祓魔師 短編集

のーまじん

文字の大きさ
上 下
28 / 44
1412

初陣

しおりを挟む
 夜の森を騎士の一団が静かに進む。
 騎士と称しても軽装で、甲冑などは身に付けてはいない。
 重量のある甲冑を戦闘前から身に付けていては、馬も人も体力がとられるし、  今回は、鉄の甲冑より、革の防具の方が身軽で、敵を仕留めやすいに違いない。

 ブルゴーニュ公ジャン一世に仕える老騎士シメオンは目的地に着く少し前に、道の外れの空き地で隊を止めて戦支度を始める。

 今回は、脱走兵や彼らをそそのかした山賊討伐を目的としているので、戦と言うより捕物の方が言葉的には合っているかもしれない。

 彼は、無言でテキパキと支度を始める部下を軽く見回し、問題がない事を判断すると、自分に歩いてついてきた騎士見習いの少年に視線を落とした。

 年の頃は、15、16才位か、その年頃にしては長身で、細身の少年である。

 少年は修道士が着る粗末だが丈夫な黒いフードで身を包み、几帳面な立ち姿でそこにいた。

 シメオンはフードもとらずに立っている少年のもとへと近づき、
 そして、困ったように肩をすくめると、その被り物をはずした。

 「フィリップ様ここで待機されませんか?」

 シメオンの囁くような言葉に、フィリップと呼ばれた少年は無言で「否」と答えた。

 これから、王領の小さな村が野党どもに襲われる。
 彼は、それを自分の手で止めたいと願っていた。

 月の無い闇夜の中で、幕に光を漏らさぬように、わずかばかりの灯りに、切実なその表情がおぼろげに浮かぶ。

 色白の肌、神経質そうな形のよい眉、
 そして、父親譲りの尖った鼻。
 薄い唇をキリリと結び、信念のこもった瞳が、少年の決心をシメオンに訴えかける。

 気の優しい、詩人のような少年だと思っていたが、どうして、どうして、
こうして、私を見つめる姿は、無怖公むふこうと呼ばれた父上にそっくりではないか!

 シメオンは嬉しくなりながら、顔にはそれを出さずに静かに少年を見つめながらこう言った。

 「よろしい。それでは、ここからは、あなたは騎士見習いのフィリップ。
 私の命に従えなければ、体を鞭で叩き、
 必要とあれば、お命を頂く事になります。
 よろしいですね?」

 その枯れたように、まつわりつく響かない声を聞きながら、フィリップはこれから、向かう戦場を思って胸を高ならせた。

 シメオンは、暗がりでもなお、輝きを失うことの無い少年の好奇の光に戸惑いながらも、それを戒めるどころか、共有したいと考える自分にあきれてしまう。

 仕上がる戦仕度に、シメオンの心も高なった。

 己の少年時代の…
 初陣の時めきが、老兵の体に若さを取り戻させる。



 夜も更けたと言うのに、村はこうこうと松明の光が溢れ、男の怒声とおんなのすすり泣きに溢れていた。
 村の中心にある小さな教会には、村中の女子供が集まり、
 教会の周りには、成人を前にした少年たちが、張り詰めた空気を醸しながら、警備をしていた。

 フィリップは、教会の椅子に座り、木製の粗末なキリストに見守られながら、女の赤子を抱いていた。

 父親に内緒で、教育が係りのシメオンに着い来るまでは、激しい戦闘を期待していたが、
 いざ、村に入る頃には、大方の夜盗は、先陣の人間に確保されていた。

 我が儘を言って…40キロ近くを黙って歩いてついてきてまで得られるものなど、兵士としてのフィリップには無かった。
 が、現在、その手には、小さな命が希望の光を笑顔に変えてフィリップを照らしていた。

 少し前に、村にある妖精の木下で拾った命だった。
 生まれてそれほど月日はたっていないかもしれない。
 柔らかくて小さかった。
 戦の続く小さな村で、初夏の収穫を前に、食べさせる事が無理だと親は感じたのだろうか?

 それとも、道ならぬ恋に、神の理を外れて生まれた魂なのか…

 どちらにしても、
 誘拐されたと言うより、棄てられた、と言う雰囲気が現場に漂っていた。

 その時、フィリップは、安全と言う意味で、この何もない村の外れの警備を任されていた。

 父のジャンは、フィリップをとても愛してくれて、
 なかなか、戦場に出陣することを許してはくれなかった。
 そして、フィエレンツェや、ギリシア辺りからわざわざ呼んだ学者をつけて、沢山の本を与えてくれた。
 それは、とても嬉しいことではあったが、
 年頃のフィリップからすれば、早く出陣し、一人前の男として認めて欲しいのが、正直な気持ちだった。
 でも、フィリップの少年の日々を、消えかけの蝋燭の炎を惜しむように見つめる父王の瞳に、
 フィリップは、強くそれを言うことは出来なかった。

 父ジャンは、混乱する国内で戦い、
 偉大なるカール大帝がキリスト教の大陸、ヨーロッパを異教徒から守るためにも戦っていた。

 最後の十字軍…そう言われた戦いは、残酷な異教徒に弄ばれる結果に終わった。

 それについて、父は誰にも語ることは無かったが、その徹底した姿が逆に、吟遊詩人などから漏れ聞こえる戦の凄まじさをフィリップに感じさせたのだ。

 ある意味、こうなる事は分かっていた。

 あの有能なシメオンが、無怖王ジャンを怒らせ、自分と隊の兵士の命をかけてまで、フィリップを危険な戦場へ連れてなど来ないことを。

 今回、驚くほど簡単に着いてくるのを許されたのは、この結果を彼は知っていたからかもしれない。

 でも、それを責める気持ちにもならなかった。

 腕の中の小さな命は、フィリップに人の温もりと愛しさと、その脆さをフリップに伝えていた。

 母親に棄てられたのだろうか?
 戦の時期を前にして、春を売る外国の女たちも移動を始めたと噂を聞いた。

 繊細な人形のような小さな手で、フリップを…この世にしがみつこうと動かす赤子の指に、愛されて育ってきた自分を自覚して胸がつまる。

 この小さな魂は、この先どうなるのだろうか?

 フリップの胸に広がる焦燥感を感じたように、赤ん坊は、目を開き、悲しそうにフリップを見つめる。

 フリップはその瞳に、慈愛の微笑(びしょう)を投げかけて、静かに抱き直すと、
 聖歌を口ずさんだ。

 フリップの張りのある美しい発音の言霊が、小さな教会に巡ると、
 誰となく、それに続き、悲しみとも、癒しとも言えない、切なくも清らかな世界をそこに作り出す。

 グレゴリオ聖歌と呼ばれるその清らかな調べは、生きている人々に、勇気と夜明けが近いことを感じさせ、

 かつて命を奪われたものに、一時の安らぎを与える。

 敵方の王領の人々を混乱させないよう選ばれたのは、赤地に白十字のヨハネ騎士団の面々だった。

 それを反転するように、白い服に大きく縫いとられた赤地の十字を体にまとい、100年の眠りから目覚めたモレーは、人々の心を一時、暖かく照らす少年と赤ん坊の姿を悲しそうに見つめていた。

 人の世界の言い伝えとは真逆に、
 悪魔に身を売ったと言われた、テンプル騎士団総長、ジャック・ド・モレーの魂は、イエスの傍らに近いところでそれを眺め、

 教会の外の闇の中で、かつて、彼を火炙りにしたギョームの魂は、その中に入ることすら許されず、漏れ聞こえる聖歌の響きに身を焦がす。


 少し離れた闇の中から、半狂乱に叫びながら、一人の女が教会へと走ってくる。

 彼女はイザベル。
 農夫ジャック・ダルクの妻である。

 少し前に、女の子を亡くして心を病んでいた。

 が、小さな女の赤ん坊が、騎士に助けられたと知ると、無気力だった瞳に光を宿し、教会へと走って行くのだった。


 ギョームは、聖歌の清らかな青い炎に焼かれながら、神と言う存在の残酷さを見つめている。

 今日、少年が助けた命を
 成人した彼が焼き滅ぼすのだ。

 かつて、ギョームがモレーにそうしたように。

 この清らかな調べを口にする、穏やかで優しい少年を闇の住人へと追い落としたもうのか…

 ギョームは、体を信仰の炎で焼かれながらも、自らも100年の時を経て、口ずさむ。

 神を称える歌を。
しおりを挟む

処理中です...