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1巻
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キルシュは貴族の息子で、この辺境の地一帯を治めるダイサート子爵家の一人息子だ。
故あって私は彼と五年ほど前から関わりがある。出会った当初は普通の子供だったのに、十七歳になった今ではボンクラ息子になっているのだから、時の流れというのは非常に残酷だと思う。彼は、普段は王都に住んでいる癖に、たまに領地へやって来ては暇つぶしのように私や村民へ嫌がらせを繰り返すという、本当にどうしようもないお子様だ。
『ダイサート家の問題児』キルシュ=ダイサート。それが彼だった。
父親のダイサート子爵は領民からの人望厚い人格者なのに、どうして息子はこうなのかしら。理解に苦しむわ。
正直、この領地の未来は明るいとは言い難いだろう。
「ちょっとキルシュ、これ全部貴方の仕業なの? ご大層に士隊の騎士まで連れてきて。貴方どんだけ暇なのよ。そんな時間があるのなら、少しは子爵の仕事でも手伝って、領地の経営を学んできなさい!」
脱力していた気分をなんとか持ち直し、愚かな子爵令息を叱りつけた。キルシュ自身はどうでもいいが、いつか彼に治められるこの土地に住む人々が気の毒で、黙っていられなかったのだ。
怒りと呆れと馬鹿馬鹿しさに、きっと彼を睨み付ければ、キルシュは男の癖にひっと声を上げた後、横にいた騎士の背中にそそくさと隠れた。
女の私に睨まれたくらいで引っ込むとか、どれだけ小心者なのよ……
そんな感想を抱いていたら、私の真正面から、くつくつと笑う声が聞こえ、ん? と視線を向ける。
すると、面白そうに蒼い目を細めた騎士が、私を見ながら堪え切れないといった風に腰を屈めて笑っていた。脈絡のない反応に、少し戸惑う。
何が面白いのかしら、この人。お腹まで押さえてるけど。
訝しみつつジト目を向けると、騎士は剣を持っていない方の手で目尻を拭い、ふうと軽く息をついた。
どうやら、笑いすぎで涙が滲んでいたらしい。
……意味がわからない。
「なあ、あんた、王命書に書かれていたのと随分感じが違うな。面白い」
「それはどうも……って、王命書? 何よ、それ」
銀髪の騎士、ヴァルフェンが口にした言葉に、私の目が点になる。
王命書というのはその名の通り、国を治める王による直々の命令書のことだ。最上級の手配書と言っても相違ないだろう。
そんな代物に自分の名前が書かれているとなれば、正直この国での私の命運は尽きたに等しい。キルシュの三流悪役振りに気を取られていたが、なかなかマズイ状況のようだった。
私を魔女だと断言してたから、正体はばれてるんだろうけど。
ああでも、どうしてキルシュにばれたのかしら……って考えてる暇はないわね。でも、逃げられる気もしない。
この場にいるのは騎士が二人。キルシュは数に入れずともいいだろうが、目の前にいるヴァルフェンという男の隙をつくことは難しそうだ。
……せっかく故郷の東国から逃げ延びて、一人静かに暮らしていたのに。
再び、逃げなければならないのだろうか。あの時と、同じように。この地に移り住んで六年、やっと落ち着けたと思っていたのに。
荒れた土地を薬草畑に変えるまで、どれだけの手間と労力を要したものか。
なのに、また全て捨ててしまわなければいけないの……?
私の胸中に、焦燥と不安が渦巻く。これまでの年月を、全て台無しにされた気分になった。
なんてことしてくれたのよ、キルシュの大馬鹿……!
どうして彼に魔女であることが知られたのかはわからないが、どうせ彼が王へ密告したのだろう。こうなってくると詰るよりも縊り殺してやりたい勢いだった。やったところで、事態が変わるわけでもないけれど。
イゼルマール王が私の存在を知り、かつ王命書まで出しているという事実に、憤慨すると共に青褪める。我が身の行く末を想像するのも恐ろしい。
ふと、強い視線を感じて見回すと、銀髪の騎士ヴァルフェンと目が合った。彼の持つ二つの蒼が、ふわりと細められる。
「そう悲観するな。まだ一般の民にまでは周知されていないさ」
血の気が引いた私に彼が言う。状況に見合わぬ優しさが滲んだ口調に、聞き違いかと驚いた。
「王命といっても内々のものだ。そこのダイサート家から、領地に移り住んだ東国の魔女が悪さをしていると嘆願があったために下りた討伐命令なんだが……この感じじゃ、どうも行き違いがあったみたいだな。あんたどう見ても、悪人には見えないぜ」
諸悪の根源でもあるキルシュに目をやりながら、ヴァルフェンは片方の眉を下げそう言った。彼のあまりにも軽すぎる態度に虚をつかれつつも、行き違いという言葉にいくつもの疑問符が浮かぶ。
おかしい。王が私の存在を知ったのなら、『秘術』について、尋問させるか取引を持ちかけるかするはずなのに。東国の先王だって、そのために私達を滅ぼしたのだ。
騎士の不可解な言動に眉を顰める。一体なんのつもりなのかと、警戒心を増幅させた。
私は、彼らが言った通り『魔女』と呼ばれる一族の生き残りである。と言っても、絵物語にあるような強大な力が使えるわけではなく、少しの魔力があって、ある種の知識に長けているというだけだ。
けれど、私達一族は元々いた東国で、とある理由により片手の指の本数程度の人数を残して滅ぼされるに至った。
そんなことがあったのだから、そこに相当の理由があることは、誰しも察することが出来るだろう。
なのにこの騎士は、まるで知らない顔をして、行き違いだと言ってのけた。
どういうつもりなのかしら。まさか、見逃してくれるとでも? 流石にそれはないわよね。
微かな希望にさえ縋りそうになる自分に呆れていると、唐突にカチンと金属音が鳴り響き、続けて感心したみたいな声が聞こえた。慌てて目を向ければ、剣を鞘に収めたヴァルフェンが指先を顎の下に添え、こちらをじっと眺めながら口を開く。
「しかしまさか、東国の魔女一族の生き残りが、こんなところにいたとはなぁ。話には聞いてたが、俺も初めて見たぞ」
「……別に、見世物じゃないわよ」
「まあそう怒るなって」
まじまじ観察してくる騎士に一瞥を投げるも、楽しそうに笑われ、むっとする。
なんなのこの、おかしなくらいの気軽さは。もしかして、私を油断させるため?
先程の殺伐とした空気を霧散させ、別人のような軽さを見せるヴァルフェンを前に、私は短い息を吐いて姿勢を正した。油断させたところでばっさり、なんていうこともありえる話だ。そして助けてやるからと甘く囁き、情報を聞き出そうとする。
そんな仕打ちを受けた仲間を、私は大勢知っていた。
機がくれば、必ず逃れてみせるわ。私がそう決意した時――
「だ、騙されてはなりませんヴァルフェン殿! この女は――この魔女はあろうことか、僕に毒を盛ったのです! それは父ダイサートも知る事実! 行き違いなどではございません!」
私達のやりとりを離れて見ていたキルシュが、堪りかねたように叫んだ。相も変わらず台詞が妙に芝居がかっている。
「って、あいつはああ言ってるが、どうなんだ?」
ヴァルフェンは肩を軽く竦めつつ、やれやれといった風に苦笑を浮かべた。そして、ちらりとこちらへ視線をよこす。
「それは……」
視線と声で促され、私は事情を説明することにした。あまり口にしたくない話ではあるが、ここでだんまりを決め込むにはどうにも分が悪すぎる。
言いたくないけど……本っ当に、言いたくないけど……っ!
内心の葛藤を抑え込み、渋々話し始めた。
「……確かに薬は盛ったけど、それは彼が村の家畜を面白半分に殺したり、村娘に手を出そうとしたりしたからよ。使ったのも毒って言うほどのものじゃないわ。ただちょっと……その」
「その?」
口ごもる私に、ヴァルフェンは首を傾げながら続きを待つ。きょとんとした顔のせいで言い辛さが増し、若干声が裏返った。
「だ、男性の機能が……! 一ヶ月だけ使い物にならなくなるってだけよ……! ちゃんと事前にダイサート子爵へ手紙を書いたし、返事だってもらったわ! 我が儘な息子に灸を据えたことを、感謝されたくらいなんだからっ!」
言い終えた瞬間、自分の顔に熱が集まっていくのがありありとわかった。
羞恥で固まる私に、ヴァルフェンは「まじか」と呟いたあと、ふむと軽く頷く。
「なるほど。それはまあ……確かに毒と言うほどのものじゃあないな。自業自得とくれば特に。ああそうか。だから村の人間は誰一人、あんたのことを悪く言わなかったのか。ダイサートの息子には、怯えた目を向けていたが」
湧き上がった恥ずかしさに耐えていた私は、彼の話を聞き、はっと我に返った。
「ちょっと、村の人に何もしてないでしょうね!?」
怒鳴りつけるように問えば、ヴァルフェンは一瞬驚いた風に目を瞠り、その後、蒼い目を細めて穏やかな口調で語り出した。
「別に何もしてないさ。ただ話を聞かせてもらっただけだ。無実の者に手を出しはしない」
「そ、そう……」
その言葉に、内心ほっと胸を撫で下ろす。私のせいで彼らに何かあったとすれば、それこそ償い切れるものではない。
よかった。これでもし私が彼らに連れていかれたとしても、誰にも迷惑をかけずに済む。
今後は薬を卸せなくなるけれど、一応王都から仕入れている薬もあるはずなので、以前の状況に戻るだけだろう。
「あんた……いいなぁ」
「は?」
安堵で息をついた私に、ヴァルフェンはなぜか、柔らかな声音で嬉しそうに呟いた。不可思議な反応に、私は呆気にとられてぽかんと間抜けな顔を晒してしまう。
さっきから、この騎士の言ってる意味がよくわからないのは私だけだろうか。
今の今まで討伐の対象だった相手を前に(むしろ現在もそうなのだが)口にする言葉にしては、おかしい気がする。
「まあ、この件はダイサート子爵令息からの逆恨み……じゃない、勘違いだと訂正しておこう。悪かったな、急に」
しかも、そんなことまで言い出した。
う、嘘。いいのかしら。王命書なんて大層なものが出ているのに、こんな簡単に引き下がって。キルシュなんて、逆恨みって言われたのがよほどショックだったのか、顔を真っ赤にしたまま震えている。それに私には……いや、私達東国の魔女には、狙われてもおかしくない決定的な理由があるというのに。
どういうことなのよ。一体。
驚きを通り越して呆然とする。しかし、それも一瞬だった。
「……っ!?」
混乱していた頭が、唐突に向けられた冷たく厳しい気配によって冷静さを取り戻す。
予想外の方向からもたらされた鋭い殺気に、私は先程よりも強く身体を硬直させた。
今度は何よ……っ!?
激しい金縛りのような感覚に、肌がびりびりと痺れる。強烈な圧迫感に晒され、軽い呼吸不全を引き起こしていた。
かつて故郷で聞いた覚えがある。手練れの剣士は、殺気のみで相手の動きを封じることが出来るのだと。
恐らくこれはそういう類のものだろう。先程ヴァルフェンから向けられた殺気とはまるで種類が違っている。
無機質な殺意に、心の底から恐怖が湧いた。
どこなの……っ!? 誰が、こんな……っ!
唯一自由になる視線で気配の発生源を探れば、正面にいる銀髪の騎士ヴァルフェンから少し離れた場所にいるキルシュへと行き当たった。けれど、それはキルシュから発せられたものではなく、その隣にいる人物からだと気が付く。
「――勘違いではありませんよ。その王命は、確かに彼女の討伐を命じたものです」
私がその人物を認めた瞬間、静かな声が鼓膜に響いた。
すると私とヴァルフェンとの間に、夜色の髪で片目を隠した男が躍り出る。彼は腰元の剣の柄に手を添えて、こちらへ冷たい視線をよこしていた。
「ロータスっ!!」
ヴァルフェンが焦った声で叫ぶ。同時に夜色の騎士が剣を鞘から引き抜き、ぎらりとした刀身を私に突き出してくるのが視界に映る。ひゅんっと風を切る音がした。
私は身動きが取れないまま、自らに迫り来る刀身を見つめていた。
鋼の刀身が、太陽の光を受けてぎらりと輝く。
無理、避けられない……っ!
半ば諦めの気持ちを抱きながら、ぎゅっと目を瞑った刹那。
ギャイン! と、鋼と鋼のぶつかり合う大きな音が、辺り一面に鳴り響いた。
え――?
衝撃と痛みがやってこないことに驚き、恐る恐る目を開く。すると、私の目前で銀の刃が、同色のもう一刃を受け止めていた。
「……どういうおつもりですか。ヴァルフェン殿」
「それはこっちの台詞だ。今回の責任者は俺だろうが。勝手な真似してんじゃねえよ」
いつの間に移動したのか、瞬きほどの時間だったにもかかわらず、ヴァルフェンも私のすぐ傍に移動していた。
そして真横に剣を構え、突き出されたロータスという男の刃を受けている。つまり私は、彼のおかげで刃を免れたのだ。
……でもどうして、彼が私を守るの?
疑問が浮かぶが、横にいる銀髪の騎士へ今聞けるわけがない。彼の鋭い眼光は、ロータスへ向けられている。
張り詰めた緊張感と衝撃に頭が付いていかなかった。二人の攻防は、およそ常人では真似できないレベルで、キルシュなどは沈黙したままだ。多分私と同じで、全く身動きが取れないのだろう。
どうしたらいいのよ、こんなの。逃げられる空気じゃないし、口を挟むことすら出来ないなんて。
当事者だというのに何も出来ない無力感に、もどかしさが募る。けれど、そんな私には構わず、二人は勝手に話を進めていた。
「直前まで剣を鞘に納めていながら私の動きに合わせられるとは、流石ですね。敬服します」
剣を突き出したままのロータスが、無表情で言う。
「馬鹿言うな。お前が手加減したことはわかってんだよ。あの魔女を殺す気がなくても、傷をつけるつもりはあったってこともな」
一方、ヴァルフェンは、それに口端をつり上げ答える。
「上下関係は初めにはっきりさせておいた方が、後々楽ですから」
「だからお前ら宵の士隊は気に食わん」
……なんだか、思い切り無視されている気がするのは気のせいだろうか。
否、気のせいではないだろう。
ヴァルフェンとロータスを、私は胡乱な目で眺めていた。
何、私をそっちのけで会話してんのよ。この騎士どもは。
蚊帳の外状態に、頬を引き攣らせた。男同士のやりとりというやつだろうが、人のことをまる無視して、目の前でやっているのだ。気分を害するなという方が無理である。出来ることなら今の内に、近くの森にでも逃げ込みたいけれど、こんなやりとりをしている間も隙は見せないのだから余計に苛立つ。
殺すだの傷をつけるだの、上下関係だの、一体私をなんだと思っているのか。牛や馬を調教しているわけではないのだ。馬鹿にするのも大概にしてほしい。
そう内心で憤りつつ彼らを注視していたところ、ロータスの隊服がヴァルフェンのものとは微妙に違うことに気が付いた。
ヴァルフェンのものが白地に蒼の差し色で、ロータスのは同じく白地に……黒だ。だから彼は宵の士隊と言ったのか。確かに黒は闇の色。宵の色でもあるものね。
でも、どうして同じ隊の人間同士ではなく、別々の士隊に属する者が組んでいるのだろう? たしか士隊は、それぞれに決まった役割があったはずだけど。同じ色の隊服を着た者同士で来ないのは妙だ。
疑問に思っていると、ヴァルフェンが剣を引かないままロータスに問いかけた。
「今回の命については俺に一任されていたはずだよな。それとも何か、きな臭いとは思ってたが、案の定、他の用があるのか」
ロータスも構えをとかず、一度ふっと瞼を下げてから、視線で私のことを示した。
「ええ、そうです。そもそも私が同行したのも、イゼルマール王の伝言を彼女にお伝えするためなのですから」
「伝言……?」
ああやっぱり。
胸中で納得し、同時に落胆する。見逃されるわけはないと知っていたのに、ほんの少しでも希望を抱いてしまった自分がおかしかった。やはり、端からそれが目的だったのだろう。
口調は淡々としている割に、殺気だけはずっとこちらに向けている宵の騎士を見つめ、私は拳を強く握り締め、足にぐっと力を込めた。
「はい。彼女には、王より助命についての条件を提示するよう申しつかっています。東国の魔女一族に伝わる『秘術』を、我が国に譲与していただければ、今回の討伐命令を取り下げるというものです」
「勝手なことを……っ」
ふざけるな! と叫んでしまいそうだった。いくらキルシュが嘆願書を出したといえど、こじつけに近い理由で押しかけてきた癖に、死にたくなければ従えなんて。無茶苦茶な言い分に、心の底から怒りが湧き上がる。今は亡き東国の先王と同じやり方に、どこの国も変わらないと吐き気を覚えた。
腹立たしさにロータスをぎっと睨み上げる。
ここで断れば、きっと私は斬られるのだろう。それは理解出来るけれど、怒りは腹の底でぐらぐらと煮え、噴火寸前まで昂ぶっていた。
「私はっ……!」
「――秘術ねぇ、どんなもんか知らんが……なるほどな。ダイサート家からの嘆願を受けたのは、ただの目眩ましか。討伐したと見せかけて、陰で彼女を使役するための」
答えようとしたところ、ヴァルフェンによって遮られた。彼の声音には、私と同様に怒りの炎が宿っている。
「さあ、なんのことでしょう。ダイサート家からの嘆願はあくまで東国の魔女の討伐についてです。そして彼女が貴族に毒物を盛ったのであれば、その効力がどの程度であれ裁きには十分値します。これは、国法にも記されているれっきとしたルールです」
「そ、そんな、僕は何も、エレニーの命までは……」
キルシュが、ロータスの言葉に戸惑った声を上げた。緊迫した空気に気圧されていた彼は怯えた顔で、一人離れた場所に立っている。
……正直なところ、ヴァルフェンとロータスの攻防に気を取られ、存在を忘れていた。
さっき思い切り、お前の命運もここまでだとかなんとか宣言してた癖に。
よくも今更そんなことが言えたものだと思うが、元々考えの浅い青年なので、大して苛立ちもしなかった。それどころではないという理由もあるが。
「変だとは思ってたんだ。同行者が俺の部下じゃなく、お前だって聞かされた時からな……で、魔女とはいえ無実の女を、従わぬなら殺せってわけか」
ヴァルフェンが、怒りを滲ませた声で尋ねる。
「はい。現在、私ども宵の士隊が調べた限りでは、東国の魔女の生き残りは三人のみ。一人はホルベルクへ渡っており手が出せず、もう一人は行方が知れません。そんな中、彼女が自国で見つかったとなれば……他国に渡したくないと思うのが当然でしょう。南国ドルテアなどに捕らえられては、目も当てられませんので」
ロータスの説明に、私は驚きを隠せなかった。まさか、そこまで詳細を掴まれているとは思わなかったのだ。
北国ホルベルクにいるとされている仲間の話は、六年前に故郷で私も耳にしたことがある。確証は全くなかったのだけど……どうやら本当に存在しているらしい。
同族の情報が得られたのは嬉しいが、状況が状況なだけに少々複雑だ。
「あの狸じじいめ」
ロータスの話に、ヴァルフェンが忌々しそうに吐き捨てた。恐らくイゼルマール王のことを言っているのだろう。
仕えている主君に対して不適当な言葉だが、何か思うところがあるのかもしれない。
「気に入らないな、そういうやり方は」
ヴァルフェンが、不機嫌さも露わに告げた。じわり、と彼の身から発される怒気が濃くなった気がする。
「貴方が気に入る気に入らないにかかわらず、これは王のご意向です。騎士である貴方は、命に従ってさえいればよい。何より、貴方を傷つけると、私も面倒なことになりますので」
ロータスが、そんな彼を冷たく一瞥して畳みかけた。確かにそれは正論だ。国に仕える騎士は、結局は王に仕えているのだから。
しかしヴァルフェンは、ロータスの言葉にぎりりと音が出るほど剣の柄を握り締めた。
横槍を入れられた上、気に入らない手法を取られて、苛立っているのだろうか。もしかすると結構実直な人物で、正義感故の怒りなのかもしれない。
私には、関係のないことだけど。
「では、そろそろ返答をいただけますでしょうか」
ロータスが、片方だけ見えている目を細めて私に問う。私は背筋にひやりとしたものを感じながら、ぐっと唇を噛みしめ覚悟を決めた。
答えなど決まっている。六年前、一族の皆がしたのと同様に、拒絶しなくては。
胸に湧き出した恐怖を押しやり、思いきって口を開く。
けれど言葉を告げる寸前、ヴァルフェンが私にだけ聞こえる低い声で、しかしはっきり囁いた。
「――暴れるなよ」
どういうこと、と返すよりも早く、私の身体が突然ふわりと浮き上がる。
「っきゃあああっ!?」
視界が、一気に高くなった。
な、何!?
なんなの一体……っ!?
「ヴァルフェン殿!?」
ロータスの戸惑いと焦りに満ちた声がその場に響く。私から見えた彼の片目は、驚愕で大きく見開かれていた。
「やり方がっ! 気に入らねーんだよっ!!」
ヴァルフェンは、私の身体を肩に担ぎ上げて荒々しく叫ぶと、そのままもの凄い速さで森の方角へと突っ込んでいった。
◇◆◇
――で。
今に至るというわけである。
「これからよろしくって……貴方何考えてるのよっ!? そんな言い分聞くわけないでしょう!?」
「だって仕方ないだろ。そうなんだから」
そうなんだからって……
勝手な言い草に、憤怒と混乱で頭を抱えたくなった。
そんな私に構わずに、ヴァルフェンは何食わぬ顔で「どっちにしろ、今夜はここで野宿だな」とさらりと告げた。
その言葉に空を見上げれば、太陽が夜の気配を引き連れ、沈みゆく茜の帯を纏っているのに気付く。
鮮やかだった樹々の緑が、暗い色に染まり始めていた。
野宿って……簡単に言うけど、ここがどこだかわかってんのかしら。
文句を言いたいのはやまやまだったが、ひとまず置いておき周囲を確認した。
故あって私は彼と五年ほど前から関わりがある。出会った当初は普通の子供だったのに、十七歳になった今ではボンクラ息子になっているのだから、時の流れというのは非常に残酷だと思う。彼は、普段は王都に住んでいる癖に、たまに領地へやって来ては暇つぶしのように私や村民へ嫌がらせを繰り返すという、本当にどうしようもないお子様だ。
『ダイサート家の問題児』キルシュ=ダイサート。それが彼だった。
父親のダイサート子爵は領民からの人望厚い人格者なのに、どうして息子はこうなのかしら。理解に苦しむわ。
正直、この領地の未来は明るいとは言い難いだろう。
「ちょっとキルシュ、これ全部貴方の仕業なの? ご大層に士隊の騎士まで連れてきて。貴方どんだけ暇なのよ。そんな時間があるのなら、少しは子爵の仕事でも手伝って、領地の経営を学んできなさい!」
脱力していた気分をなんとか持ち直し、愚かな子爵令息を叱りつけた。キルシュ自身はどうでもいいが、いつか彼に治められるこの土地に住む人々が気の毒で、黙っていられなかったのだ。
怒りと呆れと馬鹿馬鹿しさに、きっと彼を睨み付ければ、キルシュは男の癖にひっと声を上げた後、横にいた騎士の背中にそそくさと隠れた。
女の私に睨まれたくらいで引っ込むとか、どれだけ小心者なのよ……
そんな感想を抱いていたら、私の真正面から、くつくつと笑う声が聞こえ、ん? と視線を向ける。
すると、面白そうに蒼い目を細めた騎士が、私を見ながら堪え切れないといった風に腰を屈めて笑っていた。脈絡のない反応に、少し戸惑う。
何が面白いのかしら、この人。お腹まで押さえてるけど。
訝しみつつジト目を向けると、騎士は剣を持っていない方の手で目尻を拭い、ふうと軽く息をついた。
どうやら、笑いすぎで涙が滲んでいたらしい。
……意味がわからない。
「なあ、あんた、王命書に書かれていたのと随分感じが違うな。面白い」
「それはどうも……って、王命書? 何よ、それ」
銀髪の騎士、ヴァルフェンが口にした言葉に、私の目が点になる。
王命書というのはその名の通り、国を治める王による直々の命令書のことだ。最上級の手配書と言っても相違ないだろう。
そんな代物に自分の名前が書かれているとなれば、正直この国での私の命運は尽きたに等しい。キルシュの三流悪役振りに気を取られていたが、なかなかマズイ状況のようだった。
私を魔女だと断言してたから、正体はばれてるんだろうけど。
ああでも、どうしてキルシュにばれたのかしら……って考えてる暇はないわね。でも、逃げられる気もしない。
この場にいるのは騎士が二人。キルシュは数に入れずともいいだろうが、目の前にいるヴァルフェンという男の隙をつくことは難しそうだ。
……せっかく故郷の東国から逃げ延びて、一人静かに暮らしていたのに。
再び、逃げなければならないのだろうか。あの時と、同じように。この地に移り住んで六年、やっと落ち着けたと思っていたのに。
荒れた土地を薬草畑に変えるまで、どれだけの手間と労力を要したものか。
なのに、また全て捨ててしまわなければいけないの……?
私の胸中に、焦燥と不安が渦巻く。これまでの年月を、全て台無しにされた気分になった。
なんてことしてくれたのよ、キルシュの大馬鹿……!
どうして彼に魔女であることが知られたのかはわからないが、どうせ彼が王へ密告したのだろう。こうなってくると詰るよりも縊り殺してやりたい勢いだった。やったところで、事態が変わるわけでもないけれど。
イゼルマール王が私の存在を知り、かつ王命書まで出しているという事実に、憤慨すると共に青褪める。我が身の行く末を想像するのも恐ろしい。
ふと、強い視線を感じて見回すと、銀髪の騎士ヴァルフェンと目が合った。彼の持つ二つの蒼が、ふわりと細められる。
「そう悲観するな。まだ一般の民にまでは周知されていないさ」
血の気が引いた私に彼が言う。状況に見合わぬ優しさが滲んだ口調に、聞き違いかと驚いた。
「王命といっても内々のものだ。そこのダイサート家から、領地に移り住んだ東国の魔女が悪さをしていると嘆願があったために下りた討伐命令なんだが……この感じじゃ、どうも行き違いがあったみたいだな。あんたどう見ても、悪人には見えないぜ」
諸悪の根源でもあるキルシュに目をやりながら、ヴァルフェンは片方の眉を下げそう言った。彼のあまりにも軽すぎる態度に虚をつかれつつも、行き違いという言葉にいくつもの疑問符が浮かぶ。
おかしい。王が私の存在を知ったのなら、『秘術』について、尋問させるか取引を持ちかけるかするはずなのに。東国の先王だって、そのために私達を滅ぼしたのだ。
騎士の不可解な言動に眉を顰める。一体なんのつもりなのかと、警戒心を増幅させた。
私は、彼らが言った通り『魔女』と呼ばれる一族の生き残りである。と言っても、絵物語にあるような強大な力が使えるわけではなく、少しの魔力があって、ある種の知識に長けているというだけだ。
けれど、私達一族は元々いた東国で、とある理由により片手の指の本数程度の人数を残して滅ぼされるに至った。
そんなことがあったのだから、そこに相当の理由があることは、誰しも察することが出来るだろう。
なのにこの騎士は、まるで知らない顔をして、行き違いだと言ってのけた。
どういうつもりなのかしら。まさか、見逃してくれるとでも? 流石にそれはないわよね。
微かな希望にさえ縋りそうになる自分に呆れていると、唐突にカチンと金属音が鳴り響き、続けて感心したみたいな声が聞こえた。慌てて目を向ければ、剣を鞘に収めたヴァルフェンが指先を顎の下に添え、こちらをじっと眺めながら口を開く。
「しかしまさか、東国の魔女一族の生き残りが、こんなところにいたとはなぁ。話には聞いてたが、俺も初めて見たぞ」
「……別に、見世物じゃないわよ」
「まあそう怒るなって」
まじまじ観察してくる騎士に一瞥を投げるも、楽しそうに笑われ、むっとする。
なんなのこの、おかしなくらいの気軽さは。もしかして、私を油断させるため?
先程の殺伐とした空気を霧散させ、別人のような軽さを見せるヴァルフェンを前に、私は短い息を吐いて姿勢を正した。油断させたところでばっさり、なんていうこともありえる話だ。そして助けてやるからと甘く囁き、情報を聞き出そうとする。
そんな仕打ちを受けた仲間を、私は大勢知っていた。
機がくれば、必ず逃れてみせるわ。私がそう決意した時――
「だ、騙されてはなりませんヴァルフェン殿! この女は――この魔女はあろうことか、僕に毒を盛ったのです! それは父ダイサートも知る事実! 行き違いなどではございません!」
私達のやりとりを離れて見ていたキルシュが、堪りかねたように叫んだ。相も変わらず台詞が妙に芝居がかっている。
「って、あいつはああ言ってるが、どうなんだ?」
ヴァルフェンは肩を軽く竦めつつ、やれやれといった風に苦笑を浮かべた。そして、ちらりとこちらへ視線をよこす。
「それは……」
視線と声で促され、私は事情を説明することにした。あまり口にしたくない話ではあるが、ここでだんまりを決め込むにはどうにも分が悪すぎる。
言いたくないけど……本っ当に、言いたくないけど……っ!
内心の葛藤を抑え込み、渋々話し始めた。
「……確かに薬は盛ったけど、それは彼が村の家畜を面白半分に殺したり、村娘に手を出そうとしたりしたからよ。使ったのも毒って言うほどのものじゃないわ。ただちょっと……その」
「その?」
口ごもる私に、ヴァルフェンは首を傾げながら続きを待つ。きょとんとした顔のせいで言い辛さが増し、若干声が裏返った。
「だ、男性の機能が……! 一ヶ月だけ使い物にならなくなるってだけよ……! ちゃんと事前にダイサート子爵へ手紙を書いたし、返事だってもらったわ! 我が儘な息子に灸を据えたことを、感謝されたくらいなんだからっ!」
言い終えた瞬間、自分の顔に熱が集まっていくのがありありとわかった。
羞恥で固まる私に、ヴァルフェンは「まじか」と呟いたあと、ふむと軽く頷く。
「なるほど。それはまあ……確かに毒と言うほどのものじゃあないな。自業自得とくれば特に。ああそうか。だから村の人間は誰一人、あんたのことを悪く言わなかったのか。ダイサートの息子には、怯えた目を向けていたが」
湧き上がった恥ずかしさに耐えていた私は、彼の話を聞き、はっと我に返った。
「ちょっと、村の人に何もしてないでしょうね!?」
怒鳴りつけるように問えば、ヴァルフェンは一瞬驚いた風に目を瞠り、その後、蒼い目を細めて穏やかな口調で語り出した。
「別に何もしてないさ。ただ話を聞かせてもらっただけだ。無実の者に手を出しはしない」
「そ、そう……」
その言葉に、内心ほっと胸を撫で下ろす。私のせいで彼らに何かあったとすれば、それこそ償い切れるものではない。
よかった。これでもし私が彼らに連れていかれたとしても、誰にも迷惑をかけずに済む。
今後は薬を卸せなくなるけれど、一応王都から仕入れている薬もあるはずなので、以前の状況に戻るだけだろう。
「あんた……いいなぁ」
「は?」
安堵で息をついた私に、ヴァルフェンはなぜか、柔らかな声音で嬉しそうに呟いた。不可思議な反応に、私は呆気にとられてぽかんと間抜けな顔を晒してしまう。
さっきから、この騎士の言ってる意味がよくわからないのは私だけだろうか。
今の今まで討伐の対象だった相手を前に(むしろ現在もそうなのだが)口にする言葉にしては、おかしい気がする。
「まあ、この件はダイサート子爵令息からの逆恨み……じゃない、勘違いだと訂正しておこう。悪かったな、急に」
しかも、そんなことまで言い出した。
う、嘘。いいのかしら。王命書なんて大層なものが出ているのに、こんな簡単に引き下がって。キルシュなんて、逆恨みって言われたのがよほどショックだったのか、顔を真っ赤にしたまま震えている。それに私には……いや、私達東国の魔女には、狙われてもおかしくない決定的な理由があるというのに。
どういうことなのよ。一体。
驚きを通り越して呆然とする。しかし、それも一瞬だった。
「……っ!?」
混乱していた頭が、唐突に向けられた冷たく厳しい気配によって冷静さを取り戻す。
予想外の方向からもたらされた鋭い殺気に、私は先程よりも強く身体を硬直させた。
今度は何よ……っ!?
激しい金縛りのような感覚に、肌がびりびりと痺れる。強烈な圧迫感に晒され、軽い呼吸不全を引き起こしていた。
かつて故郷で聞いた覚えがある。手練れの剣士は、殺気のみで相手の動きを封じることが出来るのだと。
恐らくこれはそういう類のものだろう。先程ヴァルフェンから向けられた殺気とはまるで種類が違っている。
無機質な殺意に、心の底から恐怖が湧いた。
どこなの……っ!? 誰が、こんな……っ!
唯一自由になる視線で気配の発生源を探れば、正面にいる銀髪の騎士ヴァルフェンから少し離れた場所にいるキルシュへと行き当たった。けれど、それはキルシュから発せられたものではなく、その隣にいる人物からだと気が付く。
「――勘違いではありませんよ。その王命は、確かに彼女の討伐を命じたものです」
私がその人物を認めた瞬間、静かな声が鼓膜に響いた。
すると私とヴァルフェンとの間に、夜色の髪で片目を隠した男が躍り出る。彼は腰元の剣の柄に手を添えて、こちらへ冷たい視線をよこしていた。
「ロータスっ!!」
ヴァルフェンが焦った声で叫ぶ。同時に夜色の騎士が剣を鞘から引き抜き、ぎらりとした刀身を私に突き出してくるのが視界に映る。ひゅんっと風を切る音がした。
私は身動きが取れないまま、自らに迫り来る刀身を見つめていた。
鋼の刀身が、太陽の光を受けてぎらりと輝く。
無理、避けられない……っ!
半ば諦めの気持ちを抱きながら、ぎゅっと目を瞑った刹那。
ギャイン! と、鋼と鋼のぶつかり合う大きな音が、辺り一面に鳴り響いた。
え――?
衝撃と痛みがやってこないことに驚き、恐る恐る目を開く。すると、私の目前で銀の刃が、同色のもう一刃を受け止めていた。
「……どういうおつもりですか。ヴァルフェン殿」
「それはこっちの台詞だ。今回の責任者は俺だろうが。勝手な真似してんじゃねえよ」
いつの間に移動したのか、瞬きほどの時間だったにもかかわらず、ヴァルフェンも私のすぐ傍に移動していた。
そして真横に剣を構え、突き出されたロータスという男の刃を受けている。つまり私は、彼のおかげで刃を免れたのだ。
……でもどうして、彼が私を守るの?
疑問が浮かぶが、横にいる銀髪の騎士へ今聞けるわけがない。彼の鋭い眼光は、ロータスへ向けられている。
張り詰めた緊張感と衝撃に頭が付いていかなかった。二人の攻防は、およそ常人では真似できないレベルで、キルシュなどは沈黙したままだ。多分私と同じで、全く身動きが取れないのだろう。
どうしたらいいのよ、こんなの。逃げられる空気じゃないし、口を挟むことすら出来ないなんて。
当事者だというのに何も出来ない無力感に、もどかしさが募る。けれど、そんな私には構わず、二人は勝手に話を進めていた。
「直前まで剣を鞘に納めていながら私の動きに合わせられるとは、流石ですね。敬服します」
剣を突き出したままのロータスが、無表情で言う。
「馬鹿言うな。お前が手加減したことはわかってんだよ。あの魔女を殺す気がなくても、傷をつけるつもりはあったってこともな」
一方、ヴァルフェンは、それに口端をつり上げ答える。
「上下関係は初めにはっきりさせておいた方が、後々楽ですから」
「だからお前ら宵の士隊は気に食わん」
……なんだか、思い切り無視されている気がするのは気のせいだろうか。
否、気のせいではないだろう。
ヴァルフェンとロータスを、私は胡乱な目で眺めていた。
何、私をそっちのけで会話してんのよ。この騎士どもは。
蚊帳の外状態に、頬を引き攣らせた。男同士のやりとりというやつだろうが、人のことをまる無視して、目の前でやっているのだ。気分を害するなという方が無理である。出来ることなら今の内に、近くの森にでも逃げ込みたいけれど、こんなやりとりをしている間も隙は見せないのだから余計に苛立つ。
殺すだの傷をつけるだの、上下関係だの、一体私をなんだと思っているのか。牛や馬を調教しているわけではないのだ。馬鹿にするのも大概にしてほしい。
そう内心で憤りつつ彼らを注視していたところ、ロータスの隊服がヴァルフェンのものとは微妙に違うことに気が付いた。
ヴァルフェンのものが白地に蒼の差し色で、ロータスのは同じく白地に……黒だ。だから彼は宵の士隊と言ったのか。確かに黒は闇の色。宵の色でもあるものね。
でも、どうして同じ隊の人間同士ではなく、別々の士隊に属する者が組んでいるのだろう? たしか士隊は、それぞれに決まった役割があったはずだけど。同じ色の隊服を着た者同士で来ないのは妙だ。
疑問に思っていると、ヴァルフェンが剣を引かないままロータスに問いかけた。
「今回の命については俺に一任されていたはずだよな。それとも何か、きな臭いとは思ってたが、案の定、他の用があるのか」
ロータスも構えをとかず、一度ふっと瞼を下げてから、視線で私のことを示した。
「ええ、そうです。そもそも私が同行したのも、イゼルマール王の伝言を彼女にお伝えするためなのですから」
「伝言……?」
ああやっぱり。
胸中で納得し、同時に落胆する。見逃されるわけはないと知っていたのに、ほんの少しでも希望を抱いてしまった自分がおかしかった。やはり、端からそれが目的だったのだろう。
口調は淡々としている割に、殺気だけはずっとこちらに向けている宵の騎士を見つめ、私は拳を強く握り締め、足にぐっと力を込めた。
「はい。彼女には、王より助命についての条件を提示するよう申しつかっています。東国の魔女一族に伝わる『秘術』を、我が国に譲与していただければ、今回の討伐命令を取り下げるというものです」
「勝手なことを……っ」
ふざけるな! と叫んでしまいそうだった。いくらキルシュが嘆願書を出したといえど、こじつけに近い理由で押しかけてきた癖に、死にたくなければ従えなんて。無茶苦茶な言い分に、心の底から怒りが湧き上がる。今は亡き東国の先王と同じやり方に、どこの国も変わらないと吐き気を覚えた。
腹立たしさにロータスをぎっと睨み上げる。
ここで断れば、きっと私は斬られるのだろう。それは理解出来るけれど、怒りは腹の底でぐらぐらと煮え、噴火寸前まで昂ぶっていた。
「私はっ……!」
「――秘術ねぇ、どんなもんか知らんが……なるほどな。ダイサート家からの嘆願を受けたのは、ただの目眩ましか。討伐したと見せかけて、陰で彼女を使役するための」
答えようとしたところ、ヴァルフェンによって遮られた。彼の声音には、私と同様に怒りの炎が宿っている。
「さあ、なんのことでしょう。ダイサート家からの嘆願はあくまで東国の魔女の討伐についてです。そして彼女が貴族に毒物を盛ったのであれば、その効力がどの程度であれ裁きには十分値します。これは、国法にも記されているれっきとしたルールです」
「そ、そんな、僕は何も、エレニーの命までは……」
キルシュが、ロータスの言葉に戸惑った声を上げた。緊迫した空気に気圧されていた彼は怯えた顔で、一人離れた場所に立っている。
……正直なところ、ヴァルフェンとロータスの攻防に気を取られ、存在を忘れていた。
さっき思い切り、お前の命運もここまでだとかなんとか宣言してた癖に。
よくも今更そんなことが言えたものだと思うが、元々考えの浅い青年なので、大して苛立ちもしなかった。それどころではないという理由もあるが。
「変だとは思ってたんだ。同行者が俺の部下じゃなく、お前だって聞かされた時からな……で、魔女とはいえ無実の女を、従わぬなら殺せってわけか」
ヴァルフェンが、怒りを滲ませた声で尋ねる。
「はい。現在、私ども宵の士隊が調べた限りでは、東国の魔女の生き残りは三人のみ。一人はホルベルクへ渡っており手が出せず、もう一人は行方が知れません。そんな中、彼女が自国で見つかったとなれば……他国に渡したくないと思うのが当然でしょう。南国ドルテアなどに捕らえられては、目も当てられませんので」
ロータスの説明に、私は驚きを隠せなかった。まさか、そこまで詳細を掴まれているとは思わなかったのだ。
北国ホルベルクにいるとされている仲間の話は、六年前に故郷で私も耳にしたことがある。確証は全くなかったのだけど……どうやら本当に存在しているらしい。
同族の情報が得られたのは嬉しいが、状況が状況なだけに少々複雑だ。
「あの狸じじいめ」
ロータスの話に、ヴァルフェンが忌々しそうに吐き捨てた。恐らくイゼルマール王のことを言っているのだろう。
仕えている主君に対して不適当な言葉だが、何か思うところがあるのかもしれない。
「気に入らないな、そういうやり方は」
ヴァルフェンが、不機嫌さも露わに告げた。じわり、と彼の身から発される怒気が濃くなった気がする。
「貴方が気に入る気に入らないにかかわらず、これは王のご意向です。騎士である貴方は、命に従ってさえいればよい。何より、貴方を傷つけると、私も面倒なことになりますので」
ロータスが、そんな彼を冷たく一瞥して畳みかけた。確かにそれは正論だ。国に仕える騎士は、結局は王に仕えているのだから。
しかしヴァルフェンは、ロータスの言葉にぎりりと音が出るほど剣の柄を握り締めた。
横槍を入れられた上、気に入らない手法を取られて、苛立っているのだろうか。もしかすると結構実直な人物で、正義感故の怒りなのかもしれない。
私には、関係のないことだけど。
「では、そろそろ返答をいただけますでしょうか」
ロータスが、片方だけ見えている目を細めて私に問う。私は背筋にひやりとしたものを感じながら、ぐっと唇を噛みしめ覚悟を決めた。
答えなど決まっている。六年前、一族の皆がしたのと同様に、拒絶しなくては。
胸に湧き出した恐怖を押しやり、思いきって口を開く。
けれど言葉を告げる寸前、ヴァルフェンが私にだけ聞こえる低い声で、しかしはっきり囁いた。
「――暴れるなよ」
どういうこと、と返すよりも早く、私の身体が突然ふわりと浮き上がる。
「っきゃあああっ!?」
視界が、一気に高くなった。
な、何!?
なんなの一体……っ!?
「ヴァルフェン殿!?」
ロータスの戸惑いと焦りに満ちた声がその場に響く。私から見えた彼の片目は、驚愕で大きく見開かれていた。
「やり方がっ! 気に入らねーんだよっ!!」
ヴァルフェンは、私の身体を肩に担ぎ上げて荒々しく叫ぶと、そのままもの凄い速さで森の方角へと突っ込んでいった。
◇◆◇
――で。
今に至るというわけである。
「これからよろしくって……貴方何考えてるのよっ!? そんな言い分聞くわけないでしょう!?」
「だって仕方ないだろ。そうなんだから」
そうなんだからって……
勝手な言い草に、憤怒と混乱で頭を抱えたくなった。
そんな私に構わずに、ヴァルフェンは何食わぬ顔で「どっちにしろ、今夜はここで野宿だな」とさらりと告げた。
その言葉に空を見上げれば、太陽が夜の気配を引き連れ、沈みゆく茜の帯を纏っているのに気付く。
鮮やかだった樹々の緑が、暗い色に染まり始めていた。
野宿って……簡単に言うけど、ここがどこだかわかってんのかしら。
文句を言いたいのはやまやまだったが、ひとまず置いておき周囲を確認した。
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