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第3章 奪還
第27話 ルカナ防衛戦
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ヴェルンドは、最も手薄な防衛拠点をドラゴンラインだと考えていた。
幅二キロに及ぶ防衛線は、馬防柵と土嚢で防御されているが、配置されている兵力はごくわずかで、突破される可能性は低くはなかった。
ヴェルンドは、主戦場であるヌールドの丘ではなく、自己の判断で工房の技師や工員二〇人を引き連れて、防衛線を越えたさらに東に向かっていた。
ヴェルンドは戦車を作ろうとした。だが、ガソリンエンジン、トランスミッション、主砲、砲塔のいずれも開発するには時間がなさ過ぎた。
彼は結局、全装軌車を諦めて原設計のままの半装軌車に切り替え、ガソリンエンジンの替わりに蒸気機関を使った。
主砲は構想さえまとまらず、主砲を旋回するための機構は暗中模索のままであった。
それでも、圧延鋼板を用いた船形のシャーシと正面最大装甲厚二五ミリの全溶接車体は完成していた。
車体自体はイファの蒸気車工場で四輌が作られ、二輌が工房に運ばれていた。
この二輌は砲塔を搭載するためのターレットリングを切削する技術が確立できず、車体上面の鋼板は、複数枚を溶接して組み立てられている。
蒸気機関は車体後部に搭載され、操向は前輪によって行われる。前輪は総ゴムのパンクレスタイヤだ。
後部履帯は、マウルティアの機構をそのまま移植していた。ただ転輪の数は、履帯長が短縮されたことから四個から二個に半減している。前輪は駆動しない。
車内は、最前部に運転席、中央部が戦闘室、最後部に機関室があり、標準的な戦車と同じレイアウトを採用している。
全体の雰囲気は、第二次世界大戦時にアメリカ軍が使用したM20汎用装輪装甲車によく似ている。
主砲が未完成なため、二挺のアークティカ製ブルーノ軽機関銃を搭載した。
ヴェルンドの工房では、この半装軌戦車を二輌作った。
このほかに大型蒸気乗用車のスクラップから四輌の半装軌貨車を作っていた。この四輌のうち二輌が燃水車を牽引し、他の二輌ににわか仕立ての歩兵が乗った。歩兵の武器は、工房製の急増型アリサカ小銃と手榴弾だ。
ヴェルンドの部隊がドラゴンラインを超えたのは、開戦当日の深夜であった。敵の攻撃が始まる五時間前のことだ。
ヌールドの丘から青い発煙弾が打ち上げられた。
この発煙弾は、ドラゴンラインの北端からよく見えた。バルティカ軍の総攻撃が始まったことを知らせるものだ。
ほぼ、同時にドラゴンラインの南端にあるドラゴン砦からも青い発煙弾が打ち上げられた。
間髪を入れず、ドラゴンラインのほぼ中間点にあるドラゴンバック陣地からも青い発煙弾が上がる。
そして、ドラゴンラインの一〇拠点すべてから青い発煙弾が打ち上げられた。
東方騎馬民の総攻撃が始まったのだ。
ヴェルンドの部隊と別行動をとっていた二人の銃工は、六・五ミリ自動小銃を携えて、ドラゴンラインに沿って南に進んでいた。
各拠点の指揮官は二人の武器を見て、「一緒に戦って欲しい」と懇願したが、二人はその願いを振り切ってドラゴン砦に向かっていた。
だが、夜明けの直前、ドラゴンバック陣地から二つ目、ドラゴン砦の二つ手前の第八拠点で東方騎馬民の攻撃に遭遇してしまった。
二人はここで戦わなくてはならなくなった。兵は三人、正規兵は一人、まだ一七歳の少年兵である。指揮官はドラゴンバック陣地に応援要請に出向いており、不在だ。
一挺のアリサカ小銃と二挺のマスケット銃では、どうあがいても防衛できないことは明白で、銃工二人が助勢せざるを得ない状況であった。
銃工二人が持っていた自動小銃は、のちに設計者の名からトカッド小銃と呼ばれることになるが、いまは無名であった。
銃の性格はブローニングM1918BARに似ているが、銃の機構はカラシニコフAK47に範をとっていて、極めて単純かつ高耐久性である。重量は四・四キロと軽く、二〇発入り箱形弾倉、弾薬は六・五ミリ弾、銃口付近に二脚が装着されていた。
この拠点の指揮官は、必然的に一七歳の少年兵となっていた。
この西方から来たという少年は、ミランという名で、西方で数度の戦闘に参加しているという。立派な剣と見事な装飾のマスケット銃を持参、参陣していた。
ミランは、二挺の自動小銃を一〇メートルほど離して配置し、拠点の中央にはアリサカ小銃を配備した。
自分を含めた二人のマスケッターは、手榴弾の投擲で戦う予定だ。
指揮官が戻る前に、馬の蹄の音が丘陵に轟いた。
ドラゴン砦に向かうという二人の男が、ちょうど白湯を飲んでいるところだった。
ミランは覚悟を決めた。
ミランは二人の旅人に支援を求め、状況から二人の旅人は快諾した。というよりも、すぐに戦闘が始まったのだ。
敵は約五〇騎。馬防柵にロープを引っかけて、引き倒そうとするが、自動小銃の反撃に遭いすぐに退却した。
手榴弾は馬防柵が邪魔になり、投擲しにくかった。
この日、東方騎馬民は兵力八〇〇で、馬防柵の突破を転戦しながら試みたが、成功しなかった。
逆に集結すると、どこからともなく鋼鉄の蒸気車が現れて、攻撃を仕掛けてくる。その蒸気車は馬よりも速く走り、馬のように疲れず、馬と同じ地形を走った。
従来の蒸気車とはかけ離れた機動力を持ち、弾が途切れなく発射される強力な銃を積んでいた。
アークティカ人の陣地に近づくと、雨のように銃弾を射かけてくる。
アークティカ人の中心拠点であるルカナの街を襲うグループに入れず、略奪すべきものがない荒野での戦闘は、ドラゴンラインに攻め寄せていた東方騎馬民たちのやる気を削いでした。
彼らは命を賭してまで、戦うつもりはなかった。
ミランは馬防柵によって手榴弾の投擲が阻害されることに気付き、その対策として、馬防柵の外側に手榴弾を予め仕掛けておくことにした。
手榴弾を長さ三〇センチほどの棒に縛り付け、その棒を杭にして地中に打ち込んだ。安全ピンに長い紐を付けて、それを陣地までひっぱておいた。
これを一〇発ほど仕掛け、東方騎馬民が現れると、紐を引いて起爆させた。
ドラゴンラインでは、東方騎馬民の散発的な攻撃に悩まされながらも、戦いの初日はどうにか突破を許さなかった。
ルドゥ川河口付近の河岸段丘を含めた川幅は約二〇〇メートル、ルカナ付近では一六〇メートルある。
この大河を渡る橋は、ルカナの街の北にある石の橋しかない。花崗岩で造られた立派なアーチ橋だ。
この橋の由来は定かではなく、アークティカの地に住んでいた古代人の遺物という説が有力視されている。だが、この橋を守り、修繕し、営々と補強・改良を加えてきたのは、アークティカ人だ。
アークティカ人は北へつながる唯一の陸路として、この橋を愛しんでいた。
北からの侵攻を食い止めるには、この橋を落とす必要があった。だが、もしヌールドの丘が陥落したら、ルドゥ川以北の友軍は、この石の橋を渡る以外に退却路はない。
だから、リケルとスコルは、この橋を鉄板と土嚢で要塞化し、鉄壁の守りを敷いた。
石の橋を守るのは、ヌールドの丘では戦えない六〇歳を超えた高齢の男女ばかりだ。それでも士気は高かった。
ヌールドの丘で戦闘が始まると、石の橋を攻略するためのアトリアの騎兵部隊が殺到してきた。
アトリアの軽騎兵は馬上からマスケット騎銃を発射し、石の橋に対して早朝から波状攻撃を繰り返し仕掛けてきた。
だが、石の橋を守る兵士たちは、頑強に抵抗した。
石の橋を守る兵士たちは、アリサカ小銃とフリントロック式ライフル銃、そしてアレナス造船所が開発した中折れ単発ライフル銃をもって、徹底抗戦した。
アレナス造船所は、社主であるシビルスが持っていた水平二連散弾銃をモデルに、単発の七・九二ミリモーゼル弾を発射する銃を開発した。単純な構造で、量産性に優れているが、中折れ機構に脆弱性があった。だが、急務の用には最適な武器である。
この銃の銃身は頑丈で、擲弾発射機としても有効だ。
地下空間の技術者たちは、急増の大砲を作った。フォッカー戦闘機の主翼に搭載されていたブローニングM2一二・七ミリ重機関銃の薬莢を拡大し、二〇×九四ミリの新型薬莢を開発。この薬莢を空砲として使う、巨大なボルトアクション単発銃を作り、この銃の銃口に巨大な小銃擲弾を被せて発射するという、急造兵器だ。
銃自体がいつ爆砕してもおかしくない代物で、発射の際は引き綱を持って、土嚢の中に隠れるという物騒な兵器だ。砲身、二脚の支持架、底盤で構成されていて、外見は外装式迫撃砲によく似ていた。
砲弾威力は非常に大きく、有効射程は五〇〇メートルを軽く超えた。
石の橋の守備隊は、わずかに一〇〇人。アトリアの軽騎兵は三〇〇。
石の橋の老兵たちは、優秀な銃器、奇想天外な砲、卓越した戦術、そして不屈の闘志で友軍の退路を守っている。
開戦初日の正午頃、石の橋を攻めるアトリア軍軽騎兵部隊は壊滅的な損害を受けつつあった。
だが、アークティカ側も、石の橋の老人たちの疲労が甚だしく、継戦能力は失われつつある。
それでも、ルドゥ川の防衛は保たれていた。
アレナスとルカナの中間にある工業の街イファでは、北岸まで進出したアトリア軍歩兵部隊の渡河を阻止した。
アレナス造船所のシビルスは、稼動可能な全動力船を動員して、河川警備に当たらせ、折り畳み式木造手漕ぎボートによるバルティカ軍の渡河作戦をことごとく阻止していた。
いまだ、恐竜や恐鳥が跋扈するイファの工場内では、かき集められるすべての資材を使って、ヴェルンドの工房が設計した半装軌式蒸気半装軌戦車の製造が進められている。
そして、開戦当日午後、フェンダーや前照灯などは未装備だが、どうにか動くようになった二輌の車輌があった。
この車輌に小銃兵と擲弾発射機となる中折れ単発銃を持った兵四人と、指揮官、操縦手を加えた六名が乗り込み、二輌計一二人をルドゥ川北岸に進出させる作戦が、イファの工場とアレナスの街の共同で立案されていた。
アレナスの街では、この戦車部隊に随伴する自動車化歩兵の志願受付が始まっていた。大型蒸気乗用車二輌に計一八人が同行する計画だ。
四輌を対岸に渡すための無動力艀と艀を押すためのタグボートも用意された。
これら四輌が集結したのは、開戦当日の一五時頃であった。
その頃、石の橋の南側には、二〇ミリ擲弾砲が計四門に増強され、間断なく対岸に撃ち込まれていた。
アトリア軍の軽騎兵は、騎馬突撃が自殺行為であることを早い段階で理解した。そのため、一部を除いてルドゥ川北側の丘陵地帯に後退し、続々と到着する歩兵と共同で、機動性の高い騎砲と歩兵砲を前面に押し出しての総攻撃を企図していた。
総攻撃は夕暮れ間近の一六時とされた。
戦場は混乱の極みにあった。リケルとスコルは、フェイトとキッカがもたらす航空偵察による情報から、敵の動きは察知していたが、味方側がどのような行動をしているのかをつかみかねていた。
ただ、ルドゥ川、マハカム川、ドラゴンラインは突破されていないことは知っていた。
ルドゥ川北岸上陸作戦は、シビルスの総指揮で始まった。イファの桟橋を発した四隻の艀と、八隻のタグボートは、流れの穏やかな川面を最大速度で対岸に向かった。
タグボート四隻は護衛で、艀に先行して川の中程から対岸に向けて擲弾を発射した。
アトリア軍側は最初、アークティカ側の意図を図りかねていた。艀には蒸気車が乗っているが、北岸には段丘があり、蒸気車の登坂は不可能だ。蒸気車を渡河させる意味がない。
だが、理解できない行動だが、アークティカが蒸気車を渡河させようとしていることは、急速に接近する艀の動きを見て明らかだ。
アトリア軍の歩兵部隊指揮官は、残余の兵を集めて、アークティカ軍の上陸阻止を図った。
まず、半装軌蒸気戦車二輌がほぼ同時に着岸。バルティカ軍戦列歩兵一〇〇人の一斉射撃を受けた。
蒸気車は蜂の巣状態になるはずだったが、すべての銃弾を跳ね返して、上陸した。
第二斉射も無意味だった。逆に蒸気車から小銃と擲弾の反撃を受け、戦列歩兵の隊列が乱れる。
ルドゥ川北岸の川岸は蒸気車が縦横無尽に走れるほど広くはない。窪地や泥濘も多い。それに、北岸の堤防の役目をしている段丘の傾斜は蒸気車が登るにはきつい。
アトリア軍指揮官は、兵を段丘の上まで後退させた。そして、隊列を組み直し、一撃を加え、後列と交代してもう一撃を加えた。
だが、蒸気車は止まらない。段丘に近づき、登り始めた。
蒸気車が登り切ると、アトリア軍戦列歩兵はパニックに陥った。
半装軌蒸気戦車の搭乗兵は、本当に銃弾を跳ね返すことができるのか不安だったが、最大二五ミリの圧延鋼板は数百の銃弾に耐えた。また、履帯は地面をよくつかみ高低差五メートルの段丘を登り切り、敵戦列歩兵のまっただ中に飛び込んだ。
もう一輌の半装軌蒸気戦車は、随伴歩兵が乗る大型蒸気乗用車二輌を牽引して段丘の上に登らせている。
アトリア軍指揮官は、生き残っている全兵を集め、ルドゥ川に沿って東西に延びる段丘上の道の東側一〇〇メートルで、再度戦列を立て直そうとしていた。
アトリア兵は勇敢で、指揮官の命令に忠実に従ったが、彼らが戦列を整える前にアークティカの半装軌蒸気戦車が突進してきた。
アトリア軍将兵は、銃弾を発射すると銃を捨て、丘陵を這って北に向かった。
彼らが、ルドゥ川のある南を振り返ることはなかった。
ルドゥ川を渡ったアークティカの四輌の装甲部隊は、川に沿った道を東進した。ルカナ北岸まで行く燃料はある。闇雲に、燃料が続く限り前進するつもりだ。
石の橋の防衛隊は、危機に陥っていた。彼らの前方、小銃擲弾の射程外に軽砲四門が姿を現したのだ。
二門は口径七五ミリ級の騎砲、二門は五七ミリ級の歩兵砲だ。どちらも有効射程は一五〇〇メートルに達する。
石の橋の北岸から八〇〇メートルの位置に、四門の砲が配置された。
アークティカ側も二〇ミリ擲弾砲二門を石の橋北岸まで前進させ、反撃したが、砲弾は届かない。無為に無人の荒野に穴を穿つだけだった。
スコルは、守備に必要な最小の兵を残し、橋の途中に設けてある第二拠点まで、撤退を命じた。
石の橋の北端に残ったのは、たった五名の決死隊だけだ。
アトリア軍の騎砲弾が、アークティカ軍の土嚢を積んだ陣地に命中し、土嚢を突き崩した。さらに、小口径の歩兵砲弾も命中。
石の橋の陥落は、時間の問題となった。
そこにイファの装甲部隊が到着。先頭の半装軌蒸気戦車がアトリア軍に向かって突進する。
幅六メートルはない狭い街道で、アトリア軍の騎砲・歩兵砲連合部隊とアークティカ軍の戦車が距離六〇〇メートルで対峙した。
アトリア軍の騎砲弾がアークティカ軍の戦車の車体前部装甲に命中。戦車は大きく揺れた。アトリア軍から大歓声がわき起こる。
アークティカ軍の戦車兵は、騎砲の命中弾を受けたとき、衝撃の激しさに全員が死を覚悟した。
だが、二五ミリの圧延鋼板は、七五ミリの球形滑腔砲弾を跳ね返した。しかも、機関は正常に作動しており、戦車は無傷だ。
戦車の操縦手は五〇歳をとうに過ぎた男だったが、若者のように高揚していた。血中にアドレナリンが大量に放出され、興奮状態にあった。
彼はアクセルを踏み込むと、戦車をゆっくりと前進させる。
その様子にアトリア軍将兵は恐怖した。アトリア軍の指揮官は冷静で、砲弾が装填済みの歩兵砲の発射を命じた。
アークティカ軍の戦車は、至近で発射されたアトリア軍の小口径歩兵砲弾を苦もなく跳ね返し、速度を上げて突進してくる。
アトリア軍は恐慌に陥り、兵、下士官、将校の別なく、命令の前に後退を始めていた。
戦車の操縦手は、アトリア軍の砲を踏み潰さなかった。彼は二発目の被弾で冷静になり、周囲を観察する余裕を回復していた。
石の橋の守備隊はアトリア軍から四門の鋼製砲を鹵獲し、最初の危機を乗り切った。
マハカム川の南側内陸部に東方騎馬民が集結していることは、フェイトとキッカの偵察で開戦の前日には察知していた。
開戦が近いと悟ったマーリンは、ルカナとコルカに残るメハナト穀物商会の全従業員を賓館一階の大広間に集めた。
この会合には、コルカ村の住民と村に疎開してきたルカナの住民も加わった。参加者は生後数カ月から七〇歳を超えた老人まで、参加者が広範にわたったことから、必然的に年嵩で人生経験が豊富なアリアンが議事進行を受け持つことになった。
会合に集まった多くの村人街人は、すでに思い思いの戦支度を終えていた。
特にメグの装束は、白の厚手のシャツとズボン、黒のジャケットとブーツ、深紅の皮の長衣、黒の鍔広帽子、二挺の拳銃を収めたガンベルト、襷掛けにした弾帯、湾曲の大きい長刀、二挺のレバーアクション銃と、目を引く出で立ちであった。
ミーナとリリィは、「ルキナちゃんのお母さん、格好いいね」と小声で話していた。
アリアンが「なぜ、この場にシュン殿がおらぬのだ。出座をお願いすること、ちゃんと伝えたのか?
誰か、なぜシュン殿がおらぬのか、その理由を知っているか?」
「はい!」
元気よくルキナが手を上げた。
アリアンの目が優しさに溢れた。
「ルキナ、其方は知っておるのか?」
ルキナがニコニコしながら頷き、「マーリン様とリシュリン様がいじめたぁ~」と言った。
「そのようなことを言ってはなりませぬ」とルキナを抱いて椅子に座っていたメグが窘める。
メグの戦士の格好と、慌てふためいた母親の声音のアンバランスが面白く、イリアが吹き出した。
それに即発されて、大人全員が大笑いとなった。ルキナは、楽しそうにメグの顔を膝の上から見上げている。
アリアンは「まぁ、よい。二人は若いからのぅ~」とからかった。
マーリンとリシュリンは、恥ずかしさで真っ赤になり、一気に影が薄くなる。
イリアの一言は、会合の場を和ませ、議事の進行を一気に進ませた。
総大将はイリア、副将はメグと決まり、鉄の橋の南側陣地には、イリア、メグ、ミクリンと軽機関銃三挺が配されることに決まった。
マハカム川下流側の西拠点は、ジャベリンの妻シュクスナが、上流側東拠点はシビルスの妻ティナが指揮官になった。東西の拠点にも軽機関銃が据えられた。
鉄の橋拠点には、ルイス軽機、ブローニングM1918BAR、ブルーノZB26が、東西拠点にはWZ1928(ポーランド製BAR)各一挺が配備された。
マハカム川は、五~一〇メートルの断崖の下を流れている。この時期は水量が多く、浅瀬でも一メートル、深い場所では五メートル以上ある。また水温は三~五℃で、魚も活発に活動できないほどの低温である。
だが、川幅は最大でも二〇メートル、上流では一〇メートル程度と狭い。南岸と北岸に渡り板を架ければ、渡ることはできるし、ロープや梯子を使えば崖を上り下りすることもできる。
コルカ村の東側郊外には湧水池があり、そこからマハカム川まで小川程度の放水路が造られていた。
アリアンは、この放水路を東側の最終防衛線とすると決定した。
西側には防衛に有利な地形はないが、いざとなれば地下空間の人々をはじめ、多くの人数が集められる条件はあった。
アリアンは、東の最終防衛線の外側に、マーリンとリシュリンを配置することにした。東側は平坦な丘陵地帯が広がっており、装甲車の機動性を活かすことができる。そして、いまの装甲車にはフォッカー戦闘機の主翼に搭載されていた五〇口径一二・七ミリのブローニングM2重機関銃が装備されている。運転席と助手席の真後ろの車体中央に、長い支柱の銃架を取り付けて、その上に装備していた。この装備位置は、装甲車初期型の正規の位置だ。
マーリンとリシュリンのほか、二人の小銃兵と一人の擲弾兵が乗車する。
西側にも自動車隊を配備した。三輌の大型蒸気乗用車に各四名が乗車。各車に、M1928トンプソン短機関銃、MP18ベルクマン短機関銃、AK47カラシニコフ突撃銃を配備した。
また、二門ある八九式重擲弾筒は、鉄の橋に配備した。
もう二つ、コルカ村には秘密兵器があった。一つはメグが提案した火炎瓶で、ワイン用のガラス瓶にタールとソラトを混ぜて入れ、瓶の口をコルクで塞ぐ際にボロ布を挟んだものだ。このボロ布に火を付けて、目標に向かって投げるとタールによって炎が粘着し、簡単には消せなくなる。単純な仕組みだが、手榴弾の代用になる強力な武器だ。
これを一〇〇〇個以上も用意していた。
もう一つの秘密兵器は、これもメグの提案なのだが、マスケット銃の後装化だ。
メグ自身はまったく使っていないが、彼女の祖父母はスプリングフィールドM1865を持っていた。この銃は、前装式ライフル銃であるM1861を金属薬莢を使う後装式に改造したもので、簡単な改造で前装銃を後装に変更できた。
銃身後部上側に穴を開けて蝶番式の尾栓と閉鎖器になる開閉式ブリーチブロックを取り付け、撃鉄を改造するだけで、後装式単発銃が作れた。
メグは猟師が用いる口径一四・七ミリの前装式ライフル銃にこの改造を取り入れることを進言したのだが、アリアンは大量に鹵獲し、配備していた神聖マムルーク帝国軍の主力銃、一二・七ミリマスケットをライフルなしで後装に改造することにした。
もちろん、ライフルのある猟銃は、すべてこの改造を施した。
これによって、コルカ村に残った人々とコルカ村に疎開してきた人々は、一五歳以下の子供と傷病者を除いて、戦える者の三分の二が連発銃か後装銃を持っていた。
コルカ村には、夜半までに一二〇人が集まっていた。一五歳以下の子供を除けば、すべて女性で、兵士として戦えるものは八〇人に達している。
アリアンは当初、鉄の橋戦線の総兵力を六〇と見積もっていたが、兵員の増加によって弾薬と食料の不足を心配した。
アリアンはイリアに、「長期戦は不利だな」と言った。イリアは「この戦いは一日、長くて二日で終わらせないと……」と答えた。
アリアンは「最初から籠城戦は無理なのだが、打って出るにも兵力が足らぬし、兵の訓練も十分ではない。
それでも勝ち目はあると見ていたが、どうなることやら」
イリアは「成り行きは騎馬民の出方次第でしょうが、負けるようには思いません」
「なぜじゃ」
「士気はマーリンが、知恵はメグがもたらし、戦いはリシュリンを含めて我らの本業。無敵とは思いませんか」
「正直にいってよいか」
「どうぞ」
「私は、僧兵はそれほど強いとは思えぬ」
「それは私もでございます。ですが、お婆様、私、リシュリンは、すでに僧兵ではございません」
「そうだな。そうであった。我らは僧兵ではない」
「追っ手から逃げ切ったのですら、僧兵を超えております」
「そう思うことにしよう」
私も、コルカ村に秘密兵器を残してきた。鉄粉、塩と水、炭の粉、そして保水剤となる土から使い捨てカイロを作った。これらを混ぜて古布の袋に入れ、真空にしたガラス瓶に
入れた。その数、六〇〇個。
少しでも寒さがしのげればとの思いからだったが、この日はこれがなければ耐えられないほどの寒さだった。
通常、早朝でも氷点下まで気温が下がることはないが、この夜は夜半過ぎには氷点下になった。
東方騎馬民は寒さには慣れていたが、終夜火を絶やすことはなかった。彼らの焚き火は、マハカム川北岸からよく見え、彼らの兵力と配置の概略を知ることができた。
フェイトとキッカからの情報では、東方騎馬民の総兵力は約一五〇〇。そのうち、五〇〇がドラゴンラインの攻略に投入され、一〇〇〇が鉄の橋に向かっているとされている。
アリアンは、斥候からの報告と総合して、フェイトとキッカの報告は大筋は正しい、との結論を出している。
賓館の一階は兵士の出入りが激しく、大扉は開け放たれていた。兵士はわずかな時間、火鉢で暖まり、熱い飲み物で水分を補給して、前線に向かっていく。
五歳以下の子供たちは三階の一室にいた。ミーナ、リリィ、ルキナ、メグの長男ボブ、ジャベリンの一歳半の長男、そしてミランの妻と生まれたばかりの赤子だ。
ジャベリンの義弟であり、ミーナの旧領主であるミランは、妻と子を守るため一兵士としてドラゴンラインに赴いた。
ミランの年上の妻シレイラは、産後の肥立ちが悪く、体調が戻っていなかった。
そんな彼女がいまできることは、幼い子供たちの子守である。
だが、シレイラは、ミーナたちの細やかな心遣いに癒やされていた。
シレイラは姉の子トートを預かったが、この腕白小僧はルキナの膝の上にいて、リリィが加わって遊ばれていた。
シレイラはゆっくりと身体を横たえることができ、自分の幼子を見つめることができた。
ミーナが「赤ちゃん」と彼女の子に話しかけ、「おばちゃん、赤ちゃんかわいいね」
シレイラはミーナが夫の国の領民であったことを知っていたが、それを口にするつもりはなかった。ミーナに対する罪悪感があり、またミーナに父母のことを思い出させたくはなかった。
ミーナはシレイラをよく気遣っていた。特に今夜は寒く、それを気にしていた。
「おばちゃん、これね、柔らかくて凄く暖かいの」といって、地下空間のボートから回収した毛布を渡した。
「それはミーナちゃんが使いなさい。おばちゃんも持っているの」といって、布袋から円筒形に丸めた毛布を取り出す。
ミーナは驚き、「どうして毛布を持っているの~」
「これは、おばちゃんのお父さんのものなの」
「ふ~ん。おばちゃんのお父様は、シュンのおじちゃんと同じなんだ」
「きっとそうね。シュン様は、おばちゃんのお父さんと同じ銃を持っているから」
シレイラの姉シュクスナは、M1D狙撃銃、つまりM1ガーランド半自動小銃に倍率二・二倍の光学スコープを取り付けた銃を持って参戦していた。長らく弾薬不足のために使用を控えていたが、マーリンたちから補給を受けて、使えるようになった。
リリィが近づいてきて、「赤ちゃん」とやさしく彼女が抱く赤子に話しかけ、「赤ちゃんかわいいね」とシレイラに微笑みかけた。
「リリィね。赤ちゃんを守ってあげるの」
リリィは、三人の宝物が入った私のビジネスバックを開け、FNブローニング・ハイパワーを取り出した。
シレイラは驚き、「だめよ、そんなものを持っていたら」といいながら、リリィから拳銃を受け取った。
その拳銃には、弾倉と薬室には一発も装弾されていなかった。
リリィはシレイラの手際のいい拳銃の扱いを見ていて、「おばちゃんは、ちゅかったことあるの~?」と尋ねた。
シレイラは、赤子のおむつや肌着を入れていた布袋から、一挺の拳銃を取り出した。
「ベレッタM92よ。弾はないけれど」
二〇世紀後半から二一世紀にかけて、世界中の軍が制式拳銃としたベレッタM92を、シレイラは持っていた。彼女は「弾はない」といったが、三発あった。この三発はシレイラと赤子、そしてトートの自決用として、シュクスナが渡したものだ。もちろん、最悪の事態を想定して。
ミーナが「もしかして、パラベラム弾?」と尋ねると、「そうね。九ミリパラベラム弾よ。よく知っているのね」とシレイラは驚いた。
「九ミリパラベラム弾ならあるよ。クルトお兄ちゃんのお父さんの拳銃がそうだもん」
ミーナの話を聞いて、シレイラは重い身体を起こし、赤子を抱いたまま部屋を出ようとした。
ボブが素早く立ち上がり、シレイラを支えるように脇に立った。ルキナは暴れるトートをやさしく抑えた。
シレイラが一階に降りると、アリアンをはじめとして幾人もが、赤子を連れて寒い場所にきた彼女を叱責した。
シレイラは、手短に拳銃のことを話した。一挺でも多くの武器がいる。自分が一五発装填できる強力な拳銃を持っていること、そしてリリィが父の形見という一三発装填できる拳銃を持っていることを告げた。
そして、適合する弾薬があることも。
シレイラは二人の女性に付き添われて、三階の部屋に戻った。
そして、子供たちと一緒に浅い眠りに落ちていった。
二二時を過ぎると、兵士の出入りは少し落ち着いた。
メグは、四四口径センターファイア弾用に改造したヘンリー銃をアリアンに預けた。
アリアンの手元には、フリントロックのマスケット銃が一二挺、ヘンリー銃、ベレッタM92、FNブローニング・ハイパワー、モーゼルC96、そして三挺のコルトM1911ガバメントがある。
アリアンは、ベレッタM92とハイパワーが加わったことから、拳銃ではあるが一定の弾幕が張れるのではないかと考えた。そして、これらの銃器を最終防衛線の守りとした。
アリアンは、天井を見た。電球とは何と明るいものなのだろうか。改めて感動していた。この照明は、人の心まで明るくする。
もし、ランプの灯りであったならば、東方騎馬民に勝てるなど思わないだろうが、煌々と絶え間なく輝く電球の明かりは、無限の勇気を与えてくれる。
イリアは東方騎馬民の夜襲を警戒していたが、攻撃がないまま夜明けを迎えようとしていた。
東方騎馬民は何度か夜襲を企図したのだが、不定期に打ち上げられる照明弾によって、戦場が白昼化されてしまい、数次にわたる断念が続き、結局、夜明けを迎えてしまった。
この状況に東方騎馬民は焦りを感じてはいなかったが、若年の民は性欲の開放をじらされて、腹を立て始めていた。
部族の長たちは、若者を抑えることが困難と判断し、夜明けと同時に騎馬突撃を決行することを決断した。
部族の長たちは、マハカム川を渡河する作戦も立案していたが、若年者の衝動は回りくどい戦術機動よりも、一気呵成になだれ込むことを望んでいて、これを変えることは難しい状況になっていた。
そもそも、東方騎馬民たちは略奪と強姦を餌に集められており、部族の長たちも容易にそれができると信じていた。
ただ、コルカ村が行った、マハカム川以南の赤い海沿岸部制圧作戦と直接対峙してきたエンバの部族は、敵が精強であることを知っていた。
それを他の部族に知らせたとしても、臆病、卑怯、脆弱と罵られることがわかっていたので、口を閉ざしていた。そして、最初の騎馬突撃には参加しないことを決めていた。
エンバの部族では、この決定に異を唱えるものはいなかった。それほどまでに、痛めつけられていたのだ。
エンバの部族は義理で参加しているだけで、戦況が不利となれば、南に脱出する算段を立てていた。
この季節、日の出は七時過ぎ、日の入りは一六時頃だ。だが、六時三〇分には明るくなり始め、七時前には十分な明るさがあった。
東方騎馬民の各部族は、六時には戦支度を終え、六時三〇分には乗馬して攻撃開始位置に着いた。
攻撃本隊は、街道を北進して鉄の橋を突破する。マハカム川沿いに西進する部隊と、東進する部隊がこれに続く。第一次攻撃隊の兵力は、総兵力にほぼ等しい九〇〇騎に達していた。マハカム川沿いに進撃する部隊に組み込まれた騎馬民の若年者たちは不満で、先駆けすることを考えていた。
そして、夜が明けきらない七時一〇分、マハカム川を西進する部隊から攻撃が開始された。
イリアは、マーリンとリシュリンから機関銃に対する騎馬突撃は自殺行為だと聞かされていた。街道の南にルイス軽機の銃口が向いている。西にはブルーノ軽機関銃が、東にはBARが敵を待ち構えている。その他、四挺のガーランド半自動小銃、二門の重擲弾筒が配されている。
だが、鉄の橋への一点集中攻撃は、イリアは考慮に入れていなかった。それは、あまりにも軍事作戦の要諦から外れた行為だったからだ。
イリアの眼前に剣を抜き、銃を掲げた皮鎧の屈強な軍勢が姿を現した。
時速四〇キロで疾駆する騎馬は、一分間に六六六メートル進む。イリアが敵を視認してから、射程内に入るまで三〇秒とかからなかった。
イリアが「撃て」と命じると、一斉射撃が始まった。
薬莢が排出され、火薬の匂いが立ち、擲弾が爆発し、わずか数分で最初の戦いが終わった。
マーリンとリシュリンが言っていたことは、嘘でも誇張でもなかった。機関銃弾は、騎馬兵をことごとく撃ち殺し、人と馬の死体は数十メートルにわたって街道を埋め尽くしていた。それは、マハカム川沿いの道も同じだった。
マハカム川沿いでは、撤退する敵兵に対して、対岸からの狙撃が加わり、兵力が半減するほどの打撃となった。
東側から進撃した部隊は、鉄の橋から西一キロの川沿いの開けた場所に再集結した。
そこに、マーリンが運転し、リシュリンがM2重機関銃を構える装甲車が対岸から静かに近づいた。
リシュリンが川を隔ててM2重機関銃を発射すると、一〇〇騎ほどの敵兵は一発の反撃さえできずに、大地に転がった。生き残った敵兵は、自分の足で走って東に逃げていく。
この時点で、東方騎馬民の各部族は仲間割れを始めていた。
現実には、一〇〇騎を失っただけで、まだ八〇〇騎は残っているのだが、そもそもの侵攻動機が略奪と強姦という、物欲と性欲に根ざしていたことから、損得勘定が合わないと主張する部族の長が現れたのだ。
それでも、撤退を主張する部族の長はいなかった。むしろ、身内を殺され、頭に血が上っている連中のほうが多かった。
東方騎馬民は、いまだアークティカの民を侮っていた。たまたま、退却に至った程度にしか考えていない。
そこで、再度、鉄の橋一点に対する騎馬突撃を決行することに議は決した。
イリアは迷っていた。思いかけず、東方騎馬民は騎馬突撃を仕掛けてきた。軍事の要諦では考えられないことだ。
ならば、もう一度、鉄の橋への一点集中攻撃を仕掛けてくる可能性がある。だが、同時に前回の不用意な攻撃を反省して、マハカム川を複数カ所で渡河する作戦に出る可能性もある。
イリアが迷っていると、ルイス軽機の銃手とガーランド半自動小銃手の会話が聞こえてきた。
「連中は私たちを馬鹿にしているのよ」
「そうよね。あのときはどうすることもできなかったから、今回も同じだって。
また、同じように仕掛けてくるわ」
イリアの迷いは消えなかったが、それでも作戦を変えない可能性のほうに賭けることにした。
イリアは、三人の伝令を呼んだ。
「西の拠点、東の拠点、それとマーリン殿に、機関銃は鉄の橋に集まれと伝えよ」
伝令は足の速い若者を当てていた。彼女らは必死で走り、その命令を伝えた。
西の拠点からは、七・九二ミリ弾を発射するポーランド製BARが銃手と弾薬手の二人がやって来た。
東の拠点からは、三輪の手押し車に銃と弾薬を満載して一人がやって来た。こちらもポーランド製BARだ。
マーリンとリシュリンたちは、村の家々を北に大きく迂回して、鉄の橋にたどり着いた。そして、装甲車を鉄の橋を渡りきったあたりに停止させ、M2重機関銃の銃口を南に向けた。
この配置を知ったアリアンは、賓館で急遽編成した拳銃隊を発電機が据えてある水車小屋に派遣した。
水車小屋は、湧水池の放水路にあり東側がよく見える位置にある。ここには、一四歳と一五歳の少年四人を物見として派遣しており、拳銃隊の増派は東からの攻撃に備えるための処置だった。
東方騎馬民には、略奪と強姦に加えて、復讐という目的が加わった。
ある部族の若い長は、「母親を犯しながら、その眼前で子の手足を切り落とすぞ!」と気勢を上げた。
臆病者のアークティカ人は、恐怖を与えれば従順になると信じていた。
九時を少し過ぎていた。
賓館では、子供たちが必死で弾倉に弾を補給している。ミーナは手慣れていたが、ルキナやリリィには初めてで、ボブも夢中で手伝った。
給弾が完了した弾倉は、戦闘には不向きな年齢の女性たちが、危険を冒して前線に運んだ。
前回の戦いは数分で終わったことから、空になった弾倉は少なかった。作業の終わった子供たちは手持ちぶさただった。
ミーナがアリアンに「お庭で遊んでもいい」と聞いたが、アリアンは「部屋に行っていなさい」とやさしく諭した。
鉄の橋の南側は、木立が点在する丘陵地帯だ。大きな岩が土中にあり、耕作には適さない。海岸付近は水はけと日当たりがよく、ブドウの栽培に適しているが、鉄の橋付近に耕地はなかった。
鉄の橋の南側は、遮蔽物となりそうな大木は伐採してあった。そのため、鉄の橋は、南側、つまり東方騎馬民の陣地からはよく見渡せた。
アークティカ人は、穀物袋に砂を詰め、それを積み上げて壁を造っていた。これほどみすぼらしい防壁は見たことがない、と東方騎馬民は総じて感じていた。
リシュリンは、もっと射界を広げておくべきだったと後悔していた。騎馬突撃の威力を削ぐために、ある程度の木立は必要と考えていたが、この一帯は平坦に見えるが土中に岩石が多く、馬の歩行に向かない。
だが、東方騎馬民は、馬の歩行に向かない荒れ地に馬で乗り入れ、大きく扇型に広がって、その中心、扇の要を鉄の橋南端の防塁として、一歩一歩、馬の歩を進めてきた。
彼我の距離が二〇〇メートルになるまで接近した。
東方騎馬民は、双方とも銃の射程外にいる、と判断していた。
だが、それは違っていた。鉄の橋の守備隊は、射撃に自信のある兵が各個に狙撃を開始した。
猟師の妻であったテミスは、夫と六歳の娘の敵を討つべく、三八式歩兵銃の引き金を引いた。この銃があれば、黒貂がたくさん捕れるのに、と思うと空しさがこみ上げてきた。
距離二〇〇メートル以上でも、テミスにとって人間は十分に大きな標的だった。
同じく猟師の妻であったウルスは、夫の銃を使っていた。夫は妻と子を守るためにこの銃で戦ったが、前装式ライフル銃は装弾に時間を要するため、一発しか撃てなかった。彼女と子は森に隠れたが、逃亡の途中で彼女の子は病で命を落とした。彼女は苦しむ我が子に何もしてあげられなかった。
夫の銃に傷を付けたくはなかったが、彼女は後装式に改造することを真っ先に望んだ。
夫は一発しか撃てなかったが、彼女は何発でも撃つつもりだ。
一四・七ミリの大口径ライフル弾の威力は凄まじく、手足に当たれば骨を砕き吹き飛ばす。
雇われ銃士の娘ノルンは、スプリングフィールドM1903A4狙撃銃を与えられていた。父親と許婚者は、ともに奴隷商人に捕らえられ、彼女は父親の機転でどうにか隠れたが、その後の逃避行は悲惨なものだった。二度、東方騎馬民に捕らえられて暴行を受け、二度逃げることに成功したが、心は傷ついたままだ。
彼女は一発も無駄にすることなく、すべての弾を東方騎馬民に浴びせるつもりでいた。
ジャベリンの妻シュクスナも射撃を始めた。彼女は、自分の子と妹と赤子の運命を背負っている。
扇状に広がって、アークティカ人を威嚇するつもりでいた東方騎馬民は、次々と発射される狙撃弾に一人ひとり倒れていく。隣の騎馬兵の顔半分が吹き飛ばされるのを見て、パニックに陥る若い兵もいる。
時間をかけることはできない。そう判断した部族の長たちは、突撃を命じた。
すぐさま、アークティカの陣地から一斉射撃が始まる。
機関銃六挺と小銃六〇挺の弾幕のなかに、六〇〇の騎馬が飛び込んだ。
戦いは三〇秒で終わった。馬が四方に走って逃げ、人が大地を埋め尽くした。突撃を敢行した六〇〇の騎馬は、三〇〇が息絶え、三〇〇が馬を失って徒歩で逃げた。
戦場からは、父親を呼ぶ子供の泣き声が数か所から聞こえてくる。大人の泣き声もする。言葉にならない呻き声も聞こえる。
九時三〇分、東方騎馬民の部族長会議は紛糾した。すでに、兵力の半数を失い、アークティカ領以東との連絡も途絶えている。
部族の長の多くは、何がどうなっているのか理解できていない。部族の長の中には、跡取りとなる男子のすべてを失ったものもいる。
エンバの長が発言した。
「アークティカ人は強い。我らは、南に逃れる。戻るつもりはない」
彼はその言葉を残して、部族約一〇〇を引き連れて、陣を離れた。
だが、残された部族の長は、エンバの長の言を真に受けなかった。まだ、兵は半分残っている。ここで引けば、何も手に入れられず、兵を失っただけになる。
帳尻が合わない。
アークティカ侵攻は、東方騎馬民の部族の長にとっては経済活動であり、若い部族員にとっては女性を辱める娯楽であった。
いま、そのどちらも達成されていない。
若い部族員たちは、すでに恐怖のどん底にいた。部族の長たちには、秘密兵器があった。一二〇ミリの青銅製野砲三門である。砲手六人は奴隷商人から買った。
反抗的な北方人の砲手は信用できないが、捨て駒として使うつもりだ。敵と対峙させれば、戦うだろう。そうしなければ、死ぬのだから。
一三時まで、東方騎馬民の動きはなかった。イリアは、敵が対応策を企図していることを察してはいたが、それが何かまではわからない。ただ、もう騎馬突撃は仕掛けてこないことだけは確信していた。
どのようにも対応できるよう、機動力のある装甲車を鉄の橋から後退させ、マハカム川の下流側に移動させた。
逆に大型蒸気乗用車二輌を上流側に移動させた。
気温は八℃。天気は快晴。イリアは、これから日没までが勝負のように感じ始めていた。
イリアはリシュリンに「敵が退却を始めたら追撃しろ」と命じた。そして、イリア自身も追撃に加わる決意でいた。
臨時の総大将は、シュクスナが適任だ。もっと、早くに彼女を知っておきたかったとさえ思う。
メグは真っ先に追撃に参加する。彼女は、軍人でも、武人でもない。用心棒だ。アークティカの用心棒だ。
用心棒の仕事として、後顧の憂いを立つために、東方騎馬民を徹底的に叩く。
一二〇ミリ青銅砲三門は用意できたが、東方騎馬民が購入した砲弾がこの砲とは適合しなかった。この砲は前装式だがライフルが刻まれている最新型で、先端が丸く整形された円筒形のドングリの実型砲弾を使う。実体弾、榴弾、キャニスター弾があるが、東方騎馬民が用意した砲弾は、旧来の球形実体弾だった。
この砲弾でも威力は減じるが発射はできる。だが、北方人の奴隷砲手たちは「砲弾が合わない」と操砲を拒否していた。サボタージュである。
当ての外れた東方騎馬民は、無為に時間を浪費していた。
そのうち、全軍の統制が緩み始め、騎馬二〇〇の増援が到着したこともあって、一部の部族が勝手に攻撃を始めた。
一四時頃のことであった。
鉄の橋の上流は、川幅が一〇メートルに狭まる。この川幅とは、南岸と北岸を形成する高さ一〇メートル前後の崖の間隔で、水の流れの幅ではない。崖の下の水流の幅は、最大でも二メートルほど。この付近の深さは一~三メートルであった。
梯子やロープがあれば、崖下に降りることができ、水流から頭を出している岩をつたえば濡れずに対岸に渡れる。対岸に渡ったら、膂力で崖を登ればいい。
敵は所詮女。彼らが崖を登る姿を見れば、恐怖で逃げ出すに違いない。
そして、一五〇人からなる渡河作戦部隊の攻撃が始まった。
コルカ村守備隊は、後装式単発滑腔銃を装備している。敵が徒歩で近づく様子を見て、ただちに反撃の発砲を開始するが、南岸にとりつかれてしまった。
両岸は、距離一〇メートル強の至近で、激しい銃撃戦となった。
東方騎馬民は、あっという間に一〇メートルの崖を下り、崖下に到達してしまう。その数一〇〇。南岸には渡河部隊を援護する五〇の兵がいる。
しかも、北岸の崖下直下は死角だ。
コルカ村守備隊は、投擲力に自信のある数人が、初めて南岸に向けて手榴弾を使った。距離は一〇メートルしかない。遠くに投げすぎる兵もいる。
南岸の敵兵は、手榴弾攻撃に恐れをなし、撤退する兵が続出した。怖じ気づき動けなくなった南岸の兵は、小銃弾で制圧された。
崖下に降りた東方騎馬民一〇〇は、完全に孤立してしまった。ただ、アークティカの陣地からは、完全に死角になっている。東方騎馬民の指揮官は、時間をかけることはできないが、落ち着いてこの先のことは考えられると判断した。
このとき、守備隊は、火炎瓶と手榴弾をかき集めていた。火炎瓶は重く、女性の腕力では遠くまで投擲できない。だが、敵は崖下にいる。手を離せば火炎瓶は重力に引かれて落ちていく。
東方騎馬民が一斉に北岸の崖を登り始めると、崖の上から火の付いたワイン瓶が落ちてきた。
そして、崖下の岩に当たって砕け、燃え上がった。さらに、手榴弾も落とされ、破片で傷ついた兵が崖下に落ち、そこに火炎瓶が降り注いだ。
さらに、四肢のすべてを使って崖を登り始めた彼らに、真上から銃弾が射かけられた。
東方騎馬民の「崖を登る姿を見れば、恐怖で逃げ出す」期待は、完全に崩れていた。
素早く登り切った男がいた。その男は、崖の頂上に右手をかけた瞬間、背中と皮鎧の間に何かを差し込まれた。
男が崖の上に立ち、湾曲した長刀を抜くと同時に背中に差し込まれた手榴弾が爆発。男は背骨を砕かれ崖下に落ちていった。
恐怖は伝播する。東方騎馬民は崖を登る以外に死を免れる可能性はなく、崖の上には死しかなかった。アークティカ人の銃は、弾込が早く、次々に発射してくる。
そして、怯えた様子がまったくない。
最後に崖を登り切り、あるものは長刀を抜き、あるものは背負った銃を構えた。
彼らが最後に聞いた言葉は、「撃て!」という女の声だった。多くが崖下に落ち、崖の上に残った負傷兵は容赦なく崖下に突き落とされた。
そして、崖下に火炎瓶が投げ込まれ、途中で崖を登るのをやめた崖下の敵兵を焼き殺した。
何人もの東方騎馬民が断末魔の叫び声を上げ、それは攻撃に参加しなかったものたちの耳に届いた。
東方騎馬民は、エンバの部族が言い残した言葉を噛み締め始めていた。
「アークティカ人は強い。そして勇敢だ」
同時刻、マハカム川の下流、コルカ村の防衛線のさらに西側、アークティカにとっては「柔らかい下腹」といっていい無防備な境界線を、五〇人ほどの東方騎馬民が渡った。彼らは、崖を下り、水深一メートルの冷たい川に身体を浸けて渡り、そして崖を登った。
その様子は、大型蒸気乗用車に乗る遊撃一番隊が最初から最後まで監視していた。
東方騎馬民五〇は、いったん集結し、徒歩で東を目指した。アークティカの陣地に西側から奇襲を仕掛ける作戦だ。
ただ、本隊とは何らの連携はなく、東側の攻撃とも異なる単独攻撃だ。
大型蒸気乗用車の兵四は、まず青い発煙弾を打ち上げた。これは、西側北岸に東方騎馬民が渡河したことを知らせる合図だ。
シュクスナは、東方騎馬民が渡河攻撃を仕掛けてくるとすれば、川幅は広がるが、崖が低くなる西側下流中流域だと判断していた。
彼女は、西拠点の防備を固めるとともに、進撃してくる敵兵力の確認のために四人の斥候隊を送り出した。
斥候隊は、農業用小型蒸気車に小型貨車を牽引した車輌に乗車していた。威力偵察が認められており、敵を発見したら攻撃を仕掛け、どの程度の反撃があるのかを探ることが任務だ。
斥候隊はマハカム川北岸の不整地を西進し、三〇分ほどで、マハカム川沿いの道を東進する東方騎馬民を発見した。
東方騎馬民の後方一五〇メートルに遊撃一番隊の大型蒸気乗用車がいて、東方騎馬民を追い立てているように見える。
東方騎馬民は、明らかに遊撃一番隊の存在を知っていた。
斥候隊が徒歩で東進する東方騎馬民を監視していると、数名が道脇の窪地に潜むのが見えた。遊撃一番隊を待ち伏せ攻撃するつもりだ。
斥候隊は遊撃一番隊に危険を知らせる赤の発煙弾を打ち上げると同時に、東方騎馬民の本隊に突撃した。
東方騎馬民の銃は、銃身の短い前装式滑腔のフリントロック銃で、中腰でないと銃弾の装填ができない。
彼らは、道の脇のわずかな盛り上がりを遮蔽物にして射撃を継続しているが、蒸気車から降りて身を完全に隠して射撃をしてくるたった四人の斥候隊を制圧できないでいた。
さらに斥候隊の一人が、遊撃一番隊を待ち伏せしようとした分隊に手榴弾を投げ込み、制圧した。
この攻撃に遊撃一番隊も加わり、激しい銃撃戦となる。
東方騎馬民は、装弾に早合を使用していた。動物の腸で作った筒に弾丸と発射薬を入れ、それを銃口に落とすと、弾丸と発射薬が同時に入るようになっていた。もちろん、カルカで突く必要があり、早合を使っても一発の発射準備に一〇秒を必要とした。一分間に六発発射が上限である。
対するアークティカ側は、斥候隊、遊撃一番隊とも全員がボルトアクション小銃を装備しており、一分間に一五発発射できる。しかも、一人はカラシニコフ突撃銃を持っている。
兵力では五〇対八だが、火力ではアークティカ側が圧倒していた。
追い詰められた東方騎馬民は、大きな窪地を見つけ、その中に潜り込んだ。この窪地に入るまでに、二〇人が倒されていた。
斥候隊と遊撃一番隊は、徐々に間合いを詰め、手榴弾が投擲可能な位置まで二人が前進していた。
そこに銃声を聞いた装甲車がやって来た。その走行音に東方騎馬民が気をとられている隙を突いて、二人は一発ずつ手榴弾を投げ込み、留めにさらに一発ずつ投げ込んだ。
リシュリンは、M2重機関銃を構えながら、窪地に倒れている東方騎馬民を見下ろしていた。全員、一〇歳代後半から二〇歳代前半のようだ。子供のような顔立ちの敵兵もいる。
それを制圧したアークティカ人も、ほぼ同年代だ。いや、二〇歳代は極端に少ない。
斥候隊と遊撃一番隊は、生存の可能性のある敵兵には容赦なく銃弾を撃ち込んだ。
一人の少年兵は、まだ意識があり話すこともできた。
「お願い。助けて。撃たないで」と泣いて懇願した。
その少年兵に銃口を向けているアークティカ人の少女は、「お前たちは、私がやめてと叫んでも笑いながら……」と言い終える前に引き金を引いた。
マハカム川の対岸に、東方騎馬民の騎馬数人が姿を現した。様子を見に来た斥候だろう。
遊撃一番隊の一人が、対岸の東方騎馬民に対して、大声で「お前たち、よくアークティカの地にやってきた。生きて二度と一人たりとも東方に返さない。皆殺しだ!」
対岸の東方騎馬民斥候隊は、分別のある大人だけだったが、彼女の宣言に非常な恐怖を抱いた。
そして、一発の銃弾が北岸から放たれ、南岸の遊牧騎馬民の一人が馬から転げ落ちた。
残りの騎馬は一目散に南に逃げていった。
一五時を過ぎ、一六時に日没を迎えると、戦場は静けさに包まれた。
鉄の橋の南端には、人間の死体が落ち葉のように敷き詰められていた。
日没となり、闇が戦場を覆うと同時に、エンバと同様にアークティカとの戦闘を重ねてきたガラツの部族が姿を消した。
彼らはエンバとは異なり、アークティカの地に定住することを考えていた。そのため、奴隷と家畜を伴っていたのだが、そのすべてを捨てて逃げた。
戦いの勝敗の行方は、アークティカの勝利に傾きつつあった。
幅二キロに及ぶ防衛線は、馬防柵と土嚢で防御されているが、配置されている兵力はごくわずかで、突破される可能性は低くはなかった。
ヴェルンドは、主戦場であるヌールドの丘ではなく、自己の判断で工房の技師や工員二〇人を引き連れて、防衛線を越えたさらに東に向かっていた。
ヴェルンドは戦車を作ろうとした。だが、ガソリンエンジン、トランスミッション、主砲、砲塔のいずれも開発するには時間がなさ過ぎた。
彼は結局、全装軌車を諦めて原設計のままの半装軌車に切り替え、ガソリンエンジンの替わりに蒸気機関を使った。
主砲は構想さえまとまらず、主砲を旋回するための機構は暗中模索のままであった。
それでも、圧延鋼板を用いた船形のシャーシと正面最大装甲厚二五ミリの全溶接車体は完成していた。
車体自体はイファの蒸気車工場で四輌が作られ、二輌が工房に運ばれていた。
この二輌は砲塔を搭載するためのターレットリングを切削する技術が確立できず、車体上面の鋼板は、複数枚を溶接して組み立てられている。
蒸気機関は車体後部に搭載され、操向は前輪によって行われる。前輪は総ゴムのパンクレスタイヤだ。
後部履帯は、マウルティアの機構をそのまま移植していた。ただ転輪の数は、履帯長が短縮されたことから四個から二個に半減している。前輪は駆動しない。
車内は、最前部に運転席、中央部が戦闘室、最後部に機関室があり、標準的な戦車と同じレイアウトを採用している。
全体の雰囲気は、第二次世界大戦時にアメリカ軍が使用したM20汎用装輪装甲車によく似ている。
主砲が未完成なため、二挺のアークティカ製ブルーノ軽機関銃を搭載した。
ヴェルンドの工房では、この半装軌戦車を二輌作った。
このほかに大型蒸気乗用車のスクラップから四輌の半装軌貨車を作っていた。この四輌のうち二輌が燃水車を牽引し、他の二輌ににわか仕立ての歩兵が乗った。歩兵の武器は、工房製の急増型アリサカ小銃と手榴弾だ。
ヴェルンドの部隊がドラゴンラインを超えたのは、開戦当日の深夜であった。敵の攻撃が始まる五時間前のことだ。
ヌールドの丘から青い発煙弾が打ち上げられた。
この発煙弾は、ドラゴンラインの北端からよく見えた。バルティカ軍の総攻撃が始まったことを知らせるものだ。
ほぼ、同時にドラゴンラインの南端にあるドラゴン砦からも青い発煙弾が打ち上げられた。
間髪を入れず、ドラゴンラインのほぼ中間点にあるドラゴンバック陣地からも青い発煙弾が上がる。
そして、ドラゴンラインの一〇拠点すべてから青い発煙弾が打ち上げられた。
東方騎馬民の総攻撃が始まったのだ。
ヴェルンドの部隊と別行動をとっていた二人の銃工は、六・五ミリ自動小銃を携えて、ドラゴンラインに沿って南に進んでいた。
各拠点の指揮官は二人の武器を見て、「一緒に戦って欲しい」と懇願したが、二人はその願いを振り切ってドラゴン砦に向かっていた。
だが、夜明けの直前、ドラゴンバック陣地から二つ目、ドラゴン砦の二つ手前の第八拠点で東方騎馬民の攻撃に遭遇してしまった。
二人はここで戦わなくてはならなくなった。兵は三人、正規兵は一人、まだ一七歳の少年兵である。指揮官はドラゴンバック陣地に応援要請に出向いており、不在だ。
一挺のアリサカ小銃と二挺のマスケット銃では、どうあがいても防衛できないことは明白で、銃工二人が助勢せざるを得ない状況であった。
銃工二人が持っていた自動小銃は、のちに設計者の名からトカッド小銃と呼ばれることになるが、いまは無名であった。
銃の性格はブローニングM1918BARに似ているが、銃の機構はカラシニコフAK47に範をとっていて、極めて単純かつ高耐久性である。重量は四・四キロと軽く、二〇発入り箱形弾倉、弾薬は六・五ミリ弾、銃口付近に二脚が装着されていた。
この拠点の指揮官は、必然的に一七歳の少年兵となっていた。
この西方から来たという少年は、ミランという名で、西方で数度の戦闘に参加しているという。立派な剣と見事な装飾のマスケット銃を持参、参陣していた。
ミランは、二挺の自動小銃を一〇メートルほど離して配置し、拠点の中央にはアリサカ小銃を配備した。
自分を含めた二人のマスケッターは、手榴弾の投擲で戦う予定だ。
指揮官が戻る前に、馬の蹄の音が丘陵に轟いた。
ドラゴン砦に向かうという二人の男が、ちょうど白湯を飲んでいるところだった。
ミランは覚悟を決めた。
ミランは二人の旅人に支援を求め、状況から二人の旅人は快諾した。というよりも、すぐに戦闘が始まったのだ。
敵は約五〇騎。馬防柵にロープを引っかけて、引き倒そうとするが、自動小銃の反撃に遭いすぐに退却した。
手榴弾は馬防柵が邪魔になり、投擲しにくかった。
この日、東方騎馬民は兵力八〇〇で、馬防柵の突破を転戦しながら試みたが、成功しなかった。
逆に集結すると、どこからともなく鋼鉄の蒸気車が現れて、攻撃を仕掛けてくる。その蒸気車は馬よりも速く走り、馬のように疲れず、馬と同じ地形を走った。
従来の蒸気車とはかけ離れた機動力を持ち、弾が途切れなく発射される強力な銃を積んでいた。
アークティカ人の陣地に近づくと、雨のように銃弾を射かけてくる。
アークティカ人の中心拠点であるルカナの街を襲うグループに入れず、略奪すべきものがない荒野での戦闘は、ドラゴンラインに攻め寄せていた東方騎馬民たちのやる気を削いでした。
彼らは命を賭してまで、戦うつもりはなかった。
ミランは馬防柵によって手榴弾の投擲が阻害されることに気付き、その対策として、馬防柵の外側に手榴弾を予め仕掛けておくことにした。
手榴弾を長さ三〇センチほどの棒に縛り付け、その棒を杭にして地中に打ち込んだ。安全ピンに長い紐を付けて、それを陣地までひっぱておいた。
これを一〇発ほど仕掛け、東方騎馬民が現れると、紐を引いて起爆させた。
ドラゴンラインでは、東方騎馬民の散発的な攻撃に悩まされながらも、戦いの初日はどうにか突破を許さなかった。
ルドゥ川河口付近の河岸段丘を含めた川幅は約二〇〇メートル、ルカナ付近では一六〇メートルある。
この大河を渡る橋は、ルカナの街の北にある石の橋しかない。花崗岩で造られた立派なアーチ橋だ。
この橋の由来は定かではなく、アークティカの地に住んでいた古代人の遺物という説が有力視されている。だが、この橋を守り、修繕し、営々と補強・改良を加えてきたのは、アークティカ人だ。
アークティカ人は北へつながる唯一の陸路として、この橋を愛しんでいた。
北からの侵攻を食い止めるには、この橋を落とす必要があった。だが、もしヌールドの丘が陥落したら、ルドゥ川以北の友軍は、この石の橋を渡る以外に退却路はない。
だから、リケルとスコルは、この橋を鉄板と土嚢で要塞化し、鉄壁の守りを敷いた。
石の橋を守るのは、ヌールドの丘では戦えない六〇歳を超えた高齢の男女ばかりだ。それでも士気は高かった。
ヌールドの丘で戦闘が始まると、石の橋を攻略するためのアトリアの騎兵部隊が殺到してきた。
アトリアの軽騎兵は馬上からマスケット騎銃を発射し、石の橋に対して早朝から波状攻撃を繰り返し仕掛けてきた。
だが、石の橋を守る兵士たちは、頑強に抵抗した。
石の橋を守る兵士たちは、アリサカ小銃とフリントロック式ライフル銃、そしてアレナス造船所が開発した中折れ単発ライフル銃をもって、徹底抗戦した。
アレナス造船所は、社主であるシビルスが持っていた水平二連散弾銃をモデルに、単発の七・九二ミリモーゼル弾を発射する銃を開発した。単純な構造で、量産性に優れているが、中折れ機構に脆弱性があった。だが、急務の用には最適な武器である。
この銃の銃身は頑丈で、擲弾発射機としても有効だ。
地下空間の技術者たちは、急増の大砲を作った。フォッカー戦闘機の主翼に搭載されていたブローニングM2一二・七ミリ重機関銃の薬莢を拡大し、二〇×九四ミリの新型薬莢を開発。この薬莢を空砲として使う、巨大なボルトアクション単発銃を作り、この銃の銃口に巨大な小銃擲弾を被せて発射するという、急造兵器だ。
銃自体がいつ爆砕してもおかしくない代物で、発射の際は引き綱を持って、土嚢の中に隠れるという物騒な兵器だ。砲身、二脚の支持架、底盤で構成されていて、外見は外装式迫撃砲によく似ていた。
砲弾威力は非常に大きく、有効射程は五〇〇メートルを軽く超えた。
石の橋の守備隊は、わずかに一〇〇人。アトリアの軽騎兵は三〇〇。
石の橋の老兵たちは、優秀な銃器、奇想天外な砲、卓越した戦術、そして不屈の闘志で友軍の退路を守っている。
開戦初日の正午頃、石の橋を攻めるアトリア軍軽騎兵部隊は壊滅的な損害を受けつつあった。
だが、アークティカ側も、石の橋の老人たちの疲労が甚だしく、継戦能力は失われつつある。
それでも、ルドゥ川の防衛は保たれていた。
アレナスとルカナの中間にある工業の街イファでは、北岸まで進出したアトリア軍歩兵部隊の渡河を阻止した。
アレナス造船所のシビルスは、稼動可能な全動力船を動員して、河川警備に当たらせ、折り畳み式木造手漕ぎボートによるバルティカ軍の渡河作戦をことごとく阻止していた。
いまだ、恐竜や恐鳥が跋扈するイファの工場内では、かき集められるすべての資材を使って、ヴェルンドの工房が設計した半装軌式蒸気半装軌戦車の製造が進められている。
そして、開戦当日午後、フェンダーや前照灯などは未装備だが、どうにか動くようになった二輌の車輌があった。
この車輌に小銃兵と擲弾発射機となる中折れ単発銃を持った兵四人と、指揮官、操縦手を加えた六名が乗り込み、二輌計一二人をルドゥ川北岸に進出させる作戦が、イファの工場とアレナスの街の共同で立案されていた。
アレナスの街では、この戦車部隊に随伴する自動車化歩兵の志願受付が始まっていた。大型蒸気乗用車二輌に計一八人が同行する計画だ。
四輌を対岸に渡すための無動力艀と艀を押すためのタグボートも用意された。
これら四輌が集結したのは、開戦当日の一五時頃であった。
その頃、石の橋の南側には、二〇ミリ擲弾砲が計四門に増強され、間断なく対岸に撃ち込まれていた。
アトリア軍の軽騎兵は、騎馬突撃が自殺行為であることを早い段階で理解した。そのため、一部を除いてルドゥ川北側の丘陵地帯に後退し、続々と到着する歩兵と共同で、機動性の高い騎砲と歩兵砲を前面に押し出しての総攻撃を企図していた。
総攻撃は夕暮れ間近の一六時とされた。
戦場は混乱の極みにあった。リケルとスコルは、フェイトとキッカがもたらす航空偵察による情報から、敵の動きは察知していたが、味方側がどのような行動をしているのかをつかみかねていた。
ただ、ルドゥ川、マハカム川、ドラゴンラインは突破されていないことは知っていた。
ルドゥ川北岸上陸作戦は、シビルスの総指揮で始まった。イファの桟橋を発した四隻の艀と、八隻のタグボートは、流れの穏やかな川面を最大速度で対岸に向かった。
タグボート四隻は護衛で、艀に先行して川の中程から対岸に向けて擲弾を発射した。
アトリア軍側は最初、アークティカ側の意図を図りかねていた。艀には蒸気車が乗っているが、北岸には段丘があり、蒸気車の登坂は不可能だ。蒸気車を渡河させる意味がない。
だが、理解できない行動だが、アークティカが蒸気車を渡河させようとしていることは、急速に接近する艀の動きを見て明らかだ。
アトリア軍の歩兵部隊指揮官は、残余の兵を集めて、アークティカ軍の上陸阻止を図った。
まず、半装軌蒸気戦車二輌がほぼ同時に着岸。バルティカ軍戦列歩兵一〇〇人の一斉射撃を受けた。
蒸気車は蜂の巣状態になるはずだったが、すべての銃弾を跳ね返して、上陸した。
第二斉射も無意味だった。逆に蒸気車から小銃と擲弾の反撃を受け、戦列歩兵の隊列が乱れる。
ルドゥ川北岸の川岸は蒸気車が縦横無尽に走れるほど広くはない。窪地や泥濘も多い。それに、北岸の堤防の役目をしている段丘の傾斜は蒸気車が登るにはきつい。
アトリア軍指揮官は、兵を段丘の上まで後退させた。そして、隊列を組み直し、一撃を加え、後列と交代してもう一撃を加えた。
だが、蒸気車は止まらない。段丘に近づき、登り始めた。
蒸気車が登り切ると、アトリア軍戦列歩兵はパニックに陥った。
半装軌蒸気戦車の搭乗兵は、本当に銃弾を跳ね返すことができるのか不安だったが、最大二五ミリの圧延鋼板は数百の銃弾に耐えた。また、履帯は地面をよくつかみ高低差五メートルの段丘を登り切り、敵戦列歩兵のまっただ中に飛び込んだ。
もう一輌の半装軌蒸気戦車は、随伴歩兵が乗る大型蒸気乗用車二輌を牽引して段丘の上に登らせている。
アトリア軍指揮官は、生き残っている全兵を集め、ルドゥ川に沿って東西に延びる段丘上の道の東側一〇〇メートルで、再度戦列を立て直そうとしていた。
アトリア兵は勇敢で、指揮官の命令に忠実に従ったが、彼らが戦列を整える前にアークティカの半装軌蒸気戦車が突進してきた。
アトリア軍将兵は、銃弾を発射すると銃を捨て、丘陵を這って北に向かった。
彼らが、ルドゥ川のある南を振り返ることはなかった。
ルドゥ川を渡ったアークティカの四輌の装甲部隊は、川に沿った道を東進した。ルカナ北岸まで行く燃料はある。闇雲に、燃料が続く限り前進するつもりだ。
石の橋の防衛隊は、危機に陥っていた。彼らの前方、小銃擲弾の射程外に軽砲四門が姿を現したのだ。
二門は口径七五ミリ級の騎砲、二門は五七ミリ級の歩兵砲だ。どちらも有効射程は一五〇〇メートルに達する。
石の橋の北岸から八〇〇メートルの位置に、四門の砲が配置された。
アークティカ側も二〇ミリ擲弾砲二門を石の橋北岸まで前進させ、反撃したが、砲弾は届かない。無為に無人の荒野に穴を穿つだけだった。
スコルは、守備に必要な最小の兵を残し、橋の途中に設けてある第二拠点まで、撤退を命じた。
石の橋の北端に残ったのは、たった五名の決死隊だけだ。
アトリア軍の騎砲弾が、アークティカ軍の土嚢を積んだ陣地に命中し、土嚢を突き崩した。さらに、小口径の歩兵砲弾も命中。
石の橋の陥落は、時間の問題となった。
そこにイファの装甲部隊が到着。先頭の半装軌蒸気戦車がアトリア軍に向かって突進する。
幅六メートルはない狭い街道で、アトリア軍の騎砲・歩兵砲連合部隊とアークティカ軍の戦車が距離六〇〇メートルで対峙した。
アトリア軍の騎砲弾がアークティカ軍の戦車の車体前部装甲に命中。戦車は大きく揺れた。アトリア軍から大歓声がわき起こる。
アークティカ軍の戦車兵は、騎砲の命中弾を受けたとき、衝撃の激しさに全員が死を覚悟した。
だが、二五ミリの圧延鋼板は、七五ミリの球形滑腔砲弾を跳ね返した。しかも、機関は正常に作動しており、戦車は無傷だ。
戦車の操縦手は五〇歳をとうに過ぎた男だったが、若者のように高揚していた。血中にアドレナリンが大量に放出され、興奮状態にあった。
彼はアクセルを踏み込むと、戦車をゆっくりと前進させる。
その様子にアトリア軍将兵は恐怖した。アトリア軍の指揮官は冷静で、砲弾が装填済みの歩兵砲の発射を命じた。
アークティカ軍の戦車は、至近で発射されたアトリア軍の小口径歩兵砲弾を苦もなく跳ね返し、速度を上げて突進してくる。
アトリア軍は恐慌に陥り、兵、下士官、将校の別なく、命令の前に後退を始めていた。
戦車の操縦手は、アトリア軍の砲を踏み潰さなかった。彼は二発目の被弾で冷静になり、周囲を観察する余裕を回復していた。
石の橋の守備隊はアトリア軍から四門の鋼製砲を鹵獲し、最初の危機を乗り切った。
マハカム川の南側内陸部に東方騎馬民が集結していることは、フェイトとキッカの偵察で開戦の前日には察知していた。
開戦が近いと悟ったマーリンは、ルカナとコルカに残るメハナト穀物商会の全従業員を賓館一階の大広間に集めた。
この会合には、コルカ村の住民と村に疎開してきたルカナの住民も加わった。参加者は生後数カ月から七〇歳を超えた老人まで、参加者が広範にわたったことから、必然的に年嵩で人生経験が豊富なアリアンが議事進行を受け持つことになった。
会合に集まった多くの村人街人は、すでに思い思いの戦支度を終えていた。
特にメグの装束は、白の厚手のシャツとズボン、黒のジャケットとブーツ、深紅の皮の長衣、黒の鍔広帽子、二挺の拳銃を収めたガンベルト、襷掛けにした弾帯、湾曲の大きい長刀、二挺のレバーアクション銃と、目を引く出で立ちであった。
ミーナとリリィは、「ルキナちゃんのお母さん、格好いいね」と小声で話していた。
アリアンが「なぜ、この場にシュン殿がおらぬのだ。出座をお願いすること、ちゃんと伝えたのか?
誰か、なぜシュン殿がおらぬのか、その理由を知っているか?」
「はい!」
元気よくルキナが手を上げた。
アリアンの目が優しさに溢れた。
「ルキナ、其方は知っておるのか?」
ルキナがニコニコしながら頷き、「マーリン様とリシュリン様がいじめたぁ~」と言った。
「そのようなことを言ってはなりませぬ」とルキナを抱いて椅子に座っていたメグが窘める。
メグの戦士の格好と、慌てふためいた母親の声音のアンバランスが面白く、イリアが吹き出した。
それに即発されて、大人全員が大笑いとなった。ルキナは、楽しそうにメグの顔を膝の上から見上げている。
アリアンは「まぁ、よい。二人は若いからのぅ~」とからかった。
マーリンとリシュリンは、恥ずかしさで真っ赤になり、一気に影が薄くなる。
イリアの一言は、会合の場を和ませ、議事の進行を一気に進ませた。
総大将はイリア、副将はメグと決まり、鉄の橋の南側陣地には、イリア、メグ、ミクリンと軽機関銃三挺が配されることに決まった。
マハカム川下流側の西拠点は、ジャベリンの妻シュクスナが、上流側東拠点はシビルスの妻ティナが指揮官になった。東西の拠点にも軽機関銃が据えられた。
鉄の橋拠点には、ルイス軽機、ブローニングM1918BAR、ブルーノZB26が、東西拠点にはWZ1928(ポーランド製BAR)各一挺が配備された。
マハカム川は、五~一〇メートルの断崖の下を流れている。この時期は水量が多く、浅瀬でも一メートル、深い場所では五メートル以上ある。また水温は三~五℃で、魚も活発に活動できないほどの低温である。
だが、川幅は最大でも二〇メートル、上流では一〇メートル程度と狭い。南岸と北岸に渡り板を架ければ、渡ることはできるし、ロープや梯子を使えば崖を上り下りすることもできる。
コルカ村の東側郊外には湧水池があり、そこからマハカム川まで小川程度の放水路が造られていた。
アリアンは、この放水路を東側の最終防衛線とすると決定した。
西側には防衛に有利な地形はないが、いざとなれば地下空間の人々をはじめ、多くの人数が集められる条件はあった。
アリアンは、東の最終防衛線の外側に、マーリンとリシュリンを配置することにした。東側は平坦な丘陵地帯が広がっており、装甲車の機動性を活かすことができる。そして、いまの装甲車にはフォッカー戦闘機の主翼に搭載されていた五〇口径一二・七ミリのブローニングM2重機関銃が装備されている。運転席と助手席の真後ろの車体中央に、長い支柱の銃架を取り付けて、その上に装備していた。この装備位置は、装甲車初期型の正規の位置だ。
マーリンとリシュリンのほか、二人の小銃兵と一人の擲弾兵が乗車する。
西側にも自動車隊を配備した。三輌の大型蒸気乗用車に各四名が乗車。各車に、M1928トンプソン短機関銃、MP18ベルクマン短機関銃、AK47カラシニコフ突撃銃を配備した。
また、二門ある八九式重擲弾筒は、鉄の橋に配備した。
もう二つ、コルカ村には秘密兵器があった。一つはメグが提案した火炎瓶で、ワイン用のガラス瓶にタールとソラトを混ぜて入れ、瓶の口をコルクで塞ぐ際にボロ布を挟んだものだ。このボロ布に火を付けて、目標に向かって投げるとタールによって炎が粘着し、簡単には消せなくなる。単純な仕組みだが、手榴弾の代用になる強力な武器だ。
これを一〇〇〇個以上も用意していた。
もう一つの秘密兵器は、これもメグの提案なのだが、マスケット銃の後装化だ。
メグ自身はまったく使っていないが、彼女の祖父母はスプリングフィールドM1865を持っていた。この銃は、前装式ライフル銃であるM1861を金属薬莢を使う後装式に改造したもので、簡単な改造で前装銃を後装に変更できた。
銃身後部上側に穴を開けて蝶番式の尾栓と閉鎖器になる開閉式ブリーチブロックを取り付け、撃鉄を改造するだけで、後装式単発銃が作れた。
メグは猟師が用いる口径一四・七ミリの前装式ライフル銃にこの改造を取り入れることを進言したのだが、アリアンは大量に鹵獲し、配備していた神聖マムルーク帝国軍の主力銃、一二・七ミリマスケットをライフルなしで後装に改造することにした。
もちろん、ライフルのある猟銃は、すべてこの改造を施した。
これによって、コルカ村に残った人々とコルカ村に疎開してきた人々は、一五歳以下の子供と傷病者を除いて、戦える者の三分の二が連発銃か後装銃を持っていた。
コルカ村には、夜半までに一二〇人が集まっていた。一五歳以下の子供を除けば、すべて女性で、兵士として戦えるものは八〇人に達している。
アリアンは当初、鉄の橋戦線の総兵力を六〇と見積もっていたが、兵員の増加によって弾薬と食料の不足を心配した。
アリアンはイリアに、「長期戦は不利だな」と言った。イリアは「この戦いは一日、長くて二日で終わらせないと……」と答えた。
アリアンは「最初から籠城戦は無理なのだが、打って出るにも兵力が足らぬし、兵の訓練も十分ではない。
それでも勝ち目はあると見ていたが、どうなることやら」
イリアは「成り行きは騎馬民の出方次第でしょうが、負けるようには思いません」
「なぜじゃ」
「士気はマーリンが、知恵はメグがもたらし、戦いはリシュリンを含めて我らの本業。無敵とは思いませんか」
「正直にいってよいか」
「どうぞ」
「私は、僧兵はそれほど強いとは思えぬ」
「それは私もでございます。ですが、お婆様、私、リシュリンは、すでに僧兵ではございません」
「そうだな。そうであった。我らは僧兵ではない」
「追っ手から逃げ切ったのですら、僧兵を超えております」
「そう思うことにしよう」
私も、コルカ村に秘密兵器を残してきた。鉄粉、塩と水、炭の粉、そして保水剤となる土から使い捨てカイロを作った。これらを混ぜて古布の袋に入れ、真空にしたガラス瓶に
入れた。その数、六〇〇個。
少しでも寒さがしのげればとの思いからだったが、この日はこれがなければ耐えられないほどの寒さだった。
通常、早朝でも氷点下まで気温が下がることはないが、この夜は夜半過ぎには氷点下になった。
東方騎馬民は寒さには慣れていたが、終夜火を絶やすことはなかった。彼らの焚き火は、マハカム川北岸からよく見え、彼らの兵力と配置の概略を知ることができた。
フェイトとキッカからの情報では、東方騎馬民の総兵力は約一五〇〇。そのうち、五〇〇がドラゴンラインの攻略に投入され、一〇〇〇が鉄の橋に向かっているとされている。
アリアンは、斥候からの報告と総合して、フェイトとキッカの報告は大筋は正しい、との結論を出している。
賓館の一階は兵士の出入りが激しく、大扉は開け放たれていた。兵士はわずかな時間、火鉢で暖まり、熱い飲み物で水分を補給して、前線に向かっていく。
五歳以下の子供たちは三階の一室にいた。ミーナ、リリィ、ルキナ、メグの長男ボブ、ジャベリンの一歳半の長男、そしてミランの妻と生まれたばかりの赤子だ。
ジャベリンの義弟であり、ミーナの旧領主であるミランは、妻と子を守るため一兵士としてドラゴンラインに赴いた。
ミランの年上の妻シレイラは、産後の肥立ちが悪く、体調が戻っていなかった。
そんな彼女がいまできることは、幼い子供たちの子守である。
だが、シレイラは、ミーナたちの細やかな心遣いに癒やされていた。
シレイラは姉の子トートを預かったが、この腕白小僧はルキナの膝の上にいて、リリィが加わって遊ばれていた。
シレイラはゆっくりと身体を横たえることができ、自分の幼子を見つめることができた。
ミーナが「赤ちゃん」と彼女の子に話しかけ、「おばちゃん、赤ちゃんかわいいね」
シレイラはミーナが夫の国の領民であったことを知っていたが、それを口にするつもりはなかった。ミーナに対する罪悪感があり、またミーナに父母のことを思い出させたくはなかった。
ミーナはシレイラをよく気遣っていた。特に今夜は寒く、それを気にしていた。
「おばちゃん、これね、柔らかくて凄く暖かいの」といって、地下空間のボートから回収した毛布を渡した。
「それはミーナちゃんが使いなさい。おばちゃんも持っているの」といって、布袋から円筒形に丸めた毛布を取り出す。
ミーナは驚き、「どうして毛布を持っているの~」
「これは、おばちゃんのお父さんのものなの」
「ふ~ん。おばちゃんのお父様は、シュンのおじちゃんと同じなんだ」
「きっとそうね。シュン様は、おばちゃんのお父さんと同じ銃を持っているから」
シレイラの姉シュクスナは、M1D狙撃銃、つまりM1ガーランド半自動小銃に倍率二・二倍の光学スコープを取り付けた銃を持って参戦していた。長らく弾薬不足のために使用を控えていたが、マーリンたちから補給を受けて、使えるようになった。
リリィが近づいてきて、「赤ちゃん」とやさしく彼女が抱く赤子に話しかけ、「赤ちゃんかわいいね」とシレイラに微笑みかけた。
「リリィね。赤ちゃんを守ってあげるの」
リリィは、三人の宝物が入った私のビジネスバックを開け、FNブローニング・ハイパワーを取り出した。
シレイラは驚き、「だめよ、そんなものを持っていたら」といいながら、リリィから拳銃を受け取った。
その拳銃には、弾倉と薬室には一発も装弾されていなかった。
リリィはシレイラの手際のいい拳銃の扱いを見ていて、「おばちゃんは、ちゅかったことあるの~?」と尋ねた。
シレイラは、赤子のおむつや肌着を入れていた布袋から、一挺の拳銃を取り出した。
「ベレッタM92よ。弾はないけれど」
二〇世紀後半から二一世紀にかけて、世界中の軍が制式拳銃としたベレッタM92を、シレイラは持っていた。彼女は「弾はない」といったが、三発あった。この三発はシレイラと赤子、そしてトートの自決用として、シュクスナが渡したものだ。もちろん、最悪の事態を想定して。
ミーナが「もしかして、パラベラム弾?」と尋ねると、「そうね。九ミリパラベラム弾よ。よく知っているのね」とシレイラは驚いた。
「九ミリパラベラム弾ならあるよ。クルトお兄ちゃんのお父さんの拳銃がそうだもん」
ミーナの話を聞いて、シレイラは重い身体を起こし、赤子を抱いたまま部屋を出ようとした。
ボブが素早く立ち上がり、シレイラを支えるように脇に立った。ルキナは暴れるトートをやさしく抑えた。
シレイラが一階に降りると、アリアンをはじめとして幾人もが、赤子を連れて寒い場所にきた彼女を叱責した。
シレイラは、手短に拳銃のことを話した。一挺でも多くの武器がいる。自分が一五発装填できる強力な拳銃を持っていること、そしてリリィが父の形見という一三発装填できる拳銃を持っていることを告げた。
そして、適合する弾薬があることも。
シレイラは二人の女性に付き添われて、三階の部屋に戻った。
そして、子供たちと一緒に浅い眠りに落ちていった。
二二時を過ぎると、兵士の出入りは少し落ち着いた。
メグは、四四口径センターファイア弾用に改造したヘンリー銃をアリアンに預けた。
アリアンの手元には、フリントロックのマスケット銃が一二挺、ヘンリー銃、ベレッタM92、FNブローニング・ハイパワー、モーゼルC96、そして三挺のコルトM1911ガバメントがある。
アリアンは、ベレッタM92とハイパワーが加わったことから、拳銃ではあるが一定の弾幕が張れるのではないかと考えた。そして、これらの銃器を最終防衛線の守りとした。
アリアンは、天井を見た。電球とは何と明るいものなのだろうか。改めて感動していた。この照明は、人の心まで明るくする。
もし、ランプの灯りであったならば、東方騎馬民に勝てるなど思わないだろうが、煌々と絶え間なく輝く電球の明かりは、無限の勇気を与えてくれる。
イリアは東方騎馬民の夜襲を警戒していたが、攻撃がないまま夜明けを迎えようとしていた。
東方騎馬民は何度か夜襲を企図したのだが、不定期に打ち上げられる照明弾によって、戦場が白昼化されてしまい、数次にわたる断念が続き、結局、夜明けを迎えてしまった。
この状況に東方騎馬民は焦りを感じてはいなかったが、若年の民は性欲の開放をじらされて、腹を立て始めていた。
部族の長たちは、若者を抑えることが困難と判断し、夜明けと同時に騎馬突撃を決行することを決断した。
部族の長たちは、マハカム川を渡河する作戦も立案していたが、若年者の衝動は回りくどい戦術機動よりも、一気呵成になだれ込むことを望んでいて、これを変えることは難しい状況になっていた。
そもそも、東方騎馬民たちは略奪と強姦を餌に集められており、部族の長たちも容易にそれができると信じていた。
ただ、コルカ村が行った、マハカム川以南の赤い海沿岸部制圧作戦と直接対峙してきたエンバの部族は、敵が精強であることを知っていた。
それを他の部族に知らせたとしても、臆病、卑怯、脆弱と罵られることがわかっていたので、口を閉ざしていた。そして、最初の騎馬突撃には参加しないことを決めていた。
エンバの部族では、この決定に異を唱えるものはいなかった。それほどまでに、痛めつけられていたのだ。
エンバの部族は義理で参加しているだけで、戦況が不利となれば、南に脱出する算段を立てていた。
この季節、日の出は七時過ぎ、日の入りは一六時頃だ。だが、六時三〇分には明るくなり始め、七時前には十分な明るさがあった。
東方騎馬民の各部族は、六時には戦支度を終え、六時三〇分には乗馬して攻撃開始位置に着いた。
攻撃本隊は、街道を北進して鉄の橋を突破する。マハカム川沿いに西進する部隊と、東進する部隊がこれに続く。第一次攻撃隊の兵力は、総兵力にほぼ等しい九〇〇騎に達していた。マハカム川沿いに進撃する部隊に組み込まれた騎馬民の若年者たちは不満で、先駆けすることを考えていた。
そして、夜が明けきらない七時一〇分、マハカム川を西進する部隊から攻撃が開始された。
イリアは、マーリンとリシュリンから機関銃に対する騎馬突撃は自殺行為だと聞かされていた。街道の南にルイス軽機の銃口が向いている。西にはブルーノ軽機関銃が、東にはBARが敵を待ち構えている。その他、四挺のガーランド半自動小銃、二門の重擲弾筒が配されている。
だが、鉄の橋への一点集中攻撃は、イリアは考慮に入れていなかった。それは、あまりにも軍事作戦の要諦から外れた行為だったからだ。
イリアの眼前に剣を抜き、銃を掲げた皮鎧の屈強な軍勢が姿を現した。
時速四〇キロで疾駆する騎馬は、一分間に六六六メートル進む。イリアが敵を視認してから、射程内に入るまで三〇秒とかからなかった。
イリアが「撃て」と命じると、一斉射撃が始まった。
薬莢が排出され、火薬の匂いが立ち、擲弾が爆発し、わずか数分で最初の戦いが終わった。
マーリンとリシュリンが言っていたことは、嘘でも誇張でもなかった。機関銃弾は、騎馬兵をことごとく撃ち殺し、人と馬の死体は数十メートルにわたって街道を埋め尽くしていた。それは、マハカム川沿いの道も同じだった。
マハカム川沿いでは、撤退する敵兵に対して、対岸からの狙撃が加わり、兵力が半減するほどの打撃となった。
東側から進撃した部隊は、鉄の橋から西一キロの川沿いの開けた場所に再集結した。
そこに、マーリンが運転し、リシュリンがM2重機関銃を構える装甲車が対岸から静かに近づいた。
リシュリンが川を隔ててM2重機関銃を発射すると、一〇〇騎ほどの敵兵は一発の反撃さえできずに、大地に転がった。生き残った敵兵は、自分の足で走って東に逃げていく。
この時点で、東方騎馬民の各部族は仲間割れを始めていた。
現実には、一〇〇騎を失っただけで、まだ八〇〇騎は残っているのだが、そもそもの侵攻動機が略奪と強姦という、物欲と性欲に根ざしていたことから、損得勘定が合わないと主張する部族の長が現れたのだ。
それでも、撤退を主張する部族の長はいなかった。むしろ、身内を殺され、頭に血が上っている連中のほうが多かった。
東方騎馬民は、いまだアークティカの民を侮っていた。たまたま、退却に至った程度にしか考えていない。
そこで、再度、鉄の橋一点に対する騎馬突撃を決行することに議は決した。
イリアは迷っていた。思いかけず、東方騎馬民は騎馬突撃を仕掛けてきた。軍事の要諦では考えられないことだ。
ならば、もう一度、鉄の橋への一点集中攻撃を仕掛けてくる可能性がある。だが、同時に前回の不用意な攻撃を反省して、マハカム川を複数カ所で渡河する作戦に出る可能性もある。
イリアが迷っていると、ルイス軽機の銃手とガーランド半自動小銃手の会話が聞こえてきた。
「連中は私たちを馬鹿にしているのよ」
「そうよね。あのときはどうすることもできなかったから、今回も同じだって。
また、同じように仕掛けてくるわ」
イリアの迷いは消えなかったが、それでも作戦を変えない可能性のほうに賭けることにした。
イリアは、三人の伝令を呼んだ。
「西の拠点、東の拠点、それとマーリン殿に、機関銃は鉄の橋に集まれと伝えよ」
伝令は足の速い若者を当てていた。彼女らは必死で走り、その命令を伝えた。
西の拠点からは、七・九二ミリ弾を発射するポーランド製BARが銃手と弾薬手の二人がやって来た。
東の拠点からは、三輪の手押し車に銃と弾薬を満載して一人がやって来た。こちらもポーランド製BARだ。
マーリンとリシュリンたちは、村の家々を北に大きく迂回して、鉄の橋にたどり着いた。そして、装甲車を鉄の橋を渡りきったあたりに停止させ、M2重機関銃の銃口を南に向けた。
この配置を知ったアリアンは、賓館で急遽編成した拳銃隊を発電機が据えてある水車小屋に派遣した。
水車小屋は、湧水池の放水路にあり東側がよく見える位置にある。ここには、一四歳と一五歳の少年四人を物見として派遣しており、拳銃隊の増派は東からの攻撃に備えるための処置だった。
東方騎馬民には、略奪と強姦に加えて、復讐という目的が加わった。
ある部族の若い長は、「母親を犯しながら、その眼前で子の手足を切り落とすぞ!」と気勢を上げた。
臆病者のアークティカ人は、恐怖を与えれば従順になると信じていた。
九時を少し過ぎていた。
賓館では、子供たちが必死で弾倉に弾を補給している。ミーナは手慣れていたが、ルキナやリリィには初めてで、ボブも夢中で手伝った。
給弾が完了した弾倉は、戦闘には不向きな年齢の女性たちが、危険を冒して前線に運んだ。
前回の戦いは数分で終わったことから、空になった弾倉は少なかった。作業の終わった子供たちは手持ちぶさただった。
ミーナがアリアンに「お庭で遊んでもいい」と聞いたが、アリアンは「部屋に行っていなさい」とやさしく諭した。
鉄の橋の南側は、木立が点在する丘陵地帯だ。大きな岩が土中にあり、耕作には適さない。海岸付近は水はけと日当たりがよく、ブドウの栽培に適しているが、鉄の橋付近に耕地はなかった。
鉄の橋の南側は、遮蔽物となりそうな大木は伐採してあった。そのため、鉄の橋は、南側、つまり東方騎馬民の陣地からはよく見渡せた。
アークティカ人は、穀物袋に砂を詰め、それを積み上げて壁を造っていた。これほどみすぼらしい防壁は見たことがない、と東方騎馬民は総じて感じていた。
リシュリンは、もっと射界を広げておくべきだったと後悔していた。騎馬突撃の威力を削ぐために、ある程度の木立は必要と考えていたが、この一帯は平坦に見えるが土中に岩石が多く、馬の歩行に向かない。
だが、東方騎馬民は、馬の歩行に向かない荒れ地に馬で乗り入れ、大きく扇型に広がって、その中心、扇の要を鉄の橋南端の防塁として、一歩一歩、馬の歩を進めてきた。
彼我の距離が二〇〇メートルになるまで接近した。
東方騎馬民は、双方とも銃の射程外にいる、と判断していた。
だが、それは違っていた。鉄の橋の守備隊は、射撃に自信のある兵が各個に狙撃を開始した。
猟師の妻であったテミスは、夫と六歳の娘の敵を討つべく、三八式歩兵銃の引き金を引いた。この銃があれば、黒貂がたくさん捕れるのに、と思うと空しさがこみ上げてきた。
距離二〇〇メートル以上でも、テミスにとって人間は十分に大きな標的だった。
同じく猟師の妻であったウルスは、夫の銃を使っていた。夫は妻と子を守るためにこの銃で戦ったが、前装式ライフル銃は装弾に時間を要するため、一発しか撃てなかった。彼女と子は森に隠れたが、逃亡の途中で彼女の子は病で命を落とした。彼女は苦しむ我が子に何もしてあげられなかった。
夫の銃に傷を付けたくはなかったが、彼女は後装式に改造することを真っ先に望んだ。
夫は一発しか撃てなかったが、彼女は何発でも撃つつもりだ。
一四・七ミリの大口径ライフル弾の威力は凄まじく、手足に当たれば骨を砕き吹き飛ばす。
雇われ銃士の娘ノルンは、スプリングフィールドM1903A4狙撃銃を与えられていた。父親と許婚者は、ともに奴隷商人に捕らえられ、彼女は父親の機転でどうにか隠れたが、その後の逃避行は悲惨なものだった。二度、東方騎馬民に捕らえられて暴行を受け、二度逃げることに成功したが、心は傷ついたままだ。
彼女は一発も無駄にすることなく、すべての弾を東方騎馬民に浴びせるつもりでいた。
ジャベリンの妻シュクスナも射撃を始めた。彼女は、自分の子と妹と赤子の運命を背負っている。
扇状に広がって、アークティカ人を威嚇するつもりでいた東方騎馬民は、次々と発射される狙撃弾に一人ひとり倒れていく。隣の騎馬兵の顔半分が吹き飛ばされるのを見て、パニックに陥る若い兵もいる。
時間をかけることはできない。そう判断した部族の長たちは、突撃を命じた。
すぐさま、アークティカの陣地から一斉射撃が始まる。
機関銃六挺と小銃六〇挺の弾幕のなかに、六〇〇の騎馬が飛び込んだ。
戦いは三〇秒で終わった。馬が四方に走って逃げ、人が大地を埋め尽くした。突撃を敢行した六〇〇の騎馬は、三〇〇が息絶え、三〇〇が馬を失って徒歩で逃げた。
戦場からは、父親を呼ぶ子供の泣き声が数か所から聞こえてくる。大人の泣き声もする。言葉にならない呻き声も聞こえる。
九時三〇分、東方騎馬民の部族長会議は紛糾した。すでに、兵力の半数を失い、アークティカ領以東との連絡も途絶えている。
部族の長の多くは、何がどうなっているのか理解できていない。部族の長の中には、跡取りとなる男子のすべてを失ったものもいる。
エンバの長が発言した。
「アークティカ人は強い。我らは、南に逃れる。戻るつもりはない」
彼はその言葉を残して、部族約一〇〇を引き連れて、陣を離れた。
だが、残された部族の長は、エンバの長の言を真に受けなかった。まだ、兵は半分残っている。ここで引けば、何も手に入れられず、兵を失っただけになる。
帳尻が合わない。
アークティカ侵攻は、東方騎馬民の部族の長にとっては経済活動であり、若い部族員にとっては女性を辱める娯楽であった。
いま、そのどちらも達成されていない。
若い部族員たちは、すでに恐怖のどん底にいた。部族の長たちには、秘密兵器があった。一二〇ミリの青銅製野砲三門である。砲手六人は奴隷商人から買った。
反抗的な北方人の砲手は信用できないが、捨て駒として使うつもりだ。敵と対峙させれば、戦うだろう。そうしなければ、死ぬのだから。
一三時まで、東方騎馬民の動きはなかった。イリアは、敵が対応策を企図していることを察してはいたが、それが何かまではわからない。ただ、もう騎馬突撃は仕掛けてこないことだけは確信していた。
どのようにも対応できるよう、機動力のある装甲車を鉄の橋から後退させ、マハカム川の下流側に移動させた。
逆に大型蒸気乗用車二輌を上流側に移動させた。
気温は八℃。天気は快晴。イリアは、これから日没までが勝負のように感じ始めていた。
イリアはリシュリンに「敵が退却を始めたら追撃しろ」と命じた。そして、イリア自身も追撃に加わる決意でいた。
臨時の総大将は、シュクスナが適任だ。もっと、早くに彼女を知っておきたかったとさえ思う。
メグは真っ先に追撃に参加する。彼女は、軍人でも、武人でもない。用心棒だ。アークティカの用心棒だ。
用心棒の仕事として、後顧の憂いを立つために、東方騎馬民を徹底的に叩く。
一二〇ミリ青銅砲三門は用意できたが、東方騎馬民が購入した砲弾がこの砲とは適合しなかった。この砲は前装式だがライフルが刻まれている最新型で、先端が丸く整形された円筒形のドングリの実型砲弾を使う。実体弾、榴弾、キャニスター弾があるが、東方騎馬民が用意した砲弾は、旧来の球形実体弾だった。
この砲弾でも威力は減じるが発射はできる。だが、北方人の奴隷砲手たちは「砲弾が合わない」と操砲を拒否していた。サボタージュである。
当ての外れた東方騎馬民は、無為に時間を浪費していた。
そのうち、全軍の統制が緩み始め、騎馬二〇〇の増援が到着したこともあって、一部の部族が勝手に攻撃を始めた。
一四時頃のことであった。
鉄の橋の上流は、川幅が一〇メートルに狭まる。この川幅とは、南岸と北岸を形成する高さ一〇メートル前後の崖の間隔で、水の流れの幅ではない。崖の下の水流の幅は、最大でも二メートルほど。この付近の深さは一~三メートルであった。
梯子やロープがあれば、崖下に降りることができ、水流から頭を出している岩をつたえば濡れずに対岸に渡れる。対岸に渡ったら、膂力で崖を登ればいい。
敵は所詮女。彼らが崖を登る姿を見れば、恐怖で逃げ出すに違いない。
そして、一五〇人からなる渡河作戦部隊の攻撃が始まった。
コルカ村守備隊は、後装式単発滑腔銃を装備している。敵が徒歩で近づく様子を見て、ただちに反撃の発砲を開始するが、南岸にとりつかれてしまった。
両岸は、距離一〇メートル強の至近で、激しい銃撃戦となった。
東方騎馬民は、あっという間に一〇メートルの崖を下り、崖下に到達してしまう。その数一〇〇。南岸には渡河部隊を援護する五〇の兵がいる。
しかも、北岸の崖下直下は死角だ。
コルカ村守備隊は、投擲力に自信のある数人が、初めて南岸に向けて手榴弾を使った。距離は一〇メートルしかない。遠くに投げすぎる兵もいる。
南岸の敵兵は、手榴弾攻撃に恐れをなし、撤退する兵が続出した。怖じ気づき動けなくなった南岸の兵は、小銃弾で制圧された。
崖下に降りた東方騎馬民一〇〇は、完全に孤立してしまった。ただ、アークティカの陣地からは、完全に死角になっている。東方騎馬民の指揮官は、時間をかけることはできないが、落ち着いてこの先のことは考えられると判断した。
このとき、守備隊は、火炎瓶と手榴弾をかき集めていた。火炎瓶は重く、女性の腕力では遠くまで投擲できない。だが、敵は崖下にいる。手を離せば火炎瓶は重力に引かれて落ちていく。
東方騎馬民が一斉に北岸の崖を登り始めると、崖の上から火の付いたワイン瓶が落ちてきた。
そして、崖下の岩に当たって砕け、燃え上がった。さらに、手榴弾も落とされ、破片で傷ついた兵が崖下に落ち、そこに火炎瓶が降り注いだ。
さらに、四肢のすべてを使って崖を登り始めた彼らに、真上から銃弾が射かけられた。
東方騎馬民の「崖を登る姿を見れば、恐怖で逃げ出す」期待は、完全に崩れていた。
素早く登り切った男がいた。その男は、崖の頂上に右手をかけた瞬間、背中と皮鎧の間に何かを差し込まれた。
男が崖の上に立ち、湾曲した長刀を抜くと同時に背中に差し込まれた手榴弾が爆発。男は背骨を砕かれ崖下に落ちていった。
恐怖は伝播する。東方騎馬民は崖を登る以外に死を免れる可能性はなく、崖の上には死しかなかった。アークティカ人の銃は、弾込が早く、次々に発射してくる。
そして、怯えた様子がまったくない。
最後に崖を登り切り、あるものは長刀を抜き、あるものは背負った銃を構えた。
彼らが最後に聞いた言葉は、「撃て!」という女の声だった。多くが崖下に落ち、崖の上に残った負傷兵は容赦なく崖下に突き落とされた。
そして、崖下に火炎瓶が投げ込まれ、途中で崖を登るのをやめた崖下の敵兵を焼き殺した。
何人もの東方騎馬民が断末魔の叫び声を上げ、それは攻撃に参加しなかったものたちの耳に届いた。
東方騎馬民は、エンバの部族が言い残した言葉を噛み締め始めていた。
「アークティカ人は強い。そして勇敢だ」
同時刻、マハカム川の下流、コルカ村の防衛線のさらに西側、アークティカにとっては「柔らかい下腹」といっていい無防備な境界線を、五〇人ほどの東方騎馬民が渡った。彼らは、崖を下り、水深一メートルの冷たい川に身体を浸けて渡り、そして崖を登った。
その様子は、大型蒸気乗用車に乗る遊撃一番隊が最初から最後まで監視していた。
東方騎馬民五〇は、いったん集結し、徒歩で東を目指した。アークティカの陣地に西側から奇襲を仕掛ける作戦だ。
ただ、本隊とは何らの連携はなく、東側の攻撃とも異なる単独攻撃だ。
大型蒸気乗用車の兵四は、まず青い発煙弾を打ち上げた。これは、西側北岸に東方騎馬民が渡河したことを知らせる合図だ。
シュクスナは、東方騎馬民が渡河攻撃を仕掛けてくるとすれば、川幅は広がるが、崖が低くなる西側下流中流域だと判断していた。
彼女は、西拠点の防備を固めるとともに、進撃してくる敵兵力の確認のために四人の斥候隊を送り出した。
斥候隊は、農業用小型蒸気車に小型貨車を牽引した車輌に乗車していた。威力偵察が認められており、敵を発見したら攻撃を仕掛け、どの程度の反撃があるのかを探ることが任務だ。
斥候隊はマハカム川北岸の不整地を西進し、三〇分ほどで、マハカム川沿いの道を東進する東方騎馬民を発見した。
東方騎馬民の後方一五〇メートルに遊撃一番隊の大型蒸気乗用車がいて、東方騎馬民を追い立てているように見える。
東方騎馬民は、明らかに遊撃一番隊の存在を知っていた。
斥候隊が徒歩で東進する東方騎馬民を監視していると、数名が道脇の窪地に潜むのが見えた。遊撃一番隊を待ち伏せ攻撃するつもりだ。
斥候隊は遊撃一番隊に危険を知らせる赤の発煙弾を打ち上げると同時に、東方騎馬民の本隊に突撃した。
東方騎馬民の銃は、銃身の短い前装式滑腔のフリントロック銃で、中腰でないと銃弾の装填ができない。
彼らは、道の脇のわずかな盛り上がりを遮蔽物にして射撃を継続しているが、蒸気車から降りて身を完全に隠して射撃をしてくるたった四人の斥候隊を制圧できないでいた。
さらに斥候隊の一人が、遊撃一番隊を待ち伏せしようとした分隊に手榴弾を投げ込み、制圧した。
この攻撃に遊撃一番隊も加わり、激しい銃撃戦となる。
東方騎馬民は、装弾に早合を使用していた。動物の腸で作った筒に弾丸と発射薬を入れ、それを銃口に落とすと、弾丸と発射薬が同時に入るようになっていた。もちろん、カルカで突く必要があり、早合を使っても一発の発射準備に一〇秒を必要とした。一分間に六発発射が上限である。
対するアークティカ側は、斥候隊、遊撃一番隊とも全員がボルトアクション小銃を装備しており、一分間に一五発発射できる。しかも、一人はカラシニコフ突撃銃を持っている。
兵力では五〇対八だが、火力ではアークティカ側が圧倒していた。
追い詰められた東方騎馬民は、大きな窪地を見つけ、その中に潜り込んだ。この窪地に入るまでに、二〇人が倒されていた。
斥候隊と遊撃一番隊は、徐々に間合いを詰め、手榴弾が投擲可能な位置まで二人が前進していた。
そこに銃声を聞いた装甲車がやって来た。その走行音に東方騎馬民が気をとられている隙を突いて、二人は一発ずつ手榴弾を投げ込み、留めにさらに一発ずつ投げ込んだ。
リシュリンは、M2重機関銃を構えながら、窪地に倒れている東方騎馬民を見下ろしていた。全員、一〇歳代後半から二〇歳代前半のようだ。子供のような顔立ちの敵兵もいる。
それを制圧したアークティカ人も、ほぼ同年代だ。いや、二〇歳代は極端に少ない。
斥候隊と遊撃一番隊は、生存の可能性のある敵兵には容赦なく銃弾を撃ち込んだ。
一人の少年兵は、まだ意識があり話すこともできた。
「お願い。助けて。撃たないで」と泣いて懇願した。
その少年兵に銃口を向けているアークティカ人の少女は、「お前たちは、私がやめてと叫んでも笑いながら……」と言い終える前に引き金を引いた。
マハカム川の対岸に、東方騎馬民の騎馬数人が姿を現した。様子を見に来た斥候だろう。
遊撃一番隊の一人が、対岸の東方騎馬民に対して、大声で「お前たち、よくアークティカの地にやってきた。生きて二度と一人たりとも東方に返さない。皆殺しだ!」
対岸の東方騎馬民斥候隊は、分別のある大人だけだったが、彼女の宣言に非常な恐怖を抱いた。
そして、一発の銃弾が北岸から放たれ、南岸の遊牧騎馬民の一人が馬から転げ落ちた。
残りの騎馬は一目散に南に逃げていった。
一五時を過ぎ、一六時に日没を迎えると、戦場は静けさに包まれた。
鉄の橋の南端には、人間の死体が落ち葉のように敷き詰められていた。
日没となり、闇が戦場を覆うと同時に、エンバと同様にアークティカとの戦闘を重ねてきたガラツの部族が姿を消した。
彼らはエンバとは異なり、アークティカの地に定住することを考えていた。そのため、奴隷と家畜を伴っていたのだが、そのすべてを捨てて逃げた。
戦いの勝敗の行方は、アークティカの勝利に傾きつつあった。
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