて……ごめん……ね?」
 「ねえさんっ……!」
 「あっ……、でも……、そんなに……ひどい……ケガじゃないから……、それほど……心配……しなくても……」
 「ちょっとまっててっ!!!」
 「えっ……?」

 藤丸は「こどものひろば」を飛び出し、また本棚の方へと走って行ってしまった。『美晴』はとりあえずなんのがれられ、落ち着きを取り戻しながら、さっき脱いだ靴下をき直した。
 ちょうど靴下を履き終わる頃に、藤丸は一冊の分厚ぶあつい本を抱えてこっちへ戻ってきた。
 
 「ねえさんっ、これ!」

 彼女が抱えていたのは、「からだのひみつ大百科」だった。

 「ん……?」
 「しんぞうのこととか、あしのなおしかたとか、のってるかもっ!」
 「の……のってる……かな……?」

 藤丸は持ってきたその本を床に置き、『美晴』にも見えるようにして最初のページをめくった。
 
 「まる、かんじよめないから、いつもみたいに、いっしょによんでくださいっ!」
 「お、おう……。分かった……」
 
 漢字かんじ。教科でいうと国語だ。
 『美晴フウタ』にとってはあまり自信のある教科ではないので、少々不安だったものの、さいわい難しい漢字にはフリガナが振ってあり、藤丸の前ではじをかくようなことはなさそうだった。

 「みみのなかって、こんなふうなんですねっ!」
 「うん……そうだね……」

 「いぶくろ? ここかなぁ?」
 「もう少し……上……じゃない……?」

 「わあっ! がいこつっ! がいこつですっ!」
 「へぇ……。人の骨……って……こうなってるんだ……な……」

 最初のうちは、適当にあいづちを打っていた『美晴』だったが、思いのほか「からだのひみつ大百科」は面白く、いつの間にか二人で仲良く夢中になっていた。

 小さな女の子が、本の挿絵さしえを指さして感想を述べると、隣にいる少女が、それを聞いて微笑ほほえみながらうなずく。そして時々、二人で楽しそうに笑いあっている。
 二人は赤の他人であり、しかも少女は正確に言えば少年なのに、周りからはまるで仲の良い姉妹しまいのように見えていた。

 「つぎのぺーじ、めくっていい?」
 「うん……。めくって……」

 藤丸がページをめくると、次は「男の子のからだ・女の子のからだ」だった。はだかの男の子のイラストと女の子のイラストが、でかでかと描かれている。もちろん、身体の器官きかんごとに詳しい解説かいせつ付きで。
 『美晴』は即座そくざにドキッと反応した。
 
 「あっ……! つ、次……のページに……いこう……か……!」
 「まってっ! まだよんでないっ!」
 「う……うん……」
 
 今までのページも、すみずみまでじっくりと読んできたので、藤丸はこのページもじっくり読んでいる。
 一方の『美晴』は、あまりそのページを直視ちょくししようとはしなかった。異性と入れ替わったせいで、その辺りは特別に意識してしまうのだ。
 
 「みはるねえさんっ」
 「な……なぁに……?」
 「これ、どんなのかしってる? みたことある?」
 「あっ……!」
 
 藤丸が指さしていたのは、男の子のイラストにあるソレだった。
 つい数日前まで、風太の身体にもしっかりついていたものだ。見たことがないハズはない。

 「あっ、ある……よ……」

 ないとでも言っておけばいいものを、思わず本当のことを言ってしまった。

 「あるのっ!?」
 「うん……」
 「えーっ!? みはるねえさん、みたことあるんだっ!!」
 「うん……」
 「だれのをみせてもらったのっ!?」
 「えっ……!? そ、それは……」

 さすがにここで、「自分のを」とは言えない。
 風太は今まで見た中で一番新しい記憶を思い出し、それをさりげなく語ることにした。
 
 「と、隣のクラスの……男の子……の……」
 「みてもいいよ、っていってくれたの?」
 「いや……、この前……一緒に遊んだ時に……おれの着替えを……そいつが見て……、興奮して……」
 「どんなのだった? びっくりした?」
 「ああ……もう……この話は……おしまいっ……!」
 「へー、そうなんだ。まるはね、おふろでパパのをみたよ。パパはすぐにかくしちゃったけど」
 「あっ……!」
 
 今、『美晴』の口から出たこの「あっ……!」は、「あっ……! おれもそういうことにしておけばよかった」の「あっ……!」だ。美晴に父親がいないことなんて、藤丸は知らないだろうし。
 『美晴』がなぞの後悔をしている間に、藤丸は次のページへと進んだ。

 「ねえさん、しんぞうだよっ! どき、どき、どきのしんぞう!」
 
 彼女の言うとおり、次のページには心臓のイラストが描かれていた。
 
 「へんなかたち……」
 「うん……」

 藤丸がそのページ内で興味を持ったのは、「心臓に関するあれこれカウンセリング」の項目こうもくだった。
 
 「これ、よんでくださいっ!」
 「えーっと……『Q:大好きなあの子のことを考えると、何故だか心臓がドキドキしてしまいます』……だってさ」
 「つづきもおねがいしますっ!」
 「『A:それはこいですね。こいやまいという、とっても素敵な病気なんです。恋が愛へと変わるまで、その病気をお大事に』……って書いてある……よ」
 「あっ……! それって……」

 藤丸は、ハッと何かを思い出したような顔をして、『美晴』を見た。
 
 「藤丸……ちゃん……?」
 「みはるねえさん、いってたよね」
 「えっ……? 何を……?」
 「『わたし、すきなひとがいるの』って」
 「ええぇっ……!?」
 「やっぱり、そのひとのことをかんがえると、どきどきする?」
 「ちょ、ちょっ、ちょっ、ちょっとまって……!!!!」
 「えっ、なんですか?」
 「誰だよ……! 美晴の好きな人って……!!」
 
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