Raison d'être

砂風

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Episode1/Raison detre

第一章╱愛のある我が家

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(.-1)
 魔法や精霊が当たり前に存在する世界。その世界で一番勢力を持つ、帝国『アリシュエール』の城の内部。とある部屋の中では、四人の人間がなにかを言い争っていた。
 元々こちらの世界の住人である“ルーナエ・アウラ”は、その友である“アリーシャ・アリシュエール”に背中を押され、残りの二人ーー“舞香(まいか)”と“朱音(あかね)”に差し出されていた。
 舞香と手を繋いでいる朱音は、空いているほうの腕でルーナエの手を掴む。
ルーナエが困惑しているうちに、ルーナエの指のあいだに、朱音は素早く指を絡めた。 
「まっ、ちょっ、ちょまっ、ちょっと待ってって言ってるじゃん! わたし、行くだなんて一言もーー」
 ルーナエは朱音の手を払おうとするが、既に指を絡められているせいでどうにも抗えない。
 18歳前後の朱音に対し、瑠奈の見た目は朱音より4歳ほど幼く、見た目どおり、力も年齢ていどしかないからだ。
「おとなしくしてよ、直ぐに済むからさ」
 朱音は、握った瑠奈の指を強く固め、決して緩めようとしない。
「ルナ! 舞香や朱音についていってください! 自殺志願者になった親友なんて見ていられません! 楽しくなれない病が治るまで帰ってこなくていいです!」
 アリーシャは苛立ちながらルーナエに罵声を浴びせる。
 そうしたあとら舞香へと身体を向けた。
「それでは、ルナのこと、よろしく頼みます」
「了解、頼まれたわ。いろいろと準備だけはしておいてるから安心して。ああっと、そうだった。一応言っておくわ。覚醒剤メタンフェタミンの製造は、例の、私が直々に教えた三人だけでやるように、強く言い聞かせるのを忘れないでね。事故って大爆発ボンッ!、死者多数ーーなーんてなったら大惨事だもの」
 ルーナエを無視し、身勝手に会話を進める舞香とアリーシャ。
 そんな中、ルーナエは何ともいえない奇妙な感覚に襲われてゾクゾクしていた。
 寒気と熱が拮抗せずに両立しているような、痛みと気持ちよさが背中合わせで佇むような、そういう謎の感覚ーーそれが、朱音の手から流れ込んでくるのをルーナエは感じた。
「な、ななな、ちょちょちょ、ちょっと!? なんなの、なんなのこれ、なんなんこれ!? ホントに大丈夫!?」
 ルーナエは焦り朱音に問う。
「安心してよ、怖いのは最初だけだよ。あたしたちも、こっちに来るときには襲われるんだ。今は、あたしたちがこっちの言語にあわせているだけなんだよ」朱音は笑みを浮かべる。「いまから君は、転移先の言語を認識できるようになるんだよ」
 不思議なのか不気味なのか、よくわからない奇妙な感覚。
 熱いのか冷たいのか、震える手は寒さからか緊張からか。
 感覚がなくなる、今いる知的の理解が追い付かなくなる。
 深淵。
 それに飲み込まれていくルーナエたちを、アリーシャはただただ見つめつづけた。
 そして最後、アリーシャは微笑んだ。
「いってらっしゃい、ルナ。病気を治してら、帰ってきてください」



(. )
 ーーあれ?
「ちょっ、ここ、どこ?」
 ルーナエは闇の中にいることに気がついた。
 焦りながらも、見えない相手に向かって説明を要求する。
 ルーナエは、何があったか直ぐには思い出せなかった。
「大丈夫だ、安心してって言ったよ? あたしの能力だから、すぐに出られるから大丈夫だよ」
 どこからともなく、ルーナエの耳元に声が響いた。
 声の差だけでは、まだどちらなのか判断できない。しかし、独特な語尾や口調のおかげで、返事をしてくれたのが朱音だと、ルーナエには区別できた。
 ーーああ、そういえばそうじゃん。
 ーーアリスに異世界に飛ばされたんだっけ……。
 朱音の返答を頭に入れ、現在自身がおかれている状況を何となく理解した。
 ーー別の世界に行くには、こんな謎空間にいなくちゃいけないんだ?
 ルーナエは、ここ数ヶ月のあいだ生きるのが辛いと感じるようになってしまい、何をやっても楽しめないという状態で暮らしつづけていた。
 いずれ気分は優れるだろうーーそう考えていたルーナエだった。だが、しかし、事態は悪化の一途を辿ってしまう。
 耐えきれず、ハーブが得意な魔女に頼み、特製ハーブティーなんかまで作ってもらったこともあるのだ。
 しかし、それでも効果は得られなかった。
 一月ほどまえから、もうベッドから出る気力すら湧いてこなくなったルーナエは、もはや、生きているだけで辛いと感じ始めてしまい、『これは治らないんだ』と察した末、ついに自害をしようと決意したのである。
 ルーナエは最後、大親友で、なおかつ、直属の上司であり、お姫様である存在ーーアリシュエール帝国の第二皇姫、アリーシャ・アリシュエールに別れを告げるため会おうと城を探した。
 しかし、タイミングが良いのか悪いのかーーたまたまその場には、無関係の女性が二人ほどいたのだ。
 ひとりは、昔、アリーシャがルーナエの部屋に連れてきたことがある女性。
 二人目は、その仲間らしい、口調が気になる18歳辺りの少女。
 その2名とアリーシャは、居場所をたまたま共にしていた。
 異世界人のことなんて気にしない。そう装うため、ルーナエは二人を見ないでアリーシャにだけ顔を向けたまま『わたし死ぬことにしたから、よろしく』と告げたのである。
 しかし、その途端アリーシャは、ルーナエの背中をぐいぐい押し、舞香と朱音に差し出すと『異世界で治療しろ』と命令するのである。
 怪訝な顔どころか、まるでルーナエが異世界へ来ることは決まっていたみたく二人は快諾した。
 そのとき、自分の知らない場所でアリーシャと舞香たちが関わっているんだと理解できた。
 何を話していたのかまでルーナエにはわからないが……。
 しかし、少なくとも舞香が『ルーナエという女性が病気を治すために訪ねてくる』ことは決定事項だったように振る舞ってくるのを慮るに、ルーナエの憂鬱気分を直すために来る・行く、という事実はほとんど決まっていたのだろうなと予想ができた。
「いろいろ混乱してるかもしれないけど、向こうに着いたら追って説明するから。ちょっとだけ待っててね」
 もう一人の女性ーー舞香の声がルーナエの頭に響く。
 やはり、その声色には疑念の欠片もない。
 ルーナエが来ることに対して、何の抵抗もない口調をしていた。
 ーーやっぱり、わたしが来るって決まってたみたいだ……あーあ、どーなんのこれ……?
「さ、着くよ?」
 朱音の声に共鳴するように、暗闇の先に光が現れた。
 瞬間ーー視界がホワイトアウトする。
 その直後、ルーナエの視界には、一気に白い壁が広がった。




【Episode1╱Raison detre】
(.0)
「ほ、本当に、ここが異世界なん?」
 朱音、舞香、ルーナエの三人は、とあるマンションの一室に現れた。
 ルーナエは、まじまじと部屋の中を観察する。
 ベッドがひとつ置かれており、箪笥と時計以外はなにもない。
 ーーこの程度の家なら、こっちの世界にもある気がするんだけどなぁ……。
「もちろん、異世界に決まっているじゃない。あなたの暮らしている世界と違うところが知りたければ、そこのカーテン、開いて外を見てみなさい。多分、すぐにわかると思うわ」
 舞香に促され、ルーナエはガラス窓の前にあるカーテンをスライドさせ、外を眺めた。
「……な、何あれ!?」
 ルーナエは、窓から見える風景を一望すると、いきなり声量を高めてしまった。
 太陽が眩しいのは、ルーナエの居た世界と何ら変わらない。
 しかし、眼前に広がる光景には、大きく異なる部分があちらこちらあり、ルーナエは驚きを隠せない。
 ビルなどの高い建物が立ち並び、空には飛行機、地面の道は自動車で埋まっている。
 ルーナエにとって、そのほとんどが、奇抜かつ不可思議に思えてならない。 
 ーー部屋の中だけじゃわかんなかったけど、外に広がる景色はこっちとまったく違う!
「この部屋は仕事の一つを準備する為に用意してあるから、しばらくルーナエには無用の場所になるわね。とはいえ、朱音の能力制限ーーまあ、とりあえず帰ってもらう日には、またここに来てもらうことになるかもしれないわ」
 背後から、がさがさと音がしてくる。
 音が気になって景色に集中できなくなったルーナエは、振り返り何の音なのか目視した。
 そこには、箪笥の一段目を引き出し、中からなにかを必死に漁る舞香の姿があった。
「舞香さん、沙鳥さとりちゃんにバレちゃうよ。部屋の中ならまだしも、外でも長袖で行動するなんて……。沙鳥ちゃんは違和感しか持てないよ。だいたい、能力使われたら一瞬でバレるよ。あたしが保証する」
 長い黒髪を手で払いながら、朱音は舞香に対して忠告した。
 ーーん? 何がバレるんだるんだろ?
 舞香が何をしようとしているのか、ルーナエはただただ静かに見守る。
 舞香は半笑いしながら、ようやくお目当ての物が見つかったのか、なにかを取り出した。
「バレないことを祈るわ。バレたらバレたで仕方ないじゃない。だって、これがないと私は始まらないんだし」
 舞香が取り出した物は、細い筒状の道具ーー使い捨てのインスリン用の注射器。そして、白い粉が封入している透明なパケだった。
 舞香は注射器の中にある棒を引き抜くと、そこから白い粉をさらさらと入れていく。
 やがて、棒を入れ直し軽く力を入れ押し込むと、注射器のキャップを外し針を露にした。
 舞香は水に針を浸すと、棒を少し引く。すると、針先から内部に水が吸い上げられる。
 水から引き上げ、棒を引き空気を入れると、ぶんぶんと注射器を上下に振って粉と水を混ぜ始めた。
「な、なんなん、それ」
「ルーナエちゃんは気にしなくていいよ」
 朱音は、ルーナエに対して、興味を持たないほうがいいと言わんばかりに告げた。
「ちゃ、ちゃん……?」
 ーーぜったい、この子わたしより年下でしょ。多分まだ20いってないだろうし……。17、8歳くらいでしかないはず。
 ーー幼く見える外見だからって、推測だけで年下って判断しないでくれないかな、まったく……。
 自身の外見が14歳頃から成長しなくなったルーナエは、周囲からずっと、子ども扱いを受けて育ってきた。
 そのせいで、自身の外見をルーナエは気にしていた。
 背丈は低く140cmちょいしかなく、胸は全くないレベル、おまけに顔も皮膚も四肢も幼い。
 全部、なにも揃っていない。
 そんなルーナエは、あまり自分の容姿に自信が持てていないのである。
 舞香はようやく動作を止めると、針を上に向けて棒を押し込んでいき、弾いて残った気泡を上に移すと、空気をすべて溶液から出した。
 舞香は右手で左腕の袖を掴むと捲り上げた。
 そうしたら、素早く静脈血管を見つけると、自分の腕に注射針を向けた。
 角度をなるべく無くすと、皮膚に向かって針を穿刺(せんし)した。
 ーーええ……痛くないのかな?
 舞香は針を進めていく。
 と、急に注射器の内液に、赤黒い血が茸雲のように逆血ぎゃっけつし、血と液が混ざる。
 それを確認した舞香は、少しだけ針を進めると棒を軽く引き、きちんと逆血するのかを再度確認した。
 やがて、ゆっくりと溶液を、腕の中にある静脈血管内へと注いでいく。
 次第に笑顔になっていく舞香。
 舞香は中身をすべて注入すると、やさしく注射器を引き抜き、そのまま注射器を地面に適当に放り投げて捨ててしまった。
「っくぅ~! はぁはぁ……やっぱり、これがなくっちゃ、私は始まらないわね!」
 ルーナエは、舞香の顔を見て、どこか違和感を覚えた。
 まじまじと確認すると、違和の正体に気づいた。
 ーーど、瞳孔が何だか開いてる……それに汗が急に出てない?
「毎回毎回捨てるんだから、ゴミ箱この部屋に置きなよ、舞香さん」
 朱音は地面に転がる注射器を拾う。
「ねぇ、さっきからなにしてるのさ、舞香?」
 ルーナエは、破顔している舞香に疑問をぶつけた。
「元気の素を入れただけよ、気にしないで。ーールーナエも使ーー」
 舞香が言うのと同時に、朱音はフローリングを両手で強く叩き言葉を遮る。

「舞香! いい加減にしないとあたしだって怒るよ? 沙鳥ちゃん、あんなにいろいろ頑張ってくれてるんだよ、わかってるの?」
 ルーナエが返事をする隙を与えずに、朱音は舞香に食って掛かる。
「そんなの、あの子が勝手にしているだけじゃない。むしろ、余計なお世話よ。ーーとりあえず、朱音は大海(たいかい)さんに連絡入れてちょうだい。身分証偽造してくれって言えば、ツテを使って用意してくれるから」
「舞香さん……」朱音は後頭部を暫く掻く。「……はぁ、わかった。名前や年齢の希望はあるの?」
 不機嫌そうな表情をする舞香を見て、朱音はなにかを諦めて質問した。
 朱音に問われた舞香は、少しだけ間を空けたあと、ゆっくりと口を開く。
「ルーナエ、そういえば貴女って何歳なの? 14、5歳くらい?」
「……24歳だよーー文句ある?」
 瑠奈は少しぶっきらぼうに言い捨てる。
 それを聞いた舞香は、ガクッと肩を落とした。
「に、24歳て、あなた私とほとんどタメじゃない」舞香は深くため息をつく。「これだから異世界ってヤツは苦手だわ」
「い、いや、これは、こっちでも……あんまし、いない……かな……」
 ルーナエは舞香に聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「悪いんだけど、14歳にさせてもらうわよ? あっ、でも、煙草やお酒って嗜んだりするの? 向こうにもたしか、似たようなの物はあるでしょ。まっ、見た目からじゃやってる感じにはまったく見えないし、大丈夫だと思うけー「ーいや、シガレット吸うけど?」」
 舞香が喋り終えるまえに、ルーナエは申し出た。
 ーーそれも、わたし結構ヘビースモーカーなんだよね。本当、みんな見た目で判断するなぁ……。
「全然そうは見えないわね……でも、まあ、うーん……ドラッグが切れた辛さは、私にもわかるからなぁ……よしっ、20歳にしておきましょう。朱音、いい?」
 ーー舞香もアルコールやシガレットでも嗜むのかな?
 ルーナエはなんとなくそう思った。
「とりあえず20歳……っと」
 朱音はメモ帳にさらさらと走り書きする。
「名字は微風、名前はルナで漢字変換してみて? 違和感のない漢字なら何だっていいでしょ。他の細かい部分は大海さんに連絡すれば、どうにでもしてくれるから」
 舞香は朱音からルーナエに視線を移す。
「私とルーナエは、みんなが集まる部屋に行くわよ、オッケー?」
 ルーナエは未だにここの者たちについてなにも知らない。
 しかし、せっかく異世界に来たのだからと、ルーナエはひとまず頷いた。
「朱音は大海さんに連絡だからね?」
「わかった、わかったやっておくよ。それじゃ、あたしは大海さんと相談したあとは、いつもどおりに過ごすけど、いいよね?」
 舞香は頭を縦に振る。
「さて、みんなに貴女のこと紹介して、みんなのことを貴女に紹介しにいきましょ」
「あ、うん……わかった、です」
 ルーナエは頷くと、舞香に連れられてドアの外に出た。
「きょうもあっついわねー、嫌になっちゃう」
「な、なんだかこっちの世界、やたらと暑い気がするんだけど……なんなん、気のせい?」
 ーーというより、さっきの部屋はあんなにも涼しかったのに、なんなの、なんなん室内と室外の、この気温の差は……。
 ルーナエは自分の暮らしていた世界に比べ、明らかに暑い世界だと判断した。
 扉の外にあるのは、横に真っ直ぐ伸びている通路。
「ま、舞香……あ、えっと、舞香、さん?」
「いいわよ、無理して敬語使わなくて。さっきから変にカタコトで気になるわ」
 ーー朱音の『よ』を語尾に多用する喋り方のほうがよっぽど気になるんだけど……ま、いいや。
「普通にしゃべっていいなら、普通にする。ーーねぇ、あそこ、あの地面走ってる物はいったい何?」
 ルーナエは自動車を指しながら舞香に質問した。
「あれは車っていう乗り物。貴女の世界だと、風を操り空飛べちゃうから不要な物。でもね、こっちの世界には魔法使いやら精霊やらなんていないの。空を飛べる人なんていないのーーとはいっても、異能力者なら話は別ね」
「異能力者?」
 瑠奈は気になりつい質問してしまう。
「異能力については、後で調べてね……とはいえ、空を飛ぶ異能力者なんて見たことなんてないわ。知りもしない」
 ーーあ、後で調べてってどういう意味?
 通路を歩きながら、舞香はルーナエの問いに答えていく。
「とりあえず、二階にある部屋に行くから。あなたの部屋は別に用意してあるから、後でそっちを紹介するわね」
「あ、えと、うん。ありがと、う?」
 ーーこの場合でも……いやいやきた場合でも、お礼は言わなきゃならないのかな?
 ーーアリス、余計なことしてくれちゃってさ~……死ぬ前にもう一度くらい襲おうかな、少しムラムラしてきた。泣こうが喚こうが身体全身犯し尽くして、姫という立場に相応しくない惨状になったあと死ぬでもいいかな?
 ーーというか、恋愛や関係とか無視して、近場の気になった娘の処女(はじめて)を奪い荒らしてもいいか。同性姦淫は極刑に処される国だし、そんなアリシュエール帝国への私からのプレゼントになるかもしれない。相手も同罪だしいいかも……。
 最近ではなくなってた欲望まる出しで考えて、ルーナエは久しぶりにむらむらしてきてしまう。
 ルーナエは産まれてこのかた性欲を覚える相手が女性しかいなかった。同性愛厳禁のアリシュエール帝国に生まれ落ちながら、男に対しては対象(ターゲット)を奪ってくる存在とさえ感じてしまい、嫌悪を抱くときすらあるのだ。
 そんな彼女は、国に見つからないように行為するよう気をつけていたが、この国ではどうなのか?
 舞香と共に階段を降りていくルーナエは、どうしてもその一点が気になった。
「舞香、この世界って同性愛は死刑?」
「ん? LGBTも普及してきたし、特に罰とかないわ。貴女の世界ーー特に貴女の住む支配国家アリシュエールだと、なんだか禁止みたいね」
「うん」
 二階に到着すると、舞香は『201号室』と書かれている部屋の前まで歩き、目の前でいったん立ち止まった。
 舞香は部屋の鍵を取りだすと、解錠して玄関を開けた。
「もう誰かいるかしら?」
 玄関の中にあったのは、まずは細い廊下。その廊下の横にはキッチンが併設されている。
 廊下の奥にはやや広めの部屋。
 ーーって、置物変えただけでさっきとおんなじゃん!
 ルーナエは、今しがた転移してきた初期地点と部屋の構造が瓜二つなことに地味に驚く。
「あ、おはようございます舞香さん」
 奥から誰かの声が聞こえてきた。
 廊下奥の部屋には、ソファーに寝転がっている少女が一人居た。
 こちらの部屋には、さきほどの部屋とは異なりベッドは置かれていない。
 その変わり、部屋の中心にテーブルがあり、その左右に二人掛け用のソファーが置かれている。
「沙鳥、おはよう。この子はまえに言っておいた子よ。ほら、うつ病っぽい女の子が来るからって言っておいたでしょ?」
「こ、この……子、この、子? 子? ーー子?」
 子ども呼ばわりされるのが気に触り、瑠奈は一瞬フリーズしてしまう。
 今さっき24歳だと答えたばかりなのに、舞香と同年代らしいのに、女の【子】扱いを受けること……ルーナエは意外と傷つくようだ。
「はじめまして、嵐山沙鳥(あらしやまさとり)と申します。あまり関わる機会はないかもしれませんが、これからしばらくの期間、どうか、よろしくお願いします」
 沙鳥は寝た体勢をやめると立ち上がり、深々と頭を下げてきた。
「え、あ、あの、ども、ルーナエ、です」
 ルーナエもつられるように頭を下げた。
 そんなルーナエを、沙鳥は舐めるような目付きでじろじろ見つめる。
「で、このお方は、いったい何の仕事を担当なされるのでしょうか。まさか無料で力を貸すわけありませんよね、舞香さん?」
 当たりのキツい言葉がルーナエを襲う。
 ーーだ、だってアリスが勝手にこっちに送るんだもん。異世界に行こうだなんて、わたしはこれっぽっちも思っていなかっもん……。
「ーーなるほど、そういうことがあったんですか。ですが、何もやらないよりは、何かをやっていたほうが気は紛れるのではないでしょうか」
 ただ飯食らいは許さない。と、遠まわしに『働け』と告げたいのだろうか。
 ルーナエは悩む。
「……あれ?」
 いま起きた現象に遅れて気づいた。
「……わたし、まだなにも言ってないんだけど?」
 ルーナエは不可解に感じて沙鳥に問いかけてみた。
「沙鳥はね、相手の心を読める異能力者を持ってるの」
 沙鳥の変わりに舞香が答えてくれた。
 ーーなるほど。なんか、ズルい能力に感じるけど、そういうもんなのかな?
 ーーだからさっき、能力使われたらバレるとかなんとか喋ってたのか。でも、なんでバレたらダメな
んだろ?
「……え? まーー舞香……さん?」
 ルーナエの心を読んでいた沙鳥は、途中で気になることでもあったのか、舞香へ反射的に視線を移した。
 舞香は一歩後ずさると、無心になろうとして真顔になる。
 しかし、意識を無にはすることはむずかしいーー。
 沙鳥は目を見開いて虚空を見たかと思うと、いきなり身体をぶるぶる震わせ涙を流した。
 そのまま立ち上がると、なぜか天井を見上げて口を開く。
「あ、ああ……ぁぁああ!? いぃいいやぁぁあぁあああああっ! どうして、どうしてわたしばかり虐めてくるの!? 答えてよっ! 答えて! あああぁあぁあああっ!」
 それは舞香に向けて発された言葉ではなかった。
 沙鳥は天井を見上げたまま発狂していた。
 まるで、そこに誰かが居て、その者に問いかけているようにも見えなくはない。
 沙鳥は叫びながら顔を歪ませる。
 それを見たルーナエは、いきなりの出来事にポカンと口を開けて言葉を失う。
 しかし、舞香は『まーた始まったよ』と呟くと、慣れていると言わんばかりにルーナエに『気にしないでいいわ』と言う。
 まるで沙鳥を居ないものかのようにーー沙鳥を完全に無視して、舞香は反対側のソファーに腰を降ろした。
「あれよ。多分、心的外傷後ストレス障害、PTSDーーって言っても伝わらないかしら……。説明すると、沙鳥は昔、何か凄い嫌な目に遭ったらしいのよ」
 それだけならマシなんだけど、と舞香は続けた。
「どうしてかはわからないけど、私が注射してるってわかった瞬間がトリガーになっているみたい。トリガーに触れるとフラッシュバック……追体験みたいな症状が発現するらしいの。どうして私がトリガーになっているのか聞いても、沙鳥は何にも教えてくれない。まあ、数分すれば元に戻るから放っておいて構わないわ」 
 瑠奈は、顔を涙で歪ませる沙鳥を横目で見る。
「ほ、放っておいて構わないって言われても、本当に大丈夫? な、なんだか凄い苦しそうなんだけど」
 沙鳥はとうとう地面に倒れ伏し、頭をガリガリと引っ掻き悶え苦しむ。
「だって原因を教えてくれないんだから対策の打ちようがないじゃないでしょう? 私のしたことに対して勝手に発狂するだなんて、むしろこっちが迷惑って話。精神病院(びょういん)行けって言ってんのに行こうとしないし……はぁ、面倒くさいわね」
 地面に数回頭をぶつけた沙鳥は、そこまでして、ようやく動きを止めた。
 やがて、ふらふらと立ち上がると寝ていたソファーに座り直した。
「……うぐっ……ずっ……すみません、取り乱しました……うっ……」
「いつもの事じゃない、もう慣れたわ」
 沙鳥は顔を両手で覆いながら、長く、ゆっくり、深呼吸する。
 肩を震わせている沙鳥を見て、なにかを呟いていることにルーナエは気がつく。
 そのまま耳をたててみるが聞き取れない。
 ルーナエや舞香には決して、届かない。
 と、そのとき玄関の扉が開いた。
 そこからルーナエの知らない女性が二人入ってくる。
「おはよう」
「あっちぃー、マジだりぃ、クーラー最高ーッ」
 姿を見せた一人目は、和服を着ている10歳前後の女の子ーーというよりかは、童女や幼女といったほうが相応しいだろう年齢の子ども。
 そして隣にいるもう一人は、幼女とまったく関係無さそうなーー派手な格好をしているギャル風な容姿をしている、ギリギリ未成年か成人してるか計りかねる女性。
 その二名ーー。
「ルーナエ、紹介するわ。右の幼女が“澄(すみ)”って娘で、名字(みょうじ)はないの。詳しい説明は省かせてもらうわ。左のギャルは“二(したなが) 翠月(すいげつ)”」
 なんだなんだとばかりに、二人はルーナエを観察する。
「ヤベェ、まじファンタジーじゃん、この子。緑髪なんて色に染めてるやつ、私初めて見るわッ。マジスゴくない!?」
 翠月は何か面白いのか、腹を抱えて爆笑している。
「……わしと同類の気がするな、お主。名を何と申す?」
 澄はしばらくルーナエを見つめたあと、名の教えを乞う。
「ルーナ「ルナって名前。漢字はまだない」です……って、え?」
 舞香に遮られてしまい、間違った名前が伝わってしまう。
「ま、舞香? わたしそんな名前じゃ……」
「いいのよ、いいの。だって考えてもみなさいよ。ルーナエもアウラも凄く呼びにくいじゃない」
 勝手に呼び名を変えられ、なんだか釈然としないルーナエであったが、しかし、すぐに『まあ、どうでもいいか』と気にしないことにした。
「ルナとやら、お主は何を担当するんじゃ?」
「た、担当? えっ、なんも聞いてないんだけど……」
 ーーた、ただでさえダルいのに、さっきからみんな何なの? 
 ーー何かしろって、伝えたいのかな?
 ルナは顔をしかめてしまう。
「ルナにはまだ無理よ。実力は不明だけど、こっちの常識を身につけてもらわなきゃ失敗するわ。今のその子は、まえに言ったとおり多分うつ病だしね。返済は、後々のちのちよ、後々」
「そうかーーお主の纏う雰囲気、常人のそれとは異なるからの。てっきり、わしと同じかと思ったわ。すまぬのう」
 ーーよ、幼女に、ジジババ言葉は似合わねー!
 あまりに濃いキャラをしている澄を見ながら、ルナは違和感を拭おうと努力するが、気になって気になって仕方がないでいた。
「売りならだれでも出来るっしょ? うちの援交メンバーに加わえ れば無敵じゃん」
「え、援交……って?」
 ーーそんな楽な仕事なのかな、えんこうって?
「そそ、援交援交、援助交際。性に飢えてる男とえっちするだけで、お金がガッポガッポ稼げるよん。どお、やらない?」
「男とえっち、する……だと? 無理無理無理! わたし男となんて絶対やりたくない!」
 やたらと嫌がるルナを見て、「そっか」と、意外と簡単に翠月は諦める。
「初めては、大事な人にってタイプか~」
「え? 初めてって、処女のこと?」
 翠月は頷く。
「ならわたし、処女じゃないけど……」
「えっ? えっ!? 何々、なにがあったのかお姉ちゃんに言ってみ?」
「いや……単純にアリスーーアリーシャっていう女の子と、初めてを捧げあっただけなんだけど……それがどしたん?」
 ーー詳しくいえば半ば無理やり奪っちゃったんだけどねッ?
 翠月は舞香に顔を向けた。
「この子レズじゃん! 緑髪なうえにレズってちょーウケるんですけど」
 翠月はゲラゲラと爆笑しながらルーナエを指差す。
 沙鳥はようやく両手を顔から離すと、なぜだか眉を曲げてむすっとした。
 なにやら、ルナよりも沙鳥のほうが怒っているように見えてしまう。
「差別はいけませんよ、翠月さん。もしも知り合いに同性愛者の方がいた場合、失礼が過ぎます」
「べつにいいじゃん。この子以外、ここにレズなんていないんだしぃ? 沙鳥っちは頭が固いねー?」
 翠月は沙鳥の頭を撫でながら言い返した。
 しかし、沙鳥は不機嫌そうな顔を変えない。
「翠月さん私より年下ですよね? 子ども扱いしないでください、私はもう二十歳です」
 ーー二十歳!? 18歳くらいかと思い込んでた……。
 沙鳥は翠月の手を払いのける。
「とりあえず、ルナにはしばらくのあいだ部屋で勉強してもらうわ。こっちの世界について、いろいろと学んでほしいからね」
 もう本題に入ろうと考えたらしい舞香は、沙鳥と翠月のやり取りを止めながら言葉をつづける。
「朱音の能力が及ぼす範囲は言語までだから、一般常識までは身に付かないのよ」舞香は背伸びする。「沙鳥、回線繋いであるから、ルナにパソコン教えてあげて。ネットで検索するくらいならすぐに教えてあげられるでしょ? そのあいだお客様から連絡があっても、少し時間がかかるって伝えとけばいいから。お願いできるかしら」
「……はい、わかりました」
 沙鳥は素直に了解する。
 その顔は、さっきまで涙で歪んでいたものとは思えないほど、元に戻っている。
「必需品はーーまあ、ケータイやら衣服やらはこっちで用意しておくから、知識に関してはそっちでよろしくするわ」
「なら……ルナさん、お部屋に案内しますね。ーー舞香さん、たしか402号室でよろしいんですよね」
「ええ、間違いないわ」
 そんなやり取りを見ながら、ルナはふと思う。
「わたし、まだ自己紹介何にもしてない気がするんだけど……」
「そんなこと、いずれすればいいでしょう。まずは、この世界に慣れることがルナさんの最優先事項ですから」
 ルナは頷くと、嫌々ながらも沙鳥に着いていくことにした。



(.1)
 時計の針は、10時30分辺りを示していた。
「この部屋が、今日からルナさんの部屋になります」
「……さっきの部屋と構造まったく一緒じゃんか……。最初見た部屋だってそうだったけど、この家って、全部おんなじ作りをしてんの? 置物変えただけでしょ」
 部屋にはソファーとテーブルが無い変わりに、机、そしてその上にパソコンが置かれていた。端には、寝るための布団が敷かれている。
「いえ、すべての部屋を見て回ったことがないのでわかりません。そんなことよりルナさんには、早速パソコンを使って、この世界ーー特に日本のことを調べていただきます」
 沙鳥はそう言うと、パソコンを指差した。
「この薄いのと黒い箱、これがパソコン? ダルいのに、そんなことしなきゃダメ……と?」
「もちろん、当たり前でしょう? ただ飯食らいはうちには要りません。病院だって、お金がかかりますからね。最初は立て替えておきますが、あとで返してもらいます。だからこそ、そこのパーソナルコンピューター、略してパソコンで勉強していただき、それは仕事で活かしてもらいます」
 沙鳥に促されたルナは、ひとまずパソコンの前にある椅子へ腰を落とした。
「知識を付けて頂くだけですので、余分なことは教えません。ですから、気になったことがあれば、自分で調べてくださいね。では、早速はじめましょうか……まず、ここのスイッチを入れます。すると電源が入ります」
「……はいはい、わかりました、わかりましたよ。やればいいんでしょ、やれば」
 ーーとりあえず命令にしたがっておこう。嫌になったら、逃げるか死ぬかすればいいだけだし。
「……わたしは自殺しようとしている人を、さらに言えば、ほとんど他人のひとを止めようとなんて、思いはしません。ですが、どうせ死ぬなら、好き放題やってからでいいと思います」
「……その読心術、ちょっと卑怯じゃない? なに、こっちの人間はみんな変な力を身につけてんの?」
 ルナの居た世界では、たしかに魔法が常識となっている。けれど、それらはすべて物理的なものであって、精神をどうこうする技術なんて存在しない。
「卑怯と言われましても、偶然手に入れた力ですから。異能力を扱える人間は、数えるほどしかいませんから安心なさってください。異能力にも、物質干渉・精神干渉・概念干渉・存在干渉の四種類がありますので、すべてがすべて精神に干渉する異能力者だとはかぎりませんしね」
 ーーダメだ、異能力者って人たちのこともよくわからん。せっかくだし、後で調べてみよっかな。
「そうしてください。電源がついたら、ここのマークに、この物体ーーマウスを動かして、矢印をもっていきます。そしたら、このマウスにふたつあるボタンの左側を二回素早く押します。この行為を、ダブルクリック、と言うんです。一回だけだとクリックです。さあ、ここまでのことを真似してみてください」
 沙鳥は一度電源を落としたあと、ルナに言った。
「そんな細かく説明しないでも何となくわかるって、もう……」
 ルナは文句を垂れつつ、言われたとおりに電源を入れる。そのままデスクトップの画面になったら、ルナはインターネットのアイコンにマウスで矢印を動かし合わせるとダブルクリックする。
 ーーなんだこれ、これも異能力とやらで動作してるん?
 ルナは口をポカンと開け、だらしない顔のまま画面を凝視する。
「はい、よく出来ました。ついでに、それは科学の力で動いているだけです」
「科学……? とりあえず、褒められてる気がまったくしないんだけど」
「いいから次いきますよ。ここに囲ってある横長のエリアに矢印を持っていき」沙鳥は画面に映る検索エンジンの入力欄を指差しながら言う。「クリックしたあと、検索したい言葉を入力してください。あっ、とはいっても、こちらの物事を調べるには、なにかしら特有の単語を、こちらにあって向こうに無いものを教えなければいけませんね……。とりあえず、先程述べた異能力者を調べてみてはどうでしょうか。その中で、気になる言葉が見つかったら、また新たに検索する、それを繰り返すんです」
「……ねえ?」
 どうやって文字を入力するのかわからないルナは、沙鳥の顔を窺う。
「ああ、すみません、忘れていました。このモニターの手前に置いてある物、これの名前はキーボードという物なんですが、これを使って文字を入力していただきます。……文字は、朱音さんの能力の範囲でしたっけ?」
 沙鳥は、ふと疑問を口にする。
「読めるかってこと? わたしにはこれ、こっちの世界の言語にしか見えないけど……?」
 ルナは、キーボードに小さく書いてあるひらがなを見ながら答えた。
「それなら結構です。では、異能力者と入力して、隣にある枠の検索と書いてある所に矢印を持っていき、クリックすれば検索ができます。では、やってみてください」
「言われりゃわかるって、まったく、もう……」
 人差し指で、ゆっくりキーボードを押していく。
「い、の、う、りょ、く、しゃ……っと、これでいいんでしょ?」
 言動とは異なり、ルナは内心ドキドキしながら、久しぶりに気分が高揚している。
「はい、よくできました」
「はいはい、嬉しい嬉しい。嬉しいから、さっさと次いこ、次。次はどうすればいいの?」
「この現れたサイト群が、検索結果一覧です。気になるタイトルをクリックすれば、情報が出てきます……あっ、ちょっとすみません、連絡が入りました。いろいろ試してみてください」
 沙鳥はルナにそう告げると、ポケットから携帯電話を取りだし耳に当てる。
 ーー気になる情報、ね……。とりあえず、何でもいいからクリックしてみよっと。
「もしもし……あ、はい、大丈夫ですよ。はい、わかりました。いつもの場所で構いませんよね」
 ーー1番上から気になる……押してみるか。
 ルナは、一番上に表示された『猿でもわかる異能力者』というタイトルをクリックした。
「それでは、30分ほどお待ちいただければ幸いです。はい、では、またあとで……ふぅ」
 沙鳥は通話を切ると、携帯電話をポケットに戻した。
「ん、あれ? いやいや、ちょっと待って。さっき舞香、連絡が来たら遅れるって伝えりゃいいって言ってたじゃん」
「検索するのに必要な知識は教えました。ですから、わたしはお仕事に行って参ります。それでは、また後程」
 沙鳥はそれだけ言い残し、部屋から出ていってしまった。
「えー……なんじゃらほい。ーーまっ、いっか。とりあえず、こいつから読めばいいんだし」
 ルナは呟きながら、異能力者について記載されているサイトを読み始めた。

ーー異能力者とは?ーー
 異能力者とは、近年になって現れた、世間をいろいろと騒がせている『非科学的な力を持つ者たち』の総称である。
 異能力を使った犯罪が多発したことによって、2015年、政府は異能力犯罪の対策のために手段を講じた。それが、“異能力から市民を守る為の法律”と“異能力犯罪特別法”の二つの法律、そして、異能力を発現してしまった人間が、みだりに能力を使わないよう教育するための施設『異能力者保護団体』である。以降、異能力が使えるようになった人間は、居住の県にある同団体に名乗りでなければ罰される事となっている(※名乗り出なかった場合の罰則も、なかなかに重いものが用意されている)。
 異能力が発現した者は、あたかも、産まれてからずっと能力を使ってきたかのように、使い方や異能力の知識が頭の中に流れ込んでくるらしく、そこで様々な知識を理解するらしい。
 異能力者は一人ひとつの能力しか扱えないため、個人個人でその脅威度は異なっている。実際には曖昧な点も多い区分だが、いまのところ異能力者へのアンケートを元にして、以下の四つに分類されている。
 下になるほど脅威度が高いと定められている。しかし、あくまで基準に過ぎないため、概念干渉よりも脅威な物質干渉の異能力者も勿論存在する。
・物質干渉(能力によっては、身体干渉と呼ばれる場合もある)
      例/物質を生み出す、スプーンを曲げる、空を飛ぶなど。
・精神干渉(意識干渉とも言われている)
      例/思考を読む、意識を操る、感情を高めるなど。
・概念干渉(珍しい為、操る概念の名前+干渉と呼ばれることもある)
      (例/時間を停止する、重力を変化させるなど)
・存在干渉
      (例/上記のいずれかにも当てはまらず、能力の内容が『在るもの、もしくは、無いものに干渉を加えると言われている)
 異能力は、いつ誰が発現してもおかしくない急性の病のようなものである。万が一に備え、浅い範囲でかまわないから知識は身につけておいたほうがいいであろう。
 異能力者の見た目は、普通の人間となんら変わりない。そのため、見つけるのは至難の技だと思われるかもしれない。しかし、異能力者と一般人の違いが、最近の調査によって判明したのである。
 ただし、それが可能なのは一部の特殊な人間のみ、違いを見破るのは、肉体を包むオーラを知覚できる人間に限られている。いわく、彼ら彼女らは、他人とは違う眼を持っており、身体を包むオーラとやらを目視できるらしい。異能力者にはオーラが現れないというのだから、不思議な話である。
 異能力者保護団体には、異能力の有無を識別するため、『異能力者判別可能証明書』を持つ選ばれた人間ーー異能力特別捜査官と呼ばれている人たちが働いている
 しかし、今現在の日本には、あまりにも異能力特別捜査官が少ない。いまだに異能力者保護団体に報告せず、能力を好き放題みだりに乱用している人間は存在していると予想されている。 
……。
…………。
…………………。

「へぇー、なんとなくわかった。わからん言葉もやっぱり多いけど、要は魔法みたいに何でも可能なわけじゃないんだ」
 ルナは、異能力について調べながら考えてみる。
 ーー沙鳥の能力は多分、精神干渉ってヤツじゃないかな? 思考を読むだなんてみみっちい能力だなぁ……そもそも、物質干渉が最弱って区分に定められているのが納得できない。
 自らが異能力者だと判断された場合、おそらく物質干渉として分類されてしまうだろうルナは、どうにもこの指定が腑に落ちない。空を飛び、暴風を巻き起こし、風の剣で敵を切るーーそのルナが、最弱だと判断される。イレギュラーはあれど、基準はそうなんだと定められている。
 そう考え苛立ちはじめるルナだったが、すぐに頭を左右に揺らして、余計な思考を払った。
 ーーで、朱音の異世界転移ってのは、概念か存在干渉なのかな? 舞香もなんか能力使うのかな? というか、ここの人間はみんなそうなのかも……。
 そのせいか、ルナは異能力者が珍しいとは思えなかった。
 そういえばと、ルナはしばらくやめていた行為が可能なのか確かめていないことを思い出した。
「ーールーナエ・アウラの名に於おいて 風の精霊を喚起かんきする 契約に従したがうべきとするなら 今 此処ここに 現界げんかいせよ シルフ」
 ルナがそう唱えると、ぐったりと疲れ込んでいる羽を生やした少女が現れた。
「うう……ルナってば、酷い、酷いわ。やたらと長い、放置プレイなんて……酷いわ」
 少女ーーシルフは、真っ白の服を着ており、髪はルナと同じ色をしている。背中に生えている二枚の羽をぐったりさせながら、地面に女座りするシルフ。それを見て、ルナは申し訳ないなと思った。
「ごめんごめん、ってか、契約切っといたほうがいいかもよ?」
 ルナは『そういえば、自殺する予定だったのにシルフとの契約を結んだままだった』と思い出し、そう口にした。

「えっ、えっ、ええぇーっ!? なんでっなんでなんで!? わたしのこと、嫌いになった!? だから喚ばなかったの!? 酷い、酷いわ、酷い悪女だわ、こんな大精霊従えておきながら……酷い人」
「違う違う。実はわたし、自殺しようとしてたの。だから、シルフに迷惑かけないようにするには、契約切っとかないといけないな~って」
「じ、自殺!? ど、どど、どどどどうして!?」
 地響きみたいな擬音を立てながら、シルフは焦って答えを乞う。
 ルナは端的に自分がおかれている状況を説明した。
「なるほど、アリシュエールの小娘、なかなかいいところもあるじゃない。今回ばかりは、あの小娘に感謝しなければいけないわね。あの娘のこと、わたし嫌いだけど、今回ばかりは褒めて使わす。ナイスよ、アリーシャ」
 シルフは、まるでルナの行動が間違っているのだと言いたいかのように口にする。
「あのぅ、わたしとアリスって、一晩を共にしたほど仲のいい大親友同士だよ? 初めてを捧げあった仲だよ? それなのに嫌いって……」
 ーー実際は、半ば強引に頼み込んで、ほとんど無理やりな感じでヤっちゃったから、最初は泣きながら怒ってたけど。まあ、許してくれたんだもん、捧げあったも同然だよね。
「そこもムカつくところなのよ! わたしのルナが、別の誰かと関係を持つなんて……アリーシャとヤったって言われた日のわたしの気持ちわかる? わたし、すっごくショックだった。こうなるなら無理やり奪っておくんだったって後悔した。わかるかしらこの気持ち!?」
「まあまあ、落ち着いてってば。後々シルフとだって寝たんだから、初めてかどうかなんて、そこまで拘らなくても……」
「精霊よ? わたし、風の大精霊よ!? 神聖性に拘らなきゃ大精霊なんて勤まらないわよ! ーーで、なんなのよ、いまさら思い出したかのように呼び出して」 
 ルナは、『思い出したかのように』ではなく実際に『思い出したんだ』と口にしそうになるのをやめると、本題に入った。
「いや、さ? こっちの世界では魔法ーーまあ、精霊操術って使えるのかなと思って。シルフちゃんが出てこられたわけだし、大丈夫かな?」
「可能か不可能か、どっちかって言われるなら、一応可能とだけ言っとくわ」
「と、言うと?」
「体内に蓄積しているマナが無くなったら、もう力は行使できないのわかる? こっちの世界じゃマナの補填ができないわ。ルナも、そこは気づいているんでしょう? こっちには、マナがないってこと」
「だよね、やっぱそっかぁ……」
 ルナは、何も見えない部屋の空間に視線を向ける。
 ーーこっちには魔法がない……か。魔法がないというよりも、マナがないだけな気がするけど。
「ルナ、こっちにいる精霊とあっちにいる精霊は別物よ。深く考えず、耳を傾けないで。とにかく、わたしとだけ契約をつづければいいわ」
 ルナは、精霊の声ーーのような音が、物音に重なって語りかけてくるのが、一人になってから無性に気になり始めていた。そんなルナにシルフは忠告した。
 ルナは表情を多少緩め、シルフに返事する。
「マナはそこそこ余ってるから、まだまだ大丈夫。ありがとうシルフちゃん。誰かが来るまで部屋に居てゴロゴロしてていいよ。それか、いっそのことシルフちゃんも皆に紹介しよっか?」
「紹介はだめ。こっちでも同じ事が言えるわ。大精霊であるわたしの力を十分以上に活用したいなら、わたしの正体は隠匿しつづけなければならない。そんな事より、ねぇ、ルナ……きょうは、しないの?」
 シルフは急に甘えるような声を発し、ルナににじり寄る。
「うーん……一応、今は言われたことをこなしている時間なんだけど、いいかなぁ?」
 ルナは時計を見て時間を確認してみた。
 まだ11時前。
 おそらく、沙鳥はまだ帰ってこないだろうと推測できた。
「ちょっとくらいなら、いいかな」
「なら……きて、ルナ。久しぶりに、わたしをめちゃくちゃにして?」
「わかった。シルフ、いくよ?」
 ルナは『ちゃん』付けで呼ぶのをやめると、シルフの肩を抱きながら布団へと押し倒した。



(.2)
「あーあ、もうこんな時間……」
 時計を見ると、もう既に2時をまわっている。
 ルナの後ろには、現れた時よりもぐったりしている、汗にまみれ息を切らしているシルフの姿があった。全裸で股を開いたままぜぇぜぇと息を吐くそれは、たしかに、大精霊とは呼べない。いや、呼びたくない姿に変わり果てていた。
「あれ、一緒に寝ないの、ルナ?」 
「んー、さすがにいま寝たら多分、誰か入ってくるまで起きられないよ?」ルナはショーツに手を伸ばす。「そしたら、尊厳や神聖性も人間性も何もかもが砕け散っちゃうけど、いいのそれで?」
 シルフは残念そうな顔をしながらも、それもそうだと承諾した。
「さて、多分あとで沙鳥がくるから、それまでにいろいろ調べなくっちゃね」
 ページはさっきのままだった。
 ルナはどうにか最初の画面に戻すと、別の事を調べることにした
 ーーとりあえず、精神病院とかいう場所について調べてみよっかな? あとは科学辺りかな?
 ルナは自分の状態を少しの間だけ忘れながら、気になる知識の探求をはじめるのであった。
「ルナ、誰か部屋の前に立ってるわ。多分入ってくるから、一旦ルナの中へ戻っておくわ」
 シルフにそう声をかけられて、ルナの意識はパソコンからシルフに移る。
「シルフ 告げる 風の故郷に至れ」
 ルナが慌てて詠唱し終えると、シルフはその場から姿を消した。どうにか入ってきた人ーー沙鳥に見られずに済んで一安心した。
 ルナは、そういえばと時計を見る。針は7時過ぎを示していた。
 ーーこんなに熱中したのなんて、久しぶりだなぁ……。
 精神病や医薬品から始まり、この世界と自分の暮らしてきた世界の差異をいろいろと発見できたルナは、数ヶ月ぶりに満足感に浸る。
「どうでしょうか? 調べられましたか?」
 ルナは、玄関から自然と入ってきた沙鳥から進行具合を尋ねられる。
「ぼちぼちってところかな? とりあえず、わたしがうつ病ってやつの可能性が大だってことは、なんとなくだけど理解できた」 
「そうですか、それはよかったです。保険証はすぐに完成するらしいので、今から予約を入れてしまいますが、構いませんか?」
「んー? よくわからないけど、とりあえずいいんじゃない? 保険証って物がないと、金額が高くなるんだって」
 ついさっき調べたばかりの知識を、ルナは悠々と話す。
「食事はわたしがもってきますので、ルナさんには数日間だけ引きこもってもらい、パソコンでいろいろ調べて知識を蓄えてもらうーーというのが、舞香さんの提案です。大丈夫でしょうか?」
「まあ、これがあれば、しばらく大丈夫。なんだか、久々にわくわくできて、それだけ嬉しくなってくる」
 ルナは自分の気持ちを、正直に吐露する。
 嘘をつけない相手なら、嘘なんて言わなければいいだけの話だ。ルナはそう判断し、素直に接することに決めた。
「では、お夕飯、持ってきますね?」
「ん、ありがと」
 沙鳥は頭を下げると、部屋の外へと向かって歩み、ふと、足を止めた。
「そういえばーー」
 沙鳥は振り向き、ルナの顔を見る。
「ーーわたしは同性愛を蔑んだりしませんから、安心してください」
 それだけ言うなり外へと出ていくのであった。 
「……あ、あれ? もしかして、シルフとイチャイチャしてたの読まれた系? いや、待って待って……ちちくりあっていた事なんてまったく考えていなかったのにおかしい」
 ルナは、沙鳥がどうしてあんな発言を残していったのか、どうしても数時間前に行った行為に結びつけて考えてしまう。
 沙鳥がそれを指して言ったセリフではなかったとしても、ルナはどうしても気になるのであった。



(.3)
 ーーそして数日時は経ち。
 ルナは『微風瑠奈(そよかぜるな)』と書かれた保険証と通貨を持ち、舞香に予約してもらったメンタルクリニックへと向かうため部屋から出た。
 沙鳥は覚醒剤を売るため、シャブ中の男性と待ち合わせをする。
 舞香は部屋に誰もいないことを確かめると、棚から注射器と覚醒剤の入ったパケを取り出して、自室へ舞い戻る。
 それぞれ人間視点での望む未来へと、ここから静かに歩み始めた。
 二人は仲間だから救いたくて、一人は自分の問題だから解決したい、薄々自覚していた彼女は、見えない位置から援護する。
 二人の本来の目的【絶望】と【自殺】から【幸福】と【生存】へと変えて、【既に在る者】として産まれた存在の平穏のために、沈黙を守ることを決めて、彼女は影で正解をずらす。誰に理解されずとも己のために行動する。 
 立ち止まって進めない者もーー。
 忘れられず絶望する者もーー。
 在るはずではなかった者もーー。
 それぞれの意志に関係なく、いま、運命の歯車は回りはじめる。
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