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拈華微笑
拈華微笑 第二話
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一日たりとも忘れた日なんて無かった。今だって大好きだと思った。それでももう、終わりだ。
呆然とする奏太をエントランスに置き去りにして、俺は慌てて部屋へと戻る。
涙がボロボロ溢れて止まらなくて、ズキズキと心臓が痛んだ。
「なんでだよぉ…………!!!なんで今なんだよぉ…………!!!」
もし奏太があの雪の日に俺と和解できていたのなら、パティスリーショップで働くような事はしていなかった。
多分俺は、ゼノになっていなかったはずだ。もう少しだけ、涼介を愛せたはずだった。
白い壁と天井に囲まれた自室のベッドの上で、声を張り上げて泣きじゃくる。
正直再会さえもしたくなかったとさえ、俺は心から思っていた。
けれど一日たりとも忘れたことが無い程に、奏太の事を好きだった。ずっと奏太の事だけは、引き摺っていたのだ。
一人ぼっちの部屋の中で、俺は改めてこう思う。
俺は加藤涼介が嫌いだ。大大大大大嫌いだ。特にこんなことになってしまっても、奏太を突っぱねた事に後悔している自分が心から、心の底から大嫌い。
朝に目が覚めてから、自分がシャワーも浴びずに泣いていたことに気付く。
そして重たい体を引きずりながら、お風呂場の方へと向かった。
姿見の前で一枚一枚服を脱ぎ、泣きはらした顔で身体を映す。背中の傷は変わらず其処に鎮座していて、俺の心をひどく揺さぶるのだ。
失恋をした。これは完ぺきな失恋だ。
自分で自分の恋の終止符を打った。だからこれでいい。もう、これでいいのだ。
それに今奏太と関わりを持ったところで、狂った世界で生き慣れた俺と奏太では、もう分かり合えないのだ。
シャワーを浴び終えて、泣きはらした目の自分を笑う。ウサギみたいに赤い目に、腫れぼったい瞼。
こんな顔の情けない男が、パティスリーショップのナンバー1なんて、あまりにもダサくて反吐が出る。
懸命に泣きはらした顔の手入れをして、身支度をきっちり整える。
パティスリーショップの迎えの車を待ちながら、俺は一人で小さく囁いた。
「これで良かった………うん、これでいいんだ………」
踏ん切りのつかない自分の気持ちをうまく切り替える為にも、自分で自分に言い聞かせる。
今までこうやって生きてきたのだ。こうして自分を納得させて耐えてきた。
窓の外を見れば朝日は自棄に眩しくて、風が心地よくて、心はとても穏やかになる。
携帯を見ればマンション下に到着していると、ドライバーからメールが入っている。
俺は何時も通りに切り替えて、ゼノとして部屋から出て行った。
***
一週間という時間が過ぎたにも関わらず、俺の気持ちは正直まだ下がり気味だ。
仕事はちゃんとこなせてはいるものの、心と体がバラバラな気がしてしまう。
そんなことをしている間に、水曜の15時を迎えてしまった。
何時もの様にドアのノックが鳴り響き、ドアを開けばオグロが顔を出す。今日のオグロが着ているスーツは、濃いめの灰色のストライプだった。
「……ゼノ、どうした?」
俺の顔を見るなりオグロがそう言う。
思わず苦笑いを浮かべて見せれば、オグロが心配そうに俺の顔を撫でた。
今の俺は多分だけれど、疲れた匂いをさせているのかもしれない。
「や、まぁ、ちょっと色々………」
そう言って笑ってみれば、オグロが首を傾げて見せる。
「さっき店長から、出掛けても良いと言われたが……ゼノが明日のこの時間まで良いなら、出掛けないか?」
オグロの提案に思わず目を丸くすると、オグロは俺の顔を撫でて目を細める。
そして俺はオグロに連れ出されるように、午後の街並みに飛び出した。
オグロが乗っている車は真っ白いクラウンで、正直白い車に乗っているようなイメージは全く持っていなかった。
それに車の運転が出来る事さえも、正直俺には意外で仕方なかった。
「オグロ、車の運転出来たんだ……」
「俺割とちゃんと運転はしてる方だからな?酒を呑むときの京條さんの送り迎えとか俺がしてる」
そう言いながらハンドルをきるオグロを横目に、確かに運転が上手いと感心をする。
赤信号で止まった隙に、オグロが俺を見て笑った。
「…………ゼノ、何処に行きたい?お前が行きたい場所なら何処でも連れてゆく」
いざ何処に行きたいのかと聞かれてしまえば、上手く思い浮かばない。
懸命に頭を捻り出した場所は、とても凡庸なものだった。
「………え、海、とか………心穏やかに過ごせるところ………?」
「海ね、解った」
プレイルームの赤い壁の部屋以外の場所でオグロに逢うのは、とても新鮮で動揺を隠せない。
それにオグロも運転している最中、何時もよりも少しだけ静かだ。
どうやらお互いに緊張しているようだ。
オグロの車が海岸に辿り着いた頃には、もう夕方に差し掛かっていた。
海はオレンジ色に光り、太陽は海に呑み込まれる寸前だった。海岸の堤防に腰かけながら、夕日が沈む寸前の水平線を見つめる。
思えば海なんてこんなにしっかり見るのは、本当に久しぶりだ。
ずっと俺は長らく、真っ赤な壁と真っ赤な壁天井ばかりを見て生きていた。
「綺麗」
思わず俺が溢した言葉に、オグロが優しい眼差しをする。
そして少しだけ安心したように、オグロが呟いた。
「………ちょっと元気になったみたいだな」
そう言いながらオグロが俺の頬を撫でる。俺はオグロの手を取って、思わずこう言った。
「なんで………オグロは俺に優しくしてくれるの?」
正直俺はオグロの優しさの理由が、さっぱり解らないでいる。
それに沢山ケーキを殺しているはずのオグロが、俺に優しい事が不思議でならなかった。
「………ゼノは俺に優しい。綺麗な夢を魅せてくれる」
もしかしたら今日なら、オグロは俺の質問に答えてくれるのかもしれない。
そう思いながら、俺はオグロに問いかける。
「ねぇオグロ、どうして俺にこうして会いに来てくれるようになったの………?」
するとオグロは少し考えたような表情を浮かべてから、意を決したように俺を見つめる。
そして真剣な表情を浮かべてから、囁いた。
「ゼノは、世界で一番大切だったケーキと同じ匂いなんだ。………だから惹かれた」
オグロの言葉に、俺は何故かとても悲しい気持ちになる。
誰かの代わりにされているのかと思った瞬間、心が揺れた。
「………世界で一番大切なケーキ?」
そういって聞き返してみれば、オグロは俺の様子を見てほんの少しだけ嬉しそうにして見せる。
正直オグロが嬉しそうにしている理由が解らないで戸惑っていれば、オグロが俺にこういった。
「そう、お母さん。俺の母親、ケーキだった。バニラの風味の、苺のショートケーキ」
お母さん。そう言われた瞬間に何故か悲しくなった自分が恥ずかしくて、思わず顔を真っ赤に染める。
「え、あ………お母さん、か、そっか………」
思わず焦ったように口にして、オグロから目を逸らす。
するとオグロは自分の方に顔を向かせて、甘い声色で囁いた。
「ゼノ、今少し嫉妬したろ?」
そういってほんの少しだけ目を細めて笑うオグロが無邪気で、とても心が締め付けられる。
深く溜め息を吐いてから、オグロの首に腕を回す。そしてオグロの目をじっと見つめた。
「…………した」
オグロは俺がそう答えれば、俺の身体を抱き寄せる。
「膝枕は、母親が生きてた時にしてくれたことなんだ。俺がまだガキだった時……。
ゼノに触れていると、幸せな気持ちになる」
その言葉を聞いた時に、俺がずっと疑問に思っていた事の辻褄が合う。
それでオグロは俺にいやらしい事をせずとも、満足して帰っていたんだろう。
夕日が海に沈み、辺りは紫色に染まる。俺はこの時に初めて、もっとオグロに触れてみたいと感じていた。
「ねぇ、俺、もっとオグロに触ってみたい」
そう囁けば、オグロは目を見開いてから、恥ずかしそうに目を伏せた。
呆然とする奏太をエントランスに置き去りにして、俺は慌てて部屋へと戻る。
涙がボロボロ溢れて止まらなくて、ズキズキと心臓が痛んだ。
「なんでだよぉ…………!!!なんで今なんだよぉ…………!!!」
もし奏太があの雪の日に俺と和解できていたのなら、パティスリーショップで働くような事はしていなかった。
多分俺は、ゼノになっていなかったはずだ。もう少しだけ、涼介を愛せたはずだった。
白い壁と天井に囲まれた自室のベッドの上で、声を張り上げて泣きじゃくる。
正直再会さえもしたくなかったとさえ、俺は心から思っていた。
けれど一日たりとも忘れたことが無い程に、奏太の事を好きだった。ずっと奏太の事だけは、引き摺っていたのだ。
一人ぼっちの部屋の中で、俺は改めてこう思う。
俺は加藤涼介が嫌いだ。大大大大大嫌いだ。特にこんなことになってしまっても、奏太を突っぱねた事に後悔している自分が心から、心の底から大嫌い。
朝に目が覚めてから、自分がシャワーも浴びずに泣いていたことに気付く。
そして重たい体を引きずりながら、お風呂場の方へと向かった。
姿見の前で一枚一枚服を脱ぎ、泣きはらした顔で身体を映す。背中の傷は変わらず其処に鎮座していて、俺の心をひどく揺さぶるのだ。
失恋をした。これは完ぺきな失恋だ。
自分で自分の恋の終止符を打った。だからこれでいい。もう、これでいいのだ。
それに今奏太と関わりを持ったところで、狂った世界で生き慣れた俺と奏太では、もう分かり合えないのだ。
シャワーを浴び終えて、泣きはらした目の自分を笑う。ウサギみたいに赤い目に、腫れぼったい瞼。
こんな顔の情けない男が、パティスリーショップのナンバー1なんて、あまりにもダサくて反吐が出る。
懸命に泣きはらした顔の手入れをして、身支度をきっちり整える。
パティスリーショップの迎えの車を待ちながら、俺は一人で小さく囁いた。
「これで良かった………うん、これでいいんだ………」
踏ん切りのつかない自分の気持ちをうまく切り替える為にも、自分で自分に言い聞かせる。
今までこうやって生きてきたのだ。こうして自分を納得させて耐えてきた。
窓の外を見れば朝日は自棄に眩しくて、風が心地よくて、心はとても穏やかになる。
携帯を見ればマンション下に到着していると、ドライバーからメールが入っている。
俺は何時も通りに切り替えて、ゼノとして部屋から出て行った。
***
一週間という時間が過ぎたにも関わらず、俺の気持ちは正直まだ下がり気味だ。
仕事はちゃんとこなせてはいるものの、心と体がバラバラな気がしてしまう。
そんなことをしている間に、水曜の15時を迎えてしまった。
何時もの様にドアのノックが鳴り響き、ドアを開けばオグロが顔を出す。今日のオグロが着ているスーツは、濃いめの灰色のストライプだった。
「……ゼノ、どうした?」
俺の顔を見るなりオグロがそう言う。
思わず苦笑いを浮かべて見せれば、オグロが心配そうに俺の顔を撫でた。
今の俺は多分だけれど、疲れた匂いをさせているのかもしれない。
「や、まぁ、ちょっと色々………」
そう言って笑ってみれば、オグロが首を傾げて見せる。
「さっき店長から、出掛けても良いと言われたが……ゼノが明日のこの時間まで良いなら、出掛けないか?」
オグロの提案に思わず目を丸くすると、オグロは俺の顔を撫でて目を細める。
そして俺はオグロに連れ出されるように、午後の街並みに飛び出した。
オグロが乗っている車は真っ白いクラウンで、正直白い車に乗っているようなイメージは全く持っていなかった。
それに車の運転が出来る事さえも、正直俺には意外で仕方なかった。
「オグロ、車の運転出来たんだ……」
「俺割とちゃんと運転はしてる方だからな?酒を呑むときの京條さんの送り迎えとか俺がしてる」
そう言いながらハンドルをきるオグロを横目に、確かに運転が上手いと感心をする。
赤信号で止まった隙に、オグロが俺を見て笑った。
「…………ゼノ、何処に行きたい?お前が行きたい場所なら何処でも連れてゆく」
いざ何処に行きたいのかと聞かれてしまえば、上手く思い浮かばない。
懸命に頭を捻り出した場所は、とても凡庸なものだった。
「………え、海、とか………心穏やかに過ごせるところ………?」
「海ね、解った」
プレイルームの赤い壁の部屋以外の場所でオグロに逢うのは、とても新鮮で動揺を隠せない。
それにオグロも運転している最中、何時もよりも少しだけ静かだ。
どうやらお互いに緊張しているようだ。
オグロの車が海岸に辿り着いた頃には、もう夕方に差し掛かっていた。
海はオレンジ色に光り、太陽は海に呑み込まれる寸前だった。海岸の堤防に腰かけながら、夕日が沈む寸前の水平線を見つめる。
思えば海なんてこんなにしっかり見るのは、本当に久しぶりだ。
ずっと俺は長らく、真っ赤な壁と真っ赤な壁天井ばかりを見て生きていた。
「綺麗」
思わず俺が溢した言葉に、オグロが優しい眼差しをする。
そして少しだけ安心したように、オグロが呟いた。
「………ちょっと元気になったみたいだな」
そう言いながらオグロが俺の頬を撫でる。俺はオグロの手を取って、思わずこう言った。
「なんで………オグロは俺に優しくしてくれるの?」
正直俺はオグロの優しさの理由が、さっぱり解らないでいる。
それに沢山ケーキを殺しているはずのオグロが、俺に優しい事が不思議でならなかった。
「………ゼノは俺に優しい。綺麗な夢を魅せてくれる」
もしかしたら今日なら、オグロは俺の質問に答えてくれるのかもしれない。
そう思いながら、俺はオグロに問いかける。
「ねぇオグロ、どうして俺にこうして会いに来てくれるようになったの………?」
するとオグロは少し考えたような表情を浮かべてから、意を決したように俺を見つめる。
そして真剣な表情を浮かべてから、囁いた。
「ゼノは、世界で一番大切だったケーキと同じ匂いなんだ。………だから惹かれた」
オグロの言葉に、俺は何故かとても悲しい気持ちになる。
誰かの代わりにされているのかと思った瞬間、心が揺れた。
「………世界で一番大切なケーキ?」
そういって聞き返してみれば、オグロは俺の様子を見てほんの少しだけ嬉しそうにして見せる。
正直オグロが嬉しそうにしている理由が解らないで戸惑っていれば、オグロが俺にこういった。
「そう、お母さん。俺の母親、ケーキだった。バニラの風味の、苺のショートケーキ」
お母さん。そう言われた瞬間に何故か悲しくなった自分が恥ずかしくて、思わず顔を真っ赤に染める。
「え、あ………お母さん、か、そっか………」
思わず焦ったように口にして、オグロから目を逸らす。
するとオグロは自分の方に顔を向かせて、甘い声色で囁いた。
「ゼノ、今少し嫉妬したろ?」
そういってほんの少しだけ目を細めて笑うオグロが無邪気で、とても心が締め付けられる。
深く溜め息を吐いてから、オグロの首に腕を回す。そしてオグロの目をじっと見つめた。
「…………した」
オグロは俺がそう答えれば、俺の身体を抱き寄せる。
「膝枕は、母親が生きてた時にしてくれたことなんだ。俺がまだガキだった時……。
ゼノに触れていると、幸せな気持ちになる」
その言葉を聞いた時に、俺がずっと疑問に思っていた事の辻褄が合う。
それでオグロは俺にいやらしい事をせずとも、満足して帰っていたんだろう。
夕日が海に沈み、辺りは紫色に染まる。俺はこの時に初めて、もっとオグロに触れてみたいと感じていた。
「ねぇ、俺、もっとオグロに触ってみたい」
そう囁けば、オグロは目を見開いてから、恥ずかしそうに目を伏せた。
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