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偽りの姫だった娘は辺境で恋を取り戻す 5

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 ……それで、かつて偽りの姫だったリリーシャの恋がいったいどうなったかというと。

 婚儀を終えたリリーシャは、宴の後マノアによって寝支度を調えられてリガードの部屋に通された。
 新年を迎える前に「それで、見定めはどうだった?」「もうとうに終わっています!」というやりとりは済ませていたが、リガードにそっと抱き上げられたとき、リリーシャは安堵に涙ぐんでしまった。婚儀でさんざんレイデーアと一緒に泣いたのに、ようやくリガードに触れてもらえると思うとまた泣けてきたのだ。

 リガードの手が優しく寝台の上に下ろしてくれるのに、リリーシャの頬は期待に紅潮した。
 だって、今日は誓いのくちづけだってしたのだ。あまりに望んでいたことであったので、正直なところリリーシャはもっとたくさんしてほしいくらいだった。

 リリーシャがどきどきしていると、リガードの大きな手のひらが頬をすくった。
 唇が触れて、静かに離れる。あまりにもあっさりと与えられたくちづけに、リリーシャはまた夢を見ているのかと思ってしまった。

「リリーシャの婚礼衣装を見るのは、兄として送りだしてやる時なのだと覚悟していた。まさかこうして、自分の花嫁として迎え入れられるとは思っていなかったから」

 驚きに瞬いたリリーシャに、リガードは笑った。

「三年前のドレスも綺麗だったけれど、あれはお母上のドレスだ。
 ……ああいう形で、君の意思を無視して嫁がせて悪かったと思っている。後悔したが、今はああしてよかったとも思う。あのままここで君を守ってやることもできた。でもそうしたら、リリーシャは僕のことしか見ようとしなかっただろう? 全部我慢してしまう君に、広い世界を見せてやりたかった。
 それに、リリーシャなら自分で未来を切り開いていけると思った。……まさかこんなに陛下のことが大好きになっているとは思わなかったけれど」
「陛下のことは、みんな好きでしょう? お兄様だって、陛下のことを信頼しているからガネージュを託されたのですから」

 うんと嘆息して、リガードは苦笑する。泣いて泣いて大変だったレイデーアの姿を思い出したのかも知れない。ちなみに、その隣にいたアーディレイもなかなかの泣きぶりだった。

「レイデーア王は凄まじい方だな。昔からそこそこいい為政者になれるのではと思っていたものだが、あの方を前にしたらその自負はあっさり打ち砕かれてしまった。もう王太子ではなく一領主の身だが、今の自分が気に入っているし、今が一番楽しい。
 何より、陛下はもう二度と会えないと思っていた君を再びこの手に戻してくださった。これからは、ふたりで陛下をお支えしなければならないな」

 リガードに頭を撫でられて、リリーシャは頷いた。
 好きなひとに好きなひとを褒められるのは、とても嬉しいことだ。リリーシャも、レイデーアのことが大好きだった。もう御傍近くにはいないけれど、一臣下としても義娘としても支えたいと願っている。

「はい。一緒に頑張ります。……この三月ばかり、お兄様が楽しそうにしておいでなのを傍で見ることができて、私は嬉しかったです。だって、お兄様はガネージュで色々背負い込みすぎでしたもの」

 そうかなとリガードが呟いたのに、リリーシャは何度もそうですと言った。
 リリーシャはふと、先程リガードが後悔と口にしたのを思い出した。

「私を手放したこと、お兄様は後悔しておいでだったのですか?」

 嬉しそうにそわそわしてみせるリリーシャに、リガードはとてもねと返してくれる。
 だって。そう言いながら、リガードはリリーシャのまろい頬を撫でた。

「知らなかっただろうけど、ずっと君のことが好きだった。
 最初は、自分と同じように色んなものを諦めてきた女の子だと思った。次第に、必死に妹だと思い込もうとするようになった。どうやら無事に嫁に出してやれなくなりそうだと思い始めたときには、いっそ自分のものにしてしまおうかとさえ思った。リリーシャは僕を何かとても素敵なもののように思ってくれていたから、そんなことはできなかったけれど」

 ずっと好きだった。リガードは間違いなくそう言った。
 うそ。リリーシャはそう思う。じゃあ、どうして。……どうして。

 確かに、三月の見定めを言い渡されたときもリガードは愛する気持ちは変わらないと言っていた。でもそれは、義兄としての気持ちかと思っていた。だから、リリーシャは三月の間どうにかしてリガードに意識してもらえないものかとあの手この手で色んな誘惑を仕掛けてきたのだ。

 仕事にかこつけて領内を案内してほしいとおねだりしたり、リガードの隣にぴったり張りついてあわよくば何かできないかと隙を窺ったり、時には勇気を出して後ろから抱きついてみたり……それはもう色々なことをした。
 でもリガードは笑うばかりで、優しく引き剥がされるまでリリーシャが幸せを噛みしめただけだった。リリーシャだけが一喜一憂していて、リガードは微笑ましそうにしていたものだった。

 穏やかに気持ちを伝えられたいま、リリーシャはひどく動揺していた。
 そして、何かどうしようもない衝動に駆られて、リリーシャは寝台の上で向かい合って座るリガードの胸を叩いた。ぺちんと鳴ったその幼気な打擲は、義母仕込みのごく可愛らしいものだった。

「お、お兄様は、ひどいです。私にたくさん素敵なものをくださったのに、私を国の最期に付き合わせてはくれなかった! 私だって、一緒に戦いたかったのに……」

 ふるふると頭を振って、リリーシャはまた手を振りかぶった。リガードは避けなかった。ただでさえ弱々しく迫る手を、何度も何度も黙って受け止めていた。

「お兄様が、私を守ってくれていたのは知っています。あの国で、私をちゃんと守ってくれたのはお兄様しかいなかったもの。でも、どうしてですか? どうして、ちゃんと教えてくれなかったの? 一緒に戦ってくれと言われたら、私はちゃんとそうしました。喜んで、お兄様と戦った。ひとりきりで、たったひとりきりで自分の国を売らせるなんて悲しいこと、絶対にさせはしなかったのに! なのに……お兄様は一番の味方を追いやった。私を、自分ではない誰かに嫁がせようとした。私が、私だけがお兄様の味方になれるはずでした……!」

 ぼろぼろと流れ落ちる涙はそのままに、リリーシャは何度もリガードの胸を叩いた。
 とはいえリリーシャはまじめで少し弁えすぎるところのある性分であったから、その音はとてもひそやかなものだった。

「もう、もう私はちっぽけな娘ではありません。お兄様の腕の中に隠れていることしかできない、ちっぽけで不安定な立場の娘ではありません。まだ経験は足りないけれど、私はきちんと自分で戦える娘になりました。お兄様がくれたものを、陛下のもとで磨きました。だからもう、置いてけぼりにされてなんてあげません……もう、もう、ぜったいに一人になんてしてあげません……!」

 悲しみと怒りとがどっとひと息に押し寄せて、リリーシャはリガードの広い胸にすがりついた。

 ばか。ばか。ひどい。ずるい。お兄様のばか。自分だけが頭がいいと思っているみたい。でも、そういうところも好き。などと罵倒なのか告白なのかわからないことを言いながら、リリーシャはぺちぺちとくり返しリガードを叩いた。

「リリーシャ。君を傷つけて、申し訳なかった」
「いいえ、いいえ。ちっともわかっていません! お兄様はぜんぶそう。私のためといって、ぜんぶ決めてしまう。私の気持ちは、私に聞いてください。もっと、私を欲しがってください。私は、お兄様しか欲しくなかったのに! 欲しいと言われたら、ぜんぶあげました。ぜんぶ、ぜんぶ……! だって、私だって、お兄様のことがずっと好きだった」

 手のひらが優しく肩を包んだのに、リリーシャは首を振る。そうして、きっとリガードを睨んだ。

「も、もう、誓いました。陛下にも祝福されました。もう、覆せませんから。ぜったいに、しがみついてでも離してあげませんから。どんなに嫌がったって、だめです」

 だめ。いや。だめ。そうくり返して泣きじゃくりはじめたリリーシャを妙にじっくりと眺めていたリガードは、思わずと言ったようにため息した。

 びくりと肩を震わせたリリーシャの頭を撫でて、リガードはそうじゃないと囁いた。

「王太子としては失格かもしれないが、ずっと君のことだけが気がかりだった。国よりも何よりも、君が幸せであればいいと思った。でも、今は少し違う。もう、欲しいものを諦めたりしない。もう、君を欲しがることを我慢したりはしない。だからリリーシャ、どうか一緒に幸せになって欲しい。……君のことを愛してる」

 あいしてる。そのことばが与えた衝撃に顔を上げたリリーシャは、何かぞっとするほどに艶っぽいリガードの笑みに行きあった。

 え、え、とうろたえるリリーシャは、そのままぽすんと寝台に押し倒された。
 そうして、ごく自然に覆い被さってきたリガードの影に包まれて、唇を塞がれる。

「ん……ん、……っ」

 リリーシャははじめ、息の仕方もわからなかった。
 唇を割られて舌が絡めとられたときには、思わず噛んでしまいそうになった。でも、ゆっくりとくちづけを教えられるうちに、いつしかうっとりと目を閉じた。好きなひとと唇を合わせていることの心地よさを感じながら。

 やがて瞼を押し上げたリリーシャは、リガードがあまりにも感慨深そうに自分を見つめているのに驚いた。

「お兄様?」
「うん……この三月の間にも思っていたけれど、君はそういう艶っぽい表情もするんだなと思って。リリーシャにそんな表情をさせたのが自分なのだと思うと、かなり胸に来るものがある」

 しみじみとそう言ったリガードを見つめながら、リリーシャはいったい自分はどんな顔をしているのだろうと思った。両手で頬を押さえたリリーシャは、どぎまぎとリガードを見上げる。

 リガードこそ、鏡を見て欲しい。濡れた唇を舐めるリガードの仕種はひどく大人で、危うい魅力に満ちている。

「これから君を抱くけれど、覚悟はできてるね?」

 リガードの指が頬を撫で、それから唇のかたちをたどる。その艶めいた仕種に、細めた目に浮かんだ情欲の色に、リリーシャは真っ赤になった。それから、急いでこくんと頷いた。今を逃してはならないとばかりに、何度も。

「はい、はい……!」

 リリーシャはリガードの首に手を回して引き寄せて、自分からえいと拙いキスをした。
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