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エミリーの洞察力とリリアーネの頑張り
しおりを挟む「ねえ、アリアナ」
「ん? 何?」
昼食を先に食べ終えたエミリーがアリアナの顔をのぞき込む。エミリーの視線はアリアナの食事とアリアナの瞳を行ったり来たりしていた。
「……最近、食べる量、減ったね」
エミリーの指摘に、アリアナは口に含んだスープを吹き出しそうになった。
「……ん、そ、そ、そうかなぁ?」
口篭るアリアナをエミリーは大きな瞳でじっと見つめてくる。エミリーが指摘したことは事実だ。何故なら、秘密の場所でルドルフの持参するパンやスコーンを食べる機会が増えたからだ。昼食を食べ切ると、腹が満たされせっかくのパンを美味しく食べられない。そう思ったアリアナは、単純に食事の際のパンを一つ減らしたのだった。
「……あやしい」
「え、ええ?」
「……最近、お昼休みどこかに行くよね?」
ぎくり。アリアナはわかりやすく固まった。
「この間、泥だらけで帰ってきたし」
たらり。アリアナの頬に一筋の汗が流れる。
「……あや、しい」
アリアナは、視線だけエミリーに向ける。猜疑心と興味で瞳を輝かせたエミリーと目が合ってしまう。慌てて逸らしたが、遅かった。
「早く食べなよ。それで今日は私とお話しよう?」
「……はい」
有無は言わせない。視線で語るエミリーの圧迫感を感じながら、アリアナは重たいスプーンを口に運んだ。
□□
「ええー! ルドルフ殿下と時々会ってる?!」
「しっしー! 声がでかい!」
食堂を抜け出した二人は、人気のない井戸小屋に移動した。エミリーがロープのついた桶を井戸に放り投げつつ叫ぶ。慌てたアリアナは、人差し指をくちもとに立て、もう片方の手でエミリーの口を塞いだ。
「……エミリー」
アリアナが目を細めてエミリーを睨む。エミリーがぺろりと舌を出す。アリアナは小さくため息をついて、釘を刺す。すると、ごめんごめん、エミリーとロープを引いて井戸から水を汲み上げた。
「はい」
桶に汲まれた水を、木のカップに移してエミリーが親指大の黒い物体をカップの中に落とした。アリアナもよく馳走になっている水出しが可能な茶葉だ。一度飲ませてもらってからアリアナはすっかりこのお茶の虜になっていた。風味を損なうこともなく、少し苦味の強い茶はアリアナをやさしい気持ちにしてくれた。
「ありがと」
「……に、してもぉ。アリアナとルドルフ殿下……? 繋がらないんだけど」
お茶を口に含んだところで、エミリーの追求が始まる。危うく吹き出しそうになった所を既のところで堪えた。
「それは、まあ。色々」
「ふぅん。まあ、いいや。でも、ルドルフ殿下かぁ! すごい人、捕まえたね!」
ふふふ。と、エミリーが楽しそうに笑っていた。否定されなかったことにアリアナはほっと胸をなで下ろす。
「……アリアナ?」
「……っ、うん。なんか、ほっとしちゃったよ」
「ええ、なんでえ?」
「いや、何でだろ……」
こうして友達と話をするなど、いつぶりだろうと思い返す。勉強ひとすじ、友達もほぼいない。そんなアリアナに出来た初めての友達だった。
「なんか、楽しいね」
「ええ? 楽しい?」
「うん。エミリーとこうして話してるの。すごく楽しい」
乾いた風に言葉を乗せ、アリアナはすらりと素直な言葉が出てきた。照れくささもあり、エミリーの顔は見れなかった。
「……アリアナって」
「ん?」
「んんん……これじゃあ冷徹の第一王子も骨抜きになるわな」
「冷徹の第一王子?」
知らないの?と、エミリーがアリアナに詰め寄った。あまりの顔の近さに、アリアナは井戸を背にぎりぎりまで仰け反ってしまう。
「冷徹なルドルフ殿下と温和なヘンリー殿下。見目はルドルフ殿下の方が格段にいいから女性に人気なのよ。けれども、ルドルフ殿下は出自があまり良くないから貴族の人気があまり無くて。そのせいな人嫌いで有名よ?」
「へえ」
自分でも驚くくらい平坦な声が出てしまった。アリアナの興味のなさそうな態度に、エミリーが腰に腕を当てて鼻息荒く語り出した。
「私のお父様の話だと、ルドルフ殿下は国絡みの事業を展開しようとしているみたい」
「ふーん」
「それが成功すればルドルフ殿下のぐらぐらの地盤は固まるわね」
「はあ」
「あっ! 噂をすればルドルフ殿下!」
どれもピンとこない話ばかりで、アリアナは生返事をしていた。すると件の人物がエミリーの指さす先に居たようだ。
アリアナはルドルフの名に、反射的に身を隠してしまう。ついでにエミリーの腕を引いて、井戸小屋の陰に隠れた。
「ちょっと! アリアナ!」
「ごめん! でも、なんか顔を合わせづらくて……」
「いや……ナイスよ。アリアナ。見て!」
声を拾われないように陰に隠れた二人でコソコソと話す。エミリーの指差す先には、ルドルフとリリアーネ・ガロン伯爵令嬢だった。意外な組み合わせに、アリアナは声を上げてしまいそうになった。それをすかさずエミリーの手で塞がれる。すぐ側で繰り広げられる会話は、聞きたくなくてもアリアナたちの耳に入ってきた。
「ルドルフ様、お茶でもいかがでしょうか?」
「いや、結構。私は忙しいので」
「東方から仕入れた珍しいお茶なんです。お茶請けも用意しましたので……」
「結構。と言っているのが分からないのでしょうか?」
「いえ、私は……。ルドルフ様に少しでも休んで貰えたらと……」
身体をくねらせルドルフの腕にしなだれかかるリリアーネ。それを見たアリアナにぞわぞわぞわっと鳥肌が立つ。アリアナに泥シーツを投げつけ、高笑いをして去っていくリリアーネとは到底思えなかった。しかも、隣ではエミリーが「東方のお茶って……! 私の荷物に入っていたものをぶんどったやつ……!」と腹を立てていた。
「必要ない。去れ」
「……っ、しつれい、いたします」
淑やかにしていたら美人の部類に入るリリアーネすら袖にされていた。冷たい対応に耐えられなくなったリリアーネは、淑女の礼をとりその場をあとにした。
アリアナとエミリーの耳に、大きなため息が聞こえた。アリアナもエミリーも口を押さえているため、二人のものでないのは明らかだ。
危険を承知で、アリアナは井戸小屋の影からルドルフを覗き見る。
金に髪が陽に透けキラキラと輝いているのに反して、ルドルフの青い瞳は濁っているように見えた。眉間には国境にあるオルラーヌ渓谷もビックリの深いシワが刻まれている。疲れから、時折目頭も押さえていた。
「……疲れているのかな」
「アリアナ?」
ぽつん、と呟いたアリアナの言葉が、乾いた風に乗り、ルドルフの耳に届けられた。
慌てて口を押さえるが時既に遅かった。こちらを振り向いたルドルフとバッチリ目が合う。慌てて井戸小屋に身を隠す。しかし、じゃりじゃりと砂を踏みしめるルドルフの足音が徐々に近づいてくる。
このまま隠れていることは不敬にあたる。エミリーが一緒に出てこようとした所を静止し、アリアナは立ち上がった。
「やっぱり。アリアナか。居たのなら声をかけてくれれば」
「……立ち聞きしておりました……。失礼いたしました」
「いや、いいさ。今日は行けないから会えないと思っていたんだ」
盗み聞きをしたことを謝ると、気にしていないという風にルドルフが手を振った。
「ここで何を?」
「あっと、冷たい水が飲みたくて」
「なるほど。ここの水は冷たくて、のみやすいからな」
エミリーを隠そうと、アリアナは必死で言い訳を考える。そのせいでどこかに上擦った声になってしまった。アリアナは話題を変えて井戸から離れようと必死だった。
「で、殿下、お疲れですか?」
「お疲れ? そう見える?」
「……はい。あまり、顔色が良くないです。それにここ」
アリアナが指差したのは、自身の眉間。
「オルラーヌ渓谷もびっくりの縦じわが」
ルドルフの真似たのか、アリアナは眉間にぐっと力を入れて皺を作る。
(あれ……? 無反応……)
冷たく「やめろ」位言われるのかと思ったが、反応が何も無い。すると少し遅れて小さく吹き出す音が聞こえた。
「っ、ふ。アリアナは、愉快だねえ」
「ゆ、ゆ、愉快?!」
「いやいや。見ていて飽きないよ」
バカにして、と口には出せずにいると、ルドルフの手がアリアナの腰を引き寄せた。
「でも、疲れているのは確かかも」
「ちょ、あの……ちか、」
「だから、癒して」
ちゅ、と耳元で音が聞こえる。と、同時に舌がぬるりと耳の中に入り込んできた。ちゅく、唾液を絡めたと思っていたらと耳朶を食まれる。ちり、と小さな痛みを感じる。その甘い痛みにアリアナの口から思わず吐息が漏れる。
「……あ、ん」
「……その声、くるね」
ふ、と息を吹きかけられアリアナは飛び上がった。すぐさまルドルフと距離を置く。睨みつけるように目を細めると、ルドルフは心底楽しそうに表情を歪めた。
「ざんねん」
ぺろりと舌なめずりをするルドルフ。赤い舌がアリアナを挑発しているようだった。耳元を押さえ、アリアナはジリジリと後ずさる。いい様にされてたまるかという、アリアナの必死の抵抗だった。
「そんな警戒しないで。ああ、そろそろ行かなくちゃ。またね、アリアナ。そてと、井戸小屋の後ろに隠れている君もね」
そう言ってルドルフがアリアナの横を通り過ぎていく。一方のアリアナは舐められた耳を押さえたまま固まっていた。吹く風が、アリアナの耳からルドルフの熱を奪っていく。しかし、アリアナの心の中にある疼きは、ひどくなる一方だった。
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