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【一章】『運命の番』編
37 「そんな事ないっ…!」
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翌日の午後、迎えに来てくれたお兄様と一緒に、俺は大和が入院している特別個室を目指して、病院の廊下を歩いていた。
昨夜一泊をΩ病棟の個室で過ごした俺は、朝食後少ししてから、丹羽先生の診察を受けた。結果は問題無し。まだ初期だから安心は出来ないけれど、今の所は流産の兆候は見られず良好。あと一週間程で心音が確認出来るらしい。
その後も個室で過ごしていると、昼食を食べ終えた頃に、お兄様と門脇さんが来てくれた。午前に会議が一本入っていたから、それに参加してから来てくれたらしい。社長さんも大変だなぁ、と思った。
「体調に問題がないようなら、今から大和の所に案内したいのだが…」
お兄様が言った。
俺は傍にいた丹羽先生を見つめた。昨日の今日だから、一応主治医?の先生の許可が必要だと思った。
「今は安定していますし、大丈夫でしょう。
た・だ・し、興奮しては駄目ですよ?」
にっこり笑顔で許可を出してくれた先生の念押しが、少しだけ怖かった。
そして今。
お兄様と門脇さんが前を歩き、俺と付き添いで付いて来てくれた先生は、二人の後ろを並んで歩いていた。
「…先生、俺、緊張で胸がドキドキするんだけど、赤ちゃん達、大丈夫かな…?」
緊張にドキドキする胸を押さえながら囁き声で訊く俺に、先生は苦笑を洩らした。
なんで…?
「胸のドキドキくらいは大丈夫ですよ。もしかしたら、赤ちゃん達もパパに会えるから緊張してるかも知れませんね」
パパ…。
そっか。君達もパパに会えるんだもんね。
俺と一緒だ。俺も…ママも緊張してるよ。
やがて、一つの部屋の前に到着した。
特別個室のプレートの下には『一ケ瀬大和様』。
この部屋の中に大和が……。
お兄様がノックすると、すぐに返事があった。
聞き間違える筈がない。大和の声だ。
お兄様がドアを開け室内に入る。俺は少し入り口で待機。お兄様が先に少し話をするらしい。
俺は入り口に立ち、室内を見回した。まず目の前にパーティションがあった。目隠し用だろう。入り口からはベッドが直接見えない仕様になっている様だ。さすが特別個室。一般個室よりも更に広い。完備されているシャワールームとトイレも広そうだ。
程なく、目隠しの向こうからお兄様と大和の声が聞こえてきた。
『おはよう、大和』
『おはよう、兄さん。もう昼だけどね』
『良いんだよ。今日会うのは初めてなんだ』
『そうだね。でも兄さん、暇なの? 毎日来てるけど。会社、大丈夫?』
『ふっ…。言うじゃないか、大和。仕事終わらせてから来てるんだよ。可愛い可愛い弟に会いたくてな』
『可愛いは余計。いつまでも子供扱いしないでほしいな』
『私から見れば十分子供だろう?』
『そりゃあ、兄さん達から見ればね…』
『拗ねるな拗ねるな。可愛いだけだぞ?』
声しか聞こえないけれど、「家族の前ではこんな感じなんだ」と、俺は大和の意外な一面を知った。俺の知る大和は、同い年なのにとても大人びて見えたから。いつも凛としていてカッコよかったから。甘える大和なんて想像出来ない。
パーティションの向こうで二人の会話は続く。
『今日は何をしたんだ?』
『いつもと同じ。ご飯食べて、兄さんが持ってきてくれた本を読んだり、パソコンで映画みたり。後は、窓から景色見てた』
『そうか。ずっとベッドの上でか? 歩いてみたりは? 先生にも歩いた方がいいと言われただろう?』
『シャワーとトイレは一人でしたけど』
『シャワーもトイレも、すぐそこじゃないか。半月はまともに歩いてないんだ。筋力も少し落ちてる。外に出ろとは言わないが、部屋を出て廊下を歩くぐらい出来るだろう?』
『………。毎日、同じ事……』
『言っても聞かないからだろう?』
『……………』
お兄様に「歩け」と言われて大和が黙った。
「……………」
俺は無言で門脇さんを見つめた。
「此処に運ばれた時の大和様の衰弱は酷く、診察してくださった先生の話では、生存本能で水分補給はしていた様ですが、一週間はまともに食事をしていなかった様です。その為に体力は著しく低下、入院してから点滴から始まり段階を経て普通の食事に戻りましたが、それでもまだ、成人男性が必要とするカロリーの半分程しか召し上がりません。その上、必要最低限の時しかベッドからお出にならないのです。これでは、体力だけでなく筋力も戻る筈がございません。雄大様が毎日顔をお出しになり説得をされるのですが…。
まるで、ご自分がどうなってもいい…と自暴自棄になられている様で……」
小声で耳打ちする様に教えてくれた。
「……………」
衝撃だった。言葉も出ない。
自暴自棄…。その言葉が胸に圧し掛かる。
その時、大和の、それこそ投げやり…と言える言葉が耳に届く。
『兄さん、煩い。俺、自分の存在理由が判らないんだ。俺に生きている意味なんてあるのかな…。無いよね、きっと。だって、今俺の世界は灰色だもん。その灰色の世界でずっと…なんて辛い。
俺に…αの俺に生きる価値なんて……』
『大和、何を馬鹿な事を……』
「そんな事ないっ…!」
思わず俺は部屋の中に飛び込み、叫んでいた。
「……………」
大和の視線がゆっくりとした動作で俺を捉え、彼の目が大きく見開かれる。
「そんな事ないよ。そんな悲しい事…言わないで……」
「…なぎ…さ……?」
「…うん」
「…!」
大和が俺に手を伸ばす。が、体力が低下している大和はベッドの上でバランスを崩した。俺に向かって手を伸ばしたままの大和の体をお兄様が支える。
俺は大和に駆け寄り、伸ばされた両手を握った。
「渚…? 本当に…?」
「…うん」
俺が頷くと、大和の瞳から涙が溢れた。俺の瞳からも同じ様に……。
お兄様がゆっくりと大和から腕を放し、俺は大和の手から手を放して、代わりに彼の体を両腕でそっと抱き締めた。
逞しかった体が、ひと回り細くなっていた。
切なさに胸が苦しくなった。
俺の肩に顔を埋めて啜り泣く大和。俺も大和の肩に顔を埋めた。
泣きながら抱き締め合う俺達の背後から、ドアの閉まる音がしたー。
昨夜一泊をΩ病棟の個室で過ごした俺は、朝食後少ししてから、丹羽先生の診察を受けた。結果は問題無し。まだ初期だから安心は出来ないけれど、今の所は流産の兆候は見られず良好。あと一週間程で心音が確認出来るらしい。
その後も個室で過ごしていると、昼食を食べ終えた頃に、お兄様と門脇さんが来てくれた。午前に会議が一本入っていたから、それに参加してから来てくれたらしい。社長さんも大変だなぁ、と思った。
「体調に問題がないようなら、今から大和の所に案内したいのだが…」
お兄様が言った。
俺は傍にいた丹羽先生を見つめた。昨日の今日だから、一応主治医?の先生の許可が必要だと思った。
「今は安定していますし、大丈夫でしょう。
た・だ・し、興奮しては駄目ですよ?」
にっこり笑顔で許可を出してくれた先生の念押しが、少しだけ怖かった。
そして今。
お兄様と門脇さんが前を歩き、俺と付き添いで付いて来てくれた先生は、二人の後ろを並んで歩いていた。
「…先生、俺、緊張で胸がドキドキするんだけど、赤ちゃん達、大丈夫かな…?」
緊張にドキドキする胸を押さえながら囁き声で訊く俺に、先生は苦笑を洩らした。
なんで…?
「胸のドキドキくらいは大丈夫ですよ。もしかしたら、赤ちゃん達もパパに会えるから緊張してるかも知れませんね」
パパ…。
そっか。君達もパパに会えるんだもんね。
俺と一緒だ。俺も…ママも緊張してるよ。
やがて、一つの部屋の前に到着した。
特別個室のプレートの下には『一ケ瀬大和様』。
この部屋の中に大和が……。
お兄様がノックすると、すぐに返事があった。
聞き間違える筈がない。大和の声だ。
お兄様がドアを開け室内に入る。俺は少し入り口で待機。お兄様が先に少し話をするらしい。
俺は入り口に立ち、室内を見回した。まず目の前にパーティションがあった。目隠し用だろう。入り口からはベッドが直接見えない仕様になっている様だ。さすが特別個室。一般個室よりも更に広い。完備されているシャワールームとトイレも広そうだ。
程なく、目隠しの向こうからお兄様と大和の声が聞こえてきた。
『おはよう、大和』
『おはよう、兄さん。もう昼だけどね』
『良いんだよ。今日会うのは初めてなんだ』
『そうだね。でも兄さん、暇なの? 毎日来てるけど。会社、大丈夫?』
『ふっ…。言うじゃないか、大和。仕事終わらせてから来てるんだよ。可愛い可愛い弟に会いたくてな』
『可愛いは余計。いつまでも子供扱いしないでほしいな』
『私から見れば十分子供だろう?』
『そりゃあ、兄さん達から見ればね…』
『拗ねるな拗ねるな。可愛いだけだぞ?』
声しか聞こえないけれど、「家族の前ではこんな感じなんだ」と、俺は大和の意外な一面を知った。俺の知る大和は、同い年なのにとても大人びて見えたから。いつも凛としていてカッコよかったから。甘える大和なんて想像出来ない。
パーティションの向こうで二人の会話は続く。
『今日は何をしたんだ?』
『いつもと同じ。ご飯食べて、兄さんが持ってきてくれた本を読んだり、パソコンで映画みたり。後は、窓から景色見てた』
『そうか。ずっとベッドの上でか? 歩いてみたりは? 先生にも歩いた方がいいと言われただろう?』
『シャワーとトイレは一人でしたけど』
『シャワーもトイレも、すぐそこじゃないか。半月はまともに歩いてないんだ。筋力も少し落ちてる。外に出ろとは言わないが、部屋を出て廊下を歩くぐらい出来るだろう?』
『………。毎日、同じ事……』
『言っても聞かないからだろう?』
『……………』
お兄様に「歩け」と言われて大和が黙った。
「……………」
俺は無言で門脇さんを見つめた。
「此処に運ばれた時の大和様の衰弱は酷く、診察してくださった先生の話では、生存本能で水分補給はしていた様ですが、一週間はまともに食事をしていなかった様です。その為に体力は著しく低下、入院してから点滴から始まり段階を経て普通の食事に戻りましたが、それでもまだ、成人男性が必要とするカロリーの半分程しか召し上がりません。その上、必要最低限の時しかベッドからお出にならないのです。これでは、体力だけでなく筋力も戻る筈がございません。雄大様が毎日顔をお出しになり説得をされるのですが…。
まるで、ご自分がどうなってもいい…と自暴自棄になられている様で……」
小声で耳打ちする様に教えてくれた。
「……………」
衝撃だった。言葉も出ない。
自暴自棄…。その言葉が胸に圧し掛かる。
その時、大和の、それこそ投げやり…と言える言葉が耳に届く。
『兄さん、煩い。俺、自分の存在理由が判らないんだ。俺に生きている意味なんてあるのかな…。無いよね、きっと。だって、今俺の世界は灰色だもん。その灰色の世界でずっと…なんて辛い。
俺に…αの俺に生きる価値なんて……』
『大和、何を馬鹿な事を……』
「そんな事ないっ…!」
思わず俺は部屋の中に飛び込み、叫んでいた。
「……………」
大和の視線がゆっくりとした動作で俺を捉え、彼の目が大きく見開かれる。
「そんな事ないよ。そんな悲しい事…言わないで……」
「…なぎ…さ……?」
「…うん」
「…!」
大和が俺に手を伸ばす。が、体力が低下している大和はベッドの上でバランスを崩した。俺に向かって手を伸ばしたままの大和の体をお兄様が支える。
俺は大和に駆け寄り、伸ばされた両手を握った。
「渚…? 本当に…?」
「…うん」
俺が頷くと、大和の瞳から涙が溢れた。俺の瞳からも同じ様に……。
お兄様がゆっくりと大和から腕を放し、俺は大和の手から手を放して、代わりに彼の体を両腕でそっと抱き締めた。
逞しかった体が、ひと回り細くなっていた。
切なさに胸が苦しくなった。
俺の肩に顔を埋めて啜り泣く大和。俺も大和の肩に顔を埋めた。
泣きながら抱き締め合う俺達の背後から、ドアの閉まる音がしたー。
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