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第3章 競争排除則

03-024 中部揺籃

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 太志と蓮太を追う中部小王国の部隊は、秋まきコムギの作付けの頃になっても現れなかった。
 彩華は落ち着いてはいるが、回復してはいない。
 耕介はフィオラの父親から、かなり深刻な提案をされていた。
「コウ、おまえがケンの跡を継げ。
 村役になるんだ。
 俺は遠くないうちに、引退する。俺と妻の畑をおまえが継ぐんだ。
 エトゥのことは気にするな。あいつには油屋が向いている。ケンはあの子に新しい生き方を教えた。感謝している。
 おまえが俺たちの畑を継げば、おまえたちの畑と合わせて、近在最大の耕作面積になる。
 俺が村役を務める集落、ケンが村役だった集落、ケンが村役だったチュウスト村の集落を合わせると、おまえは15カ村で最も大きい集落の村役になる。
 その権力は絶大だ。
 もちろん、3つの集落の統合ができればだが……。
 反対は多いだろうな。エルフは計算高い。ヒトよりも……。
 仮にだ。
 統合できなかったとしても、3つの集落の村役が同じならば対抗できる発言力を持つ村役はいない。
 コウ、おまえが村役になれ」
 フィオラの父親は権力志向ではあるが、悪人ではないし、権力を悪事に使うこともない。善良で、堅実だ。
 耕介はフィオラの父親の考えが、浅いものか、深いのか、判断はできないが、言っている意味は十分に理解できた。
「あぁ、親父さんの考えはわかる。
 だが、残念だが俺は健吾ほど頭がよくない。
 あいつは何でもできるが、俺は違う。畑を耕すことと、クルマを直すことくらいだ」
 フィオラの父親は、耕介に拒絶されることを予測していた。
「だが、徳がある。多くのエルフを引き付ける徳がね。
 その点では、ケンに負けない。
 それが大事なんだ。
 俺のように欲深じゃないし、公平だし、誰にでも平等に接する。
 おまえが村役になるのが、一番いいんだ」

 集落では、新しい村役の選出を急いでいた。 シルカと亜子の名は上がらないが、耕介、モンテス少佐、フリッツが候補だった。
 しかし、モンテス少佐とフリッツは、診療所に不可欠で村と村民の多くが大反対している。
 消去法で、筆頭候補だった耕介が選出されることは既定路線になりかけていた。

 耕介は、健吾が夜遅くまで飲んでいた飯屋に行ってみた。彼が知らない、健吾の様子を知りたかったからだ。
 飯屋の主は、クルナ村にたどり着いてからの知古。健吾のことは、たやすく聞けると思った。
 だが違った。
「ケンのことはよく知っているし、何を考え、何をしたいかも知っている。
 だけど、客だ。客の話はしない。絶対にしない。コウであっても、例外じゃない」
「親父さん、俺も健吾のことは知っている。中坊の頃からの仲間なんだ。
 だけど、知らないこともある。
 それを知りたい」
「いや話さない。
 俺はケンを尊敬していたし、ヒトだと思ったことはない。あいつはエルフだ。
 そして、友だちで客だ。
 コウにだって、話さない」
 完全な拒絶だった。
 健吾は、それだけ愛されていたわけだ。
 だが、別の情報を伝えた。
「別の話だ。
 こいつは伝えに行こうと思っていた。
 館に客が泊まっているだろう?」
「あぁ、太志のことだろ」
「そう、タイシだ。
 その客を探して、昨夜、物騒なヒトが店に来た。紋章の入った胸甲を着けていたから、どこかの兵かもしれない。
 エルフじゃない。
 ヒトだ。
 エルフの通訳がいて、そいつが似顔絵を見せて、居所を知っているか尋ねた。
 館の客だ。
 もちろん、知らないと答えた。
 だが、深く考えず、親切に教えちまう村民もいる。時間はないぞ、気付かれるまで1日か2日……」

 館内〈やかたうち〉のルールでは、銃は彩華が一括して管理することになっている。
 しかし、彩華がそれをできる状態ではない。また、耕介は太志が銃を持ち込んでいることを黙認していた。手元から銃を放さないと感じていたからだ。

 翌日午前、蓮太と一緒に風呂掃除中の太志に、耕介が告げる。
「あんたを探しに、村にヒトが来た。
 人相書を持っていたそうだ。
 胸甲を着けて、剣を佩いていた」
 太志が悲しそうな顔をする。
「そうか、長い間、ありがとう。
 すぐに立ち去るよ」
 耕介が手で制止する。
「そういう意味じゃない。
 太志さんは出ていかなくていい。
 あんたのことは、村役会で決める。
 俺は、あんたを探しているヒトの話を聞いてみようと思う」

 胸甲を着けた集団は12騎で、村を我が物顔で調べている。
 脅迫はしないが、普通に考えれば怖い。
 村の保安官は、臨時の保安官補を採用し、直近のもめ事に対応しようとしていた。
 早晩、血の気の多い若者と刃傷沙汰になることは、確実だからだ。
 つまり、刃傷沙汰を起こしそうな連中を、強制的に保安官補に任命した。

 人相書を見せられた鍛冶屋の親父さんは、ニタニタしながら太志の居所を教えた。気弱な村民が、怖い思いをしたらかわいそうだと感じたからだ。
 それに、シルカと仲がいい保安官が、保安官補を集めていることも知っていた。彼の息子も保安官補にされている。
「あぁ、タイシだろ。
 川の畔にある館にいるよ。
 あんた、通訳で雇われたのか?」
 通訳はエルフの無頼だ。
「あぁ、そうだ」
「そうか、なら、早く逃げたほうがいい」
「なぜ?」
「あんたの雇い主よりも、はるかに強い。
 とばっちりで、殺されたらイヤだろ。
 それに、あんたたちは丸1日、村中を嗅ぎ回った。もう、館は知っている。待ち構えているぞ」
「わかった」
「あぁ、エルフのよしみだ」

 通訳は、鍛冶屋の店主からの情報を雇い主に伝えたが、雇い主と彼の部下は一笑に付した。
 雇われの身であるエルフの無頼は、どう立ち回るか思案している。クルナ村の女戦士の噂は知っていた。

 太志が食堂のテーブルに長さ1メートルほどの円筒形のバッグを置く。
 ファスナーを開ける。厚手の固い布を両手で広げる。
 西部劇のガンマンが腰に下げるようなガンベルト、重量感のあるコルト・パイソン。
 レバーアクションで、.357マグナム弾仕様のヘンリー・ライフル。
 ホルスターに入ったグロック17とサプレッサー付きのウージー短機関銃が入っている。グロック用のサプレッサーもある。
 暗視装置とライフル・スコープが2つ。民間用M14バトルライフルもある。
 耕介が感想を一言。
「驚いたな。
 重武装だ」
 刃渡り50センチもあるコンバットナイフもある。
「そのナイフも拾得物?」
「いや、自作だよ。
 トラックのリーフスプリングが素材だ」

 蓮太は怯えているが、他の子供は大喜び。シルカたちが負けるはずがないと、確信しているからだ。
 フィオラは、走り回る子供たちを捕まえようと躍起になっている。地下のセーフルームに避難するためだが、メアリーが「言うこと聞きなさい!」と怒って、ようやくセーフルームに連れていく。

 フィオラとメアリーは、迎撃のポジションにつく。メアリーは初めてだが、フィオラは何度か経験している。
 フィオラは、メアリーが銃を撃てるとは思っていない。それでも、戦いには慣れてもらわないとならない。

 胸甲を着けた12騎が敷地内に入ってきた。
 耕介、太志、亜子、シルカの順で、屋外に出る。
 耕介は少しイラついていた。問答無用だった。昨夜の集落の集まりは、一切の反論を許さず耕介を村役に推挙したからだ。
 これで、実質的に耕介は村役になった。
 村役になることがイヤなのではない。健吾の代役がイヤなのだ。健吾が心美の兄の代役をイヤがっていたように。
 だから、一暴れしたかった。
 だが、暴れてはいけないと考えていた。感情と現実の乖離が、耕介をイラつかせていた。

「王である」
 馬上の男は、鐙〈あぶみ〉を外さずに名乗った。耕介は、その程度ならヒトの言葉を解すが、理解していないフリをした。
 エルフの通訳がエルフの言葉で伝える。
「彼は、ヒトの王だ」
 耕介は、どう反応すべきか迷った。
 しかし、瞬間、ヒトの王の恰好が芝居がかっていて、道化のように見えた。朱色のマントも滑稽だ。
 無意識に微笑んでしまった。
 亜子、耕介、シルカは、アメリカ軍のボディアーマーとヘルメットを装着している。
 2億年前の装備に、シルカもだいぶ慣れてきた。
 太志はpolicíaと胸と背に表記された黒い防弾チョッキを着ている。スペイン語圏の警察の装備のようだ。
 かなり使い込まれている。ヘルメットは、ヘルメットカバーがなく軍用なのか警察用なのか見分けられない。

 耕介は、できるだけ穏便に収拾しなければならない立場だった。
 通訳を介すよりは、直に話したほうがいい。細かいニュアンスの問題はあるが、そこは太志を頼ればいい。
 耕介は、ヒトの言葉がわからないふりをやめた。
「俺は、この集落の村役なんだが、武装した集団がうろつく理由を知りたい。
 あんたたちは、何をしにクルナ村に来たんだ?
 来訪の目的を教えてくれ」

 屋根裏の窓からブレン軽機関銃を構えるフィオラは、耕介が落ち着いた声で語りかける声をイヤホンでモニターしている。
 とんでもなく便利な道具で、エルフにとっては魔法に等しい。

「下郎、王に直言するとは無礼であろう。
 が、ものを知らぬ田舎者に腹を立てるほど、余は気難しくない。
 教えてやろう。
 おまえの横にいる男が、我が息子を殺したのだ!
 その男を引き渡せ。子もだ。そやつの目の前で子を殺し、次にそやつを苦しめながら殺す」
 耕介が微笑む。
「ここは、あんたの領地じゃないことは理解しているか?
 俺たちの村では、子供を殺せば理由の如何に関わらず、絞首刑だ。
 それを理解しているか?」

 フィオラは、敷地の外周を囲む石囲いの外側に、保安官と保安官補が配置する様子を見ている。
 南北の出入口も封鎖するつもりだ。保安官補だけでなく、常備軍1個小隊規模の応援を得ている。
 総勢は75人以上。

「水溜太志はなぜ、あんたの息子を殺したんだ?」
 王はイラつき始めていた。
「下郎、我が嫡男、王太子は無礼を働いたそのものの女を斬った。
 それを恨んで、王太子を殺した。
 許されることではない」
 耕介は、フィオラからの無線を聞いていた。亜子、シルカ、太志も聞いている。
 シルカはニヤニヤが止まらない。亜子とシルカは、暴れたがっている。
 困った暴力女子だ。
 耕介の声は、落ち着きが増している。
「無礼とは?
 どんな無礼を働いたんだ?」
 王はイラつきが増し、剣の柄に手を伸ばしそうになっている。
「我が王太子が騎乗するウマの行く手を遮った」
 耕介が王をにらむ。
「幼子が泣き、あんたのバカ息子が乗るウマが驚き暴れ、振り落とされたんだろう。
 正直に言え。
 それは、あんたのバカ息子の乗馬の技量が低いからだろう?
 子供の泣き声で、振り落とされるようじゃ、男じゃないぞ。
 息子はタマナシ、親父はウソつきか!」
 王が激高する。
「下郎、無礼だぞ!
 成敗してくれる!」

 保安官が指揮し、敷地内に保安官補と軍の歩兵が雪崩れ込む。
 耕介が保安官に叫ぶ。
「保安官、暴力行為の現行犯だ!
 逮捕してくれ!
 それと、俺を殺すそうだ。殺人未遂も追加してくれ!」
 アッサール保安官がいじわるな問いを投げる。
「それは、村役様の正式な要請か!」
 耕介がウンザリした顔をする。

 王は焦った。
 奇妙な軍装をした完全装備の兵に囲まれてしまったからだ。
 耕介がこの騒動を収める案を出す。
「王様、あんたは自分の子供がしでかした不始末の責任がある。
 親としてね。
 一方、あんたが粗暴な子供を育てなければ、この男の妻は死ななかった。当然、子育てができないのに、子供を作ったあんたに恨みがある。
 あんたが王太子殿下の母親に乗っからなければ、彼の妻は死ななかった。
 彼の妻の死は、突き詰めればあんたが悪い」
 王が反論する。
「何を言っている。
 妻だと。奴隷だったそうじゃないか!
 奴隷を殺して何が悪い!」

 耕介は保安官に声をかける。
「保安官!
 この男の息子が太志の奥さんを殺したと認めた。太志は奥さんを守ろうと、この男の息子を殺したんだ。
 正当防衛だ。
 だが、この王様は納得しない。
 決闘で決着を付けようと思うが、いいか!」
 アッサール保安官が頷く。

 耕介が馬上の王に告げる。
「王様、いま方針が決まった。
 決闘だ。
 決闘なら、1人の血が流れるだけだ。このままでは、あんたたち12人が死ぬことになる。
 それは、俺も望まない。死体の処理がたいへんだからな。
 王様と下郎が決闘で決着を付ける。
 公平だろ」
 王が剣を抜く。
「何をバカな!
 余は王だぞ!」
 耕介は、切っ先が自分に向けられても平然としている。
「何なんだ?
 結局、親子揃ってタマナシか?
 タマもねぇのに、子供なんか作るから、このざまなんだ。
 決闘で、おとなしく殺されろ。
 それが、世のため、エルフとヒトのためだ」

 太志が初めて言葉を発する。
「怯えてないで、馬から降りて戦ったらどうだ。
 いや、ウマに乗ったままでもいいぞ。
 俺は北側に立つ。
 王様は、南から斬りかかってくればいい。
 俺は歩行、あんたは騎馬。これだけの差を与えても逃げるなら、歴史に残る臆病者だ」
 太志が北側に移動する。
 連動して、保安官補と軍の兵も動く。そして、王の家来たちも。

 王の年齢は40を少し過ぎた程度。若くはないが、老人ではない。
 太志は30歳少し過ぎ。生年は耕介たちよりも遅いが、1時間半ほど早くゲートに入ったことから、かなり年上になってしまった。
 2億年後のヒトとしては、若者ではない。

 2人の男が対峙している。
 ウマに乗る男には長槍が渡される。太志は左の腰に吊している巨大なコンバットナイフを抜く。形状は意外とシンプルで、旧軍の銃剣、ゴボウ剣に近い。ゴボウ剣の延長型といった感じだ。
 王が赤い鶏冠のついた冑を脱ぎ、それを家臣に渡す。家臣と言葉を交わし、微笑む。
 太志の武器を見て、勝利を確信したようだ。
 王のウマがいななき、両前足を上げる。
 両足が着地すると同時に、王はウマを疾走させる。

 太志のコンバットナイフの構えは、相応に決まってはいたが、王のウマが走り出すと同時に、手のひらを広げてナイフを落とす。
 前に出していた左足を引き、コルト・パイソンを抜く。
 38口径の拳銃弾が王の左肩に命中し、長槍を手放して落馬する。
 王は驚くが、痛みは感じておらず。すぐに起き上がり、右手で剣を抜く。アドレナリンのなせる技だ。

 太志のパイソンは、ホルスターに納まっている。
 王は渾身の突きを放つが、太志は体をひねり、切っ先を避ける。

 耕介には太志がパイソンを抜く瞬間が見えない。

 シルカには、太志の動きが見えていた。滑らかで無駄のない動きは、一流の剣士・戦士と同じだと感じる。
 だとすれば、自分にも同じ動きができるはずだと。気付くと、彼女は健吾が残したリボルバーを抜いていた。
 太志の動きを真似るが、しっくりこない。彼女はそれが未熟な鍛錬が原因ではなく、彼が使うホルスターであればできるはずと考えた。
「村に行って、すぐに注文しなければ」
 亜子は「何言ってんの?」とシルカを責めたが、太志の動きからは目が離せなかった。

 王は結局、太志に左太股を撃たれ、痛みで地面を転げ回った。
 太志は王の右手首を右脚で踏む。そして、左足で王の剣を蹴る。
「殺しはもうたくさんだ。
 国に帰って、おとなしくしていろ。
 止血して、化膿しなければ、天寿を全うできる。いい年をしてこれ以上、悪さをするな」
 王が太志をにらみ上げる。
「魔法使いだったのか、卑怯者。
 欺したな!
 正々堂々と戦え!」
「あんた、何言ってんだ。
 俺の妻は、小柄で痩せっぽちだった。
 あんたの身体の厚みの半分もない。小枝1本持たない相手を、あんたが使っていたあの剣で背中から刺したんだぞ。
 あんたの息子の剣の切っ先は、胸に抱いていた息子まで届いていた。息子の胸には、そのときの傷が残っている。
 武器を持たない、抵抗の術のない相手を、あんたの息子は殺したんだ。それも背中から刺した。
 卑怯の極みだろう。
 それに、あんたは俺に賞金をかけ、エルフの土地に逃げたと知ると12騎で追ってきた。
 息子が卑怯者なら、親も卑怯者だった。
 卑怯者を卑怯な手(手段)で倒して、何が悪い。おまえが正々堂々としていないのに、なぜ俺が正々堂々としなければならないんだ。
 あんた、バカなのか?」
 太志の至極もっともな論を聞いて、家臣たちは下を向いてしまった。
 王が右手で、太志の足首を握る。
「必ず復讐する。
 そのときは、おまえに味方したこの館のものたちだけでなく、村のエルフたちも皆殺しだ!」
「それは、困ったな。
 これ以上、迷惑をかけられない」
 太志は王の額にパイソンの銃口を向け、発射した。
 王の頭が大きく跳ねた。

 クルナ村のエルフの中には、ヒトの言葉を解すものもいる。
 復讐と皆殺しは、絶大な効果があった。11騎のヒトを生かしておけば、村に災いが起こりかねない。
 太志のこととは別に、保安官補と常備軍の兵たちから殺気が漏れ始める。

「エルフの方々!」
 王ほどではないが、派手で造作のいい軍装の男が下馬し歩み出る。
 家臣のまとめ役と思える老人が、男に声をかける。
「お待ちを、王弟殿下!」
 王弟と呼ばれた太志と同年齢ほどの男が、老人を制す。
「私は、国王陛下の弟である。
 この果たし合い、正当なものと認める。
 我が兄は嫡男の仇を討つため、この下郎に戦いを挑んだ。
 下郎は妻の仇を討つため、兄と戦った。
 そして、正々堂々の戦いで、兄は敗れた。
 これにて、双方の遺恨は一切消えた」
 王弟は、家臣たちに向く。
「ただ、一国の王が、誰とも知れぬ下郎に敗れたとあっては、家名が持たぬ。
 我が兄は家名を汚した。
 遺体は持ち帰るが、葬儀はしない。
 これより、家名回復のため、私が王となる。
 異存のあるものは、歩み出よ!」
 家臣の老人が「王弟殿下万歳、新たな国王陛下万歳」と叫ぶ。
 家臣たちがそれに続く。

 シルカが亜子に囁く。
「国王陛下は、王弟殿下に国を乗っ取られちゃったね」
 亜子もそれに気付いていた。
「あの国王じゃぁ、忠誠なんて無理だよ」
 シルカが亜子の耳に口を寄せる。
「国王に忠誠を誓う家臣なんていない。
 国王や領主と家臣・家臣の関係は、損得だけ」
 亜子が微笑む。
「下克上ってやつだね」
 シルカはその言葉を初めて聞いた。
「ゲコクジョウ、意味は?」
「下位の者が上位の者を倒して権力を手に入れることだよ」
「まさに、この世はゲコクジョウだな」

 国王の亡骸は毛布にくるまれ、ウマの背に乗せられて運ばれていった。
 どこかの森の中に深く埋めるか、荼毘に付すしかないだろう。数日で腐敗が進むので、亡骸をそのまま持ち帰れはしない。

 その夜、太志は村役場の会議室にいた。
 太志は、上手とは言えないエルフの言葉で、今回の事件を謝罪し、同時に不問とされることに感謝した。

 参加できる村役だけでなく、村長や村役場の幹部もいる。
 彼らが知りたいのは、ヒトの土地の情勢だった。それは、耕介も同じだ。
 太志が説明を始める。
「ヒトの土地は、大きく分けると3つになります。
 海岸部の海路交易地域。
 山脈東麓沿いの南北交易路地域。
 この2つに挟まれた内陸地域。
 この3つは、文化的にかなり違います。
 ます、南北を結ぶ交易路ですが、エルフの国の1つ、シンガザリが戦争を仕掛けたので、現在は北からの隊商がやって来ません。
 ドワーフの土地からは、隊商が頻繁に訪れています。
 数百年、数十年前に建国された若い国が多いです。
 海岸にある国は、数千年前から存在します。エルフやドワーフと交易し、フレンドリーで平和を好みます。
 その点では、山脈東麓沿いの国も同じで、交易で国を豊かにしたいと考えています。
 実際、豊かです。
 大きなヒトの国は12ありますが、そのすべてが海岸か山脈東麓にあります。
 逆に内陸は、途方もない田舎です。
 魔物、悪魔、魔女、魔法使いなど、ヒトが生み出したあらゆる迷信があるとされています。
 医療レベルも極端に低く、手洗いやうがいさえ普及していません。
 国の数は200から300にもなり、集落5つでも領主は国王を名乗ります。
 奴隷、平民、特権商人、貴族、王族、王家といった階層社会になっています。
 野蛮な暗黒社会です。
 俺を追ってきた王も、そんな領主の1人でしょう。
 私の妻は、内陸の出身です。親も奴隷で、生まれた瞬間から奴隷でした。
 逃亡奴隷です。
 妻を連れて、海岸へ逃げる途中で、災難に遭いました。
 海岸には逃亡奴隷の国があり、逃亡奴隷に自由証文という文書を発行してくれます。これがあれば、自由の身となります。
 それをもらいに行く途中でした。
 王太子を殺したので、エルフの土地に逃げ込みました。
 追われていることは知っていました。
 ヒトと交易するなら、海岸と山脈東麓に限るでしょう。
 内陸は文明とはほど遠い暗黒社会なので、接触は避けるべきです」
 村長が発言する。
「クルナ村は、山脈と海岸のほぼ中間。アクセニとは友好を保っているので、南北交易路を使えば、ヒトの国と直接交易ができる。
 だが、シンガザリが邪魔。
 シンガザリを避けて通れるルートはないものか?
 タイシさん、知らんかね?」
 太志が少し考える。
「村長様、あるのですが、シンガザリを避けると、トロールと接触する可能性が増えます。
 代案です。間道になりますが、エルフの土地の内陸から西側のヒトの国に入るルートがあります。
 ただ、一部がシンガザリに占領されています。占領地を避けるには、クウィル川を渡り、川沿いに西進するルートが一番いいでしょう。
 確証はありませんが……」
 村役筆頭が太志に向かって身を乗り出す。
「タイシさん、新たな交易路を開拓してもらえないか?
 ホルテレン経由だけでは心許ないし、ヒトの国の地元商人と直接取引したいのだ」
 太志が頷く。
「承知しました。
 何とかしてみましょう」

 健吾の死を乗り越えて、クルナ村は新たな交易の道を探り始めていた。
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