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第3章 競争排除則
03-023 生きる化石
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「どなたが亡くなられたのですか?」
旅の男が飯屋の店主に話しかける。
「村役様だ」
男が怪訝な顔をする。
「どこかの領主様がご逝去なさったのかと……」
「エルフの土地には領主なんていないよ。
ヒトじゃあるまいし。
いや、失礼。あなたヒトだね」
「まぁ、ヒトですけどね。
領主や王様なんて、大っ嫌いですよ」
「村役様もそうだった」
「村役様は、まさかヒト?」
「あぁ、旅のヒト。
村役様は、ヒトの賢者であった。
偉大な村役様であったよ。いずれは、村長どころか、地域の統領になられるお方だったんだよ。
惜しいヒトは早く死ぬ。惜しいエルフも早く死ぬ。生きているのは、俺のような無駄飯食いだけ」
「同感です。
私もつまらぬヒトなので、よくわかります」
「お子は?」
「3歳になります」
「ほれ、坊主。降りてこい。
腹が減っているだろう。何か作ろう」
「いや、申し訳ないが、お足が……」
「飯代は気にするな。
今日は村役様のご葬儀。
馳走するよ」
クルナ村は発展していた。
数年前までは、飯屋が1軒、旅籠が1軒、鍛冶屋が1軒だけだったが、いまでは飯屋や旅籠が増え、靴屋や服の仕立屋も開業している。
水溜蓮太は、賑やかな村に興奮していた。腹も満ち、父親に笑顔を見せる。
小さな村は何度も経由していたが、大きな村や街には立ち寄っていない。
息子の無邪気な笑顔とは対照的に、父親の心は沈んでいた。ヒトの領域から逃げ、ついに北の最果てに達したからだ。
フェミ川以北は、ヒトと近縁種は住まない。そして、住めない。植物相、動物相がまったく違うからだ。
父子の逃げ場はなくなった。
ヒトの父子が荷馬車駐車場の近くにある池の畔でキャンプを始めたことは、村民の多くが知っていた。
ヒトであることが珍しいし、母子ではなく父子である点が目立った。
シンガザリの侵攻によって、エルフの母子が戦場から遠い地域に逃げてくる例は多い。だが、父子は少ない。
父親は戦場にいるか、すでに殺されてしまっているからだ。
それと、避難者はシンガザリ兵から被害を受けていることが多い。多くは略奪にあっていて、所持品が極端に少ない。
だが、父子は豊富な物資を持っていて、テントもかなり大きく立派なもの。しかも、軽そうで、たたむととても小さい。
足りないのは、路銀だけ。父親は、日銭を稼げる仕事を探していた。
葬儀が終わったばかりだが、亡くなった村役の家に行ってみるつもりだった。
ヒトのよしみで、仕事をもらえないかと……。
耕介とマイケルが畑に向かう。
それを、亜子とフィオラ、メアリーが見送った。子供たちが食事を終えたら、メアリーも畑に向かうつもりだった。
亜子は、既視感に驚いていた。
「あれ、ハンターカブ?」
フィオラが額に手をかざす。
「誰が帰ってくるんだろう?
フリッツかな?」
「俺はここだぞぅ~」
庭に出てきたフリッツがおどける。
だが、すぐに驚く。
「クロスカブだ!
俺たちのじゃない」
まず、車体の色が違う。マフラーも違う。アップマフラーではない。
そして、ハンターカブは2台とも玄関前にある。今朝のリズとエルマは、バギーで出勤したからだ。
短髪の黒髪で、黒い瞳。後席に座る男の子も、短髪に黒髪だ。瞳も黒い。
バイクはよく見ると、クロスカブではない。スーパーカブに手を加えている。相当に使い込まれていて、左のバックミラーは壊れたまま。破損はそれくらいだが、泥汚れがひどい。
荷台にはチャイルドシートが固定されていて、3歳くらいの男の子がチョコンと座る。
厳しい旅を続けている様子が見て取れる男は、ヒトの言葉で話しかけた。
しかし、誰もヒトの言葉を解さない。
ヒトであるのに。
仕方なく、日常は使わないエルフの言葉に切り替えようとした。
フリッツが亜子に日本語で「ヒトの言葉みたいだけど」と言った。
男は驚いた様子を見せる。
「日本語、日本人?
日本人には見えないけど……」
突然の日本語でフリッツは驚くが、その感情とは異なる返答をする。
「金髪・碧眼でも、大阪で育ったコテコテの日本人だよ」
男は大きく息を吐く。
「日本人のよしみで、何でもいいから仕事をくれないか?
頼むよ。
力仕事なら何でもする……」
男の子はおとなしく、出された飲み物を父親の許可なしには飲まなかった。
ピーターがぬいぐるみを見せたり、紙飛行機を飛ばしたり、いろいろと誘うのだが、目で追うだけで父親のそばからは離れない。
父親が「遊んでもらいなさい」と促すと、ようやく椅子から超高速で降りた。
そして、楽しそうにピーターと遊び始める。
亜子が「どこから来たの?」と尋ねると、男は言葉を濁した。
「茨城から……」
亜子が訪ねたいのは直近の居場所なのだが、男はこれをかわす。
亜子は核心に迫る。
「誰かを殺したことは?」
会話は日本語で、言葉を解すのは亜子とフリッツの2人だけ。
「ある。
2億年前も。
2億年後も」
亜子は、2億年前の殺しが気になった。
「2億年前……。
誰を?」
男は答えを躊躇わなかった。
「盗人だ。
クルマを奪われそうになったので、殺すしかなかった」
亜子は、細かい事情・状況を尋ねるつもりはなかった。亜子たち自身、食料強盗に襲われ心美の兄を亡くしている。
燃料を持っていれば襲われるし、何も持ってなくても襲われる。運がよければ襲われないし、運が悪くなくても襲われる。
生きていれば襲われる。
「私は、冴島亜子。
名前を聞いてもいいですか?」
「あぁ、名乗るのが遅れてしまいすまない。
水溜太志だ」
「みずたまり、ですか?」
「珍しいけど、本名なんだ」
耕介は、夜遅くに帰ってきた。
誰もが寝てしまった時間を狙っていた。
健吾がいなくなった館に耕介が帰りたがらないことを、フィオラの父親は知っており、夜遅くまで酒に付き合っていた。
耕介の酒は行儀がよすぎて、舅は心配でたまらなかった。泣き喚いたり、怒り狂ったりする方が、マシだと感じるほど、耕介は落ち着いていた。
だが、健吾の死を受け入れられず、苦しんでいた。
耕介は部屋には向かわず、食堂で酒を飲み始める。
LED作業灯が異様に明るい。
太志は食堂にヒトの気配を感じ、用心しながら覗く。
慌てたのは耕介で、誰何した自分の声に驚く。
「あんた、誰だ!」
太志が両の手のひらを見せて、完全に姿を見せる。
「俺は、水溜大志。
亜子さんの好意で、一晩泊めてもらった。
旅の途中で、仕事を求めてうかがった」
「そうか。
すまねぇな。デカイ声、出しちまって」
耕介が驚く。
「日本語?
あんた、日本人か?」
太志は突っ立ったままだった。
「あぁ、俺も驚いたよ。
まさか、日本人に会うとは思っていなかった」
耕介は、太志を獲物に定める。
「俺は耕介。ここの住人だ。
こっちに来て、飲まねぇか?」
酒は数カ月ぶりの太志だが、もめたくはなかった。
大柄で、何となく暴力の臭いがする、耕介の誘いに乗る。
耕介は、端正だが影の濃い顔立ちの男が、何となく気に入った。最近は独り酒を好むが、今夜はこの男と飲みたかった。
誰かと酒を飲むと、誰もが健吾の話題を避けるが、酔うと彼の話を始めてしまう。
だから、健吾を知らない太志となら、酔えるかもしれないと感じた。
「水溜さん、どこから、ここへ?」
これは必ず問われる。
「太志でいいよ。この世界では、姓の意味はないからね。
茨城からだ」
「ゲートは?」
「埼玉の戸田」
「何年前に?」
「16年前」
「俺たちがゲートに入る、1時間半前か」
「……?
どういうことだ?」
「太志さんは、知らないのか?
2億年後と2億年前では、10万倍の時間差になるんだ」
「それは、本当か?」
「あぁ、ゲートに入るタイミングが3分違うと200日の差になる。
しかも、一部のゲートには時系列破綻があったようだ」
「時系列破綻?」
「あぁ、シーケンスに時間が並んでいないんだ。
最も古い移住者は50万年前くらい。
最も新しい移住者は、5年か4年前。
それ以後に移住者がいるか、よくわからない」
「いいことを聞いた。
納得したよ。
イズラン峠の西側には、原形をとどめないクルマがあったからね。
状態から判断すると、数百年前のものだった」
「イズラン峠?」
耕介が始めて耳にする地名だ。
「あぁ、山脈西麓と東麓を結ぶクルマが通れるルートの1つだ。
トロールは、イズラン峠を抜けてヒトの中部に侵入している」
耕介は、中部という地名も始めてだ。
「中部?」
太志が説明する。
「ヒトは、エルフの領域を北部、ヒトの土地は中部、ドワーフの支配地は南部と呼んでいる。
トロールはイズラン峠を通ってヒトの土地に侵入している。どうにか防いでいるし、バッギーズの長城があるから、簡単には突破できないよ」
耕介が核心に迫る。
「なぜ北部へ?」
太志は覚悟を決めていた。
「中部を旅していた。
俺の妻は逃亡奴隷でね。
同じ村には長くはとどまれないんだ」
耕介は噂が本当だと知り、驚いていた。
「奴隷?
本当にいるのか?」
太志は、悲しそうに微笑んだ。
「ヒトの社会は、ヨーロッパの暗黒時代さながらだよ。
ヨーロッパに行ったことはないし、暗黒時代も体験していないけどね。
人身売買に選民思想、近親結婚に政略結婚。人権以外は何でもありだ」
耕介は、尋ねるべきではないと感じてはいたが、強く引っかかる点があった。
「奥さんは一緒?」
太志が即答する。これを説明しなければ、迷惑をかけかねないからだ。
「いや、妻は死んだよ。
半年前に。
薄幸な子だった。
奴隷の子は、生まれながらに奴隷。何の権利もない。家畜と同じ。生涯、解放されることはない。結婚は繁殖のためで、結婚したからといって性暴力から逃れることはできない。
若いうちに事故とかで死ねるなら幸運。老いて働けなくなると、殺処分される。
左腕の内側に奴隷であることを示す9桁の数字のタトゥーがある。大きな数字で、見せずに生活はできない。
右腕には、2本の帯がタトゥーされる。
奴隷であることが、わかるように。
彼女は衝動的に逃げたらしい。無計画だったのが功を奏したようで、追跡を振り切っていた。
だが、逃亡奴隷は逃げようがない。
腹が減っていたのだろう、俺のキャンプからパンを盗もうとした。
で、捕まえた。飯を食わせ、保護した。
一時のつもりだったが、以後、一緒に行動するようになった。
逃げる女と、言葉がたどたどしい2億年前から寂しい男。
わかるだろ。
ある村で、理由はわからないが息子がギャン泣きした。
近くを歩いていたウマが驚き、竿立ちになり、男が落馬したんだ。
男は激怒して、妻もろとも息子を刺そうとした。妻は刺されたが、息子は無事だった。
一瞬でも遅ければ、息子も殺されていた。
俺が撃ったんだ。
その男と、男の仲間5人を。
その男はどこかの王の世継ぎだったらしく、俺に賞金がかけられ、賞金稼ぎと王国の追っ手に追われることになった。
南に逃げるか、北に逃げるか迷ったが、国が乱れている北の方が身を隠せると思ったし、エルフやドワーフの土地では賞金稼ぎなんていうアウトローは通用しないと聞いていたし……。
だが、王の追っ手は巻けなかった。
いまも追われている。
そして、北辺までやって来てしまった。もう逃げ場はない。
明日、川を渡るつもりだ。
逃げるしかないんでね」
耕介は、荒事が関係しているとは考えていたが、小国なのだろうが王が相手と聞いて驚いていた。
「ヒトは、12の国にわかれていると聞いたが……」
太志が少し戸惑う。
「確かに、比較的大きな国は12あるが、200から300はあるんじゃないかな。
ほとんどは封建的な王国だ。国王がいて、国王と血縁の貴族がいて、民衆がいて、奴隷がいる、といった階級構造だ。
小王国が分立している理由だけど、王子が複数いると、国を分割して相続させるからなんだ。
逆に、王子がいなければ最も近い血縁の王が領地を引き継ぐ。
欲深な王、私怨の王が隣領に攻め込むこともある。ヒトは、年中戦争しているんだ。
戦国時代さながらといった感じだよ」
耕介は、ヒトの勢力関係を知る太志は貴重だと感じた。
「健吾、最近死んだ仲間だが、彼が言っていた。
俺たち真獣類は2億年後の世界では、生きている化石なんだそうだ。
そりゃ、そうだ。
2億年間、進化していないんだから。
生きている化石である以上、ひっそりと許された地域で生きていくしかない。
それが、俺たちが住んでいるここだ。
真獣類は少ない。ヒトとヒトの近縁種とヒトが連れてきた家畜だけ。
ヒト、ウマ、ウシ、ブタ、ヒツジ、ウサギだけ。ニワトリは連れてきたものの絶滅したと聞いた。
その他の家畜だって、ヒトの保護がなければ絶滅する。
そもそもヒトだって絶滅しかねない。
だから、力を合わせないといけないんだ。
健吾はそう言っていた。
俺も賛成だ。
太志さん、あんたが俺たちにとって善人である限り、ここにいていい。あんたがよければだが……」
太志は、納得しない。
「いや、迷惑がかかる。
耕介さんのように考えるヒトはいない。
そもそも、2億年前の記憶も記録も口伝も伝承もないんだ。ヒトは、この土地の土着の生き物なんだ。そう信じている。
そして、残虐で、愚かで、欲深で、狡猾だ。王の追っ手は必ずやって来る。そのとき、必ず迷惑をかける。
だから、俺と息子は去る」
耕介も納得しない。
「ならば、その追っ手が来るまで、客としてここにいればいいさ」
太志と蓮太は、期限を定めず客として館にとどまることになった。
太志が「ただ飯は食えない」と強く主張するので、過酷な風呂掃除が割り当てられた。
亜子のあくどさに、耕介は呆れた。
太志の独創的な装備には、誰もが驚かされた。
太志は1人で2億年後に移住した。家族も仲間もいなかった。ナナリコもそうなのだが、彼女の場合はパートナーが待ち合わせ場所に現れなかった。最初から1人だったわけではない。
太志は最初から1人だった。
「俺は中1の時、友だちと悪戯で捨ててあったカブを動かそうとしたんだ。
坂から転がせば、エンジンがかかるかもしれないって。
で、運悪く、パトロール中のパトカーに見つかってしまった。
大災厄以前のことで、まぁ、子供がよくやることさ。
運の悪さが重なった。
そのカブは、連続引ったくり事件に使われたものだった。
それで、結構調べられたんだ。
結果、親から、家族から無視されるようになった。父親からは、教育する価値がないから高校には行かせない、と言われたんだ。
脅しだと思っていたが、中2のときに本気だと知って、さすがに慌てたよ。
親父は県の職員で、お袋は公立高校の教員だった。親父は教育関係の部署にいたようだ。2人とも公務員で、品行方正で勉強ができれば公務員になって、一生安泰に暮らせると信じていた。
実際、幼いときからそう言い聞かされてきた。
兄貴は、親の理想の子だった。妹は、我が家のアイドルだった。俺だけが浮いていた。
で、大災厄が起こる。
高校受験どころか、学校自体がなくなった。2億年移住計画が発表されると、親父とお袋が飛びつく。政府や行政の方針には、絶対に逆らわない人種だからね。
親父とお袋は、ガソリンと軽油の区別さえ判然としない。そんなことを知っていても、教育者としては意味がないからね。
最初は、軽油は軽自動車が使うと考えたようだ。だから軽自動車に乗って、ゲートまで行った。そうしたら、ディーゼル車でないとダメだと言われた。
その頃には、通貨が意味をなさなくなっていた。現金を見せても、誰も何も売ってはくれない。
親父とお袋の価値観は、完全に崩れ始めていた。それでも、ランクルの新型を手に入れてきた。親父がね。
父親は栃木の地主の息子でね。父親の実家は農業をやっていた。兼業農家だったけど、農地改革以前は地主だったらしい。
コメ300キロを分けてもらい、ランクルと交換したんだ。
で、またゲートに行った。
そして、また追い返されてきた。
コモンレールじゃダメだってね。
機械式の噴射装置を付けてこい、と言われたらしい。
親父には、そんな難しいことはわからない。
エンジンオイルのチェックさえできないのだから……。教育者をするには、クルマの知識は不要だからね。
移住の期限は定められていないけど、電力事情は日ごとに悪化していたし、ゲートは毎日稼働できなくなっていた。
早晩、移住できなくなることは、親父やお袋のような定形型でも理解できていたようだ。
その頃の俺は、家族とは離れ、母方の祖父母の家にいた。
茨城だけど、かなりの田舎でね。
お袋は実家を嫌っていたけど、俺はそうでもなかった。
俺は、祖父母の近くで移住の準備を始めていた。祖父母が若かった頃、まだ農業が盛んだった頃に使っていた、ボンゴ・トラックを修理していた。
機械式の燃料噴射ポンプ付きで、後輪はシングルタイヤ。4WDだから、そこそこ走れると考えた。
だけど、どれだけ走るのかわからないから、トラックは燃料が切れたら捨てるつもりでいた。その先は、あのカブとトレーラーで進む計画だった。
もちろん、ゲートの出口には世界中から移住者が集まっていると思っていたよ。
だけど、俺1人だった。10日間待ったが、それ以上は無理だった。
明確な理由はないけど、東南東に進むことにしたんだ。鏡の反射のようなものが見えたからなんだけど、ね」
耕介は、高度に改造されたスーパーカブよりもトレーラーに興味があった。
「あのトレーラーだけど、元は何?」
太志が微笑む。
「耕耘機のトレーラーなんだ。
そうは見えないだろう?
カブで牽引するために、徹底的に軽量化したんだ。結局、使ったのはシャーシだけ。荷台はアルミ板と等辺アングルで組み上げた。
タイヤとホイールはカブのものを流用した。カブのスペアタイヤになると思ってね。
15歳の子どもが用意できる物資なんてたかがしれていた。
予備の軽油40リットル、ガソリン60リットル、コメ90キロ、寝具は毛布とシュラフだけ。着替えは少々。寒さ対策は、ダウンジャケット程度。
調理道具は、使い込んだカセットコンロ、小さな鍋とフライパン、飯盒、ペティナイフが2本、食器はなかった。
ブルーシートが2枚。
装備はこれだけ。テントさえ持っていなかった」
耕介は、かなり疑問に感じた。
「いま、持っているものは?」
太志が微笑む。
「トラックの燃料切れ直前なんだけど、捨てられた車輌を見かけるようになるんだ。
多くはパンクだ。
それと、イズラン峠の入口付近には、大型トラックが乗り捨ててあった。
燃料は、それら車輌のタンクからもらったんだよ。
峠越えのルートは狭いから、ハンビーが限界だろう。
不足している物資・資材・道具は、遺棄された車輌から拝借。
食器から銃まで、テントも、衣類も2億年後に手に入れた。燃料もね。食料以外は何でも手に入った。
まさかほしいものが、2億年後の道端に落ちているとは思わなかったよ」
耕介は彼らよりも太志のほうが厳しい状態で2億年後にやって来たことは理解したが、時渡り後の物資調達は彼のほうが幸運だったことを知る。太志が続ける。
「でもね、役に立ちそうなものはなかなかなかったよ。
何日も調べ回って、タオル1枚なんてこともあった。
俺は、寒くなって峠が閉ざされるまでの4カ月間、山脈西麓にいたんだ。
ほとんどの時間を物資調達と、魚の燻製作りに費やしたよ。
孤独には慣れていたから、辛くはなかった」
彩華は、太志と蓮太が現れる前日、自室から出てこなくなった。
突然の変化で亜子は戸惑ったが、様子を見に行くと彼女は壊れかけていた。健吾とではなく、心美の兄と会話していた。
会話の内容は支離滅裂で、要領を得ない。だが、何かを謝罪しているようだった。
モンテス少佐がすぐに診察した。
「統合失調症かも。
だけど、症状が急すぎだし、激しすぎる。
極端な鬱状態かも。
戦闘での精神疾患については、ある程度の知識があるけど、どうしたらいいのか」
亜子が常時一緒にいることにしたが、目を離せない状態であり、万一のことを考えて、彩華の回りからすべての刃物を撤去した。
フィオラも彩華を心配し、彩華の様子を耕介に伝えたが、夜遅くに戻ってきた彼女の夫はあまり関心を示さなかった。
逆に「ココのお兄さんと話していたみたい」と告げると、珍しく怒りを態度で表した。
フィオラはその理由がわからず、オロオロしたが、その変化は一瞬で終わった。
彼は、怒りからか余計なことを言った。
「健吾は幸せではなかった」
フィオラは、耕介の言葉が理解できなかった。
「どうして幸せでなかったの?
村役が重荷だったの?」
耕介は「しまった」と心の中で叫んでいた。
話したくないことを話さなければならなくなってしまった。
「健吾は彩華と別れたがっていた。
彩華は健吾を好きではないし、健吾も彩華を好きではなかった。
一緒にいただけで、それ以外何もなかった。
健吾は彩華から解放されて、自分の人生を歩きたがっていた」
フィオラが驚く。
「彩華は健吾を好きじゃないって……?」
耕介はどう説明すればいいのか、戸惑った。
「彩華の恋人は心美の兄だった。
俺と健吾も友人で、俺たちの指導者だった。
食い物強盗に殺されたんだが、彩華は恋人のいない寂しさを健吾で埋めたんだ。
健吾は、心美の兄の代役でしかなかった。
健吾は自分なりに努力したようだが、結局は代役の立場からは逃れられなかった。
健吾は疲れていたんだ。
誰かの代わりではなく、自分を見てくれる誰かと生きていきたくなっていた。
最近では、彩華と顔を合わせたくなくなっていた。
彩華と別れて別の土地、ホルテレンとか、に移り住むことも考えていた。単なる思い付きではなく、具体性のある計画だった。
これは、本人から聞いた」
フィオラは驚いていた。
彼女は、彩華と健吾は仲がいいと信じていたからだ。彩華から健吾の話を聞くことは少なかったが、不仲の様子は皆無だった。
「アヤカ、子供がほしい、って言っていたよ」
耕介は、フィオラの言葉に戸惑っていた。
翌朝、耕介は亜子に声をかけた。
「彩華はどう?」
「変わりなし。
ボーッとしている」
「なぜ、こうなったかわかるか?」
「わからない。
健吾に執着していたようには感じないし……」
「やはりな」
「何年か前、彩華は健吾に、子供を作ろう、って相談したみたい。
そのとき健吾は、俺をそこまで舐めているのか、って怒ったらしい。
彩華はかなり傷付いたはず」
「亜子、その話は初耳だが、誰がどう見ても彩華は健吾をぞんざいに扱っていた。
2億年前からね。
そんな戯言聞かされたら、健吾が怒るのも当然だ」
「戯言って……」
「何で子供を作らなきゃならねぇんだよ。
彩華は何考えてんだ」
「……、子供がいたら関係が変わるでしょ」
「あり得ねぇ。
子供の前で彩華にコケにされる健吾を見てぇのか?」
「確かに彩華はよくなかったけど……。
そこまで……」
「あぁ、男はそこまで考える」
亜子と耕介は、健吾がいなくなったことが生存に関わるほど大きな問題になることを、まだ気付いていなかった。
旅の男が飯屋の店主に話しかける。
「村役様だ」
男が怪訝な顔をする。
「どこかの領主様がご逝去なさったのかと……」
「エルフの土地には領主なんていないよ。
ヒトじゃあるまいし。
いや、失礼。あなたヒトだね」
「まぁ、ヒトですけどね。
領主や王様なんて、大っ嫌いですよ」
「村役様もそうだった」
「村役様は、まさかヒト?」
「あぁ、旅のヒト。
村役様は、ヒトの賢者であった。
偉大な村役様であったよ。いずれは、村長どころか、地域の統領になられるお方だったんだよ。
惜しいヒトは早く死ぬ。惜しいエルフも早く死ぬ。生きているのは、俺のような無駄飯食いだけ」
「同感です。
私もつまらぬヒトなので、よくわかります」
「お子は?」
「3歳になります」
「ほれ、坊主。降りてこい。
腹が減っているだろう。何か作ろう」
「いや、申し訳ないが、お足が……」
「飯代は気にするな。
今日は村役様のご葬儀。
馳走するよ」
クルナ村は発展していた。
数年前までは、飯屋が1軒、旅籠が1軒、鍛冶屋が1軒だけだったが、いまでは飯屋や旅籠が増え、靴屋や服の仕立屋も開業している。
水溜蓮太は、賑やかな村に興奮していた。腹も満ち、父親に笑顔を見せる。
小さな村は何度も経由していたが、大きな村や街には立ち寄っていない。
息子の無邪気な笑顔とは対照的に、父親の心は沈んでいた。ヒトの領域から逃げ、ついに北の最果てに達したからだ。
フェミ川以北は、ヒトと近縁種は住まない。そして、住めない。植物相、動物相がまったく違うからだ。
父子の逃げ場はなくなった。
ヒトの父子が荷馬車駐車場の近くにある池の畔でキャンプを始めたことは、村民の多くが知っていた。
ヒトであることが珍しいし、母子ではなく父子である点が目立った。
シンガザリの侵攻によって、エルフの母子が戦場から遠い地域に逃げてくる例は多い。だが、父子は少ない。
父親は戦場にいるか、すでに殺されてしまっているからだ。
それと、避難者はシンガザリ兵から被害を受けていることが多い。多くは略奪にあっていて、所持品が極端に少ない。
だが、父子は豊富な物資を持っていて、テントもかなり大きく立派なもの。しかも、軽そうで、たたむととても小さい。
足りないのは、路銀だけ。父親は、日銭を稼げる仕事を探していた。
葬儀が終わったばかりだが、亡くなった村役の家に行ってみるつもりだった。
ヒトのよしみで、仕事をもらえないかと……。
耕介とマイケルが畑に向かう。
それを、亜子とフィオラ、メアリーが見送った。子供たちが食事を終えたら、メアリーも畑に向かうつもりだった。
亜子は、既視感に驚いていた。
「あれ、ハンターカブ?」
フィオラが額に手をかざす。
「誰が帰ってくるんだろう?
フリッツかな?」
「俺はここだぞぅ~」
庭に出てきたフリッツがおどける。
だが、すぐに驚く。
「クロスカブだ!
俺たちのじゃない」
まず、車体の色が違う。マフラーも違う。アップマフラーではない。
そして、ハンターカブは2台とも玄関前にある。今朝のリズとエルマは、バギーで出勤したからだ。
短髪の黒髪で、黒い瞳。後席に座る男の子も、短髪に黒髪だ。瞳も黒い。
バイクはよく見ると、クロスカブではない。スーパーカブに手を加えている。相当に使い込まれていて、左のバックミラーは壊れたまま。破損はそれくらいだが、泥汚れがひどい。
荷台にはチャイルドシートが固定されていて、3歳くらいの男の子がチョコンと座る。
厳しい旅を続けている様子が見て取れる男は、ヒトの言葉で話しかけた。
しかし、誰もヒトの言葉を解さない。
ヒトであるのに。
仕方なく、日常は使わないエルフの言葉に切り替えようとした。
フリッツが亜子に日本語で「ヒトの言葉みたいだけど」と言った。
男は驚いた様子を見せる。
「日本語、日本人?
日本人には見えないけど……」
突然の日本語でフリッツは驚くが、その感情とは異なる返答をする。
「金髪・碧眼でも、大阪で育ったコテコテの日本人だよ」
男は大きく息を吐く。
「日本人のよしみで、何でもいいから仕事をくれないか?
頼むよ。
力仕事なら何でもする……」
男の子はおとなしく、出された飲み物を父親の許可なしには飲まなかった。
ピーターがぬいぐるみを見せたり、紙飛行機を飛ばしたり、いろいろと誘うのだが、目で追うだけで父親のそばからは離れない。
父親が「遊んでもらいなさい」と促すと、ようやく椅子から超高速で降りた。
そして、楽しそうにピーターと遊び始める。
亜子が「どこから来たの?」と尋ねると、男は言葉を濁した。
「茨城から……」
亜子が訪ねたいのは直近の居場所なのだが、男はこれをかわす。
亜子は核心に迫る。
「誰かを殺したことは?」
会話は日本語で、言葉を解すのは亜子とフリッツの2人だけ。
「ある。
2億年前も。
2億年後も」
亜子は、2億年前の殺しが気になった。
「2億年前……。
誰を?」
男は答えを躊躇わなかった。
「盗人だ。
クルマを奪われそうになったので、殺すしかなかった」
亜子は、細かい事情・状況を尋ねるつもりはなかった。亜子たち自身、食料強盗に襲われ心美の兄を亡くしている。
燃料を持っていれば襲われるし、何も持ってなくても襲われる。運がよければ襲われないし、運が悪くなくても襲われる。
生きていれば襲われる。
「私は、冴島亜子。
名前を聞いてもいいですか?」
「あぁ、名乗るのが遅れてしまいすまない。
水溜太志だ」
「みずたまり、ですか?」
「珍しいけど、本名なんだ」
耕介は、夜遅くに帰ってきた。
誰もが寝てしまった時間を狙っていた。
健吾がいなくなった館に耕介が帰りたがらないことを、フィオラの父親は知っており、夜遅くまで酒に付き合っていた。
耕介の酒は行儀がよすぎて、舅は心配でたまらなかった。泣き喚いたり、怒り狂ったりする方が、マシだと感じるほど、耕介は落ち着いていた。
だが、健吾の死を受け入れられず、苦しんでいた。
耕介は部屋には向かわず、食堂で酒を飲み始める。
LED作業灯が異様に明るい。
太志は食堂にヒトの気配を感じ、用心しながら覗く。
慌てたのは耕介で、誰何した自分の声に驚く。
「あんた、誰だ!」
太志が両の手のひらを見せて、完全に姿を見せる。
「俺は、水溜大志。
亜子さんの好意で、一晩泊めてもらった。
旅の途中で、仕事を求めてうかがった」
「そうか。
すまねぇな。デカイ声、出しちまって」
耕介が驚く。
「日本語?
あんた、日本人か?」
太志は突っ立ったままだった。
「あぁ、俺も驚いたよ。
まさか、日本人に会うとは思っていなかった」
耕介は、太志を獲物に定める。
「俺は耕介。ここの住人だ。
こっちに来て、飲まねぇか?」
酒は数カ月ぶりの太志だが、もめたくはなかった。
大柄で、何となく暴力の臭いがする、耕介の誘いに乗る。
耕介は、端正だが影の濃い顔立ちの男が、何となく気に入った。最近は独り酒を好むが、今夜はこの男と飲みたかった。
誰かと酒を飲むと、誰もが健吾の話題を避けるが、酔うと彼の話を始めてしまう。
だから、健吾を知らない太志となら、酔えるかもしれないと感じた。
「水溜さん、どこから、ここへ?」
これは必ず問われる。
「太志でいいよ。この世界では、姓の意味はないからね。
茨城からだ」
「ゲートは?」
「埼玉の戸田」
「何年前に?」
「16年前」
「俺たちがゲートに入る、1時間半前か」
「……?
どういうことだ?」
「太志さんは、知らないのか?
2億年後と2億年前では、10万倍の時間差になるんだ」
「それは、本当か?」
「あぁ、ゲートに入るタイミングが3分違うと200日の差になる。
しかも、一部のゲートには時系列破綻があったようだ」
「時系列破綻?」
「あぁ、シーケンスに時間が並んでいないんだ。
最も古い移住者は50万年前くらい。
最も新しい移住者は、5年か4年前。
それ以後に移住者がいるか、よくわからない」
「いいことを聞いた。
納得したよ。
イズラン峠の西側には、原形をとどめないクルマがあったからね。
状態から判断すると、数百年前のものだった」
「イズラン峠?」
耕介が始めて耳にする地名だ。
「あぁ、山脈西麓と東麓を結ぶクルマが通れるルートの1つだ。
トロールは、イズラン峠を抜けてヒトの中部に侵入している」
耕介は、中部という地名も始めてだ。
「中部?」
太志が説明する。
「ヒトは、エルフの領域を北部、ヒトの土地は中部、ドワーフの支配地は南部と呼んでいる。
トロールはイズラン峠を通ってヒトの土地に侵入している。どうにか防いでいるし、バッギーズの長城があるから、簡単には突破できないよ」
耕介が核心に迫る。
「なぜ北部へ?」
太志は覚悟を決めていた。
「中部を旅していた。
俺の妻は逃亡奴隷でね。
同じ村には長くはとどまれないんだ」
耕介は噂が本当だと知り、驚いていた。
「奴隷?
本当にいるのか?」
太志は、悲しそうに微笑んだ。
「ヒトの社会は、ヨーロッパの暗黒時代さながらだよ。
ヨーロッパに行ったことはないし、暗黒時代も体験していないけどね。
人身売買に選民思想、近親結婚に政略結婚。人権以外は何でもありだ」
耕介は、尋ねるべきではないと感じてはいたが、強く引っかかる点があった。
「奥さんは一緒?」
太志が即答する。これを説明しなければ、迷惑をかけかねないからだ。
「いや、妻は死んだよ。
半年前に。
薄幸な子だった。
奴隷の子は、生まれながらに奴隷。何の権利もない。家畜と同じ。生涯、解放されることはない。結婚は繁殖のためで、結婚したからといって性暴力から逃れることはできない。
若いうちに事故とかで死ねるなら幸運。老いて働けなくなると、殺処分される。
左腕の内側に奴隷であることを示す9桁の数字のタトゥーがある。大きな数字で、見せずに生活はできない。
右腕には、2本の帯がタトゥーされる。
奴隷であることが、わかるように。
彼女は衝動的に逃げたらしい。無計画だったのが功を奏したようで、追跡を振り切っていた。
だが、逃亡奴隷は逃げようがない。
腹が減っていたのだろう、俺のキャンプからパンを盗もうとした。
で、捕まえた。飯を食わせ、保護した。
一時のつもりだったが、以後、一緒に行動するようになった。
逃げる女と、言葉がたどたどしい2億年前から寂しい男。
わかるだろ。
ある村で、理由はわからないが息子がギャン泣きした。
近くを歩いていたウマが驚き、竿立ちになり、男が落馬したんだ。
男は激怒して、妻もろとも息子を刺そうとした。妻は刺されたが、息子は無事だった。
一瞬でも遅ければ、息子も殺されていた。
俺が撃ったんだ。
その男と、男の仲間5人を。
その男はどこかの王の世継ぎだったらしく、俺に賞金がかけられ、賞金稼ぎと王国の追っ手に追われることになった。
南に逃げるか、北に逃げるか迷ったが、国が乱れている北の方が身を隠せると思ったし、エルフやドワーフの土地では賞金稼ぎなんていうアウトローは通用しないと聞いていたし……。
だが、王の追っ手は巻けなかった。
いまも追われている。
そして、北辺までやって来てしまった。もう逃げ場はない。
明日、川を渡るつもりだ。
逃げるしかないんでね」
耕介は、荒事が関係しているとは考えていたが、小国なのだろうが王が相手と聞いて驚いていた。
「ヒトは、12の国にわかれていると聞いたが……」
太志が少し戸惑う。
「確かに、比較的大きな国は12あるが、200から300はあるんじゃないかな。
ほとんどは封建的な王国だ。国王がいて、国王と血縁の貴族がいて、民衆がいて、奴隷がいる、といった階級構造だ。
小王国が分立している理由だけど、王子が複数いると、国を分割して相続させるからなんだ。
逆に、王子がいなければ最も近い血縁の王が領地を引き継ぐ。
欲深な王、私怨の王が隣領に攻め込むこともある。ヒトは、年中戦争しているんだ。
戦国時代さながらといった感じだよ」
耕介は、ヒトの勢力関係を知る太志は貴重だと感じた。
「健吾、最近死んだ仲間だが、彼が言っていた。
俺たち真獣類は2億年後の世界では、生きている化石なんだそうだ。
そりゃ、そうだ。
2億年間、進化していないんだから。
生きている化石である以上、ひっそりと許された地域で生きていくしかない。
それが、俺たちが住んでいるここだ。
真獣類は少ない。ヒトとヒトの近縁種とヒトが連れてきた家畜だけ。
ヒト、ウマ、ウシ、ブタ、ヒツジ、ウサギだけ。ニワトリは連れてきたものの絶滅したと聞いた。
その他の家畜だって、ヒトの保護がなければ絶滅する。
そもそもヒトだって絶滅しかねない。
だから、力を合わせないといけないんだ。
健吾はそう言っていた。
俺も賛成だ。
太志さん、あんたが俺たちにとって善人である限り、ここにいていい。あんたがよければだが……」
太志は、納得しない。
「いや、迷惑がかかる。
耕介さんのように考えるヒトはいない。
そもそも、2億年前の記憶も記録も口伝も伝承もないんだ。ヒトは、この土地の土着の生き物なんだ。そう信じている。
そして、残虐で、愚かで、欲深で、狡猾だ。王の追っ手は必ずやって来る。そのとき、必ず迷惑をかける。
だから、俺と息子は去る」
耕介も納得しない。
「ならば、その追っ手が来るまで、客としてここにいればいいさ」
太志と蓮太は、期限を定めず客として館にとどまることになった。
太志が「ただ飯は食えない」と強く主張するので、過酷な風呂掃除が割り当てられた。
亜子のあくどさに、耕介は呆れた。
太志の独創的な装備には、誰もが驚かされた。
太志は1人で2億年後に移住した。家族も仲間もいなかった。ナナリコもそうなのだが、彼女の場合はパートナーが待ち合わせ場所に現れなかった。最初から1人だったわけではない。
太志は最初から1人だった。
「俺は中1の時、友だちと悪戯で捨ててあったカブを動かそうとしたんだ。
坂から転がせば、エンジンがかかるかもしれないって。
で、運悪く、パトロール中のパトカーに見つかってしまった。
大災厄以前のことで、まぁ、子供がよくやることさ。
運の悪さが重なった。
そのカブは、連続引ったくり事件に使われたものだった。
それで、結構調べられたんだ。
結果、親から、家族から無視されるようになった。父親からは、教育する価値がないから高校には行かせない、と言われたんだ。
脅しだと思っていたが、中2のときに本気だと知って、さすがに慌てたよ。
親父は県の職員で、お袋は公立高校の教員だった。親父は教育関係の部署にいたようだ。2人とも公務員で、品行方正で勉強ができれば公務員になって、一生安泰に暮らせると信じていた。
実際、幼いときからそう言い聞かされてきた。
兄貴は、親の理想の子だった。妹は、我が家のアイドルだった。俺だけが浮いていた。
で、大災厄が起こる。
高校受験どころか、学校自体がなくなった。2億年移住計画が発表されると、親父とお袋が飛びつく。政府や行政の方針には、絶対に逆らわない人種だからね。
親父とお袋は、ガソリンと軽油の区別さえ判然としない。そんなことを知っていても、教育者としては意味がないからね。
最初は、軽油は軽自動車が使うと考えたようだ。だから軽自動車に乗って、ゲートまで行った。そうしたら、ディーゼル車でないとダメだと言われた。
その頃には、通貨が意味をなさなくなっていた。現金を見せても、誰も何も売ってはくれない。
親父とお袋の価値観は、完全に崩れ始めていた。それでも、ランクルの新型を手に入れてきた。親父がね。
父親は栃木の地主の息子でね。父親の実家は農業をやっていた。兼業農家だったけど、農地改革以前は地主だったらしい。
コメ300キロを分けてもらい、ランクルと交換したんだ。
で、またゲートに行った。
そして、また追い返されてきた。
コモンレールじゃダメだってね。
機械式の噴射装置を付けてこい、と言われたらしい。
親父には、そんな難しいことはわからない。
エンジンオイルのチェックさえできないのだから……。教育者をするには、クルマの知識は不要だからね。
移住の期限は定められていないけど、電力事情は日ごとに悪化していたし、ゲートは毎日稼働できなくなっていた。
早晩、移住できなくなることは、親父やお袋のような定形型でも理解できていたようだ。
その頃の俺は、家族とは離れ、母方の祖父母の家にいた。
茨城だけど、かなりの田舎でね。
お袋は実家を嫌っていたけど、俺はそうでもなかった。
俺は、祖父母の近くで移住の準備を始めていた。祖父母が若かった頃、まだ農業が盛んだった頃に使っていた、ボンゴ・トラックを修理していた。
機械式の燃料噴射ポンプ付きで、後輪はシングルタイヤ。4WDだから、そこそこ走れると考えた。
だけど、どれだけ走るのかわからないから、トラックは燃料が切れたら捨てるつもりでいた。その先は、あのカブとトレーラーで進む計画だった。
もちろん、ゲートの出口には世界中から移住者が集まっていると思っていたよ。
だけど、俺1人だった。10日間待ったが、それ以上は無理だった。
明確な理由はないけど、東南東に進むことにしたんだ。鏡の反射のようなものが見えたからなんだけど、ね」
耕介は、高度に改造されたスーパーカブよりもトレーラーに興味があった。
「あのトレーラーだけど、元は何?」
太志が微笑む。
「耕耘機のトレーラーなんだ。
そうは見えないだろう?
カブで牽引するために、徹底的に軽量化したんだ。結局、使ったのはシャーシだけ。荷台はアルミ板と等辺アングルで組み上げた。
タイヤとホイールはカブのものを流用した。カブのスペアタイヤになると思ってね。
15歳の子どもが用意できる物資なんてたかがしれていた。
予備の軽油40リットル、ガソリン60リットル、コメ90キロ、寝具は毛布とシュラフだけ。着替えは少々。寒さ対策は、ダウンジャケット程度。
調理道具は、使い込んだカセットコンロ、小さな鍋とフライパン、飯盒、ペティナイフが2本、食器はなかった。
ブルーシートが2枚。
装備はこれだけ。テントさえ持っていなかった」
耕介は、かなり疑問に感じた。
「いま、持っているものは?」
太志が微笑む。
「トラックの燃料切れ直前なんだけど、捨てられた車輌を見かけるようになるんだ。
多くはパンクだ。
それと、イズラン峠の入口付近には、大型トラックが乗り捨ててあった。
燃料は、それら車輌のタンクからもらったんだよ。
峠越えのルートは狭いから、ハンビーが限界だろう。
不足している物資・資材・道具は、遺棄された車輌から拝借。
食器から銃まで、テントも、衣類も2億年後に手に入れた。燃料もね。食料以外は何でも手に入った。
まさかほしいものが、2億年後の道端に落ちているとは思わなかったよ」
耕介は彼らよりも太志のほうが厳しい状態で2億年後にやって来たことは理解したが、時渡り後の物資調達は彼のほうが幸運だったことを知る。太志が続ける。
「でもね、役に立ちそうなものはなかなかなかったよ。
何日も調べ回って、タオル1枚なんてこともあった。
俺は、寒くなって峠が閉ざされるまでの4カ月間、山脈西麓にいたんだ。
ほとんどの時間を物資調達と、魚の燻製作りに費やしたよ。
孤独には慣れていたから、辛くはなかった」
彩華は、太志と蓮太が現れる前日、自室から出てこなくなった。
突然の変化で亜子は戸惑ったが、様子を見に行くと彼女は壊れかけていた。健吾とではなく、心美の兄と会話していた。
会話の内容は支離滅裂で、要領を得ない。だが、何かを謝罪しているようだった。
モンテス少佐がすぐに診察した。
「統合失調症かも。
だけど、症状が急すぎだし、激しすぎる。
極端な鬱状態かも。
戦闘での精神疾患については、ある程度の知識があるけど、どうしたらいいのか」
亜子が常時一緒にいることにしたが、目を離せない状態であり、万一のことを考えて、彩華の回りからすべての刃物を撤去した。
フィオラも彩華を心配し、彩華の様子を耕介に伝えたが、夜遅くに戻ってきた彼女の夫はあまり関心を示さなかった。
逆に「ココのお兄さんと話していたみたい」と告げると、珍しく怒りを態度で表した。
フィオラはその理由がわからず、オロオロしたが、その変化は一瞬で終わった。
彼は、怒りからか余計なことを言った。
「健吾は幸せではなかった」
フィオラは、耕介の言葉が理解できなかった。
「どうして幸せでなかったの?
村役が重荷だったの?」
耕介は「しまった」と心の中で叫んでいた。
話したくないことを話さなければならなくなってしまった。
「健吾は彩華と別れたがっていた。
彩華は健吾を好きではないし、健吾も彩華を好きではなかった。
一緒にいただけで、それ以外何もなかった。
健吾は彩華から解放されて、自分の人生を歩きたがっていた」
フィオラが驚く。
「彩華は健吾を好きじゃないって……?」
耕介はどう説明すればいいのか、戸惑った。
「彩華の恋人は心美の兄だった。
俺と健吾も友人で、俺たちの指導者だった。
食い物強盗に殺されたんだが、彩華は恋人のいない寂しさを健吾で埋めたんだ。
健吾は、心美の兄の代役でしかなかった。
健吾は自分なりに努力したようだが、結局は代役の立場からは逃れられなかった。
健吾は疲れていたんだ。
誰かの代わりではなく、自分を見てくれる誰かと生きていきたくなっていた。
最近では、彩華と顔を合わせたくなくなっていた。
彩華と別れて別の土地、ホルテレンとか、に移り住むことも考えていた。単なる思い付きではなく、具体性のある計画だった。
これは、本人から聞いた」
フィオラは驚いていた。
彼女は、彩華と健吾は仲がいいと信じていたからだ。彩華から健吾の話を聞くことは少なかったが、不仲の様子は皆無だった。
「アヤカ、子供がほしい、って言っていたよ」
耕介は、フィオラの言葉に戸惑っていた。
翌朝、耕介は亜子に声をかけた。
「彩華はどう?」
「変わりなし。
ボーッとしている」
「なぜ、こうなったかわかるか?」
「わからない。
健吾に執着していたようには感じないし……」
「やはりな」
「何年か前、彩華は健吾に、子供を作ろう、って相談したみたい。
そのとき健吾は、俺をそこまで舐めているのか、って怒ったらしい。
彩華はかなり傷付いたはず」
「亜子、その話は初耳だが、誰がどう見ても彩華は健吾をぞんざいに扱っていた。
2億年前からね。
そんな戯言聞かされたら、健吾が怒るのも当然だ」
「戯言って……」
「何で子供を作らなきゃならねぇんだよ。
彩華は何考えてんだ」
「……、子供がいたら関係が変わるでしょ」
「あり得ねぇ。
子供の前で彩華にコケにされる健吾を見てぇのか?」
「確かに彩華はよくなかったけど……。
そこまで……」
「あぁ、男はそこまで考える」
亜子と耕介は、健吾がいなくなったことが生存に関わるほど大きな問題になることを、まだ気付いていなかった。
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