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第六章 社畜と女子高生と二人の選んだ道
9.社畜と後輩の作戦
しおりを挟む「あー、えっと、生ビールと、特上ロース二人前と……」
焼肉店に入るとすぐに、篠田は酒と『特上』という名前のつく肉ばかりを頼んだ。一人前で俺の食費三日分くらいありそうな値段だったが、店に入った頃には覚悟を決めていたので、もう笑うしかなかった。
「お前、遠慮しなくなったなあ」
「どういう意味ですか?」
「会社入った頃は、外回りの時に昼飯奢るって言っても断ってただろ。あの時と比べたら、ずいぶん仲良くなれたなって」
「そのかわり可愛げもなくなったでしょ」
「別に。お前はいい後輩だよ」
「……宮本さんの話がはじまる前に食べますよ。味がわからなくなるんで」
篠田は黙々と肉を焼き、ビールを飲み、肉を注文し、ビールを飲み、肉を焼き、食べ、ビールを飲み、チューハイを頼んで飲み、肉を食べ、最後はハイボールを飲んでいた。俺はほどほどに合わせていたが、飲みすぎてまともに話ができなくなったらどうしようか、と心配だった。俺の財布の運命は考えないことにした。
「そろそろ話していいか」
「あ~、美味しかった。いいですよ、ほら、何でも話しなさい」
酔ったせいか、カフェでの冷たい態度よりは話しやすくなっていた。記憶が飛ぶような酔い方ではなかったから、この機会に話すしかない、と俺は思った。
「理瀬に親権喪失を決意させる方法と、その後の理瀬の面倒を見る方法なんだが」
「やっぱり理瀬ちゃんの話か~。なんかそんな気がしたんですよね。事件のこと以外に、今日あたり大事な話されるって」
「そうか? 俺はバレてないつもりだったが」
「宮本さん、意味なく他人を振り回すことってないですもん」
「褒めてくれてるのかわからないが……俺なりにシナリオを考えてたんだよ」
「私にできることって何かあります? 理瀬ちゃんの女の話し相手が欲しかったら、伏見さんに頼めばいいじゃないですか」
「伏見は忙しいから無理だ。それより、俺は理瀬に、男女の仲ではいられない、ってちゃんと伝える必要がある、と思っている」
男女の仲、と言った瞬間、篠田の表情が険しくなった。
「つい最近会った時に、説明はしたつもりなんだが……理瀬は納得してくれなかった。いきなりそんなこと言われても困る、って」
「普通はそうですよ。別れ話って、お互いの雰囲気が悪くなってから始まるものでしょ」
「お前がそれを言うか」
「……」
あ、やばい。
篠田が急に泣きそうになった。
俺が篠田に振られた時のエピソードは、篠田にとってまだ深い傷だった。
「いや、すまん、あの時は俺が悪かったんだ。というか現在進行系でずっと俺が悪い。お前に何も罪はない」
「……」
「俺が悪い。俺がすべて悪いんだ。とんでもない悪人の言うことだと思って聞いてくれ――篠田、もう一度、前の付き合っていた頃に戻ってくれないか」
「…………はあっ」
篠田は長い沈黙のあと、大きなため息をついた。
「一応、なんでそうなるのか、説明してもらえますか」
「理瀬を諦めさせるためだ。これはエレンから言われたんだが、女を諦めさせるためなら、別の女のことが好きだ、と言うのが一番有効だって」
「そのために私を利用するんですね」
篠田は、俺を激しく突き放そうとしていた。
当然の仕打ちだ。一度別れた女とよりを戻すのは難しい。あれだけ親密にしている照子とすら、元の関係には戻れなかった。
「すまん。どう思ってくれてもいい」
「……」
「対価として、お前が望むものは何でも支払う……まあ、俺の給料がどれくらいか、お前も知っているだろうから、大して嬉しくないかもしれんが」
「……宮本さん、自分がどれだけ酷いこと言ってるか、わかってます?」
「わかってるつもりだ……俺が理瀬のためならなりふりかまわず行動していることは、お前もわかってるだろう?」
「それは知ってます。よく知ってます。今だって、私と付き合おうって言いながら、理瀬ちゃんの事ばっかり考えてますもんね。何も、何も変わってないです」
俺が理瀬と出会い、その直後に篠田と付き合い始めた頃から抱えていた問題を、今更言われてしまった。
篠田は俺の理瀬に対する気持ちを早くから見抜き、それは今も変わっていない、と思っている。今更篠田のことを好きになった、と言っても納得しないだろう。
「ああ……だから、もう全部正直に言ったんだよ。お前の彼氏として、俺は全然駄目だった。だが、後輩としては一番信頼できる」
「……っ」
俺の言葉は、篠田に全く響いていないように思われたが、その一言で篠田は涙を流しはじめた。
「宮本さんは……どうして……いつもそんな……どうして……私に優しくするんですか」
「後輩だからだ」
「後輩だったら誰にでも優しくするんですか。私よりキレイで優秀な後輩が入ったら、その人にこんな事言うんですか」
「いや……こんなことは、後輩としても、一人の人間としても信頼できるお前にしか言えない」
「だからそんな……私に期待させるようなこと、いつも言って……っ」
篠田はグラスに残っていたハイボールを飲み干し、湧き上がる嗚咽を止めた。
「私、ほんとに、宮本さんに振り回されてばっかり!」
それが、篠田の一番言いたい事だったらしい。
グラスをどん、と置いた瞬間、店内に静寂が走った。あまりに大きな音だったからだ。しかし俺としても、ここで怯む訳にはいかなかった。
まだなにか話したそうだったので、俺は篠田の言葉を待った。
「私、宮本さんが倒れたって聞いた時……本当にショックで、私まで倒れそうになりました。九割がた、理瀬ちゃん絡みで何かあったんだと、わかってましたけど、心のどこかで私のせいじゃないかって、いや、私が宮本さんを倒れさせられるほど心に残る人間だったらいいなあ、なんてひどい事考えてたんです」
「……」
「私……あれだけひどい事して、ひどい事もされて、宮本さんのこと全然諦められなかったんです。こんな自分が嫌で、情けないです。今だって、また宮本さんに流されそうになってる」
「……嫌なら、いいから」
「あー、またそういう優しい態度で私を振り回そうとする。私、今日そういう話をされるんじゃないかって、何となく予想してました。でもまた振り回されるのは嫌だから、今回は作戦を考えてきたんですよ」
作戦?
予想していなかった言葉に、俺は耳を疑った。まさか篠田に先回りされているとは思わなかった。
篠田はおもむろに、鞄から一枚の紙を取り出し、俺に見せた。
婚姻届だった。
「これに名前を書いて、今から一緒に届け出してくれたら、宮本さんの言うこと全部聞いてあげます」
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