祓魔師 短編集

のーまじん

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通り魔

経緯

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 フランソワと知り合うこととなったのは、正確には19世紀末。

 いつの時代も同じように、終末思想と新しい時代への期待がわいた時代だった。

 ロンドンの空は、相変わらず暗く、
 テームズ川は汚れていたが、
 若者は、新しい世紀に夢を膨らませていた。

 フランソワもまた、少年時代をベルヌと育っていたらしく「80日間世界一周」と無限の可能性と科学の将来性を信じ、地動説と飛行機を武器に年配者への敬意を忘れたようなところがあった。
 私たちの接点は、黄金の夜明け団だった。

 フランソワは、マグレガー・メイザースについて調べていた。
 私も切り裂きジャックの犯人が、この教団と関係があるのではないかと疑っていた。

 今考えてみると、特別の根拠があった訳ではないが、1888年3月、「イシス・ウラニア神殿」なる設備を作り、同教団が本格的に活動するようになると、この教団にかぶれた子供をもつ親からの相談を度々受けたりしたからかもしれない。

 19世紀末に現れた切り裂き魔は、時を経て忘れられるどころか、物語や芝居の空想で焼け太り、人ならざる怪物に化していた。
 それは、オリエントで様々な発見や発掘がつづき、大英博物館に飾られる、古代の神々の神秘と重ねて妄想される秘密結社も同じだった。

 私は、仕事柄、少しばかり世間より早く、彼らの異様さに、切り裂き魔の異質さを重ね合わせていたのかもしれない。



 とは言え、喉をかき切られた被害者も、
 憎悪で人を切り刻んだ犯人も、
 フランソワの世代には、ベルヌの夢物語と同等の価値しか持ち合わせていないようだった。
 若い者には、赤ん坊の頃の惨劇など、お伽話(とぎばなし)のように別世界の事柄なのだ。


 だからこそ、フランソワは、私の奇抜な説を何の躊躇(ちゅうちょ)もなく受け入れてしまった。

 それどころか、占星術の要素を含ませて、神秘主義(ミステリー)小説の探偵のように説明をしてくれた。



 「ダンナ、旦那の話、なかなか面白いですよ。
 これが間違っていたとしても、大衆小説として売れますぜ。
 その時は、ウチが一番の交渉先にしてくださいよ。」
フランソワは、そんな冗談を言っていたが、私は、そんな面白い話はしていない。

 それは1888年8月31日。
 ロンドンの下町、ホワイトチャペルでおこる。

 初めの被害者はメアリー・アン・ニコルズ。

 喉を切られ、死後腹部を傷つけられていた。

 警察が切り裂きジャックの犯行としたのは、5人。
8月31日メアリー・アン・ニコルズ。

9月8日アーニー・チャップマン

9月30日
エリザベス・ストライド
キャサリン・エドウッズ

11月9日メアリー・ジェーン・ケリー


私には、8月と9月と月末から始まる殺人を、反復するように感じたのだ。

 そして、手口。

 初めのメアリー殺しから随分と手慣れたような第2の殺人、それなのに、一ヶ月経過すると、うっかりしたのか、切り裂き魔は、エリザベスの殺害に際してミスを犯している。

 殺害現場を見られたためか、切り裂き魔は、エリザベスの腹部を切り裂くことなく逃げたのだった。


 これが一般的な考え方だった。
 しかし、私には第一の被害者メアリー・アン・ニコルズとエリザベス・スライドは、元々腹部に刺し傷をつけるつもりは無かったのでは無いかと疑っていた。
 第一の被害者メアリーの発見者は、スカートがめくれ上がって倒れていたのを発見されたのだが、
 発見者の一人、ロバート・ポールは初見でメアリーの生死が分からなかったからだ。
 腹を引き裂かれていたのを見ていたら、酔っぱらって倒れているだけなんて考えるだろうか?
 ポールは、その可能性をぬぐえなかった。

 しかし、メアリーは、死後に腹部を切り裂かれていた。

 もし、私の仮説が正しいのなら、腹部を引き裂いた他の人物がいる事になり、そうなると、また、話が複雑になるので、それは無いと当時も思い直したりした。

 後に、猟奇殺人のはしりと言われるこの事件だが、当時、秘密結社に憧れる少年の問題を抱えていた私には、
 この事件は非日常的で、魔術か何かの儀式のように思えたのだった。

 「しかし…ダンナはなかなか頭がキレる。
 私なんかには考えつきやせんぜ。」
フランソワは、一人で感心しながら、話を続けた。
「メイザースを疑っているんでしょ?」

 この質問に、私は雑誌記者の飛躍する想像力に驚いた。

 「世紀の大魔術師を?フランソワ、いつもの科学的発想はどうしたんだい?
 現在のロンドンの警察は、魔女やら呪いの類(たぐ)いで逮捕はしないんだよ?」
私は、疑惑を持たれた魔術師の肩をもった。
 それを聞きながら、フランソワは、不敵に微笑んだ。
「ダンナ、確かに、魔女狩りの時代は終わりましたが、悪魔に赤ん坊を生け贄にしたら、逮捕されるのは変わりませんぜ。
 ロンドンの切り裂き魔が欲しかったのは、女の悲鳴や引き裂かれる肉の感触ではなく、願いを叶えるための贄(にえ)だとしたら、逮捕案件になるんじゃありませんかい?」

 切り裂き魔は、その見事な解剖知識から、医者や、精肉業の人物を疑われていた。
 フランソワは、それならば、儀式で動物をほふる祭司も容疑者になり得ると考えているようだった。

 1897年にドーンの首領の職を辞したウエストコットは、ロンドン警察の検死官で、メイザースは彼の家に入り浸っていた。
 メイザースが、人体解剖の知識に触れることは容易であったといえる。

 メイザースは、早くに父親を亡くし、母子家庭で育った。
 1885年に母親を亡くし、被害者女性の年齢の女性に対しても、人とは違う思い入れがあったかもしれない。
 フランソワは、ややたくまし過ぎる空想力でメイザースを犯人に仕立てて行く。

 「取り出した臓器も、占星術と無関係じゃないんですぜ。これが。」

 そう言って例に出したのは、
 二番目の被害者アーニー・チャップマン
 四番目の被害者キャサリン・エドウッズ
だった。

 「アンドレさんは、12星座が、人の体に影響を与えているのはご存じでしょ?」
フランソワは、そう言って一枚の、体に星座表を組み合わせた図を私に見せた。

 昔からの医者なら、人体と星座を関連させることを知っているだろう。

 現在の若い医者はどうかは知らないが、
 頭を司るのは牡羊座で、故に、牡羊座の人間は頭痛に悩まされる…などと言われたものだ。

 しかし、日頃は、飛行船だ、科学だと自慢するフランソワが、一昔前のまじないの様な医療について真剣に語るのをみるのは滑稽だ。
 「被害者が奪われたのは子宮。何かを産み出そうとしていたのかもしれませんがね、しかし、それなら、一緒に奪われた膀胱や腎臓は意味が無いのか、調べてみると、腎臓も膀胱は天秤座が支配しているんですよ。良い感じに時期が合うとは思いませんか?」
興奮ぎみに私に説明するフランソワを夢想家だと思った。

 9月末に殺されたキャサリンは該当しても、
 9月上旬のアーニーは、おとめ座の時期になり、必ずしも合っているとは思えなかった。



 それに、同僚を疑われるのも気分の良いものではない。

 「大衆小説の怪奇ものなら面白いだろうが、事件の捜査では、そのアイディアは穴だらけだよ。
 第一、教団の秘密の儀式に使う臓器だとするなら、メイザースが危険を犯さなくても、検死官のウエストコットが、職場から盗んでくれば良いじゃないか!
 ロンドンの治安は悪いし、イキの良い娼婦の死体なら、毎日運ばれてくる。
 親族もなく、無縁仏として埋葬されるホトケさんは、内蔵が一つ、二つ無くなっても文句は言わないよ。」
 そう、あの時代、人気の無い夜道を歩く娼婦たちは、強盗の格好の獲物でもあった。
 実際、切り裂き魔がロンドンの街から消えたとしても、殺人が無くなったわけではない。

 ただ、大衆の興味の引く死体が亡くなったと言うだけなのだ。

 私は、私をその説で納得させ、ついでにフランソワを黙らせる事に成功した。

 フランソワは、しばらく黙りこみ、それから、思い出したようにこう聞いた。
 「そう言えば…、ダンナは複数犯を疑ってましたね?」

  フランソワから自分の説について話の矛先を向けられて、私はなんだか気恥ずかしくなった。

  私の説も、フランソワに負けず劣らずのファンタジーだったから。

  私もゴールデン・ドーンの関係者を疑っていた。
  が、私は、主要メンバーではなく、外国から儀式に参加する若い人物に焦点をあてた。

  切り裂き魔の犯行は、確かに、今までの物取りや怨恨とは違う臭いがした。

  私は、そこにリニューアルされた太古の残虐な神々を見たのだ。

  そして、被害者に与えたダメージのわりに、行き当たりばったりな犯行に、外国からの人物を思い浮かべた。
  
  ロンドンに住む人間だったら、内蔵を引きずり出すなんて面倒な事を発見されやすい通りでなんてしないと考えたのだ。

  9月30日の二度の犯行が私に勇気を与えてくれた。
  当時、これだけ注目を浴びた殺人を、しくじったにも関わらず、一日に二度も繰り返すなんて、地元の人間なら思い付かないだろう。(この殺人事態が異常ではあるが)

  いつの時代も娼婦には、腕っぷしの強い情夫がついているもので、
  金回りの良い彼女たちから、ボディーガードと称して金を巻き上げる良いチャンスでもあったからだ。
  それに、町を総括するギャングも目を光らせていただろう。
  ロンドンに住んでいたら、その緊迫した状況がわかるから、もう少し考えて行動するのでは無いだろうか?

  ロンドンに居ないから、大胆な行動に出たとしたら?

  いや、むしろ、この日にどうしても内臓を調達したかったのかもしれない。

  実際、この日を境に切り裂き魔はしばらく姿を消したのだ。

  大衆紙のゴシップ欄を飾るような、血に飢えた怪物なら、
  一日に二度も殺害を繰り返すような、中毒者なら、二ヶ月近くなりを潜めるのは不自然な気がした。

  直感的に、犯人が何らかの目的をここで果たしたのだと思った。

  当時、性別や身分も関係なく参加できたゴールデン・ドーン。儀式に参加し、このおかしな思想を本気にした人物が犯人像として頭に浮かんだ。

  神秘術に傾倒する子供を心配する親のつてで、私は、秘密結社の集会に参加することが出来たのだ。
  まあ、秘密結社と名前はあるが、アメリカ辺りではその地位は金で買えるほど気楽な団体で、そんな地位の高いアメリカ人の連れと言うことで自然に潜入できた。


  その時知り合ったのがジルだった。

  彼は、メイザースの翻訳した書籍や思想、主に悪魔召喚について興味を持っていた。

  彼にとって、魔術書とは古代人の心理療法だ、と言う仮説をたてていた。

  当時、古代の儀式やまじないで、塞がれた人の心が戻るのでは、と、仮説をたてていた。

  ジルは、パリから帰国を果たし、「男性のヒステリーについて」と言うフロイトの論文を絶賛し、
  彼の留学先の病院に来るカルロ神父とよく議論していた。
  そこで彼との記憶が途切れている。
  11月9日にメアリー・ジェーン・ケリーが殺害され、沢山の憶測や陰謀論と共にセンセーショナルに取り上げられた。
  世紀末の歴史的な事件に振り回されながら、それでもロンドンは通常通りめくり、そして、他の犯罪者も切り裂き魔の為に仕事を休むことなどしないから、この時期私は、仕事に忙殺され、時おり島状に記憶が抜け落ちていた。


  このホテルのソファーに座り、忘れていた記憶が少しづつ鮮明に思いだす。

  そうだ…一度、過労で倒れた事があった。
  妻は病院のベッドで泣きながら、私にあの事件を忘れるように懇願していた。
  妻が亡くなり、戦争が終わった。
  その安心感からなのか、まるで氷が溶けるように、私の記憶が華やかに匂いを放つ。


  「あの…、アンドレさん?」
ふいに肩に柔らかい女性の手の感触を感じて、私は、深く潜り込んだ意識の世界から、ゆっくりと浮上するように紅茶を用意してくれたジョセフィーヌを見た。
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