万華の咲く郷 ~番外編集~

四葩

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【八神⠀荘紫】

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「なー、ちょっと風邪っぽいんだけど、オススメの市販薬ってある?」
「市販薬だぁ? そんなモンに無駄な金使ってねーで、さっさと病院行けよ」
「やだ、めんどくさい」
「お前なぁ……こじらせてから行っても、結局、治り遅くなってしんどいの自分だぜ?」
「待ち時間嫌いなんだよー。ぜってぇ知り合いに会うもん。下手したら客に診られるんだぞ? 客の客になるって、なんか気持ちわりぃじゃん」

 ある日の朝。ひかしょ朱理しゅり荘紫そうしのそんなやり取りが響いた。

「なー、頼むよ荘紫ー。しんどいんだよー、助けてくれよぉー」
「あーもう、分かった、分かった。常備薬やるから来い。簡単に診てやるよ」
「やった! 持つべきものは医学部卒の世話好き兄ちゃんだなー」
「ったく、調子よすぎだっつーの」

 連れ立って出ていく2人を見送り、居合わせた鶴城つるぎ棕櫚しゅろ、伊まりが首を傾げる。

「なんかあいつら、最近やたら仲良いな」
「んー。何かにつけ、すぐ荘紫に頼るよね。急にどうしたんだろ」
「薬欲しいだけやろ。朱理ってめっちゃ病院嫌いやし。それより、荘紫の面倒見の良さのがキショいわ。何なん、突然のデレ期か?」
「確かにな。荘紫ってもっとこう、パブリックにエネミーなイメージあるよな」
「ちょっと、2人とも言い過ぎじゃない……?」

 荘紫の酷い言われように、棕櫚は若干、同情を覚えた。
 2人の距離感が変わったのは大停電の際、荘紫の世話好きを知ったからだ。甘えるのが大好きな朱理と、本当は世話を焼きたくて堪らない荘紫とが仲良くなるのは自明の理だった。しかし、荘紫がその本性をひた隠しにしているのには訳がある。

 荘紫は三人兄弟の次男に産まれた。弟とは少し歳が離れていたため、よく両親から面倒を見るよう頼まれた。世話焼き体質は、その頃に培われた物だった。
 荘紫は兄弟の中で最も造作が良く、同級生からは勿論、兄や弟世代からも非常にモテた。ひっきりなしに告白され、10代半ばから彼女が途切れたことが無い。典型的なプレイボーイだった。
 やがて大学へ進学するに当たり、荘紫は一旦、女遊びを辞めた。志望が日本最難関の医学部だったからだ。最高の教育を受け、ゆくゆくは医者になって困っている人たちを救いたい。世話焼きが高じた純粋な気持ちだった。
 必死で勉強し、見事ストレートで入学出来た時には、夢に一歩近づけたことが心底、嬉しかった。進振りに影響が出ないよう、1年も2年もひたすら勉学に励み、迷わず医師を目指し続けていた。
 そして2年の晩冬。ようやくひと息つける時期が来た頃、荘紫はある女性と出会った。よく図書館で見かけていた、と声を掛けてきたのは向こうからだった。良くも悪くも平均的で、決して目立つタイプではない。しかし素朴な愛嬌と柔和な性格が、疲弊していた荘紫の心を癒してくれた。
 数日と経たず、2人は付き合うようになった。彼女は文Ⅲで、教諭を目指していた。人の助けになりたいという根本が共通していた2人は、運命と思えるほど相性が良かった。荘紫は彼女に夢中になった。人生で初めて、心から人を愛したのだ。卒業して仕事が落ち着いたら、結婚して欲しいとまで言っていた。
 3年に上がり、専門的な授業が増えて互いに会う機会が減ると、荘紫は彼女と共に住むためのマンションを借りた。同棲を始め、共に眠り、目覚める日々に荘紫は夢心地だった。
 彼女が病気になると講義を休んで看病し、帰りが遅いと心配で堪らず、何度も連絡した。連絡がつかない時は彼女の講義棟まで迎えに行き、共に帰る。いつまでもこうして手を繋ぎ、穏やかな日々を過ごすのだと、荘紫は信じていた。
 3年の夏休み。実家へ顔を出すため、5日ほどマンションを留守にすることになった。1日も離れていたくないとごねる荘紫に、彼女は優しく微笑んで言った。

「久し振りの帰省なのだから、家族との時間を大事にしてほしいの。私も実家に帰るから、お互いゆっくりしてきましょう」

 そんな思いやりすら愛おしくて、後ろ髪を引かれながら帰省した。実家に戻ってからも、荘紫は日に何度も彼女に連絡していた。彼女から返信が来たのは初日の一度だけで、寂しくはあったが家族と楽しんでいるのだろうと我慢した。
 そして5日後。マンションの扉を開けた荘紫は呆然となった。部屋から彼女の荷物がすべて消えていたのだ。勿論、彼女自身も。寒々さむざむとした部屋の机の上に、『ごめんなさい』と短いメモが残されていた。
 よくある話なのだろう。面白くも、目新しくもないだろう。それでも荘紫にとって、世界が足元から崩れていくような絶望と喪失だった。
 せめて理由だけでも聞きたいと苦心した挙句、少しだけ話すことが出来た。

「……荘紫くんの気持ちが重くて、疲れちゃったのよ……。もう無理、受け止めきれない……。ごめんね……」

 申し訳なさそうに頭を下げて、彼女は去ってしまった。
 嗚呼、そうか、と荘紫はぼんやり思った。好きで、大好きで、心から愛していた。彼女さえ居れば良かった。大切にして、慈しんで、どんな時もこの手で守りたかった。そんな自分の誠意や真心は、相手にはただの重荷だったのだと思い知った。
 人生初の大恋愛が大失恋に終わり、荘紫は荒れに荒れ、すさみきった。飲み会と聞けば飛んで行き、合コンと聞けば駆けつけ、勉強など放り出してプレイボーイに逆戻りしたのだ。
 ただひとつ以前と違ったのは、女性に対する怒りだった。決して表には出さないため、揉め事になるような馬鹿はしないが、内心では出会う女性をことごとく嫌悪し、軽蔑した。

(心から愛して去られるなら、もう誰も愛さない。本気で心配して鬱陶しがられるなら、もうどうでもいい。もう二度と、誰かに関心を持ったりしない。女はみんな嘘つきだ。優しい顔で笑って見せて、甘い言葉を囁くくせに、腹の中はどろどろに腐ってる。心を踏みにじられるのは、もう沢山だ……)

 そうして歪んだ哀しみと絶望が、荘紫の万華郷入りのきっかけとなったのだ。自分がされたことを、そっくりそのまま返してやると。腹の底に溜まってこごった復讐心で、今もなお癒えない傷を誤魔化し続けている。

「ほら、くち開けろ。あーって言え」
「あー……」
「ちょっと赤くなってるが、扁桃腺は問題なさそうだな。症状は?」
「喉の奥がイガイガする」
「咳、鼻、熱は?」
「うーん、空咳と痰が少し。熱は多分ない」
「じゃ、痰切りと抗炎症薬と鎮痛剤やるから、何か腹に入れてから飲めよ。あと、ちったぁ煙草控えろ。せめて咳が治まるまでは」
「んー、分かったー」
「……って、言ったそばから火ぃつけてんじゃねぇよ。聞けよ、人の話を」
「聞いてるし、吸ったらダメなのも分かってるし、吸っても不味いし喉痛いし。でも、こういう時に限って吸いたくなるんですよー、センセー」

 先生という単語にどきりとする。かつて、そう呼ばれるために死ぬほど努力していたことを思い出す。こんな所で呼ばれる日が来ようとは、あの頃の自分は思いもしていなかったろう。
 妙に気恥ずかしくなり、荘紫はふいと顔を逸らした。視界の端で、朱理が仰向けに寝転ぶのが見えた。

「俺、お前のその性格好きだぜ。全然重くなんてねぇし、むしろもっと世話されたいくらいだわ。本当はこんなに良い奴なのに、勿体ねぇなぁー」

 荘紫は振り向かず、胡座をかいて髪をぐしゃぐしゃやりながら煙草を咥える。

「うるせぇ、勿体なくねーよ。こんなことで喜ぶのなんてお前くらいだし。自立心ゼロのイカレポンチに褒められても、まったく嬉しかねーんだよ」
「イカレポンチて……なにそれ、どこの言葉?」
「たぶん関西だろ。伊まりがよく使ってっから移った」
「フルーツポンチに似てるな」
「全然似てねーよ」

 からからと笑う朱理に、凝り固まった悪心が少しだけほぐされるようで、荘紫はぽつりと呟いた。

「……いつか、俺もお前みてぇなのに出逢えんのかな」
「俺ぇ? いるいる、いっぱい居るよ」
「かっるいな、おい……。真面目に聞いた俺、くそ恥ずかしいわ」
「いや、まじで。甘やかされたいとか、世話焼いて欲しいって思う人、絶対いっぱい居るから。荘紫レベルが求めるには、むしろハードル低過ぎるから」
「そんなの最初だけだろ。どうせ皆、だんだん鬱陶しくなって、最後は重いとか言い出すに決まってる……」
「ま、根が深いのは分かるけどさ。問題はお前が耐えられるかどうかだと思うぞ」
「何に?」
「俺みたいのと付き合うと、まじでべったりおんぶにだっこだから。想像以上に面倒くさいよ。多分、ブチ切れるのお前のほうだぞ」
「フン、究極の世話焼き舐めんなよ。おんぶにだっこなんて当たり前だ。何なら肩車もしてやるぜ」
「は? 最高かよ。結婚しよーぜ」

 ひとしきり笑い合った後、ふと荘紫は虚空を見つめながら問う。

「トリカブトって知ってるか」
「毒あるやつ? 名前はよく聞くけど、見たことないな」
「綺麗な紫で、烏帽子えぼしみたいな形の花だ。植物毒の中で1番強力なアルカロイド系でな、昔はよく暗殺に使われたんだと」
「へぇ、怖いな」
「そのせいか、〝あなたは私に死を与えた〟って花言葉があるくらいなんだぜ」
「そりゃ花が可哀想な話だな。トリカブト的には、食うんじゃねーよって思ってるぞ、きっと」

 朱理の返答に、荘紫は虚をつかれたように目を見開いた後、声を上げて笑った。

「お前、やっぱ変わってるわ。普通、毒草目線で考えねぇよ」
「だってさ、好きで毒草になったんじゃねぇだろうに、勝手に食われて死なれて、物騒な花言葉付けられたら厭だろ。俺の言ってること、そんなに変か?」
「変だ。でも、俺はお前のそういう所に救われてるけどな」
けなし褒めとか斬新ー。手放しに喜べねー」
「喜んどけ。俺の本気褒めは、大金積んでもそうそう買えねぇからな」
「俺より高ぇじゃん。すげぇな」

 再び笑い合い、「少しでも救えたなら良かったよ」と朱理が肩を叩く。「ありがとな」と荘紫はいつもより少しだけ、柔らかい笑みで答えた。
 たまには、こんな弱音を吐く日があっても良いのかもしれない。

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