Raison d'être

砂風

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Episode1/Raison detre

第三章╱異能の混戦

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(.6)
 前日の天気とは異なり、今日の空は雲ひとつない青一色で染まっていた。遥か彼方にある太陽は、眩しい陽射しを放っている。そんな清々しい晴天のなか、一軒家やマンションが立ち並ぶ閑静な住宅街には、一台の黒いワゴン車が止まっていた。
 運転席の扉の前には、ごつごつとした筋肉で身を固めている男が一人。煙草を吸いながら不機嫌そうな表情をしている男は、待ち合わせの相手が来るのをただただ待っていた
 5分ほど経過した頃、ワゴン車の一番近くに建つマンションから、3人の乙女たちが姿を現れた。その者たちは皆、ワゴン車へと向かって歩いてきている。三人とも横には並ばずバラバラの歩調で向かってくる女たち。先頭は、濃い化粧のミニスカートを履く女性ーー翠月が歩き、その斜め後方には、幼い少女が俯きながら同行している。一番後ろに位置するのは、誰もが衝撃を受けてしまうであろう髪色をした、少女に見える成人女性ーー瑠奈がいた。
「おっつかれさまー、にーのまーえさーん」
 先頭を歩く翠月は、屈強な体をしている男ーー“にのまえ”に声をかけた。
「おせぇぞ……あン? 誰だそのガキ、新入りか何かか?」
 瑠奈を見るなり、一はその存在が何なのかと問う。
「ど、ども、見学に来た瑠奈……です」
「はあっ? 見学だぁ? おい、したながてめぇ、わざわざパクられるリスク増やしてんじゃねぇよ」
 ーーなんなの、なんなんこの筋肉だるま、めちゃくちゃ恐いじゃん。
 やたらむやみに怒鳴る一を見て、瑠奈は恐縮してしまう。
「舞香さんの命令だから許してよー、にーのまーえさーんっ」
 翠月は厳つすぎるその男が怖くないのか、気軽に肩に手を置いた。一はそれを払うと「いいからさっさと行くぞ」と一喝する。言われたとおりに皆が中へ入る。
 運転席には一、助手席には翠月が座り、後部座席には瑠奈と幼い少女が座る。それを確認したあと、一は車を走らせた。
「……あ、あの、この子が……援交を?」
 となりに居る無口な少女を見て、瑠奈は質問した。
「もち、その子は叶絵かなえちゃんって名前の12歳の女の子だよん」
 少女ーー叶絵は、まだ児童と言っても差し支えのない低年齢の子供だった。そうにも関わらず、当然だという口調で翠月は答えた。
 叶絵はそれに反応することなく、前を見ないまま、スマホでなにかを楽しんでいるのだろうか? 視線は真下を向いたままでいる。
 ーーいやいや、いやいやいやこの子が!? わたしの見た目すら下回ってんじゃん。いったい誰がこんな幼い子とヤりたいって言うの!?
 瑠奈からしてみても、性愛対象外である低年齢の叶絵を観察して、率直にそう思ってしまう。お金を出してまで、こんな幼い子どもとやりたい人間がいる。その事実を知ると、なぜだか寒気を感じた。
「うちは検挙率0パーセントを掲げてっからな。13歳以下のガキは大人気商品なんだ」
 聞いてもいないのに、男は説明した。
「一さんもお金くれるんならヤれるって話あんだけど、やらない?」
 翠月は笑いながら、一へと聞く。
「二、お前には俺が幼女性愛ロリコンに見えるってのか? ああっ?」
「うそうそうっそー、じょーだんだから許してよーにーのまーえさーん」
「いちいち伸ばして呼ぶなよ鬱陶しい。ほんっとにクソガキだよな、てめぇ」
 翠月と一は和気あいあいと談話しているが、瑠奈は、まったく喋らない少女ーーいや、喋ろうともしない叶絵に意識が持っていかれていた。
「か、叶絵ちゃん? げ、元気? 気分、悪い? どう?」
 その空気に耐えられない瑠奈は、なにかしら会話をしようと気を使い、適当な話題を叶絵にふる。しかし、叶絵はチラッと瑠奈の顔を窺うと、すぐに視線を下に向けてしまった。
 やがて、叶絵は一言だけ口にしたのだった。
「……さい……あく」

 物の数分で車は止まった。そこは、さっきのマンションの近くにある別のマンション。
「着いたぞ、さっさと降りな」
 男に言われるがまま、翠月と叶絵は車から降りる。それを見て、瑠奈もあわてて車外へと飛び出した。
「ほら、ちんたら歩くんじゃねぇ。今日は一日フルコースの客が大量にいるんだからよ」
 聞いているのか聞いていないのかハッキリと態度を示さずに、スマホから視線を外さない叶絵の肩を一は掴んだ。
「おい、叶絵? もしもまえみてぇに失礼な事したら、ぶっ殺すからな? わかってんだろうな、おい?」
「……はぃ」
 一の脅すような命令に、叶絵は震えながらも小さな声で何とか返事した。
 ーーな、なんだかバイオレンスな世界だなぁ……。これなら、沙鳥ちゃんのほうを手伝うって決めて、さっさと謎の日帰り見学会をやめるんだった。
 明らかに前日より恐ろしい。その世界を平然と歩く翠月を見ながら、瑠奈はそう感じた。
 マンション内のエレベーターに乗ると、そのまま五階へと登っていく。やがて止まると、エレベーターから一番離れた部屋へと向かって進む。
 その部屋の前には、一とは違うタイプの男ーー筋肉は強調されていないが、耳や鼻、舌にピアスを着けて、恐怖心を煽らせようと着飾っている男が待ち構えていた。
「ぉはようございやっす!」
「おう、客はもういるのか?」
 一はチンピラ風の男に確認する。
「はい、中にもういるっすよ」
「きっちり剥いただろうな? 近頃は、腕時計のかたちした隠しカメラなんつーもんがあるんだぞ。もし万が一映像ネットに垂れ流されたら、てめぇも仲良くあの世におさらばすんのわかってんだろうな?」
「も、もちろん、当たり前っすよ。時計や眼鏡や靴下まで、全部脱がせやした」
 そう言うと、男は玄関を開く。まずは一だけ部屋に入った。
 一がいると文句を言われそうだ。そう予想して控えていた瑠奈は好都合だと考え、先刻から腑に落ちないことを翠月に問いかけることにした。
「ねえ、翠月。どうしてこんな遠回りな事してんの? こんなちょこちょこ動き回る必要なんてなくない?」
 叶絵の住んでいるマンションまでバイクを走らせたかと思えば、バイクをそこの駐車場に停めると、まずはマンション内へ入って女の子が住む部屋まで行く。母親らしきひとから叶絵を任され外に出ると、そこには一とワゴン車が待機していた。乗ってきたバイクはそのまま駐車場に置いてワゴン車のほうに乗ると、近所にある別のマンションに向かうという、なんとも小刻みに移動してきたのだ。
 さらにいうと、客となる相手の男は直接ここに来たわけではなく、どうやら別の場所から別のひとに連れられて来たらしい。
「そんなのパクられないようにきまってんじゃーん。瑠奈っちって、あったまわるいね~?」
「いや、そもそも犯罪なんでしょ? 一般人は知らないと思うんだけど……」
 この犯罪グループ“愛のある我が家”を拠点としているせいで、これがこちらの世界では一般常識・普通の行為なのかと、瑠奈は認識を誤りそうになる。しかし、パソコンでいろいろ調べていたおかげで、何とかそうならないで済むのだった。
 玄関が開き、中から一が顔を出す。
「おい、もういいぞ。入れろ」
 一に言われて、叶絵は翠月に力肩を押されながら部屋へと押し込まれた。瑠奈も一歩遅れて部屋に入るが、すぐに邪悪な毒素を放つ物が見えて目を逸らしながら立ち止まった。
「ちょっ……うげっ……あ、あの、わたし、外で待っててもいい?」
 そこに居たのは、貧弱な肉体をしている30歳前後の男性。衣服も装飾品も何もかも身に付けておらず、産まれてきたばかりの姿を晒している男が一人。瑠奈は、それを会話の内容から推測できていた。
 しかし、実物を見たことのない瑠奈にとっては、ひとつ、予想外の部分があった。
 一とは正反対の容姿の男だが、ある部分だけは逞しさをアピールしている。それは、両足の付け根の中間に在るものーーそれは、全身全霊を賭けて、天の高みを目指している物。
 それを視界に入れてしまった瑠奈は、生々しい男の象徴を感じ、途端に嘔吐感に襲われてしまった。
「いやいや、ここに私らが残るわきゃないっしょー、このバカちん子めっ」
「ば、ばか、ちん……こ……?」
 今しがた見てしまったそそり立つ物が頭に浮かび、必死にそれを頭から霧散させた。
「おいっ、さっさと次いくぞ次」
「はいはーい」
 叶絵を男の目前に座らせると、翠月はすぐに部屋から出てしまう。瑠奈は、叶絵を心配しつつも、置いていかれては困ると考え部屋から出た。
 三人共部屋から出ると、玄関の前にいた男は内側からドアを閉めた。
 直後ーー。
『ぁーーっ!』
 ーー……え? い、いま、なにか、聞こえたような……?
 背後の扉ーー閉じられた玄関の奥から悲鳴のような音が聞こえた気がして、瑠奈は思わず振り向く。
「気にしちゃ、メッ、だよん。ささっ、次へレッツゴー!」
 しかし、瑠奈の手を翠月は掴み、気にしてはいけないとばかりに早足になる。
「おい、SFだかファンタジーだか知らねーけどよ、どうしてそんな目立つ格好したガキ連れてきてんだ」
「だーかーらー、私が知るわけないっしょー? 舞香さんに聞けばいいじゃーん」
 暑さで流れるものとは異なる汗を腕で拭いながら、瑠奈は自分自身に『なにも考えてはいけない』と言い聞かせるのであった。



(.7)
 それは、三人目を車に乗せて、三度同じようにマンションに送り届ける作業をしていたときのことだったーー。
「二さん、おはよー。その子どしたの、髪の毛逝っちゃってない!?」
 三人目ーー中学校の制服で身を包む少女は、叶絵や二人目の子とは違い、朗らかな表情を浮かべている。翠月に挨拶しながらワゴン車に自ら乗る少女は、明らかに先ほど送った二人とは違う。
 一人目は、現実を直視しないようスマホに気を向けていたのかもしれない。最後に聞こえた悲痛な声、あれが幻聴でなければ、の話だが……。常に俯きスマホから目を離さない態度、なにも語らない、いや、語りたくもないといった雰囲気を醸し出していた。
 二人目は、14歳の少女だった。一人目よりは言葉を発するが、その唇は、一や二に何らかの問いかけを受けたときにしか開かず、瞳は虚ろでなにもかも諦めてしまっているような表情を浮かべていた。
 それら二人に対して、真逆とさえいえる少女ーー。
「美奈ちゃん、おっはー」
 翠月は挨拶を返す。
「一さんもおはよー、今日も暑苦しい格好してるね?」
「おうーーって、っるせぇな、暑苦しい格好がデフォなんだっての」
 一は、目的地へ向かって車を走らせる。
「ねぇねぇどうしたの? それカツラ? それにしてはきれいだね~?」
 ーー髪色に突っ込まれるのも次第に慣れてきたなぁ……。
「あ、あはは……これは自前なんだよね……。ちょっと聞いてもいい? 君、これからなにするのかわかってんの?」
 本日三人目となる凄惨な目に遭う少女を見ながら、瑠奈は問いかけた。
 ーー明るく振る舞ってるのは、芯が強いのか、それとも。
「当たり前じゃん。みんなやってるよ、このくらいさー。うちはお金を貰えて、おっさんは性欲を発散できて、一さんも二さんもお金稼げて、そのおかげでうちらは安全。みんなウィンウィンだよっ」
 きょとんっ、とした顔をしながら言いのけた少女を見て、いろいろな人間がいるんだなと瑠奈は感心した。
「美奈ちゃんは元々援交してたんだけど、補導されるリスクやー、相手が不鮮明だからー何かあったら心配だしーって聞くからさ、スカウトした的な?」
 翠月から説明を受けた瑠奈は、経緯に納得した。
 納得しながら、そういえば、翠月は何のためにいるのだろうかと瑠奈は気になった。
「あのさ、翠月って必要なの? わざわざ居る必要ないよね?」
 ワゴン車を運転するのは、一。
 男性の相手をするのは、少女たち。
 ひとつめのマンションまで、わざわざバイクで来る必要はあったのか。
 唯一していることは、家の中から少女を連れてくることだけだ。それにしてみても、三人目の少女は自宅ではなく、あらかじめ道に待機していて自ら乗ってきたのである。
「いろいろあるんだけどねー? とりま、もし捕まっちゃいそうになったとき、逃げるために私が居るってのが一番の理由かなー?」
「え、逃げるため?」
 どちらかというと、むしろ一のほうが役に立つのではないだろうか。瑠奈は、筋肉の集合体を見ながらそう考える。しかし、すぐにその思考を頭の中から消した。
 ーーそういえば、異能力者がいるんじゃん。
「つまり、翠月も沙鳥と同じ?」
「まっ、そーゆーことになるかなー、ただ、暴れる客の相手は筋肉が担当するけどね~、にーのまーえさーん?」
「うるせぇな。つーかよ、親父からは脅し担当だって聞いてんだぞ? なにかあったとき客を締めんのはヤツらしたっぱだっての」
 そのとき、一は急に携帯電話を取り出し耳に当てた。
「どうかしました、親父。……はあっ!? 叔父貴が! それ、本当ですか!?」
 翠月もほぼ同じタイミングスマホを取り出していた。
「え、瑠奈をすぐ帰って来させてっつーこと? いったいなにが……阿瀬さんが……殺され……た?」
「二人とも、いきなりどしたの?」
 同時に慌てふためく二人を交互に見ながら、瑠奈は何があったのかと問いかける。しかし、翠月は返答しない。
「一さん、ごめんなんだけど、一度うちに送ってくれない?」
「……ああ、それがマジなら、ヤツらにも力貸してもらうだろうしな。ちょっと揺れるが我慢しろ」
 一は、制限速度を越える速さで愛のある我が家へと車を飛ばした。



(.8)
『愛のある我が家』の室内には、舞香と瑠奈、朱音の三名。そして、大海と呼ばれる一の所属している組の長、大海の計四人が座っている。
「阿瀬さんが殺さたの。でも、澄は遠くに行ってるから多分帰宅は夜になる。一応連絡したから、嗅覚や聴覚も凄い澄なら見つけ出せるかもしれないけど、悠長に考えていたら近場から逃げられてしまう。でも、翠月や朱音、沙鳥は争い事には向いてない。だから、いまアイツらを捕らえられるのは、私か貴女の二人だけなの。わかるかしら」
 帰宅した早々、瑠奈は舞香からそう言われた。
 普段の室内、昨日朝方には和気あいあいとまではいかずとも、明るい雰囲気があった。いまは、重力が強くなったかのように錯覚を抱くほどの暗い空気が漂っていた。
 翠月と一は瑠奈を送ったあとは元の仕事へと戻ってしまい、ここにはいない。ほかの二名、沙鳥は仕事中で不在、澄も別件で遠くに出張中しているため、普段に比べて少ない集まりである。
「いや、そんなこと言われても……そもそも、相手がだれなのかわからないし、難しいんじゃない? だいたい、そこの大海ってひとが相手を捕まえればいいんじゃないの?」
「相手の顔は把握してんだ。今までこっちにゃ手を出してこなかったから見逃してやってたんだが、兄貴を殺ったってんなら話は別だ。相応の対価をきっちり払ってもらう。ただじゃ殺さねぇ。詫び入れようが何しようが」大海は強い口調でつづける。「爪剥がして四肢粉砕して肉体抉って泣き叫ぶまで死なせやしねー、クソ野郎ども」
 大海は吐き出すように宣言した。拳を強く握り締めて体を震わせながら、顔に青筋を浮かばせている。
「相手はただの殺し屋三人組のうち一人。だけど、正直に言うと私と大海さんだけでは分が悪い。かといって、大海さんのところの組員を集めて悪目立ちしても、別の意味でこっちが危なくなるの」
 舞香は、例の殺し屋三人組について説明する。
 居場所は転々と移動していて、なかなか見つからない。
 見つけたとしても、力があるだけの人間では勝ち目は薄い。
 自身にとって苦手とも思えるタイプが一人いて、それとは正反対の武道派の人間。そんな二人を合わせたような実力者で、計三人。
 一番派手に殺しをするリーダー格らしい奴は、おそらく警察とコネがある。そのため、もしも相手と警察が立ち会っていた場合、こちらだけが不利益を被ってしまう恐れがあること。
 ただし、異能力者ではない。
 舞香はそう説明した。
 ーーそんな凄い人間が、異能力者じゃない? ほかの魔法染みたものでもあるのかな? 
「そこで、一応戦い向きの異能力を持つ私と」舞香は瑠奈を指差す。「魔法を使える貴女の二人で、アイツらを取っ捕まえる役を担当する、わかった?」
「本当に大丈夫か、舞香ちゃん?」
「阿瀬さんにはいろいろお世話になったから、せめて捕まえるのだけは私に任せてほしいのよ。大海さんは、そいつらを埋める役」
「ちょっと待って、どうやって探すん? いくら顔は見たことあるっていっても、転々と移動してるんでしょ? だいたい、私は……」
 自前のマナをあまり失いたくはない。
 そう考えた瑠奈だったが、朱音に遮られてしまい最後まで言葉にはできなかった。
「そこは、あたしの知人を紹介するんだよ。探索に適した人間がいるから、そろそろ来るんじゃないかな?」
 朱音が言うと、ちょうど玄関が開き二人の男女が入ってきた。
 一人は金髪のーーおそらくまだ未成年であろうーー綺麗な少女。
 もう一人は、頬が痩けている背の高い男。目はギラギラしており、大海や一とは違う怪しさを放っている。
「舞香も会うのははじめてだよね? 紹介するよ。右の美少女がマリアさん、左の男が角瀬偉才かくせいざいさん」
「マリア!? マリアって、あの異能力結社のリーダーを務めてるっていう……?」
「そう、私が反異能力拘束団体リベリオンズの二代目リーダーよ」
 それに答えたのは、朱音ではなくマリアだった。
 反異能力者拘束団体ーー瑠奈も、異能力者について調べているとき、少しだけ目にしたことがあった。
 異能力者保護団体に対して、『どうして異能力を使ってはいけないのか』と異を唱える異能力者だけで構成されている組織だと。メンバーの人数は10人とも50人ともいわれている。
「朱音……今までどうして黙っていたの? こんな凄い相手と知り合いだなんて」
「聞かれなかったから答えなかっただけだよ。それより本題に移ったほうがいいんじゃないかな?」
 朱音の言うことも最もだと考えたのか、舞香はマリアへと顔を向けた。
「力を貸してくれる……そう朱音からは聞いてるけど、無償なわけではないんでしょ? それと、異能力が探索に向いてるっていうのは朱音から聞いたけど、どんな能力を?」
「当たり前でしょ? でも金銭なんかに興味はない。いつか、この借りを返してもらえればいい。ちなみに、私はただの付き添いよ? 力を貸すのはこいつだから」
 マリアはそう言って偉才の肩を叩いた。
「俺の異能力はちょっと特殊だけどな。俺は……」
 いわく、覚醒剤を使ったことのある人間に限定でしか使えない。しかし、一度でも乱用した人間なら、半径100kmにいる乱用者の意識を奪い、多数の人間に命令を出し、定めた条件の事柄が発生した場合、その者から信号が送られてくるという。舞香などを巻き込まないよう除外指定も可能らしい。
「なら、急いだほうがいいわね……逃走されたら敵わないわ。お願いできる?」
「もちろん。さっ、偉才? 私は帰るから、貴方はここで皆の手伝いなさい」
「ああ。そんじゃ、ちょっくら椅子に座らせてくれ」
 偉才が言うと、四人で埋まっているソファーから大海が立ち上がる。
「俺は組に戻っとく。一応数人だけ走らせるけどな。舞香ちゃん、念押ししとくけどよ? 殺さず連れてきてくれよな?」
 大海はそう言うと、部屋の中から出ていった。それにつづいてマリアも『またねっ』と外へ出ていく。
 偉才は空席になったソファーに腰かけると、おもむろに覚醒剤入りの注射器を取り出した。
「ちょっと、偉才さん? そんな量いっぺんに入れたら自殺行為よ!」
 舞香は、注射器に入っている覚醒剤の量に驚愕し、思わず注意する。しかし、偉才は気にせず注射してしまう。
「俺の能力発動の条件は、0.5gの覚醒剤(メタンフェタミン)をぶちこむことだァ。吐き気や目眩が酷いが、こうするしかねェんだよ。それよか、相手の写真をはよ見せやがれ」
 そのまま内容液をすべて注入すると、顔面を蒼白にし、全身を震わせ汗を大量に流し始めた。誰が見ても苦しいとわかるであろう表情をする偉才だが、手を出すなとばかりに掌を前に出した。
 舞香は言われたとおり、大海から予め受け取っていたのであろう青年の写真をテーブルに差し出す。
 すると、偉才は瞼を閉じるなり聞こえないほど小さな声で何かを呟いた。
「あとは見つかるかどうかだ。わりぃが、範囲外に居たら無意味だからな?」
 ぜぇぜぇと気持ち悪そうに息を吐きながらも、偉才は断りを入れる。
「さてと、あたっ……ボクここに居る意味なくなったよね? 戻るよ」
「ぼく?」
 ーー朱音が一人称を間違えた?
 ーーいや変えた?
 ーーそもそも朱音って、どっちだったっけ?
 そのことが少し気にかかる瑠奈は問おうとしたが、さっさと外に出てしまったため、聞くかとは叶わなかった。
 これなら急いで来なくてもよかったのではないか、そう考えはじめた頃、偉才はいきなり瞼を大きく見開いた。
「見つけたぜ? 川崎市宮前区、宮崎台駅近辺で女と一緒に歩いていやがる」
「女の子でしょ? そっちの写真は無いけど、十中八九仲間よ、そいつ」
 そうと聞くなり、舞香は立ち上がった。
「瑠奈、さっさと行きましょ。偉才さん、悪いんだけど携帯番号を教えてちょうだい。常にマークしておいて。私らは追跡して取っ捕まえるから」
「ほらよ」
 偉才はスマホを取り出し、自身の番号を舞香に見せる。舞香は手早く自身の携帯に登録する。
 ーー殺さずに捕らえる……そんなの私にできるかな?
 瑠奈の扱う魔法はすべて、魔物や敵国の相手を殺戮するために磨かれたものである。手加減などしたことがない瑠奈にしてみれば、その点だけが心配であった。



(.9)
 夕方、宮崎台駅周辺のベッドタウンのなか、瑠奈は舞香と共に二人の男女を追跡していた。
 瑠奈から見ると、二人ーー名前はありすと静夜というらしいーーは街に溢れるごく普通のひとにしかみえない。しかし、ターゲットであることは間違いないと舞香は言う。
「人の気配が薄い場所に入ったら、一気に捕まえるわよ。いい?」
「できるかなぁ……」
 瑠奈は、安易にそれを承諾できないでいた。扱える魔法のほとんどが、対人というより大軍に向けて放つ大魔法である瑠奈にとって、少数を拘束するような技術はほとんど持っていないからだ。
 ーーていうか、ありすて、ありす、って……アリス、アリーシャの愛称に被ってるせいか、あのアリスを思い浮かべちゃうけど、見た目は全然違うなぁ。
 ありすと静夜は歩く向きを変え、真横の道へと入っていく。
「あの細道は普段から人がほとんどいないわ。行くわよ?」
 舞香に言われながら、瑠奈は細い道へ入った二人の後を追う。
 角を曲がった直後ーー。
「っ!?」
 舞香の首もとを、刃物が横切った。
 それを間一髪でかわした舞香は、短い悲鳴をあげながらも一歩後退した。
「バレバレだよ、ストーカーのお姉さん?」
 そこには、ターゲットである静夜の仲間の一人ーーありすが待ち構えていた。その手には、鋭い光を放つ匕首あいくちが握られている。
「瑠奈! 一気に捕らえっーー!?」
 匕首を順手持ちから逆手持ちに変えたありすは、即後に次手に出た。
 振りかぶって切るーーそのモーションの振りかぶる部分がなくなり、動きが素早くスムーズになっていく。
 上から縦に突くよう下ろしたと思えば、すぐに下からの切り上げが放たれる。右から左に切り、左から右に突く、右斜め上から突くように下げ、左斜め下から切り上げるーー。
 ありすは次へ次へと匕首を振るう。
 それをどうにかギリギリ避ける舞香だが、数回目には肩にかすってしまったのだろうか、衣服の一部から血が滲み出していた。
 目には見えないが、舞香はしっかりと異能力を使っている。
 それなのにも関わらず、ナイフ一本の異能力の無い人間に圧されているのだ。
 その光景を数秒眺めたあと、瑠奈はハッと我に返る。
「風よ 我が剣になれ!」
 瑠奈が慌てて詠唱すると、周囲に突風が吹き、それらすべてが瑠奈の右腕へと纏まり、鋭い刃やいばと化した。
 舞香を助けようとしてありすに走り寄る。しかし、真横から襲いくる腕を察知できず、首を掴まれてしまい動きを止められてしまった。
 ーーなっ!?
 その腕の持ち主は、見たばかりなのに存在すら忘れかけていた男ーー静夜のものだった。
 元居た世界でも致命的に思える警戒心の薄さに、瑠奈は困惑しながらも自身を叱り発奮させる。
 ーー二人いるってわかってたじゃん、わたしのッバカッ!
「ぅっ!」
 瑠奈は意識が落ちそうになりながらも、自分の腕を静夜の腕へと押し当てる。
 肉に喰い込むのを察したのか、静夜は静かに手を離し、数歩だけ後退した。
 片腕から血を流す静夜は、しかし、それを気にも留めない様子で次の行動に出た。
 瑠奈を中心として、一定の距離を保ちながら歩いて廻りはじめる。
 ーーな、なんで……なんで気配がないの!?
 目前に敵が居るのにも関わらず、瑠奈はそれを“在る”と認識することが困難に感じ焦ってしまう。
 殺意や敵意がわからない、雰囲気がない、それどころの話ではない。
 存在を“在る”と認識できず、“無い”ものとして意識してしまうのだ。
「はっ、はぁ、はぁ……っ!」
 一方舞香は、ありすの隙がない連撃を避けるばかりで反撃に移れないでいた。衣服の数箇所には、赤黒い染みが付着している。
「瑠奈! こいつら滅茶苦茶よ! 全力でぶちまけてッ!!」
 舞香を襲う刃が急に止まった。
 ありすが背後に数回跳んで間合いを空けたからだ。
 優勢である筈のありすが退く理由がわからず、舞香は片足に力を込めて備える。
 着地に併せて屈んだありすは、両手の五指を地へと押し着け、それと同時に、半足ほど後方に左足を接地し、右の膝を地に着け腰を浮かした体勢になる。
 瞬間ーー滑空するように、ありすは舞香に向かって跳んだ。
 空いた間合いを一歩で詰めてくれるありすの手にはーーいつ持ち変えたのかーー順手持ちに握り直した匕首が握られており、刃先が真っ直ぐ舞香へと向いている。
 舞香は素早く回転して、その刃物に踵をぶつけた。
 靴の踵と刃物がぶつかると、鋭い金属音が静寂を破る。 
「面白いギミックだね、お姉さん」
 舞香の踵からは、先刻までは無かったはずの小さな刃物が飛び出していた。
 しかし、ありすは匕首を手放さない。
 蹴られた方向に自ら跳んで、威力を半減させると同時に体勢を変えていく。
 着地するときには、再び滑空直前の姿勢へと戻っていた。
 そんな舞香を視界の隅におきながら、瑠奈は静夜の動きを観察していた。
 なぜか近寄られている気がしないまま、ついに静夜は、ゆっくりと瑠奈に寄り始める。
 ーーダメだ! このままじゃ、本当に殺られる!
 瑠奈は右足を使って地面を前に蹴りつける。
 すると、瑠奈はその反動と風を利用して10m背後に飛んだ。
 静夜と距離をおくためだ。
「異能力者か……」
 静夜は呟きながらも、瑠奈に歩み寄るのをやめない。
「ーー此処に 現界せよ シルフ!」
 詠唱を終えると、瑠奈の真横にシルフが現れた。
「ようやくわたしの出番なのね? で、あいつを殺ればいいの?」
「いや、可能なら殺さず捕らえる方針で……」
 シルフの登場に眉ひとつ動かさない静夜は、ゆっくりと、静かに、穏やかに、ただただ歩いてくるだけ。
 シルフと瑠奈が会話する最中も、舞香は冷や汗ひとつ拭えない。
 ありすが突進してくるのを回転後蹴りで弾いても、弾いた地点に着地すると同時に、同じ姿勢に戻ってしまうせいで、すぐに飛び込んできてしまう。
 避けてもそれは変わらない。
 かわした先で半回転しながら、器用に同じ体勢になるように着地するなら再突進。
 致命傷を負うまで止まらないだろう恐怖の連続刺突。
 なにをしても地面に着くなり攻めの姿勢へ舞い戻り、その直後には再度襲いかかる匕首の切っ先。
 いつの間にか、舞香は全身の至る所を鮮やかな赤で彩っていた。
「殺さないようにって……ややこしいわね」
 文句を言いながらも、シルフは静夜に向かって強めの暴風を放った。
「物質干渉か風に対する概念干渉なのか……どちらにせよ厄介だな……」
 静夜は風圧で倒れそうになりながらも、それを耐えてまで向かってくる。
 ーーもうこれ殺さないとか無理臭くないッ!?
「お姉さん、そろそろ終わりにしよっか?」
 ありすはそう宣言する。
 もう舞香には、避ける体力も受け止める気力さえも残っていない。
 それを見抜いたありすは、強く地を蹴り、舞香の胸に向かっていっそう強く飛び込む。
 そのナイフの切っ先が舞香に触れる直前、なにかが風と共に道を横切りありすに当たる。
 すると、あんなにも驚異的だったはずのありすが、容易くコンクリート壁に向かって吹き飛び、そのまま背骨を強打した。
「かはっーー!?」
 ありすは胃液を吐き出し座り込む。
 なにが起こったのか理解が追いつかないのか、歯を食い縛りながら、壁を背にどうにか立ち上がったありすは、自分を飛ばした正体に目を向けた。
「遅れてすまぬのう、舞香、瑠奈。あとはわしが相手をするから、二人は退いておれ」
 飛ばされる前にありすが立っていたはずの場所には、ありすの代わりとばかりに澄すみが立っていた。
「はぁ……はぁ……よく来れたわね。でも、念のため電話しといて助かったわ」
 そんな会話の最中に接近したのか、いつの間にか静夜は澄の背後に移動していた。
 瑠奈にしたときと同じように、首に手を伸ばす。がーー。
「阿呆め」
 首を掴まれているのにも関わらず、澄は何の弊害もないとばかりの涼やかな表情で、その腕を自らの腕で握った。
「ぐーーっ!?」
 鈍い音が鳴る。
 静夜は押されるように退くと、使い物にならなくなった片腕を垂らし、もう片方の腕を構えた。
「この実力差があろうとも生は諦めないとはのう。嫌いではないんじゃが、仕事らしい。すまぬが、さっさと片付けさせてもらうぞ」
 静夜の前に行くのを邪魔するように、そこに刀が現れた。
「そうされちゃ困るんだよ。少しは待てよ、ガキ」
 静夜に近寄る澄は、咄嗟に半歩退く。
 静夜の前に割って入ったのは、唐突に現れた帯刀している眼鏡の女性。
 30代か手前ほどの年齢をしたその女性を認識した澄は、それが油断ならない相手だと認識したらしい。
「刀子さん……す、すみません」
「気にするな。こいつらはどうやら、誤った情報を共有しているらしい。相手もだから質が悪い」
「誤った情報?」
 思わず舞香が聞き返すが……。
「気にするな。どうせ納得しないだろうからな。で? やるのであればさっさとかかってきてほしいのだが……怖じ気づいたか?」
「ほう? わしを挑発しているつもりか人の子よ」
 刀子の言葉が逆鱗に触れたのか、澄の表情が鋭いものになる。
「おまえも異能力者のひとりだろう? 大方、リベリオンズとかいう奴らのメンバーだろ。違うか?」刀子は刀を構え直す。「運で得た力で強者ぶるなよ。どれだけ誇れることがないんだ?」
 ーーこれなら本気出さなくて済みそう。マナも勿体ないし、もしも同一化を使う場面が来たら大変だから節約しなくちゃ。
「シルフ 告げる 風の故郷へ至れ」
 ピリピリと視線を交える刀子と澄をしばらく見たあと、瑠奈は喚起したシルフを元に戻した。
 おそらく、澄がいれば本気を出さずに済む。そう考えたからだ。
 こちらの世界で全力を出してしまうと、一瞬でマナが枯渇してしまい無力になる。
 それを理解している瑠奈は、易々とマナ駄々漏れの状態で維持しないようにと漠然としながらも決めていたからだ。
「はっ、わしが異能力者ごときと同じと申すのか? それは面白い冗談じゃのぅ。ほれ、そうまで言うなら試してみるがよい。わしに傷ひとつ負わせられたら誉めてやる」
「ほう? 異能力者ではないと言うのか。ならばその力は何だというつもりだ。おまえみたいなガキがコイツらを一蹴できる力なんて、異能力以外あり得ないだろうッ?」
 刀子は言い切るのに等しく刀を薙ぐ。
 その程度見えていると言わんばかりに、澄はそれを容易に避けた。
 避けた……が、肌には当たらないものの、和服の腹部にある布は、あとから遅れるように真横に切れてしまう。
「今のを避ける……か」
 感心して驚く刀子に構わず、澄は素早い、かつ、力強い動作で刀子の肉を掴もうとして素手を伸ばす。
 片手を用いて刀子の肉体を抉ろうとするその突きの速さは、常人には目でも追えない。
 だが刀子は、不可思議かつ軽やかな動作で、それらに当たらないようかわしていく。
「ふん、人間風情がちょこまかと」
「ただのガキかと思ったが、なにやら違うみたいだな」
 第三者が入ったら間違いなく怪我をするであろう戦いを繰り広げる澄と刀子の両名。
「ちょっとストーップ!」
 だが、それを邪魔するように舞香が叫んだ。
 舞香は携帯電話を耳に当てながら、二人に言葉で割って入ったのだ。
「ど、どしたのさ、舞香?」
 瑠奈は驚きながら舞香に問う。
 一応、舞香の声に、澄も刀子も反応してくれたらしい。
 両者同時に動作を止めていた。
「上で話が着いちゃったわ。悔しいけど、あれはなにかの“間違いだった”って事になったの。だから、その人たちには、もう手を出す理由がなくなっちゃった。むしろ逆に、手を出したら上からなにかあるかも」
 ーー話が……着いちゃった?
 瑠奈は、意味が理解できないでいた。
「そうか、なれば如何にするか決めてよいぞ、人間。続けたければ相手になるわい」
「はっ、お前みたいな化け物と、好き好んで相手する奴なんていないよ。お前たち、帰るぞ」
 刀子はありすに肩を貸すと、静夜と一緒に去っていく。
「……そういえばおまえ、異能力者ではないと言っていたな? あれはどういう意味だ?」
 最後に刀子はそう質問した。
「言葉どおりの意味じゃ。わしはこう見えて齢150を越える吸血鬼の生き残りじゃ」
 ーーき、吸血鬼?
「瑠奈、澄について考えても無意味よ? 吸血鬼なんて作り物の世界にしか存在しないわ。異能力なんかより、よっぽど希少な存在だから、もしかしたら澄以外存在しないかもしれない。異能力者とでも考えとけばいいわよ」
「酷い言いぐさじゃの。わしは異能力者なんぞとは別の存在じゃ」
 瑠奈はやり取りを見つつ、今日はいろいろな出来事があって疲れたなと思った。
 あとは帰るのみ。自身の存在理由、生きている意味などを考える暇もなかったなと、瑠奈は考えた。そして、ふと思う。
 ーーあれ? どうしてわたし、死に直面したときに恐怖したんだろう? 自殺しようと思ってたはずなの……。
「さて、我が家に帰りましょうか。総白会と最神一家の間でなにがあったのかは知らないけど、“間違い”だった事されてしまったら、阿瀬組も大海組も、依頼した最神一家の下部も、何の文句も言えなくなってしまった。もう少し早めに捕らえていれば、少しは痛手を負わせてあげられたかもしれないけど……」
 まさか、ああも真っ正面から戦える暗殺者だとは思いもよらなかった。舞香はそうつづけた。
 瑠奈たちは、暗くなった道を歩いて“愛のある我が家”へ帰るのであった。
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