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第一章『死の谷』
33話 見送り
しおりを挟む「じゃ、あたしたちは帰るけど、宿題はちゃんとやっておいてね? また近いうちに見に来るからね」
宿題を見に来てくれるという事は、家庭教師を引き受けてくれると言う事だろうか?
「ちゃんと報酬を払えるように、一生懸命稼ぐから見てて」
期待を込めて返事をすると、マイナ先生も嬉しそうに僕の髪をワシャワシャと撫でてくれた。そして手を振りながら村から出る輸送隊の隊列に合流していく。ターナ先生も、父上と一言二言交わしてマイナ先生と合流する。
儀式めいたものは何もせず、僕らは動き出した輸送隊をただ笑顔で見送った。
「父上? どうして村から輸送隊を出すの? 隊商を呼んで買い取りに来てもらえば良かったのでは?」
輸送隊が遠ざかって行ってから、父上に話しかける。
結局、奇病は最初のレイス騒動の2日後、父上たちが帰ってくる頃には収束していた。その後王都への報告をまとめるのに5日かかって、今日に至る。
収束するまではトイレから大量発生するレイスを消毒するのに忙しかったが、その後は暇だったので、マイナ先生からこちらの世界の言葉や歴史、社会について習うことにほとんどの時間を費やした。
その中にあったのが、各都市をめぐる隊商の話である。魔物が多いこの世界では、単独での長距離移動は危ないらしい。だから商人たちは隊商と呼ばれる大規模な集団で移動する。
ちなみに、うちの村に隊商が来た事はないので、実際に見たことはない。
「よく勉強してるな。だけど、うちの村はナログ共和国との国境にあるから、隊商は来ないんだよ。ほら、前の戦争の以降、あの国とはほとんど交流がないから国を跨げないし、うちの村は小さいから隊商が通れる道もない」
つまり、道の整備の不十分な行き止まりの小さな村だから誰も来ないわけか。
マイナ先生が振り返ったのが見えたので、思い切り手を振っておく。マイナ先生は少し恥ずかしそうに手を振りかえしてくれた。
「だからって、もうちょっと時間稼げなかった? マイナ先生帰っちゃったじゃないか」
父上は、僕がそう言うと、やたらニヤニヤしはじめる。
「お? 名残惜しそうだな。マイナ先生に惚れたか?」
茶化すように言ってきて、ちょっとイラッとした。
「違うよ。もうちょっと勉強したかったんだ」
否定するが、父上のニヤニヤは止まらない。
「赤くなって、正直な奴め。でも残念だったな。先生は多分俺のことが好きだぞ?」
そんなわけがあるか。自意識過剰のロリコン親父め。
「マイナ先生、美人だし、おっぱいも将来有望だから、俺の第二夫人にでも誘ってみるかぁ?」
きもい。マイナ先生と父上、何歳離れていると思っているんだろうか? 息子の前で性癖を丸出しにするのはやめてほしい。しかも浮気だろう、それは。
「それ、後で義母さんに報告しとくからね」
僕は不愉快な気分をのせて、思いきり父上を睨みつけてやった。反抗期が来たら、思いっきり噛みついてやる。
「ま、まぁ、肉の在庫が増えすぎたから、そろそろ売らないとまずいんだよ。倉庫を新しく二棟建てたけど、もういっぱいなんだ。まだ加工が終わってない肉も沢山あって、これ以上在庫が増えたら、倉庫がもったいないだろ?」
父上は、義母さんを持ち出すと急に鼻白んで、話を戻してきた。やっぱり義母さんは怖いらしい。ざまーみろ。
「でも、あんまり在庫減ってないよね?」
ここから見える隊列は、オンボロの馬車が一台に、村中から集められた人力の荷車が20台ほど。運んでいる量は大型トラック1台分にも及ばない程度で、今回運び出せたのは在庫の10分の1に満たない。
「そうだな。馬車事故っちゃったから、またお金を貯めて買わないとな」
そう言えば、僕が記憶を取り戻した晩に、馬車を2台も派手に横転させて壊していた。そのせいで村の輸送能力が大幅に落ちているのかもしれない。
「それはそうと、イントはもっと勉強したいのか。ちょうどリナも聖霊と契約したし、二人ともそろそろジェクティから神術を習うのが良いかもしれんなぁ」
父上は、何かというと戦闘関連の勉強を勧めてくる脳筋だ。ジェクティ義母さんの神術は村1番らしいので、習う分には面白そうだし異論はない。だが、なまじ戦う技術を持ってると、何かの機会にまた危ない場所に呼ばれれかねない。
そんな事より、次亜塩素酸ナトリウム製造装置を改良したいし、水酸化ナトリウムの製造にも挑戦して、固形石鹸も作ってみたい。
うまく固形にならなかった炭酸カリウムの石鹸も、ターナ先生がいろいろと工夫した結果、固形とは違ったタイプの石鹸に進化していた。原料を植物性の油に変えたことで、香りの良い液体石鹸に仕上がったのだ。
ターナ先生の徹底的な検証には頭が下がる。一回使わせてもらったが、前世の液体石鹸と比べても遜色がなく、むしろしっとりしていた。
ターナ先生はそれが痛く気に入ったらしく、洗顔用に販売してみるのだそうだ。
発案者は僕で、しかも液体石鹸は失敗作なのに、何だか負けたみたいで悔しい。神術の勉強をするぐらいなら、その失敗を挽回したい。
「えー。そういう勉強はやだなー。パッケについて王都に行ったほうが良かったかなぁ……」
遠ざかっている輸送隊の中で、パッケの姿を探す。パッケの執事服は地味だが、輸送隊の中では遠くからでも目立つので、すぐに見つける事ができた。
隣には治療院のオバラ院長もいる。今日は白衣ではなく冒険者風に武装していた。二人は父上からの命令で、国王に報告書を届ける任務についたらしい。
「王都はなぁ……」
父上の表情が微妙だ。
父上は元々王都の冒険者で、当時男爵だったシーゲン子爵に誘われて軍隊に入った。そこから嘘かホントかわからないような手柄を上げ続け、最終的に世襲の貴族に成り上がったらしい。
つまり、王都で暮らしたことがあるという事だ。だが、物心ついて以来、父上がシーゲンの街より遠くへ行っているのを見たことがない。
「何か嫌な思い出でもあるの?」
父上はポリポリと鼻の頭を掻いた。
「子どもにするような話でもないんだろうが、王都は平民出身の貴族にとって、あんまり居心地良いところじゃないんだ」
やっぱり嫌な思い出があるんだろう。ちょっとしょんぼりしている。武勇伝を自慢げに語るいつもの父上ではない。
きっと脳筋だから貴族社会に馴染めなかったのだろう。
「でも、王都だったらおっきな大学とかあるんでしょ? 行ってみたいなぁ」
「ダイガク? 王都は広いが、そんな場所は聞いたことないな。何をする場所なんだ?」
さすが脳筋。大学を知らないのか。
「勉強とか研究をするところだよ」
補足で説明してみるが、父上はピンときていないようだ。
「ほー。賢人ギルドのことかな? それこそターナ先生に聞けば良かったのに」
言われてみれば、それは確かに。マイナ先生にはタイミング悪く聞きそびれたが、ターナ先生の方がそういう事には詳しい気がする。
「しまった……。その手があった」
賢人ギルドは、家庭教師の派遣をやっている。おそらく大学と無関係ではないはずだ。大学進学を考えているなら、まず聞くべき相手だった。忙しくて聞きそびれていた。
「そのうちシーゲンの街に行く機会もあるんじゃないか? 強くなって一人で行けるようになれば、日帰りもできるぞ?」
そう言われると、強くなるのも魅力的な気がしないでもない。いや、危ないのはゴメンだが。
話をしてるうちに、輸送隊の姿はこちらから見えなくなる。これにて見送りは終了だ。
「ま、今回はうちの村の塩不足も解決された。おかげで肉も腐らせずに済んだ。しかも流行り病の治療法も見つかって、村人も助かった。強固な砦もできて、『死の谷』のヌシも倒せた。今後は魔物の流入が減るから村を大きくして畑も増やせるだろう」
ヌシを倒した話は初耳だったが、それならしばらく『死の谷』から魔物が溢れる事はなくなるだろう。安全な狩りもできるようになる。
良いことずくめだ。
「そりゃ忙しくなりますね」
僕が同意すると、父上は頷いた。
「半分ぐらいはイントのおかげだけどな。跡取りが優秀で本当に心強いよ」
輸送隊の姿は見えなくなった。だが、父上はまだ動こうとしない。
「だからまぁ、ちゃんと剣と神術の修行をするなら、空いた時間でお前が勉強するのは応援しようと思う」
父上は照れくさそうに笑う。
「こないだは殴って悪かったな」
父上はそう言って踵を返した。僕がポカンとしていると、父上は何歩かあるいてから足を止めた。
「あ、でもお金はないから、それは自分で何とかしろよ?」
僕はずっこけそうになった。それじゃ今までと何も変わっていない。
でも、それもまた楽しいかもしれない。
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