上 下
61 / 90
第6章 共に生きるには

6 電気の街へ

しおりを挟む
 ――僕は今、レンファにミシャッてされた頬っぺたを擦りながら、ゴードンさんの馬車に揺られている。
 本当は、人生二度目の馬車にもっとはしゃぎたかった。でも、僕の左側――腕がぴったりくっつくぐらいの位置に座ったレンファが、ずっとプリプリ怒っているから怖くて何も言えない。

 いや、確かに、あれだけ地下室――というか解呪の陣――に行っちゃダメって言われていたのに、それを無視してバカなことをした僕が悪いのは分かっている。
 だからレンファは何も悪くないし、ただ「ダメ」って言葉を無視した僕が悪い。なんなら、あの時レンファが名前を呼んでくれなかったら――もしも右目を閉じていなかったら、僕はもっと大変なことになっていた。

 僕の左目が悪くなったのは、外の光が届きづらい真っ暗な地下室で過ごしている時に、いきなり陣が強く光ったからだ。アルビノは光に弱い人が多いから、僕もそうだっただけの話。
 目の原理ゲンリーはよく分らないけど、暗いところだと少しでもたくさん光を集めるために瞳孔ドーコー虹彩コーサイが開いちゃうんだってさ。ドーコーサイが開いてる時に物凄い光を見ると、いつも以上に痛い目にあう――とか、なんとかレンファが言ってたよ。

 とにもかくにも、レンファは僕の恩人! なのに、いくら「ありがとう」と「ごめんね」を伝えても「信じられない」「善人モンスター」「本当に気持ち悪い」って、ずーっと1人でブツブツ言ってるんだ。
 ――ふ、ふーんだ。気持ち悪いって言いながらも僕から離れて行かないから、全く、ひとつも気にしてないもんね! ほ、本当だよ!

 僕らが〝魔女の家〟からセラス母さんの家まで帰ると、ちょうどゴードンさんが馬車でやって来たところだった。母さんはすぐに僕の目のことを説明して、ゴードンさんも慌てた様子で「早く行くぞ」って馬車に乗せてくれた。
 横からレンファに耳や頬っぺたを引っ張られながら思ったのは、お昼ごはん食べられなかったなーってことだった。でも、ゴードンさんが荷物の中のものを好きなだけ食べても良いって言ってくれたから嬉しい。

 荷物を見たら、丸くて平べったい缶に入ったクッキーを見つけて、僕は大喜びで食べた。レンファもクッキーが好きみたいで、食べている時だけは静かだったし、手も出してこなかった。
 でも今は食べ終わったから、横でプリプリしてる。可愛いけど怖い。あとやっぱり「気持ち悪い」はちょっと辛い。

「昼過ぎか……午後の診療が始まる頃には街へ行けると思うが――アレクの左目が見えづらくなった原因は、強い光だけなのか? 他に病状は?」
「たぶん、ないと思うけれど……やっぱり目だけでなく、体の検査もしておいた方が良いわよね」
「それはそうだろう、もっと大きな病気が隠れていたら困る」

 馬車の前の方――御者席って言うらしい――に座ったゴードンさんと、その横のセラス母さんが深刻そうに話している。
 検査って何をするんだろう。ただでさえ電気が流れている街が怖いのに、分からないことだらけで嫌だなあ。
 なんだか、これからとんでもないことが起こりそうな気がして、僕は両膝を抱えて小さくなった。すると、くっつきそうなくらい近くに居たレンファの気配が遠のいていくから、余計に不安になって顔を上げる。

 レンファは、荷台を隠すように上から垂れている幕――ほろを、真っ白い手でそっと押し上げた。そうして僕を振り返ると、ちょいちょいって手招いてくれる。
 馬車が揺れて危ないから、僕は四つん這いになってレンファのすぐ傍まで近寄った。白い手が押し上げた布の向こう側には、わだちの続く道が流れている。

 ――当たり前のことだけど、動いているんだなあ。
 大きな車輪が地面を掘って、土の香りが近い。時たま小石に乗り上げるのか、ガタガタッて揺れてお尻が痛い時もある。
 レンファは何も言わず流れる景色を見ていて、僕も黙って景色と――あと、たまにレンファを見て過ごした。

 すると、車輪がガッタンガッタン! と、一際大きく揺れる。何かに乗り上げたみたいな衝撃に驚いていたら、いきなり土の道が途切れた。
 平らで真四角の石が、まるで絨毯みたいに隙間なく敷かれている。さっきの揺れは、土の地面から石の絨毯に乗った時のものだったみたいだ。

「街が近い証です。ここから先は、整備された――人の手が加えられた道。石畳が続いているでしょう」
「へえ、イシダタミーって言うんだ……キレイだね」

 レンファが指差した、平らで真四角の石でできたキレイな道。その上を進むようになった途端に、馬車の進むスピードが少しだけ速くなった気がした。
 デコボコの地面を進む時よりも、揺れが少ないから? そうだよね、そもそも平らな道だから走りやすくて当然だ。だけど、こんな平らな石ばかり一体どこで見つけてくるんだろう? まさか、木みたいに人の手で削っているなんてことはないよね?

 ――ほんの少し前まではのどかな風景が続いていたけど、石畳の上を歩き始めてから、あっという間に景色が変わった。
 木や土やよりも、かっちりした石。風の音よりも、威勢のいい人の声。あとなんか、カンカン、ゴチャゴチャ、賑やかな音。
 気付けば石畳の色も変わって、黒っぽくなった。しかも、まるで一枚岩みたいに継ぎ接ぎひとつない、平らな石の道だ。さっきみたいに四角い石を並べているのとは全然違う。

 僕はずっと地面に夢中になっていたけど、レンファに左肩をぽんぽん叩かれて、顔を上げる。彼女が指差した方を見上げると、馬車の両端はいつの間にか、石で作られたすごく大きな家に囲まれていた。
 広い道の両端に隙間なく建てられた家々。ひとつひとつが見たことないくらい背が高くて、なんだか石でできた谷を通っているみたいだった。

「街に入りましたよ」

 レンファに言われて、僕はビクッと体を震わせた。ついに痛いところへ入ったんだと思うと不安で仕方なくて、隣に居るレンファの腕にギュッとしがみつく。
 またミシャッてされるかなと思ったけど、レンファはじっとしていてくれたから良かった。
しおりを挟む

処理中です...