華が閃く

葉城野新八

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第三章 夢よ現よ

二人の花嫁②

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 あさ子の花嫁行列はゆっくりとねり歩き、暮れ六ツ時をすぎてから本一之丁北、諏訪社の入口ちかくにある河原屋敷の門をくぐった。伊右衛門が集めてくれた別の中間仲間が二人待っていて、駕籠の担ぎ手を交替した。
 屋敷のなかには芳しい香が焚かれ、誰かが名調子で歌いあげる高砂たかさごが聴こえる。
 駕籠に乗せられたまま座敷にあがり、次の間までかき入れられた。

「到着いたしました」

 伊右衛門のかしこまった声音に、あさ子は息をとめて威儀をただす。
 ついに駕籠の戸がそっと開かれた。その向こうで待っていた視界は、一周してもどってきてしまったのではないかと思えるほどに原家とよく似た河原家の室礼だった。よその屋敷から応援にきた女中に手を導かれ、赤い薄縁のうえにおりた。
 媒酌人梶原忠之助の奥方が付添役となる。梶原家一千石取りは相模の甲斐武田家遺臣の裔で、三家六家のひとつとして家老職もつとめる家柄だ。河原家は古くから梶原家の組付であるので、これからも代をまたいだ長いつきあいとなる。
 ふかぶかと頭をさげて挨拶をかわし、桜湯を飲みながらつぎの進行をじっと待った。
 襖を一枚へだてた座敷では、しずかな衣擦れの音だけがして、主客の上座がわに座る気配があった。おそらく夫のなる善左衛門が入ったのだろう。

「では――」

 と付添の奥方にうながされ、手を添えて入室した。
 日はすっかり暮れて宵口にさしかかり、部屋の四方をかこむ燭台のうえで絵蝋燭の灯りがやわらかく室内を浮かびあがらせている。綿帽子をかぶり俯きかげんに歩くので室内のことはよく伺えないが、丸に松川菱紋がのった直垂をまとい、烏帽子をつけた善左衛門の左に導かれて座った。
 座敷にあるのは姑となる菊子と、善左衛門の二歳下の弟で岩次郎、菊子の実家である高木家および河原家の近しい縁者だ。善左衛門のとなりに媒酌人の梶原忠之助がいる。
 河原家は先代の勘兵衛がすでに亡くなっていたので、しばらく親子三人で睦まじく過ごしてきたそうだ。あとは中間の伊右衛門と、通いの下女が一人いるだけである。
 二十数人もの縁者や家人が同居する西郷屋敷へ嫁入りした千重子とくらべれば、ずいぶん気楽なほうだ。知行取りの多い家とは必然として屋敷内の人数がふくらむので、家政をとりしきる女はなにかと気をつかうことが多い。
 いよいよ婚礼の式次がはじまった。
 弟の承治とおなじ年ごろをした縁者の少年と少女が、雄蝶役と雌蝶役となる。
 まず大中小の盃がかさねられた三方島台と、熨斗あわび、こんぶ、勝ち栗を三方に配置した引渡ひきわたしの膳を、雄蝶があさ子のまえに置く。
 雌蝶は善左衛門のまえにあった長柄銚子ながえちょうしをもち、付添役の奥方が手にした盃へ三度に分けて酒をそそぎ満たす。
 そしてそれを手渡されたあさ子が三度で飲みほす。これらを小中大と大きさの異なる三つ組の盃をもって繰りかえすのだった。
 三種の盃にはたいせつな意味がこめられてあり、すなわち時の流れをあらわした。
 小は過去。両家の先祖と二人が出会えたことに感謝を捧げる。
 中は現在。これから二人でともに生きてゆく決意をしめす。
 大は将来。両家の繁栄を願い、盃にのぞみを満たして飲みほす。
 神聖なる酒を媒介として三つの心を腹の奥底におさめ、血骨に染みわたらせるという厳粛な儀式である。
 花嫁がおえたあとは、花婿がおなじ手順をすすめる。そのあいだずっと高砂を謡っていなければならない人はたいへんだ。
 花婿がおえたころに鯛の吸い物がでてきて、あらためてもとの通りに重ねられた三方島台は床の間に据えおかれる。
 さいごに新たな家族となる菊子と岩次郎、あさ子が契りの盃事をかわしていったん休息にはいった。
 ほとんど酒を口にしてこなかったあさ子は、すでにほんわりとした夢見心地だ。別室で下げ髪を結わえなおし、菊子が用意してくれてあった古風な小袖に色なおしをした。河原家に迎えられた代々の嫁が袖をとおしてきたもので、染め直したり仕立て直したりしながら繋いできたのだという。しぜんと身と心もひきしまる。
 ややあって座敷へもどると、襖がとりのぞかれてつながれた六畳と八畳の間が、披露の宴席にかわっていた。両家の縁者、友人をふくめ三十人弱が居る。両家の分限からすれば多いほうだろう。
 すでに媒酌人の忠之助より全員の紹介をすませてあり、下座に源右衛門ときせ子の姿もあった。
 海老《えび》、鯣《するめ》が並んでいて、まずはあさ子が河原家の本客と挨拶をしながら盃をとりかわす。
 合間を見はからったように善左衛門の友人二人があらわれた。年嵩で善左衛門とおなじ年ぐらいの若侍が、あらたまって挨拶の口上を述べた。

「このたびはおめでとうございます。私は善左の幼なじみで小池帯刀と申します。塾と日新館ではともに学びました。いまは普請方として割場わりばに出仕いたしております。以後、どうぞよろしくお願い申し上げます」

 つづいて隣の小柄な若侍が頭をさげる。

「私は佐々木只三郎と申します。まだ若輩の学徒にございますが、善左さんの精武流の後輩でございます。入門のときからよく面倒をみていただきました」

 あさ子はその名を承治から聞いたことがある。
 たしか佐々木只三郎といえば精武流の小天狗とも渾名され、ずいぶん際だった小太刀を使うという。年に一度だけひらかれる交流仕合では、年長者を相手にまわしてもことごとく勝ち抜き、藩から鍔二枚をたまわる栄誉を得たそうだ。
 まさかここで会うとは思いもよらず驚くばかりだったが、作法どおり綿帽子のなかでしずかに頭をさげて応じた。
 が、しげしげと無遠慮に見入ってくる只三郎の視線を感じる。

「さりとて、娘子は化粧をするとがらりと変わるものですね。よもやあの女っけのなかった善左さんとおんなべ――」

 帯刀があわててその口を塞いだ。

「これ、只三郎。さっそく酒が過ぎたのではあるまいか、ハハハ。こちらのお宅にはよく伺っておりますので、これからご厄介をおかけすることもあるかもしれません。その時はどうぞよろしくお願いします。あと善左のことですが、われら近習の同輩のあいだでは頭ひとつぶん抜きん出ておりました。背丈ではございません。日新館において外様の筆頭格と首席をあらそうほどの秀才にござりました。少しかわったところもありますが、誠実な人柄をしたよい男です。頼りにして頂いて間違いないと存じます。では、ハハハ……」

 そう言いのこし、只三郎の首根っこをつかまえるように下がって行った。
 帯刀が言いさした外様の筆頭格とは、まちがいなく覚馬のことだろう。近習の子息たちからそう見えていたのかと思うとなんだか面白い。
 ふと気がつけば、高津仲三郎と佐川勝までいるではないか。前日まで式次を覚えることで精一杯だったので、誰がくるのかまで気がまわっていなかったからいまさらのように驚く。
 仲三郎と勝はいまにも掴みかからんばかりに精武流の二人を険しく睨みつけていて、帯刀は目をあわせずに隣の席の人と語らいはじめたが、只三郎は勝と三白眼で火花を散らしながら盃をどんどんあおっている。行方が心配された。
 善左衛門が下座の中央にあらわれた。
 さっと袴をたたみ、手をついて挨拶を述べる。あさ子の目にはその姿が芝居小屋で見た歌舞伎役者よりも整って見えたもので、自分の夫となった人はこうしたものであったのかとあらためて思う。
 
「――本日はお忙しいなかお集まりをいただき、まことにありがとうございます。私、河原善左衛門政良かわはらぜんざえもんまさよしは、こたび晴れて原家より嫁迎えとあいなり、やっと会津武士の末席に加われた思いすらいたします。なにとぞこれからもご指導ご鞭撻のほど、切にお願い申しあげます。ささやかながらではござりますがお振る舞いの酒膳を用意いたしました。どうぞごゆるりとご歓談いただけましたら幸いにござります」

 それからどんどんと、色とりどりの料理と吸い物をのせた本膳がはこばれてきた。
 善左衛門と岩次郎、菊子が席をめぐり、つぎに源右衛門ときせ子がまわりはじめた。
 半時もしてくると酒の酔いがまわって賑やかにかわり、いつのまにか宝蔵院流と精武流の四人は膝をつきあわせて楽しげに語らっている。
 やっと上座にもどってきた善左衛門と無言の挨拶をかわし、雛人形のようになって善左衛門のまえにくる者たちとの賑やかな会話を聞いた。夏の日に人参畑で投げ飛ばした二人もやってきたので恐縮しきりだったが、どうやらあの時の頭巾女があさ子だったとは気づけていない様子でいる。
 やがて宴もたけなわ、祝言そばがでてきてお開きとなった。
 原家でも酒膳を用意してあるので、これからそちらに流れてさらに飲むことになる。菊子と岩次郎が門前にでて、見送りの草鞋酒わらぢざけを大盃で振る舞った。
 すっかり意気投合した仲三郎、勝、帯刀、只三郎は、肩を組んで騒がしく高砂を歌いながら佐川屋敷をめざして行った。
 だが、これで終わりではない。
 あさ子には大事な式次がまだのこっている。
 それは床入りだ。
 綿帽子をかぶったまま寝間へはいると、原家で用意した組蒲団がすでに敷かれてあり、かたわらに酒肴の膳ができてあった。
 ほどなくして善左衛門が入ってきて、無言を保ったままふたたび二人だけで三つ組の盃をかわし、料理に箸をつけた。
 もっともたいへんなのは、高盛にされた白米飯を食べきらないといけないことだ。嫁はこれを食べきってから家族の扱いを受けるというならわしなので残すわけにもゆかない。
 きつく締められた帯をずらしつつなんとか食べ終えると、やっとあさ子は綿帽子をはずし、はじめて花婿と花嫁は真正面から目をあわせて言葉をかわすときを迎える。
 もちろん善左衛門がさきだ。彼が身をまえに傾けて言った。

「此度は当家へ嫁入りをいただき、まことにありがとうございます。これよりは会津のため、また河原家のため、未熟者ながら懸命に努める所存です」

 あさ子はただちに手をついて頭をさげた。

「い、いえ……こちらこそ、ふつつか者ながらよき妻となれますよう励むつもりです。なにとぞお願い申し上げます」
「きっと急なことで驚かれたでしょう。不躾とは知りつつも、私より原家の娘様を当家にお迎えしたいと梶原様に申し上げ、堀様をつうじ打診をいただきました」
「え……」

 はっと驚いて、思わず善左衛門の顔を見上げた。
 通常ならば十七になってから縁談は来る。どうして人よりも半年から一年ほどはやく話がきたのか腑におちた。てっきり源右衛門のほうから名乗りをあげたと思っていたが、ちがったのだ。
 さらに頭を垂れて善左衛門がつづける。

「まずもって、お詫びをしなければなりません。じつのところ貴方を拝見したのはこの春先のこと。黒河内先生の稽古場で据えものをみごとに断った一件を隣の間からうかがっておりました」

 薙刀で据えものを斬ったあの日のことを言っている。

「――圧倒されました。まるで会津娘子の鑑のようなお方だと思いました。ぜひともこのお方でなければならぬと身勝手にも思い至り、心に決めました次第です。これは理屈ではございませんでした」
「なんと……」

 まさか父と母から外では披露を控えるようにと戒められてきた武芸によって、嫁入りさきが決まったとは思いもよらなかった。ましてや一人の立派な男子から、真正面から思いを告げられたのは、もちろんはじめての経験になる。
 つと不意に、くらりと眩暈を覚えたのは、三献の儀で口にした酒のせいでもなく、ましてや婚儀の緊張から開放されたせいでもなかった。
 もうそのあとのことは、よく覚えていない。
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