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石女の唄
しおりを挟む十八年前まで世田谷の住宅街に住んでいた関谷さんは、近所の付き合いで庭に一本の紫陽花を埋めた。妻が紫陽花が好きだった事もあり、大きく育ってくれるといいねと孫のように毎日声をかけ可愛がっていたという。
しかし、その数月後、膵臓癌が見つかりあっけなく妻の朱鷺子さんは亡くなった。ぽつんと手のひらに収まるほど小さくなった朱鷺子さんの腰骨を見て、関谷さんはまるで赤子のようだと思ったのだという。ツルツルして、すべすべして、ザラザラした骨はまるで猫の舌のようで、「あなた、あなた」と亡くなった朱鷺子さんが甘えてくるようで愛しく思えた。
関谷さんは庭の紫陽花の下に朱鷺子さんの骨を埋めた。それから暫くして、ほつれた糸のような雨が降る日が続いた。
朱鷺子さんがいなくなってから関谷さんは色々な音に気がつくようになった。雨が土に跳ね返って竪樋を伝っていく音、ヂーという虫のような蛍光灯の音、三十年近く使っている冷蔵庫のくたびれた振動音。朱鷺子さんの出す生活音の残片を聞き漏らさないよう夜の帳に耳を澄ましていると、シャクッシャクッとスコップで土を掘る音がする。
(朱鷺子だ、朱鷺子が庭で苗を植えているのだ)
関谷さんは紗綾形(さやがた)模様の畳縁に置いてあった眼鏡を手探りで手に取ると庭へ足を運んだ。
朱鷺子さんは二階の書斎からよく見える裏庭の隅で花の手入れをしている事が多かった。朱鷺子さんが愛用していた金属製の赤いスコップは、中に丸い鈴のようなものが入っていた。力を入れて土をすくうたびにカラコロ、カラコロと飴を口の中で転がすように音が鳴るのだ。朱鷺子さんは赤いスコップを大層気に入っていた。関谷さんは、その赤いスコップが苦手だった。なぜなら、関谷さんは一度だけ朱鷺子さんに内緒で不義を働いた事がある。その時、自宅の書斎から視界に入った赤い金魚のようなスコップが二十年以上経った今でも脳裏に焼き付いて離れないのだ。
(まさか、あの時、朱鷺子は見ていたのではあるまいか?)
そう思えば思うほど、関谷さんはその赤いスコップが苦手になった。朱鷺子さんに責められている様な気になった関谷さんはスコップを山に埋めた。「物を失くすなんて、はしたない」と執拗に小言を吐き続ける姑に朱鷺子さんは何も言わなかった。以来、庭先で子守唄を歌う朱鷺子さんの姿を見かける事が多くなった。朱鷺子さんが亡くなる前、庭先に咲いた紫陽花を手折り病室に飾った時も、朱鷺子さんは子守唄を口ずさんでいた。
ぺそっ。
汗をかいた子供の頭の様な生ぬるい体温が肩にのった。何かが、耳朶を齧る。
カラコロ、
カラコロ、
カラコロ。
頭が割れんばかりの大きな本坪鈴の音が鼓膜をつんざいた。
(朱鷺子は許していないのだ。堕胎させた事を)
朱鷺子さんに子ができたのは一度きりだった。姑から石女としてぞんざいな扱いを受ける朱鷺子さんに離縁を申し付けなかったのは優しさからでは無い。うしろめたさからだった。
「すまない、すまなかった」
関谷さんは冷たい土の上に膝をついた。
ぽつり、ぽつりと懺悔の言葉を煙草の火に焚べた関谷さんは最後に大きく息を吸うと、肺の中にあるモノ全てを吐き出した。
「臍の緒って、あんな音がするもんなんですかね?」
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