【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清

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第五章 社畜と本当に大切なもの

10.社畜と矛盾デート

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 伏見とやり取りをしてわかったのだが、彼女は理瀬の相談役の他に、家庭教師の役割もしているらしい。だから土日はなかなか時間がとれず、午後に都内で少しぶらつく程度のデートしかできない、ということだった。

 俺としては、理瀬の近況や古川の真意を知りたいだけだったので、別にそれでもよかった。

 篠田が異動することになった日の翌日、俺は伏見とデートという名の情報収集に出かけた。場所は、新宿にあるレストランバー。ハンバーガー好きの照子と一緒によく訪れていた店だ。照子がお忍びで(別に隠していないのだが)よく来る店、と教えたら、伏見は快諾した。

 伏見と二人で、照子がよく食べているでかいハンバーガーを注文した。いざ食べてみると、アラサーの胃袋にはきつい量だった。照子の食事量をなめていた。あいつ、俺と同い年なのに、食べる量も体型も昔とほとんど変わらないの、すごいよな。


「理瀬は、どうでしたか」


 この日、伏見は昼過ぎから古川の家に行き、理瀬の家庭教師をしてからここへ来ていた。


「元気そうでしたよ。理瀬ちゃん、東帝大受けるらしいので、受験勉強頑張ってます」

「東帝大……?」


 東帝大は、言わずと知れた日本一の国立大学。日本のエリートが集まる大学だ。高三の後半に受験勉強を始め、関東に行きたいという理由で適当な国立大学を見繕って入った俺なんかとは、大学受験の世界が違いすぎる。

 それをサポートしているという伏見は、どこか得意げな顔をしていた。上司からプライベートの用事を押し付けられたら、普通は嫌だと思うが。


「もしかして、伏見さんも東帝大?」

「はい。私、受験勉強が好きだったんです。ヘンな奴、って言われますけど」


 やはりか。勉強が好きすぎて好成績になるタイプ、たまにいたよね。高校時代、大半の高校生は部活やバイトに精を出して、勉強はうざいものだと考える。でも時々、勉強そのものを趣味のように気に入って、それ故に高得点をマークする奴もいた。好きなこととやるべきことが一致しているから、ものすごく強い。


「あれ、理瀬って海外進学とか考えてるんじゃなかったっけ?」

「はい。でも、古川さんに説得されて変わったみたいです。海外留学したいなら、東帝大に入ってから考えてもいい、いきなり海外に行くのは語学の面からも厳しい、という話でした。最悪、大企業や国家公務員なら、社内留学制度もありますし」


 俺はそれを不審に思った。理瀬は、理系の研究職に就きたがっていた。投資もやっていたが、それは母親の影響で、本職としてはあくまで研究者になるのが目標だった。あの理瀬が、ほとんど会ったことのない古川に説得されて、自分の意見を変えるものだろうか?


「海外の大学受けるのと日本のとでは、受験の方法がだいぶ違うんですよ。理瀬ちゃんはTOEFLとか受ける予定だったんですけど、それはやめて大学共通入試の試験勉強に切り替えてます。あっ、知ってました? 今ってセンター試験ってもうないんですよ」


 伏見は俺の思ったとおり受験オタクらしく、社会人になった今でも大学受験のことをよく知っている。本物の塾講師みたいだ。俺がもう一度受験するわけではないから、今どきの受験の事情はどうでもいいのだが、そんなことを嬉しそうにしゃべる伏見の姿から察するに、彼女が理瀬の本当の気持ちを読み取れているとは思えてなかった。つまり伏見は、尊敬する古川や自分が歩んできた東帝大への進学こそが至高であり、海外進学のような選択肢は眼中にないと思っている。それはもちろん、高校生の進路選択としては一つの最適解ではあるのだが、理瀬の自主性を潰してしまっている。俺と一緒にやってきた約一年間に考えていたことは何だったんだ、という話になる。


「受験のこと以外で、理瀬とは何を話すんですか?」

「あー、えーっと、わからない問題の解き方を教えるくらいで、その他の話はほとんどないんですよね。お買い物とか誘ってみるんですけど、通販で買うからいい、って」


 ここまでの伏見の反応から、理瀬の今の姿が想像できた。理瀬は、不服ながらも古川の方針で東帝大への進学を希望しているが、古川や伏見には心を開いていない。事務的な会話しかしない理瀬の姿が、ありありと想像できる。

 しかし、理瀬が今の状況をどう思っているのか、抜け出すために行動したいと思っているのか……そのあたりは、わからなかった。どんなに和枝さんの死がショックでも、受験はやってくる。現実的な子だから、心を殺して義務である受験勉強だけに集中しているのかもしれない。俺としては、和枝さんの死を乗り越えて、かつて母と娘で描いていたとおりの人生をもう一度歩めるようにしたいのだが、古川と伏見の様子を考えると、そんな風になるとは思えない。


「理瀬ちゃんに、宮本さんに会ったっていう話、さっきしてみたんですけど、そうですか、くらいしか反応してくれませんでした」

「なっ……会った、って、どんな感じで伝えたんですか」

「えっ、古川次官の言ったとおり、お見合いしてみた、って言いましたけど」

「……本当に、反応はそれだけですか」

「ええ。ちょっと無言の時間がありましたけど。あっ、一緒に飲んだとは言いましたけど、私が酔っ払っちゃってYAKUOHJIの家に行ったとか、そのへんは話してませんよ」


 ものすごく嫌な予感がする。

 伏見の話を真に受ければ、俺が理瀬とは違う女と交際しはじめた、と取れる。

 理瀬はどう思っただろうか。

 裏切り者だと、俺を罵ったのだろうか。それとも、和枝さんの死のショックで、もうそんなことはどうでもいいのか。

 色々なことが頭に浮かび、俺はにじみ出る冷や汗を伏見に悟られないよう、ハンバーガーへ一気に食らいついた。

 夕方になり、俺たちは店を出た。店は新宿駅の西口だったが、伏見はわざとらしく俺に体を近づけて、東口のほうへ歩こうとする。新宿は駅から東に向かうほどいかがわしい店が増える(俺調べ)ので、どうしたいのかはよくわかった。銀座で飲んだ時も、そのような動きがあったのだ。


「休憩しましょうよ」

「どっかベンチにでも座る?」

「もう、男の人から言ってくれないと、恥ずかしいんですよ」


 これで俺を誘惑できていると、伏見は思っているのだろうか?

 残念だが、長いことバンドボーカルをやってきた俺の目はごまかせない。人間は、素で話している時と演技している時とでは、明らかに雰囲気が違う。どう違うのか、と言われると難しいのだが、俺はステージに立って演技してきた経験で、演技の皮をかぶる瞬間が直感的にわかる。今の伏見は、明らかに演技している。


「別に、付き合っている訳じゃないんだから」

「……意外と硬派なんですね、宮本さん。この前酔った時も、何もしなかったみたいですし。でも胸くらい触ったんじゃないですか?」

「ないよ」


 俺は苛ついていた。他に好きな人がいるからあんたには興味ない、と断言してしまおうかと思ったが、俺の好きな人は理瀬なので、それを伏見に感づかれると厳しい。かと言って照子や篠田だと適当を言うのもおかしい。あんたはタイプじゃない、と言い切ってしまう方法もある……が、そうなると伏見から理瀬の情報を得ることができなくなる。理瀬を守るという理想と、今やっている伏見との交際は矛盾していて、心がとても苦しい。だが耐え時だ。すべては理瀬を元の状態に戻すためだ。

 俺は伏見の体を振り払って、一人で改札に入ってしまった。
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