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【湊⠀桂菲】
しおりを挟む万華郷、下手格子太夫の湊 桂菲は、おっとりした京都弁が特徴のはんなり美人である。
肌は乳白色できめ細かく、柔らかい胡桃色の猫っ毛を緩く纏め、左肩に垂らしている。見た目に違わず性格も穏やかで上品で、この上なく優しい。
しかし、影では最も恐ろしい娼妓と噂されている。その深すぎる懐は、嵌ってしまうと二度と抜け出せなくなる底なし沼だからだ。
実際、けい菲に入れ込み過ぎて妻子を蔑ろにし、家庭を崩壊させた客は両手足の指を足しても到底、足らない。本人にそんなつもりは無く、悪意もまったく無い天然物の優しさゆえに、尚更、怖いのだ。
優しく美しい上に所作も洗練されており、ふとした仕草にも艶やかな色気に溢れている。それもそのはず、けい菲は京都、島原で代々続く、芸妓一家の産まれなのだ。
幼い頃から舞や琴、三味線、唄などの芸事から棋道、茶道、華道などの情操教育を受けていた。
けい菲には香露巴という弟が居る。一卵性双生児で、まるで鏡映しのように瓜二つだ。2人とも大変、器量が良かったため、ゆくゆくは名妓になると期待され、大切に育てられた。大学を卒業すると、けい菲は万華郷へ、香露巴は万華郷の姉妹店、灯源郷へ入楼することになった。
花街の歴史同様、元を正せば灯源郷のほうが万華郷より古くからあった。島原一の陰間茶屋である灯源郷が暖簾分けし、吉原に万華郷が出来たのだ。
本当は兄弟共に地元の灯源郷へ入楼したがっていたが、まったく同じ顔の娼妓を抱えるよりは、西と東で分けたほうが効率的だと灯源郷の遣手が考えた結果、性格的に柔軟なけい菲が万華郷へ推されたのだ。
「へぇー、けい菲って双子なんだ。2人揃うと壮観だろうなぁ。見てみたいわー」
ある日の控え所で、ひょんなことからそんな話を聞いた朱理が興味津々で食い付いていた。
「ちょお古いけど、一緒に撮った写真あるよ。見る?」
「見る見る! 見せて!」
ふふ、と嬉しそうな笑みを浮かべながら、けい菲は端末の画面を皆に見せた。順に回し見ながら、娼妓らはそれぞれ感嘆の声を上げる。
「うわぁ、すご! 合成かと思うくらいそっくりだね」
「俺、周りに一卵性の双子って居なかったから新鮮だわ」
「俺は中学の同級生に居たけど、まじどっちがどっちか分かんねーの。髪型まで同じだったしな」
棕櫚、鶴城、荘紫がそんなことを言っていると、朱理がよくある質問を投げかけた。
「双子ってやっぱ仲良いの?」
「うん、えらいええよぉ。ときとんぼなしに連絡取りおうとるし。大雑把なうちと違うて、香露巴は心配性で寂しがり屋やさかい、筆まめなんよ」
「性格はけっこう違うもんなんだね。別に双子を売りにしても良かったと思うけど。引き離されて弟さん可哀想ー」
「そらあかんわぁ。弟と3人でするやなんて、流石に厭やさかいなぁ」
「おっと、そうだった……そりゃ厭だわな」
「俺はアリだと思う。幾らでも積める」
「天国だろ」
「お前らの意見は聞いてない」
下衆を隠す気も無い鶴城と荘紫を白い目で見る朱理に、けい菲はころころと笑う。ふと、そんな様子が懐かしい記憶を呼び起こし、けい菲は白魚のような手で朱理の頭を撫でた。
「朱理はどことのぉ、弟に似とるなぁ。昔もようそうやって、香露巴がうちを守ってくれとったんよ」
「けい菲はモテたろうから、簡単に想像つくわ。んで、めっちゃ頭撫でんの上手いし。寝そう」
「寝てもええよ。膝枕しよか?」
「やだ怖い。優しくされると沼るから辞めて」
「朱理は甘え上手やさかい、つい構いたなるんよなぁ」
「だから辞めてって、まじで。そーゆーとこだぞ」
「ん?」と小首を傾げるけい菲と朱理の遣り取りを聞きながら、棕櫚は魔性の慈愛の恐ろしさを目の当たりにして苦笑を漏らす。
「ホント怖い男だよねぇ、けい菲は。色気や床上手ってのは魅力の基本だけど、その優しさはもう人知を越えてるよ。仏レベルだと思う」
「それな。離婚されてもまったく動じねぇで通ってるヤツら見てると、ぞっとするわ」
「ああはなりたくないって思うよな」
同調する荘紫と鶴城に、「かなんなぁ、人聞き悪い」と柔和な声音で答える。
「こんなに人気なんだから、けい菲が太夫になりゃ良かったじゃんね。俺じゃなくてさぁ」
ぷかり、と紫煙を吐きながらぼやく朱理に、鶴城が青ざめた顔でぶんぶんと首を横に振った。
「駄目、絶対! もしそんなことになったら、客の半分以上が離婚するぞ!」
「既に離婚率50パーって言われてる時代だぞ。大したことないだろ」
「じゃあ全夫婦が離婚するな、きっと」
「いやいや、流石に全国民が通えるほど門戸広くないし」
「そういうマジな理屈じゃなくて、鶴城が言いてぇのは風評被害がやべーことになるって話だろ。太夫が軒並み離婚させてるなんて噂が広がったら、けい菲だけじゃなく見世まで叩かれちまうからな」
「あ、そゆこと? さすが荘紫は説明巧いな。やっと理解出来たわ、ぴえんだわ」
「朱理お前、都合悪くなったら馬鹿になるの辞めろ、バレてるぞ。しかも古いし痛い」
「るっせーぞ鶴城! ちょっとふざけただけだろ! 鈍のくせに上から目線ムカつく!」
「痛ッ! 痛いって! おま、マジ蹴りやめろよ! 危ねぇだろ!」
げしげしと鶴城を蹴りつける朱理の言葉に、天然な棕櫚が首を傾げる。
「そういえば、朱理ってよく鶴城に〝どん〟って言うよね。前後の脈絡で鈍いって意味だとは思うけど、それって方言?」
「んあ、言われてみれば確かに方言だな。なるべく標準語意識してるけど、使い易くてつい出るんだわ」
人種のるつぼたる吉原は、都内でも特に地方出身者が多い場所だ。
昔の娼妓は出自を隠すために廓言葉を使っていたが、今は標準語を使う場合がほとんどだ。万華郷では伊まりとけい菲以外、地方出身者でも標準語である。
因みに、伊まりらが標準語にしないのは商業的理由だ。古来より吉原では、上方から下って来た者は物腰柔らかく、上品だとして大変、喜ばれる。方言趣向の先駆けというわけだ。
「で、朱理はどこ出身なんだ?」
「さぁね。鶴城には教えてやんねー」
「はー? 近頃のお前、なんで俺にだけ微妙に当たりキツいんだ?」
「なんでだろうな、胸に手ぇ当てて考えろ」
「えぇ……?」
言われるまま胸に手を当てる鶴城の横から、棕櫚が顔を寄せてきた。
「俺も知りたいなぁ。俺の故郷も教えるからさ。ねぇ、駄目?」
「うあ、やばい。可愛いおねだりにきゅんとした。棕櫚には特別、後でこっそり教えてあげる」
棕櫚にデレデレな朱理に、荘紫は教えられて当然という顔で紫煙を吐く。
「特別に俺のも教えてやんよ」
「いや、荘紫は別にいいよ。そっちも大して興味ねぇだろ」
「興味うんぬんってより、ハブられんのが腹立つ。プライド的なアレが許さねー」
「ブレないな、お前……」
そうして輪の中心で皆と笑う朱理を、けい菲は少しだけ羨ましい心持ちで眺めていた。
けい菲の穏やかな性格は産まれ付きの物だ。余程のことが無い限り、激昂したり深く落ち込んだりはしない。それは逆を言うと、大口を開けて笑ったり、歓声を上げて騒ぐこともないのだ。
決して没個性ではないが、輪の中心にもならない。皆は優しいと褒めそやしてくれるが、それしか取り柄の無い自分に、時折、どうしようもない不甲斐なさや物足りなさを感じることがある。
そんな胸中を香露巴に話した時、彼は何の迷いも無くこう言った。
「おにいはそれでええんや。人に優しいゆうのんは、えらいややこしいことなんやさかい。誰にでも優しゅう出来るおにいは、凄い人やねんで」
けい菲は香露巴の頭を撫で、「あんたも十分、優しおして凄いで。自慢の弟やわ」と笑った。
久しく聞いていない香露巴の声が聞きたくなる。今日、昼見世の後にでも電話をしよう、とけい菲は出しっぱなしだった端末の写真を眺め、静かに微笑むのだった。
終
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