【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清

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第三章 社畜と昔の彼女と素直になるということ

15.社畜昔ばなし ⑭プロ

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 バンド活動を始めてからインディーズでデビューするまで、そう時間はかからなかった。

 大学一年の終わりには、赤坂さんが呼んだインディーズレーベルと契約し、初めてのシングルを出した。当時はまだyoutubeなどネットでの音楽活動が盛んではなく、メジャーデビューするならまずインディーズから始めないと話にならなかった。

 有名になれた理由は、とにかく照子が天才だったことに尽きる。

DTMの勉強をした照子は、手書きの楽譜よりもっとダイレクトに曲の雰囲気を伝えられるようになった。『メカ』と呼ばれる、生演奏以外のパートを機械で鳴らす演奏形態も試した。メンバーの制約なく演奏できるわけだ。赤坂さんはあまり乗り気ではなかったが、総合的な曲のクオリティはどう聞いてもメカのほうが良かった。

天然で朗らか、というバンドギャルらしくない照子の性格も話題を呼んだ。ライブでMCをする時、一番人気は照子だった。たまに俺がしゃべると『男は黙っとれ』という雰囲気すらあった。

照子は俺たちのバンドだけでなく、プロの演奏の音響スタッフにも呼ばれるようになった。俺たちのバンドがプロのバックバンドとして出演した事もある。収入もあったが、バイトするより少ないくらいの稼ぎだった。プロの音楽家になるのは本当に大変なんだな、と俺は思った。

あっという間に大学二年目の夏が来て、照子経由で俺達にメジャーデビューの話が来た。

そう思って、バンドのメンバーはみんな喜んでいた。

だが、実際には『俺たちに』来た訳ではなかった。

誰でも聞いたことのあるメジャーレーベルの女性ディレクターと俺たちが、喫茶店で打ち合わせた時のことだ。


「とりあえず、ベースのあなたはいらないから」


 開口一番、厚い化粧をした何歳なのかわからない女性ディレクターはそう言った。

 俺と品山さんは驚いたが、赤坂さんは黙っていた。照子も、なんとなく察していたらしい。


「なんでですか?」


 俺が言うと、女性ディレクターは面倒そうに首を横に振った。


「ギターの品山さんとドラムの照子ちゃんが可愛い系なのに、ベースの赤坂さんだけはヴィジュアル系って感じでミスマッチなのよ。演奏もなんか噛み合ってないし、代わりならいくらでも探せる。それくらいしないと売れないわよ」


 この時、女性ディレクターは俺たちのバンドではなく、照子を中心としたバンドをいかに売るか考えていたのだ。

 俺は戦慄した。ただの趣味の延長でやってきたバンドが、突然、競争社会で生き残るための手段になっていた。


「俺の方が邪魔じゃないですか? 唯一の男ですし」

「そうね。確かにガールズバンドにした方がさっぱりするわ。でも照子ちゃんの曲は男性ボーカル向けだし、あんたがいないと曲を作りたくないって照子ちゃんが言ってるのよ」


 とても重い空気が流れた。

 照子はこの女性ディレクターと、ある程度方針について打ち合わせている。

 その内容をまとめると、メジャーデビューにあたり品山さんと俺は残し、赤坂さんを切った。

 お人好しな照子だから、女性ディレクターの話に押し切られた可能性もある。だがこの時の照子は、黙って話す様子を聞いていた。特に反論もしなかった。全部わかっていたのだ。


「私は、別にいいです。私なんかより照子の才能のほうが大事なのはわかってます。帰ります」


 赤坂さんは千円札を置いてさっさと出ていった。表情には、傷ついた様子を出していなかった。彼女ははなはるバンドコンテストの時も、照子の才能の影に隠れている。もしかしたら、こうなることは予測していたのだろうか。


「あの……私、メジャーデビューは、できないんです」


 赤坂さんに気を取られていたら、今度は品山さんが話しはじめた。


「私、両親が厳しくて……ずっと女子校で、恋愛も禁止とか言われてて……バンドやってるのも、本当は大学の軽音サークルだけって嘘ついてるんです。メジャーデビューまでしたら、何言われるかわかりません……だから……」

「何それ。ちゃんと話してくれないと困るんだけど」


 品山さんが涙ながらに語った。彼女とは照子や赤坂さんほどコミュニケーションをとらなかったが、束縛の強い親からの重圧に苦しんでいる感はあった。門限が早く、午後八時にはライブを終えなければならないというルールもあった。

 

「……この話、いったん保留にしてもいいですか」


 最終的にそう決めたのは、照子だった。


「ふうん。ま、私は照子ちゃんさえうちに引っ張れればそれでいいけど。あんまり時間を無駄にさせないで」


 女性ディレクターは最後まで冷たく、無愛想だった。

 こうして、上手くいっていた俺たちのバンドは、一瞬にして解散した。


** *


打ち合わせが終わった後、俺と照子は二人で照子のアパートに戻った。


「涼子ちゃんに謝らな……」


 部屋に入ってすぐ、照子はさめざめと泣き出した。こうなることは照子も予想していたのだが、後になって罪悪感が押し寄せてきたらしい。


「お前が決めた事だぞ?」


 当時の俺は優しくなかった。自分の選択を後悔する照子に、それでも悪いのはお前なんだ、と追い立てた。謝ったらすべて許されるとは考えていなかった。もし社畜になってから付き合い始めた篠田が同じような事を言っていたら、優しく慰めていただろう。子供と大人の違いだ。


「ほうじゃ……ほなけど……涼子ちゃんになんて言うたらええかわからん」


 はあ、と俺はため息をついた。


「俺、赤坂さんのところ行ってくるわ」

「えっ? 今から?」

「すぐにでも行かないと、意味ないだろ。けど、俺もなんて声かけたらいいかわからん」

「全部うちが悪いんよ。うちは剛と一緒にバンドしたいけん、他の人のことをよう考えずにあんな事になったんよ」

「ふうん。照子、今日は一人でも大丈夫か?」

「……話し終わったらここに帰ってきて」

「話が無事終わるかわからんけどな」


 こうして俺は赤坂さんの家へ向かった。世田谷にあるワンルームのボロアパート。上京した時、お互いの家を見せ合うために行ったことがある。今でもそこに住んでいるはず。

 着いた時にはもう、日が暮れていた。電話もメールもしたが返事はない。部屋の電気がついているので、中にいるはずだ。


「俺だけど!」


 チャイムを鳴らし、ノックを何度もして、自分の名前を叫んでも、反応はなかった。

 ドアノブを回すと、鍵が開いていた。

 部屋の中はひどく散らかり、悪臭に強い香水のような匂いが混ざってむっとしていた。ビールの空き缶が散乱し、使った後のコンドームがゴミ箱にそのまま捨てられていた。ベースと楽譜を置いてある場所だけは綺麗だった。

 赤坂さんは酔っぱらい、体中を真っ赤にしてベッドに寝ていた。パンツしか身につけていなかった。俺はくたびれた赤坂さんの体を直視できなかった。


「……大丈夫か?」


 赤坂さんは俺と目を合わせ、また目を伏せた。

 俺はコップに水を入れて渡したが、赤坂さんは飲まなかった。


「照子が謝りたいって」

「謝る? あの子は、何も、間違ったこと、してないよ」

「妙なディレクターの方針のせいで、赤坂さんを傷つけた。照子はそう思ってる。俺もそう思う」

「うちのことは気にしないで。他人を蹴落とせない甘いヤツがプロでやっていけるとは思えない。照子は、うちが疫病神だって気づいてたんだよ。照子の才能にぶら下がってプロデビューしようとする汚い女だって」

「誰もそんなことは思ってねえよ」

「けど、うちがやめたらプロデビューの話、通ってたんだろ?」

「品山さんがプロデビューは無理って言って、話はなくなった」

「なにそれ。どいつもこいつも自分勝手」


 赤坂さんは体を起こした。彼女の体は高校時代より細くなって、ほとんど骨と皮膚だけだった。


「照子に言っといて。うちを外すのは別にいい。でも一回外した上でうちが嫌がったらまた謝るとか、自分の決めたことをいちいち変えないで。そういうのが一番嫌い」


 俺と同意見だった。中途半端に立ち回った照子にも責任はある。メジャーデビューを想定していなかった品山さんが拒否したのは仕方ないが、照子には全てわかっていた。


「それ照子に言って、立ち直れるかな」

「立ち直れなかったらそれまでだよ」

「赤坂さんはこれからどうするの?」

「別のバンドやるに決まってるじゃん」


 赤坂さんは俺たちのバンド以外にも掛け持ちしていたが、男女関係の怪しい噂がよく聞こえてきた。正直、俺としてはそちらの世界へ行ってほしくなかった。


「もう一回やり直せないかな?」

「無理? 照子の足を引っ張ってるのはうちだから。それだけは、はっきりしただろ」

「けど……お前、こんなんでまともに生きていけるのかよ?」


 俺が一番心配していたのはそこだった。

 赤坂さんは上京してはじめの頃は真面目にバイトしていたが、いつの間にか辞めていた。どうやら金を渡してくれる男がいるらしいのだ。俺たちはみんなそれを知っていて、何も言わなかった。


「……うち、母親と同じ生き方してるんだよね。うちが小学生の頃に離婚して、その後は適当にバイトしながらいろんな男作って、うちが近くにいるのにヤリはじめて……あんな風にはならない、と思ってた。でもいつの間にか同じような人間になってた。やっぱ、遺伝子が同じだからなのかな?」

「岩尾とは?」

「そんなんとっくに別れたわ。あいつが大学で新しい彼女作ったから」

「……俺にできることは?」

「いまさら善人ヅラすんな!」


 赤坂さんがビールの缶を投げつけてきて、俺はぬるいビールを頭からかぶった。その後も空き缶を投げてきたので、俺は恐くなって部屋を出た。

 電車で千葉に戻るまでの間、俺は今まで赤坂さんの手助けを何もできなかったと、後悔し続けた。高校時代に大学生バンドの男とセックスしていたあたりから、赤坂さんは狂ってしまっていたように思う。岩尾が現れて持ち直したものの、その後は東京のバンドでもうまくいかず、酒ばかり飲み、驚くほど体が細くなっていた。

 俺や照子が、もっと赤坂さんに寄り添っていれば、こんなことにはならなかった。

 この日、俺はもう誰と話すのも嫌で、自分の家に直行した。照子には連絡せず、そのことで俺は照子をかなり傷つけた。だがそんなことはどうでもいいくらいに、赤坂さんが変わってしまったことが悲しかった。


 翌週、照子に他のバンド仲間から連絡があった。

 赤坂さんが練習に来なかったので、家に行ってみたら意識がなく、救急車で運ばれた、と。

 重度のアルコール依存症と抑うつだと診断された赤坂さんは、その後精神科病院に入院した。

 その後赤坂さんがどうなったのか、誰にもわからない。
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