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第二章 蝶よ花よ
あさ子の剣②
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嘉永四年(一八五一年)の二月下旬。
きびしい冬が過ぎ、だんだん暖かな風が吹くようになると、会津の郷里と山なみはにわかに生氣がみなぎってくる。黒くしめった土手や川べりには、蕗、土筆、蓬などの野草がいっせいに芽をふいて、花が咲く季節はもうすぐだ。
だが季節がめぐろうとも原屋敷の朝はいつもかわらない。
とたとたと雨戸をあけて姿をあらわした一人の娘子が、縁側から素足のままひらりと、音もなく庭先に舞いおりた。
女にしてはやや背丈がたかく五尺二寸(一五六センチ)ある。
身がきりりとひきしまり、胸をはって凛とのびた背は、武芸者特有のものだ。
白地に紅刺し子の稽古着と、会津木綿の義経袴がすがすがしい。
瞳は黒々と大きく、切れ上がった奥二重のまぶたは、つんとちいさくとがった鼻とともに強気な内面をそのままあらわしている。
滑るような足どりで庭の中央まであゆみでると、明るくなりかけた東の天にむきなおり、拝礼して手をあわせた。
「ノウマクサンマンダ、バザラダン、カン――」
左にさげてある使い古した木剣を、抜刀の動作をもって中段にかまえると、左足を西にひきながら右肩をつきだし、極端な半身構えとなる。
そのまま座りこんでしまうのではないかと思えるほど深く腰をしずめ、水平にねせた木剣の切っ先を肩口において東にむけた。
瞬刻、華が閃く。
低い姿勢のまま、頭上に切っ先で孤をえがきながら長い距離を前にでて、身に巻きつくような軌道からピュンと甲高い音を鳴らした。
屋敷林の枝にとまっていたセキレイが、チチッとおどろいて羽ばたいてゆく。
十年間、習慣としてきた型稽古のはじまりである。
あさ子は十六歳になった。
父がやるのを見よう見まねでおぼえた五本の型は、いまや力強く、はやく、よどみなく、寸分たがわず正確だ。毎日の稽古で踏みかためられた箇所には草も生えてこない。
古きを墨守する安光流の足さばきは、いまどき流行する剣法とも趣がはるかにちがった。踵をうかせ右左右左とすすむ送り足ではなく、右左右、または左右と雪氷を踏みしめるような足どりで移動する平常足である。
剣術に蔓延する昨今の風潮について、源右衛門がしばしば憂いている。
「さいきん江戸では、長い竹刀をこさえて突きを多用し、ちまちました足どりで長い袴をひきずるものを剣術とよび、それが馬鹿みたいに隆盛している。だがあんなものは剣術ではない。綺麗な板間でやる竹刀稽古のための竹刀稽古にすぎない。型にこめられた先人の真意をよく知ろうともせず、ただ勝ちにはやり、本質からはずれた不遜な改悪をきそっている。あれではいざというとき何の役にも立たない。すなわち武家の心得として不忠なのだ――」
ふだんは大雑把な人であるが、武芸のこととなると別人のように目が厳しくなる。
そんなわけであさ子は、師である父のいましめを稽古着にいたるまで守りつづけてきた。
五本の型稽古がおわったころ、弟の承治が稽古着姿で縁側にでてきた。
あさ子があきれ顔で頬をふくらませる。
「おそい、とっくにお日さまはのぼりました」
「すみません……ゆうべは父上たちがどうにもうるさくて寝つけませんでした。すぐに準備しますから手合わせをお願いします」
「型はやらないのですか」
「ああ、いつも日新館でやっているから大丈夫です」
「もう、またそんなことを……」
承治は十三歳になった。さいきん背丈がみるみるのびてきて、あさ子を追い越しつつある。でも姉の目からすれば大きくなったのは体ばかりで、姉妹に挟まれながら甘やかされて育ったせいか自己を律しきれないところがある。
武芸好きである点は原家の男子らしく、あさ子とおなじで剣術をはじめたのは早かった。父ゆずりのよい素質もそなえ、同世代のなかでは抜きんでているらしい。
が、日新館に入学したとき、なぜだか太子流をえらんだ。
あさ子は不満に思い引きとめようとしたが、源右衛門も、
「よいのではないか、安光流はわが家のお家芸というわけでもない。なにをかくそう死んだ父は太子流だった。また原の親族に太子流の指南役がいるから、節に品物を贈る手間が減ってきせもよろこぶ」
などとこだわりがなかったので、渋々あきらめた。
しばらくして気づいたことだが、どうやら承治はあさ子から長年叩きのめされてきた雪辱を晴らそうとして、安光流にはない新しい技が追加された太子流をえらんだらしい。だからあさ子との稽古では、型や組太刀をすっとばして打ち込み稽古をやりたがる。
二人は慣れた手つきでめいめいに防具を着用し、念いりに股立ちをとった。
安光流の防具は胴をつけない。肩から肘までをまもる掩膞と、紐がついた綿入りの座蒲団のようなものを面として冠るだけだ。面鉄と胴、籠手をつけてやる者もあるが、あれはかぎられた視界のなかで動くので違和感があるし値段もたかい。しかもすぐ臭くなって額の肌が荒れる。嫁入りまえなのに面ずれなどしようものならたいへんだ。屋敷の庭のなかでやるぶんには、昔ながらの装いで十分である。
竹刀は四本の割竹を四角にくみあわせ、麻紐でくくり、それを革袋にいれたものだ。あさ子の竹刀は鍔先二尺四寸、承治は二尺六寸のものをつかう。
距離をおいて向かいあった二人は、蹲踞して地のうえに竹刀をおいて礼をかわし、さっと立ちあがって構えあった。
あさ子は安光流の教えどおり、腰を深くしずめた脇構えをとる。
かたや承治が色々と試してくるのはいつものことだが、今朝はやや腰高で、今どきの傾向をとりいれたものだった。中下段に剣先ゆらしながら探りをいれてくる。
その動きはあさ子も知っている。
「一刀流の真似ごとなんて、くだらない――」
間合いがつまった刹那、承治がたんっと地を蹴って、中中上段とするどい突きをいれてきた。
あさ子は冷静に寸前で見切り、三本目をパンと払った。
が、じつはそれは承治の誘いで、払われた勢いをかりて回転をおびながら、下からくる軌道で小手打ちをねらってきた。
弟が考える姑息な策などおおよそ見当がついている。にべもなくおさえ、すくいあげて踏みこんだ。
つかみ合うほどの間合いのなか、たがいの手のうちをよく知りつくした姉弟のはげしい応酬がつづいた。
大きく、小さく、まっすぐに、あるいは曲となって円をめぐり、さからわずに従い、ときに力づよく封じこめ、鏡合わせのようになって攻防する。
天地風雲、龍虎鳥蛇――
源右衛門がさずけたとおりの、八卦八陣の理が季節めぐりのようにうつろう。
やがてそれを一掃したのは、あさ子が身ごと横薙ぎにはなった一刀だ。まるで薙刀のような軌道で、首を刈りとる勢いだった。
危険を察知した承治は、あわてて剣をつきたてて受けたのであるが、いきおい身がこわばって力で対抗してしまった。
「まずい――」
と覚ったがもう遅い。
あさ子はその一瞬を見逃さなかった。直線にきた力をさっとすくいとり楕円に乗せ、小さな穴から堤防を決壊させる怒濤のごとく返してやる。
すると承治の背がのびきって首がそっくりかえり、うっと小さな呻き声をもらして天をあおぎながらたたらを踏んだ。
「えい、えいッ!」
あさ子の気合いが響きわたる。
承治の身はがら空きとなったところを縦横に打ち抜かれ、その場にぐしゃりと叩きつぶされたのだった。
きびしい冬が過ぎ、だんだん暖かな風が吹くようになると、会津の郷里と山なみはにわかに生氣がみなぎってくる。黒くしめった土手や川べりには、蕗、土筆、蓬などの野草がいっせいに芽をふいて、花が咲く季節はもうすぐだ。
だが季節がめぐろうとも原屋敷の朝はいつもかわらない。
とたとたと雨戸をあけて姿をあらわした一人の娘子が、縁側から素足のままひらりと、音もなく庭先に舞いおりた。
女にしてはやや背丈がたかく五尺二寸(一五六センチ)ある。
身がきりりとひきしまり、胸をはって凛とのびた背は、武芸者特有のものだ。
白地に紅刺し子の稽古着と、会津木綿の義経袴がすがすがしい。
瞳は黒々と大きく、切れ上がった奥二重のまぶたは、つんとちいさくとがった鼻とともに強気な内面をそのままあらわしている。
滑るような足どりで庭の中央まであゆみでると、明るくなりかけた東の天にむきなおり、拝礼して手をあわせた。
「ノウマクサンマンダ、バザラダン、カン――」
左にさげてある使い古した木剣を、抜刀の動作をもって中段にかまえると、左足を西にひきながら右肩をつきだし、極端な半身構えとなる。
そのまま座りこんでしまうのではないかと思えるほど深く腰をしずめ、水平にねせた木剣の切っ先を肩口において東にむけた。
瞬刻、華が閃く。
低い姿勢のまま、頭上に切っ先で孤をえがきながら長い距離を前にでて、身に巻きつくような軌道からピュンと甲高い音を鳴らした。
屋敷林の枝にとまっていたセキレイが、チチッとおどろいて羽ばたいてゆく。
十年間、習慣としてきた型稽古のはじまりである。
あさ子は十六歳になった。
父がやるのを見よう見まねでおぼえた五本の型は、いまや力強く、はやく、よどみなく、寸分たがわず正確だ。毎日の稽古で踏みかためられた箇所には草も生えてこない。
古きを墨守する安光流の足さばきは、いまどき流行する剣法とも趣がはるかにちがった。踵をうかせ右左右左とすすむ送り足ではなく、右左右、または左右と雪氷を踏みしめるような足どりで移動する平常足である。
剣術に蔓延する昨今の風潮について、源右衛門がしばしば憂いている。
「さいきん江戸では、長い竹刀をこさえて突きを多用し、ちまちました足どりで長い袴をひきずるものを剣術とよび、それが馬鹿みたいに隆盛している。だがあんなものは剣術ではない。綺麗な板間でやる竹刀稽古のための竹刀稽古にすぎない。型にこめられた先人の真意をよく知ろうともせず、ただ勝ちにはやり、本質からはずれた不遜な改悪をきそっている。あれではいざというとき何の役にも立たない。すなわち武家の心得として不忠なのだ――」
ふだんは大雑把な人であるが、武芸のこととなると別人のように目が厳しくなる。
そんなわけであさ子は、師である父のいましめを稽古着にいたるまで守りつづけてきた。
五本の型稽古がおわったころ、弟の承治が稽古着姿で縁側にでてきた。
あさ子があきれ顔で頬をふくらませる。
「おそい、とっくにお日さまはのぼりました」
「すみません……ゆうべは父上たちがどうにもうるさくて寝つけませんでした。すぐに準備しますから手合わせをお願いします」
「型はやらないのですか」
「ああ、いつも日新館でやっているから大丈夫です」
「もう、またそんなことを……」
承治は十三歳になった。さいきん背丈がみるみるのびてきて、あさ子を追い越しつつある。でも姉の目からすれば大きくなったのは体ばかりで、姉妹に挟まれながら甘やかされて育ったせいか自己を律しきれないところがある。
武芸好きである点は原家の男子らしく、あさ子とおなじで剣術をはじめたのは早かった。父ゆずりのよい素質もそなえ、同世代のなかでは抜きんでているらしい。
が、日新館に入学したとき、なぜだか太子流をえらんだ。
あさ子は不満に思い引きとめようとしたが、源右衛門も、
「よいのではないか、安光流はわが家のお家芸というわけでもない。なにをかくそう死んだ父は太子流だった。また原の親族に太子流の指南役がいるから、節に品物を贈る手間が減ってきせもよろこぶ」
などとこだわりがなかったので、渋々あきらめた。
しばらくして気づいたことだが、どうやら承治はあさ子から長年叩きのめされてきた雪辱を晴らそうとして、安光流にはない新しい技が追加された太子流をえらんだらしい。だからあさ子との稽古では、型や組太刀をすっとばして打ち込み稽古をやりたがる。
二人は慣れた手つきでめいめいに防具を着用し、念いりに股立ちをとった。
安光流の防具は胴をつけない。肩から肘までをまもる掩膞と、紐がついた綿入りの座蒲団のようなものを面として冠るだけだ。面鉄と胴、籠手をつけてやる者もあるが、あれはかぎられた視界のなかで動くので違和感があるし値段もたかい。しかもすぐ臭くなって額の肌が荒れる。嫁入りまえなのに面ずれなどしようものならたいへんだ。屋敷の庭のなかでやるぶんには、昔ながらの装いで十分である。
竹刀は四本の割竹を四角にくみあわせ、麻紐でくくり、それを革袋にいれたものだ。あさ子の竹刀は鍔先二尺四寸、承治は二尺六寸のものをつかう。
距離をおいて向かいあった二人は、蹲踞して地のうえに竹刀をおいて礼をかわし、さっと立ちあがって構えあった。
あさ子は安光流の教えどおり、腰を深くしずめた脇構えをとる。
かたや承治が色々と試してくるのはいつものことだが、今朝はやや腰高で、今どきの傾向をとりいれたものだった。中下段に剣先ゆらしながら探りをいれてくる。
その動きはあさ子も知っている。
「一刀流の真似ごとなんて、くだらない――」
間合いがつまった刹那、承治がたんっと地を蹴って、中中上段とするどい突きをいれてきた。
あさ子は冷静に寸前で見切り、三本目をパンと払った。
が、じつはそれは承治の誘いで、払われた勢いをかりて回転をおびながら、下からくる軌道で小手打ちをねらってきた。
弟が考える姑息な策などおおよそ見当がついている。にべもなくおさえ、すくいあげて踏みこんだ。
つかみ合うほどの間合いのなか、たがいの手のうちをよく知りつくした姉弟のはげしい応酬がつづいた。
大きく、小さく、まっすぐに、あるいは曲となって円をめぐり、さからわずに従い、ときに力づよく封じこめ、鏡合わせのようになって攻防する。
天地風雲、龍虎鳥蛇――
源右衛門がさずけたとおりの、八卦八陣の理が季節めぐりのようにうつろう。
やがてそれを一掃したのは、あさ子が身ごと横薙ぎにはなった一刀だ。まるで薙刀のような軌道で、首を刈りとる勢いだった。
危険を察知した承治は、あわてて剣をつきたてて受けたのであるが、いきおい身がこわばって力で対抗してしまった。
「まずい――」
と覚ったがもう遅い。
あさ子はその一瞬を見逃さなかった。直線にきた力をさっとすくいとり楕円に乗せ、小さな穴から堤防を決壊させる怒濤のごとく返してやる。
すると承治の背がのびきって首がそっくりかえり、うっと小さな呻き声をもらして天をあおぎながらたたらを踏んだ。
「えい、えいッ!」
あさ子の気合いが響きわたる。
承治の身はがら空きとなったところを縦横に打ち抜かれ、その場にぐしゃりと叩きつぶされたのだった。
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