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1巻
1-3
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どうやら、森の奥深くに来てしまったらしい。この森には薬草採取で何度か足を踏み入れたことがあったが、ここまで入り込んだのは初めてだ。さらに奥を眺めてみても、木々がずっと連なっていることしかわからない。
それにしても、いくら騎士だからって、体力ありすぎでしょう。私が止めなきゃいつまで走っていたんだか。
しかも、下ろされたと思ったら、あの『惚れた』発言である。もちろん信じてないが。
……一目惚れだのなんだの、吟遊詩人の恋物語でもあるまいし、正直一刻も早くこの男と離れたい。
でも、逃げ出した瞬間に追いかけられてばっさり、という可能性もまだ消えていないことを考えれば、それは得策ではなかった。また、聞きたいこともある。
嘆息しつつヴァルフェンに目をやると、私の反応を待っていたのか、銀髪の下にある蒼い双眸がじっとこちらを見つめていた。
というより、見すぎだ。思えば会った時から遠慮がなさすぎである。
人の視線にはあまり慣れていないので、居心地が悪かった。落ち着かない気分を悟られたくなくて、わざとらしく咳払いをしてから口火を切る。
「ねえ、どうしてさっきの……ええと、宵の士隊の、ロータスって言ったかしら。彼はなぜ追ってこないの?」
私が問えば、ヴァルフェンは片側の眉をくっと上げ、にやりと笑みを浮かべた。
「へえ。気付いてたのか」
「そりゃあね。付いてくる気配が全くなければ、流石に気付くわよ」
「だろうな」
馬鹿にするな、と非難も込めて付け足すと、なぜか嬉しそうに笑って返された。それにむっとしてジト目を向けたところ、彼は余計に表情を崩す。この男はもしかすると妙な薬でもやっているんじゃないかと少し引いた。
しかし、あんなやりとりをしたにもかかわらず、ロータスが途中で追尾をやめたのは事実である。私もそれほど察知能力に長けているわけではないが、明らかに彼の気配は途中からふつりと消えていた。
「追ってこないんじゃない。追えないんだよ。俺がいるから」
「貴方が……?」
ずっと薄く笑っていたヴァルフェンの表情に、突然自嘲めいた色が表れる。口ぶりには、どこか疲れた空気が漂っていた。
「改めて名乗るが、俺の名はヴァルフェン=レグナガルド。見ての通り西の王国イゼルマールの、蒼の士隊に属する騎士だ。ってまあ、自己紹介が出来たところで、エレニー……あんたも少し休め。あいつらのことは、今は気にしなくていい」
「どうしてそう言い切れるの」
疑問を感じて問い返せば、ヴァルフェンは翳りを帯びた表情を浮かべた。それに、なぜか視線が引きつけられる。
「俺が任に背いたからだ。これでも一応貴族の端くれでな。俺を捕えるとなったら貴族位審判会の同意が必要になる。……あいつ、ロータスは一度王都に戻って、面倒な手続きをしないといけないんだよ。俺の家の爵位は低いが、初代は侵略戦争で武勲を立てた人間でな。士隊に味方も多いし、高位貴族の知り合いもいる。だから、あの場で判断はできず追ってこられなかった」
なるほど。あまり貴族っぽく見えないけど、そういうものなのね。
苦々しそうな物言いがひっかかったが、彼の説明を聞いて納得した。まあ、全てを信じたわけではないけれど。
にしても……
「貴方、こんなことしたら反逆罪になるんじゃないの。これからどうするのよ」
強い口調で尋ねれば、ヴァルフェンは一瞬きょとんとした顔をして、なんだそんなことかと言わんばかりに首を傾げた。
さっきも思ったけど、変に気の抜けた反応をする男だと思う。
なんていうかこう……人懐っこい大きな犬を相手にしているみたい。
警戒心をどこかに置いてきたような態度に、少し戸惑う。
「どうするって言われてもなぁ。元々今回の任には乗り気じゃなかったのもあるし、あんたを見て気が変わったってのもあるし。やり方も気に入らなかったからなー」
「はあ?」
ヴァルフェンは軽い口調で答えてから、すたすたと歩き、大きめの樹の下へ座り込んだ。仕方がないので私も傍まで歩いていって、座り込んだ彼を見下ろす。
今、思い切り私に背中を向けたけど、そんなに無防備でいいのかしら。
それに、気が変わったってなんなのよ。仮にも騎士が、そんな理由で王命に刃向かったっていうの?
「気が変わったって……?」
思ったことをそのまま口にすれば、なぜかやれやれと肩を竦められた。その上、わかんないやつだな、とばかりに、諭すような声で言われる。
「言っただろ? 一目惚れだって」
「貴方ねぇ……っ!」
相変わらずの物言いに、怒鳴りつけようかと息を吸い込んだが、急に真顔を向けられて言葉をぐっと呑み込んだ。
なんなのよ。その顔は。
真剣な表情を向けられて、思わずたじろぐ。ただでさえ村はずれに住み、他人との関わりをほとんど断ってきたのだ。異性とここまで長い時間を過ごした経験などこれまでなかった。それもあって余計に、彼の考えていることがわからず混乱してしまう。
「本気だって言っても、信じないだろ。だから俺はあんたについていく。どの道、お互いにもうこの国にはいられないだろうからな」
「それはまあ、そうだけど……」
「ならいいじゃないか」
いや、全然よくない。そもそも、信じる信じない以前の問題だ。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
そう思いつつも、目を背けていたことを突き付けられて動揺している自分がいた。
確かに王命書がある限り、私はもうこの国では暮らせない。ならば、他国へ渡るしか道はないだろう。
かといって、彼と共に旅をする道理もない。
「ふざけないでよっ。百歩譲って私が国外へ出るのはその通りだとしても、貴方と一緒に行く理由なんてないわ」
「別にふざけてるつもりはないんだけどな」
「ついでに言えば、どこの世界に、自分に剣を向けた人間と旅をしたいと思う人がいるのよ」
「あー……まああれは、確かに悪かった。任務だったからな。一応は」
その任務を放棄して、討伐対象と逃走した人間がよく言う。
しかし私に罪悪感を覚えてはいるのか、ヴァルフェンは短い銀髪を片手でがしがし掻きながら、困った顔をしていた。
にしてもこの男は一体、私のことをなんだと思っているんだろうか。あまり言葉が通じている気がしない。先程も思ったが、まるで動物……犬でも相手にしているみたいな感覚だ。やたら距離が近いくせに、こちらの反応には構いもしないなんて。
彼は「まあ、いいじゃないか」と何がいいのか笑って誤魔化し、自分の左側の地面を掌でぽんぽん叩いた。どうやら、自分の横に座れということらしい。
……誰が座るか。
やはり逃げた方がいいだろうか。だけど、私は朝から働いていたのだ。担がれていたとはいえ逃走時にも体力を消耗しているし、もう日も暮れる。夜の森を動くのは流石に無謀だと思う。
不本意だけど……全くもって不本意だけど、確かに休息は必要よね……。今後、どう行動するにしても。
私は仕方なく、周囲を確認してから手ごろな場所に腰を下ろした。花の季節といえど、日暮れ時にはまだ気温が下がりやすいのか、座った地面は冷たい感じがする。四方八方に伸びた樹々の根っこが、ぼこぼこと隆起しているため、横になるには寝心地が悪そうだ。
といっても、流石に寝るつもりはない。一緒にいる相手が相手だし。
ヴァルフェンからは少し離れて座ったが、目を離すのも不安なので、人間三人分程度の距離を空けるに留めた。
そんな私に、彼は軽く肩を竦め、ふっと吐息を漏らして苦笑する。
「そう警戒するなって」
しないでか。
自分を討伐しに来た騎士、しかも一目惚れしたなどという馬鹿げたことを言ってくる男相手に、安心しろという方が無理な話だ。
私の態度に苦笑で返すヴァルフェンの顔は、嘘をついているようには見えない。が、首に剣を突き付けられたことを考えれば、信用など出来るはずもなかった。
一点だけ確かなのは、彼が私を担いで逃亡してくれたことくらいだろうか。まあそれも、何か思惑があってのことだとは思うが。
「……ねえ、貴方は大丈夫なの? いるんでしょう、家族とか」
ふと浮かんだ疑問を口にすれば、彼の銀色の眉がくっと上がった。しかも、妙に嬉しそうである。
「まあな。親は既にないが、親類縁者は残ってるよ。後は屋敷の人間くらいか。そんなに多くはないし、俺が切れてやらかした時は友人のもとに逃げろと言ってある。だから大丈夫だろ。そいつは俺と違って高位の貴族だからな。……なんだ、心配してくれたのか?」
つい気にかかって聞いてしまったが、からかうみたいに返されて、むっとする。
「別に。貴方のせいで困る人がいるなら、気の毒だと思っただけよ」
嫌味を交えて言ったのに、なぜかヴァルフェンはまたも嬉しそうに蒼い目を細めていた。
「やっぱいいなぁあんた。本当に斬らなくて正解だった。まぁ、振り返った瞬間に、その気は失せていたんだが……嘆願書も王命書も、どっちも気に食わなかったし」
「何よそれ」
あっけらかんとした物言いに、呆れの溜息が出る。
無茶苦茶だわこの男。これで騎士だなんて。
実力はあるようだけど、イゼルマールの騎士道精神を少し疑う。
「貴方馬鹿なんじゃないの。気に食わないとか気が変わったとか、普通そんな理由で王に刃向かう? 捕まれば、罰どころじゃ済まないでしょう」
重ねて言えば、ただでさえ嬉しそうだった顔が余計に破顔した。
なぜだ。
「俺のことも心配してくれるのか?」
「やっぱり馬鹿だわ」
呆れ返った私に、ヴァルフェンは何が面白いのか大きな笑い声を上げた。
顔立ちは鋭い印象だが、こんな風に笑うと一気に穏やかな気配を纏う。その顔を直感的に嫌いではないな、と感じてしまって、私は慌てて振り払った。
「あんたやっぱいい女だな。俺が見込んだだけのことはある」
またわけのわからないことを言われた。どうあっても褒め言葉で返されて、居たたまれない気持ちになる。
……おかしな男。
気分で王命に背いて、女一人助けるなんて。
ほんと、滅茶苦茶だわ。
けれどなぜか、嫌な感じはしなかった。どういった思惑があるかは計りかねるが、仲間から逃げたということは今すぐ私を引き渡してどうこうという気はないのだろう。信じるまではしなくても、そこまで警戒したままでいなくてもいいかもしれない。……疲れで開き直っているとも言うが。
どの道、今夜はここで過ごすしかなさそうだし。まあ、『秘術』について探る気ならば、私が気を付ければいいだけのこと。そもそも、私は『秘術』の情報なんて持っていないし。
疲労困憊の頭で考えつつ、私はふっと短い溜息を吐いた。
「まあいいわ。ひとまず今はここで休むことにする。もちろん信用なんてしてないわよ」
「そっか。結構手厳しいな」
「当たり前でしょ」
「まあ、そうだろうな」
私の返答に、ヴァルフェンは何を思ったのか考え込むように目を伏せた。それから、何やら腰元でごそごそし始めたかと思えば、ぱっと笑顔でこちらに振り向く。
「なら、これ持っといてくれ」
「え」
差し出されたものを見て、虚をつかれた。
持っといてくれって……。本気で言ってるの?
疑うのも無理はない。何しろ彼が差し出したのは、凝った細工が施された一振りの剣だったのだ。今まで彼の腰元に提げられていたものである。
それを差し出される理由がわからない。
騎士にとって剣は、それこそ己の分身か命同然でしょう。それをなんで持っとけなんて……
ヴァルフェンは戸惑う私に構わず、さっと立ち上がってこちらへ歩み寄り、笑顔で「ん」と剣を押しつけてきた。
「ちょ、ちょっと……っ!」
「自分の手にあれば、少しは安心できるだろ?」
――あ。
抗議を穏やかな口調で制されて、理由を理解した。同時にどさくさに紛れて剣を押し付けられてしまう。ずしりとした硬質な重みが、両の掌に載せられた。
私が信用してないと言ったから? 警戒を、未だ解き切っていないから?
もしかして、これで信用しろと言ってるの……?
「なんなら作業用の細剣も渡すが、どうする?」
ヴァルフェンは重ねてそんなことまで提案してきた。座ったまま隊服の裾を軽く捲り上げ、長剣を帯びていたのとは反対側の腰元を見せてくる。そこには、似たような細工が施された、短く細い剣が帯剣されていた。
どうするって……そうしたら、丸腰になるでしょうに。
数刻前まで敵だった、油断ならない相手なのに、ついそんな心配までしてしまう。
彼がどの程度武器を携帯しているのかはわからないが、一見して他にそれらしきものは窺えない。メインである長剣を渡している時点で、まず騎士としてどうなのかと思うものの。
「……私が、これで貴方に危害を加えるとは思わないの?」
寝込みを襲われると、考えないのだろうか。それとも、対処できるという自負があるのだろうか。私なら、つい数刻前に出会った人間に刃物を渡すなど到底出来ない。それがたとえ、小さな子供であったとしてもだ。
「別に思わん。というより、したけりゃすればいいさ。でもあんたは、そういうのじゃないと思ってる」
何それ、どういう理屈よ。
意味のわからない返答に、じっと様子を観察すると、また緩い微笑みを返され、面食らう。
輝く銀色の髪が、葉の隙間から差し込んだ夕日に染まり、赤くなっていた。
やっぱり変な男。
諦めにも近い気持ちでそう思いながら、この剣をどうしたものかと考えた。ヴァルフェンはといえば、もう用は済んだとばかりに地べたへ寝っ転がっている。白地の隊服に、土が薄く付着しているのが見えた。
持っておけって言うんだから持っておこうかしら。なんだか変な展開だけど。
私はそれ以上は口にせず、彼の剣を自分の傍らにそっと置いた。
確かに剣が相手の手にあるのと、自分の手にあるのとでは気持ちの持ちようが全く違う。まあ彼は、予備の短剣があると言っていたし、身のこなしからしても、本来はまだ警戒が必要なのだろうけど。
しかし、寝っ転がりながらこちらを眺めている顔を見ると、なぜかそんな気も失せてしまう。私はいつからこんなに楽天的な人間になったのだろうと考えたところで、あることを思い出した。
そういえば。一つ、忘れていたわ。
それについて告げるかどうか迷ったが、黙っているのも気が引けて、私は彼から目線を逸らし、森の奥を見ながら唇を動かした。面と向かっては、言いづらかったのだ。
「……言い忘れていたけど」
「ん、どうした」
私は少し離れた場所から真っ直ぐ向けられる視線を感じつつ、簡潔に口にした。
「……さっきは一応、助かったわ。有り難う」
言った瞬間、彼が息を呑んだ気配がした。あら? と思い目を向けると、眉を顰め渋い顔になったヴァルフェンが、困ったように頭をがしがし掻いていた。
……なぜ、そんな表情をするのだろう。
訝しんでいると、ヴァルフェンは撥ねた銀髪を揺らし頭を振る。
「別に、礼はいらないさ。そもそも俺はあんたを殺しに来たんだからな」
その態度に、私はわざとツンと澄ましてみせた。
別に助けてくれたからといって信用したわけではない。ただ単に、このまま何も言わないのは私の性に合わないだけだ。
「それでも、助かったのは事実よ。この礼は私の自己満足でもあるの。いいから黙って聞いておいて」
少し強めに言うと、ヴァルフェンは渋面を少しだけ和らげ、口元を緩めた。
「エレニー」
そして唐突に、人の名を呼んだ。
「……何よ」
先程も呼ばれたが、その呼び方を許した覚えはないのでジト目で睨む。すると、再び喉奥で笑う声が聞こえた。
「あんた、やっぱりいいな。よすぎるくらいだ」
――は?
と、つい聞き返しそうになったけれど、すぐにヴァルフェンは背中を向けた。無言の背中が何やら嬉しそうなのは、私の気のせいだろうか。ついでに言えば、こちらから見える彼の耳が、少々赤く見えるような気もする。夕日はもう、ほとんど沈んでいるのに。
何、今の。しかもどうして鼻歌なんて歌い出してるの、この男は。
じっと彼の背中を見つめてみたけれど、上機嫌な背中越しに、早く休んだほうがいいぞと繰り返される。なので私は仕方なく、目を閉じることにした。
誰かの存在を感じながら眠るなんて、いつ振りだろう。緊張で神経を張り詰めていたせいか、すぐに落ちていく意識の中で、私はそんなことを考えていた。
私が眠りに落ちた後、振り返った銀色の騎士が、こちらを見つめていたことにも気付かずに。
第二章 勘違い魔女は討伐騎士と旅に出る。
薪のはぜる音に、沈んでいた意識がふっと浮き上がる。
閉じた瞼越しに白い光が揺らめき、朧げな意識の中で鳥達の囀りが聞こえた。
……もう朝なのね。
ええと、確か今日は……ラシュコットの実を干して、それから……
目を開きつつも、ぼんやりとしたまま今日の作業について考える。すると、薄く開けた視界に二つの綺麗な蒼が見えた。なんだろうかとじっと目を凝らした途端、その蒼が楽しそうに輝く。
とても美しい色だと思う。私の故郷である東国エルファトラムの、大地の碧と空の青が交じり合ったような澄んだ色。あの騎士、ヴァルフェンの瞳もこれと同じ色をしていた。
って……、なぜかしら。今ほんの少しだけ、蒼い色がふっと細まった気がしたけれど。
そう気付いた瞬間、意識が鮮明になり、私はぱちりと目を瞬いた。
「……」
「……」
正面のヴァルフェンと互いに、無言で目を合わせる。
というより、私はぴしりと音がしそうなくらい、固まっていた。
「ちょっと」
「ん?」
「何、してるのよ」
見つめ合ったまま、唇だけを動かし不満を告げる。すると彼は何が楽しいのか、再び蒼い双眸を細めて笑いを零した。
……またなんで笑われてるのよ。私は。
しかも、どうして人の隣で、しゃがみながら頬杖ついてるの。いつからいたのよ。でもって、私はいつの間に横になって爆睡してたの……っ。
樹の根っこが背中に当たって痛いしっ、首なんて寝違えたみたいになってるしっ。
どうやら、自分で思っていたよりかなり消耗していたらしい。大して知らない相手が一緒にいるというのに、横になってローブに包まり朝まで熟睡していたようだ。少し休憩を取るだけのはずだったのに。正直、自分を殴りたい。
「何してたって、寝顔を見てたんだけど」
見てたって……! 全く答えになってないわよ!
「だから、なんで寝顔なんて見たがるのっ」
羞恥を押し隠し、そのままの状態で再度問えば、ヴァルフェンは悪びれもせず「駄目だったか?」とのたまった。
駄目とか、駄目じゃないとかの話ではないと思うのだけど。
なぜ昨日会ったばかりの、しかも人の首に刃を突き付けてきた男にそんなことをされなければいけないのか。
「他人の寝顔を盗み見るなんて、褒められたことではないでしょ……って、貴方、何を変な顔してるのよ」
続けて文句を言えば、ヴァルフェンは肩を震わせながら笑い声を零した。
彼の態度にむっとしていると、表情に出ていたのか、ヴァルフェンは私の顔を見て再度大きな笑い声を上げた。
先程から、やたらと笑いすぎである。本当に何か変な薬でもやっているんじゃないだろうか。
少し引いていると、彼がおもむろに私の頭へぽんっと掌を乗せてきた。馴れ馴れしいにもほどがある。
「いや、なぁ。そうまで大事に抱え込んでもらえたら、結構嬉しいもんだと思ってさ」
「は? 何を……」
無遠慮に頭に置かれた手を振り払おうとした時、またまた妙なことを言われて、動きを止める。
一体なんのことだ、と訝しみながら彼の視線の先――自分の手元を見て、私はその理由に気が付いた。
「~~~~っ!」
同時に、首から上へ一気に熱が集まっていくのを感じる。
今の今まで意識していなかったが、私は胸元に長い物体をぎゅうと両腕で抱き込んでいた。自分は、昨日彼から受け取った剣を、どうやら抱き枕代わりに抱き締めて眠っていたらしい。
「剣は、騎士にとっては命であり自分の分身とも言える。それをそうも大事に抱いてもらえると、流石に照れるな」
「ばっ……っ!!」
馬鹿じゃないのっ! と叱りつけようとしたところで、頭の上に置かれていたヴァルフェンの手がわしゃわしゃと乱暴に動き、髪を乱した。
女の髪を……! やめろというに!
「やっぱ可愛いなぁ、あんた」
「か、かわっ……」
発言に驚く私にはおかまいなしに、ヴァルフェンは人の頭を無遠慮に撫でながら破顔していた。
一頻り笑った後、ヴァルフェンは私を促し、眠りについていた樹から少し離れた場所へと連れ出した。躊躇しつつもついて行くと、ぱちぱちとはぜる焚き火があり、驚く。
「これ……どうしたの」
呆気にとられる私を置いて、さらに数歩その場へ近付いたヴァルフェンが、焚き火の上で沸々と煮えているものを目で示す。
それにしても、いくら騎士だからって、体力ありすぎでしょう。私が止めなきゃいつまで走っていたんだか。
しかも、下ろされたと思ったら、あの『惚れた』発言である。もちろん信じてないが。
……一目惚れだのなんだの、吟遊詩人の恋物語でもあるまいし、正直一刻も早くこの男と離れたい。
でも、逃げ出した瞬間に追いかけられてばっさり、という可能性もまだ消えていないことを考えれば、それは得策ではなかった。また、聞きたいこともある。
嘆息しつつヴァルフェンに目をやると、私の反応を待っていたのか、銀髪の下にある蒼い双眸がじっとこちらを見つめていた。
というより、見すぎだ。思えば会った時から遠慮がなさすぎである。
人の視線にはあまり慣れていないので、居心地が悪かった。落ち着かない気分を悟られたくなくて、わざとらしく咳払いをしてから口火を切る。
「ねえ、どうしてさっきの……ええと、宵の士隊の、ロータスって言ったかしら。彼はなぜ追ってこないの?」
私が問えば、ヴァルフェンは片側の眉をくっと上げ、にやりと笑みを浮かべた。
「へえ。気付いてたのか」
「そりゃあね。付いてくる気配が全くなければ、流石に気付くわよ」
「だろうな」
馬鹿にするな、と非難も込めて付け足すと、なぜか嬉しそうに笑って返された。それにむっとしてジト目を向けたところ、彼は余計に表情を崩す。この男はもしかすると妙な薬でもやっているんじゃないかと少し引いた。
しかし、あんなやりとりをしたにもかかわらず、ロータスが途中で追尾をやめたのは事実である。私もそれほど察知能力に長けているわけではないが、明らかに彼の気配は途中からふつりと消えていた。
「追ってこないんじゃない。追えないんだよ。俺がいるから」
「貴方が……?」
ずっと薄く笑っていたヴァルフェンの表情に、突然自嘲めいた色が表れる。口ぶりには、どこか疲れた空気が漂っていた。
「改めて名乗るが、俺の名はヴァルフェン=レグナガルド。見ての通り西の王国イゼルマールの、蒼の士隊に属する騎士だ。ってまあ、自己紹介が出来たところで、エレニー……あんたも少し休め。あいつらのことは、今は気にしなくていい」
「どうしてそう言い切れるの」
疑問を感じて問い返せば、ヴァルフェンは翳りを帯びた表情を浮かべた。それに、なぜか視線が引きつけられる。
「俺が任に背いたからだ。これでも一応貴族の端くれでな。俺を捕えるとなったら貴族位審判会の同意が必要になる。……あいつ、ロータスは一度王都に戻って、面倒な手続きをしないといけないんだよ。俺の家の爵位は低いが、初代は侵略戦争で武勲を立てた人間でな。士隊に味方も多いし、高位貴族の知り合いもいる。だから、あの場で判断はできず追ってこられなかった」
なるほど。あまり貴族っぽく見えないけど、そういうものなのね。
苦々しそうな物言いがひっかかったが、彼の説明を聞いて納得した。まあ、全てを信じたわけではないけれど。
にしても……
「貴方、こんなことしたら反逆罪になるんじゃないの。これからどうするのよ」
強い口調で尋ねれば、ヴァルフェンは一瞬きょとんとした顔をして、なんだそんなことかと言わんばかりに首を傾げた。
さっきも思ったけど、変に気の抜けた反応をする男だと思う。
なんていうかこう……人懐っこい大きな犬を相手にしているみたい。
警戒心をどこかに置いてきたような態度に、少し戸惑う。
「どうするって言われてもなぁ。元々今回の任には乗り気じゃなかったのもあるし、あんたを見て気が変わったってのもあるし。やり方も気に入らなかったからなー」
「はあ?」
ヴァルフェンは軽い口調で答えてから、すたすたと歩き、大きめの樹の下へ座り込んだ。仕方がないので私も傍まで歩いていって、座り込んだ彼を見下ろす。
今、思い切り私に背中を向けたけど、そんなに無防備でいいのかしら。
それに、気が変わったってなんなのよ。仮にも騎士が、そんな理由で王命に刃向かったっていうの?
「気が変わったって……?」
思ったことをそのまま口にすれば、なぜかやれやれと肩を竦められた。その上、わかんないやつだな、とばかりに、諭すような声で言われる。
「言っただろ? 一目惚れだって」
「貴方ねぇ……っ!」
相変わらずの物言いに、怒鳴りつけようかと息を吸い込んだが、急に真顔を向けられて言葉をぐっと呑み込んだ。
なんなのよ。その顔は。
真剣な表情を向けられて、思わずたじろぐ。ただでさえ村はずれに住み、他人との関わりをほとんど断ってきたのだ。異性とここまで長い時間を過ごした経験などこれまでなかった。それもあって余計に、彼の考えていることがわからず混乱してしまう。
「本気だって言っても、信じないだろ。だから俺はあんたについていく。どの道、お互いにもうこの国にはいられないだろうからな」
「それはまあ、そうだけど……」
「ならいいじゃないか」
いや、全然よくない。そもそも、信じる信じない以前の問題だ。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
そう思いつつも、目を背けていたことを突き付けられて動揺している自分がいた。
確かに王命書がある限り、私はもうこの国では暮らせない。ならば、他国へ渡るしか道はないだろう。
かといって、彼と共に旅をする道理もない。
「ふざけないでよっ。百歩譲って私が国外へ出るのはその通りだとしても、貴方と一緒に行く理由なんてないわ」
「別にふざけてるつもりはないんだけどな」
「ついでに言えば、どこの世界に、自分に剣を向けた人間と旅をしたいと思う人がいるのよ」
「あー……まああれは、確かに悪かった。任務だったからな。一応は」
その任務を放棄して、討伐対象と逃走した人間がよく言う。
しかし私に罪悪感を覚えてはいるのか、ヴァルフェンは短い銀髪を片手でがしがし掻きながら、困った顔をしていた。
にしてもこの男は一体、私のことをなんだと思っているんだろうか。あまり言葉が通じている気がしない。先程も思ったが、まるで動物……犬でも相手にしているみたいな感覚だ。やたら距離が近いくせに、こちらの反応には構いもしないなんて。
彼は「まあ、いいじゃないか」と何がいいのか笑って誤魔化し、自分の左側の地面を掌でぽんぽん叩いた。どうやら、自分の横に座れということらしい。
……誰が座るか。
やはり逃げた方がいいだろうか。だけど、私は朝から働いていたのだ。担がれていたとはいえ逃走時にも体力を消耗しているし、もう日も暮れる。夜の森を動くのは流石に無謀だと思う。
不本意だけど……全くもって不本意だけど、確かに休息は必要よね……。今後、どう行動するにしても。
私は仕方なく、周囲を確認してから手ごろな場所に腰を下ろした。花の季節といえど、日暮れ時にはまだ気温が下がりやすいのか、座った地面は冷たい感じがする。四方八方に伸びた樹々の根っこが、ぼこぼこと隆起しているため、横になるには寝心地が悪そうだ。
といっても、流石に寝るつもりはない。一緒にいる相手が相手だし。
ヴァルフェンからは少し離れて座ったが、目を離すのも不安なので、人間三人分程度の距離を空けるに留めた。
そんな私に、彼は軽く肩を竦め、ふっと吐息を漏らして苦笑する。
「そう警戒するなって」
しないでか。
自分を討伐しに来た騎士、しかも一目惚れしたなどという馬鹿げたことを言ってくる男相手に、安心しろという方が無理な話だ。
私の態度に苦笑で返すヴァルフェンの顔は、嘘をついているようには見えない。が、首に剣を突き付けられたことを考えれば、信用など出来るはずもなかった。
一点だけ確かなのは、彼が私を担いで逃亡してくれたことくらいだろうか。まあそれも、何か思惑があってのことだとは思うが。
「……ねえ、貴方は大丈夫なの? いるんでしょう、家族とか」
ふと浮かんだ疑問を口にすれば、彼の銀色の眉がくっと上がった。しかも、妙に嬉しそうである。
「まあな。親は既にないが、親類縁者は残ってるよ。後は屋敷の人間くらいか。そんなに多くはないし、俺が切れてやらかした時は友人のもとに逃げろと言ってある。だから大丈夫だろ。そいつは俺と違って高位の貴族だからな。……なんだ、心配してくれたのか?」
つい気にかかって聞いてしまったが、からかうみたいに返されて、むっとする。
「別に。貴方のせいで困る人がいるなら、気の毒だと思っただけよ」
嫌味を交えて言ったのに、なぜかヴァルフェンはまたも嬉しそうに蒼い目を細めていた。
「やっぱいいなぁあんた。本当に斬らなくて正解だった。まぁ、振り返った瞬間に、その気は失せていたんだが……嘆願書も王命書も、どっちも気に食わなかったし」
「何よそれ」
あっけらかんとした物言いに、呆れの溜息が出る。
無茶苦茶だわこの男。これで騎士だなんて。
実力はあるようだけど、イゼルマールの騎士道精神を少し疑う。
「貴方馬鹿なんじゃないの。気に食わないとか気が変わったとか、普通そんな理由で王に刃向かう? 捕まれば、罰どころじゃ済まないでしょう」
重ねて言えば、ただでさえ嬉しそうだった顔が余計に破顔した。
なぜだ。
「俺のことも心配してくれるのか?」
「やっぱり馬鹿だわ」
呆れ返った私に、ヴァルフェンは何が面白いのか大きな笑い声を上げた。
顔立ちは鋭い印象だが、こんな風に笑うと一気に穏やかな気配を纏う。その顔を直感的に嫌いではないな、と感じてしまって、私は慌てて振り払った。
「あんたやっぱいい女だな。俺が見込んだだけのことはある」
またわけのわからないことを言われた。どうあっても褒め言葉で返されて、居たたまれない気持ちになる。
……おかしな男。
気分で王命に背いて、女一人助けるなんて。
ほんと、滅茶苦茶だわ。
けれどなぜか、嫌な感じはしなかった。どういった思惑があるかは計りかねるが、仲間から逃げたということは今すぐ私を引き渡してどうこうという気はないのだろう。信じるまではしなくても、そこまで警戒したままでいなくてもいいかもしれない。……疲れで開き直っているとも言うが。
どの道、今夜はここで過ごすしかなさそうだし。まあ、『秘術』について探る気ならば、私が気を付ければいいだけのこと。そもそも、私は『秘術』の情報なんて持っていないし。
疲労困憊の頭で考えつつ、私はふっと短い溜息を吐いた。
「まあいいわ。ひとまず今はここで休むことにする。もちろん信用なんてしてないわよ」
「そっか。結構手厳しいな」
「当たり前でしょ」
「まあ、そうだろうな」
私の返答に、ヴァルフェンは何を思ったのか考え込むように目を伏せた。それから、何やら腰元でごそごそし始めたかと思えば、ぱっと笑顔でこちらに振り向く。
「なら、これ持っといてくれ」
「え」
差し出されたものを見て、虚をつかれた。
持っといてくれって……。本気で言ってるの?
疑うのも無理はない。何しろ彼が差し出したのは、凝った細工が施された一振りの剣だったのだ。今まで彼の腰元に提げられていたものである。
それを差し出される理由がわからない。
騎士にとって剣は、それこそ己の分身か命同然でしょう。それをなんで持っとけなんて……
ヴァルフェンは戸惑う私に構わず、さっと立ち上がってこちらへ歩み寄り、笑顔で「ん」と剣を押しつけてきた。
「ちょ、ちょっと……っ!」
「自分の手にあれば、少しは安心できるだろ?」
――あ。
抗議を穏やかな口調で制されて、理由を理解した。同時にどさくさに紛れて剣を押し付けられてしまう。ずしりとした硬質な重みが、両の掌に載せられた。
私が信用してないと言ったから? 警戒を、未だ解き切っていないから?
もしかして、これで信用しろと言ってるの……?
「なんなら作業用の細剣も渡すが、どうする?」
ヴァルフェンは重ねてそんなことまで提案してきた。座ったまま隊服の裾を軽く捲り上げ、長剣を帯びていたのとは反対側の腰元を見せてくる。そこには、似たような細工が施された、短く細い剣が帯剣されていた。
どうするって……そうしたら、丸腰になるでしょうに。
数刻前まで敵だった、油断ならない相手なのに、ついそんな心配までしてしまう。
彼がどの程度武器を携帯しているのかはわからないが、一見して他にそれらしきものは窺えない。メインである長剣を渡している時点で、まず騎士としてどうなのかと思うものの。
「……私が、これで貴方に危害を加えるとは思わないの?」
寝込みを襲われると、考えないのだろうか。それとも、対処できるという自負があるのだろうか。私なら、つい数刻前に出会った人間に刃物を渡すなど到底出来ない。それがたとえ、小さな子供であったとしてもだ。
「別に思わん。というより、したけりゃすればいいさ。でもあんたは、そういうのじゃないと思ってる」
何それ、どういう理屈よ。
意味のわからない返答に、じっと様子を観察すると、また緩い微笑みを返され、面食らう。
輝く銀色の髪が、葉の隙間から差し込んだ夕日に染まり、赤くなっていた。
やっぱり変な男。
諦めにも近い気持ちでそう思いながら、この剣をどうしたものかと考えた。ヴァルフェンはといえば、もう用は済んだとばかりに地べたへ寝っ転がっている。白地の隊服に、土が薄く付着しているのが見えた。
持っておけって言うんだから持っておこうかしら。なんだか変な展開だけど。
私はそれ以上は口にせず、彼の剣を自分の傍らにそっと置いた。
確かに剣が相手の手にあるのと、自分の手にあるのとでは気持ちの持ちようが全く違う。まあ彼は、予備の短剣があると言っていたし、身のこなしからしても、本来はまだ警戒が必要なのだろうけど。
しかし、寝っ転がりながらこちらを眺めている顔を見ると、なぜかそんな気も失せてしまう。私はいつからこんなに楽天的な人間になったのだろうと考えたところで、あることを思い出した。
そういえば。一つ、忘れていたわ。
それについて告げるかどうか迷ったが、黙っているのも気が引けて、私は彼から目線を逸らし、森の奥を見ながら唇を動かした。面と向かっては、言いづらかったのだ。
「……言い忘れていたけど」
「ん、どうした」
私は少し離れた場所から真っ直ぐ向けられる視線を感じつつ、簡潔に口にした。
「……さっきは一応、助かったわ。有り難う」
言った瞬間、彼が息を呑んだ気配がした。あら? と思い目を向けると、眉を顰め渋い顔になったヴァルフェンが、困ったように頭をがしがし掻いていた。
……なぜ、そんな表情をするのだろう。
訝しんでいると、ヴァルフェンは撥ねた銀髪を揺らし頭を振る。
「別に、礼はいらないさ。そもそも俺はあんたを殺しに来たんだからな」
その態度に、私はわざとツンと澄ましてみせた。
別に助けてくれたからといって信用したわけではない。ただ単に、このまま何も言わないのは私の性に合わないだけだ。
「それでも、助かったのは事実よ。この礼は私の自己満足でもあるの。いいから黙って聞いておいて」
少し強めに言うと、ヴァルフェンは渋面を少しだけ和らげ、口元を緩めた。
「エレニー」
そして唐突に、人の名を呼んだ。
「……何よ」
先程も呼ばれたが、その呼び方を許した覚えはないのでジト目で睨む。すると、再び喉奥で笑う声が聞こえた。
「あんた、やっぱりいいな。よすぎるくらいだ」
――は?
と、つい聞き返しそうになったけれど、すぐにヴァルフェンは背中を向けた。無言の背中が何やら嬉しそうなのは、私の気のせいだろうか。ついでに言えば、こちらから見える彼の耳が、少々赤く見えるような気もする。夕日はもう、ほとんど沈んでいるのに。
何、今の。しかもどうして鼻歌なんて歌い出してるの、この男は。
じっと彼の背中を見つめてみたけれど、上機嫌な背中越しに、早く休んだほうがいいぞと繰り返される。なので私は仕方なく、目を閉じることにした。
誰かの存在を感じながら眠るなんて、いつ振りだろう。緊張で神経を張り詰めていたせいか、すぐに落ちていく意識の中で、私はそんなことを考えていた。
私が眠りに落ちた後、振り返った銀色の騎士が、こちらを見つめていたことにも気付かずに。
第二章 勘違い魔女は討伐騎士と旅に出る。
薪のはぜる音に、沈んでいた意識がふっと浮き上がる。
閉じた瞼越しに白い光が揺らめき、朧げな意識の中で鳥達の囀りが聞こえた。
……もう朝なのね。
ええと、確か今日は……ラシュコットの実を干して、それから……
目を開きつつも、ぼんやりとしたまま今日の作業について考える。すると、薄く開けた視界に二つの綺麗な蒼が見えた。なんだろうかとじっと目を凝らした途端、その蒼が楽しそうに輝く。
とても美しい色だと思う。私の故郷である東国エルファトラムの、大地の碧と空の青が交じり合ったような澄んだ色。あの騎士、ヴァルフェンの瞳もこれと同じ色をしていた。
って……、なぜかしら。今ほんの少しだけ、蒼い色がふっと細まった気がしたけれど。
そう気付いた瞬間、意識が鮮明になり、私はぱちりと目を瞬いた。
「……」
「……」
正面のヴァルフェンと互いに、無言で目を合わせる。
というより、私はぴしりと音がしそうなくらい、固まっていた。
「ちょっと」
「ん?」
「何、してるのよ」
見つめ合ったまま、唇だけを動かし不満を告げる。すると彼は何が楽しいのか、再び蒼い双眸を細めて笑いを零した。
……またなんで笑われてるのよ。私は。
しかも、どうして人の隣で、しゃがみながら頬杖ついてるの。いつからいたのよ。でもって、私はいつの間に横になって爆睡してたの……っ。
樹の根っこが背中に当たって痛いしっ、首なんて寝違えたみたいになってるしっ。
どうやら、自分で思っていたよりかなり消耗していたらしい。大して知らない相手が一緒にいるというのに、横になってローブに包まり朝まで熟睡していたようだ。少し休憩を取るだけのはずだったのに。正直、自分を殴りたい。
「何してたって、寝顔を見てたんだけど」
見てたって……! 全く答えになってないわよ!
「だから、なんで寝顔なんて見たがるのっ」
羞恥を押し隠し、そのままの状態で再度問えば、ヴァルフェンは悪びれもせず「駄目だったか?」とのたまった。
駄目とか、駄目じゃないとかの話ではないと思うのだけど。
なぜ昨日会ったばかりの、しかも人の首に刃を突き付けてきた男にそんなことをされなければいけないのか。
「他人の寝顔を盗み見るなんて、褒められたことではないでしょ……って、貴方、何を変な顔してるのよ」
続けて文句を言えば、ヴァルフェンは肩を震わせながら笑い声を零した。
彼の態度にむっとしていると、表情に出ていたのか、ヴァルフェンは私の顔を見て再度大きな笑い声を上げた。
先程から、やたらと笑いすぎである。本当に何か変な薬でもやっているんじゃないだろうか。
少し引いていると、彼がおもむろに私の頭へぽんっと掌を乗せてきた。馴れ馴れしいにもほどがある。
「いや、なぁ。そうまで大事に抱え込んでもらえたら、結構嬉しいもんだと思ってさ」
「は? 何を……」
無遠慮に頭に置かれた手を振り払おうとした時、またまた妙なことを言われて、動きを止める。
一体なんのことだ、と訝しみながら彼の視線の先――自分の手元を見て、私はその理由に気が付いた。
「~~~~っ!」
同時に、首から上へ一気に熱が集まっていくのを感じる。
今の今まで意識していなかったが、私は胸元に長い物体をぎゅうと両腕で抱き込んでいた。自分は、昨日彼から受け取った剣を、どうやら抱き枕代わりに抱き締めて眠っていたらしい。
「剣は、騎士にとっては命であり自分の分身とも言える。それをそうも大事に抱いてもらえると、流石に照れるな」
「ばっ……っ!!」
馬鹿じゃないのっ! と叱りつけようとしたところで、頭の上に置かれていたヴァルフェンの手がわしゃわしゃと乱暴に動き、髪を乱した。
女の髪を……! やめろというに!
「やっぱ可愛いなぁ、あんた」
「か、かわっ……」
発言に驚く私にはおかまいなしに、ヴァルフェンは人の頭を無遠慮に撫でながら破顔していた。
一頻り笑った後、ヴァルフェンは私を促し、眠りについていた樹から少し離れた場所へと連れ出した。躊躇しつつもついて行くと、ぱちぱちとはぜる焚き火があり、驚く。
「これ……どうしたの」
呆気にとられる私を置いて、さらに数歩その場へ近付いたヴァルフェンが、焚き火の上で沸々と煮えているものを目で示す。
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