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04.世話人
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広い城内は真っ白な外観とは違い、温かい雰囲気の内装だった。壁は確かに白いが木材がふんだんに使われていて、あちらこちらに観賞植物も配されている。祖国は高価な美術品が置かれていたが、その系統のものは絵画くらいしかない。
「植物が多いんですね」
同じ事を考えていたらしいスルトフェンが、ずっと噤んでいた口を開いた。
「城にあるのは暖かい時期にしか育たない植物でして。アルブレアはこの気候ですから、限られた時期の植物、それも実りをもたらすものは貴重品なのです」
そう言いながら王太子はぷつりと近くの植物に成っていた小さな白い実を取り、内緒ですよとラズリウとスルトフェンに差し出してくる。おずおずと受け取って勧められるまま口に運ぶと、じゅわりと甘い味が広がっていった。
ベリーの一種なんです、と自身も一粒つまみながら王太子もにこりと笑う。
「この子達は他国でいう美術品に近しい価値を持つものです。まぁ、半分くらいは私と妻の趣味なのですが」
王太子と王太子妃は動物と植物の学者だという。温度変化に弱い植物を王城で栽培し、観賞用になるものはこうして廊下に一株置いているらしい。
「……素敵ですね」
大切にする物も、王太子夫妻の好みを反映された空間も、それが叶う環境も。ラズリウが見てきたものとは何もかも違っていた。
だから末の子供なのにグラキエ王子もあれだけ愛されているのだろう。何だかそれが無性に羨ましかった。
しばらく歩き、一つの部屋の前で王太子が立ち止まる。どうぞと促されて入ると一人の女性が中に立っていた。
クリーム色のふんわりとした髪を下の方でまとめ、メイド服に上着を纏った少し変わった身なりをしている。その首には装飾の施された緑のチョーカーらしきものが見えた。
「シーナ。突然すまなかったね」
「お声がけ頂き光栄にございます」
深々と優雅に一礼するシーナと呼ばれた女性は、ラズリウとスルトフェンにももう一度、同じ様に頭を下げた。青い目にじっと見つめられて意味もなくドキドキしてしまう。
「お初にお目にかかります。ラズリウ様の身の回りのお世話を仰せつかりました、シーナと申します」
「えっ!? いえ、あの……お世話して頂くほどの者では……!」
「ラズリウ様はΩ性をお持ちだと伺っております。お一人では苦労されることも多々おありかと」
「……あ……」
慌てふためくラズリウを宥めるように、シーナと名乗った女性は少し身を低くして視線を合わせてくる。その通りで何も言えなくなってしまった。
普段は問題ないけれど、確かに一定の周期で身動きが取りにくくなる。ついて来てくれたスルトフェンはその時のラズリウを知らない。どう対応すればいいか見当もつかないだろう。
「男性ならばもっと気楽だったのでしょうけれど、私が知るΩはシーナだけでして」
わざわざΩの人材を探してくれた心遣いは有り難い。けれど過ぎた待遇じゃないだろうか。もしかしたらお試し期間で本国に帰ってしまうかもしれないのに。
Ωは特別手間がかかる、と。いつか聞いた誰かの声が頭の中で響いた。
そんな心中を知ってか知らずか、王太子はにこにこと微笑んでいる。
「城勤めは一度引退しておりますが、彼女は我々の乳母も務めておりました。振る舞いにも問題はないかと」
「え……Ωが……ですか?」
口をついて出た言葉を受けて、しんとその場が静まり返った。
きょとんとした顔の目の前の二人。そこでようやく、己の認識している普通がこの国ものとは違う事に思い至る。
「あ、ご、ごめんなさい……! ネヴァルストではあまり、その、発情期が来るΩの使用人は居なくて……」
身動きの取れない期間があって、周囲に影響を及ぼすフェロモンを出すΩは忌避され登用されない。王族の世話や来賓の対応にあたる王城務めはもってのほかだ。そしてそれは城下の街でも同じ。
ネヴァルストのΩは誰かに飼われる生活しか出来ない。ラズリウはたまたま王族の生まれだったから、押し込められる離宮という籠があったけれど。
それが、国が違えば王子達の乳母だ。アルブレアの王族は殆どαだと聞いているのに。
もしかしてとんでもない失言だったのではないかと肝を冷やすラズリウに、何故かシーナも王太子もなるほどと揃って頷いた。
「御心配もごもっともにございますね。私には番である夫がおりましたので、期間中は動けなくなる程度でございました」
「番……」
にこにこと微笑むその顔に不快そうな様子はない。ほっとすると同時に、番という言葉が耳に残った。
Ωはαの番を持つことがある。一生に一人だけ、唯一の存在を。
……とはいえαは複数の番を持つことができるお陰で、それすらαの所有物である証でしかないけれど。番と夫婦だというこの人は、何て幸せなんだろう。
無意識にじいっとシーナを見つめるラズリウの視界の端で、王太子は柔らかく微笑んだ。
「では、後は頼むよ。そろそろグラキエが絞り粕になっているだろうからね」
「かしこまりました」
その声にハッと我に返り、同時にシーナをガン見していた事に気付いて顔が熱くなる。思考を切り替えようと軽く頭を振って、部屋を出ていく王太子の背に深く頭を下げた。
パタンと扉が閉まる音が響くと、さぁ、という言葉と一緒にシーナがパチンと手を叩く。
「お二人ともお疲れでしょう。紅茶でもお淹れいたします」
「えっ……で、でも」
「ありがとうございます」
わざわざ手間をかけさせるなんて申し訳ない。
そう言おうとした横からスルトフェンはにこやかな笑顔で礼を告げてしまって。かけてお待ち下さいねと言い残し、シーナはひらりと身を翻して部屋を出ていってしまった。
一応主人は自分なのに。不満げなラズリウの視線に、スルトフェンはにーっと悪巧みをする様な顔で笑った。
しばらくしてワゴンと一緒に戻ってきたシーナは温かい紅茶を淹れてくれた。乾燥したフルーツを混ぜ込んだという茶葉からは仄かにベリーの香りがして、茶請けに出されたバタークッキーの優しい甘さとふんわり溶け合う。
何だかんだでずっと緊張していた肩から力が抜けて、ほっとひとつため息を吐いた。
すると。
「グラキエって王子はずっとああなんですか」
「す、スルトフェン!」
隣からの爆弾発言に紅茶が変な所へ行きそうになる。慌てて言葉を遮るけれど、向こうにはしっかり第三王子の名前が届いてしまっていた。
まぁ、と驚いた声を出してシーナは曖昧に微笑む。
「またグラキエ王子が何か失礼を?」
「呼びつけておいて遅刻するわ、婚約はするが子作りしかしないと堂々と宣うわ、王子とは思えない行動でしたね」
はぁ、と一際大きなため息をついたスルトフェンは渋い顔でティーカップを睨む。
落ち着いたと思ったけれど、また怒りがぶり返してきたらしい。
けれどあの時は良い発言ではなかったとラズリウも思いはする。それだけに、あまり強く止める事は出来なかった。
「王妃陛下や同席していた執事殿の仕置きで多少は溜飲も下がりましたが。……そういえば、執事殿も執事とは思えない動きでしたね」
確かに第三王子を引きずり出した時は流れる様に連れて行った。
てっきり手慣れているからだと思っていたけれど、よく考えたら王子と執事は同じぐらいの背格好だ。年齢を考えると、おいそれと出来そうな事ではない。
いくら問題児の教育係といっても、少し違和感が残る。
けれどそんな疑問の答えは、あっさりとシーナから返された。
「仕置きというと、テネスですね。あの人は若き日の国王陛下の近衛騎士を務めておりまして。王子殿下方の剣の師範でもあります」
「……なるほど、身のこなしが軽い訳だ」
元近衛騎士と聞いて、スルトフェンの目の色が変わった。冷静を装った声音ではあるけれど口元がわずかに上がっている。
会った時から既に騎士になりたいと言っていたから、騎士の中のエリートである近衛騎士の経験者ともなると強い憧れの対象なのかもしれない。
「とはいえ、グラキエ殿下に対しては教育係としての顔が大きゅうございます」
「何故あの人に教育されてああなるのか……」
普段しごかれていそうなものなのに、とスルトフェンは首を傾げる。異国の王子にあんまりな言い種だなと思うけれど、シーナはくすくすと笑っているだけだ。
自国の王子が他国から来た人間に悪く言われているのに。
「確かにグラキエ殿下はお時間にルーズですし、あまり他人に気を遣う事を心がける方ではございませんが……好奇心と集中力が強すぎる故でございます」
「そこを制するのが普通では」
スルトフェンはあくまでも真面目に批評として話しているからだろうか。それとも、彼女がおおらかなのか。
優しい人達。
だけどその中身は見えない。王族に近い人々なのだから、腹の中を隠すのは上手いのかもしれない。
「植物が多いんですね」
同じ事を考えていたらしいスルトフェンが、ずっと噤んでいた口を開いた。
「城にあるのは暖かい時期にしか育たない植物でして。アルブレアはこの気候ですから、限られた時期の植物、それも実りをもたらすものは貴重品なのです」
そう言いながら王太子はぷつりと近くの植物に成っていた小さな白い実を取り、内緒ですよとラズリウとスルトフェンに差し出してくる。おずおずと受け取って勧められるまま口に運ぶと、じゅわりと甘い味が広がっていった。
ベリーの一種なんです、と自身も一粒つまみながら王太子もにこりと笑う。
「この子達は他国でいう美術品に近しい価値を持つものです。まぁ、半分くらいは私と妻の趣味なのですが」
王太子と王太子妃は動物と植物の学者だという。温度変化に弱い植物を王城で栽培し、観賞用になるものはこうして廊下に一株置いているらしい。
「……素敵ですね」
大切にする物も、王太子夫妻の好みを反映された空間も、それが叶う環境も。ラズリウが見てきたものとは何もかも違っていた。
だから末の子供なのにグラキエ王子もあれだけ愛されているのだろう。何だかそれが無性に羨ましかった。
しばらく歩き、一つの部屋の前で王太子が立ち止まる。どうぞと促されて入ると一人の女性が中に立っていた。
クリーム色のふんわりとした髪を下の方でまとめ、メイド服に上着を纏った少し変わった身なりをしている。その首には装飾の施された緑のチョーカーらしきものが見えた。
「シーナ。突然すまなかったね」
「お声がけ頂き光栄にございます」
深々と優雅に一礼するシーナと呼ばれた女性は、ラズリウとスルトフェンにももう一度、同じ様に頭を下げた。青い目にじっと見つめられて意味もなくドキドキしてしまう。
「お初にお目にかかります。ラズリウ様の身の回りのお世話を仰せつかりました、シーナと申します」
「えっ!? いえ、あの……お世話して頂くほどの者では……!」
「ラズリウ様はΩ性をお持ちだと伺っております。お一人では苦労されることも多々おありかと」
「……あ……」
慌てふためくラズリウを宥めるように、シーナと名乗った女性は少し身を低くして視線を合わせてくる。その通りで何も言えなくなってしまった。
普段は問題ないけれど、確かに一定の周期で身動きが取りにくくなる。ついて来てくれたスルトフェンはその時のラズリウを知らない。どう対応すればいいか見当もつかないだろう。
「男性ならばもっと気楽だったのでしょうけれど、私が知るΩはシーナだけでして」
わざわざΩの人材を探してくれた心遣いは有り難い。けれど過ぎた待遇じゃないだろうか。もしかしたらお試し期間で本国に帰ってしまうかもしれないのに。
Ωは特別手間がかかる、と。いつか聞いた誰かの声が頭の中で響いた。
そんな心中を知ってか知らずか、王太子はにこにこと微笑んでいる。
「城勤めは一度引退しておりますが、彼女は我々の乳母も務めておりました。振る舞いにも問題はないかと」
「え……Ωが……ですか?」
口をついて出た言葉を受けて、しんとその場が静まり返った。
きょとんとした顔の目の前の二人。そこでようやく、己の認識している普通がこの国ものとは違う事に思い至る。
「あ、ご、ごめんなさい……! ネヴァルストではあまり、その、発情期が来るΩの使用人は居なくて……」
身動きの取れない期間があって、周囲に影響を及ぼすフェロモンを出すΩは忌避され登用されない。王族の世話や来賓の対応にあたる王城務めはもってのほかだ。そしてそれは城下の街でも同じ。
ネヴァルストのΩは誰かに飼われる生活しか出来ない。ラズリウはたまたま王族の生まれだったから、押し込められる離宮という籠があったけれど。
それが、国が違えば王子達の乳母だ。アルブレアの王族は殆どαだと聞いているのに。
もしかしてとんでもない失言だったのではないかと肝を冷やすラズリウに、何故かシーナも王太子もなるほどと揃って頷いた。
「御心配もごもっともにございますね。私には番である夫がおりましたので、期間中は動けなくなる程度でございました」
「番……」
にこにこと微笑むその顔に不快そうな様子はない。ほっとすると同時に、番という言葉が耳に残った。
Ωはαの番を持つことがある。一生に一人だけ、唯一の存在を。
……とはいえαは複数の番を持つことができるお陰で、それすらαの所有物である証でしかないけれど。番と夫婦だというこの人は、何て幸せなんだろう。
無意識にじいっとシーナを見つめるラズリウの視界の端で、王太子は柔らかく微笑んだ。
「では、後は頼むよ。そろそろグラキエが絞り粕になっているだろうからね」
「かしこまりました」
その声にハッと我に返り、同時にシーナをガン見していた事に気付いて顔が熱くなる。思考を切り替えようと軽く頭を振って、部屋を出ていく王太子の背に深く頭を下げた。
パタンと扉が閉まる音が響くと、さぁ、という言葉と一緒にシーナがパチンと手を叩く。
「お二人ともお疲れでしょう。紅茶でもお淹れいたします」
「えっ……で、でも」
「ありがとうございます」
わざわざ手間をかけさせるなんて申し訳ない。
そう言おうとした横からスルトフェンはにこやかな笑顔で礼を告げてしまって。かけてお待ち下さいねと言い残し、シーナはひらりと身を翻して部屋を出ていってしまった。
一応主人は自分なのに。不満げなラズリウの視線に、スルトフェンはにーっと悪巧みをする様な顔で笑った。
しばらくしてワゴンと一緒に戻ってきたシーナは温かい紅茶を淹れてくれた。乾燥したフルーツを混ぜ込んだという茶葉からは仄かにベリーの香りがして、茶請けに出されたバタークッキーの優しい甘さとふんわり溶け合う。
何だかんだでずっと緊張していた肩から力が抜けて、ほっとひとつため息を吐いた。
すると。
「グラキエって王子はずっとああなんですか」
「す、スルトフェン!」
隣からの爆弾発言に紅茶が変な所へ行きそうになる。慌てて言葉を遮るけれど、向こうにはしっかり第三王子の名前が届いてしまっていた。
まぁ、と驚いた声を出してシーナは曖昧に微笑む。
「またグラキエ王子が何か失礼を?」
「呼びつけておいて遅刻するわ、婚約はするが子作りしかしないと堂々と宣うわ、王子とは思えない行動でしたね」
はぁ、と一際大きなため息をついたスルトフェンは渋い顔でティーカップを睨む。
落ち着いたと思ったけれど、また怒りがぶり返してきたらしい。
けれどあの時は良い発言ではなかったとラズリウも思いはする。それだけに、あまり強く止める事は出来なかった。
「王妃陛下や同席していた執事殿の仕置きで多少は溜飲も下がりましたが。……そういえば、執事殿も執事とは思えない動きでしたね」
確かに第三王子を引きずり出した時は流れる様に連れて行った。
てっきり手慣れているからだと思っていたけれど、よく考えたら王子と執事は同じぐらいの背格好だ。年齢を考えると、おいそれと出来そうな事ではない。
いくら問題児の教育係といっても、少し違和感が残る。
けれどそんな疑問の答えは、あっさりとシーナから返された。
「仕置きというと、テネスですね。あの人は若き日の国王陛下の近衛騎士を務めておりまして。王子殿下方の剣の師範でもあります」
「……なるほど、身のこなしが軽い訳だ」
元近衛騎士と聞いて、スルトフェンの目の色が変わった。冷静を装った声音ではあるけれど口元がわずかに上がっている。
会った時から既に騎士になりたいと言っていたから、騎士の中のエリートである近衛騎士の経験者ともなると強い憧れの対象なのかもしれない。
「とはいえ、グラキエ殿下に対しては教育係としての顔が大きゅうございます」
「何故あの人に教育されてああなるのか……」
普段しごかれていそうなものなのに、とスルトフェンは首を傾げる。異国の王子にあんまりな言い種だなと思うけれど、シーナはくすくすと笑っているだけだ。
自国の王子が他国から来た人間に悪く言われているのに。
「確かにグラキエ殿下はお時間にルーズですし、あまり他人に気を遣う事を心がける方ではございませんが……好奇心と集中力が強すぎる故でございます」
「そこを制するのが普通では」
スルトフェンはあくまでも真面目に批評として話しているからだろうか。それとも、彼女がおおらかなのか。
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