虹の向こうへ

もりえつりんご

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第2章

会合と邂逅

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 予言が訪れた翌日、急遽、会合が開かれた。
 議題は、夜の異変と地揺れ、それに伴う警戒について。対応の早さは見上げたものだが、予言を知らない心魔が取れる対策など、たかが知れている。
 当然のことながら、透火は基音として出席を義務付けられ、彼を監視するハークにも出席が提案された。
 彼らは最初から、ハークに尋ねる心算だったのだ。

「今回の不吉な夜と、地面の揺れは穢れと何か関係があるのでしょうか」

 王族や教会貴族を代表する重鎮が順に自己紹介を行い、透火とハークの紹介の後に質疑応答が始まる。
 応える者は一人しかいない。一方的になるのは避けられなかった。

「勿論ですわ。創生虹記には、三人のヒトが目覚めた後、世界がどのように穢れていくかが記されています」

 彼女が話す度に、青味がかった銀髪がさらりと艶を走らせる。
 暖色の灯りに照らされた頬は白く、長く毛先が空を向いた睫毛はきらきらと光を反射する。一目で視線を惹きつける空と海の間の瞳は、無表情ながらも穏やかだ。貴族の問い掛けにも丁寧な言葉遣いで返答し、綺麗で流暢な発言は聞き惚れる者が出るほど。
 簡潔に心魔の無知を指摘し、一呼吸の後に彼女は話を切り替えた。

「今回の夜の異変は、『月影が笑う夜』と呼ばれます。
『月影が笑う夜、地は怒り、空は哀しみ、海は楽を飲み込む』……次に訪れる穢れは、これまでとは比にならない、大きな地揺れが起こると予測されますわ」

 ハークの言葉に一部の者が顔を蒼白にする。透火とて気持ちは同じなので、胸中でうんうんと頷いた。
 前触れであの揺れなのだ。予言が起これば、多大な被害が想定される。
(占音が言ってたのはつまり、予言が起こらないうちに行動するってことなんだろな)
 話を向けられないのをいいことに、自然を装って部屋全体に視線を巡らせる。
 王城の地下に作られた大会議場。黄土色の壁と小豆色の絨毯で整えられた大きな広間には、透火も何度か立ち入ったことがある。今は会議の為に長卓が四角形に並べられており、以前入った時とは雰囲気が異なって見えた。
 燭台の数は少なく、室内を照らす橙色の光がちりちりと音を立てては時折、不安げに揺らぐ。
 直方体の空間をしたそこは、地下故に気温が低く、空気が滞りやすい。それを解消するため、天井には等間隔に瑠璃色の魔石がちりばめられ、空気の調節が行われていた。
 気流に容易く影響される蝋燭は細く、先端は黒ずみながらも白い蝋の液を静かに生んでいる。
 何とはなしに視線を動かしていたせいで、芝蘭と視線が重なった。互いに、慌てて視線を戻す。このような場で顔を会わせる位置にいる事が、二人にとって初めてのことだった。
 そのうちにも、質疑は続く。次の質問者は国王軍の隊長だ。

「対策は……我々はどうしろと。地面の脅威に対抗する術を、我々は持ちませんぞ」

 透火も世話になったことのある中年の男性で、今時の若者と違い、爵位を持つ故に学がある。佇まいには風格があった。普段は、艶やかな金茶色の髪と甘い面で受けが良く、女好きで有名だ。

「それこそ簡単なこと、貴方達は心魔なのですから基音をお助けなされば良いのですわ。空の神の力が弱まり、地上に魔力が偏るからこそ穢れは生じるといいます。
 次期空の神が誕生すれば、世界は再び安らぎを得るでしょう」

 矢継ぎ早の質問にハークは冷静に、しかし饒舌に語った。話題が彼女の専門だからかもしれない。
 滔々とうとうと紡がれる言葉は川の流れのようで、聞き惚れるついでに内容を忘れてしまいそうになる。
 そして、ハークが口を閉ざせば、自然、透火に視線が集まる。
 透火とハークを中央に据え、上座から国王、第一王子、第二王子と親族が順に並び、反対側の線には軍部の代表や参謀が並んでいる。嫌でも全員と顔を合わせる位置に置かれているので、落ち着かない。
 何か話すべきなのだろうか。基音として、支持して欲しいと言うべきなのか。
(占音のことを思うと、無闇に支持を受けても困るような気も……)
 笑顔で場を取り繕う訳にもいかず、さてどうしようかと頭を働かせながら口を開く。

「馬鹿なことを」

 それは、透火の第一声ではなかった。
 視線が逸れ、少しのざわめきとともに一端の席に集中する。

「基音などという悪魔が現れたからこそ、世界が危機に見舞われておるのではないか」

 声の主は、エドヴァルド・ルーカス。現国王紫亜の側近にして参謀を務める男性だ。還暦を越えた外見ながらも背筋はしっかりと伸びており、佇まいからして自尊心の高さを感じさせた。
 珍しく黙って座っていたと思えばこれだ。
 彼の後ろに控える初老の男性は、視線を集めてなお泰然とする主人に困ったような複雑な微笑を浮かべている。慣れているらしい。
 芝蘭を始めとする王族が従者や侍女を控えさせている中、エドヴァルドの背後に控える彼は従者ではない。ソニアの父親だ。仮にも公爵の位を授受している身ながら、不思議なものである。
 ルーカス家はエドヴァルドによって成り立っていることを思えば、とやかく言う話ではないのかもしれない。
 それよりも言われるべきは、彼の発言内容だ。

「滅多なことを公の場で発言するものではありませんな、ルーカス卿」

 反論したのは、エドヴァルドの隣に座る初老の男性だ。紫亜とは違い、こちらは全体的に線が細く、顔の皺も年相応に濃い。空色と白色で整えられた法衣が彼の所属を主張していた。
 レム・フェオファノア侯爵。聖虹教会の大司教であり、現在教会を収める第一人者にしてフェオファノア家の当主になる。

「聖虹教会への侮辱とも取れる。忘れましたかな?統治に必要であった資本の大半をこちらが負担したという話を」

 対面に座る紫亜に意味深な目線を送りながらレムはエドヴァルドを脅かす。そんな脅しもエドヴァルドには瑣末の出来事のようで、彼は鼻で嗤い飛ばし、優雅に自身の髪を背後へ払う。

「昔の話など、語りはしても胡座をかくものではあるまい。忘れたのはそちらの方であろう?侯よ」
「なにを」

 詰まらない応酬を聞く義理も無いので、透火はこれを機にレムとその控えの者を観察した。
 侯爵の背後に控えるのは、紫亜の従者とは異なる月読だ。ハークの銀髪に似た白髪と、空や海とは正反対の色の赤の瞳。アルビノとも呼ばれる彼女の特徴は、透火とは別の意味で特別視される。
 白と赤、色を持たず、その身に授かりし色のみを持つアルビノは基礎能力が高いことも理由である。膨大な記憶を蓄積し、的確にまとめあげる。悩まされることもあるというが、そういった能力は教会の中で重視されており、その色を見せるだけで月読の役職に就くことが可能だ。
 その特殊性から女性は特に身を狙われやすく、性別が分からぬよう、月読だけは性別問わず同じ作りの法衣を着用するという。
(……あれ、月読?)
 ふと、何か忘れているような気になった。見慣れた衣装と特徴だが、透火は彼らを警戒する理由があったはずだ。
 透火が一人思案に暮れる間にも、エドヴァルドとレムの応酬は続く。

「其方は戦力を持たなかった故に資本を投じたのではなかったか?」
「……かつて南で名を馳せた貴殿の功績が涙を見ますぞ」
「それはどうかね」

 エドヴァルドの瞳が鋭い光をレムに向ける。

「基音がこれまで見つからなかった理由は、教会の不手際が招いた結果。本当は、主らも基音を忌避したいのではないか?」

 その場にいた者は、息を呑んだ。
 これにはレムも返す言葉を無くしたようで、周囲に視線を走らせた後、白旗を揚げる。

「国王! これが貴方の本意であらせられるか!」

 話の水を向けられた紫亜は、控えていた月読に指で合図を下し、己は静かに立ち上がる。
 非公式の会議とはいえ、無闇な発言は避けるのが得策だ。

「因果が分からぬ以上、異変と基音を結び付けるには時期尚早と言えよう」

 様々な苦難を生き抜いてきた強靭な肉体をの式服で彩り、長い夜色の髪を背後で一纏めにしている。
 芝蘭や琉玖と同様にひと房の髪に飾り付けた宝玉が肩の上で踊る。

「だが、事実として心魔の創生虹記には不足がある。
 今回は奇跡的にも基音が近くに居たから良いが、基音の存在が知り得なかったことは問題だろう」

 紫亜の皮肉に芝蘭が僅かに反応する。月読が順に羊皮紙を配り歩き、最後に透火の元へやってくる。

「ありがとう」
「愚行だったな」

 礼を言うと、厳しい評価が返ってきた。
 顔を上げると、被り布の下に険しい表情を隠した月読が透火を睨んでいる。
 見覚えのある声と顔、どこで見たのかと記憶を辿れば占音と出会った時に辿り着いた。透火に基音になるなといって占音が交渉を始めようとした時、彼女の率いる兵士に襲われたのだった。
 呼び止める隙もなく、彼女は澄ました顔になって紫亜の側に戻っていく。

「……思い出させてくれてどーも」

 ボソ、と小声で悪態をつく。
 彼女は、透火が魔法で逃げたことを愚行と言ったのだろう。結局こうして基音となって戻っているのだからその評価が決して誤っているわけではないけれど、一方的な物言いが癇に障る。つい、唇がへの字になった。
(国王の部下にしては、感情的な気もするような……まあ、今はいいか)
 羊皮紙は手の平サイズの大きさで、角に小さく青家の紋様が描かれている。災害や民衆の移動に関する指示と地図が記されている。
 中央に魔石による映像が映し出される。

「揺れが生じた地域だ」

 今回の予言で地揺れが生じたらしき地域に光が点滅する。
 計六ヶ所、大陸全土をちょうど六等分した各地域の中心部に位置する。その中には、王都ルシナキと碧南州の中心都市ミーリッキが含まれていた。
 察しの良い琉玖が眉間に皺を刻む。

「今回の情報は各州に通達する。対策に向けて不足する物資があれば、王都へ申請するように。具体的な対応は各都市の軍隊に追って指示をする。
 ……以上を踏まえた上で、重要な話をしたい」

 場にいる者全てが沈黙を貫く中、紫亜は部屋の中央に移動する。
 彼が視線を向けたのは、芝蘭と琉玖だ。

「今後のことを考え、次期国王立候補は三人目で終了とする。次は三人共通の課題を与え、達成した者を次期国王とする」

 紫亜が手を差し向けると、月読が扉を開けて低頭する。

「入りなさい」
「はい」

 入ってきたのは、水色の髪の令嬢と一人の騎士だ。
 月読の白髪やハークの銀髪と同様、空に通じる水色の髪はそれだけで彼女の身分を示す。教会所属の上流貴族だ。芝蘭より少し年下というところ、所作から聡明な女性であることが窺い知れる。
 青白磁色のドレスは、教会内での地位の高さを誇示する。大司教のレムが空色と白。それに近い色を持つとすれば、考えられるのは司教の位。

「リアナ」

 彼女の顔を認めて、レムが驚きに立ち上がる。
 令嬢は淑やかに歩を進めて、丁寧なお辞儀の後に花のような微笑みを傾けた。

「初めまして。レム・フェオファノアが娘、リアナ・フェオファノアと申します」

 淡青色の瞳には、声音にも滲む優しさが灯る。
 穏やかな空気を纏った彼女は、紫亜の手に応じて部屋の中央へ進み出る。
 背後に従っていた月読が、徐に長卓の側で立ち止まった。

「第一王位継承者、青琉玖様」

 突然の読み上げに琉玖が慌てて立ち上がる。

「第二王位継承者、リアナ・フェオファノア様」
「はい」

 目蓋を落とし、リアナが口上に応じる。

「第三王位継承者、青芝蘭様」

 比較的落ち着いた様子で芝蘭が立ち上がる。
 紫亜がその場にいる全員をゆるりと見渡す。

「民への発表は明後日、三人の披露とともに課題を全員に公開する」

 宣言する様は威風堂々。この場全員の運命を決めるに十分に足る気迫で彼は続ける。

「魔石により各地へ伝達──全国民を監視者とする。各自相応に準備をし、未来の国王として動かれよ」
「御心のままに」

 三人の唱和が室内に響く。
 一分の隙も、そこにはなかった。

「他の者は、彼らを支持し、尽力するように」
「御心のままに」

 レムもエドヴァルドも先ほどの空気を捨てて、紫亜の言葉に従う。他の重鎮も、軍部の者も、誰も彼もが低頭し、国王の宣言を受け入れ、忠誠を示す。
 圧倒的なまでの話の流れに、透火は声を失う。
 非公式の、それも急な会合だ。事が起きてから用意をしたのでは間に合うはずもない。場に集まる人間とて全員が揃うとは限らない場において、紫亜は無駄なく、流れと人を支配した。
 呆然と、唱和に乗る事も出来なかった透火に、紫亜が一瞥をくれる。その鋭さに射抜かれて、畏怖と羞恥を肌に感じた。
(これが……国の上に、立つ人)
 長卓の下で握り拳を作る。汗ばんだ手は小さな皺を法衣に刻み、濃い影を落とした。
 非の打ち所がない。それは候補者として立つ三人も感じたことだろう。
 次期国王となる。
 それはつまり紫亜を先代に据えてなお、彼に相当する、ないし彼をも勝る力が求められるということ。
 彼の次を担う存在として、候補者に選ばれることの重要性を、透火はついに納得してしまった。
 だからこそ、血の繋がりがあっても認めてもらえない芝蘭の境遇を、一層辛く感じる。血の繋がりがなくても手をかけ育てられた占音の影響力は、透火の思うよりもずっと、芝蘭には強く感じられるはずだ。
 場をも支配する彼の存在を引き継ぐ。人は、その事実だけで後継者に多大な期待と希望を見出すことだろう。占音が自信を持って言えるのは、そういう理由が嫌でも推測できる。
 紫亜と芝蘭の関係は、王族と上流貴族ならばとうの昔から知られている話だ。それを逆手にとって、占音は登場するつもりなのだ。
 裏の舞台から、表の舞台へ。
 芝蘭を助ける存在として。
(……芝蘭は、どうするのかな)
 透火が頂点に見いだす人は、一人しかいない。
 占音でも、この場にいる継承者二人でもない。
 助けられると思った。これまでとは違う立場で、関係で、芝蘭の道を助けていけると思っていた。
(俺は、どうすればいいんだろう)
 具体的な策があるわけでもなく、信仰があるからこその影響力しか持たない今の自分では、何の役にも立たない気がした。
 占音の考えに倣って動いたとしても、基音という立場を芝蘭のために使えたとしても。
 それは、透火の力ではない。
 芝蘭のためをと思うだけに、何もできない今の自分がひどく惨めに感じられた。
 




 その後、会合は予定通り立食会へと移った。
 給仕の者が出入りすることもあって室内の人数は増え、明後日のために呼ばれた貴族や夫人達も到着し、雰囲気は和気藹々あいあいとしている。芳しく食欲をそそる香りが、緊迫した空気を優しく和らげていた。
 両側長辺に食事の長卓が並べられ、食事の彩りを良く見せるために上から白布がかけられる。片側は前菜から主菜までが順に置かれ、もう一方には飲料や甘味が華やかに飾られる。その間に細身の長卓が幾つか、足休めのために設置された。
 長卓を中心に歓談の輪ができることがほとんどだが、透火とハークを中心とした輪は一際大きい。
 それだけ人が集まり、列を成していた。

「プラチナ様の御髪は本当に美しく、月光のようですね」
「こちらの気候は如何でしょうか。銀の守護者は太陽の昇らない土地に住むと聞きます、慣れないこともおありでしょう」
「ありがとうございます。こちらはいつでも篝火があって綺麗だと思いますわ」

 食事の隙もないほどに言葉が飛び交い、時間が経ってもなかなか輪は小さくならない。
(美味しそうな料理が……)
 食に目の無い透火にとって、滅多に食べることのない料理を視界の端で流すことは拷問に近い。従者の時は芝蘭が持ってきた料理のおこぼれを貰ったり、話のために残さざるを得なかったものをこっそり貰ったりすることはできたが、自分から取りに行くことは許されていなかったし、あるいは貴族のソニアが代わりに取ってきてくれたものだった。が、基音となった今はできるはずもない。
 せめて立食しながらの会話を許してもらえればいいものを、ハークに食事を運んだところで人が集まってしまい、いまのところ自分の分を取りにいく隙はなかった。
 ハークの肩に止まっていたサンは、彼らの目を引きこそすれ自由に室内を飛び回り、料理の方へ飛んでは好きに食べている。羨ましい限りだ。

「失礼」

 貴族貴婦人の面々が並ぶ中、そう声をかけて入ってきたのは琉玖だ。様々料理を乗せた皿を片手に、透火の側までやってくる。

「二人とも食事を摂られてはどうだろうか。折角の料理だ、温かいうちが美味しい」
「これはこれは……第二王子」

 彼の存在に気を取られて、貴族の輪が疎らになる。

「料理人たちが食べて欲しそうにしているのでね」

 王子の戯けた仕草と冗談に笑って気を持ち直し、互いに頷き合う貴族達の姿は穏やかだ。
 ハークに挨拶を、透火には頭を下げて、彼らは料理の方へと散らばっていった。
 集団から解放され、透火とハークの口から同時に吐息が溢れる。

「お疲れではありませんか? プラチナ」
「お気遣い感謝します。平気ですわ」

 琉玖がハークを気遣っている間に従者の少女が執事に椅子を運ばせる。自席へ案内されたハークが腰を落ち着けると琉玖も同じく近くの椅子に座り、持っていたグラスを長卓の上に置いた。
 透火も自席に座りながら、琉玖に礼を言う。

「ありがとう、琉玖。助かったよ」

 琉玖が置いた皿には、透火が気にしていた料理が多く載っていた。
 一皿目は肉と野菜が主で、前菜と主菜を並べたのだとわかる。二皿目は魚を使った料理で、こちらも前菜の一つなのだろう、根菜と混ぜ合わせて作られていた。透き通るような色味だ。港から遠い王都では海鮮自体が珍しいので、透火はそちらから手をつける。
 酸味が舌の上で弾けて、疲弊した喉と頭に爽快感を齎す。

「プラチナにはこちらを」
「ありがとうございます」

 ハークの前には紅茶と甘味が置かれる。透火が既に料理を運んだのを見ていたのかもしれない。一口大のものがほとんどだ。

「ごゆっくり」

 黒髪に日焼けした肌の季翼と銀髪に色白のハークが並ぶと、正反対の色が際立って見える。季翼はハークの前から退いて、琉玖の背後に並んだ。
 ワインを煽りながらそれを待ち、周囲に近づく人がいないのを確かめてから、琉玖が口を開く。

「基音はどうだ」

 彼の瞳より赤みの強いワインが、濃厚な果実の香りを漂わせた。

「どうって、別に」

 芝蘭とは刺繍の色が異なる白基調の式服には、ワインの色がよく映える。グラスを片手に揺らし、椅子に座る様子は様になっていて透火でも格好良いと思った。芝蘭は酒に弱く、ワインを持つことはあっても飲むことはないので、どうしても琉玖の姿は新しく感じられるのだ。
 透火と琉玖は、芝蘭を通じて知己の間柄である。季翼についても、経歴や琉玖との間柄など他より多く知っていることが多い。
 今ではすっかり気の合う友人同士だが、幼い頃は色々と問題の多い二人だった。琉玖はその昔、今よりも生意気な少年で一つ上ながらも気の弱い芝蘭を虐めていた時期があった。それを毎度庇い、返り討ちにしていたのが透火である。
 はじめは少女に庇われる従兄弟を情けなく思っていたらしいが、透火が同性だと分かってからはむしろ張り合うことに精を出すようになった。そこから転じた友人関係である。なお、透火本人だけが知らない話ではあるが、琉玖が女性を苦手とする理由は、幼い頃透火が少女的な外見をしていたことと関係している。

「芝蘭と話は?」
「今後についてはまだ話してないし、していたとしても話すことはない」
「料理を持ってきてやったのに。……相変わらずの身内贔屓だな」
「そうでもないし、これだけじゃあ足りないかなあ。用件はそれだけ?」
「無論、他にもある」

 交渉に失敗して苦い顔をした琉玖が、背後へ視線を走らせる。それに従って視線を移し、思わず口に含んだフォークを噛んでしまった。
 体格のいい芝蘭は、服装の色もあって見つけやすい。琉玖が見た先には彼がいて、驚くことでもないはずのことに透火が驚いたのは、普段は表情が硬く、口元の弛まない芝蘭が微笑んでいたからだ。話し相手は小柄らしく、貴族や貴婦人の陰から青白磁のドレスの裾が見えるだけ。それだけで、相手が誰か、想像がついた。

「お前は知っていたか?」
「なにを?」

 先ほどより声を落として琉玖が尋ねるので、真意を測りかねて、わかった上で透火は恍けた。
 素通りされたことが恥ずかしかったのか、彼は顔を赤らめる。背後に控える季翼が、密やかに笑った。

「……芝蘭と、フェオファノア嬢のことだ」
「知らない」
「お前でも知らないのか?」
「なんだよ。俺だってずっと一緒だったってわけじゃ……ないよ?」

 返答しながら思い出そうとして、自信を無くす。その様子に、琉玖が呆れて溜息をついた。

「ほぼ一緒だったぞ」
「そうかなあ……」
「恐ろしいな、お前」

 ぽつりと呟いた言葉は独り言として聞かなかったことにした。
 透火は芝蘭に引き取られて二年後、同じ学園、学年に入学した。当時六歳だった透火が十二歳の芝蘭と同じ教室に入れたのは、透火自身が賢かったということと、非常に引っ込み思案で同学年の教室に居られなかったという理由がある。流石に八歳にもなるとそういった様子は微塵もなくなり、琉玖と言い合いするまでの小生意気な少年になったわけだが、そんな年頃でも透火は芝蘭の後をついて回ることが多かった。
 学園を卒業したのが十二歳、それから従者になるまで二年かかっているので、その期間に初めて芝蘭と離れる時間が増えたと言ってもいい。
 それでも、琉玖や他の者と比べれば最も同じ時間を共有していた。

「四年前から二年前までならわからないかも。芝蘭も結構あちこち行ってたから」
「そうか……」
「……なに、気になるの?」

 やけに神妙に頷くので少しの好奇心から尋ねてみれば、琉玖は視線を逸らしながら口元を片手で隠す。
 手招きをするので、透火は大人しく耳を近づけた。

「候補者は三人で終わりと言っていただろ? とすれば、彼女は次期女王になったも同然ということだ」
「……ええ?」

 思いも寄らぬ話題と内容に、なんと返答すべきか迷って半笑いになる。

「誰が国王になっても、伴侶にもう一人の候補者を当てがえば問題はない。民の信頼を得たまま州を味方につけられるし、なにより、互いが互いの監視となれる」
「そんな単純なもの?」
「単純か? ……どうなるかわからんが、国王と女王を見ているとそれが有力な気がする。なにより、フェオファノア嬢は教会所属、それも大司教の娘で彼女自身も司教だ。不必要な争いを減らすには十分にもってこいの人材だと俺は思う」
「ふーん……」

 考えられない話では、ない。紫亜ならばそれも考慮した上で候補者を選定しそうでもある。比較的先を読むことに長けた琉玖が言うので強ち間違いでもないだろう。
 だが、やけに彼の様子が落ち着きなく見えて、透火はそちらの方が気にかかった。

「要するに、将来の奥さんかもしれなくて焦っているわけだ」
「ッゲホ!」

 琉玖の女嫌いは透火も聞き及んでいる。てっきり独身を貫いて養子でもとるのかと思っていただけに、彼が未来の伴侶候補に慌てている方が不思議であった。伴侶にするつもりがないなら、こうも慌てるわけがない。彼は満更でもないのだ。
 察しのついた透火が笑いながら手拭きを渡せば、琉玖はバツの悪い顔をして口元を拭く。

「それで芝蘭と楽しそうで気になったんだ」
「違う!」
「分かりやすいから隠さなくて良いよ」

 にやにやと唇を緩ませて揶揄えば、むすっと不機嫌な顔で琉玖がワインを飲み干す。
 空のグラスを季翼が引き取り、新しいワインが注がれる。黄味がかった果実の香りが広がった。

「……髪色が、似ているから」
「ん?」
「あいつの婚約者と、似ているだろう? 纏う色が。……だから気になった。それだけだ」

 グラスを傾けて、琉玖がワインを煽る。
 朱の差した眦からは酔いが回り始めていることが伺えたが、透火は見ないふりをした。酔いに任せた狂言でも、正しい共通点だ。
 改めて視線を走らせば、二人とレムが三人で会話をしていた。周囲に人の輪が出来始めており、リアナの姿が見えなくなるのも時間の問題だ。無駄に上背のせいで、芝蘭は見失いようがない。
 微笑みは相変わらず。疲れた様子もない。
 いつも疲れただの行きたくないだの溜息ばかり聞いていたから、気付かなかっただけかもしれない。
(あんまり、意識して見たことなかったからなあ)
 民の前に出たときの彼なら、今でも思い出せる。それとも違う気がして、模糊とした感情が胸に詰まる。
 次の一口を食べて、気分を変える。

「それで、お前はこれからどうするつもりなんだ」
「……聞いてどうするの?」

 せかせかと質問を投げかけてくる琉玖に、やや気圧される形で身を引く。探りを入れるには明け透けなので裏はないのだろうが、それでも半目になるのは止められない。
 透火の訝しむ様子に琉玖はやれやれと溜息を吐いて肩を落とした。

「プラチナも仰っていただろう。お前が次の空の神となるためには、俺たち貴族の力は必要不可欠だと。ならば、どのように使われるのがいいかを聞いておくのが筋だ」
「手加減してくれてるってことだね。悪いけど、それなら俺はお前の協力は受けられない、かも」

 身内贔屓だなんだとどの口が言えるのか。透火が相手だからか明確に自身の意図を説明する琉玖に、透火は素っ気なく、けれど控えめに断りを入れた。
 占音と組むつもりがある以上、透火を空の神にと願う貴族の援助は受けられない。あくまで透火が求めるのは、透火自身の行動を支援してくれる貴族か、共生を願ってくれる理解ある貴族だ。
 現状として、透火は貴族たちの派閥しか知らない。それぞれがどのような思想を持ち派閥となっているかを把握していないので、下手に共生だの空の神になるつもりがないなどとは言える訳がなかった。
 意図を的確に察した琉玖が、それ故に理由に思い至らず首を傾げる。

「? どういう意味だ」
「今は迂闊に動けないってこと」
「そんな悠長なことを言っていられる場合では──」
「失礼する」

 透火と琉玖の空気が張り詰めようとしたその時、第三者の声が静止をかけた。
 二人して見上げれば、先程話題に上った芝蘭が立っている。彼の隣には誘われたらしいリアナの姿があり、芝蘭と腕を組んで嬉しそうに笑っていた。
 芝蘭がエスコートしているのだから当然だが、二人の距離は近い。
 腕組みを解いて、それぞれ形式ばった挨拶をする。

「基音にお会いしたいと彼女が言うので」
「失礼致します、プラチナ様、基音様。琉玖様も、数日ぶりですね」
「そ、そう、ですね」

 間近で見てもあまりぱっとしない、穏やかな雰囲気の女性だ。
 微笑みかけられた琉玖は、グラスを置いて慌てて立ち上がり、一歩退く。忙しなく視線を動かし平静を装う様子が、逆に挙動不審だ。
 芝蘭が王子として接する以上、透火もそれに倣った方が良い。食事の手を止めて立ち上がり、同じく礼を返す。従者の時の癖で、膝を折りそうになってリアナが慌てる。

「基音様、どうかそのような礼はご遠慮ください。貴方は私たちの崇拝する方の一人、こちらが困ってしまいますわ」
「あ……そうですね、すみません。直井透火です」

 かと言って全く礼をしないのも居心地が悪く、ぺこりと頭を下げるとリアナが控えめに微笑む。

「リアナと申します。芝蘭様とご懇意とのこと、我儘を言って連れてきて頂きました」

 差し出された手を握り、自己紹介を済ませた。
 ハークにも話の水を向けて、紹介する。

「銀の守護者ハーク・ジッバ・ラティといいます。私は監視の身でありますので、どうぞ気にせず」
「ハーク様とお呼びしても?」
「お好きなように」

 変わらず、素っ気なく無表情のハークだが、リアナは心なし声を弾ませてその手を握った。

「私、かねてよりハーク様にお会いしとうございましたの。どうぞ、こちらにいらっしゃるときは気軽にお話しくださいませ」
「……ありがとうございます」

 あくまで無表情にハークが応じると、リアナはにこりと笑顔を浮かべて退く。
 芝蘭の隣に戻ると、両手を組んで透火たち三人を見上げた。ハークより上背でも、透火たちよりもまだ小柄の女性だ。一つ一つの動作が可愛らしく、微笑ましい。

「可愛らしい方ですね」
「えっ」
「は?」

 素直に褒めると、リアナが顔を赤らめ、芝蘭と琉玖が驚く。サンがふらりと芝蘭の上を通ってハークの元へ降り立った。

「き、基音様は、お世辞がお上手ですのね……」
「いえいえ、琉玖だってそう言ってましたから」
「まあ……恐縮です……」

 あたふたと取り繕いながらも肩を竦め、先程の優雅な雰囲気を萎ませてリアナが小さくなる。その一連の動作が、一層庇護欲を煽る。可愛らしい人だ、という印象が残った。
 咳払いを一つして、芝蘭が話を切り替える。

「食事は?足りたのか」
「琉玖が取ってきてくれたから。ありがとう」

 普段に近い気さくな声に、安堵を覚える。リアナへ向けた笑顔とはまた別の、気の抜けた顔で応えれば、芝蘭が安心したように眉間の皺を緩めた。
 突然の褒め言葉に照れていたリアナも、気を取り直してハークの方へ歩み寄る。話し足りないのだろう。唯一、この場で年の近い二人でもある。

「プラチナ様はどれがお好きですか? 私こちらの味が好きですの」
「まあ、……私はこちらも好きですわ」

 弾んだ声に戸惑った様子でハークは応じる。
 並ぶ姿を見るだけで和やかな気持ちになる一方、透火は薄々ハークのことを理解し始めていた。
 きっと、ハークは見た目以上に中身の感情が伴っていない。銀の守護者だからそのように訓練を受けているのかもしれないし、本当に鈍感なだけかもしれないが、形式ばった場面の方が自信に満ち溢れていた。
 そういえば、彼女が笑うところを見たことがない。愛想笑いすら見せないのは、普通に生きてきた人間としては些か常軌を逸している。
 リアナとハークに視線を送る透火の腕を、琉玖が引く。二人の和やかな様子を横目に、琉玖は芝蘭と透火に耳打ちをする。

「お前らが基音を目覚めさせたという話は本当なのか?」

 琉玖は透火よりも背が高く、芝蘭よりは低い。彼の真っ直ぐな声は歓談の声に紛れることなく二人の耳に届き、芝蘭と透火はそれぞれ正反対の表情を浮かべた。

「あー……」
「……」

 透火は経緯を理解しているだけに苦笑いしか浮かばないが、芝蘭は策に載せられた側なので思い出して不機嫌な顔になる。
 二人の様子から琉玖も事態が複雑だったことを察したようで、何事か言いかけた口を噤む。
 一呼吸を置いて、気を取り直す。

「なったものは仕様がない。お前達には悪いが、俺は先を行かせてもらうからな」
「どうぞ」
「流石だな、琉玖」
「ッ……少しは何か言え。俺が馬鹿みたいだろう」

 笑顔で受け流す透火と真顔で褒めた芝蘭に挟まれて、琉玖が普段の調子に戻る。

「だって琉玖だし。俺が基音だし」
「笑顔で言うな、笑顔で」

 半分は琉玖の反応を楽しみながら、半分は冷や汗をかきながら、透火はけろりと言いのける。
 一暼だけして顔色を伺うも、芝蘭は冗談を言い合う二人を眺めているだけで察した風もない。
 芝蘭とはまだ、基音としてどう動くかの話をしていない。
 先日の夜の件もどちらかというと喧嘩別れに近く感じていて、夜の怪異で有耶無耶になっているような、そうではないような、透火自身も曖昧に思っていた。そんな状態で琉玖に真面目に返すのは芝蘭に失礼な気がして、答えたくなかったのだ。
 大勢に対して語る言葉は探せばたくさん出てくるだろう、けれど、大事にしたい一人への言葉は探しても探しても見つからない。だから、もう一度、ちゃんと話をしたかった。
(そんなこと言ってる場合じゃないって、わかってるけど)
 琉玖の指摘に遅れて痛みを覚えながら、はっきりできない自分に歯嚙みする。
 思考が目の前の彼に飛んでいるところに、つい、と服の裾を引っ張られた。

「少し、宜しくて?」

 細い指はハークのものだ。透火の背後に立ち、彼女は踵を上げて顔を近付けてくる。
 間近で見ると、本当に空と海を閉じ込めたような瞳だ。猫を思わせる眦のつり上がった目。白皙の肌には人間らしい温かみはなく、造り物のように青白い。薄青がかった銀の睫毛は繊細で、瞬きのたびに淡く煌めく。

「そろそろ報告の時間ですので、退出します。彼女もお疲れのようですし、従者の方へ引き継ぎを」

 吐息がこそばゆい。囁くような澄んだ声はくすぐったくて、喉の奥に一瞬にして熱が集まった。

「じゃあ月読を呼んで、」
「先程サンに伝言を頼みました。お二方は彼女を。それでは、御機嫌よう」

 ハークが視線を流した先に、月読を連れてくるサンの姿がある。止める暇も、リアナの様子を伺う間もなく、ハークはそのまま透火から離れて月読とともに部屋の外へ出て行った。
 置いてきぼりにされた透火の後ろで、リアナを気遣おうと琉玖が必死に声を絞り出している。

「ふぇ、フェオファノア嬢、」

 同じくハークを見送っていた彼女は、ハークが見えなくなると気丈な雰囲気を失い、弱々しげに吐息をした。琉玖の声は都合が良いのか悪いのか、聞こえていないようだ。

「気分が、わ、悪いのか? どうした?」

 動くのは琉玖が早いが、女慣れをしていないせいで如何せん、要領を得ない。透火が助け舟を出そうと近寄ろうとすると、割って入る人物がいた。

「リアナ、少し壁際まで移動しよう。動けるか?」

 威圧しないよう二歩分は距離をとって、芝蘭はそっと彼女の手を拾い上げる。

「ええ……申し訳ありません」
「構うな。琉玖、お前は騎士殿を呼んでくれ」
「わ、……わかった」

 流れるような動作でリアナを誘導し、芝蘭が壁際まで移動する。琉玖は慌てて騎士を探しに行き、透火はまたしても置いてきぼりにされた。
 芝蘭とリアナが移動したことで、会場内に囁きが生まれる。耳敏い透火にはその内容は筒抜けだった。

「芝蘭王子とリアナ様は大変仲が宜しいようで」
「琉玖様も負けてはおりませんが」
「国王も女王を寵愛なさっておりましたし、これはもしかするやもしれませんな」

 憶測と事実が混在した、嫌な話だ。彼らの言うことが分からないでもないから余計に困る。
 琉玖が騎士を呼んだらしく、リアナに近寄る男性の姿がある。芝蘭からリアナを引き継いで、二人は静かに室外へ出て行く。
 扉を出る手前で、リアナが芝蘭を見、芝蘭は彼女に手を振った。気にするな、という意味かもしれないが、周囲の噂を加速させるには十分なやりとりだ。
(芝蘭が国王になったら、あの人が隣に立つんだ)
 琉玖をからかっていた時は気付かなかった可能性に、やっとのことで思い至る。
 リアナがかつての婚約者と似ていたことを、琉玖は気にかけていた。纏う色が、芝蘭の警戒を解いたのか。あるいは、色と彼女自身に、彼が惹かれているのか。
 始まりなんてなんでもいい、と芝蘭は言っていた。
 しかし、周りはそうは見ていない。ソニアですら、似ているから透火を拾ったのだと、思っていた。
 過去を知っている者は、芝蘭のことをそう見るだろう。そうじゃなくても、そう見えてしまうから。
 透火は、──後者だ。芝蘭がどう思ってリアナと接しているのか知らないから、彼とリアナは仲睦まじく見えてしまう。
(変わったから、変わって見えるんだ)
 それらの原因が、基音になったからだけだと、この時透火は思っていた。

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