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パラサイト

プロローグ

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夢を見ていた。
遠くから懐かしい曲が聞こえてくる…
少しだけイタイ歌詞に、80年代の学生時代を思い出す。
    
名前は若葉かわば溶生ときお
80年代は音楽の最盛期だった。
彼の名前は有名な歌手やアーティストの中に埋もれてしまった。
そんな彼の名前を知ってる人がいたとしても、きっと曲よりも7年前の失踪事件の当事者としてかも知れない。



 今から7年前の2012年6月の事だ。第一発見者はローカルテレビの局員。
放送局から来た若い男性二人組は、朝の7時に屋敷に到着した。
 若葉 溶生ときおの妻、植物学者の雅苗かなえ
 彼女が夏のある日、屋敷から忽然と消えたのだ。




 約束した日の朝の事だ。
言われた様に呼び鈴を押した男は返事がないので勝手口に向かう。

 この時、助手の男はメンタムを取り出して鼻の下に塗ると先輩局員である男に聞いた。
「これ、つけますか?」
「なんだ?」
「知りませんか?ほら、良くドラマとかで検死の人がつけてるでしょ?
 メンタムを塗ると、臭さが少しマシになるんだそうですよ。」
 助手の男の台詞に先輩局員の男が苦笑する。

「死体花…そうは呼ばれているけど、あの花は開花するまでは、そんなに臭くはない。」
 先輩の台詞を…初夏の朝の風を感じながら助手の男は不信そうに聞く。
「でも…なんか、臭いですよ?」
  その台詞に先輩局員はため息をつく。

 田舎の農地、この辺り出身の彼には、季節の変わり目に風向きが変わり近隣の養豚場から動物の臭いが朝方に漂ってくるのを知っているからだ。

 田舎の香水…

 学生時代にそんな風に揶揄やゆされた臭いの事を、この都会(と、いっても地方都市ではあるが)生まれの男に丁寧に答える義理を感じ無かった男は、後輩を面倒くさそうに歩きながら勝手口へと導く。

 家主の雅苗には事前に言われていた。

 開花に合わせて忙しくて出られないかもしれないから、
 その時は勝手口の呼び鈴を鳴らし契約している警備会社を呼び出して扉を開けてもらうようにと。

 随分と念のいった事だが、雅苗の性格を知る彼は気にしなかった。

 何しろ世界でも最大と言われる絶滅危惧種の7年ぶりの開花が迫っているのだ。

 娘の晴れ姿を手伝う母親のように、彼女がこの植物にかけてきた愛情は計り知れないのだ。

 特にここ数ヶ月の 雅苗のそれは…子供に恵まれなかった反動にも思えて、知り合いでもあるこの男の気持ちを少しだけ感傷的にする。

 特に…旦那の浮気を週刊誌で知った今ならなおさらだろう。

 先輩局員の男はロックの外れた勝手口の扉を開き裏庭の奥にある温室へと迷わずに向かう。

 そして、彼は少しずつ濃くなる腐臭に不安を感じた。

 何か、嫌な予感が胸にこみ上げる。

数メートルを歩いたところで彼は走り出した。


 助手の男は突然走り出した先輩に驚きながら記録用のハンディカムを持ち直し同じく走り出す。

 しばらくして、少しだけ開いたガラスの温室が見えてきた。

 「………。」

 二人の男は絶句して、しばらく、温室の後方に咲き誇る、
 その赤紫の巨大な花に魅いられた。

 正確には、その部分は花弁ではないのだが…、

 そんな学術的な事は今のこの二人には関係は無かった。

ただ、圧倒的な存在感でそそり立つその花を、
 この世の物とは思えずに呆然と見つめていた。

 「まるで…異世界にでも、迷いこんだみたいですね。」
助手の男の間抜けな発言に男は我に返った。
 「撮れ!この花はわずか二日でかれてしまう。萎んでふやけた姿なんて映像にならんだろ?
私は急いで雅苗さん…いや、先生を呼んで来るっ。」
男は何かに急かされるように母屋へと走った…。

 しかし、そこには雅苗の姿はない。

 鍵のかかった屋敷の庭から見える大接間が荒らされていて、夫でミュージシャンの若葉溶生が倒れている。

 男は弾かれたように温室の後輩を呼びに行く。
叫び声に反応して後輩の男が立ち上がった。
 男の動きは温室の空気をゆらし開けっ放しのドアから一匹のスカラベが、かの大輪の奇花の芳香に誘われてやってきた。



私は混乱する。なぜならスカラベは日本には生息していない。
大輪の花と言えばラフレイシアはハエを誘って受粉をするが、死体花…ショクダイオオコンニャクは甲虫類にそれを頼むのだ。
そのあたりは間違いないのだが虫好きとしては夢とはいえなんとも釈然としない。

浅い眠りの中で私が不満を感じる頃、スカラベは大輪の花を目前に軌道を変える。

土の上に何かを見つけたのだ。

 クワガタの幼虫の死体だろうか?白い細長いものにスカラベは止まり、
しばらく不審げにそれの上を歩いていたが、やがて、狂おしい大輪の芳香に見入られるように飛び立った。

 動かないその物体に、
次は美しい鞭のような長い卵管をしならせながら、小さな蜂が飛んできた。

 彼女はその白い物体の上空を旋回し、少し不審そうにしていたが、やがて気に入ったのかその卵管をその物体に深々と差し込んだ。

 彼女の名前は、アオムシサムライムシコバチ。
 しかし、差し込んでからしばらくして、何か、不安そうに触覚を震わせていたが、
それでも、その獲物に産卵を始めた。

 それにしても、この宿主むしは何だろう?
 ぼんやりと見ていた私は、その白い物体に金属のリングを見つけて鳥肌が立つ。

 これは、幼虫なんかじゃない!
 これは人間の、多分女性の薬指だ。
 しかも、彼女は生き埋めにされている!!!

 甲虫類は死体を好むのに対して、寄生蜂は生餌いきえを好む。
 この小さな鑑識官を信じるなら、彼女はまだ生きているのだ。
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