東海道品川宿あやめ屋

五十鈴りく

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それから

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 そうして、少ない荷物を手にやってきた女中見習いの浜だったが――

「漁師町からきました、浜と申します。どうぞよろしくお頼み申し上げます」

 言葉は精一杯丁寧に――というよりも、こう言えと言われたのであろう文言をそのまま読み上げたようだった。十五という年に見合った子である。

 少々日に焼けたようで、抜けるほどに色が白いとは言い難いが、肌には張りがある。どこかイタチを思わせる顔立ちであった。背が低く、皆が板敷から土間に立つ浜を見下ろすと、本当に小さく感じられた。その代わり、機敏そうではある。そうして、威勢がいい。
 浜の声の大きさに元助が顔をしかめたくらいだ。

「よく来てくれたねぇ。あたしがこのあやめ屋のあるじで、ていっていうんだ。これから大変だとは思うけど、どうか気張って働いておくれね」

 穏やかにていが声をかけると、浜は目をきらきらと輝かせてていを見上げた。

「あい、もちろんでございますっ。ああ、よかったぁ。優しそうな女将さんで。あたし、苛められたらどうしようって心配してたんです」

 などと大きな声で言うから、皆が唖然としていた。思ったことがそのまま口に出る。浜はそうした子のようだった。

 腹蔵ないといえばいいように聞こえるが、なんでも口に出してしまってはいけないこともある。これがもとで揉め事に発展しなければいい、と高弥は少しだけ気を揉んだのであった。
 とはいえ、人懐っこさがある。馴染むのは早いかもしれない。
 ていはフフ、と笑った。

「こっちが番頭の元助。こっちが平次、高弥、それからお志津だよ。お浜はお志津について色々と習っておくれ。お志津、頼んだよ」
「あい、女将さん」

 志津が返事をする中、浜は志津に挨拶をするでもなく、じっと高弥の方を見た。己の顔に何がついているのだろうと、高弥は気になってなんとなく頬を摩った。浜はにこり、と笑うとようやく志津にあれこれと話し始めた。
 志津と浜は梯子段を上がっていく。女部屋に荷物を置きに行ったのだ。その足音を聞きながら、残った面子でささやき合う。

「なんっつぅか、うるせぇガキだな」

 元助は身も蓋もないことを言った。

「十五にしちゃ子供っぽいし、やってけるんでしょうかねぇ」

 平次までそんなことをぼやく。しかし、まだ働いてもいないうちからそんなことを言うものではないだろうに。

「高弥が来た時もこんなふうだったね。だからさ、心配要らないよ」

 と、ていはにこやかであった。そうだといいのだけれど、果たしてどうなることか。
 しかし、高弥はやかましい女子には慣れている。何せ、実家はそんな女子ばかりなのだ。むしろ、呼び込みには向いていると思えた。

「おれもあの時はまだガキでしたんで」

 頭を軽く掻くと、元助が嫌な笑いを浮かべた。

「一年しか経ってねぇっての。おめぇはまだまだ尻の青いガキだろ」

 元助には言われたくないところである。が、高弥は大人になったつもりで言い返さなかった。にこりと余裕を持って笑ってみせる。
 そんな高弥に、平次がボソリと言った。

「背がな、もうちょっと――」

 言いかけて平次が黙ったのは、高弥の形相のせいだろう。それだけは言ってはならないことである。


 そうしたわけで、新入りの浜の教育が始まったのだ。

 浜は漁師の娘とのこと。だからか、幼い頃から荒くれの漁師たちと接してきた分、肝が据わっている。強面の元助にも臆する様子はない。そのことに高弥はほっとした。
 ただ――

「お浜ちゃん、表に水を撒きましょう。ここはこうやって、ね」

 志津が常に浜を連れて何かと教え込んでいる。今も井戸で水を汲んで桶に移す。

「あいっ」

 返事は立派である。
 桶の持ち手をつかんで歩くと、左右に大きく振るものだから、水はザバリ、ザバリ、と零れた。浜の着物も濡れたけれど、あまり気にした様子もない。高弥も水を汲むつもりで来たのだが、それを見て目を瞬かせてしまった。

「あっ、お浜ちゃん、もうちょっとそっと――」

 志津が慌てて浜の後を追っていく。
 もしかすると、少しばかりがさつなところもあるのかもしれない。慣れない仕事ではあるのだから、しばらくは苦労もするだろう。長い目で見てあげなければ、と高弥は苦笑した。


 そうして、昼八つ(午後二時頃)。
 旅籠が客を呼び込む時刻がきた。浜の初仕事である。
 宿場町の最大の賑わいは、なんといっても参勤交代だ。諸国から江戸へ向け、華々しい行列が街道を通過する。

 しかし、文化三年のこの頃――
 通常であれば隔年交代であった参勤交代を三年に一度と定め直し、江戸在留も百日程度に短縮された。人質とされていた大名の妻子が国元へ帰る許可も下りたのである。

 『入り鉄砲に出女』、これまでは関所では江戸に入らんとする武器と江戸から出んとする女とに特別目を光らせていたのだが、もうそうした必要はないのだ。大名の謀反を防ぐための参勤交代や証人制度が緩和されたことの意味は、高弥が詳しく考えることでもないような、考えなくてはいけないような、よくわからないところであった。

 ただわかることは、大名行列が減れば、宿場町の今後に影を落とすのではないかということ。
 大名や側近は本陣や脇本陣に泊まるが、その供侍たちは宿場町の旅籠に泊まるのだ。その分の実入りが減ってしまう。今後は今まで以上にその他の旅人を狙っていかなくては厳しくなる。

 ようやくあやめ屋が立ち直り、勢いづき始めた時に世情が動くとは皮肉なことだが、それを嘆いたところで救いの手が差し伸べられるわけではない。自分たちがあれこれと知恵を絞り、体を張って守らねばならないのだ。

 その大事な時期である。
 表で志津と一緒に並んでいる浜のことを、帳場の辺りでていと元助が気にしていた。高弥と平次も台所の戸に隙間を開け、そこから様子を窺う。
 先に志津がいつものように呼び込みを始めた。それに続いてくれと言い聞かせてある。

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、今宵のお宿はどうぞこのあやめ屋においでくださいませ」

 志津も一年前とは別人のように心地よく声を出すようになった。もともと見目も良いのだから、客引きには向いている。
 そんな志津を手本に、浜も声を張り上げた。

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませぇっ」

 あやめ屋の中で、皆がグッと唸った。しかし、そんなことは知らず、浜は続ける。

「今宵のお宿はぁこのあやめ屋にぃおいでくださぁいっ」

 ――声はでかい。
 しかし、あの小さな体のどこから出しているのだと思う金切声である。思わず耳を塞ぎたくなるような声だった。

「お、お浜ちゃん、あの、あのね――」

 志津が困っている。

「なんだありゃ」

 平次まで呆れていた。見ると、元助が額に手を当ててうつむいている。頭が痛くなる声ではあった。
 ていはきょとんとしている。

「ま、まあ、お浜ちゃんのこたぁお志津さんに任せて、おれたちは夕餉の支度をしやしょう」

 いつまでも手を止めていてはいけない。平次もうなずいて、二人して台所に引っ込んだ。
 それでも、浜の金切声は台所の壁を突き抜けて聞こえた。志津がおろおろとしているのが目に浮かぶようだ。

「どわぁっ」

 あの声で気が散って仕方がないのだ。平次が包丁で指を切った。そういう高弥も、鍋に手を当ててしまい、火傷をした。
 何故だろうか、いつもと同じことをしているというのに、ぐったりと疲れている。


 呼び込みのせいなのか、そうでないのか、そこはこの際はっきりさせずにおくとしよう。けれど、今日は客の入りが少々悪かった。それ故に、余った菜が奉公人たちの膳に多めに載ることになる。

 今日の献立は、鯵の塩焼き、大葉の天麩羅、茄子の胡麻和え、豆腐の味噌汁。
 鯵は化粧塩を施した鰭がピンと立っていて、新しさを物語っている。海辺だけあって、板橋よりも格段に魚が美味い。故郷を贔屓したいところだが、こればかりは認めざるを得なかった。

 浜が使う箱膳は、政吉の使っていたものである。もう政吉とはこうして膳を並べることはない。それが少し寂しくもあり、けれどよいことでもある。政吉は、これ以上ない仕合せを手に入れて去ったのだから。
 そんな皆の思いを浜は知るはずもなく、使い古しの箱膳を使うのだった。

 ただ、大雑把な浜はそんな細かいことは気にしない。膳に載っている料理にしか興味がなかった。

「いつもこんなご馳走なんですかっ」

 と、目を丸くしていた。

「今日はたまたまだ。いつもじゃねぇ」

 元助がすげなく言った。それは冷たい響きである。
 お前のせいだと責めているのではない。ただ、元助が新入りと打ち解けるまでには時が要る。素っ気ないのは誰に対してもだ。

 良くも悪くも、元助は若い娘だからといって甘くなることはない。一人の人として見て、認めるか認めないかだ。偏屈だけれど、元助は一度認めた者のことは何があっても裏切らない。だからこそなのか、そこを越えるまでが大変である。

 しかし、あやめ屋で奉公する以上、元助に認められなければ難しい。
 皆がハラハラしていても、浜はそんな元助に何も思うところはないらしい。

「そうなんですか。じゃあ今日はついてますね」

 などと返す。なかなかの強者だ。
 高弥はある意味感心してしまった。この鈍さは浜の長所かもしれない。

「んん、美味しぃっ」

 浜は奉公人というよりも旅籠に泊まった客ほどにくつろいで見えた。料理をぱくぱくと口に運び、ご満悦である。皆、箸を止めてそんな浜を呆然と見ていた。

「新入りって、もうちっとこう、小さくなってるもんじゃねぇのか」

 ボソ、と平次が言うも、浜は聞いていない。料理に舌鼓を打っている。

「高弥ん時も大概だったがなぁ」

 元助のため息交じりの言葉に、高弥は納得いかないけれど。自分は大人しかった方だと思う。
 すっかり食べ終えた浜は、不意に高弥をじっと見た。

「高弥さん」
「うん、なんだい」

 ちゃんと名を覚えていてくれたようだ。はっきりとした口調で呼ばれ、高弥は浜に顔を向ける。浜は不躾なほどにじっと、まっすぐに高弥を見ている。

「高弥さんは料理人なんですよね。この料理も高弥さんが作ったんですよね」
「ああ、おれと平次さんとで作ったんだ」

 平次は無言で味噌汁をズズ、と啜った。浜もそんな平次に話題を振らない。

「高弥さんってすごいですね。すっごく美味しかったです」
「うん、ありがとう」

 美味しいと素直に声に出してくれるのは嬉しい。本当に子供のようで、福久と接しているような気分になる。
 高弥が笑い返すと、浜もにっこりと笑った。
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