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偽りの姫は戦勝国に嫁がされる 1

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 ――母に連れられて初めてお城に上がったとき、リリーシャはまだ五つだった。

 着飾った母は美しく、幼いリリーシャから見てもきらきらとしていて素敵だった。
 母に手を引かれるリリーシャもおめかししていて、ふわふわと広がるドレスには布で作られた花がたくさん縫いつけられていた。お揃いの花がついた髪飾りをつけてもらったのも嬉しくて、リリーシャはどきどきした。

 まばゆく微笑んだ母に手を繋がれていさえしていたならば、自分たちを見つめる大人たちの視線がどれだけ厳しくてもリリーシャは平気だった。いまも周りにいる見知らぬ大人たちの目はリリーシャと母に冷たくて、歓迎されていないことは明らかだった。幼いリリーシャにもよく分かるほどに、その視線はあからさまだったから。

 けれど、リリーシャよりうんと大人なはずなのに母はちっとも気にしていないようだった。
 この世の幸いを集めたかのような笑みを浮かべて、母はリリーシャのふくふくと柔らかい手をきゅっと握って囁いた。今日は素敵な日よ、と。まるでとっておきの秘密を分け与えるかのように。

 母は、春の光が降る庭園へと足を踏み出した。
 吹く春風にあおられてふわりと膨らんだ白いドレスの裾も、踊るような足取りをみせる爪先も。ほらと手を引くすべらかな手もすべて、何もかもが夢のように美しかった。

 リリーシャは、今でもあの日の母のことをよく覚えている。
 母は、美しいひとだった。それ以外に彼女を言い表す術をリリーシャは知らない。
 美しい母は、幼いリリーシャにとってほとんど全てだった。国を守護しているという精霊様よりもずっと身近で、遙かに分かりやすくて。けれども時々、うんと遠くなりもして……どんなに抗おうとしても目を奪われる存在。
 リリーシャは、どんなに手を伸ばして願っても母が思う愛情以外のものは決して与えられないと理解していた。それが、幼いリリーシャにとっての母だった。

「わたくしの可愛いリリーシャ。あなたの新しいお父様を紹介するわ。この国を統べる唯一の御方が、あなたのお父様になるのよ!」

 ぱっとあたたかい手のひらが離されて、リリーシャはひと息に心細くなる。
 母はドレスの裾を優美に翻して、美しい庭園で待っていたその人のもとへと駆け寄っていってしまった。リリーシャは、ぽつんとその場に取り残されてしまう。母が、自分と一緒にいるときよりも幸せそうに微笑んでいたせいもある。そのくらい、母と並んだ王様はお似合いだった。まるでずっとそうだったかのようにぴったり寄り添いあっている。

 その御伽噺のような光景を見た瞬間、幼いリリーシャは悟った。
 このひとが、母がくり返し語り聞かせてきた王子様なのだと。

 後になって悪意ある女官に教えられたことによると、母と王様はもともと許嫁だったという。
 しかし母の父が重罪を犯し、許嫁同士は引き裂かれた。王様は隣国から妃を迎え、母はその美しい見目を買われて年の離れた男のもとへ嫁した。
 時が経ち、どちらにも違う相手との子供が一人生まれた。王様は産褥で妃を亡くしてから充分な年月が経つと、側近たちの反対を押し切ってかつての許嫁を愛妾として召し上げた。それが、この日の出来事だった。

 重たそうな王冠をつけた王様は母と一緒にリリーシャのもとに歩いてきて、ゆっくりと身をかがめて挨拶をしてくれた。リリーシャがわざとぎこちない動きでドレスの裾を摘まんで礼をすると、王様はいっそ大げさなくらいに褒めそやした。
 可愛いな、あなたの小さな頃によく似ている。そう母に語りかける声はやさしくて、リリーシャは王様のことがちょっと好きになった。

「小さなリリーシャ。あなたに兄を紹介しよう。これからは本当の兄妹のように仲良くしてほしい」

 促されて振り向いた先に、リリーシャは王子様を見つける。
 リリーシャよりももうちょっとだけ年上の少年は、静かに微笑んだ。随分大人びたその表情に、幼いリリーシャは悟った。この王子様も自分と同じように、子供の自分を見ない振りをしているひとなのだと。

「王太子殿下。リリーシャと申します」

 母はいつもリリーシャに子供らしく無邪気に振る舞うよう求めていたけれど、王子様の静かな瞳の前ではその言いつけを守るのは難しかった。リリーシャが子供らしくない綺麗な礼をしたのに、王子様は小さく目を見開いた。それから膝をついてリリーシャの手を取ると、優しく微笑んでくれた。その笑みは先程のそれとは違って、少しだけ歳相応なものだった。

「リリーシャ。僕のことは本当の兄だと思ってほしい。僕も君のことを本当の妹だと思うから。……仲良くしてくれる?」

 リリーシャがこくんと頷いてはにかむと、王子様もまた微笑んだ。
 そうして、寄り添いあって子供達の交流を見守る親たちには聞こえないように小声で囁いた。

 ――リリーシャ。僕は君の気持ちがよくわかるよ。だからこそ、僕たちはいい兄妹になれるんだ。

 王子様は、幼いのに労りの目でリリーシャを撫でてくれた。
 あっさりと母に離されてしまった手をふたたび握ってくれたのは、王子様だけだった。リリーシャがぎこちなく手を握り返すと、王子様はうんと頷いた。リリーシャは賢い子だねと囁きながら。

 王子様とリリーシャが仲を深めていくにつれ、いつしか王子様は口癖のようにくり返しこんなことを言うようになった。

 ――リリーシャ。僕の可愛い小さな花。たとえお母上や父が君を放っておいたとしても、僕だけは君を見捨てたりはしない。

 そう囁かれるのは、女官も騎士もいない本当のふたりきりのときだけだった。
 だから、幼いリリーシャは安心して小さく頬を膨らませることができた。お兄様はそればっかりです、と。

 優しい王子様と拗ねるリリーシャ。
 それが、いつしかふたりの間でのお約束になっていた。血の繋がらないふたりの、他愛のないお遊び。

 ……だのに。
 あんなにくり返し約束したというのに、王子様はリリーシャを手放すことを決めてしまったのだ。

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