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1巻
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しおりを挟む第一章 勘違い魔女は討伐騎士に攫われる。
――景色が流れる。
生い茂る葉の隙間から差し込む光が周囲を照らす中、碧い樹木が凄まじい速度で視界を通り抜けていく。
「ちょっとっ!! 放しなさいよおおおーーーっ!!!」
私はその光景を目の端に捉えながら、腹にぐっと力を込めて叫ぶ。
そうでなくとも腕を回された腹部が圧迫されて息苦しいのだ。激しい揺れも加わって、呼吸がしづらいったらない。
「黙ってろ! 舌噛むぞ!」
「なっ……っ!? きゃあああっ!?」
訴えに返されたのは低く鋭い声だった。しかも声の主が大きく飛び上がったせいで、彼に抱えられた私の身体は一瞬浮かび、次いで腹部にどっと衝撃を受けた。身に纏ったローブが、風に翻る。
い、いい加減に! しなさいよっっー!!!
そう怒鳴りたいのを堪えて、落ちるのを防ぐため彼の身体にしがみ付く。地面に下ろしてほしいが、振り落とされたいわけではない。何しろ私は今、大柄な男に荷物の如く担がれているのだ。その担ぎ手が森の獣道を全力疾走しているのだから、身に受ける振動と衝撃たるや凄まじい。
癪だけど、ここは言われた通り口を閉ざしているのが正解なんだろう。けれど文句の一つも言えないのは、腹立たしいことこの上ない。
暴れて逃げ出そうにも、腰をしっかり掴まれていて、びくともしないし。
傍から見れば、私はさながら人攫いに連れ去られ、これから売られる村娘だろう。まあ、状況は似たようなものだが。
少し違うのは、その『人攫い』が王国騎士の装束を身に纏っているというところか。私がしがみ付いている引き締まった広い背中は、白地に蒼の差し色が入った隊服に包まれていた。これは、西の王国イゼルマール、蒼の士隊に属する騎士の制服である。
イゼルマールが擁する軍は『士隊』と呼ばれ、紅、蒼、碧、宵の四つの色名で隊が分けられているのだそうだ。
それにしても、どうにかなんないの、この体勢……
先程より冷静になった頭で、握り締めた白い隊服の背を睨む。今年で二十二歳を迎え、世間一般では嫁き遅れと言われる私でも、お尻を異性に触れられた状態で運ばれるのはさすがにきつい。
もう限界よ……! この際、振り落とされてもいいから暴れようか……!
いや、でもこの速さと高さで落ちたら、それこそひとたまりもない……っていうかこの男、本当に人間なのっ……?
ざざざ、と目にも留まらぬ速さで流れていく緑の風景を改めて見ながら、私を軽々と肩に担いで走り続ける男に驚愕の思いを抱く。
だって、かれこれ一刻以上は走ってるのよ。いくら騎士だと言ったって、普通、人間一人担いでこうも走れるものかしら?
その上、男の足取りに疲労の気配はない。
無理矢理首を捻って横を向けば、淡く輝く銀髪が見えた。体勢的に後頭部しか見えないが、ハリエンジュの棘を思わせる逆立った髪が、戦う者らしい荒々しさを感じさせる。色は銀よりも――鋼に近い。
この男の腰元にある剣の刃と同じ色。
つい先刻私の首に突き付けられていたその剣は、今は鞘に収められ、走る動きに合わせてガチャガチャと硬質な音を響かせている。
……あの時は本当に殺されると思ったわ。
首筋に当てられた冷たい金属の感触を思い出す。私に刃を突き付け、魔女かと冷ややかに問うた彼の声は、未だ鼓膜にこびりついていた。
あの瞬間、私は死を覚悟した。
なのに今、その当人に担がれ運ばれているのは一体、どういうことなのか。せっかく平穏な田舎暮らしを満喫していたというのに。
それを聞くためにも……もう、そろそろいいわよね。
私はそう判断し、道が緩やかになったのを見計らって、大きく息を吸い込んだ。ありったけの声量で言葉をぶつけるために。
「いつまで人を荷物扱いするつもりよ! 下ろしてよ! この変態っ!」
苦情を叫べば、私の腰を抱えた腕が、ぴくりと動いた。
「……変態って。あのなぁ、仮にも命の恩人に向かって、それはないだろ。それは」
げんなりした声音が聞こえたかと思うと、徐々に走る速度が落ち停止する。
変態かどうかは別として、気を引く目的もあってあえてそういう言い方をしたのだけど、私の選択は正しかったらしい。
それにしても命の恩人って。人に剣を突き付けといて、どの口が言うのよ。
重ねて文句をぶつけてやりたかったけれど、とりあえず下ろせという要望は聞き入れられそうなので、言葉にするのはやめた。
銀髪の騎士は腕の力を緩め、そのままゆっくり肩から私を下ろす。
私が羽織っているローブの裾が、地面すれすれのところでふわりと揺れた。
……あれ、放り投げられるかと思っていたけど、ちゃんと下ろしてもらえたわ。
丁寧に扱われたことを少々意外に思っていると、銀髪の騎士はさっと周囲を見回し口を開いた。
「これだけ離れたら、大丈夫だろ」
騎士の声が高いところから響く。ほぼ真上に顔を向けると、隊服の差し色に似た蒼い双眸が、遙か上から私を見下ろしていた。
初対面の時も担がれていた間も、背が高いとは思っていたが、間近だとかなりの迫力がある。着衣の上からでもわかる鍛えられた肉体にこの長身となると、ほぼ壁だ。
第一印象で感じた通り、騎士の男はなかなか整った顔立ちをしていた。撥ねた銀髪はざっと斜めに流されていて、開けた額には綺麗な眉が弧を描いている。蒼く澄んだ眼には鋭さがあり、口の片端を上げた微笑がよく似合っていた。
いや、というか。
なんだか顔、近くない……? そしてなぜ笑顔?
「ちょっと、何してるの」
「ん?」
大きな身体を折り曲げて、人の顔を覗き込んでくる相手をじろりと睨む。
が、銀髪の騎士はそんな私の態度をまるで気にしていないような顔をして、興味深そうに蒼い目を右から左、上から下へと動かしてこちらを眺め回した。
……私は珍獣か。
「貴方、なんなの?」
「何がだ?」
いや、聞いているのは私なのだが。なぜ疑問に疑問で返す。
一瞬こめかみに血管が浮き出た気がしたけれど、ぐっと気を静める。
落ち着きましょうか私。相手は騎士よ。下手を打って斬られたりするわけにはいかないんだから。
私は目の前の男を張り倒したい衝動と戦いながら、なんとか声を絞り出した。
「どういうつもりかと聞いているの! 貴方は私を、討伐しに来たのでしょうっ!?」
「ああ……まあ、な」
顔を見上げて再度追及すると、銀髪の騎士は頭をがしがし手で掻きつつ、歯切れの悪い声を漏らした。それから、すっと蒼い目を眇め、探るような視線を向けてくる。
何よ、凄んだって別に恐くなんてないわよ。
負けるものかと見つめ返せば、蒼い瞳と視線が重なる。しばしじっと睨み合う格好になったが、突然ふいと逸らされて、私は目を瞬いた。
何……今の。思い切り目を逸らされたというより、顔を真横に向けられたわ。これって、私が勝ったってことでいいのかしら。いや、そもそも勝負してたわけじゃないけれど。
不可思議な行動に内心首を傾げつつ、拗ねたみたいにそっぽを向いた銀髪の騎士をさらに見つめる。すると、その目元が仄かに赤くなっていることに気付いた。
余計に意味がわからず、じぃぃっと観察していたところ、蒼い視線だけがちらりと向けられた。
そして、薄い唇から小さな、やっと聞き取れるくらいの声が零れる。
「……仕方ないだろ。あんたに惚れたんだから」
――は?
思考が、予想だにしなかった言葉で一瞬飛んだ。
ええと、今……なんて言ったのかしら、この男。
「ほ」と「れ」と「た」の付く言葉を言われた気がしたが、新種の薬草の名か何かだろうか。かろうじて拾った単語を脳内で反芻し、その意味を理解しようと努力する。
が、処理が追いつかない。
ええと。
えええっっと……?
「ちょっと……よくわからなかったから、もう一度言ってくれる?」
額を指先で押さえつつ、平静を装って促すと、銀髪の騎士はぱっとこちらに向き直り、気を取り直したように爽やかな笑みを浮かべた。
どうしてこんな顔を向けられているのかしら、と思ったところで騎士がにっと笑みを深める。
「エレニー=フォルクロス。あんたに惚れたと言ったんだよ。まあ、一目惚れだな。ってわけで、これからよろしく」
そんなことを言い、蒼い片目をぱちりと閉じ、軽くウインクなんてしてみせた。
「は……はあああっ!?」
信じられない台詞を吐いた銀髪の騎士を前にして、私は森の中に叫びを木霊させた。
――そもそもどうして、私がこの男に担がれ、攫われることになったのか。
事の起こりは、一刻と少し前に遡る。
◇◆◇
「さて、今日はこんなものかしらね」
穏やかな午後の光が野を照らす中、私は丹誠込めて育てた薬草畑の中心で、今日の収穫分を籠に詰め込んでいた。
全身を包む長いローブの裾が、柔らかな風に揺れてはためく。浮き上がりそうになった頭巾の端を空いた方の手で掴んで目深に被り直し、周囲を見回した。
うん。今年もよく育ったわー……
淡く色づいた花や瑞々しい緑が一面に広がる光景に達成感を感じながら、深く息を吸い込みゆっくりと吐き出した。実りの季節ならではの、華やかな香りを含んだ空気が、胸に心地いい。
こんな日は、家の軒先でゆっくりと薬草茶でも飲みたいもんねー……。って、ちょっと年寄り臭いかしら。
長閑な景色を眺め、ついそんなことを思う。かつて過ごした故郷とよく似た景色に、自然と口元が綻んだ。
故郷である東の王国エルファトラムから、ここイゼルマール王国最北端の村へと移り住んで六年。
その村はずれで、私がこうして一人暮らせているのは、この光景――ここで育つ薬草とそれを原材料とする薬があったからと言っても過言ではない。
移住後、しばらくは自給自足の生活で苦労していたけれど、薬が村で売れるようになってからはかなり住みやすくなった。
村の人達がよそ者である私を特に警戒することなく受け入れてくれたのも、辺境地ならではの長閑さ故だったのだろう。
「えーっと、確か次に作らなきゃいけないのは消毒薬と化膿止めと、解熱剤と……そういえば、ミアルさんが腰が痛むって言ってたわね……あの人のことだから、また無理したんでしょうけど」
わさわさと茂る畑の畝間に腰を下ろし、籠の中の収穫分と脳内の在庫リストを照らし合わせていく。ついでに見知った顔を思い浮かべながら、追加で必要になりそうな分を予想した。
住処としている小屋が村はずれにあるため、村から仕入れの人が来るのは週に一度。今週の分は既に納めており、今は次の分を作り溜めているところだ。
ミアルさんとは私の薬を取り扱ってくれている雑貨屋の店主だが、この時期になると大抵農作業で無理をして腰を痛めているので、湿布剤は余分に用意している。
村でも街でも、基本的には王都から仕入れた薬が使われているけれど、私の薬は東の国独自の精製法で作っているため、薬効が桁違いなのだ。
おかげで、一度でも使った人は大体がリピーターになってくれて、年々収入は増えていた。ただ、あまり量を作れないので、さぼっているとすぐに品切れになってしまうのが難点である。
でも、贅沢な話なのよね。普通なら流れ者はなかなか信用されないものなのに。
あまり人と関われない事情がある私にとって、今の生活はとても恵まれている。村の人々はたまにしか顔を見せない私を快く迎え入れて、こうして今日まで丁度よい距離感で付き合いをしてくれているのだから、感謝しきりだ。
「さ、お腹空いたし、とっとと終わらせて帰りましょうか」
誰にともなく呟きながら、お昼の献立は朝食の残りでいいか、と考える。
この六年で、一人でいることには慣れたが、そのせいなのか独り言が多くなった。またやってしまった、と少々苦い気持ちが湧いてくる。
そういえば、この前も村の人に聞かれたわね。「一人で寂しくないの?」って。
たまにしか村に下りてこない私を心配してくれる人から、時々言われる台詞。
その度に私は、結構気楽で過ごしやすいのよ、と答えている。元々人付き合いは苦手な方だし、伴侶が欲しいとも思っていない。それに、村はずれの一人暮らしと言うとかなり侘しい響きだが、実際はそうでもないのだ。
何しろ自分がやらねば何もかも進まないので、毎日何かしらすることがある。薬草畑の管理なんてその最たるものだ。これをやらねば薬師としての生計が成り立たず、ものも買えない。そして人間には滅多に会わない代わりに、近くの森から動物達がちょくちょくやってくる。なので、共存できるものとは仲良くしたり、狼など外敵になりそうなものには忌避剤を用意したりと結構忙しい。
そういったわけで、私は恵まれた生活を送れているのだ。……かつて故郷と共に失われた人々に比べれば。
一瞬浮かんだ過去の光景を打ち消して、私は溜息を吐き籠を抱え直す。鼻先を爽やかな風が掠めていくのを感じながら、その場から立ち上がろうとし――動きを止めた。
「あんたが、魔女エレニーか」
突如、背後に現れた人の気配。
同時に聞こえた声に、身体が硬直した。
いつの間に、と驚きで目を見開くと、地面に落ちる自分の影と、背後にいる声の主の影が重なっているのが視界に映る。長く伸びた影の大きさからして、私よりゆうに頭二つ分は背が高そうだ。
首筋には、金属の冷たい感触があった。身体を強張らせたのはこのせいだ。
……剣の切っ先を突き付けられている。それも、恐ろしく強い殺気と共に。
ひたりと当てられた刃に、脳内で警鐘が鳴り響いた。
緊張で肌の毛穴が開いているのがわかる。嫌な汗が、じわりと背筋に流れるのを感じた。
どうする――?
焦りを抑えつつ、次の行動を考える。自分でも意外なくらい冷静でいられた。
私は悲鳴を上げることなく、頭巾を被った顔を伏せて押し黙った。もちろん時間稼ぎのためである。すっとぼけたところで、名が知られているあたり、恐らく事態は好転しない。
……かといって、このままってわけにもいかないし。さて、何かあったかしら。
手持ちの薬剤で、使えそうなものはあるかと考えを巡らせた。
今の私は、故郷である東国の衣装の上に、頭巾がついた長いローブを羽織っている。手には薬草の入った蔓籠が一つ。丸腰にしか見えないだろう。けれど、ローブの内側にはいくつも袋がついており、そこには常備薬などを備えていた。
多くは収穫時に誤って怪我をしてしまった時用のものだが、畑が森に近いこともあり、獣対策の忌避剤や麻痺剤も入れてある。もちろん、これらは人間にも使用できるし、実際使ったこともある。
唐辛子をこれでもかというくらい煮出して粉末化させた目潰し薬でも投げつけてみようか。時間稼ぎにはなるかもしれない。
でも、相手の方が動きが速そうなのよね。隙がないもの……判断が難しいところだわ。
そう考えていたところで、風が吹き周辺に咲く花の花弁を散らしていった。
白い花びらが吹雪のように辺りに舞い上がり、緊迫した状況には不似合いな美しさを垣間見せる。
「答えろ、あんたが魔女か」
動かない私の背中越しに、固い声が冷たく問いかけてきた。
掠れ気味の重低音に、感情は窺えない。しかし、首筋に当たる刀身に宿る殺気が薄まる気配もなかった。
僅かな身動きさえ憚られる隙のなさに、相当の手練れであると推測する。なのに、向けられた殺意に妙な違和感があるのに気付いて、私は眉を顰めた。
何かしら、これ。変な感じが……?
けれどそれについて結論が出る前に、背後から別の者の声が響き、私の思考は中断された。
「騎士殿っ! その女です! その女が東の国から来た魔女ですっ!」
その声が聞こえた瞬間、私は行動を起こした。
「……っ!!」
「ちっ!」
首に当てられた剣とは逆方向に身体を捻り、振り向きざま腕にかけていた薬草籠を背後の男へ投げつける。籠の中にあった摘んだばかりの鮮やかな薬花や瑞々しい葉が、空中にばっと散った。
同じくして、小さな舌打ちが聞こえた。背後の男が発したものであることは、見なくともわかる。が、今の私はそれどころではない。
あああ、もったいない……っ! せっかくここまで育ったのに……!
自分でやったことなのに、飛び散り地面へ落ちていく薬草に悲鳴を上げた。もちろん、心の中で。
手間暇かけて育て収穫したのだ。そこは汲んでほしいというものである。
命あっての物種だものっ。仕方ない、仕方ないのよ……っ!
断腸の思いで、素早く駆け出し距離を取り、背後の男に対峙する。
激しく動いたせいだろう、羽織っていたローブの頭巾が外れ、一気に視界が広がった。かつて故郷で褒められた長い紫紺の髪が、溢れ出るように肩から胸元へと落ちていく。
とりあえずこれで、間近な脅威からは逃れられたかしらね。
刃を突き付けられていた首筋を指先で押さえたところ、痛みも傷もない代わりにそこだけ体温を失っている感覚がした。
あのまま走り出し、背中を見せて逃亡を図るのは流石に無謀だ。
後ろからばっさりやられる可能性が大きいし、相手が飛び道具を持っていた場合、確実に討たれていただろう。だから私はとりあえず、対面した上で改めて対策を考えることにしたのだ。まあ、相手の顔を拝んでやろうという気があったのも確かだけど。
「へぇ、これはまた。えらく別嬪な魔女さんだな」
――は?
振り返った先、私の背後に立っていた相手に目をやれば、銀色の髪をした男が抜き身の剣をぶら下げ、にっと唇の片端を上げた。
何、この男。って、装束からして、騎士……なのかしら。
怪訝に思いつつ、警戒したまま銀髪の男を観察する。男を騎士と断定出来たのは、その格好が一見してそれとわかるものだったからだ。
銀髪の男が纏っていたのは、白地に蒼の差し色が入ったイゼルマールの士隊の隊服だった。首を守るための大きな襟元に、ところどころ施された金色の装飾。胸元には、羽根を広げた鷹の紋様が描かれている。
この地に移り住んで数年の私ですら覚えのある――西の王国イゼルマール、蒼の士隊に属する者の証だ。
「魔女というから、どんな皺くちゃの婆さんかと思ったら。なかなかどうして、いい女じゃないか」
銀髪の騎士が蒼い目を細め、笑いながら言う。
普通なら、初対面でこんなことを言われれば気分を害するのだろうが、不思議と騎士の言葉に嫌悪感を覚えなかった。剣を突き付けられた相手であるのに、だ。
恐らく、声に悪感情を感じなかったからだろう。
……変ね。さっきは凄い殺気だと思ったのに。
敵意ではなく興味を全面に押し出した視線に、はて、と内心首を傾げた。だけどすぐ、その理由に思い当たる。
ああそうか。さっきの違和感はこれだったんだわ。
この男、殺意はあっても、敵意がない。それこそ、全くと言っていいくらいに。
得心しつつ注意深く観察してみれば、男は結構整った容姿をしていた。
荒々しさを感じさせる撥ねた銀色の髪に、目鼻立ちのはっきりとした彫りの深い顔。蒼い瞳が楽しげに輝いていることもあって快活な印象なのに、妙に隙がない。まるで剣の切っ先みたいな鋭さを纏った男だな、とそんな感想を抱いた。
まじまじと見ていたせいか、銀髪の騎士と私の視線がばちりとぶつかった。途端、騎士はなぜかふっと双眸を緩ませ口元を笑みの形に変える。その余裕ある態度に、私の心に焦りの感情が湧き上がった。
……咄嗟の判断だったけど、逃げなくて正解だったかもしれないわね。
騎士の隊服を身につけているだけはあるのだろう。この余裕に、見上げるほどの長身、布地越しに見て取れる鍛えられた体躯、素人目でも易々と逃れられる相手ではないとわかる。
これは流石に、まずいかも……
隙をついて逃亡するという選択肢が消え、冷たい汗が背中を伝う。
そんな中、再び金切り声が響いた。
「何をされているのですかヴァルフェン殿! そやつがお伝えした魔女でございます! さあ早く! 捕らえるなり、痛めつけるなり、ご存分に!」
声のした方向に目をやれば、離れた場所できいきい騒いでいる貴族らしき男が見えた。その隣には騎士の装束を身につけた者がもう一人立っている。
それを見て、私はあることに気が付いた。
……あれって、もしかして。
やたらと目立つ華美な貴族装束を着た男の顔には、見覚えがあったのだ。
狐に似た細面に、若葉色の長い三つ編み。体躯は痩せ形で、今年で十七歳を迎える青年にしては全体的に線が細い。
「キルシュ……? どうして、貴方が」
ぽつりと名前を呟くと、私の方を見たキルシュがふんと不機嫌そうに顔を歪ませた。
いつもながら態度悪いわねー……。慣れてるけど。
この地で唯一、私の頭を悩ませている存在を目にして、私は少々、いやかなり嫌な予感を覚えていた。その上、こういった予感は外れた試しがないのが、ますますもって嫌になる。
「久しぶりだなエレニー=フォルクロス! お前がこれまで犯してきた数々の非道、この僕が直々に、裁きを下しに来てやったぞ! 覚悟しろっ!」
「はあ……」
キルシュの台詞を聞き終わったところで、思わず気の抜けた声を漏らした。緊張で力んでいた身体まで脱力してしまう。
三文芝居の悪役じゃあるまいし……なんなのよ、今の台詞は。これまで数えきれないほど嫌がらせをされたけど、今回は突き抜けてるわ。
げんなりとした気分のままキルシュから視線を逸らす。私の真正面にいたヴァルフェンと呼ばれた騎士は、いつの間にか剣の切っ先を地面に向けて、残念なものを見たと言わんばかりの表情を浮かべていた。彼も私と同様、緊張感なんてものは吹っ飛んでいる。
「なんだか……妙なことになったな……」
ヴァルフェンの口から戸惑いと呆れ交じりの声が零れた。
おかげで、私はなんとなく事の次第を理解できた。多分、いや十中八九、この事態はキルシュが発端なのだ、と。
「おいエレニー! なんだその生返事は! 僕に会えて嬉しくないのか! 嬉しいだろう! ならそれらしい顔をしてみせろ! どのみちお前の命運は、今日をもって尽きるがな!」
「はあ……」
再び、私は気の抜けた声を溜息と共に吐き出した。
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