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第五章 社畜と本当に大切なもの
23.社畜と緊急ニュース
しおりを挟む古川に見つかった翌日、朝イチで前田さんに電話をかけたが、やはり繋がらなかった。
どう考えてもまずい状況だが、こんな時に頼れるのは前田さんしかいない。その前田さんと連絡が取れないので、俺は悶々としながら仕事に取り組んだ。
古川の言う罰とは何だろうか。ずっと、それを考えていた。
あいつも有力者だから、俺の弱みを握ろうと思えば何かしら手に入れられるだろう。だが、俺は人の道を踏み外したと言えるほどの大犯罪に手を出したことはない。信号無視くらいはやっているが、ただの一般人の俺の軽犯罪を指摘しても、大きな打撃にはならない。
理瀬とシェアハウスしていたことを犯罪として取り上げる、というのが最も有力な候補だった。しかし、これも難しい。そもそもやましい事はしていないし、物的証拠もない。カギとなるのは理瀬の証言だが、俺を捨てて古川を有利になるようなことは言わないだろう。
昼休み。前田さんに電話をかけたが、やはり出ない。こうなったら俺が陥れられるか、前田さんが古川を陥れるかの二択だ。しかし前田さんの動きはわからない。危ない仕事に手を染めているから、あえて俺と連絡を断っているのだろうか。
仕方がないので、会社の食堂で一番安い二六○円のそばをすすり、食べ終わった食器を返却口へ運ぼうと立ち上がった時、テレビの緊急ニュース速報が鳴った。
ものすごく嫌な予感がして、俺は反射的にテレビへ駆け寄った。
『タレントのYAKUOHJI、大麻取締法違反で逮捕』
テロップを視認したあと、急に目の前が真っ白になった。しばらくして、俺の同僚たちが慌てて俺の周りに集まった。俺はお盆から手を離し、そばの残りのつゆを床と自分の体にぶちまけていた。
なんとか平静を装い、同僚たちを「大丈夫だから」と制止し、食堂のおばちゃん達と一緒にその場を掃除して、こそこそと食堂を出た。
それからトイレの個室に入り、壁に頭をつけ、こみ上がる嗚咽を必死でこらえた。
まさか、照子に手を出すとは。
経緯はわからないが、大麻取締法違反なら百パーセント言い逃れできない反社会的行為だ。このところ、照子が深夜に泥酔したようなテンションで電話をかけてきたのは、大麻に手を染めていたからなのか。
インディーズバンドをやっていた時から、ロックバンド界隈にドラッグの影があることは知っていた。俺と照子は絶対に手を出さないよう誓っていたが、このところ心が離れてしまった照子がどうしていたか。照子は絶対にやっていない、とは言えなかった。
照子の大麻使用がバレたのは、おそらく伏見からだろう。伏見を懐柔しようとして照子と会わせたのが、裏目に出てしまった。
古川から理瀬を取り戻すために、他人を傷つけてはならない、と考えていたのに――しかし、大麻取締法違反は誰の目にも悪だし、俺のせいで照子が捕まったとはいえない――いや、そもそもの原因は、俺が照子をぞんざいに扱ったせいじゃないか――
色々考えたが、四十五分の昼休みではとても完結しないので、俺は席に戻った。
その後は全く仕事が手につかなかった、顧客からのメールを二、三通開いて、読んでいるふりをしながら、何も考えずにぼうっとしていた。
俺と照子が知り合いだということは、篠田以外にはバレていないので「宮本さん、そんなにYAKUOHJIにはまってたんだ」とあらぬ噂が立っていた。俺と照子の特別な関係を詮索されるより、そうやって誤解された方がずっとマシなので、放置しておいた。
館山課長からは「宮本くん、疲れてるんなら早上がりでもいいよ」と言われた。冷静でなくなった俺は、自分が憔悴していることを他人からの言葉で気づく有様だった。
しかし早上がりを言い出す気力すらなく、ひたすらパソコンの画面を見ていた午後三時ごろ、篠田から電話があった。社給の携帯電話だから、あくまで業務上の連絡だと思われた。
「もしもし、宮本ですが」
『あっ、宮本さん、お久しぶりです』
「何だ?」
『いや、別に用はないんですけど』
篠田も、ニュースを見たのだろうか。落ち着いてはいられないはずだ。
『なんか、宮本さんがすごくショック受けてるから電話してよ、ってそっちにいる子から連絡あったんですけど、何かあったんですか?』
「ああ……」
どうやら篠田はニュースに気づいていないらしい。
説明しなければならない。照子が捕まったこと。俺と理瀬が、危機的な状況にあること。その全てを、簡潔に伝える方法が――そんなものはない――
「篠田……」
『はい……』
「てる……」
ダメだ。会社の皆が聞いている。YAKUOHJIのことを照子と呼んだら怪しすぎる。
「篠田あ……」
『はい?』
そう考えると、俺は篠田に一体何を話せばいいのかわからなくなった。それから、自分が今、何をしているのかがわからなくなった。自分が今手に持って、耳にあてているものが何なのかわからなくなった。自分が今立っているのか、座っているのかわからなくなった。自分が今生きているのか、死んでいるのか、あるいは魂というものが存在するのかどうか、そのすべてが一切わからなくなった。
「篠田……篠田あ」
俺は椅子から転げ落ちた。電話の向こうから「宮本さん、大丈夫ですか、宮本さんっ!」と叫ぶ篠田の声が聞こえていたが、だんだん遠くなり、何も聞こえなくなった。すべての苦しみから解放されるように、ふんわりと、心地よい睡眠のような感覚に包まれた。同僚たちが怒声を上げながら俺の周囲に集まっていたが、そんなことはどうでもよかった。
死ぬんだな。そう思った。
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