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パラサイト

トミノの地獄

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  少し頭が痛いな…
  私は、妙な閉塞感と既視感を感じる。
  さっき、番組のリハーサルを見ていたせいか、時間をループしているような、おかしな感覚が襲ってきた。
  画面の向こうでは、撮影がゆっくりと進んでいる。
  蝋燭は、すでに半分以上消えていて、薄暗い部屋の中で、テーブルの蝋燭に照らされた秋吉と溶生(ときお)が、陰影のように揺れている。

  その手前で、埃のようなキラキラとした何かが飛んでいる。

  オーブ?

  一瞬、怪奇番組を思いだし、背筋に冷たいものを感じた。

  そして、自分が、まさに、この部屋に一人きりなのだと感じると、男と言えども少し、不気味に感じずにはいられない。

  ふと、雅苗の日記に書いてあったモルゲロン病の事を思い出した。
  見えず、空気中を漂う寄生虫。

  そんなものは、いないとは思うが、一人の部屋にいると、おかしな妄想がわいてくるものだ。

  思わず、バックから忌避剤のスプレーを取り出した。
  これは、天然ハーブの自家製ブレンドだ。
  その中には、ラベンダーやローズマリーも含まれている。
  これらのハーブは、頭をスッキリとさせ、頭痛を軽減し、リラックス効果を促してくれる。

  軽く目を閉じて体にスプレーした。
  
  
  「私の番は、これで終わりのですね。」


  突然、低く、不気味な音無の声に、私は一瞬、たじろいた。

  「ああ、音無先生は、ここでお別れの時間ですか。  残念。」
秋吉の軽快な声が、部屋の中を少しだけ明るくし、私の気持ちも明るくなる。

  雅苗さんは、7年前の今頃、何をしていたのだろうか?
  自ら失踪したのなら、虫探偵の謎なんて残すだろうか?
  日記も処分せずに?

  日記を見つけた、本箱のからくりは、多分、雅苗の家の者なら誰でも知っているものだと思う。
  雅苗は、子供の頃に親にそれを教わって、秘密の宝物を入れていたのだろう。
  だから、二度と帰らない予定なら、この宝箱の中身も処分したはずだ。

  私は、7年前の失踪時の、雅苗の心のうちを想像する。
  マスコミやネットでは、モルゲロン病については語られていない。
  何か、その関係で夫婦仲が悪くなったりしたのだろうか?

  

  その横で、モニターから音無が最後の取って置きの怪談を披露していた。


  「トミノの地獄…の都市伝説を知っているかな?」
艶のあるバイオリンの音色のような音無の声が問いかける。
「トミノの地獄、ですか…。地獄って、なんだか怖いですね。
  で、それは、なんの事ですか?」
秋吉が、音無の説明を盛り上げるあいの手をいれる。
「今から100年前、西條(さいじょう)八十(やそ)と言う詩人の発表した詩(うた)だ。
  内容は、残酷で不気味なのだが、
  彼の紡ぎ出す、言葉の地獄は、何処と無く幻想的で美しい。

  が、しかし、新世紀に入り、この詩がおかしな紹介をされた事から、不気味な都市伝説になってしまう。
  それは、この『トミノの地獄』を音読すると、取り返しのつかない恐ろしい事が起こるのだそうだよ。」
  音無の嬉しそうなテンションに、秋吉があからさまに不安の表情を浮べるのが薄明かりの中でも分かる。

  トミノの地獄……

  私は、思わず赤い表紙の『砂金』を手にした。

  そう、トミノの地獄とは、『砂金』に収録されている西条八十の詩なのだ。
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