東海道品川宿あやめ屋

五十鈴りく

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それから

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 溌溂とした浜は、今朝も周りの心配をよそに張りきって仕事に挑む。
 ガチャン、ガチャン、と余計な音がする。すでに客を見送った後であるからいいが、そんな音で客を起こしてはいけない。なるべく音を立てないように動くことも覚えてもらわねば。

 台所で平次は朝餉の味噌汁を作りながら深々と嘆息した。

「お浜って粗忽だな。ありゃハズレだ」
「まだ二日目じゃありやせんか。もうちっと長い目で見てあげねぇと」

 根は悪い子ではない。新しいところに来てすぐに馴染める者の方が少ないだろう。
 すると、平次は目を眇めてみせた。とはいえ、もともと糸目なのだが。

「ま、お前も最初は生意気で気に入らねぇやつだったさ」
「そういう平次さんこそ、すぐに手を抜いてやしたねぇ。それが今ではこんなに立派になって」
「うっせぇな」
「生来、生意気なもんで」

 などと言い合ってハハ、と笑う。そう、高弥も最初は怠け者の平次が好きではなかった。平次もまた、出しゃばりな高弥のことが気に入らなかった。
 それが今では友だと言える。人はどこでどう変わるのかわからないものだ。だから、浜もどこかに転機があり、このあやめ屋に来るべくしてやってきたのだと思える日が訪れるのではないだろうか。

 朝餉の支度の残りを平次に託し、高弥はていたちに声をかけるために台所から出た。すると、板敷のところに浜がいて、志津がいて、元助がいた。
 何やら不穏なものが漂っている。

「――帳場のものには触るな。二度とだ。わかったな」
「あい、すいません」

 帳場格子の中のものには誰も手を触れない。それは大事なものばかりであるから、暗黙の了解というやつである。しかし、浜にはそれがわからなかったようだ。皆の当たり前が浜にとっても当たり前であるとは限らない。
 元助の顔が普段よりもさらに怖いせいか、浜も少しだけしょんぼりとしていた。

「ごめんなさい、元助さん」

 と、志津も謝った。それから、浜にそっと訊ねる。

「お浜ちゃん、どうしてここに触ったのかしら。片づけをするつもりだったの」

 すると、浜は正直に言った。

「帳場には何が置いてあるのかなって気になったんです」
「それだけかよ」
「あい」

 好奇心が旺盛で、それを抑えきれないらしい。元助の頬がヒクヒクと引き攣る。
 高弥はとっさに台所から出た。

「朝餉の支度が整いやしたっ」

 その途端、皆の目が高弥に向く。気まずいが、場の流れを変えたかったのだ。
 元助は舌打ちすると、それ以上何も言わずに高弥を越えて台所に行った。志津は軽く息をつくと、浜に向けてささやく。

「帳場は元助さんがまとめているところで、女将さんでも勝手には触らないわ。奉公先ではいろんな人と一緒に働くんだから、周りの人にも気を遣わないとね」
「あたし、気を遣っていますけど」

 軽く首をかしげた浜は、何故そんなことを言われるのかがわからないといった様子だった。
 そう返された志津も絶句していた。

「めし、が――」

 不穏なその場で、高弥は消え入りそうな声でつぶやいた。


 当然、朝餉の膳を囲んでも話に花が咲くわけでもない。
 元助は不機嫌であったし、志津もどこか沈みがちで、浜はムッとしていた。
 ていは事情を知らないが、なんとなく浜が叱られたのであろうと察したのではないだろうか。これといってそのことには触れず、他愛のない話をしてくれた。

 思えば、実家のつばくろ屋は、皆長く勤めてくれている奉公人ばかりなのだ。高弥と福久とが長じて手伝うようになったこともあり、新入りなど入ってきていない。だから、高弥も己自身がこのあやめ屋に入る時には苦労したし、初手から裏目に出てしまっていた。

 こうして逆の立場で新入りを受け入れるようになって初めて、違う苦労も見えてくる。
 新たな奉公人が増えるというのは大変なことだな、と高弥はしみじみと思った。
 ただ、このあやめ屋で一番の新参は高弥だから、高弥が取りなしてやれることもあるはずだ。


 朝餉を終え、さっそく浜は裏手で洗濯を頼まれていた。志津からやり方を教わってもいたが、十五にもなれば家でやっていたはずだ。盥に水を張り、手ぬぐいや木綿の浴衣などをジャバジャバと音を立てながら洗っている。決して手際はよくない。奉公というよりも、小さな子供が家の手伝いをしているようにしか見えず、水を汲みに来た高弥も苦笑してしまった。

 井戸に近づくと、高弥は釣瓶を手に取りながら浜に声をかける。

「お浜ちゃんは漁師町から来たんだってな。兄弟はいるのかい」

 仕事の話ばかりを皆から詰め込まれても窮屈だろう。少しくらいは他愛のない話を振ってもいいかと思った。
 すると、浜は手を止め、高弥をじぃっと見上げ、それからふと表情を和らげてうなずいた。

「あい、兄ちゃんが二人おります」

 可愛がられて育ったのだろうな、と思える。

「そうかい。おれにも妹がいるよ。丁度お浜ちゃんと同じ十五だ」

 妹がいると聞き、高弥に親しみを覚えてくれたのかもしれない。嬉しそうに顔を輝かせた。

「うちの二番目の兄ちゃんも高弥さんくらいなんですよっ」

 朝の不機嫌は鳴りを潜め、朗らかなものである。そうした切り替わりの早さも、どことなく福久を思わせた。

「妹さんに会ってみたいなぁ。きっと高弥さんと似ていて別嬪さんなんだろうなぁ」

 事実よく似ていると言われる。高弥は母似の女顔なのだ。

「ん、まあ、似ているみてぇだけど」

 女の福久はいい。小町娘と評判だ。
 しかし、高弥のこの顔はあまり褒められたものではないように思う。小柄であるのもそうだ。つばくろ屋を継ぐ頃には、こんな高弥でも貫禄が出ているだろうか。

 すると、浜は盥に浸していた手をピシャンという水音と共に上げた。

「高弥さんって、色白で綺麗なお顔ですよね。初めて見た時からそう思ってました」

 えへへ、と笑いながら浜はそんなことを言った。
 綺麗と称されたことはあまりなかったかもしれない。可愛い、と言われるよりは幾分ましだろうか。

「ありがとうよ、お浜ちゃん」

 本当に綺麗というのとは少し違うようには思うけれど、浜から見てそうだという意味ならばやはりありがとうと言いたい気分であった。
 浜は嬉しそうにうなずく。

 ――と、和んでいる場合ではなかった。浜の手は止まっているし、高弥も水を汲んで戻るところであった。急いで水を汲み上げる。

「じゃあ、昼餉には美味いもんを用意しておくから、気張って洗濯を終わらせてくれよ」
「あいっ」

 晴れやかな笑顔であった。
 少しばかり要領が悪いところはあれど、素直な子だと高弥には思えた。
 それから、浜も高弥には懐いてくれたのである。
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