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短編
託す未来(本編読了後推奨します)
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センカは暗闇の中で一人いた。何故ここにいるのか分からず、ぼうっとしていると少しずつ記憶が蘇ってきた。センカはアリソンから電撃を受け、意識を失った。
ここは果たして夢の中なのか、死後の世界なのか。死後の世界ならばそれでも良い、とセンカは自嘲気味に笑った。
魔石の強奪に失敗したセンカは、オトギによって処分されるだろう。ナツメのように精神を分離されて魔物化されるか、ハルのように魔物との融合実験を受けるか。もう人並みの暮らしは出来ないだろう。
これはきっと自分の保身の為にオトギの命令に従ってしまった報いだ。自分が勇気を出していればこんな争いは起こらなかった。自分がオトギに逆らいさえすれば――
「センカ」
暗い感情に推し潰されそうになった時、誰かがセンカの名を呼んだ。声色からも優しさが感じ取れる男性の声。
その声を聴き、涙が溢れた。五年も聞いていなかったが、忘れた事のないずっと聞きたかった兄の声。
「ナツメ兄様……?」
振り返るとそこにはナツメが立っていた。センカと同じ青い髪。前髪を白いカチューシャで上げている。藍色の瞳は優しく細められていた。
暗闇の中に一筋の光が差したような錯覚。それくらいナツメはセンカにとっての希望だった。センカはナツメに駆け寄るとその勢いのまま抱き着いた。
「ナツメ兄様! ああ、会えて嬉しい! これが夢でも……」
ナツメの人間の姿を見られるとは思っていなかったからこれが夢だとすぐに分かった。この時をどれ程夢見た事か。
ナツメはセンカの頭を優しく撫でた。
「大きくなったな」
ナツメが魔物の姿となり精神を封印されてから五年の歳月が流れていた。センカはもう17歳。まだ大人とはいえないが妹の成長を自分の目で確認出来たナツメは嬉しそうな、少し寂しそうな声色で言った。
話したい事がたくさんある。だが、一番に言いたかったのは――
「ナツメ兄様……。ごめんなさい、私助けられなくて……」
心からの謝罪だった。センカはナツメを救う事が出来なかった。12歳だったとはいえ、一番近くにいた存在だった。ナツメの、オトギの異変に気が付く事が出来ればこんな悲しい未来にはならなかったはずなのに。センカは毎日のように自分を責め続けていた。
「センカが謝る事じゃないだろう。あれは俺のせいだから気にするな」
「兄様のせいじゃないよ……。あれはオトギ兄様が……お父様が始めた事でしょう?」
「気付けなかった俺のせいでもあるよ。これはセンカが気に病む事じゃない。俺はセンカの悲しい顔より笑顔が見たいなあ」
そんな事を言われてもすぐに笑顔など作れない。ただナツメの服を涙で濡らしてしまう。
「でも、私は許されない事をしたの……。オトギ兄様に協力をして、グルト王国を……アリソン君を殺そうとした。私は生きるべきじゃない……」
センカはナツメから離れて精悍な顔を見上げる。
「ねえ、兄様。どうしたら元に戻れる……? 兄様がいたらカリバンは平和な国に戻れる。グルト王国のように国民が豊かな暮らしが出来る国に……」
ナツメは何かを言いかけたが、すぐに口を噤んだ。少しだけ沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「センカが俺の精神をアメリーに託してくれたからここまで来られた。カリバンは一度大きく沈むが、未来は明るいはずだ。その未来を創る為に、センカが頑張らないといけない」
「……どういう、事?」
「俺は元には戻れない。オトギは許されない事をしたから、王になる道も途絶えているが……」
「姿が戻らなくても兄様なら理解してもらえるよ……! それくらいナツメ兄様は王に向いているんだから!」
例え人間の姿に戻れなかったとしても、精神さえ戻ればナツメだ。中身が彼だと知れば国民達も納得してくれるはず。そう思ったが、ナツメは首を左右に振る。
「近くにいた弟の心の闇に気付けなかった男が一国を治める事なんて出来ないよ」
そんな事ない、と言いたかったがナツメの藍色の瞳があまりにも悲しく揺れていたので、センカは言葉を飲み込んでしまった。
ナツメはセンカの右手を両手で包み込んだ。
「センカ、ごめんな。お前には重いものを背負わせる。でも、ハルジオンがいるから大丈夫だ。あの子とはあまり話してやれなかったが、一人の少女を思いやる優しい子だった。お前の事を支えてくれるさ」
嫌な予感がした。兄はどうしてこうも自分に託そうとするのか。自分が王になれないとしてもナツメならセンカの事を支えると言ってくれるはずなのに。
「……兄様がいてくれれば大丈夫よ。ねえ、兄様はずっと側にいてくれるよね?」
「……ごめん」
ナツメの謝罪で、全てを理解した。人間の姿に戻れるとか、そういう問題ではない。ナツメは嘘を吐く事が苦手であり、センカを想うならこんなにも言葉を濁すなんてしない。ナツメはもう、この世には――
「嫌!! 嫌よ!! どうしてこうなるの!? 私はただ……皆で幸せになりたかっただけなのに……」
センカは叫びに近い声を上げて首を大きく振る。
自分の願いはそんなにも叶わぬものなのか。ただ、穏やかな生活を求めただけだというのに。それすらも願ってはいけないのか。
目の前のナツメの姿が滲んでいく。とめどなく溢れる涙がセンカの頬を濡らした。
ナツメはセンカから手を離すと、また優しく抱き締めてくれる。その温もりが心地よくて――悲しい。
「もしかして、ここは死後の世界なの? 私、アリソン君に殺されちゃった? それなら、ここで兄様と一緒にいられる?」
「センカ」
ナツメはあやすように背中を優しく叩いてくれる。だが、今の状態でされたら悲しさが増すだけだった。センカはナツメの抱擁から離れると声が枯れるくらいの叫びを上げる。
「兄様のいない世界で生きられないよ!! こんなに弱い私が王になれるわけがないじゃない!!」
心からの叫びだった。こんなにも卑怯で内向的な自分が王になれるわけがない。カリバン王国を良い方向へ導く事などできない。いつか重責に押しつぶされる未来が見えている。
自分はアメリーのように周りを照らす光のような存在にはなれないし、エンジュのように強く正しく国民を導く事も出来ない。
それならば現実から逃げ出したい。その先にナツメがいるならばそれが良い。
そう思っていると、目の前のナツメが上半身を屈めてセンカと視線を同じにさせる。滲んでよく見えなかったが、その表情は怒っているように見えた。
「お前はハルジオンを一人にするのか? ハルジオンに全てを背負わせるつもりか?」
「……っ」
ハルジオン。死んだと思っていた弟の一人。彼は暗殺部隊として泥水を啜りながら生き抜いてきた。センカよりも過酷な道を生きている。
実験施設には自分と血の繋がった子供はたくさんいるだろう。だが、その者達がハルの支えになれるとは思えない。彼等も酷い道を歩んでいる。これ以上悲しい思いはさせたくない。
それでも――ナツメの死は耐え難い悲しみをセンカにもたらした。何も言えずにただ泣いていると、ナツメは顔を伏せた。
「ごめんセンカ……ごめん……」
「ナツメ兄様……嫌だよ。話したい事がたくさんあるの。ずっと側にいてほしいの。だから帰って来て……」
妹にそう言われ、ナツメは顔を上げる。彼の前髪のカチューシャが目に入った。幼い頃から大切にしていたものだ。センカが欲しがってもこれだけは譲ってくれなかった。
ナツメはセンカの頭をそっと撫でる。
「センカ……お前は気付いていないかもしれないけれど、俺より、オトギより強い心を持っている。その心があったから俺の精神を盗んでアメリーに託した。オトギに見捨てられたハルジオンを救った。そんなお前なら大丈夫さ」
「兄様……ナツメ兄様……」
センカはハッとする。自分の頭を撫でるナツメの手は震えていた。それを感じ、ナツメもこの選択しか出来ない事は心が張り裂ける思いなのだと気が付いた。
兄は昔からそういう人だった。誰かの為ならば前に立ち人を導く男だった。そんな人が妹に全てを託そうとしている。どれだけの苦悩があっただろうか、どのような思いで話をしたのだろうか。そう考えると、また涙が止まらなかった。
これ以上は駄目だ。弱い妹のままでいるとナツメを心配させてしまう。自分を追い詰めてしまう。そう思い、センカは涙を手で強く拭った。そして笑顔を見せる。
「大丈夫よ、兄様。私……カリバン王国を良い国にする。今は頼りないかもしれないけれど、頑張るよ。だから、どうか見守っていて……」
センカの笑顔はぐしゃぐしゃで不格好だったかもしれない。だが、ナツメはその笑顔を見て安堵の表情を見せ、笑顔を浮かべた。大好きな笑顔だ。この笑顔を忘れたくなくて、センカは心に深く刻む。
「ああ。ずっと見守っている。センカなら絶対大丈夫。俺が保証するよ」
そう言いながら、ナツメは自分のカチューシャを取るとセンカの髪に掛ける。とても大事にしていたものを託され、センカは泣きそうになったが何とか堪える。
「大好きよ、ナツメ兄様……これからもずっと」
「俺も好きだよ。センカは大切な妹だ」
ナツメは見たくてたまらなかった笑顔を見せてくれた。
「センカ。カリバンを良い方向へ導いてくれ。そして、どうか幸せで――」
その言葉と共に、辺りは眩い光に包まれる。センカは目を瞑り、そのまま意識を手放した――
**
センカはゆっくりと目を開いた。見慣れぬ天井が視界一面に広がっている。自分には毛布がかけられており、ベッドの横になっていた。記憶の前後が曖昧で少しの間ぼうっとしてしまう。とにかく状況を確認しようと身じろぎをした時だった。
「センカ王女、気が付きましたか」
そう声を掛けられ、センカはビクリと肩を跳ね上げた。アメリーのものにも聞こえる高い声を聴き、今までの記憶が鮮明に蘇った。センカはグルト王国で魔石を奪おうと動き、アリソンに手を掛けようとしたのだ。そのアリソンが、センカの横になっているベッドの側にある椅子に座っていた。
「アリソン君……」
アリソンは頬に治療の後があり何とも痛々しい姿だった。彼は電撃をセンカに食らわせたが、命を奪うまではしなかったようだ。そんな温情のある所が姉のアメリーを彷彿とさせる。カリバンでは不法侵入者は迷わず殺すし、こんな温かいベッドに寝せたりしない。
「私、貴方を殺そうとしたんだよ? どうして……」
「本気で殺そうとしているとは思いませんでした。貴女の魔力なら手負いの私など簡単に殺せるはずでしたから」
アリソンは表情を崩さずに淡々と言う。彼からは表情から感情が読み取れず、何となく不安に思う。昔はアメリーの後ろにひっつく可愛らしい少年だった。今では次期国王にふさわしい表情になっている。
命を奪おうとした相手だというのに、この部屋にはセンカとアリソンしかいない。アリソンは自分が殺されないと思っているのか、信じているのか――恐らく後者だろう。
アリソンは立ち上がると、センカに背を向けて窓の外へ視線を向けた。
「貴女はこれから牢に入れられます。だけど、すぐに解放されるよう私と姉上で父を説得します。姉上ならば賛同してくれるでしょう。カリバンには貴女がいないといけません。優しい貴女ならきっと良い国にしてくれます」
そう言われ、夢で見たナツメのやり取りを思い出した。アリソンはナツメと同じ事を言ってくれた。
センカは自分の前髪に手を伸ばす。そこにカチューシャは無かったが、何となく何処にあるのか分かっているような気がした。
夢の中で我慢していた涙が、一気に溢れだす。あれは自分の都合の良いように見せられた夢ではない。ナツメが会いに来てくれたのだ。最期の力を振り絞って――
「ど、どうかしたのですかセンカ王女」
振り返るとセンカが号泣しており、アリソンは動揺してしまう。冷たい態度過ぎた、と謝ってきたが、センカは違うよ、と言って微笑んだ。
「兄様……私、頑張るよ……」
―託す未来・終―
ここは果たして夢の中なのか、死後の世界なのか。死後の世界ならばそれでも良い、とセンカは自嘲気味に笑った。
魔石の強奪に失敗したセンカは、オトギによって処分されるだろう。ナツメのように精神を分離されて魔物化されるか、ハルのように魔物との融合実験を受けるか。もう人並みの暮らしは出来ないだろう。
これはきっと自分の保身の為にオトギの命令に従ってしまった報いだ。自分が勇気を出していればこんな争いは起こらなかった。自分がオトギに逆らいさえすれば――
「センカ」
暗い感情に推し潰されそうになった時、誰かがセンカの名を呼んだ。声色からも優しさが感じ取れる男性の声。
その声を聴き、涙が溢れた。五年も聞いていなかったが、忘れた事のないずっと聞きたかった兄の声。
「ナツメ兄様……?」
振り返るとそこにはナツメが立っていた。センカと同じ青い髪。前髪を白いカチューシャで上げている。藍色の瞳は優しく細められていた。
暗闇の中に一筋の光が差したような錯覚。それくらいナツメはセンカにとっての希望だった。センカはナツメに駆け寄るとその勢いのまま抱き着いた。
「ナツメ兄様! ああ、会えて嬉しい! これが夢でも……」
ナツメの人間の姿を見られるとは思っていなかったからこれが夢だとすぐに分かった。この時をどれ程夢見た事か。
ナツメはセンカの頭を優しく撫でた。
「大きくなったな」
ナツメが魔物の姿となり精神を封印されてから五年の歳月が流れていた。センカはもう17歳。まだ大人とはいえないが妹の成長を自分の目で確認出来たナツメは嬉しそうな、少し寂しそうな声色で言った。
話したい事がたくさんある。だが、一番に言いたかったのは――
「ナツメ兄様……。ごめんなさい、私助けられなくて……」
心からの謝罪だった。センカはナツメを救う事が出来なかった。12歳だったとはいえ、一番近くにいた存在だった。ナツメの、オトギの異変に気が付く事が出来ればこんな悲しい未来にはならなかったはずなのに。センカは毎日のように自分を責め続けていた。
「センカが謝る事じゃないだろう。あれは俺のせいだから気にするな」
「兄様のせいじゃないよ……。あれはオトギ兄様が……お父様が始めた事でしょう?」
「気付けなかった俺のせいでもあるよ。これはセンカが気に病む事じゃない。俺はセンカの悲しい顔より笑顔が見たいなあ」
そんな事を言われてもすぐに笑顔など作れない。ただナツメの服を涙で濡らしてしまう。
「でも、私は許されない事をしたの……。オトギ兄様に協力をして、グルト王国を……アリソン君を殺そうとした。私は生きるべきじゃない……」
センカはナツメから離れて精悍な顔を見上げる。
「ねえ、兄様。どうしたら元に戻れる……? 兄様がいたらカリバンは平和な国に戻れる。グルト王国のように国民が豊かな暮らしが出来る国に……」
ナツメは何かを言いかけたが、すぐに口を噤んだ。少しだけ沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「センカが俺の精神をアメリーに託してくれたからここまで来られた。カリバンは一度大きく沈むが、未来は明るいはずだ。その未来を創る為に、センカが頑張らないといけない」
「……どういう、事?」
「俺は元には戻れない。オトギは許されない事をしたから、王になる道も途絶えているが……」
「姿が戻らなくても兄様なら理解してもらえるよ……! それくらいナツメ兄様は王に向いているんだから!」
例え人間の姿に戻れなかったとしても、精神さえ戻ればナツメだ。中身が彼だと知れば国民達も納得してくれるはず。そう思ったが、ナツメは首を左右に振る。
「近くにいた弟の心の闇に気付けなかった男が一国を治める事なんて出来ないよ」
そんな事ない、と言いたかったがナツメの藍色の瞳があまりにも悲しく揺れていたので、センカは言葉を飲み込んでしまった。
ナツメはセンカの右手を両手で包み込んだ。
「センカ、ごめんな。お前には重いものを背負わせる。でも、ハルジオンがいるから大丈夫だ。あの子とはあまり話してやれなかったが、一人の少女を思いやる優しい子だった。お前の事を支えてくれるさ」
嫌な予感がした。兄はどうしてこうも自分に託そうとするのか。自分が王になれないとしてもナツメならセンカの事を支えると言ってくれるはずなのに。
「……兄様がいてくれれば大丈夫よ。ねえ、兄様はずっと側にいてくれるよね?」
「……ごめん」
ナツメの謝罪で、全てを理解した。人間の姿に戻れるとか、そういう問題ではない。ナツメは嘘を吐く事が苦手であり、センカを想うならこんなにも言葉を濁すなんてしない。ナツメはもう、この世には――
「嫌!! 嫌よ!! どうしてこうなるの!? 私はただ……皆で幸せになりたかっただけなのに……」
センカは叫びに近い声を上げて首を大きく振る。
自分の願いはそんなにも叶わぬものなのか。ただ、穏やかな生活を求めただけだというのに。それすらも願ってはいけないのか。
目の前のナツメの姿が滲んでいく。とめどなく溢れる涙がセンカの頬を濡らした。
ナツメはセンカから手を離すと、また優しく抱き締めてくれる。その温もりが心地よくて――悲しい。
「もしかして、ここは死後の世界なの? 私、アリソン君に殺されちゃった? それなら、ここで兄様と一緒にいられる?」
「センカ」
ナツメはあやすように背中を優しく叩いてくれる。だが、今の状態でされたら悲しさが増すだけだった。センカはナツメの抱擁から離れると声が枯れるくらいの叫びを上げる。
「兄様のいない世界で生きられないよ!! こんなに弱い私が王になれるわけがないじゃない!!」
心からの叫びだった。こんなにも卑怯で内向的な自分が王になれるわけがない。カリバン王国を良い方向へ導く事などできない。いつか重責に押しつぶされる未来が見えている。
自分はアメリーのように周りを照らす光のような存在にはなれないし、エンジュのように強く正しく国民を導く事も出来ない。
それならば現実から逃げ出したい。その先にナツメがいるならばそれが良い。
そう思っていると、目の前のナツメが上半身を屈めてセンカと視線を同じにさせる。滲んでよく見えなかったが、その表情は怒っているように見えた。
「お前はハルジオンを一人にするのか? ハルジオンに全てを背負わせるつもりか?」
「……っ」
ハルジオン。死んだと思っていた弟の一人。彼は暗殺部隊として泥水を啜りながら生き抜いてきた。センカよりも過酷な道を生きている。
実験施設には自分と血の繋がった子供はたくさんいるだろう。だが、その者達がハルの支えになれるとは思えない。彼等も酷い道を歩んでいる。これ以上悲しい思いはさせたくない。
それでも――ナツメの死は耐え難い悲しみをセンカにもたらした。何も言えずにただ泣いていると、ナツメは顔を伏せた。
「ごめんセンカ……ごめん……」
「ナツメ兄様……嫌だよ。話したい事がたくさんあるの。ずっと側にいてほしいの。だから帰って来て……」
妹にそう言われ、ナツメは顔を上げる。彼の前髪のカチューシャが目に入った。幼い頃から大切にしていたものだ。センカが欲しがってもこれだけは譲ってくれなかった。
ナツメはセンカの頭をそっと撫でる。
「センカ……お前は気付いていないかもしれないけれど、俺より、オトギより強い心を持っている。その心があったから俺の精神を盗んでアメリーに託した。オトギに見捨てられたハルジオンを救った。そんなお前なら大丈夫さ」
「兄様……ナツメ兄様……」
センカはハッとする。自分の頭を撫でるナツメの手は震えていた。それを感じ、ナツメもこの選択しか出来ない事は心が張り裂ける思いなのだと気が付いた。
兄は昔からそういう人だった。誰かの為ならば前に立ち人を導く男だった。そんな人が妹に全てを託そうとしている。どれだけの苦悩があっただろうか、どのような思いで話をしたのだろうか。そう考えると、また涙が止まらなかった。
これ以上は駄目だ。弱い妹のままでいるとナツメを心配させてしまう。自分を追い詰めてしまう。そう思い、センカは涙を手で強く拭った。そして笑顔を見せる。
「大丈夫よ、兄様。私……カリバン王国を良い国にする。今は頼りないかもしれないけれど、頑張るよ。だから、どうか見守っていて……」
センカの笑顔はぐしゃぐしゃで不格好だったかもしれない。だが、ナツメはその笑顔を見て安堵の表情を見せ、笑顔を浮かべた。大好きな笑顔だ。この笑顔を忘れたくなくて、センカは心に深く刻む。
「ああ。ずっと見守っている。センカなら絶対大丈夫。俺が保証するよ」
そう言いながら、ナツメは自分のカチューシャを取るとセンカの髪に掛ける。とても大事にしていたものを託され、センカは泣きそうになったが何とか堪える。
「大好きよ、ナツメ兄様……これからもずっと」
「俺も好きだよ。センカは大切な妹だ」
ナツメは見たくてたまらなかった笑顔を見せてくれた。
「センカ。カリバンを良い方向へ導いてくれ。そして、どうか幸せで――」
その言葉と共に、辺りは眩い光に包まれる。センカは目を瞑り、そのまま意識を手放した――
**
センカはゆっくりと目を開いた。見慣れぬ天井が視界一面に広がっている。自分には毛布がかけられており、ベッドの横になっていた。記憶の前後が曖昧で少しの間ぼうっとしてしまう。とにかく状況を確認しようと身じろぎをした時だった。
「センカ王女、気が付きましたか」
そう声を掛けられ、センカはビクリと肩を跳ね上げた。アメリーのものにも聞こえる高い声を聴き、今までの記憶が鮮明に蘇った。センカはグルト王国で魔石を奪おうと動き、アリソンに手を掛けようとしたのだ。そのアリソンが、センカの横になっているベッドの側にある椅子に座っていた。
「アリソン君……」
アリソンは頬に治療の後があり何とも痛々しい姿だった。彼は電撃をセンカに食らわせたが、命を奪うまではしなかったようだ。そんな温情のある所が姉のアメリーを彷彿とさせる。カリバンでは不法侵入者は迷わず殺すし、こんな温かいベッドに寝せたりしない。
「私、貴方を殺そうとしたんだよ? どうして……」
「本気で殺そうとしているとは思いませんでした。貴女の魔力なら手負いの私など簡単に殺せるはずでしたから」
アリソンは表情を崩さずに淡々と言う。彼からは表情から感情が読み取れず、何となく不安に思う。昔はアメリーの後ろにひっつく可愛らしい少年だった。今では次期国王にふさわしい表情になっている。
命を奪おうとした相手だというのに、この部屋にはセンカとアリソンしかいない。アリソンは自分が殺されないと思っているのか、信じているのか――恐らく後者だろう。
アリソンは立ち上がると、センカに背を向けて窓の外へ視線を向けた。
「貴女はこれから牢に入れられます。だけど、すぐに解放されるよう私と姉上で父を説得します。姉上ならば賛同してくれるでしょう。カリバンには貴女がいないといけません。優しい貴女ならきっと良い国にしてくれます」
そう言われ、夢で見たナツメのやり取りを思い出した。アリソンはナツメと同じ事を言ってくれた。
センカは自分の前髪に手を伸ばす。そこにカチューシャは無かったが、何となく何処にあるのか分かっているような気がした。
夢の中で我慢していた涙が、一気に溢れだす。あれは自分の都合の良いように見せられた夢ではない。ナツメが会いに来てくれたのだ。最期の力を振り絞って――
「ど、どうかしたのですかセンカ王女」
振り返るとセンカが号泣しており、アリソンは動揺してしまう。冷たい態度過ぎた、と謝ってきたが、センカは違うよ、と言って微笑んだ。
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リヒャルトは、ノブルマート世界の創造神にして唯一神でもあるマリルーシャ様の加護を受けている稀有な人間である。固有スキルは【鑑定】【アイテムボックス】【多言語理解・翻訳】の三つ。他にも【火・風・土・無・闇・神聖・雷魔法】が使える上に、それぞれLvが3で、【錬金術】も使えるが、Lvは2だ。武術も剣術、双短剣術、投擲術、弓術、罠術、格闘術ともにLv:5にまで達していた。毎日山に入って、山菜採りや小動物を狩ったりしているので、いつの間にか、こうなっていたのだ。
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