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1章:グラスフェアリー編

3話:二つの街

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「ほら、ニュースなってたじゃん。一昨日起きた木屋町での猟奇殺人。犯人は捕まったらしいけど」
「猟奇殺人?」
「そう! 木屋町のガールズバーの店員が路地で殺された話。なんでも刃物か何かでめった刺しにされたあげく……」
「あげく?」
「全身が、食い千切られたんだとか。小さな歯型がいっぱい付いてて、警察はネズミか何かの仕業じゃないかって調査しているらしいけど」
「なんでそこまで知ってるの……絶対それ公表されていないでしょ」
「第一発見者が写真撮ってTwitterにアップしたらしい。まるでネズミの大群に襲われた後みたいで骨まで見えていたとか。不思議と顔だけは無事だったみたいで身元はすぐ分かったらしいけど」
 
 ルナが思案顔をしていた。ルナがああいう顔をする時は、碌な事を考えていない。

「よし、お花見はなくなったが、逆に考えるんだ、自主的に個人的に行けば問題ないと。それに、バーテンダーのバイト始めるんだろ? だったら夜の街の雰囲気を知っておかなきゃ」
「んー、危ないと思うけどなあ。それに私のアルバイト先のお店は祇園だから木屋町とは雰囲気違うよ」

 京都には、いわゆる飲み屋街と呼ばれる場所が二つあるのだ。学生やサラリーマンが多い、木屋町。そして鴨川を挟んだ向こう側にある、花と大人の街――祇園。どちらも飲食店がひしめき合っているけど、雰囲気は全然違う。

「夜中ならともかく、早い時間なら平気だろ。ついでにただ酒を飲みそびれたから飲みにいこ!あたしの勘だけど、なんかこの事件、匂うんだよねえ」
「また根拠もなくそういうこと言う……」
「とにかくだ、ツグミはバイト今日からだっけ?」
「うん。と言っても今日は雰囲気を見るだけだから、すぐに終わるって」
「あたしは五限あるから、お互い終わり次第集合しよう」
「というかやっぱり私も一緒なんだね」

 いつもの事だけど、私は呆れた振りをしてため息をついた。本当は全然嫌じゃないのに。

「いえーす。さあ一緒にあの歓楽街に埋もれた謎を解こうではないか!」
「はいはい」
「おっけー。うーし、さあ午後もバリバリお勉強するかあ」

 ルナはそう言って立ち上がると大きく伸びをした。ちらりと見えたへそに目線がいく。昔から、大人っぽいくせにどこか無防備なところがあるルナに、私はなぜか姉になったような気持ちを時々抱いてしまう。

「じゃ、またアルバイト終わったら連絡するね」
「あたしも事件の概要もっかい調べておく。ニュースとか考察サイトで面白そうなのあったしURL送っとく」
「ほんと? ありがとう」

 バイバイ、と言って私とルナは別れた。私は頭上を見上げる。雲の間から柔らかい日差しが差し込んでおり、少しだけ気分が高揚する。さて、眠たい講義だが、幸い暇つぶしは見付かった。私は講義棟へと歩いていく。


☆☆☆


 Barナインテール、店内。私は久遠さんに教えてもらいながら、掃除を行った。久遠さんは、いつものシャツ姿で、オレンジの皮を剥いて、実だけにすると、それを丁寧に絞っていた。

「それ、お店で使う奴ですか?」
 
 カウンターを吹きながら私がそう聞くと、久遠さんは顔を上げてにっこりと笑いながら答えた。

「そうだよ。市販のオレンジジュースはカクテルには向かないからね。良いオレンジを仕入れて、追熟させて絞った物をその日に使う。これが一番美味しいんだ。ほら、味見してごらん」

 久遠さんがそう言って、絞りたてのオレンジジュースを私に差し出してくれた。
 私はそれをゆっくりと飲んでみる。

「……甘い! こんなに甘いオレンジジュースは初めてです! なんというかまろやかでだけど、酸っぱさもあって……凄い……」
「市販のオレンジジュースだとこうはいかないからね。ま、手間だけど。またやり方を教えるよ」「
「は、はい!」
「バーテンダーってのはね。派手な仕事に見えるけど、本当は違うんだ。仕込みや準備が6割。知識が3割。接客はその結果の過ぎないんだ」
「なるほど……」

 私は急いでメモしようとペンを取り出すが、久遠さんは、はにかみながら、それは覚えなくていいよと言った。

「今日は、とりあえず開店準備までで良いよ。うちのお店は少々特殊だから、少しずつ慣らしていこう」
「分かりました。ところで、久遠さん」
「なんだい?」

 久遠さんが再びペティナイフでオレンジの皮を剥きはじめた。その華麗な手さばきに惚れ惚れしながら私は気になっている事を聞いてみた。

「祇園と、木屋町ってやっぱり違うんですか? 今日友達と木屋町に行くんですけど」
「何も違わないさ。違うのは客層だけ」
「あー、木屋町は学生が多いですもんね。こっちはなんかお金持ってる人が多そう」
「あはは、まあ一概にそうとは言えないんだけどね。ただ、そうだね、街にはそれぞれ匂いや色があってね」

 剥き出しになったオレンジの実を半分に割りながら久遠さんが語る。

「例えば木屋町なんかは、学生向けの安いお店が多い分、雑多な雰囲気がある。一応先斗町という花街が隣にあるから、本来はそうでもないはずなんだけどね。更に最近は海外のお客さん向けの店も増えて、混沌としている。それもまた魅力なんだろうね。祇園は、花街と共に育った街だから、やっぱりどこかそういう落ち着いた雰囲気が残っている。高級料亭やレストラン、女性のお店が多いから、自然と客層は限られてくるしね。どちらが上や下という訳でもないし、好みだろう」
「なるほど……私は木屋町の方が気楽ですけどね」
「まあそのうち慣れるよ。どちらもしょせんは人間がやっていることだ。差はないさ」

 久遠さんの言葉に少し違和感を感じつつも私はカウンターを拭き終えた。

「うん、ありがとう。後は大丈夫だよ。帰りに階段の扉だけ開けといてくれる?」
「分かりました」
「あと、木屋町に行くのは構わないけど――今日は

 ナイフを置いた久遠さんがジッと私を見つめてくる。その瞳が怪しく光っているように見えるのは目の錯覚だろうか?

「へ?」
「飲み過ぎないようにね。最近は自粛ムードのせいで、どこもお客さんが減ったせいで……少々騒がしくなっているから」
「は、はあ。殺人事件があったらしいんで、どちらにせよ早めに切り上げるつもりでしたよ」
「殺人事件……ねえ。まあそれなら良いんだ。じゃあお疲れ様。気を付けてね」
「はい。お疲れ様でした」

 私は更衣室で着替えると、ビルの一階に直結している階段を登ってその先にある扉を見付けた。扉のこちら側には良く分からない紋様が描かれていたが、私はそれを気にせず開けた。それが、この店では開店の合図になるのだ。

「さてと、ルナ、待ってるかな?」

 私はウキウキしながら、木屋町へと向かった。
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