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12.文武抗争編
57モノクロームの君 ③
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***
こういうときのルシルほど面白いものはない、と氷架璃は思っている。
「お初にお目にかかります、御母堂様。私は青龍隊の後身、二番隊の隊長を務めております、河道流知と申します。どうぞお見知りおきを……おい、氷架璃、何を笑っている」
「いやぁ、うとめの時といい、いつも偉そうにふんぞり返ってるあんたが低姿勢になるのが、おかしくておかしくて……」
悪い笑みを見せる氷架璃。目元をひくつかせるルシル。その間に割って入った雷奈と芽華実が、あたふたと修羅場化を防ごうとしている間に、もう一人が雷志のほうへと進み出た。
彼女は、まっすぐな姿勢から品のあるきれいなお辞儀をし、落ち着いた声で言った。
「初めまして。希兵隊の時尼美雷司令官より命を受けました、猫力学研究科の天河雪那と申します。お会いできて光栄です」
「あなたが研究者の方? なんてかわいらしいの……ああ、そんなことを言っては失礼ね。どうぞよろしくお願いします、先生」
「先生だなんて、身に余る呼称です。私はまだまだ若輩者の十四歳。どうぞ、雷奈の友達の一人として扱ってください」
「ご謙遜を。でも、あなたがそうおっしゃるなら、お言葉に甘えて。よろしくね、せつなちゃん」
堅苦しいルシルの口上とは異なるものながらも、丁寧で品性のある挨拶をしたせつなに、雷奈と芽華実、そしてルシルをおちょくっていた氷架璃も、口を半開きにして見とれていた。普段のようにおちゃらけるのかと思いきや、深窓の令嬢の名に恥じぬ淑女っぷりだ。思い出してみれば、確かに、雷奈たちと初めて会った時のせつなもおしとやかな雰囲気だった。その後すぐに生来の茶目っ気を発揮したところから考えられるに、猫をかぶっているというより、初対面では相手を問わず礼儀正しく振舞うのが彼女流なのかもしれない。
先ほどまでの座席位置に基づきながらも、せつなと雷志が向かい合う配置にして、全員いったん腰を下ろした。世間話もそこそこに、さっそく本題に入る。
木雪によるチエアリ検知センサー(仮)の貸与に次ぐセンセーショナルなイベントは、せつなによる雷志復活の謎解きだ。
「……という経緯ったい。せつな、わかりそう?」
「んー……確かに、私も美雷さんと同じ見解ね。精神の呼び戻しもさることながら、肉体の蘇りが一番の謎だけれど……」
せつなは少し身を乗り出すようにして、雷志の目をじっと見つめた。何かを見極めようとしているのだろう。雷志も応えるように前傾姿勢になり、せつなの黒目がちな瞳の奥を見つめた。
雷奈たちには、彼女の視覚が何をとらえているのかはわからない。視覚ではない別の感覚を使って看破しようとしているのかもしれない。
いずれにせよ、彼女らにできることは、固唾をのんでせつなの答えを待つことだけだった。
大きな瞳は、依然として、雷志の薄茶色のそれを凝視している。同じだけの熱量で、雷志も相手から目を離さない。
緊張感漂う沈黙がしばらく続いた。
やがて。
「……雷志さん」
「はい」
「わかったことがあります」
「何でしょう」
おもむろに、せつなは告げる。
「……お昼、パエリアでしたね?」
「まあ!」
驚いた顔で口元に両手を当て、ぱっとのけぞる雷志。
「どうしてわかったの?」
「フィライン・エデンのそれは違いますが、人間界のパエリアにはホタテという食材が使われていますね。あれには美肌効果のあるグリシンという物質が含まれています。他にも、パエリアに欠かせない香辛料のサフランには、血行を良くする作用があります。雷志さんのきめ細やかな、血色のきれいなお肌を見ていてわかったんです。それしかないと」
「あらあら! 食べてすぐにそんなに効果が?」
「……というのは冗談で、実際には髪から特徴的な香りが漂ってきただけなんですけどね。グリシンやサフランなどなくても、雷志さんはいつもおきれいなのだと拝察しますわ」
「うふふ、お上手なんだから」
「……って何の話っちゃかぁ!」
残りメンバー全員を代表して、雷奈がローテーブルに両手をばんとついた。これがちゃぶ台だったら見事にひっくり返していることだろう。
「せつな! お前、この局面でふざけるか! いい度胸だな!?」
「だってぇ、いい香りがしたんだもん」
「しかも最後に何を口説いてるんだ! しゃんとしろ! 任務を全うしろ!」
隣のルシルに胸ぐらをつかまれ、がっくんがっくんと揺さぶられたせつなは、「オーケーオーケー」と指でサインを出して解放してもらった。
襟元を正し、再度雷志に向き合う。
さっきと同じように、雷志を見つめるせつな。居住まいを正して同じようにする雷志。
今度こそ真面目な声で、せつなは言った。
「雷志さんは……容姿が雷奈とよく似ていますね」
「ええ、よく言われるわ」
「髪の色といい、前髪の生え際といい。背格好もそうですね」
「そうなの。そんなところまで私に似ちゃったせいで、雷奈ちゃんも身長が伸び悩んでるみたいで……」
「奥様、そんなあなたに朗報です。新商品『セガノビ~ル』が今なら九八〇円」
「あら、お安い」
「今ならさらにもう一本おつけして、一九六〇円」
「まあ! さっそく雷奈ちゃんにも教えてあげなくっちゃ」
「……だから何の話っちゃかぁ!!」
これがちゃぶ台だったら空中三回転二回ひねりしているところである。
「いい加減にしろ貴様ぁ! そんな茶番はお呼びでないんだ! だいたい、もう一本おつけして一九六〇円って何だ! 何の割引も効いていないじゃないか!」
「っていうか、母さんも乗らんで!」
「ごめんねぇ、楽しくなっちゃって」
くすくすと笑う雷志は、本当に少女のようだ。こういう仕草が似合うのも、彼女が若く見える一因なのかもしれない。
「さて、改めて……」
「改めなかった場合どうなるかわかっているな?」
「その左ストレートが飛んでくるんでしょ。わかってるわよ。……とはいえ」
せつなの笑みに、わずかながら苦いものが混じった。その正体がわからなくて、雷奈たちが首をかしげていると、彼女はそのまま視線を雷志に注いだ。
「実はさっきから、ちゃんと見てはいるのよ。見てはいるんだけど……その、ね。信じがたくて」
雷奈たちの頭にさらにはてなマークが連なる。当の雷志も小首をかしげていた。
うーん、とうなった後、せつなは「よし」と姿勢を正した。
「ちょっと本気出してみよっか」
「本気って……」
その意味はすぐに分かった。せつなの左手が自身のうなじに伸びたかと思うと、首に巻き付けている紐チョーカーをするするとほどいていった。
オナモミのチャームが特徴的なチョーカーが外れると、彼女の瞳はルビーのような赤に染まる。
雷志は一瞬目をしばたたかせたが、そう大きくは驚かない。猫力の封印と解放は、身近で見ていたことなのだ。
せつなは真っ赤な瞳で、改めて雷志を観察した。宣言通り、本気も本気なのは、雷奈たちにも察せられた。
本当に真剣な時、せつなの顔に真剣な表情は浮かばない。
その時浮かぶのは、「無」だ。一切の表情が消えるのだ。
本物のルビーをはめ込んだような無機質な視線を、雷志はじっと受け止める。
黒から転ずる赤い瞳。黒髪赤目の容姿。それは、雷志を殺めた者と共通する姿だ。
けれど、雷志は一切怖じることはなかった。前代未聞の謎に挑もうと全力を賭している、目の前のうら若き研究者は、大人の目にはただ健気で愛しく映っていた。
「雷志さん」
せつなは視線を微動だにさせないまま、やおら左手をテーブルの上で差し出した。
「握手しましょう」
「え……はい」
互いに引けを取らない白い手同士が、緩く握り合う。
戸惑うようにせつなの顔と結ばれた手を交互に見る雷志に、今度は大きく身を乗り出して告げる。
「失礼して、腕に触れてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
「せつな、お前はまた何を……」
ルシルが諫めかけるが、せつなの表情は感情の一切を排した機械じみたものだ。
せつなの右手は、握手したままの雷志の左手の袖に触れた。撫でたり、小さくつまんだりして感触を確かめると、「ありがとうございます」と手を放し、外していたチョーカーを首に結びなおした。
「何かわかった……?」
雷志がそわそわと手を引き戻しながら尋ねる。黒い瞳に戻ったせつなは、わずかな間ためらうように目を伏せて黙った後、確信したように皆を見回した。
「信じられないけど」
先ほどまでとは違う、芯の通った声音で、彼女は言った。
「今、この雷志さんを形作っているのは――源子よ」
こういうときのルシルほど面白いものはない、と氷架璃は思っている。
「お初にお目にかかります、御母堂様。私は青龍隊の後身、二番隊の隊長を務めております、河道流知と申します。どうぞお見知りおきを……おい、氷架璃、何を笑っている」
「いやぁ、うとめの時といい、いつも偉そうにふんぞり返ってるあんたが低姿勢になるのが、おかしくておかしくて……」
悪い笑みを見せる氷架璃。目元をひくつかせるルシル。その間に割って入った雷奈と芽華実が、あたふたと修羅場化を防ごうとしている間に、もう一人が雷志のほうへと進み出た。
彼女は、まっすぐな姿勢から品のあるきれいなお辞儀をし、落ち着いた声で言った。
「初めまして。希兵隊の時尼美雷司令官より命を受けました、猫力学研究科の天河雪那と申します。お会いできて光栄です」
「あなたが研究者の方? なんてかわいらしいの……ああ、そんなことを言っては失礼ね。どうぞよろしくお願いします、先生」
「先生だなんて、身に余る呼称です。私はまだまだ若輩者の十四歳。どうぞ、雷奈の友達の一人として扱ってください」
「ご謙遜を。でも、あなたがそうおっしゃるなら、お言葉に甘えて。よろしくね、せつなちゃん」
堅苦しいルシルの口上とは異なるものながらも、丁寧で品性のある挨拶をしたせつなに、雷奈と芽華実、そしてルシルをおちょくっていた氷架璃も、口を半開きにして見とれていた。普段のようにおちゃらけるのかと思いきや、深窓の令嬢の名に恥じぬ淑女っぷりだ。思い出してみれば、確かに、雷奈たちと初めて会った時のせつなもおしとやかな雰囲気だった。その後すぐに生来の茶目っ気を発揮したところから考えられるに、猫をかぶっているというより、初対面では相手を問わず礼儀正しく振舞うのが彼女流なのかもしれない。
先ほどまでの座席位置に基づきながらも、せつなと雷志が向かい合う配置にして、全員いったん腰を下ろした。世間話もそこそこに、さっそく本題に入る。
木雪によるチエアリ検知センサー(仮)の貸与に次ぐセンセーショナルなイベントは、せつなによる雷志復活の謎解きだ。
「……という経緯ったい。せつな、わかりそう?」
「んー……確かに、私も美雷さんと同じ見解ね。精神の呼び戻しもさることながら、肉体の蘇りが一番の謎だけれど……」
せつなは少し身を乗り出すようにして、雷志の目をじっと見つめた。何かを見極めようとしているのだろう。雷志も応えるように前傾姿勢になり、せつなの黒目がちな瞳の奥を見つめた。
雷奈たちには、彼女の視覚が何をとらえているのかはわからない。視覚ではない別の感覚を使って看破しようとしているのかもしれない。
いずれにせよ、彼女らにできることは、固唾をのんでせつなの答えを待つことだけだった。
大きな瞳は、依然として、雷志の薄茶色のそれを凝視している。同じだけの熱量で、雷志も相手から目を離さない。
緊張感漂う沈黙がしばらく続いた。
やがて。
「……雷志さん」
「はい」
「わかったことがあります」
「何でしょう」
おもむろに、せつなは告げる。
「……お昼、パエリアでしたね?」
「まあ!」
驚いた顔で口元に両手を当て、ぱっとのけぞる雷志。
「どうしてわかったの?」
「フィライン・エデンのそれは違いますが、人間界のパエリアにはホタテという食材が使われていますね。あれには美肌効果のあるグリシンという物質が含まれています。他にも、パエリアに欠かせない香辛料のサフランには、血行を良くする作用があります。雷志さんのきめ細やかな、血色のきれいなお肌を見ていてわかったんです。それしかないと」
「あらあら! 食べてすぐにそんなに効果が?」
「……というのは冗談で、実際には髪から特徴的な香りが漂ってきただけなんですけどね。グリシンやサフランなどなくても、雷志さんはいつもおきれいなのだと拝察しますわ」
「うふふ、お上手なんだから」
「……って何の話っちゃかぁ!」
残りメンバー全員を代表して、雷奈がローテーブルに両手をばんとついた。これがちゃぶ台だったら見事にひっくり返していることだろう。
「せつな! お前、この局面でふざけるか! いい度胸だな!?」
「だってぇ、いい香りがしたんだもん」
「しかも最後に何を口説いてるんだ! しゃんとしろ! 任務を全うしろ!」
隣のルシルに胸ぐらをつかまれ、がっくんがっくんと揺さぶられたせつなは、「オーケーオーケー」と指でサインを出して解放してもらった。
襟元を正し、再度雷志に向き合う。
さっきと同じように、雷志を見つめるせつな。居住まいを正して同じようにする雷志。
今度こそ真面目な声で、せつなは言った。
「雷志さんは……容姿が雷奈とよく似ていますね」
「ええ、よく言われるわ」
「髪の色といい、前髪の生え際といい。背格好もそうですね」
「そうなの。そんなところまで私に似ちゃったせいで、雷奈ちゃんも身長が伸び悩んでるみたいで……」
「奥様、そんなあなたに朗報です。新商品『セガノビ~ル』が今なら九八〇円」
「あら、お安い」
「今ならさらにもう一本おつけして、一九六〇円」
「まあ! さっそく雷奈ちゃんにも教えてあげなくっちゃ」
「……だから何の話っちゃかぁ!!」
これがちゃぶ台だったら空中三回転二回ひねりしているところである。
「いい加減にしろ貴様ぁ! そんな茶番はお呼びでないんだ! だいたい、もう一本おつけして一九六〇円って何だ! 何の割引も効いていないじゃないか!」
「っていうか、母さんも乗らんで!」
「ごめんねぇ、楽しくなっちゃって」
くすくすと笑う雷志は、本当に少女のようだ。こういう仕草が似合うのも、彼女が若く見える一因なのかもしれない。
「さて、改めて……」
「改めなかった場合どうなるかわかっているな?」
「その左ストレートが飛んでくるんでしょ。わかってるわよ。……とはいえ」
せつなの笑みに、わずかながら苦いものが混じった。その正体がわからなくて、雷奈たちが首をかしげていると、彼女はそのまま視線を雷志に注いだ。
「実はさっきから、ちゃんと見てはいるのよ。見てはいるんだけど……その、ね。信じがたくて」
雷奈たちの頭にさらにはてなマークが連なる。当の雷志も小首をかしげていた。
うーん、とうなった後、せつなは「よし」と姿勢を正した。
「ちょっと本気出してみよっか」
「本気って……」
その意味はすぐに分かった。せつなの左手が自身のうなじに伸びたかと思うと、首に巻き付けている紐チョーカーをするするとほどいていった。
オナモミのチャームが特徴的なチョーカーが外れると、彼女の瞳はルビーのような赤に染まる。
雷志は一瞬目をしばたたかせたが、そう大きくは驚かない。猫力の封印と解放は、身近で見ていたことなのだ。
せつなは真っ赤な瞳で、改めて雷志を観察した。宣言通り、本気も本気なのは、雷奈たちにも察せられた。
本当に真剣な時、せつなの顔に真剣な表情は浮かばない。
その時浮かぶのは、「無」だ。一切の表情が消えるのだ。
本物のルビーをはめ込んだような無機質な視線を、雷志はじっと受け止める。
黒から転ずる赤い瞳。黒髪赤目の容姿。それは、雷志を殺めた者と共通する姿だ。
けれど、雷志は一切怖じることはなかった。前代未聞の謎に挑もうと全力を賭している、目の前のうら若き研究者は、大人の目にはただ健気で愛しく映っていた。
「雷志さん」
せつなは視線を微動だにさせないまま、やおら左手をテーブルの上で差し出した。
「握手しましょう」
「え……はい」
互いに引けを取らない白い手同士が、緩く握り合う。
戸惑うようにせつなの顔と結ばれた手を交互に見る雷志に、今度は大きく身を乗り出して告げる。
「失礼して、腕に触れてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
「せつな、お前はまた何を……」
ルシルが諫めかけるが、せつなの表情は感情の一切を排した機械じみたものだ。
せつなの右手は、握手したままの雷志の左手の袖に触れた。撫でたり、小さくつまんだりして感触を確かめると、「ありがとうございます」と手を放し、外していたチョーカーを首に結びなおした。
「何かわかった……?」
雷志がそわそわと手を引き戻しながら尋ねる。黒い瞳に戻ったせつなは、わずかな間ためらうように目を伏せて黙った後、確信したように皆を見回した。
「信じられないけど」
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