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楚夢雨雲
楚夢雨雲 第一話
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「巻き込む形になって、本当に申し訳ない……」
打ちっぱなしの壁とコンクリートの冷たい床。それを見ながら、まるで牢獄のようだと心から思う。
「………いいよ、大丈夫……俺は平気……」
冷たい床に座り込みながら、お互いの怪我の手当てをする。
俺の身体についたベルトの痕は思っていたより大したことはなく、これなら上手く誤魔化せると感じた。
オグロの頭の傷痕にガーゼを当て、包帯を巻いてゆく。
思っているより傷痕は浅く、すぐに血は止まったようだ。
流石にさっきの事があったからなのか、オグロの表情がとても暗い。
オグロの綺麗な横顔と長い睫毛を横目に、京條さんの言った言葉を思い返す。
『母親の肉が食えたら生かすって事に決めたのさ』
オグロが俺の方を見て、悲し気に笑う。そして卑屈に嘆いた。
「幻滅したろ?俺が……母親の肉を食った事」
俺は頭を横に振り、オグロの肩に凭れる。するとオグロは小さく溜め息を吐く。
幻滅はしていない。それよりもただただ受け入れがたく、余りにも残酷すぎる話だと思う。
「してないよ。してないけど……オグロの話を聞かせてよ」
俺はオグロの過去の事を知らない。何一つ解らない。
ただ俺がオグロに対して解っていることといえば、俺の目の前にいるオグロは優しいことだけだ。
愛を自覚してしまったからこそ、愛しい人のすべてが知りたい。
それがどんな悲劇だったとしても、理解をしたい。
オグロは暫く沈黙をしてから、深くため息を吐く。
そしてゆっくりと語り始めた。
「………最高級のケーキの男と、最高級のケーキの女を掛け合わせて、最高級のケーキが産まれたら、ケーキの肉を独自のルートで密売が出来る、って考え始めた人間が居たことが全ての始まりだ。
そして掛け合わせて産まれた子供は俺だったんだ。
珍しい、産まれながらにしてフォークが産まれた。
……俺の世界には、そもそも食べ物に対して味覚なんてものは無かった」
オグロはそう言いながら卑屈に笑い、俯く。
最高級のケーキと最高級のケーキを掛け合わせて、最高級のケーキを作ろうなんて、まるで人間を家畜の様に扱っている。
余りにも惨たらしくて、言葉を失う。
そして自らの頬の傷跡を指でなぞりながら、深くため息を吐いた。
「母親も父親も拾ってきたような男女を無理矢理引っ付けたもんでさ………。
借金ある男と外人の売女。
ケーキの子供を産まなきゃ自分の命が危なかった。
でもケーキとケーキ掛け合わせたところで、ケーキが産まれることなんてなくてさ。
俺以外皆産まれることもなくて……
………ママが子供が産めない年齢に差し掛かった辺りで、解体になることになった」
オグロが俺の身体を抱き寄せて、俺の首筋に顔を埋める。
そして首筋に唇を這わせて、俺の肩にもたれ掛かった。
さらさらと揺れるオグロの髪が俺の首を擽る。
俺はオグロの身体を抱き返して、包帯まみれの頭を撫でた。
「俺の頬の傷跡は、俺も纏めて殺されそうになった時に付けられた。
その時に京條がいて、ママの肉を喰うなら生かしてやるって……俺は京條に生かされたのにな………」
オグロの言葉に心が締め付けられて、胸が痛む。
この人はケーキを殺さなければいけない。
その運命の下にいる。
「俺は大丈夫だからさ、気にしないで………オグロが何をしていても、俺の前で何時ものオグロならなんでもいいから………」
そう囁きながらオグロの頬を撫でて、傷跡に頬を寄せる。
けれどオグロはとても悲しそうな表情を浮かべたままで、俺の身体をきつく抱き締めた。
「………人間らしくなりたかった。ゼノが嫌がることをしない、まともな人間らしく………」
俺はオグロにこんなにも愛されている。心から深く愛されている。
こんなに深く愛されて、大切に思われているのに、どうしてこの愛に応えられないところに俺はいるんだろう。
「オグロは……人間だよ………ちゃんと人間……俺の前ではちゃんとした人間だよ………」
そう囁いて抱き寄せながら、自分が如何に不甲斐ないのか思い知る。
オグロは俺が苦し紛れ程度の慰みに微笑んで、俺の手に頬を寄せる。
ケロイドの凹凸を感じながら、その傷痕が如何に深いか思い知った。
愛しい。愛しくて愛しくて仕方がないのに、明らかに俺の手には負えない。
それでも、この人を離したくない。
するとオグロは、小さく囁いた。
「俺の名前は本当はね、リオ。日本名だと瑠璃色の漓に生きるって。それで漓生。スペイン語で川なんだ。
大事にされてた。
ママにはとても……殺す為に生んでいても………大事に………。
俺が、人間だった時の名前……」
綺麗な名前だと思った。
心から綺麗な名前だと思って、オグロによく合っていると感じる。
綺麗な長い睫毛の瞳から涙が落ちて、ケロイドに跡を残して落ちてゆく。
オグロを見ていると正直自分に起きたことなんて、とてもちっぽけなものに思える。
「漓生、綺麗な名前………俺はね、本当は涼介……つまんない名前でしょ……?」
そう言って無理に笑えば、なんだか涙が溢れてくる。
俺が出来る事は余りにもちっぽけで、今は一緒に泣くか抱いてあげること位しか出来ない。
愛している癖に、愛しているとも言ってあげられない。
そんなちっぽけで、つまらない人間が俺だ。
「そうなんだ……でも、良い名前だよ……?多分俺はゼノを作りあげた総てを愛さずに居られないんだと思うんだ……」
愛していると伝えたい。愛していると言って、抱き寄せて奪い差ってしまいたい。
気持ちはずっとそんな風なのに、実際そんな事が出来ないことも解ってる。
愛していると言えない俺は、オグロに囁いた。
「漓生………」
名前を呼べばオグロが涙を静かに流して、俺の唇に唇を重ねる。
何度も何度も軽いキスを繰り返しながら、唇の前で甘く囁く。
「呼んで……俺の名前……」
綺麗な瞳で真っ直ぐに俺を見つめて、甘い声で囁く。
手に負えなくてもいい。同じ地獄に堕ちてもいい。今俺はこの人と一緒に居られたらそれでいい。
「漓生………!!」
俺が涼介として生きていけなかったように、漓生は漓生として生きていけなかったに違いない。
俺はゼノに、漓生はオグロに自分の人生を任せてしまっている。
けれど今、お互いに不器用で不恰好に、求め合っていた。
漓生が俺の身体を抱き上げて、ベッドの上に俺を寝かせる。
覆い被さるように俺を見下ろす漓生に、泣きながら笑って囁いた。
「………漓生、怪我は大丈夫?」
漓生は笑いながら俺の着ているカットソーの中に手を入れて、俺の背中を指先でなぞる。
小さく息を漏らせば、漓生は泣きはらした目で囁いた。
「触りたい、涼介に。嫌か?」
俺は首を左右に振って、漓生に身体を預ける。
今俺が出来ることはただ、漓生に抱かれることだけだ。
身体を繋ぎ合わせて熱を分け合って、極彩色の夢を観ることだけしか出来ない。
漓生に優しくカットソーを脱がされて、漓生も着ているシャツを脱ぐ。
肌と肌を重ね合わせながら、お互いの温度を確かめ合う。
本当の自分で抱かれるなんて、正直奏太の時以来久し振りだ。
ゼノではない自分を人に晒け出す事を、ほんの少しだけ恥ずかしく感じる。
今多分俺は生娘みたいに、恥じらっているに違いない。
「どうした……?今日は何時もより恥ずかしそうだな」
そう言って笑う漓生に、思わず涙目になりながら答える。
「今………俺………久し振りに涼介で抱かれるから……どんな顔したらいいか解らない……!!」
そう答えれば漓生は少しだけ笑い、俺の耳元で言葉を告げた。
「………Te quiero」
漓生の言った言葉の意味が解らずに目を丸くすれば、漓生が恥ずかしそうに微笑んだ。
「……なんでもない!」
漓生と指先を絡ませ合いながら、身体を重ね合わて二人で一つになる。
そして俺はこの日も、漓生に大切なことを告げられなかったのだ。
ケーキの肉を食べたフォークが、ケーキの肉を食べなくなればどうなるのかということを。
打ちっぱなしの壁とコンクリートの冷たい床。それを見ながら、まるで牢獄のようだと心から思う。
「………いいよ、大丈夫……俺は平気……」
冷たい床に座り込みながら、お互いの怪我の手当てをする。
俺の身体についたベルトの痕は思っていたより大したことはなく、これなら上手く誤魔化せると感じた。
オグロの頭の傷痕にガーゼを当て、包帯を巻いてゆく。
思っているより傷痕は浅く、すぐに血は止まったようだ。
流石にさっきの事があったからなのか、オグロの表情がとても暗い。
オグロの綺麗な横顔と長い睫毛を横目に、京條さんの言った言葉を思い返す。
『母親の肉が食えたら生かすって事に決めたのさ』
オグロが俺の方を見て、悲し気に笑う。そして卑屈に嘆いた。
「幻滅したろ?俺が……母親の肉を食った事」
俺は頭を横に振り、オグロの肩に凭れる。するとオグロは小さく溜め息を吐く。
幻滅はしていない。それよりもただただ受け入れがたく、余りにも残酷すぎる話だと思う。
「してないよ。してないけど……オグロの話を聞かせてよ」
俺はオグロの過去の事を知らない。何一つ解らない。
ただ俺がオグロに対して解っていることといえば、俺の目の前にいるオグロは優しいことだけだ。
愛を自覚してしまったからこそ、愛しい人のすべてが知りたい。
それがどんな悲劇だったとしても、理解をしたい。
オグロは暫く沈黙をしてから、深くため息を吐く。
そしてゆっくりと語り始めた。
「………最高級のケーキの男と、最高級のケーキの女を掛け合わせて、最高級のケーキが産まれたら、ケーキの肉を独自のルートで密売が出来る、って考え始めた人間が居たことが全ての始まりだ。
そして掛け合わせて産まれた子供は俺だったんだ。
珍しい、産まれながらにしてフォークが産まれた。
……俺の世界には、そもそも食べ物に対して味覚なんてものは無かった」
オグロはそう言いながら卑屈に笑い、俯く。
最高級のケーキと最高級のケーキを掛け合わせて、最高級のケーキを作ろうなんて、まるで人間を家畜の様に扱っている。
余りにも惨たらしくて、言葉を失う。
そして自らの頬の傷跡を指でなぞりながら、深くため息を吐いた。
「母親も父親も拾ってきたような男女を無理矢理引っ付けたもんでさ………。
借金ある男と外人の売女。
ケーキの子供を産まなきゃ自分の命が危なかった。
でもケーキとケーキ掛け合わせたところで、ケーキが産まれることなんてなくてさ。
俺以外皆産まれることもなくて……
………ママが子供が産めない年齢に差し掛かった辺りで、解体になることになった」
オグロが俺の身体を抱き寄せて、俺の首筋に顔を埋める。
そして首筋に唇を這わせて、俺の肩にもたれ掛かった。
さらさらと揺れるオグロの髪が俺の首を擽る。
俺はオグロの身体を抱き返して、包帯まみれの頭を撫でた。
「俺の頬の傷跡は、俺も纏めて殺されそうになった時に付けられた。
その時に京條がいて、ママの肉を喰うなら生かしてやるって……俺は京條に生かされたのにな………」
オグロの言葉に心が締め付けられて、胸が痛む。
この人はケーキを殺さなければいけない。
その運命の下にいる。
「俺は大丈夫だからさ、気にしないで………オグロが何をしていても、俺の前で何時ものオグロならなんでもいいから………」
そう囁きながらオグロの頬を撫でて、傷跡に頬を寄せる。
けれどオグロはとても悲しそうな表情を浮かべたままで、俺の身体をきつく抱き締めた。
「………人間らしくなりたかった。ゼノが嫌がることをしない、まともな人間らしく………」
俺はオグロにこんなにも愛されている。心から深く愛されている。
こんなに深く愛されて、大切に思われているのに、どうしてこの愛に応えられないところに俺はいるんだろう。
「オグロは……人間だよ………ちゃんと人間……俺の前ではちゃんとした人間だよ………」
そう囁いて抱き寄せながら、自分が如何に不甲斐ないのか思い知る。
オグロは俺が苦し紛れ程度の慰みに微笑んで、俺の手に頬を寄せる。
ケロイドの凹凸を感じながら、その傷痕が如何に深いか思い知った。
愛しい。愛しくて愛しくて仕方がないのに、明らかに俺の手には負えない。
それでも、この人を離したくない。
するとオグロは、小さく囁いた。
「俺の名前は本当はね、リオ。日本名だと瑠璃色の漓に生きるって。それで漓生。スペイン語で川なんだ。
大事にされてた。
ママにはとても……殺す為に生んでいても………大事に………。
俺が、人間だった時の名前……」
綺麗な名前だと思った。
心から綺麗な名前だと思って、オグロによく合っていると感じる。
綺麗な長い睫毛の瞳から涙が落ちて、ケロイドに跡を残して落ちてゆく。
オグロを見ていると正直自分に起きたことなんて、とてもちっぽけなものに思える。
「漓生、綺麗な名前………俺はね、本当は涼介……つまんない名前でしょ……?」
そう言って無理に笑えば、なんだか涙が溢れてくる。
俺が出来る事は余りにもちっぽけで、今は一緒に泣くか抱いてあげること位しか出来ない。
愛している癖に、愛しているとも言ってあげられない。
そんなちっぽけで、つまらない人間が俺だ。
「そうなんだ……でも、良い名前だよ……?多分俺はゼノを作りあげた総てを愛さずに居られないんだと思うんだ……」
愛していると伝えたい。愛していると言って、抱き寄せて奪い差ってしまいたい。
気持ちはずっとそんな風なのに、実際そんな事が出来ないことも解ってる。
愛していると言えない俺は、オグロに囁いた。
「漓生………」
名前を呼べばオグロが涙を静かに流して、俺の唇に唇を重ねる。
何度も何度も軽いキスを繰り返しながら、唇の前で甘く囁く。
「呼んで……俺の名前……」
綺麗な瞳で真っ直ぐに俺を見つめて、甘い声で囁く。
手に負えなくてもいい。同じ地獄に堕ちてもいい。今俺はこの人と一緒に居られたらそれでいい。
「漓生………!!」
俺が涼介として生きていけなかったように、漓生は漓生として生きていけなかったに違いない。
俺はゼノに、漓生はオグロに自分の人生を任せてしまっている。
けれど今、お互いに不器用で不恰好に、求め合っていた。
漓生が俺の身体を抱き上げて、ベッドの上に俺を寝かせる。
覆い被さるように俺を見下ろす漓生に、泣きながら笑って囁いた。
「………漓生、怪我は大丈夫?」
漓生は笑いながら俺の着ているカットソーの中に手を入れて、俺の背中を指先でなぞる。
小さく息を漏らせば、漓生は泣きはらした目で囁いた。
「触りたい、涼介に。嫌か?」
俺は首を左右に振って、漓生に身体を預ける。
今俺が出来ることはただ、漓生に抱かれることだけだ。
身体を繋ぎ合わせて熱を分け合って、極彩色の夢を観ることだけしか出来ない。
漓生に優しくカットソーを脱がされて、漓生も着ているシャツを脱ぐ。
肌と肌を重ね合わせながら、お互いの温度を確かめ合う。
本当の自分で抱かれるなんて、正直奏太の時以来久し振りだ。
ゼノではない自分を人に晒け出す事を、ほんの少しだけ恥ずかしく感じる。
今多分俺は生娘みたいに、恥じらっているに違いない。
「どうした……?今日は何時もより恥ずかしそうだな」
そう言って笑う漓生に、思わず涙目になりながら答える。
「今………俺………久し振りに涼介で抱かれるから……どんな顔したらいいか解らない……!!」
そう答えれば漓生は少しだけ笑い、俺の耳元で言葉を告げた。
「………Te quiero」
漓生の言った言葉の意味が解らずに目を丸くすれば、漓生が恥ずかしそうに微笑んだ。
「……なんでもない!」
漓生と指先を絡ませ合いながら、身体を重ね合わて二人で一つになる。
そして俺はこの日も、漓生に大切なことを告げられなかったのだ。
ケーキの肉を食べたフォークが、ケーキの肉を食べなくなればどうなるのかということを。
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